◆マグレブ諸国総合◆ローマ共和制◆ヴァンダル族◆1 [無断転載禁止]©2ch.net
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古代ローマ時代のカルタゴといえば「ハンニバル将軍のアルプス越え」が有名だが、
ヴァンダル族(Vandal)は古代末期にゲルマニアから北アフリカに移住した民族。ローマ領外の蛮族による民族移動時代にローマ領内へ侵入して北アフリカにまで進軍し、
カルタゴを首都とするヴァンダル王国を建国した。彼らが北アフリカに進出する前に一時的に定着したスペインのアンダルシア(もともとはVandalusiaと綴った)や、破壊行為を意味するヴァンダリズムの語源ともなっている。
この民族は、近代までそのヴァイキングとの混同も有り、冷戦期までの世界史ではゲルマン系の部族と考えられていたが、
現代ではポーランド地方のプシェヴォルスク文化に起源を持つ西スラブ系民族或いは、アルバニア(イリュリア)系民族であったと再認定されたのである。
これら北アフリカ(アルジェリア・リビア・モロッコ・チュニジアとマリ及びチャドまでを範囲とス)を古代から現代まで語り合うスレ。ちなみにモロッコのモーリタニア関連は含まない。西領セウタとメリリャはOK。 どうもパッとしないイメージだな
マリーン朝、ハフス朝、ザイヤーン朝が並び立ったあたりがマグリブの全盛期か ヴァンダルがマグレブへ進入したときの人数は約8万人
これしっかり記録に残っているからね 植民地時代のアルジェリアの教育の話。
フランスは、この国を本土の一部であると強弁しただけあって、徹底したフランス語教育を
実施し、公立学校は小学校から大学にいたるまで授業はすべてフランス語を用いた。
通常の公立学校とは別に原住民だけの学制があり、ここでは前者より若干低い程度の
教育が行われていたが、それでも教育用語はフランス語であった。アラビア語は外国語と
して、初等教育においても週に2時間半しか授業時間を設けてはいけないことになっていた。
後に少しずつ改善されてきたが、1930年代初期まで、本国で使われる教科書がそのまま
用いられ、生活条件の全く異なる原住民にはほとんど理解できないものであった。
アルジェリアのことは何も知らないが、フランスのことについてなら細かいことまで
諳んじている子供が出来上がるのである。 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
QVICI アルジェリアがイスラムに浸食されなかったら
とんでもないワイン大国になっていただろうことは想像に難くない ワインなら「真実の酒」と呼ばれたくらいアッバース朝時代は大流行していたが
アルジェリアやマグレブでシャーリアが現実世界で影響力を持ち始めたのはここ数十年の話
植民地になった当初はフランスのほうがキリスト教の戒律にガチガチにとらわれた自由のない国だった 19世紀までのヨーロッパでは娼婦ですら裸を見せるのは禁忌とされ
男たちは自分の母親以外の女の裸を見ることなく一生を終えるのが普通だった
そんな時代に合ってマグレブ諸国の少女たちを映した写真はたいへん人気があった
理由は・・・LandrockもしくはLehnertでググってください アルジェリア独立後、本国に引き揚げてきたフランス人たちは、長い植民地生活のため、
ムスリムを「白人に奉仕するために生まれた白人に隷属すべき人間」とみる甚だしい
人種差別主義者で、しかも彼らの多くは、その職業能力が本国人よりはるかに低く、
本国の厳しい労働のリズムについていけない、と非難された。 昔のモロッコがタイ以上のオカマ天国だったとか今のゆとりキッズは意地でも信じなさそう >>8
この板でよくそんなデカい釣り針出すよね
>>12
モロッコってアルジェリアの隣なのに何か
全然雰囲気が違うよね
アルジェリアはよそ者排除のイスラム村、モロッコは外人だらけのイメージ モロッコ人は、
「我々は地中海人だ、野蛮なアラブ人と一緒にするな」
と言うらしい >>11
インドネシア独立後に本国に引き揚げてきたオランダ人なんてその点はアルジェリアで生まれ育ったフランス人よりも
遥かに酷いもんだっただろうことは容易に想像が付くね。 >>14
モロッコの文化の基幹を成してるのがベルベル人と、16世紀初頭にイベリア半島から逃げて来たモリスコの末裔だからな。 モロッコ北部には透き通るような白い肌に、青や緑の瞳の人間がいたりする
あれはヴァンダル族の血を引いているのかね チュニスとか一部の地域は、一時期、ノルマン人に占領されたよね 個人的に古代ローマの元老院は有力豪族や部族長の会合みたいなイメージ 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
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