フランコ総統(フランシスコ・フランコ)
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フランシスコ・フランコ・イ・バアモンデ(Francisco Franco y Bahamonde、1892年12月4日 - 1975年11月20日)は、
スペインの軍人、政治家、独裁者(総統)。ガリシア出身。
こういう強引な人はたいてい最後は失脚するもんですが
失脚しないままタタミの上で死んだのは正直凄いと思う。 >>106
かなりしんどい最晩年だったみたいだな。 いうほどしんどいか?
王族の縁戚に成り上がって貴族にも列せられて、裁きも受けず財産没収もされずに自宅のベッドの上で安楽に死んだんだろ? 大物ナチの子弟のなかには、戦後学校から追放されて義務教育も修了できなかった人もいたし、それに比べてずいぶん甘やかされた老後だと思うけど。 映画の話があがってたんでついでに
マカロニウエスタンもロケはフランコ統治下のスペインで行われてて、出演者も
スペインの人が多かったのよな。
その中にはフレンチコネクションのフェルナンド・レイとかマカロニウエスタン
以前からイタリア映画に出てた人もいたみたいだけど。 ポルトガルのPIDEに相当するフランコ時代の秘密警察って何という名称だったんだろ? フランコが“大統領(プレシデンテ)“を名乗らなかったのは何でだろ? 私服姿な晩年のフランコ
ttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e3/Francisco_Franco_and_Carmen_Polo.jpg
パッと見でもゴルバチョフには・・・似てないか
それはそうとスペインでは台湾の“総統“を“カウディージョ“ではなく“プレシデンテ“と呼んでるのね
ttps://www.eldiario.es/politica/presidente-Taiwan-China-mantienen-relacion_0_408759134.html ちなみに台湾のほうではフランコの“カウディーリョ“を“総統“ではなく“領袖“と
表現してるっぽい。 >>113
一応王国だからそれは無理
ホルティ提督とか国王不在の王国の最高指導者の称号は難しいね 1947年まではフランコが国家元首、それ以降は国王不在の王国、ということらしい。
WW2終結でファシズムが退潮して、伝統的右派が支配的になったことと連動してるのかな。 各地域の民族主義を弾圧したフランコだけど,スペイン全土をカスティーリャ化
したかったのか、はたまたチトーの旧ユーゴみたいな感じにしたかったのか
(チトーのほうはフランコより後だけど)。 民族主義が抑圧されてる場合はスポーツ試合の時にその地域のチームを
応援する事で鬱憤を晴らすこともあると思うけど,フランコ時代はサポーターの
中にスパイや内通者を紛れ込まれて動向を監視してたんかね? >>121
伝統主義、保守主義を軸にその時々で最善の道を選択してる。
議会制民主主義を嫌ったのは第二共和政が失敗したからだろう。
共和政下でも普通に軍人やってて内戦が起きるまでは政府に服従してたわけで
強い信念やら強固な国家観を持ってないのがフランコの強み。 >>123
> 強い信念やら強固な国家観を持ってない
しかし一貫して反共と王政肯定だと思うが。 義理や人情にとらわれない人物だったようだね。
ドイツ、イタリアの援助のおかげでクーデターに成功したというのに、第2次世界大戦ではこの両国からの援軍要請を拒否した。
両国が戦争に負けると見抜いていたためだが、両国から見れば、恩知らずもはなはだしい。
「だれのおかげでクーデターができたんだ!」と怒り心頭だっただろう。
スペイン国民にとってはこのことは良かったことだが、人間的にはどんな性格しているのか、ちょっと気になるところだね。 >>125
日本でも松永久秀とかはそういうキャラだろ。 >>125
とはいいつつ東部戦線に義勇兵を派遣して借りを返してるけど,あれは
国内のタカ派を厄介払いするという目的もあったんだっけ。 義理や人情にはとらわれないが、借りは返すという人だったのかな。
そうしないと、誰も助けてくれなくなるからね。 >>123
フランコは最初期に積極的に反乱軍に呼応した側だろ? 東部戦線に派遣された義勇兵
ttp://www.hyperdouraku.com/blog/2013/08/26/blaue_division/ フランコに関する話ではないけど旧西ドイツのブラント首相って
若い頃はスペイン内乱にも参加してたのね。
ttps://kotobank.jp/word/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88-126647 腹心のカレロ=ブランコが暗殺されなくても史実と変わらない道を
たどってんたんだろうか?>フランコ死後のスペイン ×:たどってんたんだろうか?
