儒教に支配された中国・韓国 2
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前スレ >>996
地球球体説を最初に唱えた者のみ偉い、なんて言ってないんだけどなあ
地球球体説を理解できた信長や国学者よりも、理解できない朱子学者が馬鹿って言ってんのw
996 世界@名無史さん 2019/05/08(水) 23:55:33.41 0
>>994
地球球体説を最初に唱えた者のみ偉いというなら、信長も国学者も別に偉くもなんともないな >>3
馬鹿チョン儒教かぶれ早く地球平面説証明してみろよw 反儒教志士(笑)の登場してスレ潰したのに
当の本人がスレ立てか 「私はただ漢学に不信仰で、漢学に重きを置かぬだけではない。一歩進めていわゆる腐儒の腐説を一掃してやろうと若い頃から心がけていました。」 結局儒教では近代を生めなかったし労働生産性向上を阻んでいるのが儒教だと強く感じる 儒教に支配されてる小中華こと下朝鮮は悲惨
生産性はイタリアスペインより低く自殺率が世界2位。しかも出生率は1以下という失敗国家そのもの むしろアジア四小龍の発展は儒教の貢献という言及の方が多いと思うけど。
儒教圏でない東南アジアやイスラム圏こそ未だに近代化が遅れている 「中国や韓国と違って、日本には儒教文化が根付かなかった」ので日本はノーベル賞の常連国になった 中国は今まさにノーベル賞級の研究成果を生み出しつつあるところなんじゃなかろうか
あと2,30年経つとどんどん出てきそうに思う 儒教好き=反商業主義=反自由競争主義(=親国家社会主義) >>13
中共の独裁を倒して民主化して法治国家になった後ならな ノーベル賞を取れない理由が儒教っていう理由付けがないから浅いんだよね >>18
科挙合格者でノーベル賞を受賞できた学者っているの? >>19
儒教が原因でノーベル賞が取れない理由を論証しないと
そんなの何の反論にもなってない むしろ戦前日本の教育は儒教の徳目を重視した教育勅語で行われているから
ノーベル賞は儒教のおかげともいえるな >>20
ノーベル賞受賞者と科挙合格者の数や比率を換算するのも論証の一つでしょ
例えば日本だと受賞者の出身校がどこかとか、北海道大学や神戸大学で何人いるとか普通に言われてることだよ >>13
あと2,30年経ってから受賞しても儒教の手柄にはならないだろ >>22
前近代の官僚登用試験である科挙合格者と近代科学教育を受けた学者とでノーベル賞受賞について比較してなんの意味があるのか全くわからないんだが >>21
日本のノーベル賞受賞者に科挙合格者はいないよ 前提となる土台が全く異なるのに比較しても科学的な分析にならないよ
同じ時代の大学同士で比較するのと全然中身違うでしょ。 >>25
それは日本で科挙がなかっただけだが。
日本で科挙があったらノーベル賞はとれなかったというならその理由を述べないとね。 >>24
科挙の出題科目が「前近代」だと理解してるなら、
「近代科学」の研究功績を評価するノーベル賞に値しないということも理解できるはずだし、
科挙合格者がノーベルゼロな理由も理解できるはずでしょ >>28
うん、でもそこから出てくる結論は「前近代教育からノーベル賞受賞者が出ない」であって「儒教だからノーベル賞が出ない」ではないよね。
それなら日本の寺子屋出身者からもノーベル賞は出てないよ
前近代教育だから。 >>27
日本以外の欧米でもノーベル受賞者で科挙合格者はいない
台湾や中共の数少ないノーベル受賞者でも科挙合格者はいない
これが結果 >>30
儒教が劣っていることから科挙の合格者かどうかに話が変わってるけど
儒教の影響を受けたらノーベル賞が取れないって主張は諦めたの? >>29
だから日本は寺子屋ではなく、明治以降に義務教育を取り入れてから発展してノーベル賞常連国になった >>32
近代教育を取り入れてかつ儒教文化の勤勉な国民性がマッチしたから発展したんだよ >>31
科挙の出題科目は儒教からだよ
四書五経とかを暗記せずともノーベル賞は受賞できる時代になってんだよ >>33
儒教文化だった朝鮮ベトナムはノーベルゼロだし
中共もノーベル賞は少ない
非儒教文化の欧米なんて沢山ノーベル受賞者がいる >>34
それは出題内容の問題であって儒教文化の問題ではないよ >>35
それも教育制度や社会インフラの問題であって儒教の影響にすべて帰結しようとするのはただのこじつけだな >>36
科挙の出題科目は儒教だから儒教の影響が直撃でしょ
日本や欧米のノーベル受賞者はありえないし
台湾や中共の数少ないノーベル受賞者でも科挙合格者はいない
これが結果 >>38
儒教から出題されるからノーベル賞が取れないのではなくて
そもそも内容が近代科学とつながらないからノーベル賞がどうのとか関係ないだけだわな。
だったら日本の司法試験だってノーベル賞とは関係ないわ
全然関係ないことをさも関係あるように語る典型的な詭弁術にすぎない
これはとても科学的とは言えんなあ >>37
儒教文化で科挙を実施すると教育制度や社会インフラに問題が生じるってことだね
だからノーベル賞がとれないのか 別に儒教否定してもいいけど論理が浅すぎて話にならないからもっと真面目にやってほしいわ >>39
日本の司法試験は文系だからね
でも儒教は文系だけに限定してるんじゃなくて理系にも口出ししてるでしょ >>42
科挙も役人になるための試験だから文系だろ >>43
朝鮮の科挙には実用技術の技官もいたけどノーベルゼロなんだよね 日本のノーベル賞受賞者は国立大学の教授が多いんですけど つまり教育機関や国家体制の問題だわな
儒教的な戦前教育を受け、かつ近代科学を学んだ科学者がノーベル賞を受賞
むしろ儒教圏のほうが一旦近代化したあとの発展が著しいという事実もある >>49
日本では科挙は根づかなかった
欧米でも科挙はない 前スレは儒教の各学派の中身にまで踏み込んだ議論が行われていたのに、
今スレは単に儒教にかこつけて中韓を中傷したいだけの詭弁スレに堕ちたな。 日本にとって中韓の失敗例は重要な参考にすべきだよ
スレタイに書いてあるようにね >>50
欧米を美化しすぎ。
フランスは科目が違えど科挙を導入しているし、
アメリカは日本の内申システム以上の煩いシステムを導入して、格差を肯定している。 >>54
別に欧米を美化してないよ
フランスの試験の出題科目は儒教からじゃないし
アメリカはシステムが煩いシステムだろうとも、中韓と違ってノーベル賞の数では最多だ
結果論ってこと >>55
ところで、なんで、ノーベル賞に拘っているの? >>56
人類に最大の貢献をもたらした人々に関心を持つのは普通でしょ人類ならね 中韓を美化したい人にとってノーベル賞は不愉快なのかな 孔子平和賞第1回受賞者は、台湾総統選挙で惨敗した連戦 >>61
百田尚樹やケント・ギルバートの反儒教論説を読んで気持ちよくなれる層なんて、
そんなもんだよ。
せめて最低レベルで、司馬遼太郎の朱子学系官学批判レベルはないと、
読んでて知的に面白くならない。 文化論やシステム論に落とし込めるならともかく
ノーベル賞の受賞数しかネタがないもんな 反権力とか欧米を見習えと言いながら儒教を礼賛するのは矛盾してるね
まあそういうこと言ってる新聞がポル・ポトを礼賛してたしここで支那朝鮮を礼賛してる奴と同じ類の奴だろう >>66
たぶん、その手の人にとっては、儒教を等身大で分析しようとするのも、
「アカでサヨクでチョーセンジンでアサヒ新聞読者」
の行為なんだろうね。 >>32
日本がノーベル賞常連国になったのは平成からでしょ 日本は、ノーベル経済学賞は取れていない。
自然科学系に人材が偏っていることの表れだ。 日本人初なノーベル賞受賞者湯川秀樹は儒教的な教育勅語世代だね >>70
宇沢弘文がノーベル経済学賞レースで良い所まで行ったけどね。
宇沢の弟子のスティグリッツがノーベル賞取ったけど。 宇沢弘文は数学畑を出発点にして経済学に向かって成果を挙げた人だからなぁ。
いわゆる日本の文科系だと、人文科学系では歴史学、例えばモンゴル史とか
ソグド史なんかで世界的な成果を挙げている一方で、社会科学系の講座は
海外の最新トレンドの輸入に汲々としてきたイメージがある。 康有為の大同書読んでるがこのスレではコメントする気になれない。結構シュールで壮大だけど。
康有為には日本人の孫娘がいるらしい。
康有為の日本亡命時代からの日本人お手伝いさんが康有為の息子とデキたらしい。 >>75
湯川は東洋哲学に造詣が深く自分の研究は仏教に大いに触発されたと言ってる。
空海や荘子を天才と絶賛してる。 >>76
で湯川秀樹は神社にも寄付してるけどノーベル賞に神道の影響は認めるのか >>77
批判してるというより三教指帰で仏教と道教と儒教を比較して仏教一位で道教二位で儒教三位にしてる。 カキョカキョうるせー奴だな
馬鹿の一つ覚えとはまさにこのこと そもそも神道確立の過程で、儒・仏・道の三教からの影響は無視しえないんだがなぁ。 >>76
それらを天才って絶賛してるだけでは科挙に合格できるわけないからな
儒教支配制度である科挙で育成された研究者でノーベル受賞者はいない 科挙合格もノーベル賞受賞にも無縁の知恵遅れが偉そうに優劣を論じようとする滑稽さよ >>79
水銀を不老不死の丹薬として処方する道教よりも儒教が格下ってのが笑えるw 清朝における科挙の廃止が1905年、ノーベル賞創設が1895年。
両者の歴史はほとんど一瞬しかかぶってないじゃないか。
しかも、初期のノーベル賞受賞者はほぼ欧米の白人に限られていて、
受賞相当とみなされていた日本人の業績もほぼ排除されている。 >>74
康有為は一夫多妻だった
当時の清では当たり前なんだけど >>86
まぁ、当時の日本でも中流以上が「妾を囲う」のはごく普通の情景ではあったが。 >>89
支那チョンのスレだぞ
支那チョンは寺子屋に支配されてたのか >>13
知的財産侵害しまくってるから、支那の科学技術は発展しない
さらに制裁強化されるともっと遅れてしまう
まずはトランプの要求を無条件で受けいれることからだ >>91
そういう認識は古いよ。
科学論文で中国系からの引用数は激増してる。 「貞観政要」という唐の太宗の言行録と、
「宗名臣言行録」という宋の時代の名言集が、
ちくま学芸文庫とか、光文社古典新訳文庫で見つかったので、注文した。
東洋哲学が四書五経のように愚かであるはずがない。
あれは、古代すぎるからダメなんだということであってほしい。 >>92
支那人が論文引用をかさ増しさせてるって指摘する学者がいるんだよ 大同書では人類の平和統一と男女平等が唱われる。
更に大同書は儒教書である上に康有為は孔子を尊崇してるのに家制度を廃止するとしている。
大同書のネタ元の礼記では人間が平等平和であった時代を大同とし君主と身分制度が出来た時代を小康とする。 >>93
そういうの読むより渋沢栄一の孔子や論語に関する本読んだ方が良いのではないか?
渋沢栄一は日本資本主義の父だし日本随一の儒教実践者の一人でもあった。 大同書では究極的には人間を害する動物を除く一切の動物への殺生も廃止される。
二十歳から四十歳まで労働しその後は神仙術を学んで長生きになる。
宗教は神を尊ぶキリスト教、イスラムは滅び霊魂学も滅ぶ。不老長寿を説く道教と不生不滅を説く仏教は残る。
地球から出て他の星に行く宇宙船が出来る。
不死で国土も政府も法律もなく精神的歓楽のみある極楽界になる。 >>100
なんか、SFの古典、アーサー・クラークの「幼年期の終り」を彷彿とさせるね。 儒教の経典「四書五経」をだいたい読んだのですが、あまりたいして感銘を受けることが書いてないので、中国思想はこの程度ではないはずだ、と思い、自分の好きなことばの一覧を書いていきます。
適当に書くので、ざっくばらんな記事になると思います。御了承ください。
自分がされて嫌なことは、他人にするな。
孔子「論語」
道(宇宙の法則)を知るものには徳(人の法則)はいらず、徳(人の法則)を知っているものには慈愛はいらず、慈愛のあるものには正義はいらず、正義であるものには礼はいらない。
道でもなく、徳でもなく、慈愛でもなく、正義でもないなら、礼をわきまえなければ世は治まらない。
「老子」
君主は発言する機会が少なく、みんなの意見もあまり聞いていられない。そこで、臣下たちは話のうまいもの(巧言をよくするもの)に自分の利益になるような話をさせ、脅したり、嘘をついたりして君主の権力を利用する。これを流行という。
「韓非子」
いにしえの賢者いうあり。疑問のことあれば庶民に問う。
「貞観政要」
士は己を知る者のために死す。
「貞観政要」
至誠にして動かざるは勇なきなり。
「近思録」
天知る、地知る、我知る、汝知る。
「菜根譚」 儒教が国教だった李氏朝鮮なんてウンコまみれで世界一不潔とイギリス人から言われるほど停滞してたからな。
日本が先進国入りしたのは西洋化したからだし儒教は社会を停滞させるだけだろう >>103
リークアンユーは東アジアの奇跡と言われた急速な東アジアの発展の原動力に儒教はなってると述べてる。 日本資本主義の父渋沢栄一も日本の資本主義の基礎に儒教を置いてる。 悪魔教の
「食べないのにコロしてはいけない」という教えは
人間の都合の良い解釈がされて
コロした後の食べるようになってしまった
食べたから良いだろ?と >>106
まず、儒教からは資本主義が出てこない。
資本主義があるから、その運用理念に儒教を応用しているだけ。
言い換えれば、和魂洋才方針での儒教の採用だろう。
なので、主従関係でいうと、洋才が主、和魂が従で、
儒教が主だと朝鮮のように停滞しかもたらさないだろう。 >>102
>士は己を知る者のために死す
それは「史記」
>至誠にして動かざるは勇なきなり
それは論語の「義を見てせざるは勇無きなり」と、孟子の「至誠にして動かざる者は、未だこれあらざるなり」が元ネタ
>天知る、地知る、我知る、汝知る
それは「後漢書」 >>108
そういうのじゃなくて「プロテスタンティズムの倫理」が資本主義を生み出したのと同じような論理が儒教と日本資本主義の間にも成り立つのではないかという事。 前スレでプロテスタントと儒教の共通点としてそのリゴリズム(厳格主義)が挙げられた。
ウェーバーはプロテスタントのリゴリスティックな禁欲主義がかえって資本主義を生んだと論じてる。 >>109
さすが、詳しい。訂正しておきます。
ありがとございます。 >>111
プロテスタントが科学と結びついて、科学を発展させ、禁欲主義が倹約となって、
(貨幣数量説+)倹約+科学技術の発展による機械制で、資本主義となる事はあっても、
儒教は倹約は生み出しても、機械制(、貨幣数量説)が出てこないから、資本主義は生まれないと思う。 >>113
プロテスタントが科学と結びつくのは初耳。
資本主義のエートスとなるというのはウェーバー以来ある論調だけど。 ウェーヴァ―って、政府が国民に節約を推奨していた時代に、消費をたくさんすることをすすめた人だよね。 >>13
朱子学で地球平面説を証明できないからノーベル賞受賞どころじゃない 弘法大師じゃないが儒教は仏教や道教に及ばない。
凡人がみてもそうだと思う。
キリスト教やイスラム教にも及ばないだろうな。
儒教なんてものは三大宗教にもヒンズー教にも届かない低級な思想に過ぎない。
近世以前で唯一政教分離を可能にするから為政者にウケてただけで現代では既に効能を失った過去の遺物。 >>121
確かに形而上学や世界観の壮大さという側面では仏教や道教の方が宏大。
ただ常識的な人間関係や社会関係の側面では儒教の方がより具体的で使いやすい。
宋学で仏教は確かに壮大だがその壮大な仏教者に一銭を渡してその使い方を問うと困ってしまうだろうと言う。 朝鮮の建国者達は、仏教国に辟易して、新味のある朱子学に活路を求めた。
確かに、朱子学は仏教より優れていた。行政能力は格段に上がっていった。
ところが、そのせいで近代思想を受け入れられない体質になってしまった。
そして、今も混迷している。
劣ってても、柔軟だった仏教国で近代思想を迎えていたら、どうだったんだろうか。 >>111
その場合は、「儒教」じゃなくて「朱子学」
禁欲を重視するのは朱子学の特徴
儒教には、そういう傾向がとくにない ノーベル賞に物凄いコンプがあるということはわかった >>71
教育勅語起草に関わった人は、「法治国家・立憲主義」の原則を重んじていた
儒教の徳治なんかよりも、法治のほうが文明国には重要だからね 朱子学者たちが易姓革命を主張して李成桂を担ぎだし、李氏朝鮮が樹立すると「儒教立国」を目指した
大陸では易姓革命が勃発すると前勢力を皆殺しにしようとする
これは李氏朝鮮も例外ではなかった >>123
>柔軟だった仏教国で近代思想を迎えていたら、どうだったんだろうか。
明治日本だね >>128
本来の儒教が立脚していた古代のシステムでは、
易姓革命後に先王朝の王族を皆殺しにするとその王朝の祖先祭祀が絶えるというのを非常に嫌っていた。
なぜなら、祀られない祖先神は現世に災いをもたらすと考えられていたから。
だから、本来の易姓革命に際しては先王朝の王族を新王朝が先王朝の祖先神の祭祀官吏に任命して
温存するという施策が行われていた。 江戸時代の仏教は幕府支配の片棒担いでいたからな
庶民には腹の底で恨まれてた訳だ
フランス革命でも修道院や聖堂が破壊されまくってた
人類に良く有る集団ヒステリーだ 儒教世界の族滅や社会主義体制のシステマチックな粛清に比べれば子供のいたずら程度のモノ >>133
江戸時代の会津藩で廃仏毀釈をやらかした >>128
儒教がモデルにした周では前王朝の殷を宋に封建して殷の祭祀を行わせ、前々王朝の夏の子孫を紀に封建して夏の祭祀を行わせた。
儒教を国教化した漢も周の子孫を取り立てその祭祀を行わせた。
易姓革命による前王朝皆殺しと儒教は無関係。
むしろ逆で前王朝の祭祀を絶やさないようにする。 >>133
朱子学の影響下にあった水戸学の発展した水戸では廃仏毀釈が横行した。
水戸学は維新の原動力にもなる。 儒教=朝鮮思想
実際にそうだからね
儒教を信奉してるなんて言う人がいたら
まず朝鮮人で間違いない 日中韓ともに支配者が儒教を捨てたらすぐに知識人の間でも廃れたよね
やはり儒教は支配者に統治のための道具として売り込んで下々に強制しないと生き残れない思想なんじゃないか? 「輪廻転生」を信じない人が原始仏典を読んでも、何も面白くないのと同じで
「鬼神」の存在を信じない人が朱子学をやっても、まったく面白みはないと思われる
そういう人でも、大昔の思想書を、人生訓として読むことはできる
ただし、面白くはあるまい >>137
宋の趙匡胤もそれをやった
それは、後周王朝の先祖の霊の祟りを鎮めるため
儒教とは本来そういう信仰であるということが、現代では忘れられている >>141
そうか?輪廻信じてないけどスッタ二パータ面白かったよ。 >>138
明治維新によって、
水戸家出身の徳川慶喜が朝敵になって官軍に降参したんだが ▼梅原猛(愛知県出身・京都在住の哲学者)
『近畿人は日本人全体からかけ離れて朝鮮人に近い。東大の埴原和郎先生は近畿人は日本人じゃないと言うんだ』
▼中上健次(和歌山県出身・作家)
『大阪はね、ほとんど韓国と一緒の土地だと思うんです。着るものとか街並みだとか、ものすごく韓国に似てますね』
▼国民百科事典(平凡社)
『近畿地方を中心とする関西地方の人々が、朝鮮人的要素を有することは注目に値する』
▼池田次郎(京都大学名誉教授・自然人類学)
『畿内人は韓国朝鮮人と同じグループに属し、日本人から最も離れている』
▼レヴィン(旧ソ連の人類学者)
『シベリア抑留者1万人を調査した結果、近畿人は朝鮮人とほぼ同じだが、東西へ向かうに従い日本人となっていく』
▼岩本光雄(京都大学名誉教授・霊長学)
『畿内人と大陸人、とりわけ朝鮮人は人種的につながっている』
▼埴原和郎(東京大学名誉教授・自然人類学)
『近畿人、特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近く、日本人からは外れている』
▼関晃(東北大学名誉教授・熊本県出身)
『帰化人たちは、ほとんど全部が大阪京都奈良に根を下ろしたといってよい』
▼松村博文(札幌医科大学准教授・解剖学)
『畿内人は一番胴長短足の人たちなのです。朝鮮半島の人々も畿内人と同じようだとわかりました』
▼欠田早苗(兵庫医科大学名誉教授・解剖学)
『大阪を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い』
▼ハシゲ徹(大阪民國総統)
『大阪の人たちは韓国人と非常によく似ている』
▼網野善彦(山梨県出身・歴史学者)
『以前サントリーの会長が東北には未開なクマソが住んでると言って問題になりましたが、あれは関西人の発想です』
▼ローラ(東京都出身・モデル)
『アニョハセヨは関西弁』
▼ユン・サンヒョン(南朝鮮出身・俳優)
『大阪は人の感じがなんとなく韓国人に近いようで親近感を持ちます』 >>66
朱子学者は「明と朝鮮の連合軍で日本を占領して欲しい」って言ってたよ >>138 >>144
幕末の水戸家では天狗党と書生党の内戦が起きて新時代を担うはずだった
人材を大勢失ってしまったんだが。 朱子学はキリスト教とくにプロテスタンティズムに遠く及ばない。
その証拠にプロテスタント諸国の人々の方が中国や韓国の人々より豊かな生活をしている。
儒教の価値観では国民の豊かさは徳の繁栄と説く。
儒教を信奉すればするほどこれも儒教の徳の低さ故という事となり、儒教のレベルの低さを肯定せざるを得なくなる。 >>150
プロテスタントが資本主義を生んだと言ったウェーバーすらプロテスタントは窮屈で嫌いだと言ってたけどね。
資本主義を生んだ原理主義的プロテスタントのカルバン派はまず唯一絶対の人格神を信じる。
朱子学は唯一絶対神は信じず太極を究極とする理と気から世界が成り立つと信じる。
カルバン派は終末における神の審判を信じる。
朱子学はそういう形の絶対神は信じない。
カルバン派は死後の天国と地獄を信じる。
朱子学は人が死ぬと気が散じるとする。
カルバン派は職業聖召観という職業における天命思想を持つ。
朱子学はそれぞれの分に応じるとする。
カルバン派は救済される者は予め神の意思で決まってるとする救霊予定説を唱える。
朱子学はそういう観念はない。 >>150
天国と地獄信じてるキリスト教より理に応じた気の運動により生死が決まるとしてた朱子学の方が合理性では勝ってる。 >>133
明治政府は、全宗派に肉食の自由と結婚の自由を許可する布告を出して、僧侶の基本的人権を尊重した 新井白石は、宣教師シドッチと対話した結果、「西洋の科学は優れているが、キリスト教の教義は荒唐無稽である」という感想を延べた 19世紀以降の西洋から世界に広がった
世俗的ヒューマニズムと世俗主義によって
儒教は不要となりました 19世紀以降の西洋から世界に広がった
世俗的ヒューマニズムと民主主義によって
儒教は不要となりました >>152
地球が丸くないってことを、合理的に説明できる朱子学者はいないと思うけどなw
朱子学者の知能は小学生にも負けてんじゃね? 「支那が古来、幾多の革命を経たにもかかわらず、その文明の上になんら新しい要素を加えてこなかったのは、孔子の儒教を万古不易の道と誤認して、宗教的偏執ともいえるものを抱き、それにのみ拘泥して他を排斥してきたからである。」 >>105
ハナクソみたいな小国で独裁者やってること自体が恥ずかしいし、
独裁の動機付けが儒教にあるなら、そんな有害なものを褒めちぎってるヤツもキチガイと言える >>159
だが福沢の基礎にあったのは儒教教養で福沢の愛読書は儒教聖典の春秋左氏伝だった。 科挙合格者のノーベル賞の有無とか地球の形についての見解とか
前近代の思想ならそんなもんだろって部分を執拗に叩いてることこそ小学生並みなんだよなあ 中国の科学論文シェア急上昇 米国と「2強」に 日本は急落、3位が2領域だけ
2015〜17年の質の高い科学論文の国別シェアで、中国が理工系の151研究領域のうち71領域で首位を
占めていることが、国立研究開発法人「科学技術振興機構」(JST)の分析で分かった。残りの80領域は
米国が首位で、最先端の科学研究で米中両国の2強体制が鮮明になった。一方、日本は上位5位以内の
研究領域の数が約20年前に比べ激減しており、相対的に研究力が低下している現状が浮き彫りになった。
view-source:https://cdn.mainichi.jp/vol1/2019/05/06/20190506k0000m040009000p/8.jpg
論文は他の論文に引用される回数が多いほど注目度が高く、優れているとされる。JSTはオランダの学術出版
大手エルゼビアの論文データベースを使い、引用回数が3年間の平均で上位10%に入る論文群を分析。
対象は臨床医学を除く理工系の151領域で、内訳は、生命科学(領域数46)▽工学・化学・材料(同39)
▽コンピューター科学・数学(同26)▽物理・エネルギー・環境(同40)。
中国が首位なのは、工学や材料科学、計算機科学の基礎となる数学などの分野に多かった。中国は
約20年前(1995〜97年)には上位5位以内に入るのは2領域のみだったが、約10年前(2005〜07年)は
103に急増、最近(15〜17年)は146とほぼ全領域を占めるまでになった。
米国は中国に抜かれた領域も多い半面、生命科学分野の大半などで首位を堅持。約20年前から一貫して
全領域で上位5位以内に入っており、トップレベルの研究力を維持している。
一方、日本は約20年前は83領域で5位以内だったが、最近は18領域に減少。「がん研究」と洗剤や医薬品などに
幅広く応用される「コロイド・表面化学」の3位が最高だった。従来、日本が強いとされてきた化学や材料科学でも
徐々に上位論文の割合が減少していた。
JSTの伊藤裕子特任研究員は「2領域での3位が最高という日本の現状には驚いた。質の高い論文の本数が
この20年で世界的に増加する中で、日本の研究力が世界の伸びに追いついていない可能性もある」と指摘する。
https://mainichi.jp/articles/20190505/k00/00m/040/238000c 日本会議の安倍チョンが儒教を推進した結果、日本も衰退しているな ■■日本が併合して廃止してやるまでの李氏朝鮮時代(500年間)の朝鮮半島身分制度
@国王
A両班
B中人
C常人
D賤民(非自由民)奴隷
E白丁(不可触民)
人口比では、@〜Cは少数で 大部分はDEだった。
一番下の白丁(ペッチョン/ペクチョン)
http://imgur.com/4skzUWn.jpg
http://imgur.com/ZanAvI6.jpg
その身分は家畜より下で、人間ではない穢れた生き物とされていた。
掟を1つでも破ると簡単に殺されて捨てられた。
これが、「朝鮮儒教」 に基づいた朝鮮半島の身分制度。
「朝鮮儒教」とは「底なしに鬼畜外道でグロテスクな サディズム」を基にしたオゾマシイ世界観
■朝鮮儒教 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E5%84%92%E6%95%99 梅棹教授の生態史観から見るとロシア・中国・イスラム・インドは非文明国である。
ロシア(野蛮・サヴィジ)、中国(無知・イグノランス)、イスラム(狂信者・ファナティック)、
インド(混沌・カオス)、四大悪魔と言ってもいいだろう。共通点は嘘つきということである。
フランシス・フクヤマの「信なくば立たず」では西欧と日本だけが高信頼社会であり
それ以外は全て低信頼社会である。社会に信用がないのは暴力が最終的に決める社会なのだ
低信頼社会とは嘘つきの社会である。中国人や韓国人を我々は嘘つきと嫌うが彼等だけではない
第二文明圏(生態史観)、低信頼社会のインド人もアラブ人もロシア人も皆嘘つきの非文明世界の人間なのだ
我々は非文明人とは絶対に理解しあえないのだ。ハンチントンも日本と特亜を別文明としている。
有色人種で第一文明であり高信頼社会の文明国は日本だけなのだ。
朝鮮人とは嘘と欺瞞の成分で誕生した種であり魂がない、人間とはおよそ言えない連中なのだ。 結局、ここ最近の儒教バッシングって、古くからの例えば司馬遼太郎らによる
朱子学系官学の批判の系統じゃなくって、ケント・ギルバートによる
儒教バッシングキャンペーンに煽られたものだろ。
でもな、若い連中は知らないかもしれないけど、ケント・ギルバートって
そもそもの日本に来たきっかけってのが、モルモン教の宣教師だからな。
キリスト教系の少々特殊なカルト的教派の宣教師に煽られての東洋思想バッシングって、
如何なものなのかと俺などは思ってしまうのだが。 >>172
それは自分もそう思う。
アメリカ古代の預言者が残したモルモン経典という設定から怪しい。
教祖のスミスは50人以上の妻がいて最後殺された。
アメリカ連邦軍とモルモンコミュニティは戦争までやってなかった? >>173
モルモン教は、系譜としては米国のプロテスタントコミュニティのある種の思想系譜を
先鋭化させたものではあるんだな。
米国のプロテスタントって、欧州大陸のプロテスタントコミュニティの中で思想を先鋭化させすぎて
穏健派プロテスタントから追い出されたというグループが多くて、そういうグループは自分たちの
信仰史上の位置づけを、エジプトからシナイ半島の砂漠へ、さらにはカナンの地へと移住した古代ヘブライ人
と相同な存在、という信仰思想を発達させたんだな。つまり、ヘブライ人にとってカナン(パレスチナ)の地が
神に約束された「約束の地」であるのと同じで、新大陸は「真の純粋なプロテスタント思想」を持つ信仰集団
にとっての神に約束された「約束の地」であるに違いない、という思想。
それをベースに、古代イスラエルの「失われた支族」が古代に約束の地として神に導かれるままに新大陸に来ていて、
そこが新たなプロテスタント信仰者のための「約束の地」になるという予言のタブレットが遺された、という
「神話」に発展させたのがモルモン教。 ちなみに、モルモン教の信者の信仰の純粋なひたむきさとそれと対照的な
教団幹部のカルト的支配、そこから生まれてくる悲劇とその後の復讐譚を
鮮やかに描いたのが、コナン・ドイルのシャーロックホームズシリーズの
名作長編「緋色の研究」だったりする。 儒教バッシングしてる連中があまり儒教について詳しくないようなのはどうかと思う
どういう内容なのか知らないものを叩くって論理的欠陥があるだろ >>172
商売右翼の煽動を真に受ける知能しかないから受け売りしか書き込めないんだよな 儒教より儒教批判してるケント ギルバートの信仰するモルモン教の方が余程非合理的でカルトでかつ胡散臭いけどね。
キリスト教主流派はモルモンは統一教会やエホバと並ぶ三大異端とする。 >>178
その福沢諭吉ってのが、けっこうやべぇ人格だけどな。
少年時代に、周囲の大人が熱心に参拝している神社に忍び込んで、ご神体を見てみたら
石が祀ってあった。それを取り出して遠くに投げ捨てて、そこら辺で拾った石に替えといたら、
相変わらず周囲の大人が熱心に参拝しているので、陰で大笑いしてあざけっていた。
そんな少年時代の悪事をいい歳した爺さんになってからも悪びれもせずに新聞記者に語って聞かせて
再び大笑いしてみせている。
曰く「少年時代からひらけた頭でした」だと。
それが福沢諭吉って男だ。
嘘だと思うなら、「福翁自伝」読んでごらん。
俺は中学生の時に読んで吐き気がしたわ。 >>180
福沢諭吉って二枚舌だしね。
「天は人の上に人を作らず。人の下に人を作らず」と人間平等の思想を口で言いながら自分の娘の婿になる者は士族以上の家柄じゃないとダメと言ってた。 >>181
そうだな、「学問のあるなし」だけが真に人の上下を決めるっていってるわけだから、
学問に長けていれば百姓でも商人でもいいはずじゃないか。
そういえば、「門閥制度」の悪口を言っていながら、彼の出身門閥である中津藩の勘定方の
人脈は最大限利用していたみたいだしな。 >>179
文明国の日本では、
儒教かモルモン教かの、最悪な二者択一を迫られることはまずないから、どの信仰にも従う必要はない 儒教はモルモン教より優れてるニダ
だから儒教だけを信仰しる >>181
当時、福沢諭吉の求める学力の持ち主は士族以上しかいなかったんでは? 儒教の理想を追うと官僚主義的中央集権制と固定的身分制の正当化を生んでしまうからなぁ
もろ今の中共の政治体制ですがな
ありゃ共産主義をかかげる変形儒教主義でっせ
あんなもんが理想とは何とも不思議なお人やなぁ >>185
北里柴三郎とかあの時代、豪農出身の優秀な学者は普通にいるし、
そのレベルの豪農層は中級クラスの士分の家と普通に通婚している。
それに、豪農層や豪商層の子弟は普通に士族と同レベルのかなり高い教育を受けている。 町人の学者も江戸時代からいるしね
本居宣長も鈴屋さんなのは有名な話 >>186
中共の発展を見るに、下手な衆愚制よりもかの体制こそ人類の理想なのでは? >>181
家庭内と社会制度とで違うことを言ってたとしてもさほど問題ないと思うわ
結婚相手の出自について家族同士で意見を言い合うのは今でも普通にあることだぞ
出自を理由にして役所が結婚届けを不受理にしたりとかなら問題だろうけど 民主制と独裁制どちらが良いか?
儒教批判は結局ここに帰結する
福沢諭吉翁の儒教批判は正しい
何度も繰り返し論じられてきた話であり
指導者が常に優秀であるのなら「独裁主義」
でも良いのだろう。
しかしそれはあり得ない仮定なので
結局は「民主主義」の方が良い。
明治の志士たちが江戸幕府の門閥制を倒し
血を流して儒教政治の悪夢を潰した事を
忘れてはいけない。
脱亜論の亜はアジアというよりも儒教の事だ。 >>189
中共は、一人当たりGDPだと日本の三分の一以下だぞ。
発展と呼べるのか。 >>192
自分の頭で考えられる欧米市民なら民主制が向いてるだろうが
主体性のない奴隷だらけのアジア人には独裁制が向いているということだろう >>166
>地球の形についての見解とか
>前近代の思想ならそんなもんだろ
地球球体を否定した馬鹿な朱子学者が生まれてくる前に、
織田信長って人物が日本にいたんだよ
簡単な話だからちゃんと覚えとけな >>194
これまではね。でも、今後は懐疑的に見ているよ。 このスレの儒教信者って中共が理想だったんだな→>>189
想像通りだったけどw シンガポールみたいな退出の自由のある独裁が最強じゃないかと思う >>105 >>200
シンガポールはノーベルゼロ >>199
日本の偽民主主義よりは明らかに機能してるからな
特に平成以降の成長率 >>192
トップが個人なら無能が独裁して終わる可能性も高いが
選抜による集団独裁体制(寡頭制)なら下手なアジアン民主主義より明らかに有能やろ >>202
知財赤字ワースト2のパクリ愚民国家の中共なんか絶賛してる>>189が馬鹿なんだよ >>204
急速に愚民国家に成り下がりつつある日本も中共と同じ体制を取り入れるべきでは? >>205
先進国が、愚民国家の中共と同じ独裁体制を取り入れるなんて狂気の沙汰だな >>189
じゃあ日本語使うな北京語だけで生活してみろ >>205
>日本も中共と同じ体制を取り入れるべき
って主張してる候補者に投票するか、おまえ自身が立候補するかしろよ
選挙権があるんだったらなw >>206
30年停滞してる国の体制を盲信する無能かな? >>211
もちろん選挙権はあるが
なんでいきなり人格攻撃に走ったの? >>209
30年以上知財赤字のパクリ国を盲信しちゃけないよね 急速に発達する中国
急速に衰退する日本
>>167 >>212
選挙しないと、>日本も中共と同じ体制を取り入れる
ことは出来ないだろアホ 反儒教キチのような低知能の人間に選挙権は与えるべきではないよ
むしろ中国のように科挙を取り入れ、合格者のみに国政を委ねた方が発展するだろ >>216
体制の優劣を選挙で決めたらいいだろ
>日本も中共と同じ体制を取り入れるべき
って主張してる候補者に投票するか、 >>205自身が立候補するかしろよ >>219
だから
>日本も中共と同じ体制を取り入れる
方法を>>205に教えてやってんじゃん
>日本も中共と同じ体制を取り入れる
って主張してる候補者に投票するか、 >>205自身が立候補すればいいじゃん出来ねえの? >>220
おう、選挙で投票またら立候補するわ!
これで満足か?笑 停滞しかしてない平成日本の衆愚民主主義に比べたら発展著しい中共の政治体制が優れてるのは明らかだからな >>221
おまえ日本語が苦手そうだなw
本当に選挙権あるんかあ? >>224
それでどこの選挙区から立候補するんだ?
政党の名前とかも有権者にちゃんと説明してくれよ 中国集団指導体制>>>(超えられない壁)>>>平成日本の衆愚政 >>226 >>224
お前の名前と経歴と連絡先も有権者に説明しろよ選挙に出るんだから当然だよなw >>228
おう、選挙になったときに公表されっからよろしくな! 反儒教君はもともと選挙権ないでしょ
小中学生なんだからw >>229 >>226 >>224
今ここで言えばいいじゃん?
選挙で優劣を決めれる自身があるんだろw >日本も中共と同じ体制を取り入れる
って公約で立候補する>>205は名前と経歴と連絡先を有権者に説明しろよ
選挙に出るんだから当然だよなw >>232
選挙の時に公表するから問題ないよ!
ありがとな! >>234
何で今ここで公表できねーんだよ?
>日本も中共と同じ体制を取り入れる
って公約を公表して>>205
立候補宣言>>224までしてるのにさ 儒教の無条件否定派と中国礼賛派の論争程見ていてむなしいものはあまりないな ネトウヨは本来中国や北朝鮮のような体制が好みなんだが? >>237
今ここで公表したほうが手っ取り早いじゃん?
>日本も中共と同じ体制を取り入れる
って公約を公表して>>205
立候補宣言>>224までしてるのにさ >>239
5ちゃんで公表しないで記者会見で公表するわw
じゃーな! >>237
もう既に5ちゃんで
>日本も中共と同じ体制を取り入れる
って公約を公表して>>205
立候補宣言>>224までしてるだろ
名前と経歴と連絡先だって有権者に公表できるはずじゃん? >>240
もう既に5ちゃんで
>日本も中共と同じ体制を取り入れる
って公約を公表して>>205
立候補宣言>>224までしてるだろ
名前と経歴と連絡先だって有権者に公表できるはずじゃん? >>186
儒教の人格高潔な士大夫による統治の理想(ほぼプラトンの哲人政治)と現実に行われた受験エリート科挙官僚制度は別物。
更に共産党特有の民主集中制から生まれる党官僚制度は更に別物。
共産党官僚制度は中国儒教伝統より中共がモデルにしたソ連共産党官僚制がルーツ。 どんなに強弁したところで儒教に民主主義はありません。
19世紀の西洋で生み出された世俗的ヒューマニズムによって朱子学は完全にその効用を失っています。
明治維新を無条件に肯定する訳では無いけれども、薩長の人達は儒教よりも西洋思想が優れていると即座に見抜いており、やはり彼らは偉大であったと思いますね >>243
高麗末期の少数の革命派士大夫たちによって朝鮮王朝が樹立された
そしてチョン半島はこの後、暗黒時代が500年ずっと続くのである >儒教の人格高潔な士大夫による統治の理想(ほぼプラトンの哲人政治)
まあジョンレノンのイマジンの歌詞と同じようなものだな
真に受けるやつは知障
でも曲は好きだよ
そういうこと 古を慕って、少しも自己の工夫を交えず、いわゆる精神の奴隷となって、今の世にいて、古人の支配を受けるのは、儒学の罪と云ふべきなり >>245
誰も儒教に民主主義があるとは言ってない。
あるのは孟子の民本主義だ。 >>245
いまのご時世、民主主義にそれほど価値があるかね? 法治国家は民主制でしかありえない。党が法より上の体制で法治は無理。
当然民主国家でない国は法治国家でない国であり文明国とは認めない。
先進国は表だって言わないが本音はそう思っている。 >>254
それはない。
大正時代吉野作造がデモクラシーの訳として孟子の民本主義を持ってきた。
儒教最後の華というべき公羊学派の康有為も礼記の大同思想を持ち出して民主主義が儒教の目的と論じてる。 そもそも人格高潔な士による徳治が
社会を繁栄に導くという理論に根拠なし
為政者の人格と実体経済の動きに
相関性がある理由が分からない
社会の豊かさは為政者の人格云々より
景気変動や社会システムの影響が大きい
儒教の徳治主義は宗教に近い
そもそも人格高潔な人物ほど世俗に疎い
カネ集めの徳のある人間が政治をやるべきだ
というのならアメリカ的政治体制が最良と
いう結論になる >>257
「民本主義」はもともと「普通選挙」を請願するために活動してた日本人らが作った言葉である
そしてその日本人は吉野作造じゃない >>257
儒教徒の言う民主、民本主義ってアリの社会と同じだから
先進国の民主思想とは異なる 儒教の教えに「民選議会」とか「普通選挙」とか「政党内閣」なんて一切ないからな
儒教は民主主義と敵対しやすい >>258
ケインズのハーベイロードの前提知らない?
ハーベイロード界隈にいるような自由な知識人である賢人が経済政策を決定するというもの。 儒教の「徳治」政治というのは立憲政治の否定になる
立憲君主は「法治」が基本なのだから >>263
近代思想と封建時代の思想を同じ土俵に並べてもナンセンスだろ。 >>262
ハーベイロードの前提などは
反民主主義のススメに近い
現代に受け入れられるものではない
そもそもケインズ経済学は
時代おくれ >>264
つまり儒教の「徳治」政治は近現代の民主主義には通用しないんだよ 中国歴代王朝は徳治と法治を折衷して天下を治めてきたんだが。
法治のみで失敗した秦朝と徳治のみを目指し失敗した新朝の教訓があるから。
中国=儒教というのは浅い。 >>255
先進民主主義国家は植民地への独裁による搾取で成り立っていた。
いまの時代、すべての人間に民主主義を与えたらとんでもないことになる。 中国の文明が偉大であった事は認めるのだが宋学から完全にダメになったと思うね >>268
先進国民主主義国の日本は植民地?から搾取なんてしてないけど >>265
ケインズ経済学が時代遅れというのは時代遅れ!
ハイエクだのフリードマンだのが時代遅れなんだよ今や。
マンキュー当たりのニューケインジアンが今の主流じゃない? >>271
儒教の「徳治」政治なんて近現代では時代遅れだよな >>271
新自由主義に対するアンチとして
ニューケインジアンが注目されてはいる
ハーベイロードの前提はケインズ個人
の思想に近くニューケインジアンには
ほぼ無視されている
どうも儒教擁護派は賢人政治が好きな
ようだが共産党員か何かなのだろうか?
儒教信奉者が中共を擁護しているのは
あの体制が変形儒教主義であるという
傍証の一つであろう >>266
誰も近代民主主義に変えて封建時代の儒教政治原理を採用しろと言ってないだろ。 儒教は徳治というけども歴代の中国の天子が積徳に努めた話を聞いた事がないな
布施をすれば無駄遣いの皇帝といわれるし仏を礼拝したというと国を滅ぼす原因を作ったと誹謗されるし
明史では仏を礼拝しただけで亡国の天子扱いだもんね >>274
そうだね
儒教の「徳治」政治は近現代の民主主義と敵対するから採用しちゃいけないよな >>273
金融における中央銀行の支配はハーベイロードの前提に近いと思うがな!
誰も賢人政治なんか支持してないよ。
ポパーとかが可謬性について論及してるが賢人などと言うのは幻想で誰もが可謬性を持ってると思うよ。
儒教信奉者でも中共養護者でもない。
中共は旧ソ連共産党の系譜で儒教と直接の関係はない。
むしろ昔は儒教を徹底弾圧した側。 日本人は仏教徒も神道教徒もキリスト教徒もみな朱子学嫌いだから陽明学じゃないと無理だと思う
つーか日本人は基本的に儒教嫌い >>278
それはない!
ご先祖様がどうとか誠意が大事とかそれと知らずに儒教道徳を振りかざす日本人は多い。 >>274
言ってるヤツがいたw→>>217
「むしろ中国のように科挙を取り入れ、合格者のみに国政を委ねた方が発展するだろ」 >つーか日本人は基本的に儒教嫌い
それは言えてるw
神社仏閣に参拝する日本人の数と比べて、
孔子廟に参拝する日本人は圧倒的に少ない >>280
具体的になにが問題なのか?
民主主義は尊いから尊いなどというのは自己言及であり、論理ではない >>280
読み落としてたがそんなのいたんだ!
