モンゴル帝国総合スレ
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西暦1206年 チンギス・ハーン即位
巫術師ココチュ・テプ・テンゲリを介して下った天命は以下の通り。
「永遠なる天の命令であるぞ。天上には、唯一の永遠なる天の神があり、地上には、唯一の君主なるチンギス・ハーンがある。
これは汝らに伝える言葉である。我が命令を、地上のあらゆる地方のあらゆる人々に、馬の足が至り、舟が至り、使者が至り、手紙が至る限り、聞き知らせよ。
我が命令を聞き知りながら従おうとしない者は、眼があっても見えなくなり、手があっても持てなくなり、足があっても歩けなくなるであろう。これは永遠なる天の命令である。」
(モンゴル帝国対外文書管見) ヨーロッパに攻め込んだモンゴル人が「我々はどこから来て、どこへ向かうのか」
みたいなこと書いてたらしいけどよく思い出せない >>2
チンギスハーンのいう人物は過去に実在していない。
https://youtu.be/ol50CA0WQEk
モンゴルの運命とは別にこれだと思われる。
悪魔を知る神のこと、ヴォルデモートのこと。 モンゴル人は歴史の中で、勇敢にやるべき事をしてきた民族。
今、夜では待つ身。
夢でまた会いましょう、夢までお休みということ。 モンゴル帝国のユーラシア興隆史 (多摩大学 2017年度 インターゼミ アジアダイナミズム班) 97ページ
https://www.tama.ac.jp/guide/inter_seminar/2017/2017_asia.pdf
文献研究1
13世紀前半初代 チンギス・カーンの時代 〜モンゴル帝国の樹立と拡張〜
(3)' 絶対服従
虐殺は古来からの戦争のルールであり、モンゴル軍の戦争のやり方がそれまでの戦争と大きく異なったのは、自
分たちが天から世界を支配すべき命令を受けた種族であると確信していたのである。1206年シャーマンである
コゴチエ・テブ・テングリは神がかりになって次の天命を宣言した。「永遠なる天の命令であるぞ。天上には、唯一
の永遠なる天の神があり、地上には、唯一の君主たるチンギス・カーンがある。これは汝らに伝える言葉である。
我が命令を地上のあらゆる地方のあらゆる人々に、馬の足が至り、舟が至り、使者が至り、手紙が至る限り、聞き
知らせよ。我が命令を聞き知りながら、従おうとしない者は、眼があっても見えなくなり、手があっても持てなくなり
、足があっても、歩けなくなるであろう。これは永遠なる天の命令である。」
チンギス・カーンも全モンゴル人もこの天命を堅く信じ、天命に導かれ世界征服に乗り出したのである。チンギス・
カーンの子孫たちも、西ヨーロッパやエジプトの君主に送って降伏を促す手紙の中で、この天命の文句を引用して
いる。この天命を信じるモンゴル人にとって、無条件で降伏しない者は、天に逆らう極悪人であり、極悪人を殺しつ
くすのは、天に対する神聖な義務を果たすことだったのである。 だから日本にも手紙が来たのスルーしたら攻めてきたのかー
日本にとっちゃ迷惑な話だな 他国を征服して勢力圏を広げた国で
一番、成功したのはモンゴル帝国くらい。
イギリス、スペイン、ロシアはどこの国も領有してない地域を獲得しまくって
国土を広げたのと対照的に
モンゴルは宋や高麗を征服して
国土を広げた。 アレクサンドロス大王や預言者ムハンマド(S)のことも思い出してあげて >>11
アメリカ合衆国だろ
大帝国を2つも滅ぼして占領したスペインも凄いけど 新型肺炎COVID-19の感染拡大は、モンゴル帝国の拡大によって広まったペスト菌を彷彿とさせる。胸が熱い。 >>15
スペイン風邪(感染者5億人以上、死者5千万〜1億)を広めたのは米軍だな。
最初に流行ったのは米国内なのに、なぜか病名はスペイン。
ヒドす。 モンゴル帝国が衰退した理由は?
身内同士の内部紛争?
領土拡張し過ぎた事による民族紛争の増加?
銃火器の発明によってモンゴル軍の優位性が無くなったから?
海運による交易の増大で陸路を支配していたモンゴルのアドバンテージが薄らいだから?
そもそもモンゴル人自体が国家運営を辞めたがって元の遊牧生活に戻りたかったから? >>17
ペストの大流行が致命傷。
雲南省で始まったペストが
国境がない状態の帝国全体の世界に広がり、
人口が大激減、物資の輸送が止まり、
各地域のモンゴル人グループが孤立。
どれも衰退して順に滅ぶ。
国境をなくして商業活動を活発にして繁栄するが、
パンデミックに弱い。 >>17
モンゴル人自身が元の貧しい遊牧生活に戻りたいと願うとは思えない。
各地からもたらされる貢物で、贅沢な暮らしを一度経験してしまったら、
それを自ら放棄したいと考えるだろうか? ペストよりもモンゴル帝国が能動的に行った殺戮のほうが影響は大きかったでしょ。
都市住民が根こそぎ皆殺しにされて文化の途絶が起きる。
かつての領土が腐敗した国ばかりなのはモンゴル帝国の影響だよ。道徳律を牽引すべき人々が死んでしまったから。 >>20
どちらかと言えば、大殺戮でモンゴルの支配力は強化されるだろう?
弱体しないはず。
多民族を従えるには圧倒的暴力が必須。
下手に温和な態度を示せば、あっという間にバラバラになる。 推定値でも
ペスト犠牲者数>>>>モンゴル軍による虐殺数
だと思う。
おまけにペストは支配民族にも容赦しない。 文化文明を担う知識人が狙いうちでモンゴルに根こそぎ殺戮された社会の残骸。それが今の旧共産圏 >>23
どちらかといえば知識人は優遇されてただろ?
チンギスハンは医師、法律家、教師、学者、宗教家に対し、免税資格を付与してるし。 宗教面での寛容さは特筆できる。
チンギスハンがおそらく世界で初めて万人に対し完全な信教の自由を定めてるんじゃないか?
本人はモンゴルのシャーマニズムを信奉してたが、それを国教にしようとしなかった。
若かりし頃のテムジン・ハンがオンハンに殺されそうになって
逃亡した危機のときに
テムジンに忠実に従った19人衆の中に
キリスト教徒が数人、イスラム教徒は3人、仏教徒が数人いたとされる。
しかも19人の中にモンゴル族はテムジンとカサルだけで
他はメルキト、契丹、ケレイトなど。
いわば出自や血縁や民族や宗教を超えた小さな共同体がモンゴル帝国の始まり。
かくしてカラコルムは様々な宗教の信者たちが仲良くしている不思議な街になっちゃう。 >>25
宗教面ので寛容さがモンゴル帝国崩壊の最大の原因だよ。 >>24
嘘は良くない。チンギス・ハーンはそんなまどろっこしいことはしなかった。
農民や都市民は皆殺し。遊牧地が増えるから問題ない。
モンゴル帝国はチンギス・ハーンの掲げた単純にして残忍な統治原則を守れなかったからこそ滅んだ。 チンギスは古代テュルク語で「苛烈」という意味とされる。
恩義あるオンハンやジャムハを相次いで殺害して権力者となったチンギス・ハーンが理想的人格者のはずがない。
チンギス・ハーンの子孫は裕福になり余計な知恵をつけたせいでチンギス・ハーンの苛烈な政策を維持できなくなった。 ジャムハが残忍な処刑をしたことで人心が離れたのなら、チンギス・ハーンによるタタール部皆殺しでも同じように人心が離れないとおかしい。
不自然な歴史の書き換えに気づけないようではモンゴル史の研究は無理。 モンゴル帝国を美化したい人々は現存する。チンギス・ハーン後裔を含むモンゴル系貴族の末裔たちだ。
歴史の真実を明らかにすることによって社会に軋轢が生まれるという実害があるから自然とそうなる。 >>30
