唐宋変革期3
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まとめ
唐と宋で、何が変わった(と考えられている)か
1.門閥貴族の時代が終わり、科挙に合格すれば誰でも士大夫階級になれる時代になった。
2.貨幣経済が発達し、商売に成功すれば誰でも金持ちになれる時代になった。
3.加持祈祷に熱狂する密教ブームが終わり、合理的な新儒教の啓蒙思想が台頭した。
4.群雄割拠の武断支配が終わり、科挙官僚が全国に赴任する文官統治システムができた。
5.五代十国の分裂期に各地が独自の発展を遂げた。
↑ とりあえず、「宋の驚くべき近代性」としてよく挙げられる要素は、おもに上の5つ 宋が凄いというよりそれまでの中国が凄かったのであって
統一したことにより発展のスピードも落ちたんだろうな
神様とピッコロが融合した後強さへの執着が失われたように。 燕京(現在の北京)は、
北宋が樹立されるより前から、 契丹の領地だった >>3
北宋時代の発明品は多いよ
南宋に成ると軍事優先で税負担も重く成ってアレだけど そうだな
三大発明も、>>2のリストに加えるべきだ >>4
フランスに例えれば、「パリを一度も領有できなかった」というようなもの。
真の統一にはホド遠い。
・・・といっても、当時の北京は辺境そのものだけどな。 >>3
そういう面もあるだろうけど、元も明も、それ自体は大発展を遂げているんだよ。
なぜか、日本と西欧がそれ以上に急成長して、追い越されてしまっただけで。 なんで田中芳樹は宋マンセーなんだろうか
ま、本当なら名君を輩出した清をマンセーしたいんだろうが、
満州族の、夷狄の王朝なんか絶対に認めたくないだろうからな >>8
元は内政が問題外だし
明は途中で色々行き当たりばったり始めて進歩牛歩に成ってるじゃん?
縦割りが酷い上に権限纏めずあちこちに分散させた弊害
これを何故か戦国大名や徳川幕府が真似ちゃって この時代為替があったとかだからな。
もはや中世って言うよりは亜近代 統一した後でそのまま継続のSD式か、
統一した後でまた分裂するFF式、どちらがいいのか 千年前の宋の時代には、農民が作物を市場で換金して、金銭で納税するのが当たり前だった。
元の時代には、金銀の裏付けのない紙幣が流通した。
今も、中国ではスマホ決済が主流になり、現金が使われなくなっているというから、
そういう伝統が形を変えて再登場したのかもしれない。 正直、金に華北占拠されてた時期も金払って荒れ地の面倒見てもらってた感がハンパない。歳弊と言う名のODA払っても金は物資は南宋から買わないと行けないから結局金戻ってくるし。 >>13
中国は昔から新技術が出て来ると
既得権とか旧来の産業に従事する人民とか気にせず
困っても知らんぷりで新しい方へ進むからな、古いの捨てて >>13
電子決済は中国が進んでいるわけではなく単に日本が遅れているだけ。
なにも一般消費者の決済手段まで自由競争に任せて乱立させなくても良かったのに。
むしろ東アジア的な伝統が見て取れるのはビットコインの流行の方で、
これは何の裏付けも無いのになぜか信用されていた銅銭によく似ている。 未だに現金決済にこだわってるの先進国では日本とドイツぐらいやしね ヨーロッパで飛躍的に技術が進歩した第一の理由はやっぱり戦争が多かったから? 戦争でも一定のルールが守られていたから
中国では敗者の国は徹底的に蹂躙され支配層は一族皆殺しにされたが
ヨーロッパで国ごと滅ぶような戦争などほとんどなく、捕虜になっても身代金さえ払えば解放されたからな >>20
おそらく中世から産児制限が普及していてマルサスの罠から逃れられたから。
これが中国だと社会が安定して飢饉が減ると一人あたりでは逆に貧しくなりかねなかった。 >>19
ドイチュも日本と同じく世襲封建制が牢固に残存してんだよな
隠蔽、改竄が得意で頻繁に嘘を吐く処も似てる >>18
銅銭⇔銅の価値の差異と銀貨⇔銀の価値の差異わ大体同じ
>>20
新大陸から大量の貴金属と物産が流入したから
>>21
それわ単に政治行政技術が未熟だっただけで繁栄と何の関係も無い
政治行政技術の発達した18世紀末に至って漸く総力戦が始まる
>>22
漢→唐→宋と豊かに成って元と清で貧しく成った、前者わ荒廃で後者わ人口増で。
清代に入ると何故か農業従事者の割合が増えて都市人口が大きく減ってるのが謎 >>25
>漢→唐→宋と豊かに成って
そのおかげで、宋からの莫大な上納金で、宗主国の遼はベラボーに儲かっていたな 宋と朝鮮から選りすぐりの美女が送られてくるおかげで、遼・金では女に不自由しなかった またネトウヨキッズが聞きかじった知識で適当なこと吹聴してるな
貢納の内容に女なんてないんだが >>26
そしてふと気づくと「アレ?俺たち漢人みたくなってね?周りの奴らみんな礼がどうのとか孝子がどうのとか」となるのが定番パターン。
まあ、日本でもそうだけど富貴になれてかつての剛強さを失うのはしゃあないからね。 モンゴルの高麗貢女と間違ってるのだろ
これもモンゴルに支持されてではなく高麗が勝手にやってたこと
明代にも同じことやったが永楽帝に不義を責められてからやめてる それ加藤徹とかいう小説家が言ってるだけの俗説だけどな
根拠は後唐の皇室の出自が突厥だから、その家臣だった趙匡胤も突厥だという理屈
単一民族国家の日本人らしい発想だが大陸では支配層と被支配層は別民族なのが当たり前だし
桓武天皇の出自が百済系だから日本人は百済人なみの屁理屈 周が西戎だとい俗説は
武王のおじいさんの古公亶父がかつて戎と同じ生活をしていたというところから来てるんだろうな
明治天皇は洋服来て洋食を食べてたので天皇の起源は欧米というノリの発想 毎回思うんだけど女取られた男連中にとっては屈辱だろうけど
女側からするとどっちにしろ選ぶ権利はないのだからさして変わらんだろ
日本でも負けた武将の妻妾や娘は勝った側のものにされてるんだから
当時としては常識 >>35
晋書にも「禹は西戎、周は東夷」って記述あるで。 >>27
そうだな。
「宋と朝鮮」というのは時代的におかしい(笑)
まあ、ここでは朝鮮を地名として使ってるんだが、王朝としては高麗が正しい ただし、高麗は、後に遼を撃退している。
モンゴルや清とは違って、遼は安定した半島支配を継続できなかった。 >>34
そんな、ムキになるような問題か?
三千年も前の話だぞ。
日本だって、千年前の東北や南九州は異民族だった。 >>37
日本の武将の妻は女真族相手に売春させられてないしw >>38
それ慕容攴の載記にある「大禹出於西羌,文王生於東夷,但問志略何如耳」
ってやつだろ
聖王にも蛮人がいるのだから我々からも皇帝がでておかしくないという理屈だが
鮮卑側が勝手に言ってるだけだし、そもそも禹の時代に羌はいない >>41
日本統治時代のチョン半島はすごく安定していたよね >>34
たしかに、趙匡胤が胡族という確証はない
突厥王朝の継承者で、周囲の人間も胡族ばっかりなのに、趙匡胤だけ漢人とするのは不自然っていうだけ >>46
日本が撤退した後で、なぜか過去に遡って独立運動を始めたけどな >>34
突厥じゃないアルヨ!でも突厥のパシリだったアルヨ!
ってヤツが皇帝に即位すると契丹女真の奴隷国となってしまった >>37
女を取られただけじゃなくて、
宋の皇帝も北方へ連行されてしまったのが「靖康の変」 もともと趙匡胤の父は成徳軍節度使の王鎔の配下だったのが
李存勗にヘッドハンティングされて来た新参者で後唐とは縁もゆかりもないのだし突厥人である可能性は限りなく低いのでは >>51
糞みたいなバカ殿を華北を明け渡す代わりに引き取ってもらったと考えれば安い安い >>4
もともと、遊牧圏と農耕圏の境にある交易都市。
遊牧民族の視点でいうと、冬営地であり、羊毛・皮革・畜肉・塩のような乾燥地帯の産品や遠方から交易で得た品物やらを、
漢土の農産物や遠方に持ち出すための換金商品等に換えるための場所。
遊牧民族が漢土の農耕圏にまで支配を伸長した場合にも、冬営地であり交易地である燕京・北京の位置取りは都合かよいし
漢土の側が強いと言っても依然遊牧圏が脅威でありつづけた明のような時代にも防衛や徴税の都合で必然的に拠点とされる
場所にある。 >>17
お?金軍結構かっこいいな
画だとメジェドにしか見えないが 内部での武人台頭を防ぐのが先決だったため外部には屈辱外交に徹した >>43
ポルトガルに売り払われて奴隷になってたりするけど >>58
日本の天皇と皇后はポルトガルに連行されてないけど >>43
滅亡した家の妻妾娘が侵略者側の足軽や雑兵の婢に成るケースはちょいちょい有ったよ >>4
北京を攻めたら、宋のほうが侵略者になっちゃうのでは >>58
宋が滅ぼされ支那全土がモンゴルの奴隷になってしまった >>54
単純に北京より西側だと北から南下して来るルートが砂漠だったり山地だったりで通り辛い
前1000年頃から乾燥化が進行続いてるから後の時代程尚更 >>60
滅亡した家の妻妾娘が女真族の性奴隷になるケースはないよ日本だと 北側(遊牧民側)からみれば、張家口経由で山を降りて平地が開けるその地点が北京だから、
シナを支配するには絶妙の位置なんだけど、
南の漢民族からみれば、話は違うよなあ。
冷戦期に、「ソ連に対する防衛のため、札幌に遷都します」という提案をしようものなら、
「お薬増やしておきますねー」としか言われなかっただろう。
それに、モンゴル高原側からの交通路が張家口・北京に一点集結するわけではないので、
(最盛期の)明の側からみても、遊牧民を束ねる上であんまり便利なところじゃない。
明の側からみれば、永楽帝以来の惰性に過ぎないんじゃないのかね。
あるいは永楽帝の後ろ暗さのため、その継承者たる後の皇帝もどうしても首都を南京に戻せなかった。 >>67
豪雪地帯の札幌に遷都するのはちと無理がある。
北京はほとんど雪が降らないけど まあ、北京がそれだけ大都会だったってことだな。
今だって、なんだかんだ言っても、上海とならぶ2大都市のひとつなのは確か。 >>59
九州の大名は合戦のときに勾引しまくって捕虜や敵方領民やら城に詰めてた女子供やらポルトガル人に売りまくってたけどな。 >>67
遊牧勢力が支那を支配するのに絶妙な位置の都市ならば、支那の勢力の視点ではぜってー遊牧民に取られちゃあならん場所だろ。
敵の拠点を奪取したらそこに玉座を移してこっちの拠点にしてしまう、というのは、古今東西よくある手法だ。
日本だってやってる。神武天皇が長臑彦の拠点の河内を奪取したらそこに難波京を築いてるし、明治維新で幕府の中枢のある江戸を
獲ったら東京を首都にしただろ。 >>70
日本の天皇と皇后はポルトガルに連行されてないけど 関東大震災直後、地震の多い関東は首都として不向きだとして遷都論がささやかれた。
遷都候補地の中には、朝鮮の京城(けいじょう、では一発変換できない)もあった。
実際に京城に遷都して、そのまま歴史が変わらず日本が敗戦してたら、
どれだけ面倒な話になったことか… >>72
大名の陣取り合戦で御所は滋賀にもかけられてないし、そもそも戦国時代は皇后居なかった時期の方が多いし >>74
日本の皇后は、戦国時代以外でも女真族の性奴隷になってないけど 戦国時代前期の、後土御門天皇から後奈良天皇までは、歴史上、皇室が最も衰退していた時期。
生活にも困窮し、御所が荒廃しても復旧できないほどだった。
室町幕府を滅ぼした織田信長や、出自が卑しい豊臣秀吉が、天皇を御輿として担ぎ出してから、天皇の復権が始まる。 >>74
「御所は滋賀にもかけられてない」とはどういう意味なんだい? >>71
大阪は、琵琶湖と淀川、瀬戸内海の出入り口となる水運の要衝。
神武天皇の時代でも、重要な商業都市だった。
首都は、政治と軍事だけで決まるものではない。
やはり、経済・貿易・交通の中心であることが大事。 モンゴル帝国の時代の大都は、世界の金融と商業の中心で、現代でいえばニューヨークのような都市だった。
唐の時代の、砂漠をラクダを引いてトボトボ歩くシルクロードと比べたら、
モンゴル高原を騎馬で疾駆するルートは、高速道路みたいなもの。
東西の陸路は、長安や敦煌に代わって、北京が主役になった。
水運においても、運河ネットワークの南の終点は杭州、北の終点は北京。
北京には、運河を通って天津港に出る海洋ルートも開けていた。 >>77
戦国期の天皇家や内裏わ
軍事的にも政治的にもあまり意味の有る存在じゃ無かった >>79
モンゴル時代も重駄は駱駝なんだけれどね。 ラクダも走れば早いし、交易に使う駄馬も基本歩きだからね
>>79
貿易と商業の中心は広州、杭州、明州なんかの南方の港湾諸都市
明州は高麗の藩属と日本の敵対でアレだけど 清代にも、ラクダの隊商が北京に向かう絵が残されているな >>84
クビライ皇帝の時代になるまで、ペルシャ・インドを回っていくチーナと、ルーシからタタールの草原・砂漠を突っ切っていくカタイとが
ヨーロッパでは別の国・地域と認識されていた。 キタイは、契丹に由来する
西洋人にとって、シナの北部といえば契丹のイメージ >>71
神武天皇も薩長政府もそうだけど、征服した後「敵地そのものの真ん中」に居座ったわけで、話が違う。
橿原も江戸も、敵側(ナガスネヒコ側、徳川幕府側)の奥深くに存在する地域だった。
北京は元帝国の首都ではあったが、別に光武帝がモンゴルを追い払って北京に居座ったわけではない。
光武帝は南京にいた。北京に遷都したのは北京を守ることを命じられていた永楽帝だから、話が違う。
それに、北京は地理的には華北平原の一部で、あくまでシナ内部。
もし神武天皇や薩長政府にならうなら、少なくとも「明本体が上都より北に遷都」しないと対応しない。 まあ、人民を威圧するための心理的効果ってのもあるからな。
現代の中国政府も、紫禁城の権威で全国を威圧している。
明治政府は江戸城、ソビエト連邦もクレムリン宮殿を本拠地とした。 >>81
煬帝「お前、ワイを暴君に仕立て上げてしかもワイの事業に乗っかってるだけやろ?」 >>87
そのイメージがつかめず、漠然と方角と行き方だけ判っていた。
どっちも同じと判るのが、プレスタージョンを探して別個に派遣されていた宣教師が、クビライ皇帝の宮殿で出くわしたから。 >>90
太宗・李世民「いや、俺は兄弟を殺したけど、お前と違って、父は殺してない。父には、攘夷を強要しただけだ。お前とは違う。」 >>88
モンゴルに奪還されないように、戦上手の息子に統治させてた。寝返っては困るから一番信用していた子に守らせていた。 >>86
ペルシャ通るのわ北路
南路わエジプトから紅海へ出てインド西岸 >>90
普通に屑だぞ煬帝
奇を衒った日本人屑学者が荒唐無稽な暴論書いてるけど支離滅裂 >>95
まあ、大昔のことだから、ほとんど伝説だけどな。
煬帝の場合、父帝の愛妾だった宣華夫人を側室にしたことが、後世の儒家の逆鱗に触れたため、ボロクソな筆誅を食らってしまった。
しかし、これは漢人の儒教倫理からすれば異常に反倫理的な行為なのだが、鮮卑人にとっては、別におかしくない。
遊牧民にとっては、むしろ、未亡人に対する救済策であり、ごく普通。 宋の司馬光によると、「父を弑し、その妾を姦す。まさにこれ畜生」ということなんだが、
何百年も前の話なのに、「お前は、楊堅を殺すところを見たのかよ?」っていう感じ 隋書も親父殺したとは書いてないしな。
煬帝がアカンかったの突厥に囲まれてからビビって江南に逃げた事で家臣から愛想つかされたことやし。 >>97-99
そんな些末な話じゃ無く
季節を考慮しない大事業連発や
不合理な戦略に基づく外征の繰り返し
暴政以外の何物でも無く擁護の余地が無い、僻論は止めよう >>100
でも、史上最高の名君とされる太宗・李世民だって、高句麗遠征に失敗してるんだよねえ。
しかも、大運河事業を隋から引き継いで完成させたのも李世民だし。
実際、煬帝と李世民ほど、やったことが似てる人物も珍しい。
それでいて、史書の評価は、「史上最悪の暴君」と「史上最高の名君」に分かれている。
結局のところ、いくら中国でも、こんな大昔の人物ともなると、ほとんど伝説上の存在。
日本の古事記・日本書記ほど神話っぽくはないが、それでも、かなり割り引いて考える必要がある。 >>101
少し史書も読もう
知識が増えると妄想の余地が減る >>70
このネトウヨは皇族以外の女はどうなろうが知った事ではない
というバリバリの極右思想だから言っても無駄 毛沢東が大躍進を正当化する際に持ち出したのが始皇帝、曹操、則天武后、そして煬帝
この連中を批判的に検証することは共産党への反逆と見做されるため未だに中国では客観的な研究がなされていない 煬帝とか中国じゃボロクソで弄れた日本人学者が無理に持ち上げてる >>105
そりゃ、大運河を建設したのは、当時の人間にとってはキツかったかもしれないが、
後世からみれば偉大な業績だろ。 そもそも、400年に及ぶ魏晋南北朝時代を終わらせて天下統一を実現したのは、おもに煬帝の功績ではないか? 天下統一は北周の武帝と煬帝の親父の隋文帝の功績やろ。 南朝は残すべきだった
鮮卑による天下統一は悲劇と言える >>106
生時に反乱起き無かった始皇帝と違って農閑期以外にも無茶な労役課してるからな煬帝 秦帝国より前って農民反乱あんまないみたいだけどなんで? >>109
後廃帝「せやな」
東昏侯「せやな」
陳後主「せやな」 >>111
ばっくれて他の国で貧民に成れるからじゃね
日本も戦国期に逃散が多発したけど幕末は逃げられ無いから反乱連発 >>111
人口が少なかったからだろう。
あの広い大陸に、2千万人くらいしかいなかった。
しかも、それが多くの国々に分かれていた。
華北は森林に覆われていた。
狩猟採集で生活する人が多かった。 >>115
農耕が始まって8000年位経ってるから
殷末にわ大分森林無く成ってるよ
牧畜民は居たけど狩猟採集民はもう殆ど存在してない 共産党第八回人民代表大会 第二回総会 毛沢東演説
「始皇帝はそれほどたいしたことをしていない。たった460人ばかりの儒者を生き埋めにしただけだが
わたしはすでに46万人の知識人を抹殺した。
民主主義を妄信する者のなかには私が始皇帝のようだと批判する者もいたが、それは正しくない。
私は始皇帝のさらに数百倍を行っているのだから。
私が始皇帝と同類であり、独裁者出るとの告白に対しては、自らそうであると認めよう。
しかし、その程度の告白では驚きもしない。私は、何をするにしても、その先を行かなねばらないのだから。」
こうして始皇帝と毛沢東は同質存在とされ、さらには則天武后、曹操、煬帝の神格化も図られた
それに歯向かう者は容赦なく弾圧された
たとえば農村人民公社工作条例草案の作成の際に「始皇帝は長城を作り、煬帝は運河を開いて国を滅ぼした」
として批判した劉少奇はのちに、死ぬまでベッドの上にしばりつけられることになる >>117
お前は、まるでダメだな。
センスがなさすぎて、歴史に向いてないよ(笑)。 >>113
統一したことで中国全部の農民を敵に回したわけか >>122
んなわけあるか
どんだけ広いと思ってるんだよ? >>119
でも優秀っちゃあ優秀だな。
チャイナはしょっちゅう隣国に首府まで攻め込まれてるのに、中華人民共和国は国境を接しているすべての国を相手に戦争しながら
まだ北京まで攻め込まれたこと無いんだよね。 >>124
中共はカザフスタンやラオスと戦争してないぞ >>125
カザフスタンはソビエト時代にイリ国境紛争、
ラオスにはベトナム戦争介入
で戦争してる >>126
ソビエト時代はカザフスタン共和国じゃなくてカザフ・ソビエト社会主義共和国
中華人民共和国と中華民国を分けてるんだから、カザフスタンも分けろよ >>127
なんで?