現代日本は選挙による代表民主制と科挙のような試験合格者官僚制との組み合わせだけどね。
官僚制の弊害が言われて久しいが官僚叩きしたら優秀な学生が皆民間に流れて官僚の人材劣化が進んでるらしい。 >>281
というか孔子廟そのものが少ない。
加地伸行によると日本仏教は八割方先祖祭祀の儒教で位牌も儒教起源。
つまり中国で儒教が組み込まれた八割儒教の仏教を日本は導入したから宗教としての儒教はそう必要じゃなかった。 >>217
>>282
>>283
科挙制度があった清国は、科挙制度がなかった日本や欧米を相手に連戦連敗してんじゃん 同じ新自由主義でも中央銀行を認めるフリードマンと中央銀行を認めず貨幣の発券自由を唱えるハイエクとは大きな違いがある。
どちらも嫌いだが。 >>284
孔子像を置いてる寺よりも、仏像を置いてる寺のほうが圧倒的に多いだろ >>285
試験官僚制は日本でも欧米でもあっただろ。 >>288
日本や欧米の試験は、支那王朝の科挙と違って朱子学だらけの出題科目に偏ってない
もちろん青竜刀の演舞とかもない >>287
孔子は正確には儒教の開祖ではないよ。
ユダヤ教のモーセみたいな役割。
それはともかく葬儀の時の主役は仏像ではなく儒教由来の位牌である事を加地伸行は指摘してる。 >>289
科挙が始まったのは隋代だが朱子学が科挙科目になったのは明代から。 ルイ絶対王政が中国の科挙の影響で高等文官試験を行うようになったって知らないやついるの?
>>283
叩きが原因じゃないよ
官僚はそんな楽なもんじゃないということが知られてきているし、
学生がゆとり化で優秀ではなくなってきている事が何より大きい >>290
堯舜や文王武王の像を置いてる寺よりも、阿修羅像や観音像を置いてる寺のほうが多いだろ >>290
最近は葬儀離れが進んでるから、儒教が毛嫌いされてるってことになるね >>291
明国以降の清国も朱子学を科挙科目にしてるだろ
>>217
その科挙制度があった清国は、科挙制度がなかった日本や欧米を相手に連戦連敗 >>294
毛嫌いっていうと意識してることになるがそもそも毛嫌いするほど儒教を意識する事あるのか? >>295
科挙モデルの試験官僚制導入以降の話だろ。 >>297
意識せずとも自然に拒絶されてるなら、儒教の不人気は不動のものとなっちゃうぞ >>298
だから、どの時代も日本や欧米の試験は、支那王朝の科挙と違って朱子学だらけの出題科目に偏ってない
もちろん青竜刀の演舞とかもない
>>217
朱子学に偏った科挙制度があった清国は、科挙制度がなかった日本や欧米を相手に連戦連敗 >>299
意識せずに誠意は大事とか思ってないか?
誠意というのは儒教特に朱子学の重要な徳目。
信なくば立たずとかおのれの欲せざるところ人に施すなかれとか論語や儒教経典の言葉に何気に共感したりしないか! >>296
儒教の聖人の像より、インドの神仏の像が日本人には人気があるだろが
お前これについて反論できてないだろ >>301
経典とかにあるような格言なんていかようにも解釈できるから、そんな言葉にいちいち束縛されないようにしてるわ
こっちの事情をちゃんと知っている人間の助言のほうがより重要
それで葬儀離れしてるってことは儒教離れってことだよな? 位牌は確かに中国的形式だけども祖先の供養はタイだろうがチベットだろうが普通にやる だいたい、古代ギリシア哲学をそのまま現代に適用しようとするやつはキチガイとしか
思えんが、それでもその中に普遍的価値のある要素がある事は広く認められているだろ。
儒教哲学もそれと同じだよ。古代ギリシアと同時代の古代中国の社会と現代社会は
著しく異なるので、そのまま適用なんてできるわけない。でも、普遍的価値のある
要素はくみ取れる。 >>308
儒教の「徳治」政治は民主主義先進国には受け入れられないから普遍的じゃないよな >>310
葬儀離れしてるって言われてるだろ
現実見ろよ >>309
やたら民主主義を絶対視してるが
直接民主主義の聖地であるアテナイでは政治家だけでなく将軍すらも公選とした結果
人気取りのデマゴーゴスが無茶苦茶な政治と戦争を引き起こして衰退したという故事を知らないのかな 先祖祭祀はアフリカにもある
日本では大昔から古墳作ってやっていた
先祖を祀って子孫の現世の繁栄を祈願したんだ
古墳時代の終わりは欽明朝から推古朝の時代
だんだんと古墳は小さくなり古墳の文化は廃れて行った
この時代に日本人の先祖祭祀の宗教意識が変わったんだね
巨大古墳を作って先祖を祀る思想から大寺院を建立して先祖の極楽往生と子孫の現世安穏を祈るようになった
その大変革の記念碑というべき存在が大阪天王寺の大伽藍
この時代に物部氏が滅んで仏教が国教になった >>312
先進国の民主主義は近現代の民主主義のことだぞ >>314
現代の民主主義と昔の儒教を比較するアホ >>316
現代の民主主義を否定して昔の科挙を取り入れたがるキチガイ→>>217 >>317
現代の民主主義は選抜官僚がないと回らないんだよなあ >>313
現代の民主主義と古代の民主主義が区別できないアホ >>318
現代の先進国の官僚は朱子学に偏った科挙の合格者じゃないんだよなあ 現代の民主主義は科挙の要素があるという常識すらないから浅いんだよね ■駐日フランス大使とドイツ大使が…中国と韓国は文明国ではない■
実は昨年、神奈川大学でエリゼ条約(独仏協力条約)50周年記念講演会を開催し、
ドイツとフランスの駐日大使にそろって来ていただきました。
エリゼ条約というのは1963年に結ばれた条約で、
独仏はこれから仲よくしていこうというものです。
その講演会で、ある学生が質問をしました。独仏は建国以来戦争ばかりしてきたけれど、
仲よくなった。同じように、日本と中国・韓国は仲よくなるでしょうかと。
それに対して、2人の大使が何と答えたか。これは非常に重要な発言ですが、仏大使は、
日本の事例は独仏の事例とは「まったく違う」と言ったんです。
どういうことかというと、ドイツとフランスはともに自由主義の文明国であるが、
中国と韓国はそうではないと。中国は共産党一党独裁国家であり自由主義国ではない。
韓国は自由主義だといっても、文明国ではないと。それが独仏大使の認識です。
ttp://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39830?page=3 エマニュエル・トッドは家族構造の研究を通じて、日本が非常にヨーロッパ的であり、
特にドイツやスウェーデンに近いことを見出し、日本特殊論を否定した
トッドは頻繁に日本に言及するが、
それは日本がヨーロッパと同類であるという確信に基づいている。
中国や韓国が言及されことはない。
白人知識人からは彼等は正真正銘のアジア人と認識されている。
欧州との連携を深め、北東アジアは捨てるべき 。彼等は帰るべきなのだアジアへ
我々文明人と特亜の人達は違うのだ。これは差別ではなく違いを認めることなのだ
別々に隔離されて生きることがお互いの幸せにつながるだろう。 梅棹教授の生態史観から見るとロシア・中国・イスラム・インドは非文明国である。
ロシア(野蛮・サヴィジ)、中国(無知・イグノランス)、イスラム(狂信者・ファナティック)、
インド(混沌・カオス)、四大悪魔と言ってもいいだろう。共通点は嘘つきということである。
フランシス・フクヤマの「信なくば立たず」では西欧と日本だけが高信頼社会であり
それ以外は全て低信頼社会である。社会に信用がないのは暴力が最終的に決める社会なのだ
低信頼社会とは嘘つきの社会である。中国人や韓国人を我々は嘘つきと嫌うが彼等だけではない
第二文明圏(生態史観)、低信頼社会のインド人もアラブ人もロシア人も皆嘘つきの非文明世界の人間なのだ
我々は非文明人とは絶対に理解しあえないのだ。ハンチントンも日本と特亜を別文明としている。
有色人種で第一文明であり高信頼社会の文明国は日本だけなのだ >>325
アジア土人の支那チョンは、朱子学に支配されてたくせに、今はウリスト教やマルクスレーニン主義に支配されてしまったな >>323
何言ってんだ?
鏡みてみろや!
平たい顔のアジア人が写ってるから。 >>324
未だに失脚して死んだハンチントンなんか信じてるバカいるんだw
フクヤマとか「歴史の終わり」での予言外れまくったやんかw >>323
因みにトッドは鳩山由紀夫の愛読書らしい。
トッド読んでるから君は鳩山由紀夫のように賢いのか? ハンチントンやらフクヤマやら、果てはケント・ギルバート
白人の言うことを真に受けて受け売り書き込みして恥ずかしくないか? アジア文明という変な価値観に支配されている人がいるけども凄い迷惑。
戦前の軍人はそれで日本を滅茶苦茶にした。
勝手に日本を儒教文明と決めつけて西洋諸国との文明の対決に持ち込んでしまった。
そう牟田口のような連中の事ですよ。
仏教も神道も儒教とは関係ありませんし >>335
加地伸行の指摘を待つまでもなく中国以東の仏教は儒教影響下で神道も皇学館は儒教神道系。関係ないとは勉強不足。 >>335
儒教文明というより法華経主義者の石原莞爾の「東西最終戦論」の影響も強い。
東洋王道、西洋覇道とか。
後インド哲学やっててアジア解放に目覚めた大川周明も。 >>335
日本に儒教が関係ないなら、なぜ明治政府は教育勅語を作ったのかね このスレの儒教信者は反民主主義で
親共産主義でアジア主義者なのか
戦前の日本の病巣ともいうべき
右翼の皮をかぶった左翼の事じゃないか
間違いなく大アジア主義の連中は
大日本帝国の獅子身中の虫だった >>335
戦前の軍人はむしろ過激法華経主義の思想でおかしくなったのが多いような気がするが。 >>340
ハア?
反民主主義でも親共産主義でもないが何の勘違いしてる!
何を以て右翼の皮をかぶった左翼という?
もし統制経済型の右翼を右翼の皮をかぶった左翼というならお門違い。
経済統制や社会保障政策型右翼はビスマルクが講壇社会主義者を採用して以来ファシズムの失敗まで右翼の主流の一つだった。
ハイエクが統制経済ほど左翼で市場経済ほど右翼という恣意的分類を行いサッチャーらがハイエク型政策を採用してから小さな政府右翼が一般的になっただけ。
今更サッチャー主義も古い。
安倍首相の祖父である岸信介は右派国家社会主義者だが私有財産の廃止まで言及してた。 >>336
皇学館が儒教なら「地球は丸くない」って教えてるの? >>346
欧米の大学における古典学習でギリシア哲学を講じていても、
別にそこで奴隷制度礼賛をしているわけないだろ。 >>347
なら皇学館でも儒教礼賛をしているわけじゃないだろ 皇学館は儒教神道である垂加神道系の大学で國學院は国学神道である復古神道系の大学と言われる。 朱子学者であった元田永浮の書いた教育勅語の復活言いながら儒教批判するバカウヨがいたな! >>332
因みに「地球は丸くなくてフラットだ」と強弁してたバカ儒学者は論語を愛読していたらしい なんか、最近米国のプロテスタント福音派の青年層に、
「聖書にそう書いてないから地球が丸いなんて信じないぞ」
って言いだしているのが増えてきているらしいな。 朱子学って本居宣長が嫌うところだったはず。
儒教が好きな人は中国に移住してください。
儒教は大和民族じゃなくて漢民族と朝鮮民族の思想です。
勝手に大和国を文明の対決の駒に使わないでください。 >>353
朱子学とカルト教って同類だったんだね
「地球が丸くない」とは >>354
本居宣長は朱子学の人工的で精緻な部分を「いとこちたき拵え事」と言って嫌った。
そして真心へ帰れと言った。
ただ詩経は人間の真心が表れてると高く評価した。
朱子学の人工的で精緻な部分を批判し童心を賞揚した李卓吾に本居宣長は似てるし中国の識者も共通点を指摘してる。 >>356
司馬遼太郎のエッセイからなんで、どこまで正確かはわからないんだが、
朝鮮半島の両班士大夫ってのは、朱子学の硬質な論理の世界に耽溺するあまり、
詩経を軟弱だとして嫌悪する傾向すらあったらしいね。
両班家庭の青年が熱心に詩経を読んでいたら、年長者にえらく叱られたって
エピソードをそのエッセイに書いてあった。 >>357
へぇ初めて知った。
勉強になりました。 本居宣長は古事記を史実だと信じていた訳だがだからといって国文学に置ける本居宣長の地位が揺らぐ訳ではない。
同じ事が地球球体説ではなかった朱子学にも言える。
なんだかんだそのなかに普遍性も含まれてる。 >>355
そんなのどこの宗教でも同じ
全ての宗教をカルト扱いし、儒教を目の敵にするということは、さては貴様毛沢東主義者か >>360
同じじゃないぞ
大航海時代より後に「地球が丸くない」なんて説いてるキチガイ宗教は少ないと思うぞ
因みに中共には孔子平和賞なんて非合理的な賞も存在するらしいよ 昔から「大航海時代」って過大評価されがちなんだけど、
確かにヨーロッパ勢は南北アメリカ大陸に対しては非常に強力なヘゲモニーを確立したんだが、
アジア世界に対してはその交易網の一端に食い込めただけで、
アジアに対する軍事的・文化的な存在感はまだまだ弱いものだったんだよな。 まぁ、キリスト教世界とイスラーム世界はその出発点からギリシア古典学芸に
接触していたために、最初から地球球体説を取り入れていたわけなんだが、
イスラームが盛んにアプローチをかけていたインドでヒンドゥー知識人が
地球球体説を本格的に受容するようになるのはいつからだったんだろうな。 下朝鮮はなんでソウルから遷都しないの?
支那と北に近すぎるだろ >>362
そうそう!
大航海時代以後もヨーロッパはオスマン帝国によるウィーン包囲のような侵略を17世紀まで受けてる。
ヨーロッパの優位は大体18世紀から。 >>366
江戸時代になってからも仏教が「地球がフラットだ」って説いてたのかよ? >>366
仏教は鉄囲山に世界は囲まれ須弥山を中心に四州に世界は別れるとする世界観。 >>267
支那と朝鮮の歴代王朝は立憲君主じゃないからな
立憲君主は徳治じゃ駄目 普通に考えたら、陸地は平面だと思うのが自然であり、古代人を責めるわけにいかない
地面の裏側にもうひとつの別の地面があり、そこでは人間が逆さまに歩いてるなんて、知ってるから当たり前と思うだけで、慣れてない人にとっては奇想天外な話だ
古代ギリシャのピタゴラスが天才すぎたのであり、他の文明が地球平面説だったのは仕方ない 前漢の天文学者は、エラトステネスと同じようなやり方で、影の長さから地球と太陽の距離を計算するほど優秀だったが、それでも地球平面説からは抜け出せなかった >>367
江戸時代はおろか幕末に至ってもそうだぞ。
地動説を認めず天動説を正とする坊さんの依頼で、田中久重が天動説をモチーフにした和時計、須弥山儀を作成している。 江戸末期、西洋の地動説が広まることにより、仏教の権威が失われることを誰よりも危惧したのは仏教界であった。
殊に天台宗の普門律師円通は『佛國歴象編』などを著し、仏教界の危機意識はあまりにも低いと憤慨し、仏法護持の信念を述べている。
円通の揺ぎない梵暦普及の精神は、彼の高弟である天竜寺の環中禅機、その孫弟子である萩の永照寺倶舎晃厳らによって引き継がれた。
環中らの高弟は嵯峨林泉寺に所蔵されていた円通の掛け軸をみて、師匠の信念を受け継ぎ、これを是非とも実際に動く模型にしたいと願望した。
そこで弘化年間の当時、からくり細工人としては本邦随一の名声を博していた「からくり儀右衛門」こと田中久重(東芝創立者)に製作を依頼したのである。弘化四年着工し、嘉永三年見事これを完成した。
https://www.ryukoku.ac.jp/about/pr/publications/63/05_treasure/index.htm それでも、林羅山の場合は別問題だ
なぜかというと、安土桃山時代の日本人はいち早く西洋伝来の地球儀を受け入れ、伊達政宗なんかは
「江戸よりも、仙台のほうが北米航路は近い」ということに気づいてメキシコとの通商交渉を始めたくらいだったのに、
次の江戸時代になって地球平面説に逆戻りしてしまったのは、林羅山の脳ミソが石でできてたのが原因 朝鮮人の学者に、「我が国の儒学は日本に大きな影響を与えたニダ、ホルホルホル」と自慢されるのも、林羅山が原因だ(笑)
実際のところ、江戸時代の有名な儒者の中で、朝鮮人の儒者から本当に強い影響を受けてたのは、林羅山と師匠の藤原星窩くらいのものだろう 宇宙に上下が無いように中心もないから天動説も地動説もどちらも成り立つんだけどね
人間中心主義だと地動説、物理中心主義だと天動説
別にどちらかが間違ってるわけでもない >>377
逆だったわ
人間中心主義視点で見ると天動説
物理中心主義視点で見ると地動説
そもそも中心なんて無いんだし
言葉の定義の問題にすぎない >>323
トッドの指摘は、日本がヨーロッパ的というわけではないぞ。
world values surveyとは違う。こっちはガチで日本は価値観的に「なんちゃってプロテスタント社会」という結果が出でるけど。
トッドがいうのは、長男単独相続の日本社会の慣行は、わりと世界のあちこちに見られるもので、
特にドイツとスカンジナビアを中心とする北ヨーロッパと同じ、というだけ。
なお、この相続制度(直系家族)は、おまえら大好き朝鮮も含まれるからな。
若干中華の影響を受けてる分だけやや変則的だけど、一応朝鮮もお仲間ww
朝鮮人がおぞましいことにやたら「兄の国」を真顔で吹聴するのは、実は直系家族性がベースにある。 >>281
天満宮が孔子廟のローカライズ版みたいになってるからでしょ 孔子廟ガーという発想が出てくる段階で、「日本には儒教がまるで根付いていない」ということがよくわかるな。
儒教は孔子を崇拝する宗教じゃないからね。
崇拝の対象は、まず生きてる人間のそれぞれの祖先。孔子の男系子孫でない限り、孔子を拝む必要はない。
オプションで崇敬する対象にはなってるけど。 天皇が男系がどーの、女性天皇でも女系がどうのってのは儒教にかんけいあるの? >>380
おまえ湯島天満宮と湯島聖堂をごっちゃにしてないか? 実利主義は道教。実用主義は墨家。
実践論は陽明学。観念論が朱子学。
権力主義が法家。 >>379
■駐日フランス大使とドイツ大使が…中国と韓国は文明国ではない■
実は昨年、神奈川大学でエリゼ条約(独仏協力条約)50周年記念講演会を開催し、
ドイツとフランスの駐日大使にそろって来ていただきました。
エリゼ条約というのは1963年に結ばれた条約で、
独仏はこれから仲よくしていこうというものです。
その講演会で、ある学生が質問をしました。独仏は建国以来戦争ばかりしてきたけれど、
仲よくなった。同じように、日本と中国・韓国は仲よくなるでしょうかと。
それに対して、2人の大使が何と答えたか。これは非常に重要な発言ですが、仏大使は、
日本の事例は独仏の事例とは「まったく違う」と言ったんです。
どういうことかというと、ドイツとフランスはともに自由主義の文明国であるが、
中国と韓国はそうではないと。中国は共産党一党独裁国家であり自由主義国ではない。
韓国は自由主義だといっても、文明国ではないと。それが独仏大使の認識です。
ttp://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39830?page=3 『隋書』倭国伝
人はとても落ち着いており、争訟は稀で、盜賊も少ない。
ザビエルの書簡
「異教徒の中で日本人を凌駕する国民は見出されない」
ルイス・フロイス
@慎み深さと躾(しつけ)の良さは彼らの本性である。
A優しく、多感な心の持ち主である
中世には宣教師のヴァリニャーノやフロイスが、
江戸時代にはツンベルクやオールコックやゴローニンが、
明治時代にはモースなどが日本の際立った清潔さを自著に記しているように、
日本人の衛生に対する意識は、数百年前から非常に高かったようです。 ノーベル賞(自然科学分野)日本人23人韓国人 0 人 ノーベル賞(人文学分野)日本人3人韓国人 0 人
フランクリン・メダル(科学等)日本人7人 韓国人 0 人 ボルツマン・メダル(物理学日本人2人 韓国人 0 人
J・J・サクライ賞(物理学) 日本人6人 韓国人 0 人 バルザン賞(自然・人文科学) 日本人3人 韓国人 0 人
クラフォード賞(天文学等) 日本人2人韓国人0人IEEEマイルストーン(電子技術)日本人10件 韓国人 0 件
ウィリアム・ボウイ・メダル(地質学) 日本人2人 韓国人 0 人 ホロウィッツ賞(生物学)日本人1人韓国人0人
コッホ賞(医学) 日本人4人 韓国人 0 人 ラスカー賞(医学) 日本人8人 韓国人 0 人
ガードナー国際賞(医学) 日本人11人 韓国人 0 人 ウルフ賞(科学、芸術)日本人9人 韓国人 0 人
プリツカー賞(建築) 日本人6人 韓国人 0 人 フィールズ賞(数学) 日本人3人 韓国人 0 人
実績から見ても完全な別種。D系統たる日本民族と彼等は完全に無関係。
朝鮮民族とは資源を食い潰すだけで人類貢献度ゼロではないか。
球籍(地球戸籍)を剥奪するべき、完全に無意味な存在 我々が要求しているのは合意の履行と条約の遵守という文明国にとって基本的なことに過ぎない。
典型的な朝鮮民族の悪しき精神構造の見本と言って間違いないだろう。
彼等には「契約の概念」が存在していないのだ。完全に近代の精神がないのだ。
彼等を文明国の一員として認めるわけにはいかない。球籍(地球戸籍)を剥奪するべきだ。
イスラム教徒並みに異質な存在であると証明されたのだ。彼等には魂がないアジア人なのだ。
彼等を悪魔とは言わないまでも特殊な生態を持った人間以下の生物と言っても言い過ぎではない。
朝鮮人に対して憎悪や怒りの感情を持っているわけではない。
彼等の価値観が我々と全く違うことを悪として断罪する気もないのだ。
ただ「許容できない、分離すればよい、出て行け」と主張しているだけなのだ。
ガス室に放り込む気もないし、断種手術を強要する気も強制収容所に送る気もないのだ。
ただ「韓国から一歩たりとも出るな」「別々に平和に生きていきましょう」と
主張しているだけなのだ。それは悪と言えるだろうか?彼等との共存可能性はゼロなのだ。
日韓摩擦の原因は、お互い完全に違う価値観を持っているのか理解するべきなのだ。 朱子学が役立ずのゴミなのは明らかだからな
今更こんなもん崇めてるのは朝鮮宗教かカルト宗教くらいなもん まぁ宗教でもやってなきゃ今時朱子学なんて崇めてないわな 統一教会とモルモンとエホバがキリスト教系三大カルト! 朱子学の教育勅語と統一教会を崇めてる安倍チョンの悪口やめろよ 学問として、実証の裏付けを重視する、というのは近代西欧に特異な現象なのではないか?
