遊牧民の歴史って、いいよな [転載禁止]©2ch.net
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国と呼べるほどしっかりした統治機構があったとも思えないが 劉淵は頭曼単于の直径の子孫だよ。
頭曼ー冒頓ー老上ー軍臣ー・・・於夫羅・・・劉淵 と続く系図、見事に繋がってるぞ。
つまり、源氏、徳川幕府や足利幕府、北条・・・などと同じ。
レンテイ家っていう一族の専制王朝。 スペインの王様はブルボン家出でブルボン家はロベール家の分家でロベール家はヘスベイ家の分家でヘスベイ家はカロリング家の分家で
カロリング家とその前のフランク王家のメロヴィング家はどっちもサリ支族の出で、サリ支族はユリウス氏族から分かれ出たクランで、
ユリウス氏族はアイネイアスの子孫、アイネイアスはトロイヤの王家の出だから、トロイヤ戦争で陥落したトロイヤ王室の後裔。よう続いてるよな。 フン族と同じルートでヨーロッパを直撃した東方遊牧民族が、ついにその後1000年現れなかった。
ブルガールだのマジャールだの、ちまちま来ているのはいるが、
中部欧州以西を、大勢力で東から突いて西ヨーロッパを震え上がらせるのは
モンゴル帝国を待たなければならない。
これは逆説的な話で、今度は南から一瞬だけ突っ込んできたイスラム勢を除けば
西ヨーロッパは「誰も来ない」ものだから、
終わりなき無知蒙昧な中世封建制を、延々と続けることになり、
かえって世界の僻地になってしまった。
西ヨーロッパがもう少し、他民族に揉まれていたら、
十字軍のような、出鱈目な阿呆妄想による無意味な進軍ではなく、
きちんとした勢力拡大として
第二の共和政ローマになって東方拡大=西からの再統一が出来たかもしれない。 モンゴルがヨーロッパを征服しなかったのは貧しくて特に取る物もなかったから
ローマ帝国くらい豊かだったら間違いなく攻めてる フン族とかは東で負けて西に逃げてきたわけだけど
モンゴルは東で負けていないから西を必ず征服する必要はなかった >>120
遠すぎるからだよ
ハーンが死ぬとモンゴル帰らないといけないからね
イルハン国の位置が西の限界
それさえトゥルイ家の結束があればこその建国であったわけだし 当時イスラム世界は軍事と経済のバランスが経済寄りだった
なので武力で制圧するとおいしい
ヨーロッパは軍事寄りだった
制圧してもコストが嵩んでおいしくない
遊牧戦闘民族は海洋国家を好んで捕食してきたんだ
大陸国家は相手にすると損だから >>121
やはり匈奴西遷移説だよな、いちばんしっくりくるのは 西のフンと東の匈奴は戦果的にはほぼ同じ
勝ちはしたが継続はできなかった
中国では結果論で追い出したから中国が勝ったと主張
ローマでは最終的には瓦解したが直接戦闘で潰したわけではないのでフンは強かったと評価 >>126
追い出してないだろ。漢なんて終始貢物を納めてあんまり手痛く攻めないでくれと土下座懇願
そうこうするうちにどっぷり支那風になってしまって五胡十六国でチャイナの王様やら貴人やらになったりしだした 平治の乱後の平家もそうだけど、屈強な兵士も戦と質素な生活を忘れて
都に定住して華やかな生活に染まれば
体には脂肪がつきまくり体力武力は衰え弱体化する
これは古今東西問わずそう 野に放り出せばマッチョ化するけどね。
平家も源氏ももとはお公家さんなのに東国シメて来いと遣わされて長くいるうちに武装して…… うむ 古代って貴族が下野して武士の流れも結構あったな
匈奴だって、伝説上は中原の夏の王族で争いに敗れた一派が北西方面に逃れて
遊牧生活を始めたのが始まりってことになってるらしい
尤も大昔の半ば伝説であり信ぴょう性などない >>127
チャイナの王様やら貴人やらになったのは冉閔に虐殺された 南匈奴は漢化した後は腹に脂肪がつきだし、あれだけ強かった戦闘民族だったが弱くなってしまった http://i.imgur.com/oOpqw0U.jpg
通り道でハンガリーもいろいろ大変だったね、
いろいろに支配されて、
アバールて、いまいるか? >>133
その絵のなかの大ブルガールがハザールに圧迫されて、ハーンの息子達がそれぞれに移動
そのうちドナウ河口にいった系統が第一次ブルガリア帝国を築いて、806年にはアヴァールを併合
ちなみに別の息子はアヴァールに入って臣従したりと、大ブルガール時代から両者は繋がりが深かった
その時々の優劣で臣従したりされたりという間柄で、最終的にアヴァールはブルガリアの中に溶解したと思えばいい
もちろんその過程で両者ともスラブ化してる、そして後にマジャールの侵入でそっちと新たに溶け合った者もいるだろう >>134
混血混血の繰り返しやね?
どうもありがとう アバール柔然説ってフン匈奴説ほどメジャーじゃないよな >>134
パンノニアでスラブだからスロバキア人がアヴァールの末裔なのか? あの辺はごちゃごちゃに混血しまくってる気がする
フンの後裔のロシア人もいるしアヴァールの流れをくむ東欧人だっているだろう >>137 うーん、どうだろうね
いい忘れてたけど、アヴァール崩壊の最大の要因はカール大帝にボコられたこと
それでドナウ西岸からチェコにかけてフランク勢力圏になった
ブルガリアは既に死に体となっていたアヴァールの残りの支配域をすみやかに接収した感じ
経緯からすると、アヴァールは縁のあったブルガリアの従属下に入る道を選んだのではなかろうか
仮に両者から逃亡するにしてもフランク領からは距離をとったのでは・・・スロバキア東部とかならアリかもしれん バルカン界隈だけじゃなくユーラシアは昔も今もごちゃごちゃしてる チトーは棚上げ先送りの達人だっただけでいつかは破綻したと思うよ フンとか精々数万程度しか人口いないでしょ
スキタイの末裔のロシア人のほうが圧倒的に多いよ ________∩_∩
/ ノ ヽ ( ノ⊂ ̄))) ̄⊃
/|ヽ (_ノ ._ ̄ 0'ヽ 0'
/ |ノ .) (_) ヽ i ( ムシャムシャしてやった
∋ノ | /――、__ ./(∩∩) 草なら何でもよかった
/ /| ヽ__ノ | / ./ 今は反芻している
| ( | ( ’’’ | ( /
|__ヽ.L_ヽ Lヽ_ヽ
''" ""''"" "'''''" ""''"" ''" ""''"" ''" ""''"" ''" ""''"" "'''. ウクライナ、ロシアコサックの勇猛さはスキタイの末裔であることをよく表してる
スキタイって実はイラン系じゃなくてスラブ系だったんじゃないの? ロシアコサックがイラン系からスラブ系に言語交替した可能性が高いのでは? イラン周辺もスラブの香りがするキリル文字になればいいのに >>153
アゼルバイジャンってキリル字使ってないのか・・ >>105
遊牧国家 ゆうぼくこっか ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
> 実力主義で王位を継承することが多かったため争いが頻発し,いずれも分裂したり,
> 短命国家に終わることが多かった。
・征服した地の豊かな文化に染まり、「モノは必要最低限」の遊牧民文化が薄れる
・遊牧民の慣習「領地領民の分割相続」により、内乱・分裂・君主の弱体化を招く
・たいてい、「四方八方戦争吹っかけて回ったツケね。」 となり各国が反乱起こす 元はEUはしはいできたのに支配しなかった。
不衛生でペスト蔓延したのも理由
でそんな僻地いかなくても、中国、インド、イスラムを支配してたし、イスラム圏に文明があったから、euに価値はなかった
けど、モンゴルが支配した地域は結局その影響で近世、近代という時代に遅れるんだよな。
モンゴルは社会を単純化、原子化、荒廃化させちゃって、この出遅れで中国とか大幅に遅れるんだ
結局なんでEUには大航海やる金や日本軍がモンゴル軍規模の軍団をモンゴル脅威や中国脅威がないのに作れるのさってのが答え
遊牧民はインド、中国、イスラムって地域つながりを紛争的、混乱的つながりにして、それらの地域を送れさせたんだ。 >>159
> 元はEUはしはいできたのに支配しなかった。
そんな時代にEUがあったとは驚きだ フン族=匈奴のほうがより西へ侵入したろ
蒙古は東欧どまり 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
B8IAE ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています