語彙は交易路を行きかった
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日本語の語彙には、漢語語彙以外にも多くの外来語語彙がみられる。
それらをつぶさにみると、大陸の交易路を実に多彩な系統の人々が行きかい、それにともなって語彙も一緒に移動したことが分かる。
その実例をこれから探って行こう。 日本語の水は元々「みづ」ですから/midu/で考えるべきじゃないでしょうか 旧かな遣いでは、(みづ)のようですね。
濁音を抜いた(つ)音に水の意味があるのであれば、水を表すタガログ語のtubig、クメール語のtukのtu音と同じですね。
これなら(みづ)は南方系ということになってきますね。 古事記 応神天皇 髪長比売 「美豆多麻流」(みづたまる=水溜まる)
日本書紀 清寧天皇二年冬十月 「寐逗愈凱麼」(みづゆけば=水行けば)
万葉仮名(つ)=tu、(づ)=du
水=みづ←みつ=mitu
水
タガログ語 tubig
クメール語 tuk
(水=みづ)は、タガログ語tubig、クメール語tukと同系の可能性が高そう。 >>326-329
ありがとうございます。
調べたかったが、ぐぐるしかできないのであきらめました。
みずだからひょっとすると海関係かなと思いました。 さて、(雨が降る)は雨粒が上から下に落ちる現象を指し、(降る=ふる)がその落下を意味する語彙だ。
降る(huru)のhu音に、上から下に落下するという意味があることになる。
そこで、このhu音の語幹音であるu音に落下する意味のある各国の語彙をみてみると、次の語彙がある。
落下
モンゴル語 unalt(ウナル)
フィンランド語 pudota(プドタ)
韓国語はnaelineun(ネリネウン)だが、これはモンゴル語のunalt(ウナル)からu音が消えた語形であるようにみえる。
このように、これらのu、pu音に落下の意味があることが考えられ、u音がその落下の意味の語幹音とみることができる。
そして、日本語の(降る=huru)のhu音もu音が語幹音であるとみなせるので、日本語のhuru、モンゴル語のunalt、
フィンランド語のpudotaの語彙は皆同系の語彙であることが分かるのだ。
しかし、ここで興味深いのは、モンゴル語のunalt、フィンランド語のpudotaは(落ちる)の意味とともに(降る)の意味も持っているが、
日本語の(降る=huru)には降る意味だけしかなく、落ちるの意味が欠落していることだ。
つまり、落下そのものを表す日本語の語彙としては(落ちる=otiru)があり、このhuru(降る)とotiru(落ちる)はまったく別の語彙なのである。
なぜ、このようなことが起こったのか。
(降る)と(落ちる)の両義を持つhuruの語彙があったところに、新たにotiru(落ちる)の語彙が流入して定着した結果、在来のhuruの語彙から(落ちる)の意味が消滅してしまい、
(降る)の意味だけが残ったと考えるのが妥当ではないか。
では、そのotiru(落ちる)とは、いったいどのような系統の言葉なのだろうか。
続く >>331
日本語の(落ちる)の語彙はすでに万葉集に現れており、(地尓将落八方)と書かれている。
これを(ちにおちめやも)と読んでいて、(将落)が(おちめ)の読みの部分だ。
(将落)は(まさに落ちようとしている)の意味なので、その意味の表現が(おちめ)ということになる。
(落ち)の語彙が8世紀にはあったことが分かる。そして、これが平安時代になると(落つ)の表現も現れる。
さて、この(落ち=oti)は、文法用語では自動詞と分類されている。
ということは、(落ち=oti)の語彙の(落ちる)を意味する語幹音はo音にあることになる。つまり、このo音が(落下)を意味していることが分かる。
そこで、東アジアや中央アジアなどで(落ちる)意味を持ちo音を含む語彙をみると、唯一ベトナム語にそれがみつかる。
落ちる
ベトナム語 roi(ローイ)。
落ちた
ベトナム語 rot(ロッ)
ベトナム語は中国南部の百越を源流とするオーストロアジア語の一種とされており、
遺伝子ではO1b系のハプログループがこのベトナム語の話者の主流だとみられている。
一方、日本人でも、O1b系のハプログループは26%と多数派の一つを形成していることから、
稲作を日本にもたらした種族がこのO1b系であろうとみられている。
つまり、稲作を日本にもたらした種族と現在ベトナム語を話す人たちは元々は源を同じくする同系統の者だった可能性があり、
弥生時代初期に縄文語だった九州へ新たに流入したのがこのO1b系の言葉だったと想定されるわけである。
そこで、このベトナム語のroi(落ちる)、rot(落ちた)と日本語のotiru(落ちる)、otita(落ちた)が果たしてつながるのかということになるのだ。
続く >>332
さて、日本語のoturu(落ちる)とベトナム語のroi(落ちる)がつながるのかということであるが、
日本語の特徴の一つが語頭にr音が立たないことである。
これは学者の研究によって既に明らかになっていて、このr音が語頭に立たないのは日本語だけではなく朝鮮語、アルタイ語も同じようにr音が語頭に立たないのだという。
そこで、縄文語が話されていた九州へ稲作をたずさえて渡来したO1b系の種族の言葉が新たに流入したとする構図に、この定説を当てはめるとどうなるだろうか。
(落ちる)を意味するベトナム語のroi(ローイ)は、縄文語の受け皿によって語頭r音が排除されてoi(オーイ)の語彙で定着することになる。
また、(落ちた)のrot(ロッ)も同じくr音がなくなり、ot(オッ)が定着することになる。
このoiのiは動詞であり、otのtは過去形を表す音なので、(落下)の意味を持つのはo音であるということになる。
このことは、日本語の(落ちる)の言葉の中で(落下)を意味している語幹音がo音であることとまったく同じなのである。
つまり、日本語の(落ちる)の語彙は、縄文語の中に流入したO1b系の(落ちる)意を表すroi(ローイ)の祖語のo音が残留して成立した語彙であるとみなすことに不都合はないといえる。
この(落ちる)意のオーストロアジア系のベトナム語roi(ローイ)の祖語が縄文語の九州へ流入した際に、縄文語の(降る)の語彙が元々持っていた(落ちる)の意味が消えていき、
その(落ちる)の意味は新しく流入して定着したoi(オーイ)が表すことになったということだ。
これが、oti(落ち)の語彙の成立過程だということだな。
わははははは。 3000年前の水稲の渡来とともに中国南部の百越O1b系の語彙が縄文語の中に流入したことは、上で見た通りだ。
そして、さらに1万2000年前には、やはり南方系のO1a系の語彙が先住縄文語に流入している。このO1a系の語彙はフィリピン・タガログ語の語彙と同系度が非常に高い。
つまり、日本語の語彙には中国南部の百越系の語彙が相当含まれている、というわけだ。
では、そもそもの先住縄文語の語彙は、どの語系の語彙と同系性が高いのか。
すでに学者が日本文化の二重構造論で指摘している通り、先住縄文語の語彙と同系性が高いのはウラル・アルタイ系の言葉の語彙のようにみえる。
その中でも最も同系性が高いのは、どうもモンゴル語の語彙のようだ。
日本語の端(はし)について、その同系性をみてみよう。
端(はし)は、縁や末端を意味する(は)と方位を意味する(し)の合成語であり、縁や末端を意味する語幹音は(は)音にある。
このことは、端(はし)の類義語に外れ(はずれ)、離れる(はなれる)、遥か(はるか)、鼻(はな)などがあり、意味を表す語幹音がすべて(は)音にあることによってそれが分かる。
この語幹の(は)音と端(はし)の意味をともに持つ語彙を近隣の言葉に探ると、モンゴル語とフィンランド語に見つかる。
端(はし)
モンゴル語
hayaa(ハヤー)=端、縁
フィンランド語
paa(パー)=端、最後、頭
日本語の端(はし=hasi)がモンゴル語のhayaa(ハヤー=端)、フィンランド語のpaa(パー=端)と同系であるのは、まったく明らかだ。
そして、端(はし)の類義語である鼻(はな)をモンゴル語に探すと、
鼻(はな)
モンゴル語
hamar(ハマル)
があり、日本語の鼻(はな=hana)とモンゴル語のhamar(ハマル=鼻)の発音が極めてよく似ており、また鼻の意味を表す語幹音が(は=ha)音であることもまったく同じである。
日本語の基礎を形作っている先住縄文語の語彙が北方系の、特にモンゴル語の語彙と同系性が高いとみるゆえんである。
日本語の語彙が南北の二重構造になっていることは、まず間違いないだろう。 印欧語祖語という言い方があるが、
アジア人の1大源流地スンダランドから受け継いだ言葉、スンダランド祖語のようなものって
だれか調べているのでしょうか >>335
原始ツングース言語とスンダランド言語が交じり合ったのが日本語だ、という考えがみられますね。
検索欄に「日本語成立の過程〜日本語は混合言語である」と入力して検索し、一番上のサイト「日本語成立の過程〜日本語は混合言語である るいネット」を開いてみてください。 >>336
ありがとうございます
スンダランドまで考えている人がいてよかったです
読んでみましたが知らないことが多すぎて未知の領域でした
言葉だから遺跡とも別でむづかしいですね >>337
フィリピンには一部黒人系の人々がいるそうですが、この人たちはスンダ系ではないのでしょうか。
スンダランドから北上した人々のようにみえますね。 メソポタミア下流域とスンダランドが氷河期の2大文明で
氷河が溶けてそれぞれ沈んだために各地に散っていったという説 スンダ人と同系のオーストラリア・アボリジニのY染色体はC1b3とされています。
一方、日本人にはC1a1tがみられるようで、この双方の共通祖先がC1のようです。
日本人のC1a1と最も近縁のC1a2がみられるのがチェコやスペインの古代人骨とされます。
そうしますと、C1が分岐してC1aとC1bが生まれたのは中東付近で、C1aは北や西へ、C1bは東へ行ったとするのが合理的ではないでしょうか。 メソポタミアは温暖で植物も豊富だったんじゃないの? いずれにしても、日本語とモンゴル語の語彙には深いつながりがありそうだ。
くるくると風車(かざぐるま)が回り…。
この(くるくる、ぐるぐる)は回転の意味だ。
そして、回転することを意味する(くる)は(繰る)に由来する言葉であろう。
繰り返すの(くり)も回転することを意味している。
とすると、車(くるま)の(くる)も回転を意味する(繰る)から派生した語彙であることが推測できる。
この(繰る)はいつからみられる言葉かというと、万葉集の歌に(来る)と(繰る)を掛けた表現がよくみられることから、奈良時代にはすでに(繰る)の言葉はあったことになる。
では、この回る意の(クル=繰る)は、日本独自の語彙なのだろうか。
そこでモンゴル語をみると、
モンゴル語
回転=erguulekh(エルグーレフ)
巡回=erguul(エルグール)
回る回る=ergej erguul(エルゲジ・エルグール)
回す=ergelt(エルゲルト)
などがある。
erは男性を表すので、これらの回転を表す語彙のerは接頭辞とみるのがよいようだ。
となると、回転を意味しているのはguul(グール)やgelt(ゲルト)であり、語幹音はg(グ)音ということになる。
続く そして、日本語の回転を意味する(繰る=くる)の語幹音はk(ク)音であり、また周囲を表す(ぐるり)の場合はg(グ)音となるので、これは回転を意味するモンゴル語の語彙の語幹音のg(グ)音とまったく同じにみえる。
回転する、回るなどの意を表すモンゴル語と日本語の語彙の語幹音がともにg(グ)、あるいはk(ク)音であるということは、モンゴル人の祖先と日本人の祖先があるときに同じ地域で暮らしていたということになってくるのではないだろうか。
モンゴル人の元々の居住地域は、満州の大興安嶺山脈の北側だったらしい。
とすると、2万年前頃にナイフ型石器を携えて南下し日本列島に達した縄文人の祖先の原郷も、その大興安嶺の北辺りだったのではないかとなってくるのだ。
わははははは。 和泉雅子(いずみまさこ)という女優がいたが、雅子と書いてこの(雅)を(まさ)と読んでいる。
(雅)は(みやび)という意味づけがなされているので、その(みやび)をなぜ(まさ)と言うのか。
また、この(まさ)は(正)の字にも用いられる。楠木正成(くすのきまさしげ)がその例だ。
(正)は正しい(ただしい)意であるので、やはりここでも(ただしい)意を表すのになぜ(まさ)の言葉が用いられるのかという問題が生まれる。
しかも、雅の(みやび)と正の(ただしい)の意味は相当に異なる。にもかかわらずこの二つの異なった意味の漢字に対して(まさ)という一つの表現を用いているのである。
これは、極めて難解な問題だといえる。
(まさ)とは、何か。
だが、突破口がないわけではない。
平安時代前期の貴族に藤原良近という人物がいて、この(良近)を(よしちか)と読んだり、また(まさちか)とも読んだりしているのだ。
(良近)を(まさちか)と読んだ場合、(まさ)は(良い)という意味であることになる。
そうなると、(雅=みやび)、(正=ただしい)の字を(まさ)と読むのは、(雅=みやび)も(正=ただしい)も(良いこと)だからだという理解が成り立つ。
この解釈は正しいか。
そこで、(正夢=まさゆめ)の言葉をみてみよう。
続く (正夢=まさゆめ)は、夢に見たことが現実に現れたときにその夢を指していう言葉。
夢に見たことと、それと同じ出来事が起こることとが、なぜ(正=まさ)なのか。
よく考えてみると、この(正=まさ)は(柾=まさ)と同じで、(柾)の字を用いた(柾目)は木の中心付近で縦割りにしたときに現れる年輪の模様のこと。
木を表皮の付近で縦割りにすると年輪は山形(板目)になったりするが、中心部分で縦割りにすると年輪は平行になり縦に真っすぐな線を描く。
この年輪が縦に歪まずに真っすぐで、しかも平行に並ぶ模様を(柾目=まさめ)と呼ぶそうだ。
このことからすると、(正夢=まさゆめ)は夢にみたことと現実に起こったことが同じであるときに用いる言葉なので、夢の出来事と現実の出来事が歪むことなく平行に存在していることを指していることになる。
なので、(正夢=まさゆめ)は(柾夢=まさゆめ)であり、柾から木偏を省略した正が正夢の正なのだ。
そして、夢の出来事と現実の出来事が瓜二つであることになぜ(まさ)の言葉が用いられるのかというと、そのように夢に見た出来事と現実の出来事が平行して真っすぐに同じように並んでいることは(良い)ことだからだということになる。
このように考えれば、(まさ)は(良い)を意味する言葉だと解することは妥当だと言えるのではないか。
こうして、(まさ)が(良い)を表す言葉であることは理解されるが、しかしその(まさ)の発音がなぜ(良い)を意味するのかについてはまったく不明なのである。
この(まさ=良い)は、縄文語由来の和語なのであろうか。
続く (まさ)は(良い)を意味する言葉だとすれば、(雅=みやび)や(正=ただしい)を(まさ=良い)と読む理由が分かる。
和泉雅子(いずみまさこ)は、(みやびで良い)女性だという意味になる。
さて、では、この(まさ=良い)はどのような由来の言葉なのだろうか。
そこで、フィリピン・タガログ語。
タガログ語
masaya(マサヤ)=幸福、運の良い、うれしい、楽しい。
masarap(マサラプ)=旨い、美味しい、味が良い。
maganda(マガンダ)=美しい。
mabuti(マブチ)=良い。
mahalin(マハリン)=愛する。
magustohan(マグストハン)=好き。
これらの言葉をみればma(マ)音が語幹であり、このma(マ)音には(良い)の意味があるように推測される。
そして、masaya(マサヤ)、masarap(マサラプ)の意味もいろいろバリエーションがあるものの、語幹であるmasa(マサ)は(大変良い)の意味があるようにみえる。
日本語の(まさ=良い)とタガログ語のmasaya、masarapのmasa(マサ=大変良い)は同系の言葉であろう。
つまり、このタガログ語の語彙は、縄文草創期に南方から来た海人の言葉が先住縄文人の言葉に溶け込んだ語彙のようにみえるのだ。
たぶん、間違いない。 縄文語もタガログ語もスンダ語の後裔という事じゃない? スンダ語はオーストロネシア語族の中の一つとされていて、このオーストロネシア語族の拡散についてはすでに詳しい研究がなされているようです。
検索欄に「ウィキペディア オーストロネシア語族」と入力し、開いた画面の一番上の「オーストロネシア語族 wikipedia」を開き、画面をずっと下におろしていくと「拡散史の語彙統計学の研究」の項目があります。
その記事にオーストロネシア語族の拡散史が述べられています。
また、ウィキペディアの「オーストロネシア祖語」も参照してみてください。 この拡散の研究では、中国南部からの拡散時期の最初を6000年前としていますね。
ラオスやベトナムなどでこの時期の土器が出ていて、それ以前には東南アジアでは土器が出ていませんので、新石器人の中国南部からの拡散開始時期を6000年前頃としているのではないでしょうか。
しかし、フィリピンの歴史を述べたサイトでは、中国南部からフィリピンへ渡来があった最初は1万2000年前としているものがあります。
また、フィリピンの山岳地帯には黒人が居住していて、この人たちはさらに古い時代に渡来したのではないかとされています。
スンダランド系集団の渡海北上があったのは、間違いないのではないでしょうか。 フィリピンはスンダランドに含まれますから
その黒人は渡来ではなくスンダランドが沈む前からいたのかもしれませんよ 検索欄に「高山族とは コトバンク」と入力して、開いた画面の一番上の「高山族 コトバンク」を開いてみてください。
台湾の原住民について、南方から来たと書いていますね。 日本書紀や古事記の日向神話に塩土老翁、塩椎老翁という神が登場する。
どちらもシオツツノオキナと読むが、一般的には土、椎はいずれもツチと読み、ツツとは読まない。
なのになぜ土、椎をツツと読んでいるのかと言うと、日本書紀の日向神話の一書に塩筒老翁と書かれているものがあり、この筒はツツとしか読まないことから塩筒老翁と同一神とされる塩土老翁、塩椎老翁もシオツツノオキナと読むことになっているため。
日本神話で重要な役割を担っているこの塩筒老翁(シオツツノオキナ)の塩筒とは何を表しているのかというと、潮の筒→潮の流れ→潮流のことだと考えられているようだ。
この神話の舞台が、沖縄との交易に従事した鹿児島の阿多であることから、塩筒神とは沖縄と鹿児島の間を流れる黒潮を神格化した神ではないかと考えることもできそうだ。
黒潮は巨大な筒、巨大なチューブのように流れる潮流であり、学者が指摘する塩筒=潮流の考え方と矛盾しない。
そこで、この筒(ツツ)とはどのような系統の言葉なのか、追跡してみた。
そうすると、モンゴル語やフィンランド語には筒(ツツ)と同系とみられる語彙はなく、チュルク系に同系とみられる語彙があった。
筒
キルギス語 tutuk(ツツ)
カザフ語 tutik(ツチ)
トルコ語 tup(ツ)
キルギス語のtutuk(ツツ)、カザフ語のtutik(ツチ)は日本書紀の塩筒のツツ、日本書紀と古事記の塩土、塩椎のツチとそっくりなのが面白い。
そして、筒ではなく英語のチューブの意味でこれと同系の言葉を探してみると、さらに面白い。
チューブ
英語 tube
フランス語 tube
スペイン語 tubo
ラテン語 tubus
ブルガリア語 truba
パンジャブ語 tiba
このようにインド〜イギリスまで同系の語彙がつらなる。
これを日本語やキルギス語などのチュルク系の語彙と比較してみると、筒・チューブは語頭のtu(ツ)音で完璧に合致していることが分かる。
しかも、複合の語彙ではなく短音の語彙に近い日本語やチュルク語のtu音のほうが、どうも源初的なようにみえる。
8世紀まで遡って確認できる日本語の筒(ツツ)の語彙は、ユーラシア大陸全体にまたがる管(くだ)を意味する言葉の源初的な語彙である可能性が高くなってくるのではないだろうか。
わははははは。 カグツチあたりを考えるとシオツチの方が元でシオツツの方が訛りではないでしょうか 塩土(シオツチ)は潮津道(シオツチ)ではないかと思いますね。
潮の道、潮路ですね。
塩筒(シオツツ)は潮の筒、潮流、黒潮。
この塩筒と塩土が同じだとされるのは、少しへんですね。
塩土(シオツチ)は航路を意味し、塩筒(シオツツ)はその航路である黒潮を指した言葉ではないでしょうか。
一方、カグツチですが、これは火之R毘古(ヒノカガヒコ)、火之加具土(ヒノカグツチ)と書かれる神で、カガとカグは同じとされます。
ヒノカガヒコは(火の炎の神)、ヒノカグツチは(火の炎の霊)でしょうね。
(チ)の意味がシオツチとカグツチでは少し異なるかも。
しかしもし(チ)が同じであれば、シオツチは潮の霊という意味になってきますね。
シオを黒潮とすると、黒潮の霊=黒潮の神がシオツチの意味になりますね。 稲(イネ)は、縄文中期(=陸稲)と縄文晩期(=水稲)に九州にもたらされた。
このイネのネは、根、屋根、尾根、根太の根であり、また寝(ネ)るのネでもある。根(ネ)は(横にする、横になる)が原義だと考えられる。
とすると、イネはイ・ネの構成で、(イ・根)だということになる。
この日本語のイは良いを意味する「イイ」、清める意の斎(イ)だと考えると、イネは「良い根」の意味であることが考えられる。
そこで、良いという意味のイ音の語幹を持つ語彙を外国に探すと、唯一タイ語にそれがみつかる。
タイ語
良い
di(イー)
これは日本語の良いを表す(イイ)と発音、意味ともにまったく同じである。
そこで、n(ネ)音系で横になる意味を持つ語彙をタイ語に探すとnxn(ノーン=横になる、寝る)がある。
ネ音とノ音は交換可能であるので、日本語のネ(根・寝る)とタイ語のnxn(ノーン=横になる、寝る)は同系とみることができる。
これらのことから、日本の文化の根幹にある稲(イネ)とは(イ・ネ=良い根)の意味であることを推測することができ、
またこの語彙は縄文時代に稲をもたらした中国南西部を原郷とする百越系O1aの種族の語彙であったことを推測することもできるのである。
つまり、稲(イネ)の遥かなる旅は、タイ語の原郷へと向かって続くのだ。 稲作関連の言葉はタミール語と共通する部分が多いという話だが >>362
タミル語で米、稲、飯はnel(ニー)。
日本語のイネのネにつながる可能性もあるかもですね。 >>364
タミル語と日本語の関係については、よく似た語彙があるそうですが、
難点は、タミル語話者の日本への渡来がなかなか見極めにくいことにあるようです。 ある地域から日本やインドに伝わったと考えるべきですね 漢語で音読みと訓読みを共存させるというのは、考えたらすごいこと
漢字からひらがなを作ったのと同レベルの発明
現代だと英語にそのまま日本語を当てはめて読むみたいなことだがなぜか英語ではやらない
CARをくるま、windowsをまど インフルエンザ予防として(うがい)が有効だという。
また、朝、顔を洗う際に口に水を含み、ガラガラとさせて口内をきれいにするのも(うがい)。
この(うがい)の語源は何か。
1444年(文安二年)に成立した「下学集」には、うがい=鵜飼だと解説されているそうだ。
(うがい)が鵜が呑み込んだ魚を吐き出すことと似ていることから、口を漱ぐことを(うがい)というようになったとするもの。
この解釈は通説となっている。
しかし、これはヘンだ。鵜が魚を吐き出すのと似ているということであれば、鵜吐き(うはき)くらいが妥当。
鵜飼は鵜を飼うことであるし、その鵜飼の言葉を魚を獲る漁法に当てたとしても、鵜を使って魚を獲ることを意味するにとどまるのではないか。
鵜飼の言葉でもって鵜が口から魚を吐き出すことを表すことにはならないだろう。
つまり、(うがい)を鵜飼由来だとするのは、単に音が似ていることにこじつけたようにみえる。
ということになると、(うがい)=鵜飼説はあやしくなってくる。
では、(うがい)とは何か。
そこで、日本語の語彙とほとんど兄弟的な類似を示すモンゴル語の出番。
モンゴル語
ugaakh(ウガーフ)=洗う
これで決まりだろう。
ウガーフ(洗う)の名詞化が(うがひ)→(うがい)ということだろう。
(うがい)とは、(洗う)という意味だ。
ここにも、日本語語彙とモンゴル語語彙の兄弟性が見て取れるな。
わははははは。 >>367
中国語文法で書かれた漢文に返り点などを付けて日本語文法による読み方ができたことが、素晴らしい。
これによって、中国語ができなくてもその文章に書かれている思想などを理解することができるようになった。
一方、英語などの表音文字による外国語文章は、その外国語ができないと理解できない。
まったく不便だ。 >>368
この(うがい)=洗うは口を漱ぐ(うがい)に限らず、洗うこと全般にわたる言葉だったのだろう。
時期は先住縄文人の時代である。
そこに、1万2000年前頃、中国南部の百越系の種族が九州に渡来して、彼らが話していた(洗う)の言葉が先住縄文人に浸透し、元々の洗う意を表す(うがい)を駆逐したと思われる。
ただその際に、口を漱ぐ行為を表す(うがい=洗う)だけが生き残ったということであろう。
そして、その南方系の(あらう=洗う)の言葉は、(あらた=新た)、(あらためる=改める)などの(あら)とも同系だと考えることができる。
ちなみに、フィリピンのタガログ語で日、太陽を表すaraw(アラウ)は、この(あらた=新た)、(あらためる=改める)、(あらう=洗う)の(あら)と同系の言葉だろう。
まず、まちがいないな。 日本語の中には、東南アジアから東北アジアまでの各国の国の語彙とよく似た語彙がたくさんみられる。
またそうした語彙の中も、さらに中央アジアから北欧、西洋などにかけて広がる語彙もあるようだ。
つまり、日本語の語彙の中にもワールドワイドの広がりを持つものがあるということだ。
今回の晴れる、晴(はる)も単に日本の中にとどまる語彙ではなさそうだ。
晴(はる=haru)は、雲や霧などが消えてなくなった状態を意味し、また雨や雪が降り止んだ状態も意味する。
しかしながら、雲や霧などが消えてなくなった状態をなぜ(はる=haru)というのかというと、その語源はもうひとつはっきりしない。
日本語の範囲内だけでは、もはや語源を探索することは無理があると思える。
そこで、このharu(晴)と同系とみられる発音の語彙を外国語に探すと、驚くほどの広がりのある語彙であることが分かるのだ。
明るい
韓国語 balg eam(パイゼム)
モンゴル語 khurts(フルツ)
フィンランド語 kirkas(ヒルカス)
キルギス語 jarkirak(ジャルキラク)
カザフ語 jarqin(ジャルキン)
トルコ語 parlak(パーリャッ)
これらの語彙は語頭のpar(パル)、hur(フル)、jar(ジャル)が類似していて、意味は共に(明るい)の意である。
同系の語彙だとみられる。
そして、日本語の晴(はる=haru)とも発音が類似していて、日本語の晴(はる=haru)とも同系とみることができる。
そうすると、日本語の晴(はる=haru)の語義は、元々はモンゴル語などと同じく(明るい)という意味であることが推測されるのである。
雲や霧が消えてなくなることは明るくなることであり、雨や雪が降り止むことも明るくなることを意味する。
このように、日本語の晴(はる)はモンゴル語やフィンランド語、チュルク語などと同じ(明るい)という意味の語彙の範疇に入るものであることが分かってくるのである。
日本語の故郷はバイカル湖付近だとする説があるが、モンゴル語やチュルク語の故郷はそのバイカル湖の南方であることを考えると、日本語の故郷もそのあたりまでは北上してもよいのかもしれない。 バイカル湖の西方のトゥバ共和国あたりは、もともとチュルク系、モンゴル系、サモエード系が雑居していたらしい。
7世紀頃にモンゴル族はバイカル湖を東に超えたアルグン川渓谷に住んでいたが、その祖先伝承ではバイカル湖を渡ってオノン川上流のブルカン岳にやってきたそうだ。
とすると、エニセイ川上流のトゥバ地方がモンゴル族の原郷かも知れない。
これまでみてきたように、日本語にはモンゴル語、フィンランド語、チュルク語と関連する語彙が豊富にあるところをみると、縄文語の祖語を話す種族はこのトゥバ地方あたりにいた可能性が出てくる。
そして、寒冷化とともにモンゴル祖族やチュルク祖族はそのままあとに残り、縄文祖族は南下したのかも知れない。
このような構図を想定すると、日本語の語彙にモンゴル語、フィンランド語、チュルク語の語彙と関連するものが少なからずあることの理由が理解できる。
面白くなってきたな。
わははははは。 縄文草創期の1万2000年前に南九州へオーストロネシア系の祖族が南方からやってきたことが知られている。
この南方系の種族が南九州へ上陸したときには、そこにはすでに先住縄文人がいて細石刃の石器を使用していたことが分かっている。
この細石刃石器の担い手は1万4300年前頃に列島にやってきたと考えられていて、この種族が使っていた細石刃石器は中国東北部〜バイカル湖付近に源流があるとされている。
つまり、細石刃を用いていた先住縄文人のふるさとはバイカル湖付近ということになってくるが、このバイカル湖の西はモンゴル祖族、チュルク祖族、サモエード祖族が混在していたトゥバ地方だった。
このことを考えると、日本語の語彙にモンゴル語やチュルク語、フィン・ウラル語の語彙がかなりみられることからすると、日本語の基層言語はこの細石刃石器を用いた種族の言語であった可能性が強まる。
列島には旧石器時代に大陸から渡来が幾層もあったとされているが、日本語の基層言語の話者はこの細石刃種族が最も有力ではないか。 >>373
このように、考古学の分野でもバイカル湖西部地方のモンゴル、チュルク、サモエード混住地方と先住縄文人との関わりは濃いものがあるのだが、
これをY遺伝子のハプログループD1でみると、やはりその地方とのつながりが見える。
Y−Dの分布ではアンダマン列島やチベット高原が濃密であるが、低頻度ではあるがこのほかにアルタイ地方も注目されている。
アルタイ地方ではDーM174が抽出されているが、このほかにチュルク系やモンゴル系の民族でD−P47、D−M15がみられるのだ。
これまで中央アジアではDはほとんど注目されなかったが、調査量が上がるにつれて中央アジアにY−D系がいたことが実証されてきている。
特に、モンゴル族やチュルク族にもDがみられるようになっているのが面白い。
日本語とモンゴル語などの語彙に同系性の高い語彙がみられることを考えると、もうほとんど日本人のD1a2はバイカル湖の西部のトゥバ地方に原郷があるとみることができるのではないだろうか。
わははははは。 バイカル湖は3万年くらい前までは温暖だったらしいですからね バイカル湖周辺には3万年前〜2万年前頃の遺跡がみられるそうだ。
有名なアフォントヴァ山遺跡の人骨は2万年前頃。
最後の氷期の最盛期は2年年前〜1万5000年前とされていて、この時期にバイカル湖などシベリアは寒冷砂漠、ツンドラの世界だったという。
ここに進出していた人類は寒冷な気候に適応した結果、モンゴロイド的な特徴を獲得したという。
というわけであるので、3万年前頃にはバイカル湖付近に人類は進出していて、気温も最低温期に比べるとましだったということになる。
そして、2万年前以前にはバイカル湖周辺では祖縄文人や祖モンゴル人、祖チュルク人、祖サモエード人などが混在していたが、2万年前以前のある時期に祖縄文人は南下し、
あとにはモンゴル人やチュルク人、サモエード人らの祖先はそのまま居残り寒冷化適応したということになるな。 まあ、日本語の源流は3万年前頃にバイカル湖西方のトゥバ地方にいた旧石器人(祖縄文人)に求められ、
その後1万2000年前に南九州に上陸した中国百越地方からの渡海者が先住縄文人と混交した結果成立したのが新縄文語であり、
これが現在につながる日本語の祖形となったということだな。
そのあとも中国百越系の種族が複数波にわたって日本列島に入り日本語の祖形に影響を与えたが、基本的な構造は変わらなかったと考えるべきだ。
こうしたことは、これまでにみてきた彼我の語彙の同系性によって明確である。
というわけで、この板はこれで終わりとしたい。
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