○:たどってたんだろうか? スペイン本国からの帰国命令を拒否して東部戦線で戦った
青師団の面々って帰還後は軍法会議にかけられた? 【スペイン】フランコ総統の墓移転で波紋 スペイン左派政権が方針表明、歴史問題が国内対立を招く懸念も[08/01]
http://egg.5ch.net/test/read.cgi/news5plus/1533135718/ 青師団は知ってたけど青飛行隊は恥ずかしながら最近まで知りませんですたorz
無事に本国へ帰還した後、空軍内の要職を務めた青飛行隊パイロット
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%A9%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AB 最新の行動経済学が解く日米開戦の謎
摂南大学・牧野邦昭准教授に聞く(上)
https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXMZO3403740010082018000000
正しい情報と判断力があっても……
――逆説的になりますが、1人のワンマン経営者であればリスキーシフトの危険は避けられることになりますね。
「戦時中のスペインがそうでした。独裁者のフランコ将軍は、独による英本土侵攻作戦が失敗した後は、
いくらヒトラーが要求しても対英開戦を拒否し続けました。戦後に『冷戦』が始まると、米英側からスペインに接近しました」
――日本もスペインのような形で戦わない方が良かったのですね。
「戦後の吉田茂首相が外務省に作成を指示した外交検証文書では、親枢軸国でありながら中立を維持し、
冷戦によって米国と関係改善する選択肢にも言及されています。隠忍自重した方が、チャンスがより合理的だったというものです」
「しかし戦前の日本は天皇、政府、陸軍、海軍、重臣、議会と多元的な勢力が林立する政治体制でした。
集団意志決定にならざるを得ませんでした。ある有力な外務省OBは日本がスペインにようになれたとすれば
『内戦またはそれに近い変動を経て全軍・全政治勢力を統括しうる独裁的指導者を持ったときのみ』と指摘しています」 史実とは逆に共和国政府側のほうが結束されてて、反乱軍側が
各派入り乱れの混乱状態だったら… パヨクとかいうキチガイ用語はまともな人は使いません スペイン国歌ってフランコ時代には歌詞があったんだっけ フランコの側近・カレロ=ブランコが爆殺された時に乗ってた車は
メルセデスあたりかと思ってたけど,当時クライスラーがスペインで
現地生産してたダッジ3700という車だったのね。
てかアメ車でもキャデラックやリンカーンではなくクライスラーが
使われてたんやな。
ttps://es.wikipedia.org/wiki/Dodge_3700 フランコとプーチン、良くも悪くもたぐいまれな政治手腕を以て
混乱を切り抜けた点では被らんもないような… スペインを掌握した後のフランコって訪日したことあんの? >>148
訪日歴はない。
戦前ならともかく、もしも戦後に訪日しようとしていたら、日本はアイゼンハワー訪日反対運動並みの大騒動になったはず。 >>149
フランコて日本では誰も擁護せんやろな
左翼にとっては純然たる敵やし
右翼にとっても許せん裏切り者やし カタルーニャなど各地の民族主義を弾圧したフランコだけど,
ロマに対する同化政策というのは意外と聞かない。 そらロマが分離独立してスペインの領土が削られる恐れは無いさかいな 第二次大戦後、フランコ統治下のスペインに各国のファシズム関係者が
逃れてきたけどサラザール統治下のポルトガルではどうだったんやろ? 【世界教師マ@トレーヤ】 トランプは現在、ツイートを囮にして、史上最悪の法案にサインする気でいる
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1538533045/l50
山本太郎もブチ切れる、労働者へのゲスい裏切り! スペインに「戦没者の谷」というスペイン内戦で戦死した兵士のための
慰霊施設があるが、その建設には共和国側の囚人が「償い」のためにと
強制的に徴用された。
戦没者の谷は内戦の勝者の象徴であり、フランコ体制の抑圧の象徴であった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています