唐宋変革期4

1世界@名無史さん2018/04/09(月) 12:22:40.420

116世界@名無史さん2018/05/17(木) 20:08:20.460
>>114
ヨーロッパだと都市特許状が持っていて農村とは違う権利を有しているとか
中国だと城壁があって行政府がおかれているとかわかりやすい区分があるけど
中世日本はそういうのないからな
鎌倉や室町時代の「町人」を連想して見てって言っても無理でしょ

117世界@名無史さん2018/05/17(木) 20:34:19.510
>>116
でも政治でみると、戦国以降の日本のほうが、都市の定義はまだ明確なんだよな。
これは自検断という考え方があったためだろう。
昔から指摘されてることだけど、中国は伝統的には統治において(首都以外の)都市と農村の違いがない。

118世界@名無史さん2018/05/17(木) 22:37:26.250
自検断は農村にも都市にも有ったからその点は大差無い
違いわ都市民は碌に統治出来て無くて殆ど税金掛かって無えって事
中国はまあ建前として、皇帝より下の臣民は皆平等だし

119世界@名無史さん2018/05/19(土) 15:34:09.140
>>116
抑々中世日本に都市わ略々存在して無いからな
極々一握りしか都市が存在せず絶対的大多数が農民と奴隷と暴力団だった

120世界@名無史さん2018/05/19(土) 17:31:06.340
>>116
室町時代には有徳人っていう交易商人兼問屋みたいな連中が日本各地にいて、商業流通を司った
彼らは領主から特権が認められ、関所として機能したり、物流拠点として機能したりして、中世的な
都市機能を果たしていた

まあ、スレ違いだが、またトンデモ流している人がいるので一応

121世界@名無史さん2018/05/19(土) 19:01:21.380
都市とわ全く違う唯の大商人、倉庫屋
というか有徳人や問丸や土倉が都市とか完全に意味不明

122世界@名無史さん2018/05/19(土) 19:53:22.250
堺は?

123世界@名無史さん2018/05/20(日) 05:24:32.900
堺は?というか
京都延暦寺興福寺金剛峯寺熊野神社安濃津博多なんかの少数の都市にわ地方から物運んで来る様な大資本の交易商人が居た
あと、坊津とか兵庫とか堺とか辺りでも都市じゃ無いし一乗谷山口が都市化するのも大分遅くて中世後期

124世界@名無史さん2018/05/21(月) 10:44:00.910
>>92
武家の館なんてのわ日本の豪邸に毛が生えた程度の広さで
建物わ漢代以前の中国の庶民宅並みにショボい作り
時期的に早いのわ山口や駿府や一乗谷、石山本願寺わ山科が焼き討ちされてから

125世界@名無史さん2018/05/22(火) 19:40:40.720
>>75-76
契丹女真の奴隷国だった宋王朝

126世界@名無史さん2018/05/22(火) 20:32:56.870
>>120
でその「有徳人」は排他的な特権領域である「都市」を形成したの?
「都市的な場」と「都市」の区別がついてないんじゃね

127世界@名無史さん2018/05/22(火) 21:22:36.580
寺内町や境内都市わ略々都市と同じ、完全に都市かと問われると微妙だけど

128世界@名無史さん2018/05/22(火) 21:47:44.520
どこまでが都市なのかは本当に難しい。
炭坑の飯場や軍隊の基地、あるいは空母などにも都市機能らしきものはある。

129世界@名無史さん2018/05/22(火) 21:56:50.020
都市国家みたいな特定集団が先に来る構造は都市じゃ無いでしょ
大規模で恒常的な軍隊+補給基地+商人迄行くと都市かもしれんけど

130世界@名無史さん2018/05/23(水) 00:05:17.470
>>129
それは一般的な考え方ではないね
都市の成立は、都市国家の成立から始まるってのが、一般的な世界史的見方だから

具体的には、ウル、バビロンなどのメソポタミア都市国家群のことね

>>126
その辺、まさに定義によるんじゃねーかね
例えば欧州の一部の宮廷都市は、特権はなく王家の直轄支配下にあったが、それは都市なのか、とかそういう議論になる

131世界@名無史さん2018/05/23(水) 00:11:36.290
欧州の都市論読んでると結構面白いんだよな
アルプス以北と以南で成立過程がかなり違ったり、王家との関係性で、都市の性格が違ったり

特にアルプス以北の都市領主の城市に隣接して、商人が住み着いて都市の二元化は進むんだけど、
これが一元化することはなかなかなかったり、みたいな話もあって

中国も唐代くらいまでは都市国家の連合体みたいな性格があったわけだけど、欧州とは性格が随分違うよね

132世界@名無史さん2018/05/23(水) 05:58:27.370
>>130
ウルその他のシュメール諸邦は宗族と土着神で結び付いた都市国家が
都市国家群として封建体制を確立して行く過程で一部が都市に成った
発展の結果、都市に成ったのであって都市国家時点で都市を形成した訳じゃ無い

133世界@名無史さん2018/05/23(水) 06:00:45.210
>>131
都市国家の連合体的な構造は秦漢の統一を以て終わる

134世界@名無史さん2018/05/26(土) 21:12:01.010
>>130
ヨーロッパには固定的な「宮廷」とかないぞ
東アジアだと天子の居城である「都城」とか「畿内」が設定されてるのが普通だけど
中世ヨーロッパには厳密に言うと首都という概念がない
国王もあくまで筆頭封建領主に過ぎず有力な封建領主や都市の間をグルグル回って政務を行っていた
所謂「移動宮廷」ってやつ
中国だと殷周時代に遡ってもそういう政体はなかったと思う

135世界@名無史さん2018/05/26(土) 23:53:14.460
>>134
ここ、東アジアのスレだから詳しくするのもアレだけど
宮廷都市ってのは、王都ってことではなく領主の政庁が置かれた都市って意味だよ、歴史用語
一時期までのケルン、ミュンヘン、プラハ、その辺の都市
王宮とは限らない

対するのは、アウグスブルグ、ブレーメン、ハンブルク、リューベックと言った自由都市

136世界@名無史さん2018/05/27(日) 08:39:08.380
所謂自由都市の大半は秦統一以前の郷村と何も変わら無い非都市だし
王庭都市も初期わ政治城廓だった所もある

137世界@名無史さん2018/05/27(日) 09:04:30.960
北宋の都市って今で言うところのゲーテッドコミュニティみたいな感じで都市部の住人は繁栄を謳歌しててもそれ以外の住人は無茶苦茶悲惨な生活してたのかも

138世界@名無史さん2018/05/27(日) 10:01:39.030
どちらかと云うと今の中国と違って農村の方が都市より締め付け緩め
農村は農村で士大夫が好き勝手やってたけど

139世界@名無史さん2018/05/27(日) 10:31:20.090
>>135
自由都市の意味わかってるか?
皇帝に対して軍役や貢納を行う代わりに自由(自治)権を得た都市のことだぞ
https://www.y-history.net/appendix/wh0603_1-067.html
>神聖ローマ皇帝に直属し、その直轄領となることで勅許状を得て自治を認めてもらうところが出てきた。
>そのような都市を帝国都市といい、自治都市の一般的な形態となっていった。帝国都市は自由都市とも言われ、
>一定の条件を満たす市民には自由が与えられ、ドイツのことわざで「都市の空気は自由にする」と言われた。

140世界@名無史さん2018/05/27(日) 10:41:20.600
アウグスブルグ、ブレーメン、ハンブルク、リューベックにも皇帝の政庁はあるぞ
神聖ローマ皇帝には固定した治所がなくて自由都市の教会か市庁舎を間借りして政務を執っていたからな

中国だと遼も「捺鉢」と呼ばれる皇帝の治所が各地にあって固定されてないという点で西欧とよく似てる

141世界@名無史さん2018/05/27(日) 13:58:31.810
同じ系統の北魏も始めの頃わ皇帝の居場所季節で変わってたっけ

142世界@名無史さん2018/05/28(月) 08:02:41.640
>>140
そう成るのわ異端派が西方分教と宗教闘争やった時
ハプスブルク朝スペイン帝国へ反乱起こすのに際して
皇弟のドイツ王を担ぎ上げる為にオーストリア大公の広範な支配権を認めてから

143世界@名無史さん2018/07/04(水) 18:44:07.990
中国の歴史で云うと周、秦、前漢の頃迄やってた巡幸だから
大体1500年位遅れてる

144世界@名無史さん2018/07/12(木) 09:55:04.180
友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』

S1W

145世界@名無史さん2018/10/12(金) 00:42:13.450
言われてみれば確かに・・・
日本人は「宋の時代より後の中国人」を尊敬しないらしい=中国メディア
http://news.searchina.net/id/1668992

→朱熹は南宋、王陽明は明だよな

146世界@名無史さん2018/10/12(金) 00:57:03.580
朱熹や王陽明を尊敬してると言ってる日本人に出会ったことがない

147世界@名無史さん2018/10/12(金) 07:19:53.330
そーけー

148世界@名無史さん2018/10/14(日) 15:43:33.200
>>146
朱熹はともかく、王陽明にはフォロワーが多い

「宰相の師」こと安岡正篤がその代表格

149世界@名無史さん2018/10/14(日) 15:46:45.470
>>137
それは中国史に一貫して続く社会構造で、宋だけが特別なんてことはない

150世界@名無史さん2018/10/14(日) 15:48:34.590
>>134
「神聖ローマ帝国の首都」とか、教科書にも出てこないもんなあ

トルコのセルジューク帝国にもそれは言える

151世界@名無史さん2018/10/14(日) 15:49:52.240
トルコ帝国は、皇帝がテント張って絨毯しいたら、そこが首都

152世界@名無史さん2018/10/14(日) 15:51:01.310
倭国も、京都に落ち着くまでは、かなりコロコロ首都が移動してた

153世界@名無史さん2018/10/14(日) 19:38:25.810
>>152
都がコロコロ変わっても政治はずっと難波宮でやってたらしい

154世界@名無史さん2018/10/15(月) 05:38:44.720
>>146 >>148
陽明学もわかりにくいが、朱子学もわかりにくい。
学者はともかく一般人はちゃんと理解できたんだろうか。

155世界@名無史さん2018/10/15(月) 05:43:31.720
朱子学は
「格物 致知 誠意 正心 修身 斉家 治国 平天下」
この八条目に要約できるし

156世界@名無史さん2018/10/15(月) 10:50:44.180
朱子学って江戸時代の国学者の元ネタだからね

157世界@名無史さん2018/10/15(月) 14:41:18.070
亡国の南宋で、夷狄の侵攻に悲憤慷慨する中華の士大夫たちが遺した、朱子学の経典。

それが、江戸時代の日本の武士に大きな影響を及ぼし、欧米以外で唯一、近代ナショナリズムが形成される土壌となった。

158世界@名無史さん2018/10/15(月) 17:11:04.840
がちがちの朱子学であっても日本ではわりと自由に拡大解釈、
教義の取捨選択などがやれたけど、中国・韓国では官製以外の
解釈は許されなかった。

159世界@名無史さん2018/10/15(月) 18:44:21.370
清では考証学が盛んになり、朱子よりも漢の鄭玄がヒーローになっていった

160世界@名無史さん2018/10/15(月) 18:48:03.030
日本では、平安時代の貴族の世から、鎌倉時代の武士の世となり、見た目からしても大きな変化が感じられる。

でも中国では、唐の貴族と、宋の士大夫では、社会的なポジションが異なるだけで、外見にそう大きな違いはない。

そもそも、唐の貴族というのも、日本でそう呼ばれるだけ。
中国では、「士族」と言っている。

161世界@名無史さん2018/10/15(月) 18:51:34.490
その後、宋が滅んでモンゴル帝国になり、中国の文化は一変した

162世界@名無史さん2018/10/15(月) 21:11:10.650
>>158
国学ってぜんぜん自由じゃないじゃん。
廃仏思想むき出し(これも朱子学のパクリ)だし、水戸学に至っては天武を弑逆犯扱いとか朱子学の悪いとこを直輸入。

163世界@名無史さん2018/10/15(月) 21:36:39.320
唐と宋の変化は確かに大きかったが、中国大陸の文明が最も変質したのは、やはり、モンゴル帝国の時代だろう

164世界@名無史さん2018/10/15(月) 21:38:07.500
中華人民共和国も、モンゴル帝国の継承者

165世界@名無史さん2018/10/15(月) 21:40:12.370
中国史を、「モンゴル前」と「モンゴル後」に分ける

166世界@名無史さん2018/10/15(月) 21:46:31.840
そもそも唐が元朝のプロトタイプだから。
イスラム教やキリスト教を受け入れたのも唐が最初。ペルシャ文化が本格的に入ってきたのもサーサーン朝が潰れて亡命者が唐を頼ってきたから。

新着レスの表示
レスを投稿する