モンゴル文明は中国文明に勝る [転載禁止]©2ch.net

1世界@名無史さん2015/05/30(土) 16:56:05.920
モンゴル人は中国を制圧し、中華文明に巨大な影響を与えたが、
中国人はモンゴル文明にほとんど痕跡を残さなかった。
また世界史に与えた影響力を見ても、
モンゴル文明と中国文明では比較にならないのに、日本に限らず、
従来の歴史研究や歴史教育では十分に解明も啓蒙もされていない。
日本人こそ、その先鞭を付けるべきではないだろうか。

143世界@名無史さん2017/11/02(木) 08:02:23.550
広大な征服活動を行ったチンギスハン。

金を担当したのはムカリで、中央アジアを担当したのはボオルチュ。

144世界@名無史さん2017/11/02(木) 08:18:35.400
13世紀のユーラシア大陸では、東では南宋、西夏の対立が続き、西の方では十字軍とイスラム勢力が争っていました。

 こららの争いは、それぞれの国の勢力弱体のみならず、東西を結ぶシルクロード周辺の国々の国力が低下にも結びついていくことになります。
シルクロード周辺の国は商業を中心とする国が多かったため、東西貿易が自由に行えないということは経済に深刻な影響を与えていたのです。

 そんな時に現れたのがモンゴル帝国でした。

 このモンゴル帝国の歴史は、モンゴル系部族あるいはトルコ系部族の一部をテムジン(後のチンギス=ハン)がまとめ上げたことに始まります。

 テムジンは1206年、部族長会議の決定によりチンギス=ハンの称号を受け取ることになります。ハンとは、遊牧騎馬民族の間で最高権力者を意味し、漢字では「汗」と書きます。このハンにテムジンが即位したことによりモンゴル帝国が成立しました。

 チンギス=ハンは、シルクロード沿いの国家に狙いを定めていきます。

 まずは、1211年に金を攻撃を仕掛け滅亡寸前まで追い込みます。

 1217年には、ナイマン部の支配地を攻撃(部とは部族のことですね)。

 1219年にはホラズムを、1227年には西夏を滅ぼします。

 チンギス=ハンが滅ぼした国や部族は、ここまでですね。ナイマン部、ホラズム、西夏。

 1227年に再度、金を攻略する為に兵を上げるのですが、その半ばチンギス=ハンは病死してしまいます。
 

145世界@名無史さん2017/11/02(木) 08:20:26.340
先日、知人が「チンギスハンは、中国を征服した人」と誤解していた。
まあ、世間の認識はそんなもんだろう。

実際には、南宋どころか、金すら征服する前に病死した。

146世界@名無史さん2017/11/02(木) 14:27:20.980
>>145
そりゃあチンギス汗とフビライ汗じゃ知名度が桁違いだし
チンギス汗なら子供でもジジババでも知ってるが
フビライ汗は多少なりとも歴史に興味ある人しか知らん

147世界@名無史さん2017/11/02(木) 16:30:18.490
中華料理のほとんどはモンゴル料理に由来する

148世界@名無史さん2017/11/02(木) 19:30:46.860
>>132
いや全然つながってない
平安時代ではまだ唐の影響が強く寝殿造りも地方の郡衙も左右対称
人々の服装は唐服から靴を省いて頭には烏帽子をかぶっていた

ところが室町時代になると左右非対称の書院造りに変わり柱も円柱から角柱に
服装も烏帽子がなくなり月代を剃るようになった
文章も漢文や変体漢文から崩し字を用いた候文になりまったく違う国にしか見えない

149世界@名無史さん2017/11/03(金) 08:04:49.410
確かに、平安時代までの日本と、それ以後の日本は、文化が大きく異なる印象だな。

150世界@名無史さん2017/11/03(金) 08:09:10.440
中国を再統一して、久しぶりに南北分裂状態を解消したフビライハンの功績は、劉邦や李世民にも匹敵する。
チンギスハンの存在感がデカすぎるせいか、一般にはそこまでの評価を受けていない。

151世界@名無史さん2017/11/03(金) 08:09:57.910
いや、劉邦は一代の成り上がりだから比べられないか。

先代のモンケが早死にしなければ、モンケが統一してただろうしな。

152世界@名無史さん2017/11/03(金) 08:15:49.590
金庸の武侠小説だと、モンケ・ハンは「神G俠」・楊過に討ち取られたことになっている。

153世界@名無史さん2017/11/03(金) 09:00:12.990
歴史知識の無い一般人のイメージでは
バトゥ、チャガタイ、オゴタイ、モンケ、フビライあたりがやったことも全部チンギスハンがやったように思われてる