主観や観念を抑えつつ、実証主義の下で学術を進めた結果として科学技術が発達した。 儒教は主観や道徳論に偏り過ぎて「こうあるべき」というべき論が幅を利かせすぎて、
物の仕組みはどうなっているのか、自然の摂理はどうなっているのか、実際に検分してみよう、
という観点から学問を進める、という方向に向かなかった。 古代において墨家がなぜ消滅したのか、というのは「楽を出来ない」という側面があるのではないか? 儒教も本来は自制し自己修養するための論理だったと思うが、
徐々に「支配者が楽をするために被支配民に押し付ける教義」という役割に転落した。 >>402
西洋の学問も、教会や大学の学問だけからは実証研究は生まれなかった。
レオナルド・ダ・ヴィンチのような工房の親方衆の「職人の技芸」など、
大学外の学問・技芸と大学の学問がクロスオーバーする現象が近世ヨーロッパで
生じたことが、西洋の学問の実証研究を導いている。 >>400
統一協会は、形としてはキリスト教系だけど、教義内容は思いっきり儒教シャーマニズム >>409
江戸幕府は、朝鮮カルトを国家公認の官学にしていたのか? 朱子学に毒されていたのは、朝鮮王国だけではない
明清帝国も似たようなものだ 朱子学批判してるヤツがどれだけ朱子学理解してるのやら! 朱子学の印象が悪いのは朱子学を利用して手抜き政治をして楽をしようとした支配者層の堕落だろ。 発足当初は自制的な厳しい教義であっても、時代を重ねれば楽をしよう、という方向に行くのは普遍的だし、
厳格な節制を堅持したままでは墨家のように断絶・消滅してしまう。儒教も徐々に緩んでいくことで継続できたし、
朱子学も当初は自制的な教義だったが、人欲は抑えきれるものではなく、時代とともに欲望に寛容化することで存続することができた。
禁欲主義を貫徹していたら時代とともに衰退・消滅していたかもしれない。 >>414
いやいや、そうじゃないんだよ
朱子学は、もともと「理気二元論」
理念と現実がカイ離していても平気なところがある
朱子学を極めた明の士大夫も、現世では情欲にまみれて生きていた 李卓吾が生涯探求し続けた「人間の自然とは何ぞ」はもはや儒教ではなく道教に思想だと思う。
この論理では欲望も人間の自然の一部であるとした。
印象として「欲望に肯定的な道教・禁欲主義の儒教」という対立軸が無くなっている。 朱子学の理気二元論は易経好きにウケるだろう
確かに孔子は聖人だと思うが朱熹は嫌い
江戸時代の人の多くもそうだったと思うね
風水地理説の好きな朝鮮呪術の基礎理論になるのが
よく分かる >>416
李卓吾は相対主義者で儒仏道の三教一致まで言ってた。 >>416
禁欲主義なのは朱子学の特徴
儒教にそういう傾向は無い 李卓吾の「人間の自然」を尊ぶ考えは、
教化と人為を根本とする儒教の考えからは逸脱、さらには反逆的ですらある。 禁欲主義は、なんといっても仏教の特徴
儒教も道教も、基本的に現世利益の宗教であり、仏教と比べたら世俗の教え
朱子は仏教に強い影響を受けて、「感情と欲望を抑制する」ことにこだわった 誤りを発見することで学問は発展する、という観点からは
「俺は正しい」と言い張ることに終始していては学問は発展しない。 孔子は礼儀を教化することで欲望を矯正する、と考えていたのではないか? >>420
李卓吾の童心説は、王陽明の良知説をさらに突き詰めたものであり、その王陽明の良知説のベースになっているのは、儒教の大きな特徴である「性善説」
読書や修養を重視するのは、儒教というより、朱子学の特徴
これに対して、儒教の性善説に基づき、「人間の性は生まれつき善なんだから、それを発揮すればいいだけ。
なんで四書五経を読んで修行しなきゃならんの?」というようなのが、王陽明による朱子学批判
儒教は、読み方によっては朱子のようにもなり、読み方によっては王陽明のようにもなる >>423
孔子の教えは「暴飲暴食をつつしめ」という程度
仏教の禁欲主義とは比べものにならない
・・・子曰わく、君子は食飽くを求むること無く、居安きを求むること無し。事に敏にして言に慎み、有道に就きて正す。学を好むと言うべきのみ。(学而第一・仮名論語8頁)
孔子先生が言われました。
「君子は飽きるほどたくさん食べることを願わず、家で安逸な日々を過ごすことを願わない。機敏な行動や慎重な発言を心がけ、人としての道(仁)を志す者に従い自らを正す。このような人こそ、学問好きと言える」 でも、確かに「喧嘩上等!」な戦国武士を飼いならして折り目正しい江戸時代の武士に
したのは、儒学の功績だよなぁ。 >>426
それは言える
戦国時代までの日本の武士の粗暴さは、尋常なものではない
日本では、科挙こそ導入しなかったものの、武家の師弟は藩校や学問所で一生懸命に儒学を勉強しなければいけなかったので、なんだかんだ言いつつ文官みたいになっていった
これなしで日本が治まったかどうかは疑わしい あのままヒャッハーしていたらそれはそれで日本人は殺しあって死に絶えていたかもしれん。 >>428
いや、当時のアジアでは、日本の武士に勝るほど劣らないほど粗暴な西洋人が大暴れしていたから、好敵手になったのではないか 1623年のアンボイナ事件
東南アジアの島で、オランダ人がイギリス人を虐殺し、オランダが海洋覇権を確立したとされる事件
このとき、オランダ人に虐殺されたのは、半分くらいが日本人だったという話だ 孔子が理想とした殷周期の邑制社会の士族、つまり都市国家貴族層ってのは、
国家儀礼の主催者であるのと同時に戦車で戦う貴族戦士でもあったわけで、
戦士として武芸を鍛錬しつつ儒学を修めて文官的にもふるまう江戸時代の日本の武士ってのは、
もしかして孔子にとっての理想の士分の姿なんじゃないのか? >>430
当時、天下統一による国内線上の閉鎖で戦働きの場を失った傭兵的武士たちが、
東南アジアに大量に流出してポルトガル、スペイン、イギリス、オランダといった
西欧系諸勢力に軍事力として雇われていたんよ。
ところが、あんまりにもヒャッハーなんで扱いに手を焼いていたところ、
いちばん上手に日本人傭兵を手懐けて使いこなしたのがオランダだったらしい。 欧州における王侯貴族が国家の命運に責任を持つという発想は儒教にあるのか?
儒教は子供や家来たちから親孝行や忠義を享受するための道徳教義であって自らが果たす責務への心得ではない。 >いや、当時のアジアでは、日本の武士に勝るほど劣らないほど粗暴な西洋人が大暴れしていたから、好敵手になったのではないか
一向宗や浄土真宗、さらにキリスト教まで加わって宗教戦争ヒャッハーなんかになったら飼いならされるどころか民族としての日本人は絶滅する危険すら在りうる。
後漢末から三国時代におけるような民族殲滅&入れ替わりが日本でも起きたかも。 戦国時代のスペイン人の宣教師は、
「日本には強力な軍隊があるので、我が国が遠征軍を送ってきても勝ち目はない。
民衆をキリスト教に教化して、内から呼応して暴動を起こさせる必要がある」
とかなんとか、手紙に書いて本国に送ってたからなあ
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康
みんな西洋文明の導入には前向きだったが、キリスト教勢力のこうした考えについては見抜いていた 豊臣秀吉の時代に土佐に南蛮船が漂着してその乗組員がキリスト教布教と植民地化の一体性を言って豊臣秀吉が驚いたという逸話がある。
徳川家康がスペインに貿易を求めたがスペイン側は貿易する変わりにスペイン宣教師の支援と日本沿岸を測量させてくれと申し出た。
徳川家康のイギリス人顧問だった三浦按針が欧州でそんな事を許すことはなくスペインの侵略の野望だということを示唆し徳川家康は驚いてスペイン貿易を引っ込めスペイン貿易を引っ込め宣教師の追放を行った。
三浦按針の祖国イギリスがプロテスタントでカトリックスペインと対立してた事情もあるだろうが。 儒教否定はネトウヨが多い
アジア人のくせに西洋かぶれしている連中
暇さえあれば韓国の悪口をいっている底辺 >>294
儒教が嫌いでも中国式の葬儀は行うことが可能だ
葬儀自体は道教の習俗でもあり、どちらを排除しても可能だ 結論・儒教は民主主義の敵
結論・支那チョンは民主主義の敵 >>439
朝鮮の貴族はそうだな
転んでも自力では起きず、召し使いに起こさせる
顔も自分では洗わず、召し使いに洗面器を持ってこさせて洗わせる >>442
孔子が人間には世のために頭脳労働する人間と肉体労働する人間がいる、
という意味のことを言った、それを自分に都合がいいように拡大解釈を続けた果ての現象だね。 孔子が肉体労働をしていた墨子のことをDisったとか、馬鹿にしていた、とは聞いたことが無い。 墨子の時代が孔子の後だからか。後代の儒家の孟子や荀子は墨家を目の敵にしていたようだから、
儒家は労働を忌む傾向はあったのかもしれない。 >>443
具体的に孔子が何処に頭脳労働する人間と肉体労働する人間を分けてる?
朱子学は人間を士農工商にランク分けしたけど頭脳労働の商は肉体労働の農工以下になってる。 >>415
記録によれば、朱熹本人が、感情的な性格で、えこひいきと恣意的な火病で動くわりとクソな人間。
>>416
人間とは何か?を突き詰めたら、論理的に脱儒教に行き着くのは当然だよね。
もともと儒教は個人が血縁的に属する氏族の祖先を崇拝する話で、個人レベルの話は本来なら道教の領分。
すでに新儒教のはじまりから逸脱しているといえばいえるけど。 自分を言葉で主張するのが儒家。
自分の能力を仕事で示すのが墨家。
自分を主張することを放棄したのが道家。 >>447
朱子は貧民救済で行政実績も上げてるよ。
ただお恵みをばらまくのではなく低利融資の仕組みを作り自立を促した。 >>450
朱子は王安石の青苗法をモデルにしたと言われる社倉を作り低利融資を行った。 >>447
>記録によれば、朱熹本人が、感情的な性格で、えこひいきと恣意的な火病で動くわりとクソな人間
道徳に反するものを見たときは、怒りでカーッと熱く燃え上がる
そうでなければ、真の朱子学の徒とはいえない
朱子学には、そういう面もある 儒家が労働を蔑視する、というのはかつて墨家と争った名残なのかも。 「善は言葉ではなく、行動で示せ」というのが陽明学による朱子学の道徳論への批判だと思う。 >>446
間違えた、孔子じゃなくて孟子だ。
「心を労する者は人を治め、力を労する者は人に治められる。」
だったかな。 >「心を労する者は人を治め、力を労する者は人に治められる。」
この言にそぐわないことを地で実践していた墨家を孟子が目の敵にしていたのも頷ける。 言論の自由なくして民主主義はありえない、民主制なくして法治はありえない。
皇帝や党が法より上の国家なんて蛮族そのもの
そのうえ「上に政策あれば下に対策あり」の国で法治国家なんて無理。 南朝鮮は民族主義者が大統領だしいつか北に飲み込まれるだろう
日本が反共の最前線になるのは明確
結局日本にしか脱亜ができない 約束を守らないのは朝鮮人の遺伝的民族犯罪性を証明していると言ってもいいだろう。
日本に比べ韓国は数倍高い
日本と韓国の各種犯罪発生率を比較してみます。なお、データは国連のまとめた犯罪データを使用しました。
★殺人発生率(10万人当たり)
概ね日本が0.5、韓国が2.5と韓国が日本の5倍程度になっています。日本が緩やかに減少しているのに対し、韓国は増加傾向にあります。
OECD諸国内では、日本は最下位に近く、韓国は比較的上位に位置します。
★強盗発生率(10万人当たり)
概ね韓国が日本の3倍程度となっています。日本が緩やかに減少しているのに対し、韓国は増加傾向にあります。
OECD諸国内では、日本は最下位、韓国も最下位に近い位置にいます。
★性犯罪発生率(10万人当たり)
概ね韓国が日本の5倍程度となっています。日本が緩やかに減少しているのに対し、韓国は激増しています。
また、2009年における日本のレイプ発生率は1.7、2004年における韓国は13.5です。
OECD諸国内のレイプ発生率は、日本は最下位、韓国は比較的上位に位置します。
★暴行発生率(10万人当たり)
概ね韓国が日本の4倍程度となっています。日本が緩やかに減少しているのに対し、韓国は激増しています。
OECD諸国内では、日本は最下位に近く、韓国は中位に位置します。
全体的に見て、日本は世界で最も治安が良いといえます。韓国の治安は全体的に見ると先進国内では
中位程度だと思われます。ただし、韓国では犯罪が増加傾向にあることは気がかりです。
ttp://日本韓国.com/entry3.html これまで「日本は古来より中国から学び、朝貢するほど敬ってたのに戦争仕掛けるなんて日本は裏切り者のサイコパスだな」と思ってたんだが、よく考えたら「異民族の侵入」って全部そうじゃね?
中国王朝に朝貢してた異民族がある日急に中国に侵略してくるわけで、さらに実際中国を乗っ取ることもあるわけで、なんで日本だけ責められないといけないのかわからんようになった >>461
そりゃ現共産党政権が抗日戦争を戦った事をアイデンティティ基盤にしてるからだよ。
韓国の場合は李承晩の抗日闘争、北朝鮮の場合は金日成の抗日ゲリラが国を統治するアイデンティティ基盤になってる。
だからこの三国は反日をやめられない。
反日やめたらアイデンティティが崩壊するから。 朱子学は陽明学に劣る
そもそも朱子学なんて無くても
宋学以前の儒教思想で無問題 儒教ってどうやって説得力出してんの?
「年長者は無条件で敬うべし」とか主張しても「なんで?」と言われたらどうすんの?
あと「子曰く〜」とか言っても、まず子が正しいという根拠を導かないと学問として意味なくね? 漢代や唐代の訓詁学では儒学は断片的すぎて人の道として体系化できない
また五経なんて膨大な上に曖昧すぎて科挙の出題範囲としても非現実的
朱熹が四書を定めて集注で道を示してこそ科挙は万人に開かれた
陽明学も訓詁学もそのレールの上にある
幕末明治の朱子学批判は江戸時代の朱子学が事実上、李退渓学だったから
朝鮮風に味付けされた偏狭な理論を学ばされたことへの反動にすぎない 現代中国がまだ儒教に支配されてるとしたらやばくね?
これから高齢化社会を迎えて、自分達の親を姥捨山に捨てるしかないわけだが儒教的には許されないんだろ >>467
毛沢東時代に徹底的な儒教弾圧やって一旦中国の儒教伝統は途切れたから。
今のは単に再評価してるって程度。 200〜300年ほど弾圧してたんならともかくたかが20〜30年ほどでは
学問・宗教の伝統は途絶えないだろう。
日帝38年の支配で半島南北の階級社会はびくともしなかったし。 >>465
先祖の霊を祀って救済すれば、自分が死んだ後にも、子孫が自分の霊を救済してくれる
それが、儒教が信者を惹き付ける、最大の説得材料 >>469
いや、意外とそうでもない
どこの国でも、学問を支えているのは一般大衆ではなく、一部の知識人だ
そういう連中を、集中的に殺しまくって、この世から消してしまえば、簡単には回復できない打撃を加えられる
半島の社会に根づいた儒教信仰は、それとは別問題 >>461
そもそも、唐の皇帝からして、中国を乗っ取った異民族だからな
唐に朝貢したところで、中国に何の義理もない >>467
習近平の孔子リスペクトを言っているのなら、その心配はゼロ
やつは儒教の経典のどの部分も理解せず、中国共産党の理論とやらとの牽強付会、こじつけだけを行なっている
杜維明らの新儒家よりもひどい
要は中華民族バンザイが言えればいいだけで、中身は全く関係ない
ケ小平・江沢民以後の中国がお札の肖像とかでやたらと毛沢東を偶像視しているのとも似ている
祀り上げるだけで思想や業績は全く参考にもしていないし、知識の普及もさせていない 中共は共産主義ではなく儒教的官僚制
毛沢東は太祖毛帝、ケ小平は太宗ケ帝
儒教信奉者の理想国家が中国
私は儒教嫌いですね
現実が全て >>474
中共は政治システムとしては明確な「民主集中制」共産国家。
儒教官僚制の影は微塵もない旧ソ連型共産党官僚制。
儒教信奉者だった日本資本主義の父渋沢栄一が中共を理想とするとは思えない。
渋沢栄一が日本の経済界作ったのだから日本経済界ないし日本資本主義の方が儒教主義に近いのではないか?年功序列とかもろ儒教主義だし。
日本は儒教的な国益資本主義や公益資本主義の考え方が特にアメリカなどと比較して強い。 >>475
その資本主義観の日米相違ってのは、
企業をステークホルダー全体にとっての「公器」とみなすのか、
あくまでも出資者(投資家)の「私財」とみなすのか、
という企業観の相違とも関係していそうだね。 >>475
そうだな
中国共産党は、建国当初から徹底してソビエト連邦を見習ってお手本としてきた
明清帝国から引きずってるものは、意外と多くない >>475
>年功序列とかもろ儒教主義だし
それについては、意外とそうでもないんだよ
アメリカも、以前は終身雇用で年功序列だった
これは、長年の経験と職人芸がモノをいう、昔の製造業に適した制度 今の中国は東洋史の知識だけじゃ分析できないよね
近代の日本の影響とソ連の影響と中国独自の部分が混然となっている 儒教の労働蔑視は墨家との争いで
圧倒的に墨家に差をつけられていた春秋戦国時代におけるトラウマだと思う。
口先だけの奴と、実際に物を形にする奴の
どっちが大事にされるかという点で儒家と墨家は雲泥の差があった。 典型的嫌韓コピペではあるが、「朝鮮儒教の弊害ガー」という主張の核心部分を見事にまとめたレスだと思うので、
N速+でみつけたコピペを転載する。
446名無しさん@1周年2019/02/22(金) 15:58:48.55ID:A0IY/hrT0>>448
>>1
・朝鮮人の正しさは根拠に基づかない
・対等という概念が薄く、常に序列を決めようとする
根拠を元に正しさを追求するのではなく、自分が思う「正しさ」に都合の良い事象を貼っつけてそれを根拠と言い張る感じ
しかも自分は正しさの中に常に含まれてると思い込んでいる
ただ、全員正しいと思ってると必ずぶつかる場面があるわけで、そんなとき「序列」が解決するのが朝鮮人の社会
序列が上の者が「正しい」となり、序列が下の者は上の者に内包されることで「正しさ」の地位を得る
そして、相手が道徳的に劣ってることを指摘すれば自分の序列が上がるらしい
自分がいいことをして上がるのではなく、人を非難すれば自分が上に行けるシステム
(人の間違いを指摘できるのは序列が上の者しかできないからという理屈)
なので序列が明らかではないときは、なんでもいいので相手を非難して押し切れば序列が上になり自分が正しいとなる
ちなみに加害者は道徳的立場が最悪だから、必然的に序列は最下層になる
以上から、韓国がずっと「歴史問題」「歴史問題」と繰り返すのは、「日本の序列は韓国より下だろ?」と言ってるわけ
で、序列が下の日本は常に韓国の言うこと(正しさ)を受け入れるのが当たり前だと思ってる
日本は謝罪して対等として終わらせたつもりなのに、韓国は序列付けてスタートしたのになぜまた韓国に反論するんだと解釈が真反対なのが現実
解決策は、韓国が根拠に基づいて真実を追求する普通の価値観を持つか、
日本が韓国に対してガツンとやって、韓国に「我々は日本より下だ」と思わせないと解決しないよ
悲しいけどねw 徴用工問題とは合法を装った恐喝であり国家犯罪である。犯罪国家に妥協は有り得ない。
典型的な朝鮮民族の悪しき精神構造の見本と言って間違いないだろう。
「契約の概念」そのものが存在していないのだ。 完全に近代の精神がないのだ。
彼等は常に利己的であり国際法的正当性も道徳律も状況を改善する意欲も備えていない。
儒教国家の体質・本質なのだろう。 儒教批判しているのはネトウヨ
ジャップもアジア人なのに欧米民主主義に染まっていて恥ずかしい
アイデンティティが無いから西洋人からも笑われる
朱子学は日本人が理想としてきた思想だ
安倍のような西洋的思想に追従した輩は右翼ではない
ただのアメリカの走狗であり売国奴だ 儒教体制と中共は違うと言っている人がいるけれども、
儒教体制には民主主義がありません。
現代の政治の枠組みで儒教的官僚制に一番近いものを
採用したのがソビエト的民主集中制という訳です。
中共が儒教官僚制というのは「現代の政治の枠組みの
中で最も儒教の説く政治体制に形が似ているもの」と
いう事なのですが、何故か自分に都合の良い解釈をして
中共と儒教体制は違うとレスしてくる方がおられます
現代に過去の明や清の時代のような体制がとれる訳が
ありません。
あの中共の体制は現代の儒教主義でしょう。 儒教体制っていうのは正しく経典の内容に習熟した士大夫が天子を補佐し人民を教え導く国家体制のことでしょう
つまり封建時代の中国こそ儒教体制 封建的儒教体制の中でも特に近世のものに
一番近いのが中共の政治体制ですね
孔子は確かに大偉人であると思いますよ
易経なんて人間に作れる書物ではありません
でもすみません
朱熹の思想は嫌いです >>468
いや、文革で失われたものは、人的な被害以外は案外そんなにない
そもそも批林批孔運動は、「四人組」がライバルの周恩来を追い落とすための偽装にすぎない
孔子が理想とした「周」の名を攻撃対象にしたかっただけ
曲阜はたしかにひどい目に遭ったらしいが、それだけ
経書の印刷も古代漢語の教育も、全く途絶えていない
ネトウヨほどよく知らずに文革の伝統文化弾圧を過大に語るけどね >>465
キリスト教の「神学」というものは、信仰を前提としている
それと同じように、儒教と孔子にはすでに絶大なる権威がある
それを知らない蛮人にはわからないというだけ >>480
そう思うなら親が死んだ時に遺体を生ゴミに出してやれ
そのほうが金がかからないからな
霊魂なんてどうせ幻想で、精神はただの脳内の電気信号だ
そうだろ? >>485
朱子学と儒教を同一視して称揚するお前はニセモノ
日本人は「儒学」を奉じても「儒教」そのものに帰依したことはない
湯島の聖堂が宗教法人ではないことがその証左 >>488
好き嫌いの感情を判断の基準にしている所がお前の限界
朱熹の本当の功績はケント・ギルバートのネトウヨ本読んでるだけじゃ永遠にわからないよ 一族は家長の私物という考えが、
国家は皇帝個人の私物、というような認識に行ったのが中国の皇帝による
専制独裁支配の根底にあるんじゃないか? 儒教を,人を利用し拘束する為の道具にするのか、自分を律して行動するための規範にするのか、
の違いでその当人の実際の行動にはかなりの違いが出てくる。 キリスト教だろうが儒教だろうが仏教だろうが、自分を律することよりも、
自分の為に人を支配し、利用する大義名分として宗教を利用すれば堕落したものになる。
教義の文面・内容の問題というより実際の当人の態度や行動の問題。 そもそも「国とは何か」ということについて、
東アジアの場合、「終身斉家治国平天下」という言葉が古来使われるけれども、
実は、アリストテレスの「政治学(タ・ポリティカ ポリスについて)」の文中の学説に則るなら、
「国(ポリス)は、家(オイコス)を広域化させた社会『で は な い 』」
というのが基本的立脚点であるとされる
この(アリストテレス的・あるいはギリシア的)見解が、日本を含めた東アジアでは社会的一般認識として知られていない実情があって、
国家間・社会観、或いは政治的・社会的改革を巡って各国内で議論がなされるとき、
現代もなお、その議論に停滞や躓きが生じる際の、大きな要因の一つになっている
だからそもそも、東アジアで近代語彙としても広く使われる「国家」という語彙そのものが、
「国と家は本質的に別である」という認識から乖離した合成語だということでもあるわけだが・・・ 儒教の修身は何の為にやるのですか?
キリスト教・イスラム教・仏教・ヒンズー教
→ 死後や来世という無限に続く未来に前提に自己の成長と自信の救済のために修身を行う
儒教は?
時間と共に風となって魂魄は消えるんでしょ?
修身しなくてもいいじゃん
何で面倒な修身なんてするの? >>501
大宇宙の摂理と一体化するのが快感だからだ >>499
国を家のアナロジーで考えるのは中近世の家産国家から来るもので中国には関係なくね? >>505
時系列でみるなら、もちろんアリストテレス当時のほうが中近世より古いわけで、
当然その見解は西方世界では知られていたよ
アリストテレス研究が古くから盛んだったユーラシア西部、
つまり、広く見るなら南アジア(ムガル帝国)以西、狭く見積もっても西アジア以西では、
ポリスとオイコスを区別する見解は、少なくとも知識人の間では広く知られていることだった 朱熹が編纂したという「宋名臣言行録」を読んでるけど、
いまいちぴんと来ないな。
唐の太宗が庶民に意見を聞くことをした皇帝だとすると、
宋の太祖趙匡胤は、武官より文官を重んじた兵法家らしい。
しかし、天下を統一したのは、二代目の弟の趙匡義らしいね。 >天下を統一したのは、二代目の弟の趙匡義らしいね。
兄を殺害した疑惑 西欧的な国家の概念ではないが、「天下の大事」と「お家の大事」というような公私を分ける概念はあった。 >>509
その時代だと「天下」を具体的に統治する政体が無かったかと。
全国政権でも自分の直接の所領以外には徴税すらできなかったわけで。 >>499
素晴らしい。世界史板で、そこんとこの差異に自覚的なレスをはじめて見たよ。
(自分のレス以外では)本当に初めて。まさに掃き溜めに鶴。
でもこのレス番が真っ赤になってて、これへのレス群の見事な糞っぷりに草生えるけどな…
ドヤ顔で書いてる511だとか、一体なんやねんww >>499
>>511
あれか、オイコスが暴力によって統治される世界でポリスが理性によって統治される世界
とする、古代ギリシアの政治観。
でも、オイコスとポリスってのも切れた世界じゃないんだよ。
オイコスの成員である女子供奴隷を暴力で統制するのは家父長であり、
同時にポリスを理性に基づく合議によって統治する市民というのはまさにオイコスの家父長その人。
二つの世界はオイコスの家父長=ポリスの市民という構造によって媒介される。
もっとも、古代ギリシア人のこの抽象的観念が、現実のオイコスやポリスの世界をどれだけ忠実に
反映していたのかは疑問も残るけどな。
ちなみに、中国の「修身斉家治国平天下」ってのは、「私」を公共性を帯びた存在として律する事から
それを家>国>天下へと膨張させて公共を律していこうという公共観。
日本の場合は古代ギリシア中国ともちょっと違っていて、中世に成立した「家(イヘ)」ってのは
そもそも共同体の公共の「役」を担うことで存続を認められる、つまり公共を構成する法人格的な
位置づけになっている。 >>513
あー、いろいろカッコつけてるけど、まるでわかってない…
完全に何もかもを外してる…
知識のfactだけは合ってるのに論考は完全にデタラメ。
ほんと、こうなるんだな。
あんた平安中期共同体崩壊の例の人だろ。
こりゃダメだ。499氏に初歩からじっくりあんたを啓蒙していただければ良いと思ったんだけどな。 冷水をかけてばかりも何なので、俺なりに出来る限り易しく解説してみる。
499のいうポリスとオイコスの峻別というのは、一言で言えば、
ポリスというのは、「オイコスの上にオイコスを作らない」という社会の組み立て方のこと。
ポリスの特に初期の場合、オイコスそれ自体と敵対するわけではない。
ポリスなる政治組織は、家を類推した「巨大な家のようなもの」では断じて無いということ。
まずはここまで。 >>514
その論考のギャップ、Factsの解釈のそもそもの相違についてきちんと
議論してみたいんだけどな。 >>516
つまり、ポリスを構成するオイコスは、あくまでも対等な存在として対置されているのであって、
ポリスはオイコスの家父長制のような関係性によって構造化されているのではない、ということだろ。 >>499
オイコノミアだから、オイコス(家)とノモス(法、制度)でしょ
原意は「家の切り盛り、財産管理」ってところだね ああ、アンカー違い
>>519 は、
>>511 宛てね 多分、>>512>>514さんと私の決定的な見解の相違は、
歴史的な政治共同体における成員の政治参加、共同体運営への成員参加に
非オイコス的なポリス共同体の存在は必須なのかという所にあるんじゃないのか。
例えば、日本の弥生〜古墳時代の在地の首長制共同体において、
成員の共同体運営への発言権に関して否定的な見解を述べたのはあなたじゃないのか?
基本的に私は非ポリス的共同体においても成員の一定の政治的発言権は担保されている、
という認識なんだが。 西欧は国家は誰の私物でもなく、法の下で営まれる仕組みである、という感じ。
中国は国家は皇帝の物であり、意思の赴くままに支配する、という感じ。
日本は国家は有力者達で共有し、お互いにギブアンドテイクでやっていく、という感じ。 日本でポリスとオイコスを対置する古代ギリシア思想以来の政治思想が受容されていないのと同様に、
中国的な「修身斉家治国平天下」の感覚も本当に理解されているとは言い難いんだろうな。
中国での前近代的な「国家」とか「邦家」という語彙の本来の意味は、日本人の多くが
受容しているような意味からは程遠く、「君主の家父長的支配下の家政機関」に他ならないんだから。 >>523
その用法での「国家」は「国姓」と同じ成り立ちの言葉で統治される社会を指すわけじゃないでしょ。
鼓腹撃壌を理想とするようなものすごく抽象的な形で統治を理解していたのが中国人。 >>524
うん、だから、本来そういう意味だった「国家」が日本で「統治される社会」にまで
意味が拡大しちゃった「ギャップ」に興味があるんだ。 >>522
>西欧は国家は誰の私物でもなく、法の下で営まれる仕組みである、という感じ。
そうなったのは、市民革命以降の近現代に限った話だけどな。
それ以前は逆に、領土は君主の私有財産であり、兄弟で分割相続したり、結婚に際して嫁入り道具で持参したりが当たり前の、極端な私物。
>中国は国家は皇帝の物であり、意思の赴くままに支配する、という感じ。
中国といっても、それは強大な皇帝専制権力が確立された明清帝国の話。
>日本は国家は有力者達で共有し、お互いにギブアンドテイクでやっていく、という感じ。
中国も、漢や唐はそんな感じだ。 西欧の歴史的な政治思想には、古代ギリシアの政治哲学の影響と同時に、
「地上の国」を天上の「神の国」のヒエラルキーが相似形で引き写されているものである、
という思想が強い影響を及ぼしてきたことも忘れてはならないと思う。 古代ギリシアのポリスの共同体の成立基盤にあるのは、
成員(ポリスの市民)間の「フィリア(友情・友愛)」に基づく協議と同意だった
その観点から言うと、家族・家庭の構成の基盤にある「ストルゲー(肉親愛)」とはその成立基盤の性質が異なる
一方、キリスト教受容以降の欧州領域の共同体の成立基盤にあるのは、
成員(教会の信徒)としての「アガペー(慈悲・慈愛)」に基づく信頼と奉仕
ポリス(都市国)の共同体の成立基盤に、ストルゲーが本来は含まれない面があったのに対し、
国の領域の拡大と相俟って、アガペーが上位互換的に導入されていた面があった 江戸時代までは日本全体のことを「天下」といい、「国」は大名の領国を意味していたと思うが。 ポリスの内部組織であるフラトリアの結成原理たるフラタニティとフィリアとの
関係は古代ギリシア人にどう認識されていたんだろう。 >>527
フランス革命で復興した形の仏語語彙レピュブリク(共和政体)というのは、
本来は古代ローマでいうラテン語語彙レースプブリカだね
「レース」は「こと・もの」で、「プブリカ」は「市民の・大衆の」だ
共和政ローマ以来の政体がこれだった
いわゆる帝政ローマにあっても、インペラートル(ラテン語原義は「総司令官」といった意味で、転じて「皇帝」と訳された)は
元老院と市民による選出が、たとえ形式的にであれ、その地位となる際の大原則になっていた
帝政期の「初代皇帝」とされるオクタウィアヌス以来、
そもそも「インペラートル(総司令官)」となるためは、その大前提としてその人物自身が「プリンケプス(第一市民)」となること、が必要だったのだから
古代ローマにあっては、いわゆる「皇帝」といえども、その本来的立場は飽くまで「市民」の一人だった ローマ皇帝は建前上は模範的なローマ人たることを要求されていた >>531
「友情」を根本的基盤に置いて複数の個人が関係を構築する場合、
そこから導き出される当事者間の立場は、基本的・原則的には「対等の立場」ということになるね
そうした前提の上で、各人の意思を擦り合せて具体化させる手段としての(対等の)対話と、
その結果としての相互の合意で以て、共同体を成立させる
そのような考え方だろう そういう古代ギリシアのポリスにおける家父長たちの「対等な立場」に立脚する社会システムは、
古代ローマのキウィタスにおいて支配的だったクリエンテスの積み重ねによる市民間の
関係構築と、かなり相性が悪いように感じられる。 鳩山元総理が日本で「宇宙人」扱いされたのって、
結局のところ日本の政治文化にフラタニティを基礎とするシステムを持ち込もうとした、
という側面は否めないんじゃないかな。 >>535
実はそこが欧州政治思想や欧州社会体系の面白いところなんだ
しかも、それに伴って表れた共同体ごとの特性というのは、現代社会の或る面でも、地域や分野によっては非常に特徴的に表れる
ギリシアの場合、「対等の立場」たるデモス(市民)たちは、飽くまで基本的に、そのポリス内部出身者に限られた
つまり、内部の成員には平等性を保証したが、外部の人物が新規の成員(市民)になろうとすることは拒む面があった
一方、ローマの場合、その領域の住民の地位に或る程度の差を付けつつ、或る住民が新たに市民になるための条件を種々導入することで以て、
外部の人物が新規の成員(市民)になることを許容していった
古代ギリシアのポリス社会が或る程度のところで頭打ちになっていったのに対し、ローマの場合、これが社会の拡大に向けて決定的に作用した
ちなみに冒頭の現代社会での具現化例でいうと、北米スポーツと欧州スポーツ、特に野球とサッカーの組織の違いが端的に説明できると思う
北米スポーツは、基本的に組織内部の個別化と構成員の対等性を保証する一方、新規参入の障壁を高める傾向がある
野球の関連団体は、北米でも日本そのほかでも、多くがそうした前提の下に組織されており、非常に個別性が強く、新規参入も難しい
一方、欧州スポーツは、基本的に組織全体の共同化と構成員の地位上下を定める一方、新規参入が比較的容易である傾向がある
サッカーの関連団体は、周知のとおり国際サッカー連盟、各大陸連盟、各国・地域協会が樹状図のように分掌組織化されており、
競技規則、国際大会、国内大会いずれも、内部の重層化(大陸予選や多部制リーグ)によって連動するようになっている
或いは、このあたりの違いは、ラテン的(カトリック的)世界観とゲルマン的(プロテスタント的)世界観の違いの表れであるとも言えるだろう
近代フットボール系競技そのものはおおよそイングランド発祥ではあったが、
国際サッカー連盟は、ラテン系かつカトリック圏であるフランスの主導で結成された組織だった >>538
競技規則、国際大会、国内大会いずれも、内部の重層化(大陸予選や多部制リーグ)によって連動するようになっている
↓
競技規則が世界全体で共通化され、その共通の前提に則りつつ、
国際大会、国内大会いずれも、内部の重層化(大陸予選や多部制リーグ)によって組織全体が連動するようになっている >>529
ポリスは所詮は他人どうしのキレイ事の上での結びつき
「かくあるべし」という崇高な理念をぶち上げて、それにうおーと反応する者たちが作る、それが政治
オイコスは「日々の糧」が動く場所であり、キレイ事の入り込む余地がない
パンが誰の口にどれだけ入るのか、それが結果として現れる場所がオイコスだ
ノモスは上の方で「法」なんていまいちおキレイな回答が出てたけど、もっと言えば「支配」だ
パンやお金や労働にかかわる見えない法則による否応のない支配、と取ってもいいし、
如何に生活共同体としての「家」を切り盛りしていくか、という方策の立て方と考えてもいい
だから>>499よ、これは本質的には規模の違いじゃないんじゃないかな
だから「国家の経済」という概念が、
ポリスではなくオイコスというタームから出発して語られる、語り得る、ということも矛盾ではないんだよ 一水会の木村三浩代表が語った「最近のホシュは誤った愛国心を振りかざし悦に入ってるだけ」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190329-00010003-abema-soci&p=2VIPQ2_EXTDAT: none:default:1000:512:----: EXT was configured
共産主義が輝きを失った今こそ、儒教文化主義の出番なのだ。これにより貧民は救済される。
西洋代表アメリカでは格差の解消は望めない。
西洋文明は搾取を基本理念としているのだ
日本民族は良識ある市民としての自覚を元に搾取的資本主義を打破して差別のない市民による市民のために求むるものが求むる所に従って与えられる理想郷を作るべきである。
儒教の説くような徳治の理想国家を建設しようではないか。
民族主義や民族差別の悲劇を繰り返してはならない。
西洋文明と決別してマイノリティ差別のない平等な社会を作るべきであるのだ。 >>540
ん?
ポリスとオイコスは規模の違い「ではない」って初めから言ってるよ
きみ、なんか読み違えてない? >>541
一水会ってのは、「米軍は日本から出ていけ」という以外にこれといった主張もなく、
在日朝鮮人が批判されたときだけ怒り狂うという、右翼なのか何なのかよく分からない、変な「右翼団体」のことだな 「右翼団体ですらアベ政権を批判している」といって、朝日新聞や韓国メディアが好んで取り上げる、自称「右翼団体」 一水会はいわゆる新右翼。
学生運動華やかさりし頃に新左翼の対抗馬として出てきた。
新左翼とヤルタポツダム体制打破は共有し反米。
ただ天皇制は護持する。それで新左翼と殴りあいやってた。
創設者の鈴木邦男は生長の家の信者でその影響も強い。 そうだな
日本では、「釈迦・イエス・孔子・ソクラテス」が4聖人とされてるが、人にもよると思うけど、欧米人は孔子をそれほど評価していない
老子のほうがずっと人気がある
「老子を読んで、世界観が変わるほどの衝撃を受けました」というような人は、欧米にもチラホラ見かけるが、「論語を読みました」という話は聞いたこともない 日本でも、儒学は忘れ去られたな
朱子学も陽明学も、名前は知っていても、内容を知ってる人に出会うことなど、普通に生きていればまず無い >>538
>>ギリシアの場合、「対等の立場」たるデモス(市民)たちは、飽くまで基本的に、そのポリス内部出身者に限られた
>>つまり、内部の成員には平等性を保証したが、外部の人物が新規の成員(市民)になろうとすることは拒む面があった
これも、もともと多少はあったそういう傾向が古典古代後期に向かってどんどん先鋭化していった結果であって、
ポリスの出発点の段階ではそこまで尖ったものではなかったみたいだね。
実際、山川の「世界史リブレット」シリーズの一冊では(すまん、積読の山に埋もれて直接具体的な文献を指名できない)、
アテナイで銀行家として成功して有力市民にまでのし上がった元フェニキア人の解放奴隷の例が詳しく紹介されている。
そういう意味で、ポリス的な市民社会とキウィタス的な市民社会は、ある種の両極団なのだけれど、決して断絶したものではなく、
地中海的な風土の中の連続体の中の両極端なんじゃなかろうか。
この視点から考えると、そうした連続体をさらに外挿した果てには西アジアのオリエント的な都市国家社会すら位置づけ可能なんじゃなかろうか。
>>近代フットボール系競技そのものはおおよそイングランド発祥ではあったが、
>>国際サッカー連盟は、ラテン系かつカトリック圏であるフランスの主導で結成された組織だった
イングランドと大陸のサッカーは、チームの在り方そのものがかなり異質なものに見える。
イングランドの場合にはサッカーに限らず階級ごとに分断された形で競技団体コミュニティが形成されていて、
大陸ヨーロッパではむしろ階級を横断する形で地域コミュニティに含まれる全階級を包摂する形で
競技団体コミュニティが形成されているという印象。 そういえば、フランス人のポール・ボネが書いた「不思議の国ニッポン」という本には、
「日本では、大学教授も高級官僚もプロ野球の話で盛り上がっているが、
フランスの知識階級が、サッカーの話なんかしてたらバカと思われる」
というようなことが書いてあった
昭和時代の本なので、今は違うかもしれないが 階級によって趣味や行動様式に違いがあることを分析した社会学者ブルデューの「ディスタンクシオン」によると、
当時のフランスにおいては、社会階層が上位に位置するものほどバッハの「平均律クラヴィーア曲集」、
ラヴェルの「左手のための協奏曲」といった音楽、ブリューゲルやゴヤの絵画を好み、
中位に位置するものはガーシュウィン「ラプソディー・イン・ブルー」やユトリロやルノワールの絵画を、また、
シュトラウス「美しき青きドナウ」などの通俗化した音楽は教育年数の短い下位層が好む傾向があった。 >>550
追記しとくと、「不思議の国ニッポン」のポール・ボネは、「日本人とユダヤ人」のイザヤ・ベンダサンと同じで、じつは日本人の筆名だという話も聞いたが
真偽は知らない 昭和時代の日本人は、「日本人論」がとにかく大好きで、いつも「日本人とは何者なのか?」というような話ばかりしていた
小学校の国語のテストの問題文に至るまで、そればっかりだった
まあ、欧米人の首脳6人と、日本の首脳が並ぶ「主要先進国首脳会議」を見れば、そうなるのも無理はないかとも思うが
今は、「中国人論」や「朝鮮人論」が、それに取って代わっているように思う
ケント・ギルバートによる儒教批判がベストセラーになるのも、その一環であろう
そういえば、ケント・ギルバートも、新聞やテレビで「主要先進国、Europe,United States and Japan」といつも言ってるのを見て、
「前の2つは分かるが、Japanって何だよ?」と思ったのが、日本に興味を持ったキッカケだと講演で語っていた >>536
日本社会じゃなくて国際社会に持ち込もうとしたんだろあれは 昭和の日本人論はかなり的外れだったが最近の中国韓国人論はどうなの? 昭和的な「日本人論」は、今もテレビ番組でときどきやっている
おそらく、高齢者が好んでいるのだろう
「日本は、四季折々の変化がハッキリしていて」とかなんとか外国人ゲストに言わせているが、
南京や武漢みたいな大陸の内陸性気候と比べたら、日本の夏の暑さや冬の寒さなど、まだマイルドな方だ
あまりにも無理がある 墨家と儒家の対立の残滓が今現在まで労働蔑視や技術軽視に影響しているんじゃないか? >>557
それはどうかなあ?
大草原を颯爽と疾駆する遊牧民が、泥にまみれて労働する農耕民を土人として蔑視した名残と見るほうが、よほど自然な解釈に思えるが なんか話がそれなりのレベルで進んでるw
スレチではあるけど、儒教を裏返しに論じることでもあるので、ローマスレではなくここで話を少し続けようと思う。
>>521
「一定の」だとか何だとか、ヌルヌルした中途半端な量的概念の【遮断】、むしろこれが重要。遮断なんだ。
「オイコスの上にオイコスを作るな」ということは、規範として「オイコスの下にオイコスを作るな」と不可分一体。
そして「オイコスの下にオイコスを作らない」ということは、論理的に「オイコスの中にオイコスを作らない」と同値。
オイコス自体とは敵対的ではない(むしろ構成要素)だが、オイコスのあり方には厳しい制約がかかる。
ここまで言えばわかると思う。これは実質的に、古い氏族共同体の解体なんだよ。 労働蔑視や技術軽視の根底にある、
体を動かすこと自体を忌む、
という価値観は遊牧民由来とは考えにくい。 >>535
(>>538他535へのレス群への間接的レスでもある)
古典古代の政治学内部では、確かに対照的・両極端として取り扱われる。でも根本部分は共有してる。
つまり、
「オイコスの上にオイコスを作らない。平面に並んだオイコスのトップが横にのみ連合する(原初ギリシャ型。1層)」
「平面に並べられたオイコスが、上級と一般の2層にだけ分かれて、個別に縦につながる(ローマ型。2層。res publica。SPQR。 )」
ポイントは、「クリエンタリズムはオイコスではない」
確かに「縦につなげる」のだが、それでもこれは絶対にオイコスの上位拡大版ではない。
クリエンタリズムにオイコスの発想を持ち込むことを、内乱罪という。 >>560
「体を動かすこと自体を忌む」というのは、朝鮮貴族に特有の傾向
儒教の本場の明清では、別にそんなことない 中国人も太っている人間を「大人の風がある」などと上に見る価値観を持っているらしいが。
清末の役人も李鴻章や袁世凱など太目に見えるのが多い。 儒家の墨家への激しい敵意は、儒教が中国の支配的な価値観になるに及んで、
労働を忌み、技術を軽視する、という価値観を、
無意識に中国人の意識に染み付かせたんじゃないかと思う。 >>564
いやいや、何度も言ってるように、「儒教=朝鮮」じゃないんだよなあ(笑)
朝鮮人の社会を見て、「儒教とはこういうものだ」と思うのは誤り 孔子は士大夫の教養として、礼・楽・射・御(馬車の操縦術)・書・数の「六芸」を重視し、自らも全て習得していた。
つまり孔子は、馬術も弓術も数学も音楽もできたとされている。
「論語」にもこうある
・・・子曰く、君子は争う所無し、必ずや射か。揖譲して昇り、下りて飲む。其の争いや君子なり。 ―八佾第三の七
(意味)
君子は、人と得失勝負を争うということがない。
争うことがあるとすれば、それは弓射だけである。
その時でも礼儀正しく、互いに丁重に挨拶して堂に上って弓を射、終わると丁重に挨拶して堂を下りる。
そして勝敗の決した後に挨拶を交わして酒を飲み合う(一説に敗者が罰杯を飲む)。
このように互いに礼儀を失うことなく、その争いたるや君子の美しい争いというべきである。 >>559
確かに、中国史を分析する上で、ここら辺の議論は重要だと思う。
なぜなら、むしろ古代中国史で論ぜられているのは、戦国期以降の華北の邑制社会の変質は、
族的社会の解体、つまり古い氏族共同体の解体の果てに、家父長的支配、つまり
古代ギリシアのポリスとのアナロジーで論ずるとすれば、都市国家共同体の中で家父長的
支配関係が入れ子状に再生産されている方向に向かっている、という事なんだ。
それは、戦国秦漢帝国期の在地共同体の指導者層が「父老」という語彙で表現されていることに、
端的に表れている。
逆に言うと、古い氏族共同体自体の内部の支配被支配構造は家父長的構造の共同体への
持ち込みとは異質な、祭祀共同体的なものだったんじゃないか。古代ギリシアでの
ポリス制度の確立の中で、家父長制がオイコス外へ拡大したシステム、というのは、
決して古い氏族共同体の状態とは想定できないんじゃないだろうか。
そういうある意味原始的な祭祀共同体が解体していく中で、共同体のシステムが、
方や家父長制支配の入れ子構造に発展していき、方や家父長制支配を拡大再生産しない
方向に発展している。
ちなみに、私は日本の首長制の古代共同体ってのは、家父長的支配システムにまで
発展することなく、原始的な祭祀共同体の段階で共同体ごと雲散霧消してしまったんじゃないかと
考えている。 朝鮮も中国も労働蔑視や技術軽視の傾向に大差は無いように見える。 >>566
そうそう。
孔子が理想とした殷周期の邑制社会の「都市国家貴族」というのは、
自ら戦車を駆って戦場を駆け回り、弓を引いて敵を打ち倒す、
貴族戦士でもあった。
決してゴロゴロ寝てばかりいて観念的に天下の理想を夢想して文章だけ練っている、
そんな存在じゃない。 次々と実際に新手の装備を開発したり堅固な城を築城する墨家に
儒家は逆立ちしても歯が立たないくらい差をつけられていたんだと思う。
小賢しい奴等だと墨家を忌々しく思って墨家の仕事や技術を憎み、妬んだ。
それが今も労働蔑視や技術軽視という形で継承されてしまっている。 古代ギリシアのポリスの内部には、フュレーとかフラトリアとかいった市民間結合の
組織体があるし、古代ローマのキウィタスの内部にはゲンスがあるよね。
あれはポリス・キウィタス的な社会、ポリス・キウィタスとオイコス・ファミリアの
峻別を生み出すうえでどう関わってくるんだろう。 やはり、儒教は朝鮮国家、特に李氏朝鮮以降においてローカライズの洗礼を受けて、
本場中華世界の儒教と異質な側面がいろいろと出てきているように思われてならない。
例えば、最近どこかのスレでも書いたんだが、司馬遼太郎がエッセイの中で、
本場の中華儒教で重視される詩経を、朝鮮の儒者は軟弱だとして忌避していた、
詩経を読んでいる両班青年を年長者が目の色を変えてきつくしかりつけた、
というエピソードを書いている。
たとえ朱子なり王陽明なりのロジックの部分はそのまま受け入れられたとしても、
背景となる文化・社会的な背骨によって、中華世界、朝鮮、日本と、儒教は
かなりの程度ローカライズされた解釈をされているんじゃないのか。 >>572
そうだな
とくに、朝鮮では儒教がひどく歪んだように思う 確かに中国でも儒学を修めた士大夫には孟子的な頭脳労働偏重の弊はあるんだが、
それでも中国の士大夫はかなり手作業をしているんだよね。
なによりも古代以来の中国の士大夫の伝統では、彼らの文人としての哲学性、内面性は
文章のロジックだけで表現しきれるものではないとされていた。
それを補完するのに必須なのは何かというと、詩作、描画、書、音楽だった。
文人画を描き、他の士大夫の描いた絵画を見て詩作をし、それを絵画の中に
「賛」として書をしたため、篆刻をして判をおす。そして、その前で琴を奏でる。
儒教ってのは四書五経を極めるだけで完成するんではなく、こういう「芸術活動」
まで修めて初めて極められるというのが中國の本場の士大夫だったんだよな。 地域性は重要かもな。
禅も宋代看話禅の臨済宗と宋代黙照禅の曹洞宗は日本に入ってきて前者は白隠により独自に再編され後者は白山修験と結びついて独自の発展をした。
明代には臨済宗も曹洞宗も中国では念仏禅になり変容してた。明代臨済宗は黄檗宗として日本に伝来するが日本臨済宗とは相当違う。
中国曹洞宗の本山に少林寺があり少林拳で有名だが日本曹洞宗にそれはない。
朝鮮では知訥が華厳と禅を統合して曹渓宗になる。
曹渓宗は総合仏教色の強い禅。 江戸時代の朱子学が李氏朝鮮の学問系統だったのがマズかった
あれで一般市民が儒教アレルギーになった 江戸時代の日本は、一般市民だけでなく、学者も朱子学嫌いな人ばかりだった 宋の時代には科挙官僚を出した家は「官戸」とよばれ、特権を得ました。徭役を免除など、簡単にいったら免税ですね。
この特権はその家に属するのではなく、合格者本人がいなくなれば、なくなってしまうものです。その意味で家系そのものが高貴とされる貴族とは全然違うものです。
地主にかかる税金は大変に重く、一族の誰かが官戸になって免税特権を得なければ、「三代で没落する」と言われるほどでした。 なんで寛政の改革では、朱子学が奨励されたのか?
松平定信がカチガチの石頭だったから? >>553
今の中身のない儒教批判本は、黄文雄らの系列
ギルバートもその亜流で、どちらも日本で生き残っている
今の中国人のビジネスマンが読むたぐいの中国人論は、自画自賛に満ちていて、儒教批判なんかしない
むしろ儒教をしらないからこそできる、儒教の中身にまったく触れない儒教礼賛をしている
黄の親日反中本とは似ても似つかない
中国人の自己批判本、柏楊「醜い中国人」のようなものはもう生まれない
元々黄文雄は親日は片手間で、台湾独立運動が本業
台独派の主張は、新しい民族アイデンティとしての「台湾人」
そのために台湾人に蒋介石時代の教育によって刷り込まれた中華民族という概念を虚妄として全否定する
そこで台独派は、中華民国(大陸)時代の反伝統主義であった五四運動の儒教否定言論を引き継いだ >>580
それもあるが、それだけ当時はアンチ朱子学の新しい学派が林立してたことに対する反動でもある 儒教を知っているとは具体的にどのような事を言っておられるのでしょうか?
当然ですが易くらいは嗜まれるのですよね
朱熹は易で自己の進退を決めています >>581
>柏楊「醜い中国人」
そいつも台湾人だけどな
中台統一派の外省人だから黄文雄と政治的なスタンスは異なるが、中国批判であることに変わりはなく似たようなものだ >>583
程伊川は、「易は宇宙論の哲学書であり、占いの本ではない」というところにこだわった
易経を儒学に取り込んだことにかけては貢献度ナンバーワンの人物だが、易占は生涯やらなかったという >>581
そういえば、今もネットではびこっている「食人種中国人」ってプロパガンダも、
黄文雄がルーツだっけ。 >>586
それは別に黄文雄が言い出したことじゃないだろ 易は宇宙論であるのには同意ですが
易占をやったこともないのに儒教を知っていると名乗るのは
失礼ですが論語読みの論語知らずに近くありませんか?
私は朱熹は嫌いですが朱熹本人は易占の達人でした 儒教がヤバイのではなく朱子学がヤバイのだと思いますね
儒教は世俗道徳を説いているだけで良いのに朱子学で儒教原理主義になっていってしまいました。
しかも朱子学では理気二元論で易經の理論に現実の政治を合致させれば、万人平等で何不自由のない理想社会が世の中に顕現するというお花畑理論が展開されています。
易經の理論は当時の人にとっては今で言う物理学でした。
朱子学には科学的社会主義チックな側面があります。
マルクス主義が中共で受け入れられた下地になっていると思われます。 朱子学なんてのは、本来は禅宗と道教を併用することで毒を抜いて使うもんだろうに。 >>589
>しかも朱子学では理気二元論で易經の理論に現実の政治を合致させれば、万人平等で何不自由のない理想社会が世の中に顕現するというお花畑理論が展開されています。
コーランの教えに世の中を合致させればに言い換えたら
そのままISISだな >>588
朱子や王陽明はそうだけど、孔子はそうじゃないし、程伊川みたいに易経の研究者なのに占いを嫌ってた人もいる
・・・孔子の論語の翻訳335回目、子路第十三の二十二
子曰わく、南人、言えること有り。曰わく、人にして恒なくんば、以て巫医を作(な)すべからずと。善いかな。其の徳を恒にせざれば、或いはこれに羞を承(すす)めん。子曰わく、占わざるのみ。
孔子がおっしゃいました、
「南方のことわざに、”変わらぬ信念を持たぬ者は、巫覡(ふげき:まじない師や巫女のようなもの)や医者にはなれない” というのがあるが、私もそう思う。」
また、”徳を常に心に持っていなければ、いつか辱めを受ける” ということわざに関して、
「この言葉は占いとか予測とかではなく、間違いの無い事実だ。」
とおっしゃいました。 易経が儒教に組み込まれたのは、孔子の死後だいぶ経ってからのこと
孔子が易経を読んでたのはもちろんだし、易経の編者という伝説もあるくらいだけど、占いをどう思ってたかについては、
この論語の「占わざるのみ」という言葉をどう解釈するかによって変わってくる >>589
朱子学が万人平等?
初耳だが論拠は?
礼記の礼運篇には平等社会が説かれてるが易経にそんな記述あったか? >>594
「近思録」の第二巻部分にあるよ。
「人類皆兄弟」ってのは、朱子学の近思録のことばが元なんだよ。 人肉は昔っから食うだろ
今でも胎児カプセルとか出回ってるらしいし >>584
だから「中国人の自己批判」って言ってるだろ
黄文雄の場合は「漢民族」「中華民族」から独立した違う民族
の台湾人、という概念を唱え、その立場から中国人を批判しているのだから、自己批判的なものにはならない
「台湾人」といったって、典型的な統一派(その典型は外省人(だった))の場合、反共主義の文脈でなければ、
「中国人」を批判するのは自分を含めた中華民族をどう良くすべきかという民族的啓蒙主義になる
『醜い中国人』の日本語版では解説文を黄文雄が書いているが、その立場の違いにも言及している
目的が正反対なんだから「似たようなもの」では片付けられない
>>587
魯迅の『狂人日記』も民族覚醒のためのショッキングなメッセージとして「人が人を食う」という概念と寓意があるし、
『薬』にも清末の中国で刑死した革命家の血を染み込ませたマントウが市井で薬として取引される話があり、
民衆の愚昧と近代化精神の挫折との対比を描くのに使われている
「支那=食人」というイメージは当時の日本の通俗的な小説では頻繁に描かれていて、
日本留学でそれを目の当たりにした中国知識人は躍起になって否定したはずだが、
魯迅はむしろ中国人の覚醒を促す言論、民族啓発に利用した 儒教かぶれの馬鹿チョンどもって、魯迅など読んだことすらないのだろう よく言われる、「中華>朝鮮>日本」という、朝鮮人の脳内の序列意識は、国力や文明開化度の順位ではない
国力を言ったら、朝鮮が日本を上回ってた時期など、古代から近代まで一度も無い
結局のところ、イスラム教徒がメッカやメディナを聖地と崇め、メッカに向かって礼拝するのと同じで、
儒教徒にとっては中国の中原が聖地なのであり、そこから遠いほど神聖さが薄れるという、宗教と切っても切れない世界観
それに尽きる 江戸時代の日本でも、荻生徂徠の中国かぶれなどは有名で、中華を聖地あつかいし、中国語を覚えて「漢文を訓読するのは邪道。中国式の発音で音読すべきだ」と主張した
でも、そんな荻生徂徠も、「聖地と言えるのは古代の中華なのであり、現代の清朝のシナはそうではない」と考えていた
「胡人に支配される清は、もはや中華と呼べない」という考えは、日本でも朝鮮でも根強いものがあった ついでにいえば、明清帝国が依拠した北京の地は、もともと「中華」とは言いがたい辺境の蕃地
経済の中心である南京や揚州・杭州だって「中華」ではない >>600
別に中原に呪術的な神聖さがあるわけじゃなくてイデオロギー的な正統性の序列だろ。
華夷変態したら朝鮮の方が上になる。当たり前の話。
イスラム教について言えば、メッカとメディナで聖地としての性格がかなり違う。
メッカは異教徒への勝利を象徴する場所で、メディナはムハンマドが築いた社会が一番よく残るとされる場所。 加えて、清では農村人口が急増し、すでに「土人国家」と化してきていた
19世紀に入ると、国力の衰退が目立ち始める >>603
明から清になり、朝鮮人は清に叩頭することになったが、一方では、「清はもはや中華ではない。我が国こそが小中華である」として、明の正統な後継者を自負するようになった
日本人にも、小中華とは言わないが、「清はもはや中華ではない。本邦こそが中華である」という考え方が見られるようになる 膨大なシナ土人の群れを、胡人の皇帝が支配する清朝
それはもはや、「中華」の姿ではなかった しかし、その一方で、清の陶磁器や絹織物の品質が圧倒的であることには何ら変わりなく、これらの国産化に成功した日本はまだしと、 まだしも、朝鮮が逆立ちしても敵う相手ではなかった
「我が国こそが小中華である」という意識は、まったくの精神勝利でしかなかった 地図など見たことのない韓国人は、日本列島より朝鮮半島のほうが広い、
日本より韓国のほうが人口が多いと思ってる。 >>611
地図に弱いのは、中国人やアメリカにも共通する傾向
昔は、日本を小さな島だと誤解している人が本当に多かった
いまは、人口五千万人の韓国で年間1千万人が日本に旅行する時代なので、さすがにそれは無い
むしろ今は、釜山からソウルまで鉄道旅行した日本人が、「韓国って、こんなに狭かったの?」とビックリすることがよくある >>615
日本やアメリカは「法の支配」
中国や韓国は「儒教の支配」 >>614
>人口五千万人の韓国で年間1千万人が日本に旅行する時代なので、さすがにそれは無い
その韓国人だが、「広島・京都・奈良・東京・日光を1泊2日で回りたい。案内してくれ」
と言われたことがある。
日本の広さをどう認識してるんだ?と思った。
スケジュールの都合がつかないと断ったら、2日間くらい都合をつけろ、お前は薄情だと。 >>617
別府温泉で、「ここから阿蘇山まで歩いて何分?」とか平気で聞いてくるらしいな
普通に歩けば20時間くらいで着くだろうけど、それまで体力がもつかどうか 実際、昭和時代に韓国に行った人の話を聞くと、「日本は狭いでしょう。広々とした韓国で暮らしたらどうですか?」と真顔で勧められたとか、そういうエピソードがよくある 旅行板の北海道スレで、函館の夜景や札幌でビアガーデン、
旭川の動物園、知床岬に宗谷岬を
一泊二日
でまわろうとして地元民から散々バカにされる例は多々見られる さて、閑話休題
NHK出版新書 583
腐敗と格差の中国史
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000885832019.html
またもや嫌中本かと思ったら、NHKらしくまじめなもので
中国の官僚制度の裏面史ともいうべき内容。 >>620
北海道と韓国は、だいたい同じくらいの広さ しかし、韓国は真四角なので、両端の釜山からソウルまでの距離すら300キロ
名古屋と富山くらいの距離だ 誰だったかの本で、
仕事で知り合った韓国人からある日突然電話が来て
「今、下関に着いた。東京に行きたいんで迎えに来てくれ」
冗談じゃない、東京から下関までどれだけかかると思ってんだよ!
こちとら勤務中で今から急に休みなんて取れるわけないだろが!
片言の日本語使えるんだから一人で東京に来られるよな!
というのを読んだ。
本は積ん読のなかにうずもれていると思うが出せない。 日本は「島国」だから、半島から見ればどうしても小さくイメージされてしまうんだよね。
江戸期の朝鮮通信使も、日本の広さ、そして長旅に驚いている 二言目にゃ日本をして「ちいさな島国」呼ばわりする某大陸国家。
島国であってもシンガポールよりは大きいぞ! ていうか、東京を上海とすれば、札幌は北京あたりにあるし、鹿児島が香港あたりにある
日本列島は、面積は「中国の省ひとつ分」とも言われるが、地理的スケールは「中国沿海部ひとつ分」 アメリカにも東海岸と西海岸があるように、東アジアでは、日本の太平洋側が第一海岸、中国の沿海部が第二海岸といったところだろう 昔、「中国は広すぎて、北京と上海など外国そのものだ。中国はいずれ分裂する」という話を聞いて、地図で距離を図ったところ、だいたい東京と札幌くらいの距離だった
しかも、北京と上海の間には霧に包まれた津軽海峡はないし、豪雪地帯もなく、ほとんどが平坦な華北平原
「これなら分裂せんだろ」と思った覚えがある
ただし、北京と上海の間には、長江と黄河がある
これは無視できない大きさ 知り合いの上海人の話を聞いても、北京に対して上海人が持っているイメージは、東京人が札幌に持っているイメージと似ていた
「北のハテにある寒くて、普通の地方都市よりはデカいけど、上海に比べたらたいしたことない街」というイメージだった >>632
首都北京とビジネス都市上海の関係はどちらかというと首都東京と商業都市大阪に近いのでは? 中国共産党は、マルクス主義というより儒教の政党だ
毛沢東語録は儒教の聖典 一言レスでここまで知能の低さを表せるって一種の才能じゃね? >>635
毛沢東は儒教を徹底弾圧したけどね。
マオイズム(毛沢東主義)はタオイズム(道教)だと一部西欧知識人がいうことあるけど毛沢東主義が儒教とは言わない。 >>638
そういう奴ほど、往々にして本人は儒教に洗脳されているものだ
毛沢東は子供の頃から四書五経を暗記してた
大人になってから儒教を迫害するようになったが 毛沢東が儒教を弾圧したのは、三国志の曹操の影響という見方もある
↓
中華人民共和国では「儒教は革命に対する反動である」として弾圧され、特に文化大革命期には、批林批孔運動として徹底弾圧された。
多くの学者は海外に逃れ、中国に留まった熊十力は激しい迫害を受け自殺したといわれる。
儒教思想が、社会主義共和制の根幹を成すマルクス主義とは相容れない存在と捉えられていたためとされる。
なお毛沢東は三国志を愛読し、曹操をとりわけ好んだといわれるが、曹操は三国時代当時に官僚化していた儒者および儒教を痛烈に批判している。 曹操は儒者を嫌ってた
荀イクを自害させたのも、そのせいか だーから批林批孔運動は
四人組が周恩来を批判したくてもできないから
当てこすりの意味で作ったキャンペーンなんだよ
孔子が理想とした国家「周」を悪者にしただけのもの >>642
なるほど、周恩来の変わりに、いにしへの周王朝を批判したか
なんとも、回りくどいことをするもんだな 周恩来は温和で人民に優しいインテリの革命家というイメージが強かったから
孔子のイメージを重ねるにも都合が良かった
80年代になってからも周恩来らしき容貌のとある党幹部が街の中で
不道徳なやからを諭すことで揉め事を解決する、という水戸黄門みたいな連続ドラマがあった 中国の社会が荒れているのは、中国共産党が儒教の伝統を断然したのが原因 >>645
中共の前の中華民国や中華帝国の時代も社会は荒れてたし、清国や明国も荒れていた 中共も国府も明清も民主主義制度が根付かなかったから、社会は常に荒廃していた 幕府の儒教をつかさどる林家次男の鳥居耀蔵は儒学の素養が深かった 老中首座の水野忠邦は、鳥居耀蔵に「蛮社の獄」として蘭学者の弾圧を執行させ、
さらに歌舞伎、寄席、書籍、浮世絵などの庶民文化へも弾圧を強行した 「蛮社の獄」は水野の政策というより、彼に便利に使われていた鳥居の独断専行の
色彩が強いんじゃなかったっけ。
それから、当時の蘭学者には儒学を修めたうえでの発展で蘭学にまで手を伸ばした
層が厚かったはず。 水野忠邦は、儒教的禁欲主義の理念をもって、士風の振興から庶民の生活・風俗統制まで強圧的に行っていった 水野忠邦自身が常に綿服を着用して質素倹約に努めていた
厳格な改革指導者との顔を持つ一方、
多額の賄賂を受け取る金権腐敗の老中でもあった >>647
かの江沢民は
「中国は民主主義の本家だ。
すべての人民に皇帝となる道が開かれている歴史を経てきた」
今思えば江沢民は皇帝になりたかったのか。 >>653
中国の政治を反日方向に舵を切った張本人だから、日本の天皇家の事を念頭に置いていたのかもね。 質素倹約に努めただけでは経済は回復しない
老子道徳経に、役人は飢饉の時にも生活の抑制が出来ないから税金が下げられず、これが貧民窮乏の根本原因と述べられている
公務員でも役人でも武士でもいい
不景気(つまり飢饉)の時は税金生活者が身を削って、公共事業をしないと社会は回復しない
儒教では質素倹約だけで公共事業で景気回復の思想はゼロ 結論・儒教は民主主義の敵
結論・支那チョンは民主主義の敵 >>655
そんな発想ケインズ登場までヨーロッパでもなかったから。 >>410
>江戸幕府は、朝鮮カルトを国家公認の官学にしていたのか?
そうだよ江戸幕府が無くなってからは、朝鮮カルトは国家公認の官学じゃなくなった 鳥居は明治維新の後まで生きた
煉瓦造りで電灯の灯る銀座の街並みを見て言ったそうだ
洋学を解禁したらこうなるのが分かっていたから
徹底的にこれを弾圧したのだと
また100年後の日本人は西洋人のような服を着て
西洋人のような食生活を送っているだろう
とも言っている
江戸幕府の官学であり蛮社の獄の登場者自らが
西洋文明に対する朱子学の敗北を認めている 鳥居が死んだのは明治6年
銀座が煉瓦街になったのは明治5年
そのタイミングで銀座の煉瓦街を見れたかな?
ついでにいえば当時の銀座の照明は電燈じゃなくてガス燈。 >>662
江戸時代の日本人の知性が高く文盲率が低いのは幕府が儒教とその学問主義を導入したからというのも多いにある。 日本人は儒教のおかげで識字率が上がった
朝鮮人は儒教のおかげで文盲だらけだった
何故こうも違いが出るのだろうか >>663
寺子屋の起源は室町時代にさかのぼる
名前を見ても明らかなように、仏教寺院から派生したもの >>664
日本人にとって儒学は、漢文の訓読を勉強するためのテキストにすぎない
現代でも、高校の国語で漢文をやってるが、これも言語教育の一環であって、思想教育ではない でも朝鮮にも「書堂」という寺子屋があって、千字文や四書五経教えていたんだろ?
それで文盲(一発変換できない!)が多いというのがわからん。
あるいは書堂は両班階級のものであって、庶民は入学禁止だった? >>669
Wikipediaによると、そうだな
書堂は李氏朝鮮時代における初等教育を担い、日本の寺子屋にほぼ相当するが、その実態は大きく異なる。
明治時代以前の日本と較べて強いて言うなら地方支配階級である武士(藩士)の子弟が通う藩校の縮小版のようなもので、授業を受けられるのは両班の男子の子弟に限られていた。
日本では、主に武士階級以外の一般の農民や町民の子女が通った寺子屋では「読み書きソロバン」や場所によっては他の学問(医学や蘭語や天文学、数学)も教えたが、
朝鮮の書堂では科目は漢籍の訓読、詩文、習字だけであった。 >>667
先輩後輩の関係性だとか年上を敬え的なものは思想といえば思想だけど
仏教自体も儒教の影響受けてるしなインドの仏教に先祖供養なんてものは存在しないが
祖先崇拝を重要視する儒教が国教だった中国でアレンジされた
まぁ郷土的に元々あったところもあるから全てが儒教ってわけでもないけど >>666
寺子屋は江戸時代には名前だけで実際にそれを担ったのは儒教的教養を身につけた浪人などだった。 江戸時代の日本の庶民にとって、寺子屋で習う読み書きそろばん他の学問は、
町村の自治に携わり、商家や農家の経営を担う者としての「実学」に他ならなかった。
身売りされた遊女ですら客を楽しませるために高い教養を身につける教育を施され、
運よく梅毒などの性病に斃れず無事年季が明けた遊女には、市井で手習いの教師として
尊敬を受けつつ余生を送る道が開かれていた。 儒教的教養を身につけた会津藩主の松平容保は、朝敵となって明治維新を武力で妨害した 産業革命も科学発展も起きず
数学の問題を奉納して喜ぶ土人に過ぎなかった 江戸時代の武士は、「正心誠意、致知格物」とか、みんなやってたんだなあ
現代の日本人で、そんなの知ってる人は滅多にいない 江戸時代の武士なんて、現代の日本の自衛隊や警察より貧弱で無能だろ >>677
んなことないよ
朝鮮の両班じゃあるまいし >>676 >>678
江戸時代の武士に、航空機や潜水艦の操縦はできないし、チョン軍のレーダー照射も探知できないだろ >>655 >>658
尾張徳川家の宗春は徳川吉宗の緊縮財政に対抗して開放経済・規制緩和をやった。
それで名古屋の経済は潤ったが、尾張徳川家の財政は半端ではなく逼迫、火の車。
結局失脚してその後は一転緊縮財政を強いられた。 >>678
自衛隊の89式小銃>>∞>>幕府陸軍のシャスポー銃 >>679
江戸時代に航空機や潜水艦、レーダーがあったのか? >>682
航空機や潜水艦、レーダーすらない江戸時代の武士が、
現代の日本の自衛隊に勝てる方法なんてほとんどないだろ 江戸時代の武士って、長州藩の反乱すら鎮圧できずに内乱でまとまることが出来なかった >>682
論語には、「航空機や潜水艦、レーダー」の製造法や使用法は書かれてないもんな >>676 >>678
科挙に合格したチョンの両班ならむしろ「正心誠意、致知格物」を知ってるヤツは結構いただろ 江戸時代だと、槍や火縄銃を持った武士も普通にいたw >>676
現代の日本は先進国なので
「正心誠意、致知格物」を暗記することより、もっと最先端な知識を得ることが重要なのである >>687
ところが、日本人が字面から勝手に思い込んでる意味と全然違うんだよなあ。
(儒教が示す道徳的優劣に沿う)正(しい)心(をもち、儒教の道徳的優劣に)誠(実な)意(思をもつべきニダ)。
こういうこと。こう理解してから、例えば>>482を読み返してみて欲しい。
朝鮮人たちは「誠に」、正心誠意を忠実に実行してるからw >>690
根拠に基づかないなら、チョンの脳内序列だろ
実際、「正心誠意、致知格物」を知らない現代日本人は、パクリ猿のチョンよりも上級なんだし >>660
儒学は基本的に下降史観だから理屈は通ってる 確かに儒教は異常なほどの尚古主義だからな
昔のほうがよかった今は駄目!みたいな妄想に凝り固まってしまう そうかな?科挙に合格した官僚も新しい経済政策を提案してるぞ
復古の形をとることもあるが形式だけだ 「昔が理想今は堕落」は儒教だけの専売特許じゃないよ。
キリスト教も本来はそうだった。 ユダヤ、キリスト教、イスラム共通の尚古主義はエデンの園。
仏教の尚古主義は末法時代に対する正法時代。
儒教は堯舜の世。 仏教の末法思想はちょっと特殊だけどな
初期の仏教教団の連中は、「今こそ正法の時代であり、いずれ正しい教えは衰えるであろう」と考えていたのであって、もともとは尚古主義というより、「いま現在が最高」という思想 洋の東西を問わず、古代文明の時代というのは、原始共産制から格差社会への移行期にあたる
「だんだん、せちがらい世の中になってきたな。昔は良かった、皆がノンビリしていて」というような郷愁が起きてきたのは当然だろう 末法思想で疑問なのは、末法の世がある日突然始まると思っていたのだろうか >>702
いや、「釈迦が正法を説いている現在が最高で、その後ゆっくりと時間をかけて法は衰える」というのが、もともとの考え方 昭和時代には、「末法の世になってきたので、前世が釈迦であるこの私がまた生まれ変わってまいりました」というような教祖が何人も出てきたが
中沢新一によると、「釈迦の生まれ変わり」はインドやチベットには多くて、「前世は釈迦の右手だった」とか、そういう人もいるらしい 千年前の日本人は、「日本は世界のハテにある辺境の地」とよく自虐していたが、この場合の「世界の中心」とは、仏教の聖地であるインドを指している
その点、儒教の徒である朝鮮人にとっては、中国が聖地だ
ここに意識のズレがある >>700
末法思想の典拠は月蔵経という大乗経典で成立は初期仏教より大分時代が下る。
初期仏教に末法思想は無い。 >>706
そうだな
言われてみれば、そうだった気がする
「正法が次第に衰える」というのは、釈迦が入滅してしばらく経ってから台頭してきた考え方 >>702
偽作と言われる末法灯明記では平安時代の1052年から末法に入ったとされた。
この時代は摂関政治から院政に移り武士が台頭する激動期でリアルに末法が感じられた。
こうした時代相が末法思想を根拠にする念仏や日蓮宗のような鎌倉新仏教の基になる。 >>706
>初期仏教に末法思想は無い
いや、それは言いすぎだ
「正法は時間が経つにつれて次第に衰える」という法滅思想の萌芽は、最古層の原始仏典にもすでに見られる
その後のエフタル侵入による仏像破壊や、ヒンドゥー教の台頭による仏教衰退に伴い、それがだんだん真実味を帯びて盛んになってきただけ 普通の宗教の尚古主義は精神的なものだが
儒教やマルクス教の下降史観は世俗生活を
過去に戻そうとするから厄介
世俗社会を過去に戻そうとするとポルポト
の如き恐怖の存在が生まれてくる >>710
マルクス主義は上昇史観だろ。
封建的生産関係より資本主義的生産関係の方が優れ未来に来る共産主義的生産関係の方がより優れるとしてるのだから。 共産圏の共産主義は明確に進歩主義だけど、西側だとどうなのかなあ。
□○以外の革命運動がことごとく三里塚に回収されてしまった事態とか見るとねえ。 マルクス教では現代の方が封建時代より悪
ただ現代資本主義は内部矛盾による崩壊の
可能性が高く、崩壊すれば原始共産制が実現
できるというだけで中世よりも評価される
マルクス教の目指すところは人間がアニマルに
なった世紀末的文明崩壊社会 マルクスは財産をネコババしてるよ。私有財産を所有者から財産を取り上げたんだからな。
悪じゃないと失敗しないと歴史に残らない。 搾取するというけどだれでも事業を立ち上げて経営者になれるんだから、それに気づかない方が間抜けだろ。 >>716
今はそうかもしれんが、19世紀イギリスの工場労働者なんて、白人奴隷そのもの
とても独立なんか考える状態じゃないぞ? >>714
「この国はまだ絶対主義段階だからまずブルジョア革命をやってそれから共産革命をやろう」
なんて議論が普通にあった、というかレーニンがその通り実践したんだが でも情報入れてリアルに生きてればよかったんじゃないの? >>716
韓国みたいな国を見ればわかるが、
事業を立ち上げて経営者になったって、
経済環境や、国のルールが健全じゃないと、結局は大資本に搾取されるだけだったりする。 >>721
マルクス擁護なんかしてないが?
あまりにアンチが無知でバカだからそう見えるのか? >>722
マルクスのどの点と儒教のどの点が親和性が高い?
自分には全く水と油の思想に思えるが?
渋沢栄一やリークアンユーが儒教主義だったように資本主義とは結構親和性あると思うけど。 >>724
マルクス教も儒教も革命による簒奪を肯定し、非民主主義政権の統治を肯定してる >>726
それを言うならアメリカ独立革命とイギリス名誉革命を賞揚した近代保守主義の父バークはどうなる?
あくまでも革新だったマルクスに比較して伝統価値と儒教でいう士大夫的貴族紳士階級を重視したバークの方が儒教に近いだろ。 ハンナアーレントは革命を政治革命と社会革命に分け政治革命であるアメリカ独立革命は支持するが社会革命であるフランス革命とロシア革命は否定した。
儒教は易姓革命という政治革命は支持するが士大夫秩序を脅かす社会革命は否定する。
中国の宗教反乱には社会革命型もあったが。
マルクスは完全に社会革命主義者で儒教型革命とは相容れない。 >>727
バーク哲学の主要概念は「法による支配」
「徳治」を推奨する儒教とはかけ離れてる >>724
単なるマルクス主義なら儒教と関係無いけどレーニン主義、トロツキズムと進むにつれて儒教に親和的になってくる。
指導者や党員の不断の自己批判によってしか社会正義が実現し得ないから。
まだしもスターリン主義の方が物質的な豊かさが最終的な目的としてぶれないだけ近代的だ。 >>728
ハンナアーレントは儒教の易姓革命を支持してないだろ 西洋哲学で、「民衆による抵抗権、革命権」を言い出したのは、イギリス近代思想の祖 ジョン・ロック
ロック思想に基づいてアメリカ合衆国が建国され、マルクス思想に基づいてソビエト連邦が建国された 儒教とマルクス主義とか起源も成立した時代も背景も全く異なるものを同じとか単なるオカルトでしかない。 >>735
それはそうだが、中国共産党を「儒教的マルクス主義」とする見方は以前からある 今だって、中国の農村には、強制されたわけでもないのに習近平の肖像画を飾っている家が多い
農村を取材したジャーナリストが「なぜ?」と質問していたが、とくに理由はないようだった 文大統領が田植え機を運転してる報道があったが、
韓国は大統領が新嘗祭を行うの?
田植機を運転する文大統領
https://japanese.joins.com/article/752/253752.html?servcode=200&sectcode=200&cloc=jp|main|top_news 儒教は民主主義否定するからダメだ
資本主義否定するくらいなら、最初から「俺は貧民だから救済して欲しい」と正直にいえばいいのに、貧民であることを隠して偽善をいうから嫌われる
儒教をネタに資本主義否定してる奴は、儒教が好きなんじゃなくて、ただ貧民救済して欲しいだけだろ
アジア主義だの何だの偽善いう前に「貧困の俺を救え」と本音言え >「貧困の俺を救え」と本音言え
韓国人は相手がうるさがっても構わず大声で言うぞ 平成は右も左も関係なく日本国民1億総白人崇拝の時代だった
恥ずかしい名誉白人(猿) >>740
そうだな。
名分を手に入れ主導権を握ろうと、相手の道義心に訴える事は朱子学徒の習性だ。 >>739
孟子の民本主義知らないの?
更に日本資本主義の父渋沢栄一が儒教の信者で実践者だったことも知らないの? >>736
中国共産党を道教マルクス主義というのは聞いたことあるけど儒教マルクス主義は初耳!
出典は? >>743
「民本主義」はもともと「普通選挙」を請願するために活動してた日本人らが作った言葉である
孟子は「普通選挙」を請願していない ケ小平は改革開放の初期の段階で、中国の現代化の目標を、「いくらかゆとりのある社会」を意味する「小康社会」に定めた。
「小康」とは、前漢期にまとめられた儒教の古典の一つである『礼記』の「礼運篇」の中では「大同」に次ぐ理想の社会として描かれたものである。
大同は、共産主義社会と同じように、争いのない公有制を前提としているのに対して、小康は、私有制と人々の私欲を前提とし、「礼」(制度)によって治める社会として描かれている。 胡錦涛・温家宝政権になってから、「小康社会」は「調和の取れた社会」(「和諧社会」)であることが強調されるようになった。
それを実現するための指針として、「人間本位主義(「以人為本」)の立場から社会全体の持続的な均衡発展を目指す」という「科学的発展観」が提示されている。
具体的には、@都市と農村の発展の調和、A地域発展の調和、B経済と社会の発展の調和、C人と自然の調和のとれた発展、D国内の発展と対外開放の調和という「5つの調和」がその主な内容になっている。
これらは、まさに儒教の「和」の思想に基づいている。王毅駐日大使(当時)が指摘しているように、
「儒教が最終的に追い求める目標は「仁」を中核とし、「徳」を基礎とし、「礼」を規範とし、「調和」を目指す理想的境地であります。
従って、儒教文化の終始変わらぬ特徴は、「和」の一言に集約できると言えます」 2000年6月、江沢民総書記は「中央思想政治工作会議における講話」において、
「法律と道徳は上部構造の構成部分として、
いずれも社会秩序を維持し、人々の思想と行動を規範化する重要な手段であり、そして相互に関連し補完している。
法治はその権威性と強制的手段で社会の成員の行為を規範化している。
徳治はその説得力と誘導力で社会成員の思想認識と道徳的自覚を向上させる。
道徳規範と法律規範は互いに結合し、統一的に作用を発揮すべきである」と語り、
「以徳治国」という方針を打ち出した。
江沢民の後を継いだ胡錦涛総書記も「八栄八恥」という道徳規範を提唱している。
その内容は、マルクス・レーニン主義よりも、儒教の考え方に近い。 毛沢東は、秦の始皇帝のように儒教を嫌って焚書坑儒に走ったが、その後の中国共産党は、漢のように儒教に傾斜している。
最近の中国共産党は、マルクス主義というより、儒教主義の政党と化してきた。 今世紀に入ってからの中国は、多くの面で明清帝国に回帰しつつある
中国共産党が儒教政党と化しつつあるのも、その一環 儒教必死に叩いてる奴いるけど
日本人って儒教レベルの普遍思想を産み出したことすらないじゃん >>751
詰まる所、日本社会ってケースワークごとの是々非々主義で、
「普遍思想」って思考様式に対して冷淡なところがあるよな。
それが社会のブレークスルーにつながっているところもあれば、
大陸諸勢力との交流において大きな障害になってくるところもある。 >>751
儒教は中韓でしか通用してない
普遍思想とは言えんだろ 欧米でも、スピリチュアル系の人々の間では老子の人気が高い
でも、儒教はまったく人気がない
歴史上の人物としての孔子の知名度はそこそこ高いが、思想家として評価する声はほぼ皆無だ >>751
「儒教=中韓」というナショナリズムでしか儒教を見ていない点では、お前も同類だ
「東洋思想」として見ることはできないのか? >>752
そういう社会正義の一回性は儒教の大前提の一つでもある。
ただ日本の場合はこれに政治経済に限っての反知性主義という要素が加わる。 >>756
反知性主義ってのは、枝野幸男とか福島みずほとか、脳ミソ腐ってる連中のことだな >>755
儒教=中韓なんてどこにも書いてないけど
東洋思想でもなんでも
日本人が国を跨いで広がるような思想をゼロから創造したことがないのは事実 >>745
時代背景が違うものを混同するのがオカルトだって!バカにしか見えない。 >>747牽強付会だなw
無理矢理引っ付けてる感じで中身がない。 >>745
民を本とし社稷これに次ぎ君を軽しと為すって知らない? >>758
だから、儒教のどこが国を跨いで広がるような思想なんだよ(笑)
中韓でしか通用していない、民俗信仰の一種 厳島神社や伏見稲荷大社、明治神宮には、世界中から観光客が集まっている
儒教にそんなものは無い
同じ民俗宗教でも、神道のほうが世界的な影響力は大きい >>762
中国から朝鮮、日本、東南アジアまで国を超えて広がってるけど?
神道なんて戦時中に広めようとしたけど敗戦したら一瞬で廃れた
日本列島でしか通用しない土着宗教 観光客が集まるかどうかで思想の普遍性、伝播力を語る馬鹿がいるとは思わんかったw >>765
教義内容は乏しくても、芸術性が高いから観光客が集まる
それすら無い儒教よりはまだマシという意味 >>764
日本人は、このスレを見ても分かるとおり儒教を嫌っている
東南アジアは儒教社会には程遠い
仏教やヒンドゥー教、イスラム教の影響が遥かに大きい >>766
まあそれはいいけど
日本以外に神道が伝わってる国ってどこ? >>767
儒教を嫌ってるのはケントギルバートとかの本鵜呑みにしてる馬鹿だけだろ
普通の日本人は儒教的な礼儀を重んじて日々生きてるから
反儒教基地外は会社でも礼儀知らずな生活を送っているの?笑 >>769
んな奴いねえよ(笑)
バカだな、お前は 江戸幕府も明治政府も儒教教育を最重要視してたのに、中韓でしか通用しないとか
歴史知らなすぎワロタ >>770
反儒教キチがわけわからない主張するたびに、スレが劣化する >>759>>761
「民本主義」はもともと「普通選挙」を請願するために活動してた日本人らが作った言葉である
孟子は「民本主義」という言葉を作ってないし、「民選議会」を設立してない
「民選議会」を設立しない国家は反民主主義国家である>>743 >>778
孟子の時代も今の中共も、ずっと支那には「民選議会」や「普通選挙」が定着しない野蛮な反民主主義国家なんだよ >>779
孟子の時代の日本も野蛮な反民主主義ってことか? >>780
文明開化で儒教が官学じゃなくなってから後は、日本人らが「民本主義」という言葉を作って築き上げた民主主義の国だよ
支那はいまだに反民主主義国だけど >>769
普通の日本人は、「徳による支配」ではなく「法による支配」を重んじてる
儒教的な「徳による支配」だと立憲君主制は成り立たないし憲法にも違反する >>781
孟子の時代の日本は野蛮だったかどうかを聞いてるんだが?
答えろ >>777
民本主義は孟子由来だよ。
そんな事も知らないの?
封建時代の儒教と近代の民主主義を混同する愚を冒してるし。 >>782
大半の日本人は法の支配の意味すら知らないだろ >>783
昔の日本人の子孫である今の日本人は野蛮じゃないぞ
孟子の時代の支那人も今の支那人も野蛮だってことは理解できるよな?返事しろよ 反儒教キチは先祖を敬うという礼儀すら欠落してる異常者だから
昔の人間を平気で野蛮とか言えるんだよね
これって左翼思想と極めて酷似してるだろw >>784
民本主義は日本人が作った言葉だよ
そんな事も知らないの?
近代の民主主義は「民選議会」が必須だし「民選議会」が無い国は民主主義じゃない >>785
おまえはチョン校生か?
大半の日本人は「法の支配」を義務教育で習うぞ >>791
法の支配の意味を知らなかった安倍チョンを馬鹿にすんなや >>792
安倍自民党は「普通選挙」と「民選議会」による勝利者だぞ馬鹿チョン おいおい昔の日本人を馬鹿にするわ
安倍ちゃんを馬鹿にするわ
反儒教キチはとんでもねえクソパヨクだわ >>794
少数支配者の善性に期待せず、徳治主義を排して、法律の厳格な適用によって人民を統治 >>796
昔の朱子学者は、地球が丸くないって強弁してた大馬鹿者だぞ >>799
昔の日本人を馬鹿にしてんじゃねーよクソパヨク >>:798
違うってんなら正確な説明してみろよ
言い方を変えてるだけじゃ駄目だぞ
相容れないってことで反論してみろよ >>800
パヨクはおまえだろ
昔の朱子学者はチョンに憧れてた反日キチガイだぞ >>801
法学の基礎がわかってないくせに偉そうに書き込んでるのが恥ずかしいぞ
そもそも歴史すら全然知らないじゃん、お前
だっせー 法の支配連呼してたくせに、法の支配の意味を知らない奴www >>803
説明も反論もできず喚いてるだけじゃん
チョンと同類だな儒教キチガイって >>806>>803
馬鹿チョンの常識は先進国の非常識
説明も反論もできず喚いてるだけじゃん もう、パヨクは「儒教を批判する奴はネトウヨだ〜!」とかなんとか、昔の壊れたテープレコーダーみたいに連呼するの止めろよ
スレが荒れるだけだ これは特大ブーメランwww
>>785
おまえはチョン校生か?