建前上は、ソビエト連邦は構成邦それぞれが主権国家じゃん。
カザフスタン共和国はカザフ・ソビエト社会主義共和国の主権も領域も対外関係もすべて継承している、同じ国。
対して、中華民国と中華人民共和国は、主権も領域も対外関係も継承してないじゃん。 >>126
ベトナム戦争時のラオスと今のラオスも別の政権 >>128
カザフスタンは、12月16日をソビエトからの独立を記念する日に指定している
つまり、建前上それまでは独立国家じゃなかったとカザフスタンが宣言してんだよ >>129
主権も領域も対外関係も継承しているで。 >>130
クレムリンにお伺いたてずに外交関係結べるようになったからな。
そりゃ、お祝いするだろ。 >>132
だからソビエト時代のカザフには外交の主権がなかったんだろ >>132
要するにソ連邦の一構成自治地区だったという事だよな >>134
主権はあるよ。Договор об Образовании СССР条約でソビエト連邦共同で運用するということになっていた。
連邦制の国によくある形態。アメリカもそうだろ。州が国としての主権を持っていて、外交・軍事・経済政策等を連邦に付託するやり方。 日中戦争のとき、我が国は中国と連帯して、日帝と独立闘争してたニダ 三権を統べる独裁者がお友達と地元出身者で固めて強権支配、利益誘導とか
これもう近世ですら無く中世だよな、近世の宋より劣る んー、現代中国アメリカでも暮らしたくないのに宋は無いわ 独裁者が官僚を短期間に3名も殺害する野蛮な土人国家日本 >>145
独裁者というのは、朝日新聞のことだな? 唐の長安は、にぎやかなイメージで語られることが多いが、実際には戒厳令で夜間外出禁止の軍事都市
宋の開封に至って、ようやく、にぎやかな繁華街が実現した まあ、どっちにしても、電灯のない大昔のことだから、現代人が見れば真っ暗なのは同じようなものだが >>150
開封は夜中も明かりがあってそれなりに明るかったようだが
もちろん電灯のある現代とは比較にならんが、真っ暗ってことはない >>148
日本の民主主義を辛うじて担保したのが朝日新聞、毎日新聞
無法行為を繰り返す犯罪集団がアベ内閣 >>151
開封は24時間営業の店とかあったらしいから治安とかも相当良かったんだろうね 開封は「昼も夜も歓楽の巷だった」というのは、昔から言われている >>156
深夜営業の飲食店があったのは史書にある
徽宗が夜な夜なお忍びで出かけてたことも記録ある そうやって遊び呆けてるから、北方民族にとっ捕まえて、おうちに帰れなくなるんよ。
まあ、捕まった先でもお絵描きとお習字で結構エンジョイしていたみたいだけれど 長安や北京とは違って、純粋に商業都市だからな。
日本でいえば、大阪に首都を置くようなものだ。
消費文化におぼれて、国力が弱くなる。 thx このスレ、スゲー
あなた方、きっと千年前にいたら殿試合格するくらい訳なかったと思う。 >>160
エンジョイするというのもさることながら、あの手の人たちにとっては、それがメシの種だからな。
日本でも、戦国時代の天皇は、一時は零落して御所がボロボロでも直せないほど貧窮にあえいでいたが、
地方の有力者たちからの書画の注文が増えて、復活を遂げた。 >>161
長安も北京も商業都市だったろ。
大阪も平安京に玉座を移すまで難波京が置かれて首都だったろ。 >>163
書画じゃなくて、たとえば徳川家康なら、岡崎城主になったから従五位下三河守に任じるお墨付きをくれ、みたいな願い出を献上金付きで出したんだろ・ >>164
確かにそうだけど、長安も北京も、地理的には辺境にある。
そんなところに首都を置くのは、政治・軍事の拠点という意味合いが強い。
北京人は、昔から、政治の風向きを読むことに汲々としてきた。
中国人に言わせれば、「中国人は商売上手な商業民族だってよく言われるけど、
北京人には、それが当てはまらないアルヨ」という。 >>164
難波宮に首都が置かれたのは、瀬戸内海と淀川の水運のおかげで、
仁徳天皇の時代にも商都だったけど、国防には不向き。
中国でいえば、開封と似たポジションにある。 >>166
中央集権体制をとろうとすると、商業都市だろうと、政治の風向きを読むのに汲汲とするものだろ。
今の東京なんてまさにそういう都市じゃないか。商業都市であり、許認可や補助金や租税の減免措置やらのために
社長が役所や政治家の顔色伺う為に東京の真ん中に詰めてなきゃあならん。 >>167
浪速に陣取った長髄彦を、瀬戸内海を東進してきた神武天皇の軍勢が討ち取るのに、随分と苦戦していたというが。 >>170
そりゃ、浪速と日向じゃ、基礎的な国力が違うだろ。
神武天皇は、奇跡の勝利。 >>167
難波京・大阪が、なんで国防に不向き?
湾口の狭い湾の奥にあって、軍港の立地そのものじゃないんかい?
軍事的要衝と商業都市を兼ねる都市とか古今東西あちこちにあるわな。 「国防に不向き」というのは、唐の脅威が増大した7世紀の話だな。
実際には、唐が日本の本土まで攻めてくることはなかったが、天智天皇は真剣に
警戒していたと言われる。 まあ、唐軍がいきなり大阪に上陸してくるってのも、現代人から見れば「マジかよ?」となる想定ではあるんだけど、天智天皇は実際に、海から遠い近江へと都を移した。
当時としては、それなりに現実味のある想定だったということになる。 >>174
そもそも半島まで攻めてきてまるまる実効支配しようとするのが計算外やし 唐の軍勢が関門海峡越えて更に500キロも攻めてくるような事態になったら、難波だろうと奈良だろと大津だろうと
どこに都を置こうと守り切れんわなw 関東の屈強な若者を徴兵して、北九州で防人をやらせた。
万葉集に出てくる「防人の歌」の世界だ。
唐でも、府兵制で関中の兵士を集めて、辺境の防衛にあたらせた。
「君見ずや 青海のほとり
古来白骨 人の収むる無く
新鬼は煩冤(はんえん)し 旧鬼は哭す」
と、杜甫の詩に歌われた。 関東で徴兵されて北九州の最前線に赴任する日本の防人と、
長安周辺で徴兵されて、青海省の最前線に赴任する唐の健児とでは、
移動する距離がだいたい同じくらい。
日中ともに、「強い兵隊が徴兵できる」という評判の地は限られていた。
どちらも、遠方に派兵されることを嘆く詩歌が残されている。 しかし、唐の後期には、府兵制が崩壊した。
宋に至って、新しい兵制が完成した。 [コピペ]
隋・唐などの鮮卑王朝の君主は、自らの命令によって動く軍隊を作るため、
土地の所有を認めた農民を徴兵・訓練して王の部隊を編成した。
この過程で、遊牧各部族の兵士は重要性を失っていく。
しかし、この制度には欠陥があった。税や強制労働に加えて兵役まで課されるのは、
農民にとって明らかに過剰な負担だったのである。やがて、国の管理を逃れるために土地を棄てる者が続出、
税収が減り徴兵も困難になってきた。これでは、周辺の遊牧民に太刀打ちできない。
そこで、金で雇った職業軍人(=傭兵)が存在感を増していく。
8世紀前半には徴兵制が廃止され、主に北方の遊牧民から募集した騎馬兵が
中心となって、国防を担っていった。
しかし、唐王朝はこれらの騎馬軍団をコントロールすることに失敗する。
地方の司令官は、集めた税を中央に送らず、その金を給料として支払うことで
兵を私物化し、地方官僚も勝手に任命するようになった。
加えて、彼ら半独立の地方司令官は、官商として勝手に商人と取引し、勢力を拡大していく。
こうして力を失った唐王朝は、10世紀初めに滅亡する。 [コピペ 続き]
この唐王朝の兵農一致の【徴兵制】の失敗が、税収や国の国防力を低下させた事から、
宋の時代には、周辺諸国から掻き集めた職業軍人(=傭兵)ではない、皇帝直属の
「募兵制=職業軍人」を主要兵力としていた。応募者は軍隊に入ったあと、
兵士になるのを職業とし、役所が食糧と衣服を支給し、家族も軍隊についていって
食べることができた。
また、地方司令官が反乱し続けたことによって滅亡した唐時代の反省から、
宋が目指したのは完全な『文官統制国家』を目指した。これにより、
軍司令官が勝手に地方官僚を登用することはできなくなった。
世襲の特権的官僚は姿を消し、軍の体制を軍政・統帥・運用を分けて文官に担わせた。
しかしながら、これは、現代の警察にみられる構造と同じで、現場を知らない
エリート官僚がトップにたち、現場指示をだしているのと同じ問題構造を孕んでいる。
科挙制度で採用されたこの宋時代の軍隊では、当時強力な騎馬軍事力を持っていた
北方系の「遼」(モンゴル系キタイ族)や、「金」(ツングース系女真族)という
遊牧民に勝利することは困難であった。
地方司令官から軍権を取り上げ、科挙制度によって皇帝に選ばれた官僚に
軍統制を任せることによって、皇帝直属の職業軍人を担わせるも、
隣国に攻め入る兵力は愚か、国防能力さえ低いものとなった。
よって宋時代には、宋の周辺諸国に銀や絹という貢ぎ物を送るという
外交戦略をとり続けるしかない。
この完全な『文官統制国家』によって、北宋は財政難となり、「金」の侵略を招く事となる。
この北宋時代の『文官統制国家』は、南宋時代も同様に引き継ぐ事となる。 >>180
戚継光も「信用出来るのは地元の農民だけ。多少頭がトロくてもこいつらは大事にしろ」つってたしなぁ >>178
古今東西よくある、新領土での人間の入れ替え。
飛鳥時代、まだ関東・東北は安定した統治の出来るレベルになっていないので、新領土での統治の定石、地元民比率を下げる方策をとる。
防人を徴発して九州に送り込む、租を運んできた人を帰さない、代わりに、百済や任那の亡命者や新羅や高麗の捕虜や、政治犯、皇族貴族の
余った子弟に適当に人員をつけて、せっせと送り込む。
隼人・熊襲対策も同じ。東日本から駆り出した防人、畿内・中国の農民を送り込んみ、また隼人から人を徴発して出した農民の代わりに住まわせたり、
人質代わりに連れてきた隼人の有力者に位を授けて支配機構に組み込んだりして、隼人のがどこでも圧倒的多数にならないように人を入れ替えた。 >>185
日本中が大和民族で塗りつぶされていったのもこういった政策のせいかな >>182
おまえ世界史の授業の時寝てたのか?
唐の府兵制は特定の戸に永代に渡って兵役につかせる代わりに租庸調といったすべての税を免除する制度で西魏時代に始まった
つまり税を払う戸は兵役を担わない、兵役を担う戸は税をおさめない
http://www.y-history.net/appendix/wh0302-045.html
>宇文泰は、もともと民間の才覚ある人間を徴発して府兵として、彼等の租・庸・調は全て免除した。(唐の「府兵法」はこれを手本としている。)そして、農隙期に訓練していた。
また節度使の牙兵(傭兵)は農民のうち壮健な者を選抜して置いたもので
北方の遊牧民ではない >>185
百済や新羅と言った渡来系のほとんどは関東に移されることもあったが畿内に居住していたのだが
さらにいうと「王臣子孫」の土着が始まったの防人が形骸化した10世頃初頭あたりから始まったこと
これも栄達を絶たれた没落貴族層が国の意向を無視して勝手にやってることで「類聚三代格」寛平三年九月の官符をみると
そのような「王臣子孫」は帰京するか国衙に納税して土着化するか、どちらかを選び、抵抗した場合は追放するように各国衙に通達されている 日本と唐の班田制の違い
日本は税と兵役負担層は一緒
良民男子の4人に1人が兵役に就く、班田はすべての良民の男女が6歳になると貰え、死ぬと没収される
兵役に就いている間だけ、当人の租庸調のみ免除
唐は税と兵役負担層は別々
田は兵役に就いた者だけが支給され退役すると没収される
兵役負担戸は「軍人」と呼ばれ一般百姓とは区別された >>161
中原ど真ん中、大梁、許昌の時代だとあの辺りが首都だったし農業適地の広がる大平原だよ開封
大阪、長崎より博多、江戸の方が近いでしょ
>>188
百済人は畿内での居住が多いけど新羅人は大抵辺境送りだよ、亡命貧民や捕虜も多いし 普通に考えて税、労役、兵役全部載せとか有り得んよな
何処のブラック企業だよっていう >>184
すみません、それものすごく興味あります。出典お教えいただけませんでしょうか? >>190
新羅系氏族の秦氏は畿内が拠点何ですけど 新羅系でほぼ確定だよ
根拠は秦氏の氏寺である弥勒像は新羅の様式とほぼ一緒で木材も朝鮮半島のアカマツを使ったものだし
豊前国にある秦氏が建立したとみられる 垂水廃寺あとからも新羅系瓦が出土している
つうか漢人を自称する氏族もほとんど半島系で中国から直接、渡来してきた氏族はいないはず そりゃ、中国から日本に渡ってくるには、途中で朝鮮を通るだろ
古代の船じゃ、東シナ海を直接横断するのは危険だからな >>195
倭国が漢代わ楽浪郡、魏晉は帯方郡の管轄だったしな
と言っても、楽浪帯方郡は中華王朝に属してたし
沿岸地方はかなり遅く迄漢人都市が残存してたから
東漢西漢氏を筆頭に漢人系も多いけど >>187
なんで武装して免租なのに武士とか騎士とかにならなかったの? >>195
明治天皇は大礼服を着てビコルヌ帽を冠して式典を行ったので、おフランス系でほぼ確定だよか? >>189
それは、曹操が始めたという、魏晋南北朝時代の兵戸制じゃないか?
それじゃ兵隊が足りなくなったから、北周・隋・唐では府兵制になったんだろ。 >>187
>唐の府兵制は特定の戸に永代に渡って兵役につかせる代わりに・・・
それだと、まったくの兵農分離じゃないか。
それが本当なら、兵戸制との違いは何なんだよ?
>そして、農隙期に訓練していた
「永代にわたって兵役についている戸」なら、職業軍人階級だろ。
農民じゃないのに、なんで農隙期に訓練する必要がある? 「府兵制」っていったら、通常、「北周の宇文泰は、北斉の騎馬軍団に対抗するため、
兵戸の人たちだけでは兵隊が足りないので、
農民からも徴兵することにしました。その代わり、兵役についた農民には、租庸調を免除しました。
その制度が、隋や唐になっても受け継がれました」っていう話じゃないか? >>202
大雑把に分ければ、徴兵、身分兵、職業兵の3つで
身分兵にも特権階級の武士騎士や
普段は農民で農閑期に訓練して戦時に動員される衆
与えられる権利も略奪権市民権だったり労役免除、減税免税だったり
色々でしょ。職業兵も常備兵、日本の雑兵、西欧の一時雇い傭兵と色々 >>204
まあ確かに、現実はそんな、はっきり色分けできるようなものじゃないわな。 >>195
確実に中国系の氏族(漢民族の氏を持ち文筆に携わる氏族)も、
一旦朝鮮半島の政権に仕えてから日本に派遣されてきた感じだろうな 阿知使主の伝承だと派遣じゃ無く倭国の方が暮らし易そうだから来ました
みたいな感じじゃね、実際北九州の方が物産豊富だった様だし 半島に比べたら豊かだろうな
朝鮮通信使の妬み見ても >>208
そりゃそうだ
気候条件が違いすぎるだろ 唐山地震は、1976年7月28日に中華人民共和国河北省唐山市付近を震源として発生したマグニチュードMw7.5の直下型地震である。
死者数は中国発表で約25万、アメリカの推計では65.5万人となっている。 半島は冷涼乾燥気候でやせ地だけど、
地震はめったにない、火山は半島の北端と済州にしかない、台風はめったに来ないものね。
たとえアメリカ沿岸で地震が発生して津波が来ても、日本列島が受け止めてくれる いまは、大陸から来る大気汚染を、朝鮮半島が受け止めてくれている
半島の東海岸には、かなり険しい山脈があるから、汚染物質の多くがそこに溜まって、日本までは流れてこない 朝鮮では地震が起きないというのは、かなり疑わしい。
両隣の日本でも、北京でも大地震が起きているのに、朝鮮だけ安全とは考えにくい。
日本や中国と違って、朝鮮には古文書が少なく、昔の記録が残ってないから分からないというのが大いに考えられる。 >>215
歴史地震より、地学的な研究を考慮しようや…… 朝鮮の史書にも地震の記録はある。
ただ地震の絶対数が少ないので地震研究も振るわず、あまり顧みられない。
と、朝鮮日報だか中央日報だかに書いてあった。 朝鮮人も、李朝からは記録を残すようになったが、それ以前のことが分からなすぎる。 記録だけでなくプレートから地震の多寡は推測できるっしょ >>218
どうせウリナラファンタジーで役に立たんだろ >>220
水車を数百年どう頑張っても導入できなかったのは正直に書いたじゃないか! 日本が水車を導入したのは7世紀にに高麗から派遣された僧(曇徴・法定の指揮ではなかったっけ?