チンギスハンが一代で世界の大半を制服して大帝国築いたイメージ

154世界@名無史さん2017/11/03(金) 09:33:05.770
チンギスハンは「中央アジアを征服して大帝国を築いた人」だな。

中国ではない。

155世界@名無史さん2017/11/03(金) 10:09:44.260
モンゴル人にとって中国南部を征服するのがどれほど難しいかは、魏晋南北朝400年、
遼・金の歴史が証明している。

だから、フビライハンの業績はやはり大きい。

156世界@名無史さん2017/11/03(金) 11:17:53.790
>>1
いや、そもそも中国が世界帝国だった時代が極々短期間だからな

正確な世界帝国はモンゴル朝のみで、中華人は世界帝国作れなかった
事実上のアジア帝国も武周武則天の短期間だけだしな

157世界@名無史さん2017/11/03(金) 11:35:14.410
唐は世界帝国と呼ぶに値する

158世界@名無史さん2017/11/03(金) 11:36:08.510
シルクロード沿線の国々は、みんな唐の傘下に入った

159世界@名無史さん2017/11/03(金) 12:48:45.660
2006年2月から2007年8月まで、日経新聞の朝の連載小説で、
堺屋先生の「世界を創った男―チンギス・ハン」が楽しみで、
朝も新聞配達のバイクの音が聞こえると新聞を取りに行くくらいに嵌り、欠かさず読んでいました。

160世界@名無史さん2017/11/03(金) 12:49:34.050
なぜ、チンギス・ハンが世界を創った男なのか、
それは人類史上初めてグローバルな世の中、
国境の無い世界を目指した人間だったと堺屋先生は、
考えに至ったようです。

161世界@名無史さん2017/11/03(金) 12:51:20.180
まず、チンギス・ハンはなぜ、世界征服を考えたのか。

世界征服を考えた国の共通の目的は二つなのです。
一つは経済的目的です。交易を広げ、資源を奪い、市場を広げて国の富を増やし、国民を豊かにしようという経済的目的です。
二つ目は、自分たちの文化や宗教を世界に広げようという文化的、信仰的目的です。たいていはこの二つが重なり合っています。
ところがチンギス・ハンには、この二つが二つとも全く見当たりません。

162世界@名無史さん2017/11/03(金) 12:52:36.530
(堺屋太一)

では、チンギス・ハンは何のために世界征服をしたのか。
それは、他の征服者とは全く逆なのです。

「人間(ジンカン)に差別なし、地上に境界なし」こそ彼の理想でした。
どんな人種、どんな宗教、どんな言語、どんな体形の人間も、全く差別しないで実力主義で採用し、出世させる。
どこまでが本国で、どこからが植民地だという境界を地上につくらない、完全に境界のない世の中をつくろう。
無差別無境界な世界をつくろう。そのことによって、人も物も金も情報も完全に自由に動き回るグローバルな世の中をつくろう、としたのです。
だから私は、この人に「世界を創った男」という尊称をつけたのです。
グローバルな世界をつくるという思想は、チンギス・ハンが初めてでしょう。
そして、それと同じことを考えた国は、長い間、全くありませんでした。
ようやく20世紀になって、アメリカ合衆国が同じことを考えます。
だから、モンゴル帝国とアメリカ合衆国とは、多くの共通点があります。

163世界@名無史さん2017/11/03(金) 13:26:35.600
堺屋太一も、よくここまでチンギスハンを美化できるもんだな。

「超巨人・明の太祖朱元璋」では、朱元璋をほとんど人類史上最高クラスの偉人にまで持ち上げていたが。

164世界@名無史さん2017/11/03(金) 19:40:21.900
モンゴルが世界帝国になったのはオゴタイからだろう

165世界@名無史さん2017/11/04(土) 13:04:40.710
世界帝国と言えるのは、モンゴル帝国と唐

166世界@名無史さん2017/11/04(土) 13:05:20.260
他は東アジアのローカル王朝

167世界@名無史さん2017/11/04(土) 19:13:26.950
中華人民共和国の首都・北京。

ここは、モンゴル人や満州人がシナを支配するために築いた都市だ。

168世界@名無史さん2017/11/04(土) 19:17:19.510
「春秋戦国時代の燕にさかのぼる」というのは、詭弁にすぎない。

地形が原因で、ここは交通の要衝なんだから、都市もできるだろう。

東京だって、浅草あたりは聖徳太子くらいの時代までさかのぼる歴史があるのだが、
実質的な東京のスタートが徳川幕府の大土木工事にあるのは間違いない。

それと同じように、北京を築いたのはモンゴル人や満州人の王朝。

169世界@名無史さん2017/11/04(土) 19:19:56.140
もしも、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康がみんな朝鮮人だったとしたら、日本の歴史は朝鮮人の歴史になってしまうだろう。