大半の日本人は「法の支配」を義務教育で習うぞ >>787
日本人は文明開化して野蛮じゃないことが証明された
そこが支那人とは違うところ >>814
文明開化前の日本人を野蛮人扱いしてんじゃねーよゴミパヨク >>815
文明開化以前の日本人も同じ日本人だからな
支那人はいまだに文明開化が不可能な野蛮人だけどな そこまで儒教を狂信してるなら法治国家を否定して徳治国家を目指さないとな チョン校は反安倍で反日のテロ支援学校だったな
孔子学院みたいなもんか 支那チョンは馬鹿だよな
文明開化した先進国の日本に征伐されても野蛮国のままだし 支那では20世紀になっても、時代遅れの朱子学に偏った科挙を実施し続けてた ミンス党菅直人政権が公的支援を決めたチョン校w
安倍自民政権に征伐されるチョン校w >>437
ウヨ連呼のパヨって、下チョン批判できないの? なるほどチョン校生徒だから南朝鮮をDISってたんやね >>831
チョン校は下チョンとも仲がいいってパヨの有田ヨシフが言ってたぞ チョン人は、海峡を越えて下半身でつながっているのだな >>437
悪口じゃないだろ
チョンが低能なのは本当の話なんだしな
儒教信者は現実を直視しろよ チョン校生徒なんだから祖国の悪口ばかり書き込むなよ笑 >>835
大半の日本人は>>437と違ってチョン校生じゃないから、普通にチョン批判できるわ >>785
法の支配を知らないのは支那チョン土人だろ 儒教の支配を美化するキチガイは支那チョン土人と同類だな 下チョンに正論を言うと発狂する>>437のことじゃねーの? チョン批判すると発狂する儒教信者のチョン校>>437 チョン校出身で法の支配の意味も知らない反儒教キチ笑 チョン批判すると発狂する儒教信者のチョン校出身>>437 >>437はチョン校出身の馬鹿だから儒教を狂信するのか チョン校出身の>>437が儒教を美化しようと必死こいてるんだろ チョン校出身のクソボケ>>437が儒教を美化しようと必死こいてるからなw >>491
>遺体を生ゴミに出してやれ
むしろ火葬せずに埋葬する儒教式の葬祭のほうがそれに近い >>857
生ゴミに出すのと葬式を同一視するとか禽獣にも劣るな >天皇皇后両陛下の御意向を踏まえ、
>宮内庁は江戸時代から続いてきた「土葬」での埋葬を見直し「火葬」にすることを決めたと発表した
両陛下は儒教式の葬祭を拒否されたということか 上皇后が本当はカトリックでしたいのだけどやれないからせめて神道式の拒否で済ませた >>861
キリスト教は火葬に否定的
復活の教義があるから 儒教の影響が強かった支那では、長く土葬が行われてきた
仏教が広まると火葬も行われるようになったが、儒者は「火葬は遺体に対する冒涜」と激しく反発した 遺体に執着するのは儒教特有の発想
仏教では、遺体には意味がない 遺体に執着するのが世界標準で抜け殻扱いする方がインド・イラン系の宗教の特徴かと >>865
火葬は土葬より合理的だって気づいたんだろうな
キリスト教や儒教の伝統葬儀は不便すぎるんだよ 高温多湿な国で、土葬はあり得んだろ
中国北部やアラビアみたいな乾燥地じゃないと よっぽど人口密度が上がらない限り土まんじゅうで十分 >>867
別に火葬だから敬虔でないということはない認識になってきたってことね >>869
別にゴミ扱いするわけではない
川に流すのも川を神聖視するからでもある 日本でも中世には遺体を地面に埋めもしない遺棄葬に近い状況が横行してたしなぁ。
天皇ですら火葬にしたままほったらかしにして、何年かしてからそのことを指摘されてから
慌てて火葬跡の土だけかき集めて陵墓に収めたってケースがあったはず。 >>865
土葬は不衛生なので火葬が増えていく
これも宗教的因習が文明に負けてしまうという流れだね >>876
それでも明治初めごろの日本では、薪だけでの荼毘では火力が足りなくて
生焼けが横行してたのと、神道家の仏式の火葬への反発から、
土葬こそが火葬よりも清潔な葬儀という議論も活発だった。 >>877
明治政府はその後すぐに火葬許可に切り替えた
そして今の日本は火葬率99%を越える火葬先進国になった 黒人は火葬を嫌うらしい
黒人はフライドチキンが好きらしい 土葬どころか、平安時代は野ざらし葬だったよ。
清水寺の右側台地は野ざらしする場で、鳥が屍体をついばむ場所でもあった。
小野小町も野ざらしされていた…と某スレで書いたら批判されたが、実際野ざらしになるだろうかという
コト書いているからその可能性もあったんだろ。 >>880
平安時代どころか、多分その状態は室町時代まで続いている。
中世には使用人が病気になると屋敷の中で死なれると屋敷が穢れると言って、
まだ生きている病人を河原に捨ててくるのが普通だった。
その遺風は江戸初期にも続いていて、徳川綱吉による「生類憐みの令」の
主たる目的の一つが、病気で死にそうになった使用人の遺棄の禁止にあった。
また、中世には遺体の埋葬と死者の供養が分離していて、
遺体を土葬、あるいは遺棄葬したのと別の場所に改めて五輪塔や宝篋印塔といった
供養塔を立てて供養する、ということが普通に行われていた。
これは、江戸時代になって「庶民の家」というのが安定して継承されるようになると、
埋葬した場所がそのまま供養する場所になっていって、現代の墓の形式が
成立するまで続くことになる。 >>880
小野小町の時代は野ざらしが普通だった、と書けば批判はされなかったのにな
事実と違う事書いたらそら批判されるだろ >>861
おまえ何も知らねえんだな
日本の皇族は火葬による葬儀を神道形式で何度も行っているんだぞ 日本やインドのような高温多湿地域だと、ミイラになることもなく、放っておいても土に還るのは早い
ミイラにして遺体を保存するのは、乾燥地の発想 >>877
仏教伝来する前の日本では、縄文時代の遺跡から火葬した骨が出土している 殷周やエジプトなど、ミイラ作りが行われた地において、招魂思想が発達した 火葬には、かなりの火力が要る
普通に焼いたって、焼き肉になるだけだ
現代の火葬みたいな骨片になるほど焼き尽くすのは、昔の火力では難しい
よほどの金持ちなら、大量の薪を集めることもできたが 日本人は死の穢れを怖れ、京都の洛外に埋葬するのは禁止されていた
風葬や土葬が行われていた >>888
洛内に埋葬するのは禁止されていた
洛外で風葬や土葬が行われた
・・・に訂正 安部自民の現在進行形の悪夢
≪例≫
・ 異次元緩和→ハイパーインフレ
・ 増税延期→社会保障崩壊、ハイパーインフレ
・ ふるさと納税→減税競争を引き起こさせ、ハイパーインフレを促進、格差拡大
・ 復興法人税廃止の前倒し→ハイパーインフレ、格差拡大
・ カジノ→外国資本や一部の企業への富の移転、国民の愚劣化
・ 観光立国→欧米への同化、日本人の奴隷化、ステルス移民(旅行者から移民へ)の増加
・ 憲法改正→核武装、中国との(核)戦争を可能にする
・ 安保法制→アメリカの北攻撃に日本の支援を可能とさせ、有事を誘発
・ TPP、FTA、TAG→日本人の富を貿易を通じて海外へ移転。日本の農業従事者を減少させ、地方崩壊。資本へ従属させる(賃金労働者にする)
・ 水道民営化→水道利権を海外資本へ譲渡、日本人の健康(生殺与奪)を外国へ依存
・ 一億層活躍→日本人を過重な労働に従事させ思考力を殺ぎ全体主義化、少子化促進
・ 大学無償化→できるだけ多くの女性を大学に行かせ少子化を促進、大学を統制化に置き全体主義化を促す。適性のない人間へ高等教育を施すために研究開発ための資金も減る。
・ 残業代0→ハイパーインフレで国民すべてが残業代0になる。
・ 2016年の年金法案→ハイパーインフレで年金破綻(急激なインフレなのに給付額変わらず)
・ 相対的貧困率低下→日本人総貧困化。日本人みんなが貧困になったため周りと比べても貧困じゃなくなった、差がなくなったということ。
・ 日露へいわ条約→中国を孤立させ暴発させる。的にされるのは日本。
・ 外国人労働者増→日本を南米のような国にする。純粋な日本人を根絶。 >>865
キリスト圏のヨーロッパで信仰離れが進んでるからだよ >>891
古代社会での「殯(もがり)」では、遺体を白骨になるぐらいまで安置してから、
その上で遺体の埋葬の葬礼を行っている。
だけど、中世社会の「遺棄葬」では、遺体はほったらかしにして、
それとは別の場所で供養の石塔を立てて仏事による法要なんかをやっている。
日本の古代社会と近世社会では遺体を丁重に扱っているのに、
中世社会での遺体のぞんざいな扱いが際立つんだよね。 >>893
それはやはり、仏教の影響ではないかな?
仏教だと、遺体は単なる脱け殻にすぎず、無意味な存在なんだよねえ >>894
そうすると、近世になってふたたび遺体を丁重に扱うようになるのは、
儒学の影響が入ってくるからなのか。 >>892
そうじゃなくてキリスト教信者でも火葬選ぶことが多くなってきてるってこと >>896
キリスト教徒が世界の終末とキリストの再臨時の「死者の復活」を、
抽象的、形而上的に理解するようになって、
遺体の保存にこだわらなくなってきた、って事なんだろうね。 ちなみに、キリスト教の普及以前の古代ギリシア人、古代ローマ人も火葬文化で、
富裕層や権力者は、火葬した遺骨の灰を大理石造りの豪壮な霊廟に壺に入れて納めていた。 >>895
おそらく、そうだろう
現代の日本の葬式は、仏教とされてるが、儒教色が強い 遺体の扱いひとつとっても、日本の古代、中世、近世ってメンタリティがあまりにも違いすぎて、
まるで別の国みたいだよな。
もちろん移行期はあるんだけど。 >>901
この件に限らず、古代・中世・近世・近代で、まるきり別の国みたいに思えるのが日本と西欧の特徴
アジア大陸諸国のような「持続の帝国」ではない >>902
でも中国だと魏晋南北朝から五代十国ぐらいまでは「胡漢」の境界が限りなくゆるくて、
その前やその後の時代とまるで別の世界だけどな。
あと、「諸子百家」が出現する前の春秋期以前の社会って、「古典」で伝えられていた社会と
出土した金文でわかってきた当時の実相のギャップがすさまじくて、
なんか別次元の世界を見せられている気分になってくる。 商の神権国家なんかオカルティックでドキドキするよな >>902
西欧だと、中世中期の10世紀ぐらいに成立してきた「小教区」をベースにした在地社会ってのが、
土俗的な側面では今でも根強く残っていて、案外保守的な世界だなぁ、という風に感じる面もある。
そういう意味では中世と近世のギャップは日本の方が激しいようにも思える。
日本では中世の「荘園公領制」をベースにした在地社会は跡形もなく消え去ってるからね。
ただ、宗教に対するメンタリティの変化は、それについていけない「中世マインド」の人たちが
大挙して北米に渡っているわけで、実質的にはかなり変化しているんだろう。 >>905
金文関係の論文見てると、西周の社会も随分オカルティックだよ。
商とは方向性が違うけどさ。 唐も、国を挙げて加持祈祷に狂奔した時代
かつてのような中国土着のシャーマニズムから、密教へと変わった 奈良・平安時代の貴族は、怨霊の祟りを怖れて何度も遷都するほど迷信深かった
災害や疫病はもちろん、雷すら怖れていた
この時代の迷信深さは、後の時代と比べると非常にインパクトが強く、別の国みたいに思えるのだが、ここで留意すべきなのは、
吉凶占いとかをやってた連中には、唐から帰国した連中が多かったということ 旻(みん、生年不詳 - 白雉4年(653年)6月)は、飛鳥時代の学僧。
推古天皇16年(608年)遣隋使小野妹子に従って、高向玄理・南淵請安らとともに隋へ渡り、24年間にわたり同地で仏教のほか易学を学び、舒明天皇4年(632年)8月に日本に帰国。
その後、蘇我入鹿・藤原鎌足らに「周易」を講じた。舒明天皇9年(637年)に流星が現れた時には天狗の吠え声と主張し、
舒明天皇11年(639年)に彗星が現れた時には飢饉を予告するなど、祥瑞思想に詳しかった。
翌大化6年(650年)に白戸国司から白い雉が献上されると、その祥瑞を説明したことにより、白雉と改元された。 日本史の教科書を見ると、「日本人は遣唐使をせっせと送って、大陸から先進文明を学びました」というのが強調されていて、確かにそういう面もあるのだが、
唐に渡った日本人が最も熱心に学びたがったのが、密教や易の吉凶占い、つまり宗教やオカルトだったということ、これを現代人は見過ごしがちだ。
長安では、「日本人が来ると、経典を買い占められて市場から消えてしまう」という評判だった。
遣唐使の留学生は、大陸で最先端のオカルトを身につけて帰国し、日本で彗星や隕石を見て吉凶占いしては、「先祖の霊を祀って鎮めよ」と主張していた。
このことから察するに、当時の唐もかなり迷信深い国だったであろうことが容易に推測できる。
ここで言いたいのは、別に中国サゲしたいわけじゃなくて、唐も、後世の明清と比べたら、かなり異質な文化だったはずだということ。 唐は西方から文化がガンガン入ってきた時代だからな
ここまで外来文化を需要したのは中華民国時代までなかったんじゃないか >>912
まあ、モンゴル帝国を別枠とするならば、それは間違いない 唐は、アメリカ合衆国のような人種のルツボでモザイク文化 >>895
儒教の影響で遺体を丁寧に扱ったというより、
儒教の影響で遺体に対する迷信が強くなったから、富裕層や上流階級も火葬をやめてしまった
現代になって儒教の影響が払拭されると火葬が圧倒的多数になった 支那や朝鮮では、
「火葬は、親の体を焼いてしまう重大な親不孝」という儒教の迷信によって、土葬が主流だった >>900
儒教式の葬祭は、遺体を火葬でなく土葬にすることが特色である
だが、現代の日本では火葬率が99%以上である 江戸時代の儒学者 「儒法で喪を取扱いすべし 厳しく火葬を禁ずべし 儒法で取扱わぬは不忠不孝なり」 日本でも応仁の乱以前と以降は別の国
特に織豊政権時代になると鎌倉室町の中世文化が一掃されてしまう
個人的には儒教よりも仏教に重きを置いた応仁の乱以前の方が好きなんだけどね >>911
唐の支配者層は鮮卑や匈奴といった北方遊牧民系の家系だから、
仏教や道教を信仰したといっても、基本的なコスモロジーの部分で
かなりシャーマニズム的な世界観を持っていたんじゃないかなぁ。
イスラームだって遊牧民の間に布教されるとシャーマニズム色に染まった
スーフィズムに変貌を遂げてしまうわけだし。 結論・儒教は民主主義の敵
結論・支那チョンは民主主義の敵 >>922
実に、そのとおりなんだよな
「アベは民主主義の敵」とか言ってる親中派のパヨクは、その辺をどう思っているのか? >>915-916
それは「迷信」じゃないだろ
死体に対する捉え方、扱い方が孝の思想を踏まえたものに変わったというだけで、
霊魂によるたたりを恐れたからわけではない
儒教以前、仏教以前も土葬だったし、たたりによる迷信がなかったわけでもないのだから >>925
仏教伝来前の日本では火葬の遺跡があったぞ 儒教に関することはなんでも否定的に書き込みたいだけやろ 確かに18世紀までは儒教が世俗的統治思想としては最良だったと思う。
でも19世紀の西洋で生まれた世俗的ヒューマニズム思想の方がより良い。
明治の志士たちはそれに気がついて、政治学としての儒教をあっさりと捨て去った。
個人道徳レベルとしては良い部分もあるので、勝手に取捨選択してご自由にどうぞという訳だが、政治と切り離されたので日本の朱子学は死んだし、それで良かった。 >>858
神葬でも仏葬でもない、儒教式葬祭の様子は、
儒教に毒されてない庶民から見て「遺体を捨てるが如き様」だった >>928
国や天皇に忠孝を義務づけてたぞ
おもいっきり教育などに組み込まれた >>586
支那の歴史書には「人喰い」の記録が結構あるが、その事実に気付いた者は少なかった
だが支那の歴史を調べた魯迅が「支那人はやっぱり人喰い人種であった」ことを発表した >>921
唐の皇帝は姓が同じ李である事をもって老子(本名李耳)の子孫を名乗ったので道教が一番優先された。
北方騎馬系は大体漢民族中心的な儒教や漢民族の民俗信仰色の強い道教より普遍宗教の仏教を信奉した。
北方騎馬系か北方騎馬系化した漢族と言われる唐もそうだろう。 アメリカ歴史学会会長のポメランツによると中国が欧米のような発展をしなかったのは単に中国は欧米型植民地政策を取らなかったからだと言ってる。 >>925
儒学者は火葬をもっとも厭忌すべき風習と決めつけた
儒学者は、「正しい喪儀」を 行うと「学徳が繁昌」するというデマを流布し、
「正しい喪儀」を行わないならば天罰が下ると脅して人心を惑わしていた >>934
その代わり、中国型植民地政策で、チベットやウイグル、南モンゴルその他を支配した >>936
儒教は、基本的に葬式宗教だ
葬式にコダワリは、常軌を逸している 初期キリスト教も遺体観、葬儀観の一般社会との相違で激しい軋轢を起こしている。
当時のギリシア・ローマ都市では火葬墓を都市の城壁外に設けるのが普通だったが、
キリスト教徒は都市内に秘密裏に地下墓地を作り、そこに土葬を強行したからだ。
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数分で出来るので是非ご利用下さい >>940
それは儒教の影響
仏教本来の姿ではない >>926
たとえば屈葬は、焼いたわけじゃないだろ
逆にたたりを恐れて焼く場合もあっただろう >>930
なんかもう想像して言い張ってるだけだな
>>927
>>935がそうだな
「決めつけた」「デマを流布し」「人心を惑わしていた」
悪意しか無い
黄文雄、ギルバートのたぐいで頭が固まっている、いわゆる洗脳状態
それ以外の考えを一切受け付けない >>945
お前かなり勉強不足だな
935は史料が実在してるし、その史料にもとづいて博士号を持つ思想史宗教史の研究者が指摘してることな
「黄文雄、ギルバート」だと妄想してるようじゃ反論にならないぞ >>945
頭がコリ固まってるのはお前のほうだろ
自覚症状なしか? >>947
自覚も何も、935は史料が実在してるし、その史料にもとづいて博士号を持つ思想史宗教史の研究者が指摘してることだしな
お前は儒教についての理解がかなり乏しいから反論できないんだろ 「決めつけた」「デマを流布し」「人心を惑わしていた」
え?これって史料にでてくるんだ?笑 勉強してる奴は法の支配の定義を知ってるはずかんだが >>949
やっぱり史料の中身読んだことないんだなw
儒学者はかなり非合理的な迷信を主張して実践させてるし、
その実例を博士号を持つ思想史宗教史の研究者が指摘してるんだよ 儒教の非合理性について詳しい研究者はいくらでもいるんだから、
わざわざ「黄文雄、ギルバート」をチョイスするまでもない >>953
やっぱり知らなかったんだなw
儒教について関心があるならそれくらいちゃんと知っとけよ >>955>>945
馬鹿チョン恒例の同胞認定か?
研究者のことも知らなかったし>>953
史料もよんでないじゃん>945
何も詳しくないだろお前 研究者のことすら知らない勉強不足が悔しがってますww チョン校生徒がまた架空の研究者でっちあげたのかよ
どうせ答えられないんだろうな 「架空の研究者」だと妄想してる時点で馬鹿チョンの勉強不足なのがわかる 儒教が政治と学問と倫理のすべてを支配してしまったから相互の個別的な機能を阻害した面がある。
春秋戦国までは墨家や法家が儒家と並立していたので、技術や学問と政治権力が一定の距離を保つことが出来た。 儒教の非合理性について詳しい博士号を持つ思想史宗教史の研究者について、
知りたいのなら自分で調べればわかることだし、
わからないのはお前が勉強不足だから 知りたくもないし架空だから答えられないんだろうなということは
これまでの出鱈目なレスから明らかだからな 反儒教キチは平気で嘘をつくしすぐ人を罵倒するゴミということがこれまでの流れから判明しているからなあ 勉強不足がばれてしまったから「架空」だってことで逃げたいんだろうな
自分で調べられないから、他人の答えを待つだけの能無しには無理みたいw 反儒教キチの出鱈目が信用されてないだけ
信用されるような言動をしてこなかった自分が悪いんだから、架空と思われるのも仕方あるまい で、研究者って誰なの?
どうせ答えられないんだろうな 儒教の非合理性を指摘してる研究者について、
下調べもしない能無しが儒教を美化しても逆効果だろw どうせスレが終わるまで答えられないんだろうなあ
それで逃走完了やで 研究者が誰かわかってる一般人>>∞>>研究者が誰かわかんない勉強不足 一生懸命架空の存在を挙げられないことを正当化してるのが哀れ >>105
東アジアの奇跡って、20年以上前に発表したレポートだろww 道教と儒教を比べると、無為を尊ぶのが道教、人為を重んじるのが儒教。
法家と儒家を比べると実務処理を重んじるのが法家、道徳的教化を重んじるのが儒家。
墨家と儒家を比べると実用と実践を重んじるのが墨家、理想と理念を重んじるのが儒家。 勉強不足クンかわいそうだからヒント出してやるよ
関西にある有名大学の博士で名前は「ま」がつく
でもお前馬鹿だからスレが終わるまでに見つけられないと思うけど 結論・儒教は民主主義の敵
結論・支那チョンは民主主義の敵 架空の研究者の名前を直接書き込めないから
知ってる感出して逃げる奴笑 どうせスレが終わるまで答えられないんだろうな
架空だから >>938
中華人民共和国成立以前の話だよ。
清王朝の時代。
チベットと清は寺と檀家の関係。
モンゴルやウイグルは清の中核軍を形成する半独立の藩だった。
植民地だったのは中国の方。 >>944
古墳時代なんかにも、海岸部なんかで火葬墓がちらほら出現しているみたいだね。
決してメジャーではなくマイナーな存在なんだけど。 最近、岩波文庫から出ている「文選」全六巻って、儒教研究者から見るとどんな感じですか? >>945
>想像して言い張ってる
のではなくて、
帝国大出身で明治大学でも教鞭を執ってた著名な文人が、儒教式葬祭の様子について「普通の葬式とは異なり」と書き残している 支那に、火葬を認める仏教が中央アジアから伝来し、次第に人々の間で信仰が深まり火葬も盛況を迎えていった
だが、唐時代の士大夫が火葬は罪悪だと猛反発しその後、儒教信者らも一貫して火葬反対論を叫び法令で禁止もされて、火葬は衰退していった >>979
関西人で名前は「ま」?
「松本人志」しか思い浮かばん >>990
それは馬鹿で勉強不足だからだろ
博士って書いてるの読めないのかよ
まあ「松」というのはあってるぞ
でももう正解は出せないだろうなw遅すぎるよ >>988
著名な文人というが、
「決めつけた」「デマを流布し」「人心を惑わしていた」
こんな主観そのものの言い回しを歴史を述べるのに使っていたというのなら、ヘボ文化人でしかないね
主観的ということは、客観的ではないということ、科学的でないということだ
しかもその名を挙げることすらしないお前はただの権威主義ですらなく、ハッタリしか言っていない
一晩かけて主観で罵っているだけ >>788
チョン王の先祖は女真族だから、清国皇帝に土下座までして敬ったのか >>945
勉強不足クンの知能>>990レベルなんかあ
儒教の非合理性を指摘してる研究者について、
下調べもしない能無しが儒教を美化しても逆効果だろw >チョン王の先祖は女真族だから、清国皇帝に土下座までして敬ったのか
朝鮮人は朝鮮人の祖先であるモンゴル人やオランケを崇拝していない
漢民族は崇拝してるけど >>994
挙げたって意味はない
なぜ挙げていないかというと、その研究者はそんな主観的な言い回しを使っていないからだ
そこが非難されているというのに、歴史を述べる作法が問題視されているというのに、
そこがわかっていないだろ
儒教をけなすことしか頭にないからだ
そんな話じゃないんだよ
お前の品性の無さが問題なんだよ 「デマを流布し」「人心を惑わしていた」
こんな主観そのものの言い回しを歴史を述べるのに使っていたというのなら、ヘボ文化人でしかないね
実際にはその書き手じゃなくて、お前が言ってるだけだろ 有名な研究者は>>935みたいな主観的な言い方はしていないだろ >>994
読者がこんなふうにバカだから、研究者も理解されない >>992
大町桂月も知らねえおまえがヘボだろwww
こっちは具体的な事例出してるんだから、
それに反証するなら具体的な事例を出さないと意味ないぞ
それと「決めつけた」「デマを流布し」「人心を惑わしていた」は別のレスだろが このスレッドは1000を超えました。
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