そこから50年かそこらで高麗は水車の作り方を忘却したのか、新羅が吸収できなかったのか。 少なくとも李氏朝鮮の時代には無くて日本のを見ても導入できなかったみたい
車輪も失伝していた位だから当然ではあるのだが… 抑々本気で導入する気有るなら中国人顧問雇うだろうしな 罪務省だけじゃ無く、呆務省、会計検詐院も
最高権力者の犯罪に加担してたとか
これもう近代国家と呼べんだろ、近世国家としてすら怪しい 安倍が潔白だったことがバレてしまうと困るから、悪徳官僚どもは文書を改ざんしたんだよね 我が家の曾祖父は水車大工だったそうだが、
木工水車は弟子入りして手取り足取り指導してもらわないと
技術を習得するのは無理らしい。
真円に切るなんて見よう見まねでは絶対に無理。 水車で真円が必要な部分って車軸だけだよな。削るは判るけど、切るは意味不明だ >>198
小規模自営農で大土地所有者じゃなかったから >>226
あれは、財務省の不正行為だ。
「最高権力者の犯罪」じゃないだろ。 もともと、財務省は「三権分立の上に位置する、第一権力」と言われる存在だ。
内閣総理大臣よりも権力が大きい。 >>231
相変わらず妄想に生きてんな、現実見ろよ >>233
改ざん前の文書が公開されて、安倍の潔白が明らかになった >>235
「現代の日本より、宋の政治制度が進んでいた」と言いたいんだろ 皇帝独裁も時期に由っちゃ富裕層の言論で批判されたもんな
アベとよく似た秦檜も在ったけど 宋の皇帝なんて女真族の奴隷だろ
言論で批判されるどころか物理的攻撃されちゃってるじゃん >>238
まあ、安倍首相は、国際協調路線だからな
その意味では、和平派の秦檜と似てなくもない まあ仕方ない
中国・朝鮮の話では、感情的になる人が多い [コピペ] 新儒教の登場
仏教が大流行して、すっかり仏教国になった中国。南も北も、お寺だらけになった。あまりにも大勢が出家して坊さん・尼さんになってしまうので、
このままじゃ世の中が成り立たんわいとばかりに、皇帝が廃仏毀釈をなんども起こした。それでも、しばらく経てば元通りになった。
ところが、そのままでは終わらなかった。なんと、千年前の宋の時代あたりから、儒教が、だんだん巻き返してきたのである。
このままじゃ、仏教にとてもかなわないと知った儒教の先生方は、思い切った巻き返しに出てきた。
なんと、儒教の先生方は、もとはといえば占いの本だった「易経」を、根本経典に据えることにしたのだ。
易者が、筮竹をふるって「吉兆の卦が出ましたぞ・・・!」とかなんとか言ってる、あれだ。占いの本とはいえ、バカにできない。
「陰陽五行」の世界観の元ネタが、この易経なのだ。“yin & yang”といえば、欧米人でもみんな知ってるほど有名。
これこそ、中華伝統の世界観とするにふさわしいアルよ・・・と、儒教の先生方は判断した。
こうして、儒教は、陰陽2元の世界観をベースにして、新しい儒教に生まれ変わった。
新たな東洋思想の始まりだ。やがて、それは日本や朝鮮も巻き込んで、東アジアの正統になっていった・・・。 唐から宋への変化が大きかったとされる大きな理由のひとつに、「唐は仏教国だった」というのがある。
もちろん、唐にも儒教はあったし、道教も流行していた。
しかし、中国史のほかの時代と比べて、魏晋南北朝から
隋唐にかけての仏教の隆盛ぶりは、特筆すべきものがある。
唐では、国を挙げて加持祈祷に熱中していた。
非常に迷信深い時代であった。 宋でも、仏教はまだ栄えていた。
とくに、禅宗の隆盛は、日本に大きな影響をおよぼした。
しかし、仏教の衰退が宋から始まったのも、まぎれもない事実。
儒教の巻き返しが、最大の原因と言える。
この時代から、新儒教が台頭してきた。 新儒教は、韓国の国旗みたいな太極図とか、現代人から見れば、かなり妖しい面はあるものの、
それまでに比べれば非常に合理的で、迷信を排する思想だった。
近代ヨーロッパにデカルト、ロック、カントその他が出てきて、迷信深い
中世のキリスト教社会を啓蒙したように、北宋・南宋には優れた儒者が
続出して、一種の啓蒙思想を唱えた。
この面でも、宋は近代ヨーロッパの市民社会を先取りしていた。 仏教に関しては
唐→密教で現世利益を求める
宋→顕教というか禅宗による精神修養
と微妙に違うイメージ >>239
でもお習字の先生だよ
まあグレコローマン時代のヨーロッパにも奴隷身分の師匠とか居たからな >>248
宋の時代には儒教と道教で仏教は衰退しまくりだろ >>243
それでいて中国中近世史のスレに来るんだから謎だよな
>>244
唐代も道教儒教があって仏教国と呼べる様な状態じゃ無いよ >>246
宋代仏教は落ち目で禅宗も道家の影響受けてるもんな >>251
王侯貴族が拓跋人だから仏教はそれなりに優遇されてる 3つの中で一番盛んだったけど仏教国かと聞かれれば違うでしょ >>247
新儒教が出来上がったのは南宋だろう。どんなに遡らせても北宋末まで。
今でも中韓を蝕む「脳内のあるべき秩序それも上下関係を、厳しい現実に優先させてホルホルする」という悪癖は、
女真族による徹底的蹂躙を目の当たりにした南宋で実質的に生まれる。一種の現実逃避。
北宋は、古い拓跋貴族の旧癖が消え、トルコ色の濃い五代の馬賊の害も収まり、
そして、再び蛮族がやってきて、その逃避行の中で脳内逃避の新儒教が生まれる前の、
一瞬の「空白」に生まれた、まるで幻影のような「擬似近代のような異常に発展した社会」のようにも思う。
漢民族の歴史としては空前絶後の特殊な時代。こういう「平和な空白」は、
少なくとも秦始皇帝以来今の習近平政権に至るまで、北宋を除いて一度も生じたことがない。 歴代の北魏王朝は仏教を弾圧しまくってるし
唐にいたっては俺の先祖は老子だ
だから俺の先祖の作った宗教を崇めろと道教をごり押ししまくってる >>257
戦ってない時期のが圧倒的に長い
南宋と金は、割と戦争してる時期長いけど >>255
現代の日本では忘れ去られつつあることだけど、新儒教を始めたのは、
北宋の周敦頤と、その弟子の程・程頤兄弟なんだよな。
完成させたのは、南宋の朱子。
儒教イデオロギーを、蒸留してウイスキーにしたような思想。
遼・金へのルサンチマンが発酵して、香ばしい仕上がりになった。 >>256
弾圧しまくったのは、それだけ勢力が強かったせい。
兵器の材料として古代においては希少だった金属を集めるのには、
寺社から、鐘を接収するのが早道だった。 >>256
唐では、仏教だけでなく、道教も盛んだった。
といっても、その哲学的に深遠な思想に関心が集まってたというわけでもない。
なんといっても、加持祈祷や占い、呪術に対するニーズが大きかった。 >>259
周敦頤自体が説くのは、深遠な宇宙論と日常的な道徳律の混ぜ合わせで、それ自体は穏やかな思想だったりする。
尤も、どこをどうみても枠組み自体は大乗仏教の一部の丸パクリだけどw
「誠」などは、東アジア仏教に広く見られる皆仏性の考え方を、そのまま中華在来思想に接ぎ木しただけ。
でもこれと全くパラレルの操作を、数百年後に日本の神道家がやるわけで、
ここに、日本に見られる神道と儒教の謎の融合が発生する。
ところが、朱熹の感情的ルサンチマンと、周敦頤の穏やかな思想が融合してしまう。
そしてこれまた大変良く似た状況が、幕末の日本でも発生する。
ここがなぜ不可避的につながるのか、実に不思議なのだが、実際にそうなってしまう。
周敦頤の説くところの一体何が悪い(こんなものを引き寄せる)んだろうね? >>263
古来からよく言われるのは、周敦頤の弟子の程兄弟のところで、新儒教は2つに枝分かれした。
兄の程明道は穏やかで、直感的な人。
弟の程伊川は厳しくて、論理的な人だった。
程明道からは、陸象山・王陽明へとつながる系統、程伊川からは、朱子へとつながる系統が生じた。
これはやはり、周敦頤が、その2つの傾向を併せ持っていたのではないかと思われる。 易経を取り入れたというのが、周敦頤の最大の功績。
道教と比べても、哲学的な世界観みたいなものに欠けているという、儒教の弱点は隠すべくもなかった。
ましてや、哲学の本場・インドの仏教とは比べものにならなかった。
その弱点を補ったのが、易経。
陰陽二元論が、儒教の根本原理となった。
とはいっても、易経はあくまで、占いの本。
おみくじの卦を、大量に集めたような本だ。
周敦頤のあとを継いで、易経的な哲学を確立した程伊川は、占いを嫌った。
「聖人君子たるものが、迷信的な占いなどやるものか」と言った。
そのわりには、易経が根本経典の地位を固めたのは、程伊川のおかげだった。 >>265
易経は祭祀と儀式の心得を説いた物で
書いた本人も占いを信じて無いよ >>263
徳性を主知主義的に理解するのが悪いんじゃないかね。
むき出しの暴力が支配する社会の主意主義的な徳性観や、
平和の中でそれに憧れる屈折したインテリの反知性主義的な徳性観と比べてみるとよく分かる。 >>260
兵器の材料にすると軍部が梵鐘を接収していた20世紀半ばの日本は古代だったか 朱熹「女真のお兄ちゃんは僕らの漢土から出ていってよ!」 ルサンチマンとか言ってる人はその意味をちゃんと理解してるのだろうか
朱熹の朱子学みたいな体制側強者側の理論を根拠もなく道徳的に劣っていると思い込んでる弱者のことをルサンチマンというんだが >>271
朱子学は仕える者の論理でしょ。支配層と言っても最上位者のものではない。
しかも主君は所与のものではなくて誰に仕えるべきかを問題にする。 >>271
金という強者に対して、「道徳的には、自分たち弱者のほうが優れている」といって精神勝利する教えなんだから、
ニーチェのいうルサンチマンそのものじゃないか? >>267
>易経は祭祀と儀式の心得を説いた物
それは、易経じゃなくて礼記だろ(笑) >>274
易経読めば解るよ
占いのやり方と心得を書いてるけど、著者わ心療の方を重視してる >>271
いや、朱熹の理論は対外的には強者の論理ではないぞ。国内ではジャイアンかもしれんが。
この話、実は朱子学のみならず、儒教そのものに内在する話なんだよね。
そもそも、孔子の最初の段階から、「魯という弱小国をどうサバイバルして盛り立てるか」
という視点で語られる思想なので、最初から弱者の屈折した視線と不均衡な関係を前提にする甘えがある。 孔子に魯国の視点なんて何も無いよ
時代錯誤、誇大妄想に近い周礼賛の復古思想
大日本帝国、徳川幕府回帰の狂気に染まった某国に似てる わ厨はダメだなあw
意識高い系の極論で格好つけてるが、肝心なところでポイントを必ず明後日に外す。
だから何一つとして本質を突けない。
極論なら極論で、本質を裏から突く話をできる人も多いのだけどな。
まあ、易経において、占い自体は後で付着したネタですけどね。そして易占いと陰陽説の関係も実は後付け。 >江戸しぐさ、 周しぐさ
そんな名前の人、聞いたことない >易経は祭祀と儀式の心得を説いた物
↑「易経は占いの本ではない」と主張するのは分かるが、さすがに、それはない >>275
それは、「孫子は戦争のやり方と心得を書いてるけど、本当のテーマはそれではない」という理屈と一緒だな。
古典の読み方は1つではないので、それを言い出したらキリがない。
それは結構だが、さすがに、「祭祀と儀式の本」という解釈はあり得ない。
それは、易経じゃなくて、礼記。 確かに祭祀の本じゃ無いな、変な事書いた
占いの本とも言え無いって事を言い度かったんだけど何だろうな
適当な表現が思い浮かば無い 古代のシナ人にとって、占いがどれほど重要なものだったかは、現代人の想像を超えるものがある。
隋唐あたりになると、殷人や周人ほど迷信深くはないけど、まだ呪術的な文明から脱しきれてはいない。
「占いの要素は付け足し」という合理的な解釈は、宋の時代の発想。 >>285
まあ、易経の専門家に言わせれば、「時間の哲学」とか、いろいろ言ってるけどねえ まあ、易経の専門家といっても、学者じゃなくてセミナー講師だったが 占いといっても、おみくじと同じで、吉凶の体裁をとってはいるけど、中身は人生訓みたいなご託宣が多い 易経の元ネタは、「雑多なよもやま話のテクスト集」ですよ。
歴史説話あり、人生訓あり、井戸端会議あり、政治演説あり、
幼児向け童話あり、自然図鑑あり、はたまた取扱説明書やマニュアル本あり。
文字ができて間もない頃に、その当時の中華世界(夏か殷)にあった身近なお話を雑多に集めたものなんだろう。
しかし当時の記録媒体の関係で、これがバラバラに短くなった。
これをランダムに拾う手続きをとると、それだけで占いができる。それで占いの本になった。
占いは実は何でも出来る。目を閉じて2chのスレッドをクリックするだけでも立派な占いだ。
「あなたがクリックしたスレッドが、明日のあなたの運命ですwww」
その占術部分が、よもやま話のテクストに付着していく。
そして、当時の占いが筮竹の偶数奇数の二分法を使うものだったから
(本質は花占いと同じ。菊の花を使って、あなたは私が好き、好きじゃない、好き、好きじゃない・・・というあれ)
二元論の宇宙論を示すというウルトラ跳躍解釈が成立してしまった。 >>289
そうそう、易経は吉凶や占いといった呪いの託宣を人の現世利益に還元させる為の実利書 唐から宋にかけての重大な変化として、書物の形態が大きく変わった。
唐までは、巻子本という、巻物の本だった。
宋では、今あるような、パラパラめくれる冊子本が登場した。
宋では、印刷術も発明された。
これにより、世界に先駆けて出版文化が生まれた。 明清時代と違って、宋では識字率が低かったから、出版文化の普及はまだ先になる。
普及したのは明代だけど、出版革命が始まったのは宋代。
朱子学をはじめとする、学術の急速な発展が始まった。 時代劇でも、漢や唐では、巻物を広げて読んでいる。
春秋戦国時代だと、不便な竹簡。
何度も読むと、バラバラになってしまう。
宋からは、本になる。
明になると、街の本屋さんが普通にあって、世間の一般人が本を買っている。 >>293
天平期に、唐で印刷された陀羅尼経が盛んに輸入されてきてんだけれど。
反対側、吐蕃王国にも文成公主お輿入れの嫁入り道具に、版木で刷った金剛般若経が持ち込まれている。 書物が庶民にも売られる様に成ったのが宋代だから
印刷の実生活への影響って点じゃ宋からと思う >>301
http://www.shizubi.jp/exhibition/150613_02.php
再現や創作が難しいと言われた青磁ですが、先達たちのたゆみない努力と探求心により技術や技法が解き明かされた今、自身の想いを注ぎ込んだ表現が可能になりました。
現代の陶芸家たちは、基礎的な研究をベースにし、それぞれの独自の思考に基づくアレンジを加えながら、様々な青磁作品を創り出しています。
この章では、人間国宝から若手作家まで、第一線で活躍する現代作家らの多様な青磁表現を紹介します。 >>299
確かにそうだけど、宋代には文字を読める人が少なかったと考えれている。
理由は単純で、明代の後半くらいから、書物の発行点数、それも一般庶民向けな内容の書物の発行点数が急激に増えたから。
日本でいえば江戸時代みたいな状況に、一足お先に入ったわけですな。 竹簡は不便だった。何度も読むと、ヒモがほどけてバラバラになってしまう。
孔子も、これには悩まされた。
後漢の時代に、竹簡に代わって紙が登場した。
登場したけど、まだ希少だった。
西晋の時代には、左思(さし)の『三都賦(さんとのふ)』が大人気になり、
「洛陽の紙価を貴からしむ」という故事があった。
隋唐では、巻物を広げて読んでいた。
巻物の不便なところは、巻いたり広げたりするのが大変なのと、
見たいところを探すのに苦労するところ。
本格的に書物が登場して、出版文化が始まったのは、宋からだった。 宋明より清のが識字率低いのわ確実に言えるけど宋と明はどっちだろうな
多分明のが高いだろうけど 何を以て識字層が「多い」とするかは完全に主観の問題だからどうとも言えないけど
北魏の三長制とか5世帯に1人は識字層がいないと成り立たない制度だから
個人的には南北朝時代にはすでに「多い」と思う 清では、人口が爆発的に増えたからな。
今のような、内陸部の農村に土人が何億人もいるという社会になった。
当然、識字率は低下したはず。 >>306
実際のところは、タイムマシンで当時に行ってみないと分からない面はあるけども、
論理的には、南北朝時代に一般庶民の識字率が高かったという推測は不自然。
最大の理由は、紙が希少で高価だったから。 一般庶民にまで回るためには、大量生産しないとな。
木簡・竹簡に手書きだぞ。
同じ長さに切った木を、ヒモでつなげる。
大変な手間ヒマがかかる。 一方、「洛陽の紙価を貴からしめる」という左思のエピソードからも分かる通り、
洛陽の貴族は、紙の巻物を使っていた。 >>310
御触書って中国のパクりだぞ
官府に行政事務と関係無い書物集めたのも庶民の学習の為だし 庶民や末端の役人が日常的に使ってた簡牘はそんな手間暇かけた構造じゃないし
整形してない木片がほとんど
樹皮をそのまま引っぺがしただけのものもある
紙が普及した後でもこっちのほうが手っ取り早く作成できるので清代でも使われた 御触書って、江戸時代じゃないか?
清と同じ時代だが。 もちろん、まだ書物が少なかっただけで、識字率が高かった可能性はある。
しかし、なんで明の時代に庶民の識字率が向上したと考えられているかというと、
上にもあるように、明代の後半あたりから、一般庶民を対象にした内容の書物が
急に増えてきたから。庶民が対象という以前に、書物の発行自体が急増した。
タイムマシンで隋唐以前の中国に行って識字率調査するわけにもいかないので
確証はないが、やはり、「一般庶民の識字率は、明代に向上した」というのが
自然な解釈というものだろう。 中国では、宋で出版文化が始まり、明で大きく普及した。
日本では、室町時代に出版文化が始まり、江戸時代に大きく普及した。
やはり、明あたりまでは中国のほうが進んでいたので、日本が一周か二周ほど周回遅れだが。
これは日本が遅れていたというより、中国が世界的にみて突出していた。 >>302
解き明かされたというのは誤った表現。
似たレベルの良い青磁をつくることは出来るようになった。 識字化が後退することってあるのかな。
宋でも明でも識字化は庶民と言ってもごく一部の都市の傾向じゃないのか?
一部都市の局地的傾向であれば増減するのはなんとなく想像できる。 真っ先に思いつくのは、レコンキスタ後のイベリア半島。
イスラム王朝による安定した文明をぶっ潰した成立した
カトリック王国は文明度が後退したのは目に見えてる。
それとローマ帝国が退去して、跡地になだれ込んで
乱立したアングロサクソン諸王国も文明度は後退。 >>318
中国では、都市の市民と、農村の土人は、別の人種くらいに考えられている。
その点については、古代から現代まで変わらない。 >>297
お経に組んだ活字をバラして他の文章に使いまわすのか? 罰当たりなw
そんなことしているから、同じ仏教徒でも信仰の篤い蒙古にコテンパンにやられるのよ。 >>304
インドでは貝葉、エジプトではパピルスに、書いてた。
なんで竹簡なんかに書いてたんだろう? 真ん中が空洞だから幅が広く取れない、繊維の方向がきつくて縦横無尽に書くのは困難なのに >>307
なんで?
人口密度が高い方が識字率が上がるだろ? >>318
平安→鎌倉で大きく下がった
西ローマ→フランクでも大きく下がった
抑々都市化率が宋→清で1/3以下に下がってる >>325
そのデータってどういう形のものですか? >>327
鎌倉幕府の残した文書が平安時代と比べてグーンと下げとる
抑々武家が文盲多かったし、フランク部族も同じ >>325
公家階級が滅亡したわけじゃないよね?
武家階級が替わって爆発的に増えたわけじゃないよね? >>330
当時の日本で漢文書ける層は官吏か僧侶だから
大体同じ事 >>331
武家階級は爆発的に増えたよ、物理的にも社会的にも
武家の中核氏族も被官もどちらも増えてる
公家わ解らんけど減ったのわ確かだろう 平安時代の郡司たちが作成した「百姓訴状」を見ると四六駢儷体の漢文で
かなりの教養をうかがわせるのだがこれが承久の乱の頃の鎌倉武士になると朝廷からの講和文を誰も読めずに
四苦八苦するというレベルまでに落ち込んでいる
平将門や源経基といった貴族の気風をまだ残していた世代は能筆家だったと思うけど
貴族制度が崩壊して反って識字率が上がった宋とは逆のことになってる >>334
郡司の血を引く武士も多かったろうになあ 春秋戦国時代なんて、あの広い中国に人口が2千万人くらいだったとされている。
それでいて、斉の臨シを筆頭として、各国に大都市があった。
この頃の中国は、中近東と同じで、都市の文明。
大昔だけど、レベルは高かった。 春秋期わ何処も都市国家で飛び抜けた水準じゃ無いけどな
マケドニア諸王朝のヘレニズム時代と大差無いし
戦国期にグーンと発展して他地域を引き離す >>326
人口が増えたんなら、識字率も上がるだろ >>332
別に漢文じゃなくてもいいじゃん。
お公家さん真っ盛りの時分には女でも和文書き散らしていたぞ。
藤原道長の娘でお妃の定子とか彰子に仕えてた名前も残ってないような下級貴族の娘が書いた、
源氏物語とか枕草子とか残ってんじゃん。 >>337
他地域を引き離してはいないだろ。
東地中海のレベルには、まだ及ばない。 平安時代の日本ほど、古い文献が大量に残ってるところは他にない。
京都が、博物館みたいになって、文化を凍結して残す形になった。
おかげで、千年前の事情が妙に詳しく分かっている稀有な国。 >>344
応仁の乱でかなり燃えたんだけどね、それでもいっぱい残ったね
奈良もあったんだけど、東大寺も興福寺も結構燃やされてしまったんだよなあ >>343
土人も密度と数が増えると知的水準も自ずと向上するものだが >>341
日本の識字率は元々漢文読み書きの事な
>>342
科学水準でエヂプトに並んだのが漢代、それ以外わ戦国期に上回った
>>344
古い書籍が大量に残ってるけど当時の記録が沢山残ってる訳じゃ無いよ 平安時代位の日本は畿内以外はほとんど史料が残ってなくて謎過ぎる
ここら辺はかなりしっかりした中央集権制をとっていた宋や金、高麗と違う >>342
地中海世界で主要地と言えばアナトリアとレパント、エジプト、マグレブ沿岸
でギリシャやイタリアとか田舎もいいとこだぞ
東ローマ帝国も都市のほとんどはアナトリア半島にあってヨーロッパ部分はすかすか >>348
漢文は、紙が希少な古代には便利な表記法だったが、平安時代にはもう意味がない >>348
>科学水準でエヂプトに並んだのが漢代、それ以外わ戦国期に上回った
んなわけがない。
特に医学は、一度も追い付いたことがない。 >>350
だから、東地中海と言ってるじゃんか
南欧とは言ってない >>348
ジョセフ・ニーダムのニーダム曲線によれば、伝統中国科学が西方の科学を凌駕したのは、紀元3世紀頃とされている。
ヘレニズム科学、ローマ科学の方が高度だったとされている。
その後、17世紀科学革命から個別に分野ごとに、伝統中国科学は近代西洋科学に追い越されて吸収されていった。
まだ追い越されて吸収されていないのは、唯一、医学分野のみ、とのこと。 >>356
10世紀のバグダッドには、ほぼ近代的な病院施設があった。
漢方医療とはレベルが違う。 水銀飲むのって漢方の結果なんだっけ?それとも別の宗教だっけ? >>357
古代ギリシャ医学から引き継いだ病院ね
文化的社会的基盤に乏しかったので広がらず、戦乱であっという間に消滅した。
その間、暗黒時代にも着々と医学を進歩させていた西欧は、病院を発展拡充させていく。
中国の社会には、病院施設が近代までなかったが、それは社会と化学の特質であり、進歩とはあまり関わりがない。 中世も進歩してたの?
もの凄く退化してるように感じるけど >>359
中世のヨーロッパ人は、イスラム圏の先進医療を見て、「これは魔法だ」と信じ込んでしまうレベルだった。 >>357>>359
宋にわ各地にほぼ近代的な国営の病院施設があった
日本の医学は幕末までずっと中国医学のパクり 中世前期の農村部ならほぼ石器時代にさえ近いところにまで退行していたが、サレルノ養生訓で有名なサレルノ医学校ー大学は、9世紀にはもう病院における研究活動が盛んになっている。 ヨーロッパでは17世紀までイブン・スィーナーの医学典範が一般的な医学テキストとして使われたぐらいで
中世もそれも暗黒時代なんてイスラムに匹敵するレベルの医学技術なんてあるわけないよ >>363
「暗黒の中世ヨーロッパ」といっても、南イタリアと南スペインは別モノ
まあ、南スペインはイスラム圏だが 哲学も、イスラム哲学のほうが遥かに高度で深遠
中国の哲学は、哲学というより、人生訓と政治評論 >>365
徳川幕府の病院制度自体が中国のパクりだよ >>352
漢文廃止したの米軍の植民地に成って以降だよ >>366
スペインら辺はイスラム教徒のモール人に支配されてたし、南イタリアの両シチリア王国は、カトリック教徒・ラテン人優遇をせず、
ユダヤ教徒やイスラム教徒や東ローの帝国出身者や周縁国の東方会派の信徒やら国益に適う才能や財があれば廷吏にも取立て
商用で港や街へ来航するのも住むのも自由ってやってたから。 唐のあたりからキリスト教やイスラム教の宗教施設とか出来てるのが凄いわ 中華王朝は政治以外、結構好きにやっててってスタンスだよね それは中華人民共和国以前の中華帝国だな
中華人民共和国はその意味では帝国の伝統を守らず
民衆を徹底管理しようとしている えー。
明国とかガチガチに思想統制したり、モンゴル人・タタール人・西域人の婚姻を制限したり、してたじゃん。 >>352
元蒙古人・元色目人は、漢人以外と結婚してはダメです
って、政治なの? それが政治で無いなら政治に当たる行為わ大半が消えるな >>362
>>369
徳川幕府の時代には、蘭方医が開業してたぞ >>382
華岡青洲がマンダラゴで作った痺れ薬を使って暴れなくしてから切開手術したりとかか? >>382
開腹手術とか人体図とかの蘭学自体中国医学のぱくりだしな 皇帝・憲宗が錬丹術師の作った金丹を服用すると、口が渇き、精神が不安焦燥状態に陥った後に死亡した。
これは水銀化合物による中毒の典型的な症状である。 >>375
塩とか鉄とか、必需品を政府の専売にしてる
おかげで、闇商人がはびこった >>384
蘭学を研究した杉田玄白たちは、「今まで自分たちがやってきた漢方医学というのは、
いかにデタラメなシロモノだったか」とあきれていたが >>382
全国各地の藩校でも、オランダ医学をやってた
東洋の科学は、全体的にいい加減だったが、特にレベルが違いすぎたのが医学 なんで「東洋画」は写実的じゃないのだ?
いや、なんで西洋以外の文化圏の絵は写実的じゃないのだ?
さすがに中世ヨーロッパの絵は写実的とは言えないが、
こと肖像画に関してはヨーロッパ絵画の右に出るモノはない >>391
ルネサンスを称賛しとけ
理由はそれだけ >>388
鉄は中国でわ早い時期に大量生産が始まったので専売制と成らず
一方の日本でわ専売、而も日本人は何故か専売制にも拘らず専売制と呼ば無い >>389
日本人の医学は酷く低レベルだった、徳川時代の中葉を過ぎても医者だけわ中国人を招いてたからね
大工や陶工や農業は中国人顧問を雇わ無く成ったのに >>391
中国の肖像画わ写実的、日本の絵が写実的じゃ無いのわ日本特有の特徴
日本人批判は程々になw
>>390
日本の医学が低レベルだったのわ日本固有の欠陥
日本人批判は程々になw >>384
江戸時代の日本はオランダから顕微鏡を輸入してたんだが >>396
結核
日本ではあまり多くありませんが、中国では患者数も非常に多く、未だ死亡原因の上位に位置しており、肺結核の報告数は864,015例でそのうち2,280名の方が亡くなっています。
政府の対策や薬の普及などにより漸減傾向を認めますが、依然として十分な注意が必要です。 >>398
勿論明、徳川時代迄の話だよ
大日帝、民国以降、特に戦後わ日本の方が全然優れてる
あと、清代の医療水準は停滞処か下がってるしな >>391
西洋でも写実的な絵は一時期を除けばずっとマイナーでしょ >>399
徳川時代と違って明治時代は、
古臭い漢方医学よりも、進んでいた西洋医学を取り入れたもんな >>401
それも有るけど日本は特に医学分野が飛び抜けて弱かった
他の分野が徐々に国内だけで賄える様に成っても最後まで残ったのが医学分野 >>402
古臭い漢方医学が、日本医学の発展を阻害してたんだよ
だから明治政府の政策で西洋医学を学ぶことが医師に義務づけられ、漢方医学の駆逐に成功し日本医療は近代化することとなった >>403
抑々中華医学の一部の漢方針灸すらちゃんと模倣出来て無いからな
支配階級の最上位である大名家や先進地域の京都ですら医者足りずに中国人招く位だから
徳川初期迄の関東地方の建築と似た様な状況が続いてた >>404
医師免許取得に、漢方針灸なんて模倣する必要がないからな
日本の医療は、漢方医学を駆逐することで発展し世界でトップクラスになれた 現代日本国に限っても外科わ優秀でも内科わ落伍国だけどな 江戸時代には、すでに「蘭方医学のほうが上だ」という評価は定着していた。
全国の藩校でも、蘭方医学を教えてた。
清なんか、とっくに超えてる。
「幕末まで中国人の漢方医に頼っていた」というのは、どこの妄想だ? 幕末まで蘭方派と漢方派がシノギを削っていたが、明治新政府は蘭方派に軍配を挙げ、
漢方派を退けた。やはり、科学性の有無が決定的な要因だった。 >>384
「五臓六腑の調和」とかなんとかにこだわり、人体の構造を重視しないのが東洋医学の特徴。
杉田玄白たちがオランダの医学書を読んで、漢方のデタラメさにあきれたというのも、その表れだ。
幕府も、蘭方医学所をすぐに公認した。
いろんな面で、西洋の科学は中国よりずっと進んでいたが、とくに大きな差があったのは医学。
こればかりは、誰の目にも明らかだった。 なんで盛んに人肉を食べるは、刑罰といえばすぐ拷問付きの処刑にするは、の支那圏で、
要は、人体を解体する機会の豊富なのに、なんで、漢方医学の五臓六腑の配置図が
デタラメだったったのか? しかし、それだけ進んでいた西洋の医学も、17世紀までは、イブン・シーナーの
「医学典範」を標準教科書にしていた。
中世においては、イスラム医療を見たヨーロッパ人が、「これは魔術だ」と
思ってしまうほど、イスラム圏の医学が進んでいた。
中世ヨーロッパの医療は呪術的で、あまりにも大きな差がそこにはあった。 >>409
算数と天文。まともな暦が作れない。遊牧系王朝のときには呼んできた西域人の技術で暦を作るが、
漢人王朝になると途端に西域の技術を失伝、補整もしなけりゃ、計算も手抜しまくりで暦も狂いまくり。
明王朝なんて末期に暦が狂って社会不安=易姓革命の危機が迫ると、耐えかねてヨーロッパ人に暦を
補整させたりしてるけれどな。 五臓六腑は思想が事実を曲げてしまった例だと思う
西欧でも中世なら神学でよくある話で進化論なんかは現代でもそうだね 東洋人は、工芸には強いが、科学には弱かった。
哲学についてもそうだが、どうも抽象的、観念的な思考の伝統がない。
これは、大昔から続く傾向。 >>412
豚や羊や犬や鶏の肝臓、腸、腎臓、脳、血管までも珍重して盛んに食べていたのに、食人に際して
内臓に興味を示さないなんて考えにくいんだけれどねえ。 まあ、どの器官が具体的にどういう役割をしているかというのは、
昔の人には難しかっただろうな。
簡単に解明できるような問題とは思えない。 >>410
元が成立して以降解剖為無く成ったから
開け無きゃ解らん >>413
その思い込みわ間違いだと既に1度教えただろ >>413
その西欧人に作らせた暦わ、それ以前の暦より出鱈目だった事を知ら無いのかな? >>420
明国が暦を作成できなくて、モンゴル帝国の暦を補正せず使い続けたのも事実。
明末に暦の狂いが決定的になったのも事実。
いよいよ明国の存続が怪しくなりかけた時期に、キリスト教布教にやってきたヨーロッパ人に暦を補正させようしたのも事実。 >>422
宋代の暦が授時暦よりも明後期にキリスト教徒に作らせた暦よりも正確だったという現実 >>423
えー? どの暦のこと?
北宋南宋合わせて300年に20回も暦変えてるのに?使い物になる暦法とか、本当にあったの?
一つは一度定めて3年で狂いが大きすぎて元に戻すとかいう大ヘマやってるで? 現代でも鍼灸とか、なんで効き目があるのかわからないらしいな >>425
宋代わ科学志向で複数の天文官が常時天体観測してたんだから
新しい観測結果に合わせて暦法を更新するのわ当たり前 >>427
じゃあなんで今の中国はイエズス会が作ったグレゴリオ暦を採用してるんですか
そんなに精確だと思うならわ君だけ太陰太陽暦使えばいいじゃね マッテーオ・リッチ 『中国キリスト教布教史』
わたしたちは、この国民がたいへんにすぐれた才能を具え勤勉であることを、評判や確かな資料をつうじて知っている。
さらに、前章で述べたところから、この国の技術がいずれも非常に完璧であることは容易に理解できよう。
そのうえ、あらゆる技術を花開かせるのに必要な材料にも、賃金や報酬にも、事欠かない。 (p. 22)
建築は、建物の美しさの点でも、強度の点でも、わたしたちのものよりも劣る。建築に関しては、チーナ人と比べてわたしたちの国の人びとに批判すべきところがあるとは思えない。
彼らの建物は、彼らが生きているごく短い年月しか持ちこたえられず、わたしたちの建物のように一〇〇〇年にも及ぶ耐久性は無い。 (p. 22)
彫刻となると実に惨憺たるものだ。彼らには目に頼る他に比例や均斉に関する規則があるのかどうか知らないが、目というものは対象が大きいと実にやすやすと欺かれるものだ。
そのほか、石や青銅で非常に大きな彫像を作る。 (p. 25)
彼らが最も精通している学問は道徳学であった。ところが、弁証法をまったく知らないので、語ることも書くこともまるで非学問的で混乱しており、天性の光で捉えたことを格言や談話によってつづってゆく。 (p. 31)
この道徳学についでチーナ人が精通していたのは天文学と数学系の学問だ。算数と幾何学にはとてもすぐれていたが、これもまったく混乱したものだった。 (p. 33)
医術はわたしたちのものとはまったく異なっているが、脈ははかるようである。彼らは、多くの場合、非常に効果的な治療をするが、それは草や根やその他の材料をつかうまったく素朴なもので、むしろわたしたちの薬草療法に当る。 (p. 35) そうだ。
シナの暦が優れてるってんなら、旧暦で生活しろ。
旧正月は祖国に帰れや(笑) >>427
そんなの昔からやってるだろ。
占星術で吉凶を占うのが、古代からの伝統だ。 地域分業制とか生活必需品販売の国営化とか公共事業による雇用創出とか
武力による永久中立とか政治哲学も優れたものがあったけど大体、春秋時代に出そろって進歩が止まってる
魏晋南北朝時代の封駁は立憲君主制の先駆けとして評価できるけど アルヴァーロ・セメード『チナ帝国誌』
彼らの住居はわれわれのもののようにきらびやかでもないし、長もちもしない。しかし間仕切りがたくみでずっと便利であるし、清潔であるのではるかに居心地がいい。 (p. 268)
算術は、わたしが沢山ある彼らの書物のなかで見たところでは、その証明法といい、図形といい、四則に関してはよく整備されている。代数学には無知である。
ごくありきたりの代数をさえ実際に使うことはまれである。 (p. 358)
幾何学はかなりの発達をとげている。非常に遠方の地域については知識をもたなかったので、それらの地域を分割したり、その辺界を記したりすることはできなかったとはいえ、
自国を描いた地図は素晴らしく出来がよく、鮮明である。 (p. 359)
天文学。チナ人は数学の全分野に対していたって関心が深い。しかし国民全体からいえば、その知識は乏しい。数学が職業として成り立っていなくて、
特定の人が国王の命令でこれを学ぶからである。 (p. 361)
絵画についていえば、彼らは技法の完全さを求めないで、人々の好奇心をひきたてることに工夫をこらす。彼らは陰影を使うこともないし、油を用いることもない。 (p. 366)
医学。これこそチナの諸学問のうちで最もすぐれたものであり、それに関する立派な多数の古書がある。そのすべてがチナ人の著したものである。われわれヨーロッパ人の著した書物
についてはそこでは知られていない。 (p. 367)
この多数にのぼる兵士の中で辺境を守るものについていうならば、彼らに勇気がないというわけにはゆかない。何度もタルタリア人を撃退したこともあれば、ハポン〔日本〕人が一五
八九年になんらの抵抗も受けずに全コリア〔朝鮮〕を横断した上で、チナの征服を考えた時に、彼らを撃退したこともあったのである。海軍もまた戦闘を行ない、たびたび勝利を収めている。
(p. 429) リッチに法隆寺を見せたかったな
仏像は美しいと思うけどなあ
弁証法の不足はその通りだね まあ中国人当人が今や日本人よりも西洋文化バンザイだからな
暦にしても医者にしても使う方は正直だw
ここで漢方持ち上げてる奴も本当に死にそうな時に漢方医しか利用できませんとか病院に言われたらブチギレるだろ? 現代の内科でも漢方を処方することはあるけどな
理由は副作用が少ないから 韓国では、漢方医のステイタスが高くて、普通の医者と変わらない感じだな。
韓流ドラマでも、「イケメンの医者」として登場した男が、漢方医だったりする。 >>435
仏像は、もともとシルクロードを通って伝播したガンダーラ美術なので、ギリシャ彫刻の影響を強く受けている >>437-439
医療先進国の日本では、漢方の知識なんて無くても医師免許を取得できちゃうんだよね
そして漢方の知識だけでは医師免許を取得できない そりゃそうでしょ
なるために必要になる努力量が違いすぎる 医療先進国じゃなくてもそうでしょ漢方
そもそも西洋医療の威を借りて日本すげーしても意味がない
西洋医療を作ったのは日本人ではないのだから >>445
日本人が独自開発した手術方法が、世界の白内障の治療に大貢献した >>445
んなこと言ってたら、キリがないだろ
サッカーを発明したのはイギリス人だから、ブラジルすげーしても意味がないのか? そんなこと言い始めたら屠ユウユウ、ロジャー・Y・チエンとか現代医療に影響を残した中国人もいるけど
何れもにしても日本も中国も伝統医療は顧みられていないのだし「西洋医学」への貢献を誇ってもしょーもない >>429
日本も不便だと思いながら西洋に合わせたからそれとおなじじゃね 歴史として重要なのは、日本が西洋医学を導入して、医療のレベルにおいて
中国に圧倒的な差をつけたのは、明治以降のことではないということ。
戦国時代から南蛮医療の導入が始まり、江戸時代には蘭学が導入され、
とくに18世紀の後半から19世紀にかけて決定的な流れになった。 漢方医療は、結局、薬草治療から抜け出せなかった。
薬草を発見しつくした後では、もう進歩の余地がなくなって停滞した。 >>424
和算も宋元代の数学を復興させるところから始まっているのな。
宋元代数学の花形は高次方程式の数値解法で、
これを拡張して使い倒すことで和算の多くの成果が得られている。 >>429
西暦の売りは計算が簡単なことで精度の方は当時の天文学の水準から見てもどうってことなかった。 >>429
日付だけだからだよ、キリスト教圏の暦法が >>450
戦国期に来日してたキリスト教徒に南蛮医療と呼べる水準の物わ無くて
呪いと素朴な薬草療法の混ざった原始的な物
それすら日本でわ価値の高い物だった、という事
医学は日本人が特に低水準だった分野 >>451
普通に度々外科手術為てるんだよね
元代明代清代わ記録が無く、途絶えたっぽいけど >>430
カトリックの化外の地に関する報告書は2種類のテンプレ。
一つは、国民の質が高いからカトリック教化にするにもってこいだ。
もう一つは、クソ野蛮でどうしょうもないからカトリック教化で人並みにしてやらなければ! >>453
易経の神秘思想に基づく、パズルみたいな方陣の研究が盛んにおこなわれていた。
そのおかげで、代数学が始まったのは西洋より早かったが、そこからの発展がなかった。
それを「ニュートンと同じ時期に微分積分に到達した」という関孝和のレベルにまで
進歩させたのは江戸時代の日本。 「中国の数学」(薮内清著)より
第4章宋・元の数学「宋代には新しい儒学の研究が行われた。これは、宋学とか新儒学と呼ばれた。
南宋時代の大学者朱熹によって大成されたところから、朱子学の名によって代表されることがある。
しかし、この学問は十一世紀の北宋時代の学者邵擁(康節と呼ばれる)や周敦頤(濂渓先生)など
の手ではじめられた。彼らは易を好み、道家思想に通じていた。易はもともと占いの技術であって、
同時にそこには数の神秘思想があり数によって宇宙の現象や人事現象を説明する解釈が行われていた。」
「中国ではこうした神秘思想、さらにこの思想を根底にして時には将来の予言を行う学問を象数とか術数と呼んでいる。」
「易と結びつく数の神秘思想のほかに、中国にはまた古くから河図・洛書の伝説があった。
この河図や洛書がどういうものであったかは不明であったが、十一世紀の朱震という学者はこれをはじめて図にした。
それによると河図は一から九まで、洛書は一から十までの下図を図象化して排列したもので、
とくに河図は縦横および斜めの数の和がいずれも十五となる方陣である。」
「楊輝の算法書の一つに詳述されているが、また、丁易東なる人物の著わした易の書物
『大衍索隠』にも六種類の方陣図が掲げられている。易を中心とした神秘思想が新しい
数学分野の研究を促したことが想像されるのである。」 wikipedia 『天元術』
天元術(てんげんじゅつ)は、中国で生まれた代数問題の解法である。
天元という言葉の初出は、金の蒋周の『益古集』(1080年)である。
天元術は宋末の13世紀に発展した。重要な教科書は朱世傑の『算学啓蒙』(1299年)である。日本では1658年(万治元年)に出版され、これを通して天元術は和算の発展の元となった。
天元術は代数学の問題の解法であり、算木・算盤とを使う(籌算)。
問題の答えとして求める数を仮に 0+x の形で設け、これを「天元の一」(てんげんのいち)と言う。
天元術は「天元の一を立て、何々とす」という言い回しから始まり、これが西洋数学でいう「何々を x と置く」にあたる。
それから論を進めて算盤上に1元代数方程式を求め、その根を導いて答えを得る。
天元術は1元代数方程式のみを扱うが、多元連立方程式を扱う二元術・三元術・四元術も生まれた。
ただしこれらはほとんど広まらず、四元術の書である朱世傑の『四元玉鑑』は19世紀に再発見された。
この中で二元術・三元術の書についても言及しているが、これらは現存しない。
沢口一之は、日本で初めて天元術を正しく理解して扱った『古今算法記』を著し、その中に天元術では解けない問題を遺した(遺題継承)。
その問題を解くために関孝和は天元術を発展させた。筆算表記法の傍書法によって多変数の方程式を表した。
その際、連立方程式の変数を消去する必要があるが、関は消去の一般論を重視して、終結式の理論を完成させた。
さらにそれを解く点竄術を編み出し、和算を大いに進展させた。四元術とは異なる形で、独創的な文字係数の扱いを確立した。 宋で発展した「天元術」ってのは、要するに、方陣みたいなのを使う方程式の解法
(wikipediaには具体的な計算例が出ている)。
これによって、簡単な方程式は解けるようになったが、しょせん方陣なので、それ以上の発展はしなかった。
これが本格的な代数学にまで発展するのは、江戸時代の日本まで待たなければいけなかった。 >>444
やってることは、未開地の土人のまじない師とさして変わらん。
五行陰陽、温冷湿乾とかな wikipedia 『関孝和』
関孝和は、和算が中国の模倣を超えて独自の発展を始めるにあたって、重要な役割を果たした。
特に宋金元時代に大きく発展した天元術を深く研究し、根本的な改良を加えた。
延宝2年(1674年)に『発微算法』を著し、点竄術(てんざんじゅつ)すなわち筆算による
代数の計算法を発明して、和算が高等数学として発展するための基礎を作った。
世界で最も早い時期に行列式・終結式の概念を提案したことはよく知られる。
また暦の作成にあたって円周率の近似値が必要になったため、1681年頃に正131072角形を使って小数第11位まで算出した。
関が最終的に採用した近似値は「3.14159265359微弱」だったが、エイトケンのΔ2乗加速法を用いた途中計算では
小数点以下第16位まで正確に求めている。これは世界的に見ても、数値的加速法の最も早い適用例の一つである
・・・ヤコブ・ベルヌーイとは独立かつやや早くにベルヌーイ数を発見していたことも知られている。
西洋の微分積分学の発展とは独立に、方程式の求根の際に導関数に相当するものを計算したり、
求長・求積に関する業績を挙げている。これをもってアイザック・ニュートンや
ゴットフリート・ライプニッツよりも前に微分積分学を創始したとするのは誤りで、
・・・これは妥当な評価ではない。 >>466
漢方医学は、薬草治療と呪術の組み合わせ >>465
方形で置くのわ二次方程式の基本的な解法 >>466
それが治療として始まったのわ清代
元々わ食い物の食い合わせや健康増進の話 >>459
中国人がそんな細やかな作業とか、衛生的な環境を保ったりとか、できたの? こうして見ると、やはり、中国は宋で発展が止まったな
そこから先は、惰性 >>472
南宋人は、農耕民族だからねえ。
モンゴル以後は、遊牧民とその子孫。
文化が変質した。 >>465 >>469
別に簡単な方程式に特化した方法ではないよ。
天元術は組立除法で変数変換を繰り返して定数項を0に近づけていくことで近似解を求めるもので、
有効桁数を意識して使えばニュートン法と同値になる。 >>477
P(x)=A[0]+A[1]x+A[2]x^2+...+A[n]x^n=0
を解く。まずP(x)=0の解の近似値の一つをaとして
P(x)=B[0]+B[1](x-a)+B[2](x-a)^2+...+B[n](x-a)^n=0
と変形する。最初の近似の精度が十分高ければx-aの2次以上の項は無視できるので
x≒a-B[0]/B[1]
となりニュートン法に一致する。
http://www.ndl.go.jp/math/s1/c3.html >>475
中国人の農民とか汚いじゃん。どこでもウンコするし >>478
リンク貼ったサイトの内容を誤解してないか?
そのニュートン・ラフソン法と同じ、反復して近似解の精度を
高めていく解法で高次方程式を解いたのは、江戸時代の関孝和だよ。
宋の天元術は、「もともと、その源流が大昔の中国にもありました。
関孝和は、それを高等数学へと発展させました」という話。 >>479
リアル土人だからな
千年前も今も変わらない いや、明代以降とは違って、南宋は農村人口がケタ違いに少なかった。
今の中国と同じイメージで見るべきではない。 南宋はどっちかって言うと商業国家やからな。宋銭の異様な量みても >>480
高次の項を打ち切る方法を思い付いたのが関孝和であることはご指摘の通り。
中国では手探りで解を探していた。 >>483
まあ、宋銭は当時の基軸通貨だったからな。
ドルとは違って、実際に各国で通貨として使われていた。
「昔は、なぜ日本のおカネを使わず、わざわざ宋銭を使っていたんでしょうか?」
という疑問を持つ向きは多いんだけど、それは日本だけの話じゃなかった。
広範なアジア諸国で流通していた。 後醍醐天皇とかは自国通貨(紙幣)を発行しようとしたけど建武政権の力が弱くて失敗してるしね >>482
農民6割だから農民少ないっていうより
商工民が多くて農民も経済活動への関わりが大きいって感じじゃね >>445
全然わかってないなあキミイ
「西洋医療の威を借りて日本すげーしても」
じゃなくて、日本のすげー医療技術が西洋医学を支えてるんだよ >>483
商業国家というか経済活動が活発で経済全体の規模がデカいよね
農家も工芸家も売れるもん作って売ってるし 医学とか基本自国完結でしょ
論文書く様な医者わ別として むしろ金に生産性の低い領土取らせて生産性の高い地域に経済リソースぶっこんだら経済の化け物が出来上がった印象。 >>487
日本の乳児死亡率は、支那と比較して四分の一だぞ >>485
でも中国の銅銭って大陸でもどうして信用されていたのか不思議なんだよなあ。
税は宋代には物納が主流だったし明代には銀納に移行している。
清代の統計によると銅銭は政府が発行して民間が退蔵する一方通行で、
政府に還流するルートは塩の専売くらいだったらしい。
つまり政府による保証は特に無い。
かと言って地金の価値に裏付けられていたわけでもない。 >>444
医療先進国の日本では、「漢方医」の「治療」は認められてないはずだが >>496
漢方薬に由る治療も保険も認められてる
十数年前か以っと前か忘れたが
医師免許持った医者の中にわ漢方医も居る >>498
現代になってもチャンコロはずっと未開な野蛮人のままじゃんか >>497
中国と違って日本では大量の金を偽造してもATMで鑑別されてしまうよ >>500
漢方の知識が無くても医師免許は取得できるが、
西洋医学の知識がないと医師免許は取得できない
そして漢方の知識だけじゃ医師免許は取得できないし、医師免許がない人間には漢方だけでの治療や処方箋は認められないぞ >>501
現代に於いて未開野蛮といえば日本人
法治も知らず、立憲主義も知らず、経済統計を改竄し、公文書を改竄し
行政府が犯罪を繰り返し、世襲ゴミ公無員が犯罪を繰り返し、犯罪を揉み消し
行政府は議会に捏造データを送り付け詐欺に因って立法する >>505
日本の乳児死亡率は、支那と比較して四分の一だぞ >>503
そりゃ西欧医学の習熟を医師免許の取得条件としてるんだから当たり前
漢方薬に由る治療や保険は認められてるし医師免許を持つ漢方医も居る >>505
中国で流通する100元札の偽札率は5%ともいわれ、まさに末期的状況なのだ >>506
中国政府はアベ政府と違って公文書改竄為無いし
犯罪者を無罪放免為無いし、汚職を罪に問うからな >>508
中国経済わ10年以上連続で経済破綻してるしな
当に傲慢で虚栄心が強く嘘ばかり吐く日本国者 >>507
漢方薬を処方箋してるのは西洋医学の知識で免許を取得した医師だろ
漢方の知識だけの人間には処方箋なんて許されないぞ >>509
チベット人を虐殺した胡錦濤が国家首席に出世できちゃう野蛮国だろが >>510
中国みたいに銀行のATMから偽札なんて出て来たら大ニュースになるぞ >>505
唐山地震は、1976年7月28日に中華人民共和国河北省唐山市付近を震源として発生したマグニチュードMw7.5の直下型地震である。
死者数は中国発表で約25万、アメリカの推計では65.5万人となっている。 >>508
そのおかげで、キャッシュレス社会への移行が世界一
早かったな >>510
「10年以上連続で経済破綻」は言いすぎ。
2008年のリーマンショックからだよ、中国経済の崩壊が始まったのは。 日本にとって、日中貿易での最大の輸入品は、宋銭や明銭だった。
日本から輸出品を積んで出て行った船は、宋銭を満載して帰ってくる。
それが、日本国内で使われるおカネ。
そういうと、宋がシニョレッジ(通貨発行益)を一方的に享受して
ボロ儲けしてるみたいだが、銅貨なので製造コストは高い。 実際のところ、日本を含む諸国にとっては、コインそのものより、むしろ銅が欲しかったという面もある。
南宋は、コストが高い銅貨より、紙幣を流通させようとした。 平安時代の日本は鎖国志向が強かったが、平安末期の平清盛は日宋貿易に熱心で、
宋銭が日本で流通し始めた。これを巡る旧来の貴族層との対立が、後白河法皇
幽閉事件の原因とされている。
鎌倉時代には、宋銭の流通は誰にも止められないものとなった。 日本だけでなく、西夏や東南アジア諸国も、国内で宋銭を使ってた。
ペルシャやアフリカでも宋銭が発見されている。
宋が滅んでからも、宋銭の絶大な信用力は、長く人々の記憶に残った。
明代にも、宋銭の私鋳が絶えなかったとの記録がある。
室町時代の日本でも、明銭より宋銭が好まれた。 >日本だけでなく、西夏や東南アジア諸国も、国内で宋銭を使ってた。
↑金と朝鮮を追加
要するに、全アジア 注目すべきなのは、日本で宋銭が流通したのは、平安時代ではなく、鎌倉時代だという0こと。
北宋はとっくに潰れて南宋になっており、その南宋も滅んで大陸はモンゴル時代に入ったが、それでも宋銭だった。
これはやはり、銅そのものの持つ価値によるところが大きい。鎌倉の大仏も、宋銭を溶かした銅で作られたと言われる。
室町時代には明銭が流通したが、それでも宋銭のほうが評価が高かった。 >>511
>>507
>>508
1930年代から続く西藏の秋工作はまたしても失敗に終わった
>>514
2006年、大日本帝国軍の南京攻略に際し虐殺された人数は
第一次アベ政府から1万数千人と主張された、米を含め旧連合国諸国の推計でわ20万人以上と成ってる
>>515
犯罪の構成要件が無いからな、アベ政府の収賄強姦公文書変造偽証と違って
>>517
連年の崩壊で既に日本の経済規模の倍以上に成ってしまったしな >米を含め旧連合国諸国の推計でわ20万人以上と成ってる
それは「虐殺された人数」じゃなくて、当時の南京の人口の推計だろ 宋の交子や会子は主に国内の決済用(兌換紙幣)であって、国際決済手段ではないけどな >>518
輸入品の主な内訳わ陶磁器、絹織物、書物、漢方薬などの所謂唐物
輸出品は銅、硫黄、木材、日本刀などの所謂原料 >連年の崩壊で既に日本の経済規模の倍以上に成ってしまったしな
すでに、一部の地方政府は経済統計の水増しを認め、下方修正に入った。
ソビエト連邦が崩壊したときも、下方修正でロシアのGDPは激減した。
それまでは、日本よりソ連の経済規模が大きいことになっていた。 >>520
平安時代も後期に成ると博多の中国人街に数百〜千数百人も居住する状況に成ったので
国が遣唐使を送る意味が無く成った >>525
米国での南京大虐殺についての認識わ
犠牲者20万人以上という物、当時の人口は200万人程 >>529
主要な産業地区を独立させたんだからGDP下がら無い訳が無い >>509
中国は初めっから事実と違う内容で書いてるからなw >>533
ウクライナのキエフだけだろ
それもソ連末期には破綻状態
なんの言い訳にもならない 知恵遅れのネトウヨがいつまでも粘着してるからしゃーない >>528
平安末期から鎌倉時代にかけては、なぜか日本国内で銅の生産が止まってた >>500
漢方だから認めてるわけではなくて、西洋医学のアプローチで効能が認められる治験があって認められてるわけだけどな。
中米の土人が邪気払いに使ってたキナの樹皮と、似た経緯だな。 >>535
中国の公文書公記録というのわ今も古代も基本的に事実に基づいてる物
今も昔も隠蔽改竄捏造だらけの日本とわ違い記録を残す事に誠実
>>536
バルト諸国もウクライナもソヴィエト連邦の中で経済的に恵まれた地区 >>539
何故かじゃ無く技術レベルが大きく後退して精銅が出来無く成った
そして日宋貿易での日本側輸出品は常に主に銅、硫黄、木材 >>540
漢方は西欧医学の観点からも有用な物と認められて居る、という事 >>542
あとは、日本刀と漆器だな
とくに日本刀は、この時期でも、製鉄でら既に日本のレベルが追い越していたことを示している 日本刀歌
作者:欧陽修
昆夷道遠不復通,世傳切玉誰能窮!
寶刀近出日本國,越賈得之滄海東。
魚皮裝貼香木鞘,黃白韋カ鍮與銅。
百金傳入好事手,佩服可以禳妖凶。
傳聞其國居大島,土壤沃饒風俗好。
其先徐福詐秦民,採藥淹留丱童老。
百工五種與之居,至今器玩皆精巧。
前朝貢獻屢往來,士人往往工詞藻。
徐福行時書未焚,逸書百篇今尚存。
令嚴不許傳中國,舉世無人識古文。
先王大典藏夷貊,蒼波浩蕩無通津。
令人感激坐流涕,繡澀短刀何足云。 >徐福行時書未焚,逸書百篇今尚存。
「我が国では始皇帝が焚書坑儒してしまったが、日本には、徐福が持っていった古書が今でもあるという」。
宋代で最高の文人、欧陽脩が「日本刀を称える詩」で、このように書いている。
おそらく、宋の知識人のあいだには、このような考えが広まっていたものと思われる。 >>541
現代の中共の統計って全然信じられんよねえww >>543
だから、西洋医学のアプローチで薬効成分の認められる薬草もあった、というだけでしょ。
漢方の理論なんて全くのまやかしというかおマジナイのレベルのもので、漢方から近代医学に採り入れられた理論なんか皆無だし。 >>544
製鉄は明治維新まで中国に追いついたことないよ
日本刀の製造とそのための製鋼(玉鋼)、それと一般的な製鉄は別のもの
日本では銃は普及して自国で大量生産したけど、砲を大量に生産できなかったのは、製鉄技術が低かったせいもある >>544
日本は金属工芸には優れてたけれどな。
開明レベル耕す原始人の弥生時代なんて、銅鐸とかアホみたいに精巧だし。 >>549
水車で盛んに揚水や脱穀・精白、唐土の粉砕なんてやってたのに、鉄を叩くには全く使ってないからなあ。
時計を模倣した上に日出日没を基準にした相対不定時法を表示する時計まで作ったり、カラクリ人形で複雑な動作をさせたりしてたのに、
動力水車のギア切り替えをする発想に至らず、鍛造のハンマー、クレーンの動力、織機には全く使わず、精々単純な搗く動作のみにしか
使用してこなかった。 >>546
北宋の王様が、隋唐の時分に盛んに使節を送り込んできた倭の王室が、その前の魏晋南北朝期にときどき使節を送ってきた五代の王とも、
今(12世紀ころ)の日本の皇室とも一つづきの家系であることを知って、驚き羨んだという話か? >>549
「銃を大量生産できた」という時点で、すでに同時期の中国の工業技術を大きく引き離している >>552
それについては、欧陽脩の詩には出てないな。
>百工五種與之居,至今器玩皆精巧。
というところを見ると、日本の工芸に対する評価が全般的に高い。
さすがに、隣の国で直接交流もあったし、「黄金の国ジパング」
というようなファンタジー認識でもなかっただろうから、それなりにリアル。 >>553
同時期の明は大砲を自国製造してる
中国の製鉄は、鋼鉄に弱く鋳鉄に強かったんだよ
製鉄と製鋼は別って話を理解してね >>544
鉄加工と製鉄は別の物、北条時代の東国とか製鉄すら極一部の地域でしか出来無く成ってたしな
>>547
未だ中共政府の統計の方が日本国政府よりわ信用出来る
>>548
それ現実と全然違うよね、漢方薬の大半は薬効が認められてる >>551
ギアなんて秦漢時代から既に有るよ高炉での製鉄に使われてる
>>553
銃は明も大量生産してるよ
対日戦であまり役に立た無かった南蛮銃、後により高性能なルーム銃、倭銃を鹵獲してからわより高性能な倭銃を
引き金式銃の発想は無かったが生産能力自体わ持ってた
当時の銃の生産は手工業の極みだからね >>556
>未だ中共政府の統計の方が日本国政府よりわ信用出来る
何を信用は、お前の心の中の問題。
「霊能者のご託宣ほど信じられるものは他に無い」って人もいるんだし(笑) 人口も発表より最大2割は多いだろうと言われてるし、
GDPは発表より2割〜5割は低いだろうと言われてるし
国家・公共予算の5割は使途不明金だとみられてるし・・・ 公文書改竄してるジャップが偉そうに中国を貶めてもな笑 >>560
ていうか、あの程度のことが大問題になるという日本の社会の厳しさに、シナ人は心底ビックリしているというのが現実 >>555
鋳物製の火砲なんか、何発か撃てばヒビが入ってブッ壊れるだろ。
いかにもあの国らしい、見ためと音だけハデなハッタリ兵器。
最初は、馬がショックを受けて後金の騎馬軍団が壊滅したのは
分かるが、何度も同じ手が通じないのは当然。 >>560
>>556
>>541
>>524
>>505
中国政府は天安門事件直後に声明で、6月4日の「反革命暴動」弾圧で、市民200人と治安部隊数十人が死亡したと発表していた。
しかし新たに公開された外交文書では、
1989年の天安門事件で、中国軍が殺害した人数は少なくとも1万人に上ると報告されていることが明らかになった。
「1万人」という人数は、
「中国国務院」から入手した数字だと説明している >>560
な
中国政府じゃ公文書改竄とか有り得無い犯罪 >>562
15〜16世紀の火砲なんて、欧州だって鋳鉄だよ……
青銅製もあるくらいで
日本はそこまでも達してなかったってお話
日本のたたらだと、鋼と錬鉄は製造できるんだが、鋳鉄は厳しい >>554
黄金の国は黄金の国だぜ
金をたっぷり含んだままの粗銅を輸出して、取り出した金だけで儲かりまくり。
余った銅は銅銭にして比較的銅の高価なところへ輸出。
日本産の粗銅には金が沢山含まれてるから、粗銅にしてはアホみたいに高価に買われていて、結果、日本では銅の値段が高かった。
で、搾り取ったカスの銅銭でまたもやボられる。
単に、日本の精錬技術や冶金の知識が乏しかっただけなんだけどね。 日本の兵器の優秀さは、朝鮮戦役で戦った明軍が一番よく知っていた。
「我が国は、清に攻め込まれて困っています。
日本製の丈夫な兜を送ってくれませんか。
あれがあれば、どんな矢が飛んできても跳ね返せる・・・」
という手紙が徳川幕府や薩摩藩に送られてきたが、
大陸の紛争に巻き込まれたくなかったため、幕府は謝絶した。 日本の武器が優秀だったのは確かだね
特に日本刀は、その武器としての優秀さと、鋼の素材として常に日本からの輸出品目としては高い需要があった
それと製鉄や冶金技術の高さは比例してないだけさね >>557
ギア切り替えな。ギアではなくて。
それが、日本ではカラクリや時計にしか応用できなくて、動力の速度や方向の切り替えに使われなかった。
ヨーロッパでは中世の段の早い時期にあたりまえに水車で鍛冶のハンマー叩かせてたのに、日本ではずーっと
人が鉄を叩いていた。 >>563
はい、デマ
主に死者が出たのわ天安門広場周辺の商店街 >>505
>>560
>>564
中国政府発表の国内総生産(GDP)などの統計に、かなりの水増しがあるのではないか、という疑念が以前から根強くある。
それを裏付けるかのように最近、一部の地方政府が発表した自分たちのGDPや財政収入などの数字に、水増しが確かにあることを「自白」し始めた。 >>563
天安門事件の死者50倍も誤魔化してたんじゃん。 >>569
組み合わせて方向変換する歯車も漢代から既にある
円に水平な歯車と円の外周部に垂直な歯車の組み合わせ >>572
所謂広場での犠牲者画像は全く無関係な場面の捏造だとバレたしな >>571
疑惑というかさ、いろいろな産品の生産数だの経済の数字だの、各省・自治区の出している数字の総和が、国の出してる総計と
随分と食い違うんだよね?
まあ、誤魔化さずにやったとしても、支那人には数の勘定も桁が大きくなると無理なんだろうし、そもそも、資料をつくるための数字の
採取ということが土人レベルには難しいんだろう >>574
銑鉄だから直ぐ錆びるし脆い消耗品、回収して作り直すのが前提 >>575
アンタの言うのは、鉛直方向の回転を水平方向に向きを変えるとかいうものだろ。
そうじゃなくて、、それを、動的に切り替える機構は無かったろ。自動車でいうと、同じ方向に回り続けているエンジンの動力を
エンジン止めずに、前進方向と後退方向に切り替えるような、そういう機構のことを言ってんだよ。 >>576
画像の話じゃなくて、中国国務院から入手した極秘情報による「公文書」だっつーの
>>560
>>556
>>541
>>524
>>505 >>578
現在訂正中の中共政府と現在水増し中のアベ政府
年々詳細不明なその他の金額増えてるしな >>570
そんな狭いところで一万人も死者を出すとは、さすがは人権感覚ゼロの中国だな >>578
これは支那政府による統計捏造だって判明しちゃってるし >>581
報道か公文書のどちらに欺瞞が有るんだろうな
何せ英国情報に基づいたイラクに大量破壊兵器あったしな >>582
だから、現実離れした目標数字に疲れはてて、水増しを認め始めてるのは地方政府だっての。
中共政府は、まだ認めてない。 >>543
医療先進国の日本では水銀を不老不死の飲み薬として処方しない >>585
それ妄想だろ
イギリスが天安門事件の公文書を偽造したっていう具体的な証拠出してみなよ >>580
意味不明
車のバックはギア変えてるだけだし、抑々初期の車って逆進出来無い >>586
元々水増しを疑われて来たのわ地方政府の統計
>>588
米英軍のイラク侵略戦争
ハイ論破 >>579
そんな兵器で日本軍と戦ってた、明軍の兵隊は哀れだな >元々水増しを疑われて来たのわ地方政府の統計
それをホンの数日間で集計したのが、中央政府の全国統計なんだが? >>590
天安門事件の公文書が偽造だという証拠出せないから話そらしんだねw
ハイ論破
>>560
>>556
>>541
>>524
>>505 >>587
宋元明清の皇帝わ丹薬服毒して無いよな
北宋代に毒だと認識され始めたから >>591
古代中国の製鉄は銑鉄作る物じゃ無いよ、鋼作る物 >>594
明国の医師が編集した本草学の集大成書で「人糞」「虫糞茶」「黄龍湯」「糞清」「人中黄」などといった、クソを原料とする中医薬が記されている。
医療先進国の現代日本では、このような人のクソを原料とする飲み薬を処方して販売することは認められていない 徳川光圀の命により編纂された「窮民妙薬」でも人糞や家畜の糞が平然として薬の現在として列挙されているし
現代中国でも、このような人のクソを原料とする飲み薬を処方して販売することは認められていないでしょ
21世紀の現代日本と数百年前の中国を比較して日本すげーしても何の意味もないよ >>591
日本の火縄銃は原材料となる鋳鉄を自家製制できなかったから中国から輸入して作ってたのだが
火薬の元となる硝石や弾丸もな >>598
現代日本の医療は、現代中国の医療と比較しても、すげーんだよね >>567
>>27
「天野源右衛門覚書」
大明國しゆこしらへの事面には赤きとろめんを仕り候て裏にはくろかねを二寸四方ほとに切り候て
くさり付候ながき道服のやうに候甲もくろかねを白くみかき候て着候小手もくろかねにて矢も不立候
刀共にて候少もきれず候
「ルイス・フロイス日本史」
彼ら(明兵たち)は身に適当な厚さの鋼鉄で作った鎧をまとい、同じく鋼鉄製の肘当てをつけていた。
それらは馬上にあっても、足のあたりまで垂れ下がり、どこも皆、見事につくられ、
きわめて強靭な部品で覆われていたので、従来発見されたものの中では最優秀さを誇っていた日本軍の
刀や槍をもってしても、何ら損傷を加え得なかった >>600
だからどうしたの?
唐宋の話してるのにいつまでスレ違いの話してるの?
そもそも唐宋と同時代の日本に医学書なんてあったの?中国からの移入品は除いてな >>599
戦国時代には鉄も硝石も不足しがちだから輸入もしていたが、輸入先は中国じゃないぞ。
南蛮貿易で、インド・東南アジア方面から入ってきていた。 >>602
唐宋の医学書なんて時代遅れだから、
医療先進国の日本では通用しないってことなんだよ
日本の医療では、不老不死のために水銀を飲み薬として処方することは認められていない 現代日本はどんな田舎医者でもガレノスより優れている
現代日本の医療は、現代イタリアの医療と比較しても、すげーんだよねって自慢してもいんだよネトウヨ
何で中国ばかりにジェラシー燃やしてるの?
仕方ないよねアメリカに負けて解放されるまで教養と言えば漢文漢詩で中国の聖人君主の絵を画いた屏風やふすまを飾って喜んでた国なのだから >21世紀の現代日本と数百年前の中国を比較して日本すげーしても何の意味もないよ
アフォか?
首都のド真ん中で数千人の学生を虐殺するなど、江戸時代の江戸でも、平安時代の京都でも考えられないぞ。
現代の中国より、江戸時代の日本のほうが民主的だ。 >何で中国ばかりにジェラシー燃やしてるの?
ジェラシーを燃やしてるわけではない。
侮蔑してるだけだ(笑) どうして漢方は西洋医学のような発展を遂げることができなかったのか
というより西洋医学の発展が異常なのか >>603
インド産の硝石が戦国時代に入って来たのは事実だが鉄はほとんど中国からの輸入だぞ
南蛮鉄はインドのウーツ鋼というものいるが実際に日本で見つかった例がなく全て中国産(鉄の民俗史p137)
他にも明の官憲の摘発を逃れるためにアユタヤを経由してきた中国の鉄も「南蛮鉄」と呼ばれた(倭寇: 商業・軍事史的研究p429) >>605
支那畜は自惚れ過ぎじゃね?
日本より医療水準が劣っている支那に対し、
日本の医療従事者が「ジェラシー」なんて芽生えるはずなかろうにw 現代の中国でも、内陸部の農村の土人がやってる医療は、ほぼ中世の呪術だ。 いつからお前は医療従事者になったんだ
医者はお前らが嫌いな共産党の票田なのに何で都合がいい時だけ持ち上げるんですか >>613
バカか、お前は?
日本医師会は、昔から自民党の後援団体だよ >>610
南蛮鉄には、インド説や中近東説がある。
「じつは中国」説もあるが、仮説の域を出ない。 日本は、鉄の原料を中国から輸入し、鉄鋼を生産して輸出していた。
この頃から、加工貿易が始まっていた。 いつから日本医師会が自民党の支援団体になったですか?
なら何で医師会の会長や理事長は共産党の志位の懇談会に出席してるんですか?
そもそも民医連や保団連みたいな医療系の下部組織って自民党にあるの?
非正規や土木、風俗、パチンコとかもっと自民党の明確な支持層のほうを持ち上げてやれば?
褒めることあるのか知らないけど >大阪府三島郡島本町のいじめはいじめられた本人が悪い
↑
>いじめられる側が悪いって情報を流したせいで、自殺したやつ何人もいるんだろうな
小中高校生、ネット世代の自殺率は年々あがっている
島本町というのは罪作りな町だな >>617
非正規や土木、風俗、パチンコとかもっと自民党の明確な支持層のほうを持ち上げてやれば? 褒めることあるのか知らないけど
お前は、頭が悪いだけじゃなくて、人間的にもお粗末すぎるな。
左翼のくせになんだ、その非正規労働者や土木作業員に対する差別発言は?
お前よりは遥かにマトモだよ、このくそ馬鹿め(笑) お前ら左翼こそ、「労働者の敵」と呼ぶにふさわしい。
共産党は、有閑プチブルジョワ政党。 >>613
俺の母親も元彼女も看護士だけど共産党なんか支持してねえぞw 世界初の金属板活字を作った朝鮮民族はすごすぎる
中国人のように歴史を過剰に自慢したりしないし
アジアの誇りだ >>623
油性インクがないし、一番肝心な印刷機が無いから
金属活字といっても発明ではなく改良どまりらしい >>599
うそおん。火縄銃の銃身を鍛造してたよ。
鉄の棒に、細長い針金もしくはリボン状の鉄片を巻き付けて、真ん中の棒を抜いて、松炭で赤熱し、
もう一度鉄の棒を挿し入れて、打つ……というのを繰り返す。
結果的に、鋳造の南蛮直輸入の鉄砲よりも加工精度が高く丈夫なものが出来た。
もともと、下手な鉄砲数撃ちゃあ当たる形式での集団戦法だったものが、精度が高く命中度が上がったため
狙い撃ちするようになった。
伝来時には引金を引いてから発射するまで数秒かかっていたものが、狙い撃ちのために瞬間的に発射するように改良された。 >>613
知り合いの耳鼻科医は自民党候補を支援してた >>624
そんなこと言ったら、中国人の自称発明品火薬も同じだろう >>599
硝石は、もともと乾燥地でなければ自然にできないのだから、初期は輸入に頼ってたのは仕方ない。
輸入先は南蛮貿易だ。中国産もあっただろうが、主力ではない。
それでも、日本人は国産化した。
中国では、鉄鉱石や石炭が取れるけど、いずれも質が低い。
第二次大戦後の日本の鉄鋼業が飛躍的に伸びたのは、
「オーストラリアから輸入できるようになり、質の悪い
中国産の原料から解放されたおかげ」と言われている。 >>606
平安時代わ飢饉や労役で数万人虐殺してるし
江戸時代も蜂起した民衆を数万人虐殺したよ >>608
西欧医学と言っても近代的に成るのわ18世紀に入ってからな
>>611
今や多くの先進科学分野で日本は中国に遅れをとってるよな >>612
普通の医者が現代医療施してるよ、当たり前だけど
荒唐無稽な願望と現実の区別くらい付けような
>>615
成分分析の結果ダマスカス鋼等のインド産は可能性から排除された
というか成分比率からも生産量からも地理的条件からも中国産の南蛮鉄で確定だよ >>623
改良自慢とかさあ…日本人そっくりだなw
>>625
南蛮人も紅毛人も銃製造は手打ち鍛造だよ
精度と威力と射程が南蛮銃より高かったのわ事実だけど
まあ威力はオスマン製のが上だったけどな >>627
手榴弾も鉄砲(テッポウじゃ無く小口径火砲ね)も中国人が最初に製造したんだけど
>>628
持ち上げてた玉鋼を自ら全否定かw >>509
>>630
日本の乳児死亡率は、支那と比較して四分の一だぞ >>634
でも中国政府は公文書偽造を主導為無いし
内部告発者殺害為たりも為無いからな >>630
結核
日本ではあまり多くありませんが、中国では患者数も非常に多く、未だ死亡原因の上位に位置しており、肺結核の報告数は864,015例でそのうち2,280名の方が亡くなっています。
政府の対策や薬の普及などにより漸減傾向を認めますが、依然として十分な注意が必要です。 >>625
それが戦国時代に来日した明人の記録「日本一鑑」によると日本産の鉄は刀には良いが
鉄砲には向かないので福建や暹羅から輸入した鉄を使ったいるとあるのだよ
太田弘毅氏は鉄資源そのものが枯渇しつつあったのではと推測しているけど
このサイトによると日本刀も多くは明から輸入された鉄で作られたらしいけどな
http://ohmura-study.net/007.html >>623
世界一優れた朝鮮民族が
世界一合理的なハングルという文字と
世界初の金属活字を使って
何か世界に通用するような文物でも仕上げましたかな?
大韓ソープオペラの安っぽい台本、世界に通用しているとはいいがたいんですけどね。 土人国家のジャップが中国とどんぐりの背比べしてもなw >>637
日本に鉄鉱石が乏しいのなんか、その頃に始まったことじゃないだろ。
四世紀に倭国が朝鮮半島南部を勢力下におさめたのも、現地の鉄資源が目的だ。
銑鉄を輸入して、鉄鋼にして再輸出してたんだから、加工貿易そのもの。 現代の中国の鉄鋼産業も、日本が援助で建ててあげた宝山製鉄所から始まった。
いまでは、中国人たちが自力で建てた製鉄所が国内に林立しているが、
そこで生産される鉄は、激安だけど質が低い。そして、膨大な量が余っている。
習近平政権は、生産調整に応じない製鉄所を、ダイナマイトで爆破するなどの
強硬措置を取っている。 先日、トランプ大統領が訪中したときは、習近平閣下のご命令で、空港から半径5キロ以内の
工場がすべてお取り潰しにあった。
おかげで、トランプ大統領は空気のキレイな空港に降り立つことができた。 >>637
>福建や暹羅から輸入した鉄を使ったいる
暹羅は東南アジアだし、福建人は倭寇と一緒に海賊になって中国を侵略していた >>629
それは田舎の話だろ
首都のド真ん中で自国の国民を大虐殺するのは、中国共産党ならでは >>644
足利時代が終わって戦国時代に成ると崩落採掘やら永代たたらやらで
生産量が増え始めて、徳川前期に西仏英独の水準に追い付いたよ
明より大分少ないけど
あと明で最終的に生産されてたのわ銑鉄じゃ無く鋼 >>645
認識が5年前で止まってるな、今わ製鉄も加工も無難な水準迄上がって来てる
>>646
閉鎖させたのわ小規模や不採算の事業所、それ以外わ操業停止 >>650
莫大な余剰の鉄鋼生産量を抱えて、中国は四苦八苦している。
必死で、誰も住まないところに巨大なニュータウンを作ったり、砂漠の辺境地帯に
高速鉄道を通したりして、ムダな公共投資で鉄鋼を消費している。
この政府による膨大な浪費によって、中国経済は崩壊する一歩手前でかろうじて支えられている。 >>648
京都や江戸わ首都で数万人にも及ぶ餓死者を数多沢山出してる
首都の在る武蔵国で虐殺もやった
徳川時代に成っても奴隷制を続け
成人後平均寿命30歳代なんつー奴隷労働を強いてたし
大日本帝国時代に成っても紡績工場の年間死亡率2.5%とか気違いの所業
それでも大量の餓死者が出無い限り服従、立派な物だ >>651
もう10年以上経済崩壊し続けてGDP2倍に成っちゃったしな
税負担も甘過ぎ温過ぎだし規律が足り無いよな >>653
それ以上に、天文学的に積みあがってるのが莫大な債務。
政府・企業・家計、どれも巨大な不良債務で身動き取れない。
しかも、現時点でも急激な勢いで増えている。
このため、さすがに強引な不動産価格の維持も限界に達している。
北京でも上海でも、最近は値下がり傾向が顕著だ。 >>655
確かに矢場そうだったけど
二年前を境に全く報道無く成ったから実態解らんしな
処理してるのか放置なのか、放置って事わ無いだろうけど 俺も中国に帰化して政府のヨイショ記事書いて、
「日本経済はすぐに崩壊する」みたいな本毎年書いて暮らしていきたい・・・
と思ったけど向こうはもう日本を相手にしてないから無理か ああごめん
江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書(慶応4年)から廃藩置県(明治4年)まで、武蔵国に首都があることになるよな
慣例として、街の名前に「京」が入ってたら首都だから、この詔勅を以て東京遷都ということになるのかな? 江戸幕府の首都わ江戸
室町幕府の首都わ京都
鎌倉幕府の首都わ鎌倉ね >>657
中国はわからんが、韓国では、もうその手の連中は飽きられてる
鳩山由紀夫とか、「日本では頭がおかしい人という位置づけで、
相手にされてないみたいだな」ってのが、向こうにも伝わってるから 1960年代の中国においては、哲学史上、宋学を唯物論・客観唯心論・主観唯心論に分類していた。
そして、朱子学にあたる客観唯心論や、陽明学にあたる主観唯心論に対して、張載の創始した
唯物論が高く評価される傾向にあった。ナショナリズムや中華人民共和国のイデオロギーを背景に、
張載とその影響を受けた王夫之は哲学史上の最重要人物として扱われることとなったのである。
もっとも、島田虔次は、哲学史の実態に即して考えれば、やはり客観唯心論と主観唯心論の
対立こそが宋学の中心であり、唯物論の系譜は相対的な重要性は低いと述べている。 北宋の「横渠先生」こと張載は、虎の皮に座って易経を講義していたが、
甥にあたる程明道・程伊川の易論を聴いて感服し、虎の皮をみずから撤去したという。
宋学といえば「理気二元論」だったが、張横渠は「気一元論」を唱えた。
気というのは、物質のこと。
つまり、気一元論というのは、西洋哲学でいえば「唯物論」に相当する。
このため、明道先生や伊川先生に比べて、伝統的には評価が低かった。
しかし、20世紀後半の中国共産党時代に入って、横渠先生は妙に高く評価されることになる。
なんと、「マルクス主義の先駆者」という位置づけにされてしまった。
人間、わからないものだ・・・。 解決済の質問
朱子の考え方の解説をお願いいたします。
理と気を何かに例えて教えて下さい。 ベストアンサーに選ばれた回答 (長いので要約)
朱子の哲学は基本的な存在概念、理と気の二元論の上に築かれています。
気は形而下の存在で、主として自然学にかかわり、理は形而上の存在で、主として人間学に関わります。
理のあるところにはかならず気があり、気があるところかならず理があるとされました。
理論的にいえば、まず理が気よりも先にあり、また天地が生ずる前に理があり、理があるから天地があるとされました。
もし、理がなければ天地もなく、人や物もない。
しかし、理が単独で存在するのではなく、理はあくまで気と共にあり、気において存在する。
気は現在の言い方に従えば、物質であると共にエネルギーであり、エネルギーを内在した物質であり、
自然界を構成する物質的実体です。さらにいえば生命といってもよいものです。
自然界の秩序をもたらしている原理こそ理であり、これはプラトンの「イデア」のごときものです。
自然界のすべての存在が理に由来する。
そして人間界の身分秩序はその理に由来するものとされ、南宋の封建制を合理化しました。
天には皇帝がおり、皇帝は天の理を体現しているものとされ、その下には士大夫といわれる官僚がおり、
さらにその下には一般庶民、さらにその下には卑しい身分である商人がいる、
そのような一種の「自然法」が唱えられました。 韓国思想研究者の小倉紀蔵によると、韓国人は、現在も朱子学の理気二元論の影響を強く受けている。
韓国人は、いつも口を開けば「反日」を唱えているが、実際には、大挙して日本旅行に行くし、
日本料理を好み、日本のアニメを見て喜んでいる。
この強烈な「建前と本音の乖離」は、朱子学の理気二元論に由来するという。
韓国人は、「反日」や「愛国史観」のような理念にこだわりだすと、とことん熱くなる。
日本人のような、根っからの現実主義者ではない。 「お前の歴史認識はけしからんニダ」というような「理」にこだわって、とことん熱くなる。
炎のように燃え上がる。
こうでなければ、真の意味で、朱子学の徒とはいえない。
「気」、つまり、現実の世界がどうあるかなど、ここでは二の次となる。
「アンタは慰安婦で日本の軍人さんに連れてかれたっていうけど、終戦時には
4歳だったでしょうが」などと現実的な話をしたところで、相手には通じない。
「それとこれとは別問題」ということ。それが、理気二元論に特有の傾向だ。
華北を金に奪われ、さらに南宋もモンゴルに滅ぼされかけている。
このような、宋の厳しい歴史背景が、こういう思想傾向を生み出した。 日本人って現実見無いでしょ
日本人と南韓人は妄想史観の両巨頭
歴史戦とか大日本帝国正当化とか噴飯物 中国の思想は、だんだん現実主義になっていった感がある。
宋学は理想主義というか、ファンタジー色がまだまだ濃かったが、
明には陽明学、清には考証学と、だんだん英米の功利主義やプラグマティズムを
思わせる、現実主義の思想になっていった。 清では、考証学が主流になった。
考証学(こうしょうがく)とは、中国において、清代に入って流行した学問であり、
諸事の根拠を明示して論証する学問的態度のことを、こう呼んでいる。 早い話が、5chではアリガチな「ソースを出せ」というのが、清の考証学の特徴だった。
裏を返せば、宋や明の「性理学」は、そういうものではなかったということ。
まず、自分自身の考えが大前提としてある。次に、それに合わせて古典を都合よく引用し、我田引水的な解釈を行う。
要するに、古典を研究しているように見えて、じつは自己の見解を展開しているというのが、宋学の特徴。
朱子などは、平気で「これは誤字脱字である」といっては、古典の文字を勝手に改定していた。 >>668--669
清代わ概念的で些末過ぎる科学分野の落伍期
宋代の理気性論は非常に近代科学的 >>670
宋代わ歴代の中でも進歩主義的で古い物を改訂改訂した時代
特に記録で無い思想を綴った古籍わね 宋はクソ野蛮だったので。クビライ皇帝は儒学者を官職から排除。
征服地から有能な人材を登用するモンゴル帝国も、宋の役人だけは引き継がず、「蛮子」と蔑む。
しゃあことなしに広大な宋の故地を、西域人の官吏に金・遼の漢語通訳を付けて、統治。 何度もいってるけど現代日本って宋王朝に似てるんだよな
高い文化技術を持ち文民統制で平和を謡ってるが
その実は周辺国に金をばら撒いてかった平和という
土地も異民族に奪われてるし
民進党
↓
左派民主党(枝野)……………左派社会党
中道民主党(大塚)……………右派社会党
右派民主党(長島、前原、モナ男)…民社党
結局は旧社会党と同じ
滅亡寸前の宋、南宋みたいだな
内部闘争ばっかで外敵を忘れるみたいな 現代日本の政治状況を北宋南宋に比定しつつ、その実例が社会党ー民主党ー民進党の系列というのはおかしいな。
そこは自民党も同じ事だろう、むしろ自民党が日本政治の本体であり、社会党系列はエピソードにすぎん。
ただし蛮族の属国的な地位にある点で、北宋南宋と現代日本は似ている。
むしろ、この政治状況は、属国たるものの運命だろう。 >>678
中国のほうが、もっとカネをバラまいているし、内部闘争も激しい >>678
公記録を残さず、公文書を焚書し
虚偽発信を繰り返し隠蔽し改竄し捏造し
金と弾圧で言論を封じ、法と議会と基本的人権を停止するとか
近世の宋より前近代的だな、アベ政府以降は >>681
いや、お前のアタマがおかしいだけだと思うぞ >>679
日米安保を対等な関係に改定しようとしたら、狂ったように反対して潰すのは左翼だろ? 国民にわ違約、デマ、詐欺為捲りだけどな
虚偽答弁を繰り返した米日植民地密約の数々
事実上の一党独裁与党に因る公約違約の数々
隠蔽、改竄、捏造説明に基づく不正選挙の数々 >>685
「ごめんなさい、毎年金銀絹を納めて償いします」
↓
当年分まず納める
↓
翌年「やってられるか、戦争だ」
↓
ボコられて、ツケを払わされた上に、追加の詫び財の請求が来る
↓
最初に戻る
というのが、遼や金に対する宋の姿勢。
モンゴルは鼻から宋を信じてなくて、ボコるのみ 朝鮮人が国際協定を平気で反古にするのも、そういう歴史があるせいだな
いかにして、清への上納義務をごまかすかというのが、国家としての最大課題 >>671
清代は過剰にageられ過ぎやからな。
直近の記録が豊富だからしゃあないところもあるけど >>686
本当の独裁国家なら、「わ」君のその書き込みをたどられてしょっ引かれるけどな。 「日本には言論の自由が無い!」と騒ぐパヨクを見るたびに、そう思う。 >>691
中国は事実上の一党独裁じゃ無いって事か
その程度の書込み数多沢山あるしな >>694
民主主義指数ランキング
20位 日本 8.08 (完全な民主主義国)
23位 フランス 8.04 (完全な民主主義国)
144位 中華人民共和国 3.00 (独裁政治体制) なんでそんな世界最高の理想郷に移住しないで居座るのですか?