それと同じレベルで、シナの歴史はモンゴル人の歴史。

170世界@名無史さん2017/11/04(土) 19:23:03.330
明の永楽帝は、モンゴル帝国の継承者だ。

北京に遷都し、モンゴル帝国の再現を目指しているとしか思えない動きばかりしていた。

統治機構も、モンゴル帝国の丸ごとパクり。

171世界@名無史さん2017/11/04(土) 19:25:12.010
現在の中華人民共和国も、本質的に、形を変えたモンゴル帝国だ。

漢や唐など、先住民による異文明。

172世界@名無史さん2017/11/04(土) 23:24:18.030
チンギス・ハンはドルジ顔

173世界@名無史さん2017/11/18(土) 17:19:43.650
>>171
モンゴル帝国に比べたら現代の中共なんてかなり格下だよ

174世界@名無史さん2017/11/18(土) 18:51:57.520
モンゴル帝国は、中国だけじゃないからな。

ロシアもペルシャも中央アジアも、みんなモンゴル帝国だ。

後には、インドまでがモンゴル帝国に組み込まれた。

175世界@名無史さん2017/11/18(土) 18:52:56.390
モンゴル帝国の世界進出は、スペインやポルトガルの大航海時代に匹敵するインパクトがあった。

中共のようなローカルな勢力と比べるわけにはいかんな。

176世界@名無史さん2017/11/18(土) 22:33:50.290
東からはモンゴル人が、西からはヨーロッパ人が世界を制覇してグローバル文明を築きあげた。

177世界@名無史さん2017/11/19(日) 09:32:47.480
明は一時、南京に首都を置いていたが、結局は、北京に遷都してモンゴル帝国の統治機構を継承し、「漢人による征服王朝」となった。

明という王朝が長続きするためには、それしかなかったのだ。

中華人民共和国も、迷わず北京に首都を置き、モンゴル帝国の継承者となった。

178世界@名無史さん2017/11/19(日) 09:34:09.120
つまり、中国の歴史というのは、実質的にモンゴル帝国から始まる。

それ以前の諸王朝は、先住民による旧文明と位置付けるのが正しい。

179世界@名無史さん2017/11/19(日) 09:35:19.740
明が反動政権を樹立して、中国は一時、暗黒時代に陥った。

明は、秘密警察が人民を監視し、気に食わないことがあれば直ちに惨殺される恐怖社会。

中国史の中でも、大暗黒時代と位置付けられる。

180世界@名無史さん2017/11/19(日) 10:23:18.600
ジンギスカンは白人顔

181世界@名無史さん2017/11/19(日) 14:38:29.440
白人の多くがジンギスカンの子孫だからね

182世界@名無史さん2017/11/20(月) 08:00:45.570
>中国は一時、暗黒時代に陥った。

一時というよりずっと暗黒時代だと思うけど

183世界@名無史さん2017/11/20(月) 20:47:24.900
モンゴル人が野蛮だというのは、シナ人による偏見、というより捏造だ。

実際のモンゴル人は、中央アジアやペルシャの先進文化を吸収した、当時としては最先端の文明人。

彼らはシナ人を見下していた。

184世界@名無史さん2017/11/20(月) 22:11:28.770
モンゴル人が野蛮と言われるのは皆殺しの戦法の話だぞ

185世界@名無史さん2017/11/20(月) 22:55:29.640
モンゴルと比べたらチャンコロのほうが野蛮だよね

186世界@名無史さん2017/11/21(火) 20:21:58.360
シナは、もう落ち目の国ニダ

187世界@名無史さん2017/11/21(火) 22:46:40.170
>>186
だからってこっちを見るなよ

188世界@名無史さん2018/01/19(金) 08:15:57.200
文化大革命、紅衛兵による徹底破壊でモンゴル仏教は壊滅状態 | THE PAGE
https://thepage.jp/detail/20180118-00000004-wordleaf
2018.01.18 15:01

 清王朝を倒した中華民国の時代も、仏教及びモンゴル人の信仰に対しては、弾圧や破壊はあまりなかった。
 しかし、1949年の中華人民共和国建設に伴い、社会主義になってからは全てが一変した。

 内モンゴルでは1950年代の強制的な還俗や1965年からの文化大革命を通じて、
 モンゴル人の心のより所であった仏教は弾圧され、宗教的な活動や伝統的で民族的な行事はほとんど禁止された。
 紅衛兵により仏教寺院に対する徹底的な破壊が行われ、倉庫や家畜小屋などに利用された一部の寺以外はほとんど破壊された。
 これらによって内モンゴルの仏教も壊滅状態に陥ってしまった。

189世界@名無史さん2018/01/19(金) 08:26:33.310
蒙古民族を操り人形にするため、清王朝は勇猛な戦士を敬虔な仏教徒にした | THE PAGE
https://thepage.jp/detail/20180118-00000003-wordleaf
2018.01.18 11:50

 モンゴル仏教は、チベット仏教から由来する。
 1240年、チベットはモンゴル帝国の侵攻を受けたが、チベット仏教4大宗派の1つ、サキャ派がモンゴル軍に協力し、チベットを支配した。

 さらに、チンギスハンの孫であるクビライが即位すると、サキャ派のパクパが国師に任命され、仏教がモンゴル帝国の国教となった。
 この時代において、モンゴル高原の原始的な宗教であるシャーマンが衰退し、仏教と融合されてきた。
 
 そして、16世紀にモンゴルの有力な指導者だったアルタンハンが当時のダライ・ラマ3世に
 「ダライ・ラマ」号を与え、モンゴル高原に仏教がさらに浸透し、普及するようになった。
 因みにダライはモンゴル語で海を意味する。
 アルタンハンは当時、明朝から亡命してきた白蓮教徒、災害から流れてきた農民などを積極的に受け入れ、彼らに寺と中国式の町の建設を命じた。
 そのとき建設された町が、現在内モンゴル自治区の政治、経済の中心フフホト市になり、発展を続けている。
 
 満州族の清王朝はモンゴル民族に対して、仏教の普及を国家的な戦略として行った。
 ある皇帝が「十万人の兵隊を養うよりも寺一つ造れ」と述べたことが、有名な話として、後世に伝わっている。

 モンゴル民族を完全に支配するため、仏教を通して、精神的に支配した。
 勇猛な戦士だったモンゴル人は敬虔な仏教徒になることで、昔の戦士の魂を失い、清王朝の操り人形になったと言われている。
 そして、男子を積極的に寺に送り出すことにより、人口が激減しただけではなく、
 労働力が大幅に減り、それによって、モンゴル社会の生産力が低下し、経済発展が止まった。

190世界@名無史さん2018/01/19(金) 08:51:50.850

191世界@名無史さん2018/01/30(火) 06:38:56.690
世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

IHLEK

192世界@名無史さん2018/02/03(土) 06:00:34.570
モンゴル皇帝と比べると漢族皇帝が地味過ぎる

193世界@名無史さん2018/02/25(日) 04:23:39.400
遊牧文明が滅ぼしたのが中国文明

中国はなんで先にすすんでたのに衰退したかって言ったら、あれ4世紀の遊牧の大規模南進をベースにして
4-5世紀にそれまで歴史ある王侯貴族が内ゲバと地位返上の連続で滅亡するの。
社会を支えた王侯貴族が没落して

「過去の王を直接虐殺して王都に凱旋すればいかなる平民でも下賤でも王になれる」って野蛮な悪習が定着してしまった
これで社会の自治機能の王侯貴族制が不全になってほぼ官僚独裁の原則が生まれる

ある意味随、唐はいっとき帝政が機能したが、随唐の帝政ってあわせ150年しか持たず没落した。
王侯の親族レイプで王侯の信用が崩壊して、官僚の傀儡王と低俗王の悪習が固定化された

結果この悪習が政治の無機能化+遊牧大敗北と実質南北朝状態(金ー北限までの500年)が定着
で清は滅んだ国家をさいこうさせた。腐敗も正せた。けど管理できない超巨大人口国中国は、社会を進化箚せられないような人口爆発荒廃になってしまう

すべては4-5世紀の王侯没落で通常の世界の歴史の王侯進化のステップを歩めなくなったから。
中国は4-5世紀に王侯が一旦滅び、12世紀までかけて衰退
12-16世紀は南北朝
17世紀以降は王侯の再生機

なんで、一旦崩壊して、ゼロになって17世紀からの歴史浅い国として再発した感じになんのが中国なんだよな。
あるいは金→元→明→清とモンゴルルーツ朝以降と分けるべき

そして中国は結局モンゴル貴族朝になったのは、とっくに4-5世紀に中国王侯貴族が滅んで
12世紀まで王侯の再興ができなかった結果。

血統やルーツ的に順当に継承、維持できたのは遊牧血統だけな自体になる。
中国の王侯が死んだ結果なんだよな

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