誰も引き留められてないのに >>695
隠蔽改竄捏造データを公表して判断を誤らせた詐欺の結果だね そんなところだろ。
都会はともかく、田舎では、いまでも見せしめの公開銃殺刑とか普通にやってるし。 >>695
フランスはエリート主義で社会主義。民主主義国としてはちょっと危なっかしいところがあるので、妥当な順位だろう。
民主主義ランキングなら、英米系と北欧諸国が上位を独占することになるのは仕方ない。その次あたりに日本が来る。 中華民国が続いていたら、今頃はとっくに民主化されていたことだろう
なぜか、歴史が退行した 中華民国が共産党に滅ぼされたのは、宋がモンゴルに滅ぼされたのと似ている
市民社会への移行の道が閉ざされたばかりか、以前にも増して専制支配が強化された 民間から官吏を登用するシステムは、モンゴル時代に一時中断して、また復活した
モンゴル以後の明清では、皇帝の独裁権力が極端に強化された >>707
滅ぼされちゃいない。追い出されたのだ。 >>707
中国共産党と毛沢東政権も違うと思うけどな
日中開戦〜滅亡日本国建国辺りだと、未だそれ程差が大きく無くて
毛沢東の謎政策の数々と何より毛沢東の大乱で数十年時代が巻き戻った >>709
モンゴル帝国、中央アジアのオアシス都市の商工民やチベット僧を官吏に多数登用して使ってんじゃん。
金や西夏の都市民の職工をロシア攻略に連れて行って攻城兵器を作らせて上手く攻め取ったらそのまま駐屯兵にしてんじゃん。
宋の人間がカス揃いでポエマー官吏がクズで役立たずだったから採用されなかっただけじゃん。 日本が余計なことをしなければ、中華民国は継続できた。
選挙制度もあったし。
宋は護憲平和主義におぼれた。 >>700
意味がわからないのだが
頭大丈夫?
ここは現代中国を世界最高の理想郷だと崇拝しないといてはいけないの? >>713
日本が手を引いてからも、台湾で国民党結構長いこと一党独裁だったよね? >>714
頭大丈夫?
スレ違いは普通に出ていけよ
ニュース板がお前の理想郷やぞ >>716
お前もな
日本政府に対する要望があるなら内閣府にでも問い合わせれば良いのに
現代中国と違ってそれをしても戦車で轢き殺されたりしないんだからさ ここは現代中国政府を世界最高の理想郷だと崇拝しないとスレチになるらしいw
スレタイ変えろよ 唐も宋も関係ねぇだろ >>718
流れの読めない馬鹿発見
現代中国の話をし始める奴がいるから変なのが集まってくるのがわからんか笑 >>723
財務省職員は3名殺害為れたけどな
松岡も松岡の秘書も、読売新聞記者も、テレ朝pも、みずほ頭取も 共産主義体制により殺害されたという市民の数の国・地域別の一覧
ソ連 2000万人
中国 6500万人
ベトナム 100万人
北朝鮮 200万人
カンボジア 200万人
東欧 100万人
ラテンアメリカ 15万人
アフリカ 170万人
アフガニスタン 150万人
スレ違いと思ったがこのスレと邪馬台国スレが勢い1位と2位なので世界史板が死んでるだけだったでござる >>722
反論できないからとうとう「流れ」とかいう君にしか理解できない架空概念持ってきちゃうw >>730
中国を理想郷として崇拝しないとスレから出ていかなきゃいけないとかいうのこそ、どこにも書いてない被害妄想ぢゃね? >>731
でも現代中国崇拝しないとスレチなんでしょう??? 毛沢東様バンザイ
儒教のような悪弊に縛られた宋の文化は徹底的に批判されねばならないな 19世紀のフランスは、近代市民社会そのものだが、民主政とはいえない
10世紀の宋も、民主政ではないが、かなりの市民社会
19世紀のフランスと比べるのはさすがにムチャだけど、17世紀とならいい勝負だろう 全共闘とかは中共にエルドラドを見てしまったんだな
現実を否定することが一番簡単な知的作業だから >>736-737
スレ違いを指摘されても改めないキチガイ >>741
>>694
民主主義指数ランキング
20位 日本 8.08 (完全な民主主義国)
23位 フランス 8.04 (完全な民主主義国)
144位 中華人民共和国 3.00 (独裁政治体制) 「アベ独裁政治を許さない」とか言ってる連中が、中国共産党体制を賛美するのは、さすがにおかしいな(笑) 宋に始まる、民間から官吏を登用するシステムは、貴族社会に生きる近代ヨーロッパ人にとっては驚異だった。
これを称賛したので有名なのは、ヴォルテール。
しかし、ヘーゲルは、「1人の人間だけが自由な社会」といって、中国皇帝の独裁体制を批判した。 書画や陶磁器に関しては、金代とすべきものを宋代に帰しているケースが多いな。
ていうか、南宋より金のほうが、中国史の流れとしては、本来はずっと重要だろ。 >>746
え? 隋の時代から科挙やってんじゃん。阿倍仲麻呂とか何の後ろ盾も無いのに、唐で登官してんじゃん。 >>748
そうでもない
遼>金の流れで理解すべきことはあるけど、元の次の明は江南生まれの政権で、宋の遺物と元のハイブリッドだから、宋は重要
もちろん元の重要性は何人も否定できない わ君って結局何も知らないからな
中国のこともよくわかってないけど、とにかくルサンチマン精神で逆張り礼賛してるわけだし >>749
仲麻呂さん最後は節度使(実質的な地方領主)やからね。 唐代の科挙は、宋代とはまた別物だからなあ
宋、明、清は明らかに連続性あるけども >>749
後ろ楯がないと言ったって、日本の貴族であり、出自が卑しい者ではないってことは、向こうも知ってるから >>754
唐宋変革論にはたいてい言えることだけど、唐の3百年間を通じて
徐々に起きてきた変化の流れが、宋で明確になったというものが多い >>753
ねーよ。
モンゴル帝国元気な時には科挙やってないし >>755
ところが隋唐の時分、支那人が盛んに人肉を食らうことも、出した使節を帰さないことで相手国にゆさぶりをかけることも、周辺諸国によく知られていて、
帰ってこなくても、取って食われても、かまわないような人材を送り込んできた。
唐も、それは百も承知だったので、新し物好きの日本が行きたい希望者多くて厳選して送り込んだ結果、盛んにオツムのキレが良く弁の立つのばかり
寄越してくるので、唐から見ると、これで捨て駒なのか?倭国こえー、って具合に、事情も良く知らないのに結構贔屓目に扱うようになる。 日本が送り出したうち最高の人材は、吉備真備か、空海か >>751
無知わ史料を読めば大抵解決するよ
勿論、都合の悪い史実を精神が拒絶する可能性わ有るけど
そして知識が増えれば荒唐無稽な妄想は不可能に成る >>757
だから元抜いてんだろうが……
制度として繋がってるのと、途切れたかどうかは別の問題 >>758
近世直前に成っても
というより近代に至っても人肉を食ってた西欧人や日本人と違い
中国でわ明代にわ早くも人肉食が禁忌と成って居たよ >>757
元帝国といえば元の属藩だった高麗と
今の米軍が支配する日本列島は酷似してる
宗主国が最高位者を任じ全権を保持したまま存在、外交権を認めて無い >>763
日本国の天皇はアメリカ人と結婚させられてないけど >>764
現代日本国の主権者であるアベ家わ
太祖が米軍の捕虜、走狗に成り果てたよ >>765
アベ家ってのはアメリカ人と結婚したのか? 公文書改竄する政府は到底現代に生きて無いしな
李世民が家格に文句付けた事例より酷い中世でも低劣なレベル 管直人が北チョンのスパイを応援してたし間違ってないな 次期首相の小鼠jrの一家は、軍港の荷揚げを受け持つ893の公然面担当者として、米国軍産複合体の忠実な代理人を代々勤めている、と占術理論実践板で読んだ。
特定の一族が横田幕府の将軍に任じられているのではなくて、代官様が大勢おられるのではないか?
現地民を慰撫するために、異教の神官を偶像ーシンボルとして掲げている。
かなり古代的な支配形態だな。 土井たか子が北チョンのスパイを応援してたし間違ってないな 枝野幸男は革マル派から応援されてたし間違ってないな >>774
日本列島総督府の副王が在日米軍司令官で
現地民のトップがアベ部族長 >>763
アメリカが脱退したTPPをまとめ上げ、アジア太平洋に史上最大の自由貿易圏を作ったのは日本。
アメリカも、後になって「やっぱり、入れてくれ」と言い出したが、「簡単にはいかないよ」と言ってる状況。 >>758
新しもの好きというより、命懸けで唐に行く最大の目的は、仏教の経典を手に入れること。
だから、文系秀才じゃないと務まらない。
合理的な現代人が見落としがちな視点だけど、古代人を動かすのは宗教的情熱 いや、新しもの好きだろ。
導入したものは、仏教道教儒教の関連のだけじゃない。
書物は史書から法律・統治論からポエム集から戯曲まで持って帰ってきてんじゃん。
細工物は現物から作り方から、菓子の作り方から、街の造りから、薬、香料の現物、農作物・花木・薬草の種や苗、墨に紙に、
楽器に音楽の技法、ペット動物の猫や狆や鶏に鸚鵡と、まあ、様々な分野の珍品奇貨や新技法を、持ち帰ってる。
ふんぞり返ってる士大夫層と宗教的情熱なら、経典・統治論・史書くらいしか持って帰ってこないだろ。 >>787
環太平洋最大の貴族特恵貿易管理組合わnafta
副王のご意向に従い日本列島の農牧民が生活する基盤を売り渡したのが扶桑都督日本大首領アベ >>790
遣唐使わ技術をあまり持ち帰って無い
製鉄も窯業も建築も医療も放置されてる 中国じゃむしろ「唐代の様式を残す日本」とか言われてるしな 唐がアイドルかなんかで、
日本がそのストーカーみたいなもんだな >>794-795
唐代に作られたヒノキ素材の建物って、支那の何処に存在するの? >>796
で、自分のことをそのアイドルの彼氏だと勝手に思ってる >>796
安禄山や仏教弾圧の実態を知ってしまった遣唐使は、
唐に幻滅しちゃったんだよな 菅原道真が遣唐使を廃止したのは、894年
日本史の授業では「もう学ぶことがなくなつたから」という話になってたけど、
実際には、唐はすでに滅亡寸前で有名無実、黄巣の乱で外国人が虐殺される
イラク・シリア状態で、遣唐使どころじゃなかった >>793-794
数える位の極限られた建築物だけで
貴族の住居ですら唐様式の建物じゃ無いからな
唐人大工を招いてそれを宮大工に伝授継承させた >>802
その余波を食らって天皇朝日本国は滅び
僭主平家の時代を経て源朝、北条朝に代わったけどね >>804
博多に1000人以上の唐人が住んでるのに態々国費で送る意味無いもんな 日本が主に取り入れた技術は養蚕、紡績、農業、冶金だけど
どれも割と早く高い水準に達した
んなら他の技術も学べば善かったのに、と思うね
今もだけどあまり手を広げ無いというか何というか 飛鳥時代の聖徳太子や蘇我馬子の服装は、隋とほぼ同じスタイル。
でも、平安時代の貴族の服装は、いうほど唐と似てないように思う。
かなり雰囲気が異なる。 平安初期の100年か150年くらいは奈良時代となにも変わらん
平安時代というとまず摂関時代や院政時代の文化を連想するがそれが平安時代の全てではない まあ、現代でも世界中のビジネスマンが、英国式のスーツを着てるようなもんだな。
それが仕事用の正装としては世界標準だから、着るのが当たり前。 徒然草でも、
大勢の日本人が中国製品を欲しがっていると書かれていたっけ >>817
「薬を除けば、無くても困らないものばかり」と書いてある >>818
中国製品を不要と思っていたのほ徒然草の作者だけだったってことだろ
あと「薬は必要」ということは、テクノロジーにおいては中国のほうが遥かに上ってことを認めてるってこと 満州族のあのキョンシーみたいな服は何て言うの?
あと、もう弁髪してる連中はいないの? >>821
キョンシーの衣装は、道士が着る道教服飾(法服ともいう) >>816
唐朝の正装は胡服じゃなく袍
あんな服装で馬乗れねー まあ、絹織物、特に錦については、江戸時代までは圧倒的に中国のが上だったしな
陶磁器も当然だが中国のが上級
そう考えると、江戸時代の成熟って偉大である >>824
鎌倉とか室町の日本は「おっこ汚い坊さんおるやん!弓の練習の的にしたろ!」とか「一人旅の女は天子様の贈り物やからファックしないと罰が当たるで!」的な野蛮国やったからなぁ。
そりゃ綱吉も再評価されますわ >>825
日本は江戸時代に民度が大幅に向上したが、中国は変わらなかった >>806
捏造ご苦労
日本国も皇室も滅んでねえし >>827
こいつネトウヨっていわれると発狂する小僧だぞ! >>820
後に、支那のテクノロジーが劣ってたことに気づいた結果、日本は医療先進国となった >>831
ネトウヨ小僧は馬鹿だから反論されても文章が読めない >>832
はいバカ連コリアン反論出来ませんでしたと >>833
はいネトウヨ小僧自分がネトウヨであることを認めましたと >>832>>834
はいバカ連コリアンまた反論出来ませんでしたと >>835
はい同じことの繰り返し
ネトウヨ小僧はいつもこの手口でスレを潰してきましたw >>832>>834>>836
はいバカ連コリアンまた反論出来ませんでしたと >>806
連コリアンは日本の学校で普通教育を受けてなかったんかな? 唐突にネトウヨ連呼が始まったな?
スレの流れが読めん >>837
朝鮮語の起源は日本語とかいうデマふかして恥かいてたネトウヨ小僧 >>840
妄想バトルご苦労w
俺そんなレスしたことねえのにさ >>806
「天皇朝」ww「源朝、北条朝」ww
この単語ってチョン界隈で流行ってんのかあ? >>841
こいついつも自分の発言なかったことにして逃げるからクッソ卑怯なんだよなw
でも書き込みのスタイルや馬鹿っぽい発言からしてすぐわかるんだけどw
こいつキモいしムカつくから見つけ次第粘着することにしとるんだわw >>840
「現代の朝鮮語は、20世紀に日本の朝鮮総督府による近代化政策の一環として、
日本語をモデルにして整備された言語である」と書いたのは自分だが、
「朝鮮語の起源は日本語」と言った覚えはない。
お前には、言語に関するセンスが無さすぎる。
この話題は無理っぽいな? >>844
同一人物であることを認めたネトウヨ小僧
こうやって書けばボロを出すと思ったはw しかしまあこのキモ虫ってアジア史スレのどこにでも現れてはスレ違いのネトウヨ発言を垂れ流しているんだなw >>843
バカ連コリアン反論出来ねえからって同一認定でごまかす卑怯戦術かw
自分で粘着とかほざくぐらい見境なくなるとはなあ >>847
お前が気持ち悪いネトウヨ小僧だからすぐわかるんだよな
現代中国の話を延々しつづけるキチガイ相手だからこれくらいがちょうどいいんだよ ちなみに、朴正熙政権が漢字を廃止してハングル文に統一したのは、
漢字ハングル混じり文があまりにも日本語と似すぎていて、
コピー文法なのが丸分かりだったから。
「国語浄化運動」と称して漢字を廃止したといえば、中国の影響を排除したように思えるんだけど、実はそうでない・・・という話。 >>849
朝鮮語の文法も知らないうえに近代化とそれ以前の朝鮮語の変化の内容も知らないけど
コピー文法だと丸わかりとかほざくデマ野郎w >>848
現代中国の話を延々とするのは、狂った勢いで中国アゲ・日本サゲを続ける、左翼の変な奴だろ?
アイツが、いつも中国史スレをそういう方向に持ってくんだよ。 >>848
気持ち悪いのは
「天皇朝」ww「源朝、北条朝」ww
ってほざいてる>>806だろバカ連コリアンw
反論出来ねえからって同一認定で逃げてんじゃねえぞ >>852
毎日毎日中国共産党がどうのとスレ違いの話題で雰囲気悪くしてる荒らしのほうが気持ち悪い >>853
チャンコロを美化してるヤツが気持ち悪いからって言っても、
>>806が気持ち悪くないってごまかしは通用しねえんだよ >>854
スレ荒らしのお前が偉そうに他人を非難してんじゃねえよw >>855
スレ荒らしで同一認定してるのは
>>806>>840だろバカ連コリアンw >>856
そうやってアンカーつけまくる癖でもバレバレなんだよなあw
お前知能低すぎるし夜に元気になるから無職っぽいのがまた哀れ >>857
バレバレって何がバレたんだよバカ連コリアンw
おまえのクソ推理はずれまくってんじゃんかw
「天皇朝」ww「源朝、北条朝」ww
ってほざいてるヤツは低知能だなあ>>806 >>858
それ俺のレスじゃないから>>806のレスが的外れだろうが関係ない
むしろお前のようなゴミ荒らしがいるせいで愉快犯的に日本を馬鹿にする奴を呼び込んでいるw
つまりお前みたいな奴がこの世にいるから世界史板が荒れるw
はよ出ていけやカス >>859
ここで日本を馬鹿にしてるヤツなんて馬鹿しかいねえから余裕で反論出来んだろw
反日バカの>>806に反論出来ねえ低知能のおまえが日本からでていけばよくね? >>806
「天皇朝」ww「源朝、北条朝」ww
この単語ってチョン界隈で流行ってんのかあ?
このスレではじめて見たんだけどw >>860
お前の存在が日本を馬鹿にしてるだろw
日本の平均IQさげんなよw
ネトウヨ小僧は頭が悪いから反論になってない反論して最後にレスつけたほうが勝ちだと思ってる間抜けw
そういえば新羅がどうこうとかも前言ってたなあwwww 新羅の残虐性がーっていって延々同じ事を繰り返してスレ潰したネトウヨ小僧の思い出w >>862
バカ連コリアンってやっぱIQ上昇に執着してるヒトモドキのようだね
そしてまたしても愚かな同一認定戦術を繰り返すのかな? >>864
お前は小僧とは口調が違うから朝鮮語で恥かいたほうの間抜けかw 第三者が見てもわかりやすいように>>806にレスしとこ
「天皇朝」ww「源朝、北条朝」ww
この単語ってチョン界隈で流行ってんのかあ?
このスレではじめて見たんだけどw おやおやまた同じレス連発のスレ潰し作戦か
こいつ恥かくとすぐ同じレスコピペしてスレ潰すからな
クッソ卑怯なネトウヨ小僧のいつもの手口 >>865
バカ連コリアンまた同一認定かあ? >>840
低知能のクソ推理で俺のレスを特定するのは難しいんだねw >>868
朝鮮語の文法も知らないでしたり顔でデマふかしたあげく
僕は文法じゃなくて歴史に興味があるんじゃーいって開き直って逃げた奴がなんかいってるw >>867
まさかそこまで効くとはなw
>>806
「天皇朝」ww「源朝、北条朝」ww
この単語ってチョン界隈で流行ってんのかあ?
このスレではじめて見たんだけどw ネトウヨ小僧が馬鹿なレス連発するとしたり顔のデマ吹き野郎が横から合いの手入れてくるいつもの流れかw
世界史板名物の凸凹ネトウヨコンビw
アジア史のスレでゴキブリのように現れてはスレを潰してく害虫w これで今回も1000まで伸ばしてスレ落とすんだろうなw
いつもの手口w >>869
チョン語の文法なんて知らねえしチョンの歴史にも深くは興味ねえよw
そんなもん普通の学校で習わねえからさ
ていうかバカ連コリアンその同一認定戦術まだあきらめてなかったんだねえw >>873
戦術もなにも上で認めたばかりだろお前はw
あ、それともまた自分じゃないからそれーって逃げるんか?
まあええよ、クッソ卑怯な手口だけど
それがお前の特技だもんなあw こいつ恥ずかしすぎるわ
したり顔でデマとばして、文法に興味ねー!って開き直る馬鹿
歴史に向いてないとか言語に向いてないとか議論相手に言うのもこいつの癖なw
自分がいちばん向いてねーだろw
844 世界@名無史さん 2018/04/06(金) 23:50:31.17 0
>>840
「現代の朝鮮語は、20世紀に日本の朝鮮総督府による近代化政策の一環として、
日本語をモデルにして整備された言語である」と書いたのは自分だが、
「朝鮮語の起源は日本語」と言った覚えはない。
お前には、言語に関するセンスが無さすぎる。
この話題は無理っぽいな? 恥の概念がないからデマ飛ばしたりスレ違いの中共ネタ延々続けるとかいう真似ができるんだよね
どっちがヒトモドキなんですかねw
ヒトモドキってのも普通の人間は使わない言葉だけどなあw >>874
俺がいつ何を認めたんだよw
俺が>>806の反日バカに反論したら
バカ連コリアンが同一認定して発狂レスを繰り返してるのが実態じゃんかw >>877
はいはいいつもの逃げ口上きたw
じゃあ何故わざわざこの流れの中からんできたの?
答えはひとつしかないんだよなあw
毎回同じ事を繰り返してわかりやすすぎんだよw >>878
何故って反日バカの>>806がデタラメなこと書いてるから反論しただけじゃんw
これに反論出来ない馬鹿がウヨ連呼して荒らしてんだろうが >>879
反日馬鹿を呼び込むためにネトウヨがわざわざスレ違い中共ネタを指摘されても延々続けてるのだからマッチポンプだろw
お前らがスレ潰す目的がなんなのかしらんが、真面目なスレが汚されて不愉快なんだよw
だからみつけ次第徹底的に排除することにしてんだわw >>880
反日バカの>>806に反論するのはチャンコロネタじゃねえしw
チャンコロネタが不愉快なら、そのレスに直接文句言えばいいだけだろバカ連コリアンw
不真面目ってのはクソ推理で同一認定してる>>840のことを言うんだよ >>881
荒らしのお前に対して不真面目だろうがなんだろうが関係ないw
お前が元凶だからお前を叩き出せば他の馬鹿も消えるから同じw
さっさと出ていけゴミ野郎 >>882
反日バカの>>806に反論出来ないくせして
反日バカの>>806に反論してる俺に「粘着」wしてる荒らしのおまえらゴキブリ野郎が消えればいいだけのこと >>883
じゃあお前が消えるまでずっと粘着するわw
ゴキブリ野郎のネトウヨ小僧
他のスレでも同じこと繰り返してスレ潰しの常習犯のくせに被害者ぶるなよw
まずお前が消えれば大半の荒らしはいなくなることは確定的だしなあw >>884
効いてることが判明したようだし
おまえが「粘着」続行なら
反日バカの>>806にレスしてやるわw
スレが荒れて潰れる元凶は反日バカの存在だからな >>886
スレが荒れる原因は常にネトウヨ小僧であるお前の書き込みが先にある
被害者ぶって荒らし続行か、ゴキブリらしい行動原理といえるw
くずのネトウヨがスレ潰しを続行w >>887
嘘つくなバカ連コリアン
先にデタラメを書いた反日バカの>>806が荒らしの元凶だろがw
おまえが必死こいて粘着してるのは>>806本人か同調者だからなんだろ? >>820
というか陶磁器も絹織物も機械も塗料も学術書も要らぬ
質素倹約たるべし!若しくは痩せ我慢、似た様な物か >>827>>838>>842>>852>>854>>856>>858-861>>866
以下870、877、879、881、883、886、888
火病り過ぎだろウルトラカイトカルト教団の儲
何処にそんな発狂する要素が有るんだよw 絹織物と陶磁器は、中国の特産品だろ
ビザンチン帝国も、西洋世界ではシルクの産地として知られていたが、やはり、中国産には及ばないとされていた
「餅は餅屋」ということ >>830
長い間医療先進国だった中国医学に頼り続け
中国の科学技術が停滞して模倣元としてイマイチに成り
併せて西欧が長足の科学技術進歩を遂げ医療先進国に成り上がると
そちらを模倣する様に成った
行動様式わ何も変わって無い とくに、東西交易が活発化したモンゴル時代には世界各地に輸出されすぎたため、元代の陶磁器は中国にあまり残っていない >>893
もともと、古代ギリシャの時代から、科学に対する精神が異なる
中国人は、薬草を調合するのは得意だが、医学の理論には弱かった 元朝は短期間で倒れたし荒廃して生産力落ちてたから仕方無い 薬草など、宋代には発見され尽くした
以後の、中国医学の長期停滞は必然だった >>896
医学に理論が持ち込まれたの何て戦後暫く経ってからの話
基本的に職人技と経験則の分野だった、外科わ今もそうだけど >>895
薬品調合、人体への理解、外科的療法
何れも同時代の欧州より進んでたよ 漢方式の人体理解は完全に間違っていたのだから西洋より進んでたもクソもないだろう
完全に進む方向が間違っていたんだよ人体理解に関しては >>899
そりゃ、欧州は暗黒の中世だからな
当時の医学の最先端はバグダッド 五臓六腑の理論は迷信そのもの
漢方医療の意義は、薬草の効能のみ
地大物博の風土だから、薬草には恵まれていた >>792
奈良時代の寺院や政庁や貴族の邸宅は唐風の楼閣だが。
素焼の土器しかなかったものが唐から導入で釉薬を使った陶器も、この頃から。 >>805
技術者を呼んできて自国の職工に真似させるって、唐の建築技術、持ち帰ってんじゃん。 陶磁器が発達したのも、広大な大陸のどこかには、陶土として最適な土や、釉薬の原料の産地があるから
他国がなかなか真似できなかったのは、そのせいであって、人間の知恵によるものではない 南朝の陳も、陳覇先が自分の名字を国名にしたんだと思っていたが、
これも偶然たまたま、梁の皇帝から陳王に封じられたのが由来だそうな >>900>>902
意味不明
頻繁に無知を批判されてるのだから少し位史料なり本なりを読めば善いのに
西欧より遥かに早く人体図を作成し何の薬効がどの部位に働くかも研究して居た >>903>>904
略々全て内裏や朝廷、寺院のみが唐建築様式で、それ以外だと大貴族でもほんの一握り
絶え無い様に伝承する必要が有る位全く普及して無かった >>905-906
日本にも胎土や釉薬に適した土等は在った
ハイ論破 >>909
だから、その人体図がデタラメで迷信的な内容だったと言ってんだろ(笑) >>910
普通の日本人は、唐様式なんかに興味ないんだよ。
乾燥した内陸の奥地の唐と、日本じゃ気候が違いすぎるし。 >>911
景徳鎮では、磁器の原料となる白色粘土が大量に産出する
これがないから、欧州では18世紀まで磁器が作れなかった >>912
現実は精緻その物、罪人を解剖したんだから当たり前だけど >>915
やたらと人間を切り刻む文化にも関わらず、内臓の各器官の機能が分からなかった >>916
17世紀に有田で白磁鉱が発見されてからは、あっという間に中国に追い付き、追い越した >>918
清末でも日本製より清製のが圧倒的に西欧への輸出額が大きかった現実 >>917
史実は>>909、妄想が酷いのわ知識が無いから >>916
日本では発見困難な場所にしかなかった。
白磁に関しては中国の地理的優位性が大きい。中国には扱いやすく焼きやすい白い土がわかりやすく存在した。
ただしそれ以外の様式の発達は、地理的要因だけでは説明できない。(=中国の職人の優位性を示す) >>920
北条朝とか天皇朝とか書いてある史料があるなら見してくれよ!www
い >>921
染付の青い色は、モンゴル帝国が東西交易を活発化させ、コバルトの輸入に容易になったおかげ
これも日本にはない要因 >>919
清末じゃあ、もうドイツのマイセンとかに、とてもかなわないぞ。
明治時代の日本も、欧州からの技術導入に切り替えた。
日本は17世紀、欧州は18世紀になって、やっと磁器を作れるようになったが、品質で中国産を追い越すのは早かった >>925
青磁の青と勘違いしてる?
青磁のあの独特の色のベースは一酸化二鉄だけど
染付(青花)の鮮やかな青はコバルトの青だよ >>926
肥前吉田焼とか有田焼とかの絵付の釉薬の青だけど >>927
まず、前提は「染付」であること
で、染付で利用される呉須とは、酸化コバルトを含む釉薬なんだよ
有田焼でも普通に使われます >>920
おーい、どこに北条朝なんて書いてあるんだ???早くしてくれよオラオラ!w >>924
清末だろうとマイセンだろうと有田焼だろうと磁器の品質で追い越した事実は無いよ
>>928
青一色の染付って速攻廃れたけどな >>924
マイセン窯が中国の官窯の品質を上回るようになったの、19世紀からじゃない? >>930
今も絶大な人気のあるシリーズだろ染付
マイセン、ロイヤルコペンハーゲン、ウェッジウッド、ジノリなどでは定番中の定番だし
日本だと砥部は染付オンリーの焼き方が中心だよ
まあ、古伊万里の時に時代を風靡したのと比較すると日本では人気無くなった感があるけども >>931
そりゃそうだ
18世紀は、清の官窯の最盛期、中国陶磁器の歴史においても最高水準に到達した
日本や欧米に追い抜かれたとはいえ、中国も進歩が止まっていたわけではない >>932
有田焼・伊万里焼の華やかな色彩は、もともと欧州への輸出用でしょ
日本人はもともと、そこまで派手好きではない しかし、やがて、中国の手工業では、ドイツの工場生産にとても太刀打ちできなくなる
明治時代の日本も、欧州からの技術導入に切り替えた
18世紀には、マイセンが古伊万里を模倣していたのに、逆転されるのは早かった マイセンごときが清朝官窯の品質を上回ったことなどない。美術品としてはね。
生産効率とかは知りません。 あー成程、願望と現実が入れ替わるネトウヨ語か
品質(安さ) >>938
中国をホメちぎってなきゃネトウヨなのか(笑)
バカな奴だな やっぱり漢以前の中国って変わってるというか
本当に同じ民族なのか? 色合いの深み(適当)
漢代だと未だ個人の物感有るけど宋以降は製品って感じ 朝鮮半島では、進歩どころか退歩していた
作品の出来栄えは、高麗の青磁が最高
朝鮮前期の白磁がそれに次ぎ、後期になると明らかに劣化した 宋から学んだ青磁と白磁
朝鮮では、それだけを千年に渡って作り続けた 北京を訪問した金正恩は、習近平から高価な陶磁器や絹織物を下賜されて感激していた
中国メディアは報じなかったが、朝鮮国営放送が自慢げに報道したおかげで判明した 秀吉時代の朝鮮征伐のときに出張ってきた明の兵員に磁器の職工が混ざってて、捕虜にして連れ帰って
特技があるなら優遇するぞ・でなきゃあポルトガルに売り払う
って言ったら俄然元気になって磁器だの陶器だの日本で作るようになったんだろ。 >>947
李朝前期ほどの多様性に富んだ陶磁器文化を持っていた国は宋くらい。
白磁生産が安定すると、ほとんどそれ一辺倒になるが。 >>954
ミンじゃなくて朝鮮半島からの陶工の貢献が大きい 朝鮮人の陶工を雇って磁器の生産に乗り出したのは、日本というより鍋島藩 >>947
それだけ、宋の完成度が高かったってことだな 東洋美術館でも、国宝級なのはやはり、宋の青磁だな
高麗青磁が悪いわけじゃないんだが >>954
碑文では、李参平は鍋島直茂とたまたま知り合い、誘われて佐賀に来たとなっていた
しかし、韓国政府の強硬な要求により、「強制連行された」と書き換えさせられた >>956
薄く整った成形や、精細な絵付なんて、朝鮮に無かったじゃん。
明国の磁器にはあった。日本の有田焼の整った形や、薩摩焼の精細な絵付、赤や金の派手な発色も、朝鮮征伐以降に急発展したからって、
朝鮮の影響ではないだろ。
明国の様々な出身層の人が朝鮮への援軍の人員として駆り出され、しばしば日本方に捕らわれていたのも事実だしなあ。 >>960
朝鮮だと、ガチガチ儒教で、士農工商よろしく、士大夫層、良民=農民、賤民=職工・商人・芸能・漁労・奴婢 みたいに
陶工も最下層だからな。
収奪と攻撃と疎外の対象だったから、そりゃ、支配構造をぶっ壊しに来た日本は解放者として大歓迎だったろ。
日本による政権転覆が失敗したら、さらなる攻撃と疎外があるわけだから、亡命するしか無いわなあ。 >>964
白磁と染付は李朝陶工、上絵付けは明の陶工。
朝鮮出兵以降、日本各地に大陸から来た陶工が開いた窯が出来たけど、初期のものは全て李朝風だよ。
陶工に関してはほとんど朝鮮人であったと見るのが自然。 ほならね
日明貿易やってる時に学べって話ですよ、高麗が宋の
長州帝国がキリスト教ローマ派諸国の模倣を為た様に >>967
だから、それが難しいんだって
磁器を作るには、それに適した土が要る
李参平も、有田で白磁鉱を発見するまで、だいぶかかった 磁器を焼いた窯が朝鮮式だったのは確かだが、有田焼は初期から明の彩色を取り入れていた。
呉須を輸入できたのも、大陸との交流が盛んな地域だったおかげ。
彩色技術のなかった朝鮮白磁とは、まったく作風が異なる。 朝鮮人は派手好きな国民性だが、彩色技術が無かったため、白衣と白磁しか作れなかった。
どうしてもカラフルな衣装が欲しいときは、狩猟で得た獣毛を織り込んでいた。
朝鮮白磁が日本の美術館に展示されているのを見ると、韓国からの観光客は、
「こんなショボくて地味なものを有り難がってる日本人」をバカにして笑いだす始末(笑) >>969
初期の有田焼には上絵付けはありません。染付だけです。 >>965
陶工だの金属活字工だの技術持ってるやつは優遇されたかもしれんが
大半は奴隷だろ >>972
そう、それ。
染付は明の手法だし、の原料の呉須は明から輸入したもの。 >>973
そりゃ、当時の日本には、朝鮮人の奴隷もいただろうな。
でも、その数十年後に、清に連れていかれた朝鮮人奴隷のほうがずっと多いよ。 >>975
特技が無いと、南蛮人の船に売り飛ばされてまっせ。 特技があると、日本では「先生!」「師匠!」「宗匠!」などとちやほや去れ 特技があると、日本では「先生!」「師匠!」「宗匠!」などとちやほやされまっせ。 >>976
そりや、明の隣にあるし交流もあるから、染付の技術も伝わることは伝わったけど、朝鮮ではその技術が発達しなかった。
鍋島藩では、明から技術導入しなければいけなかった。 >>979
職人がちやほやされるのが、日本ならでは なんで、日本と中国では競い合うように華麗な色彩の技術を磨いていたのかというと、西洋への輸出が大きな目的。
明の海禁政策による輸出激減が、伊万里に大きなチャンスをもたらした。
朝鮮は明の属国なので、蚊帳の外。
しかも、貧困な国土のため、釉薬の原料も乏しかった。 >>980
発達が何を意味するかわからないけど、李朝でも精緻な絵を書いてるものはあります。
明からの技術導入は上絵付けね。
とにかく初期の立ち上げに関しては朝鮮人陶工主導で間違いないです。文献も遺物も疑問なし。
そうじゃないという研究者はいないと思いますよ。 李朝白磁は少なくとも造形と焼成の技術に関してはトップクラスではあったよ
ただ、白すぎるほどの白から、だんだん青っぽく変化していったのは、なんでなんだろうね >>984
そうだな。
日本と同じで、量は少ないけど、たいていのモノはそろってる >>985
そこなんだよね。
朝鮮前期の白磁は、クッキリした白なんだが、後期になると、だんだん、くすんだネズミ色になっていく。
本当に、地味。ワビサビ好みにしても地味すぎるくらい。
東洋美術館では、日本と中国の陶磁器がますます絢爛豪華になっていくのに、それとは鋭く好対照をなしている。
「これが時代による好みの変化ってものなのか?」と思うけど、当の朝鮮人はむしろ最も派手好みな国民性で、朝鮮の磁器には見向きもしない。 >>986
マンガン、石炭、鉄、銅、金、錫、銀、タングステンが豊富。まあ、タングステンなんて20世紀にならんと無用だけれどな。
大体北朝鮮側に偏ってる 韓国では、朝鮮白磁が衰退した理由として、表向きは「豊臣秀吉に陶工を連れ去られたせいだ」としているが、実際にはそうではない。
なぜかというと、朝鮮白磁が衰え始めたのは、その頃ではなく、もうちょっと後の時代だからだ。
先日の朝鮮日報に、「なぜ、朝鮮磁器は伊万里焼のような世界的名声を得られなかったか?」という記事があった。
どうやら、韓国では、「国家の財政難のため、官窯を維持できなかったから」というのが定説になっているようだ。
記事では、鍋島藩の産業振興策をうらやんでいた。これが日本というより、鍋島藩の事業だってことは、彼らも知っていた。 >>987
元祖に近いことを尊ぶ朝鮮人の特使の裏返し。
劣化コピーしかできないから、技術も台を経るごとに劣化。 >>988
だから、日本の朝鮮総督府も、北朝鮮を工業化したんだよな。
南韓国は、分離独立の直後は貧困な農業地帯だった。 >>981
武家が戦争しか出来無い暴力団だったからな >>992
日本の武士は、織田信長の登場以前はずっと兼業農家だよ
農民や職人を蔑視するのは、遊牧民の傾向 >>989
鍋島領は地の利もあるけどな。
一年おきの長崎番役の交代の挨拶に手土産に陶磁器持って行ってカピタンへ差し出す。営業的には商品サンプルだな。
一年の間に現地決裁権限で受注受けた分を役代わりまでに揃える、次の番役のときには本国から発注が来る……というサイクルで
独占的に輸出陶磁器売り放題。 >>993
蔑視云々じゃ無く
武家わ天皇家公家と違って純粋に全く技術集団を抱えて無い武力団体
あと足軽が兼農じゃ無く成って行ったのわ秀吉時代 >>995
相変わらず日本史については滅茶苦茶言ってんな
足軽は下働きの傭兵
いわゆる領民兵(歴史学用語)とは異なり土地に属してないのが特徴
応仁の乱の頃に各地で発生し、戦国時代の大名武力を担った
足軽=下級兵士 ではない
また、鎌倉はともかく、室町幕府は朝廷と一体化し、有職故実などを武家も担ったほか、戦国時代には独立した地域権力たる大名は技術集団を内包し、地域国家として
半ば自立した
この辺、最近の歴史学の常識 >>891
反論できずに発狂してるのおまえじゃんw >>806
「天皇朝」ww「源朝、北条朝」ww
この単語ってチョン界隈で流行ってんの? そうなの?
明治維新のときにも半農藩士の中間層・足軽層が活躍してたのに? このスレッドは1000を超えました。
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