逆だろ。
ソビエト連邦はずっとモンゴル人の民族傾向を警戒し、
チンギスハンの役割を理想化しようとした罪で党員を摘発、流刑にしたり処刑してる。
モンゴル帝国の歴史を研究しようとする学者の多くも職を失い、
流刑になったり、一部は処刑された。
挙げ句に自国の失敗や欠点をモンゴルのせいにする向きがある。
曰く
ロシアが西側のテクノロジーについていけないのは、タタールの頸木のせい、
ペルシアが後れてしまったのは、モンゴル人に灌漑システムを壊されたせい、
中国が後れを取るのも、モンゴル人と満州人の搾取を受けたせい、
インドが貧しかったのも、ムガル支配のせい、
アラブ人は、モンゴル人がアラブの都市の図書館を焼かなければ、
イスラム教徒が科学の先端を進み続けていたと主張。
十把一絡げに全部悪いことはモンゴルのせい。 モンゴル人は領土を取った歴史はないな。
勇敢さは野蛮さでもあるから、強い国の宿命w 『元朝秘史』が日本語で読めるのは小澤重男のおかげ。
いやぁ、読み応えが有りすぎて眠くなって読めない。。・・。
やっぱり杉山正明のモンゴル絶賛本の方が読みやすいわ。 知識人が無差別殺戮されたというのが大きいのよ。
非戦闘員というと婦女子のイメージがあるかもしれないが。
後世の社会構成に与える衝撃があまりに大きかった。
これらの社会は、モンゴル侵入以前と以後で歴史の分断がある。
東洋史学者の岡田英弘はそれを「世界史の誕生」と呼んだ。
同タイトルの書籍はあまりに有名。 蛮族来襲による破滅ショックは最初だけじゃないか?
交易拡大と文化交流での技術革新で未曾有の発展が後に続くよ。
グローバル化の始まりという意味で世界史が開始したと言える。
ただ伝染病もグローバル化しちゃった。 たった百万人の人口しか持たぬ、戦闘員だって十万人程度の弱小無教養民族が
高度な文明を誇る圧倒的大国を次々倒してしまうというのが
蒼き狼ゲームの面白さ。 >>36
> 交易拡大と文化交流での技術革新
理屈のうえではそうなるはずだが現実には、モンゴル帝国による征服によってむしろ技術革新の停滞が始まった。
モンゴル帝国外の周縁地域にあたる南欧や西欧で技術革新が始まった。歴史の皮肉。 モンゴルは文化活動に対する良き後援者とは、ならなかった。
モンゴルによって文化は衰退した。 イスラム文化衰退と西欧の活発化には影響与えてると思うけどインドと中国が文句言うのって言い訳にしか見えないなぁ マクドナルドは地域社会に食文化の多様性と繁栄をもたらしたか、それとも地域社会に食文化の画一化と衰退をもたらしたか。
マクドナルドをどう評価するかでモンゴル帝国に対する評価の仕方も変わってくる。 ジャンクフードに舌が慣れてしまい食文化が消滅した感じ。 イル=ハン国から伝来したコバルト顔料のおかげで
景徳鎮の青花が発展できたじゃないか。 元代に盛んになった雑劇、元曲、散曲があるじゃないか。
文化が庶民的になったんだよ。 中国停滞の元凶ともいえる朱子学が官学になったのも元の時代か。 >>45
漢人知識人の要求に答えて科挙をやってくれて良かったじゃん。
イスラム官僚ばかり登用しないで。 チンギス・ハーンを批判するのはヤメよう
「あの方を悪く言うのだけは許せない」と、朝青龍のTwitterに書かれる 侮辱と批判は違うものだよ。
チンギス・ハーンに対する否定的感情は、モンゴル人自身にも少しはあるだろうし。 でも、今のモンゴル人ってモンゴルに征服された連中で
チンギスハンと遺伝子遠いよね 今やチンギス・ハーンを批判する者は旧ソ連の残党ぐらいだろ?
現ロシアには熱心な研究者がいるぞ。 共和制のモンゴル国より中華人民共和国に居住するモンゴル人の方が倍ぐらい数が多いんじゃないかな。
モンゴル民族の本家は内モンゴル自治区。
ただ漢族が多すぎて目立たない。。。 反町隆史がチンギス・ハーンを演じるのは、まぁいい。
オマー・シャリフやジョン・ウェインが演じるのはどうよ? >>52
しかも妻ボルテを金髪白人美女が演じてたり。 >>49
チンギスハンのY遺伝子は
モンゴル族の系統じゃないよ そもそもチンギス・ハーンはボルテ・チノ(まだら模様の狼、いわゆる青き狼)の子孫じゃないし。
もともと草原にいたテュルク系遊牧民にチンギス・ハーンの祖先ボドンチャルが合流したことを暗示する神話になっている。 チンギス・ハーンの正体は源義経とかいう噴飯物な創作物は日本に多数存在するが、
チンギス・ハーンはテムジンであるが、そのテムジンは源義経と面識があるという設定の作品って何がある? 女性アラン・ゴワは蒼き狼の末裔の男性ドブン・メルゲンと結婚したが死別した。
未亡人となったアラン・ゴワは、「黄色く輝く人」の光が腹にしみとおることで受胎した。
そして産まれたのがチンギス・ハーンの祖先ボドンチャル・ムンハク。
ムンハクはモンゴル語で馬鹿という意味。
不義の子ボドンチャルは、知恵遅れ気味だったためにボドンチャル・ムンハクという珍しい名前になった。 男系モンゴル人ではないボドンチャル・ムンハクがチンギス統原理で知られるボルジギン氏族の祖先となった。 自分がチンギス・ハーンのファンになったのは
井上靖の『蒼き狼」を中高生のとき読んでから。
結構ハマったな。 チンギス・ハーンが征服したのは、主に中央アジア
その後、世界征服に乗り出したのは息子や孫たち
とくに、中国を征服して皇帝になったのはフビライ
どうも、世間ではその辺りを誤解している人が多い
まあ、歴史マニアじゃなければ当たり前だが >>60
チンギス・ハーン一代で制服した領域に限っても空前の規模だろ? >>60
南宋攻略は一筋縄では行かなかったみたいね。
フビライが帝国を中華式に改造して、
やっと成功。
ちなみに明の朱元璋は、元朝の大臣クラスを始めとする官僚たちの多くをそのまま採用。
清朝も辮髪令に従った明朝の官僚を元職のまま採用することが多かった。
なので元〜清までは政権トップが入れ替わっただけで、
官僚組織が変わらない連続した「北京帝国」なのでは?
という論議が明清スレにあった。 チンギス・ハーンの墓はまだ未発見?
なんか秘密主義的な傾向がある。
謎のままにしてる。
やっとこさ発見、解析できた史料が元朝「秘」史だもんなぁ。
なんでマル秘扱いにするんだ? >>62
モンゴル帝国から明朝や清朝を経て、今の中華人民共和国に至るまで、トップの皇帝が入れ替わっただけで、ほぼ一直線に続いている。
ローマ帝国も、東ローマ帝国も、皇帝の家系は何度も入れ替わったけど、ずっと「ローマ帝国」のまま。
それを思えば、13世紀から清までを「北京帝国」としてもおかしくないし、いっそのこと「モンゴル帝国」で一括してもいいくらいだ。 ていうか、いまの中国は、「中国」じゃなくて「モンゴル」と呼ぶべきだろ
別に名前が「モンゴル」じゃなくてもいいが、漢や唐とは何らかの形で別扱いにすべきだ それを言い出すと、「漢と唐は別の民族だ」とか、「唐と宋で断絶がある」とかが始まって、収拾がつかないのかもしれない
人にもよるだろうけど、客観的に見て、「モンゴル以前とモンゴル以後」が、中国史における最大の転換点ではないかと思う >>63
死後に墓を暴かれることをチンギス・ハーンが恐れなければならないくらい、様々な敵から憎まれていたことを自覚していた証拠。
「元朝秘史」にのみ表れる義弟ベクテル殺害も弟殺しの汚点を歴史から削除されていたのを暴露する意図によるものであり、
他史料に記述がないことをもってベクテルの存在を否定する一部学者の見解は間違っている。 モンゴルは狼の子孫
朝鮮は熊の子孫
漢人は北京原人の子孫 >>67
カサルも殺そうとしたし
母ちゃんが止めなかったら実行してたと思う チンギス・ハーンは、金は滅ぼしたんだな
南宋までは、さすがに一代では無理だった >>49
遺伝子とかそういうのとはまた別に現在のモンゴルをモンゴルと認めないのは
意外にも現モンゴルの周域の遊牧民系に多い
今のモンゴルは直接的にはハルハ部なので正統性が無いって主張だな
中国領の南モンゴルもロシア領のブリヤートも今のモンゴルを偽物呼ばわりだったし
モンゴル系じゃなくテュルク系のトゥヴァなんかは今のモンゴルを偽モンゴルとか卑怯な泥棒とかかなりボロクソに批判してる >>20
モンゴル帝国のやった都市丸ごと破壊して殺戮なんて、帰順後に反抗とか、外交使節を殺して帰さないとか、そういう場合だけじゃん。
一度帰順したものが反抗して都市を破壊されたり住民が全滅させられたり奴隷として大半をしょっ引いて、人間を入れ替えて、都市の再建阻むなんていうのは、古代〜中世で常識的だろ。
日本でもやってる。天草一揆の鎮圧。.一旦天草・島原の全住民を空っぽにして人を入れ替えてる。 >>25
そもそも遊牧圏というものの経済構造が物質的に孤立した状態で成立しえず農耕圏の産品を必要としていた。
近隣の農耕圏との直接交渉、遠方の農耕圏の間に別の遊牧民を介した物資のやりとりが、必然的に生ずる。
必然的に重商主義的なものにならざるを得ず、商取引での公正や契約の遵守のようなものは力づくで強いることにはなるけれども、
他集団の文化や信仰にまでは干渉しないというか関心を持たないものだろう。、 >>31
バクダッドとダマスクスは攻撃したけれど、ヒジャズやエジプトには入り込めてなかったよね。
アラブ圏で人口の一番多かったのはエジプトの北部、イスラム三大聖地はヒジャズのメッカ、メディナと、ヨルダン地峡のエルサレム。いずれもモンゴルが近づけずにいた。
バグダッドのアッバース王朝のカリフはフレグの侵攻で宝物庫で閉じ込めれて餓死させられたけれど、アッバース王家の他の生き残りはバイバルスがカイロに招いている。
モンゴルによってアラブ・イスラムの文化が破壊しつくされたというのは的外れだよねえ。 >>71
金はモンゴル高原諸部族間を争わせ、
苦しめてきた長年の仇敵。
これを屈服したところで終わっていれば、
中国史の片隅に残るだけだったんじゃないか?
西方の遠方のホラズム遠征で、一気に世界化した気がする。
中華に劣らない文明を熟知できたから
中華文化に傾倒せずに済んだし。 >>67
どの帝王も墓を暴かれるのを恐れるだろう。
チンギス・ハーンのように徹底的に秘密にしたのは特異じゃないか。
独特の死生観があるんだと思う。 >>74
そんなモンゴル人自身がイスラム化したり
元朝が中華化したりするから
長続きしなかったのかも。
チンギス・ハーンのやり方を遵守すべき。 モンゴル人が、中国文化よりイスラム文化を好んだのは当然だ
中国の皇帝になってからも、モンゴル人は北京のお城の中に巨大テントを張って、そこで暮らしてた
テント生活に必要なのは、ペルシャ語絨毯やトルコ絨毯 >>46
儒教を根絶やしにしないから衰退してしまったんだよ >>80
当初、文字を持たなかった。
チンギス・ハーンはナイマンを滅ぼした後で
ナイマンのウィグル人高官にウィグル文字でモンゴル語を記述する方法を
広めるように命じてる。
後代、フビライはチベット文字からパスパ文字を作らせた。ウィグル文字ではモンゴル語音声を表現しきれなかったとか。 >>80
コーエーの歴史シミュレーションゲームの話だろ モンゴル帝国の世界制覇の背景としては、宋における技術革新があった
とくに、石炭による製鉄の普及
このエネルギー革命のおかげで、動物の骨片を矢ジリに使ってた原始的な狩猟・牧畜民族が、鉄製の武器を手に南下してくることになった >>85
匈奴は既に鉄の矢じりを使って
漢の劉邦軍を圧倒してたよ。 >>73
モンゴルはイラン人もトルコ人も無差別に虐殺した
イラン人はモンゴルに対して当初から友好的で
故にオトラルでモンゴルの使節になったイラン人商人らが
トルコ人のホラズム・シャー朝に殺された
モンゴル軍が一旦降伏させた町にトルコ兵が戻って来て
モンゴル軍から奪い返すとモンゴル軍はトルコ兵だけなく
町の住民であるイラン人らも皆殺しにしてしまった
これは第二次大戦ならばアメリカ軍がドイツ軍だけでなく
フランス人も皆殺しにしてしまったような事だな
アメリカ軍の攻撃でパリが全滅したような事 モンゴル帝国を美化したり残忍さを矮小化しようとする人が湧いてくるのはなぜなのか。
これは明らかな歴史修正主義であり、いずれナチスに対しても同じことが起きるだろう。 テムジンの弟のカサルはどんな人だったの?
豊臣秀吉の弟の秀長みたいにきっちりと兄をサポートしてたの? ナチスは世間で言われているほど残忍ではなく宣伝が上手かったし、政策は先進的だった。
あれ?どこかで聴いたな。この言い回し。 >>91
殷の紂王や、夏の桀王と同じだな
「歴史的な大罪人」を特定することにより、それ以外が免責される >>87
必ず、知事(ダルガチ)と監察官(ビチクチ)と飛脚を置いていくはずだけれどなあ。
トルコ兵が戻ってきたとき、都市の連中がどう動いたか。
籠城した挙句落城したのか、モンゴルの遣わした知事や監察官を真っ先に捕らえてトルコ兵に引渡したりしたかで、
その町の処遇は変わるわなあ。
後者なら、そりゃ、町は潰されるわ。 欧州列強の世界進出も、世界中で問題を引き起こし、各地の文化を破壊したが、全体としては恐るべき勢いで地球の文明を進歩させた
モンゴル帝国の世界進出も、それと同じだ
こうしてみると、東洋と西洋が、交互に世界制覇したことが分かる
次は中国が世界制覇するか? 中国は武漢肺炎で絶滅
中国4千年の歴史がこんなにも呆気なく終わるとは
モンゴル人にも出来なかった事を中国人は自ら成し遂げた >>89
優秀な戦士というイメージですね
一番伝統的なモンゴル兵だったのでは
テムジンの部下はヤバいのばっかり 武漢肺炎=オトラル事件
武漢肺炎がなければ中国が世界制覇するはずだった
オトラル事件がなければホラズム・シャー朝は
イラクを征服してイスラム世界を制覇するはずだった >>96
大丈夫。
ペストの時は1331年に華北の人口の90%が死亡、
1351年までに中国の人口が二分の一に、
13世紀初頭に一億2千三百万人が
14世紀の終わりに6千5百万人に
減少。
それでもなんとかなってる。
人口減少程度で絶滅しない。 >>90
柔然は?
突厥は?
回鶻は?
鮮卑は?
野蛮人なのか?
モンゴルだけ野蛮人と言いたいのか? 病人を救おうとする善良な人から先に死んでいくから、身勝手な人だけが子孫を残す。 モンゴル帝国が旧共産圏地域のディストピア化にどの程度関与しているか、という視点で分析するのが正しいでしょ。 モスクワ大公国はキプチャクハン国に媚びを売ったことで勢力を伸ばしたの? >>105
ロシア史上でも屈指の英雄アレクサンドル・ネフスキーは、宿敵スウェーデン軍とドイツ騎士団を立て続けに撃破した
そして、モンゴル帝国ジョチウルスの首都サライに赴き、みずから臣従を誓った カトリック信仰を強制するドイツ騎士団より
宗教面で寛容なモンゴルの方がマシ。 人口比率で千対一という超少数民族が支配するには
モンゴルを支持し歓迎する勢力が必須。
支持を集める最大の理由は交易の利益拡大なんだろうな。 >>95
当時は明らかに東洋の方が先進地域。
数百年後に西洋に逆転されるけど。
東洋がダメダメになってったのを
モンゴルのせいにするのはお門違い。 >>107
毛沢東信仰を強要する中国共産党より、思想面で寛容なアメリカの方がマシ >>108
モンゴルを支持し歓迎した勢力がイラン人商人
イラン人商人はモンゴルに征服されても
カラ・キタイに征服された時のように
安全だと楽観視していたようだ >>109
モンゴル帝国こそ、東アジアの最盛期なんだけどな
なんか、モンゴルを東アジアと思ってない人が多いみたいだな? >>108
金帝国内では契丹族がモンゴルを支持し歓迎した
金と敵対していた南宋もモンゴルを支持し歓迎した >>44
フビライは芝居好き。
王宮でよく上演させてた。
それまで芸人が売春婦と同じぐらい蔑視されてたのが、
大きく社会的地位を高める。
その他、相撲や弓術を好んだ。
でもローマ人のような剣闘士やショーとしての虐殺、
ヨーロッパのように罪人の処刑を民衆の娯楽にすることは認めない。
流血を嫌悪するのがモンゴル文化。 >>114
> ヨーロッパのように罪人の処刑を民衆の娯楽にすることは認めない。
> 流血を嫌悪するのがモンゴル文化。
ジャムハやアッバース朝最後のカリフを、布や絨毯に包んで疾走する馬に踏み殺させたくらいだから、確かにそうだね。 元寇当時の日本には鎌倉幕府を裏切ってモンゴルに内応しそうな勢力がなかった。
もし戦国時代のように九州にキリスト教が広まっていたら、日本人キリスト教徒がモンゴルに内通して手引きしただろう。 江戸初期に元寇があったとしたら「キリスト教の信仰を認めてやるから我々に協力しろ」とモンゴルが調略をかけてきたらキリシタンは応じていただろう。
キリスト教勢力か多神教勢力のどちらかが皆殺しで全滅するまで戦うしかない。 カイドゥはフビライに反乱を起こしたが、
カイドゥが南京の産物を送るように要求すると
フビライは許可する。
フビライも草原の馬や物資を送るようカイドゥに要求すると、カイドゥはOKした。
内乱中も交易の自由だけは確保する。
政治抗争より経済的利益が優先なんだな。 現代に元寇が起きれば、間違いなくキリスト教徒がモンゴルを手引きする存在になる。
キリスト教徒の香山リカさんが中国語を学んでいる理由について似たような主旨のことを言ってる。 >>113
タタール部と対立していた金も、当初はモンゴルを歓迎した >>115
その処刑方は一応、貴人への敬意の現れ。
武士に切腹を許すのと同じ。 >>121
知ってるよ。
オトラルの長官イナルチュクの両目と両耳に溶かした銀を流し込んで処刑したのも同じ理由だろうね。 >>116
さすがに海を超えて遠征は難しい。
せめて九州北部以外の手薄なところに上陸すればいいのに。 >>100
概ね、北や西から攻め込んだ遊牧的性格の集団が支配した時期の初期にに技術・社会制度が大きく進歩し、支配層の遊牧民族が漢化すると国の衰退期、
支那人の勢力が取って代わると小国乱立の混乱期か統一国家を為しても恐怖政治で全域の文明や社会制度が後退してしまい、その間に力を蓄えた
周辺の遊牧集団に支配権を奪取される……の繰り返し。
遊牧圏は、それ自体に独自の技術とか産品とかは持っていないけど、持っていないだけに、使えるものは何でも使う、良いものは良い積極的に取り入れろ、
伝統があろうとダメなものはダメ使わない、という目利きと容赦ない取捨選択ができるからな。 >>107
モンゴル帝国反主流の遊牧民をシャーマニズムやイスラム教やらの信仰を保持を許して受け入れ
西ヨーロッパ南ヨーロッパでの迫害を逃れてきたユダヤ教の信徒もこれまた積極的に受け入れてた
ポーランド王国があるじゃないか。 >>124
> 恐怖政治で全域の文明や社会制度が後退してしまい
よくそういう安っぽい意見あるけど、まったく違うから反省しようね。
各王朝の太祖が布いた恐怖政治を維持継承できなくなって滅ぶのが中国歴代王朝の特徴。
手を血で汚す仕事を引き受ける献身的な軍人の支持がなくなった時に衰退がはじまるんだよ。 >>115
貴人の処刑法だしな。
殺すというよりは、既に死んでいるものとして扱う。
ジンギスカンの埋葬も、布にくるんだ遺体を平原に浅く埋めて馬で踏み均してしまう、ってやりかただったろ。 >>110
元朝はクリルタイをモデルにした
大小様々な協議会を開かせた。
地方行政でも協議会を開かせ、事務役人を有給にする制度に変えた。
当時としてはかなり民主的。
明朝で伝統的官僚制度に逆戻り。 先人から受け継いだ恐怖政治をやめたらそこでゲームセットだよ。 天安門事件のような大量殺戮事件は衰退ではなく勃興を示す吉兆。
皇帝に忠誠を誓い手を汚すことを厭わない献身的な者が数多くいることを意味するのだから。 勧善懲悪は負け犬のルサンチマン。
皇帝に忠誠を誓い民衆の殺戮を厭わない献身的な者が数多くいる時こそ、国家の繁栄の時。 フビライ・ハーンが漢化したことを不満に思うモンゴル貴族は多かった。
民衆を殺戮できない王朝は衰退する。 >>123
対馬攻略したんじゃなかったっけか
順序的には次は九州で間違いないと思う >>119
非武装中立を主張してた昭和の左翼は、「中国が攻めてきたら、真っ先に降伏する」と明言していた ホラズム・シャー朝のイラン人商人はグローバリストとかサヨクみたい >>120
ジンギスカンは、挨拶にきた金の皇太子を、あんな阿呆が次のチャイナの皇帝だと? 笑わせるな、取って代わってやる、と唾棄したという。 >>133
民衆を殺戮しまくったのは、どっちかというと、支那人王朝の方でしょう。
モンゴルに取って代わった、明朝とか。 >>126
清朝なんか衰退期と恐怖政治の強化の時期が同じなんですけど?
初期〜最盛期は征服王朝らしい鷹揚な政策だったし。 >>134
曲がりなりにも防備のあるところじゃなくても。
九州の他のところでもいいんじゃ? >>139
征服王朝が鷹揚なわけないだろ。何言ってんの。
恐怖政治を向ける相手が前王朝や外敵にいるうちは民衆に向かわなかっただけ。 >>139
明清の交代期は、中国の人口が激減した時期
四川省なんかは、「先住民が滅亡して、人間が入れ替わった」と言われてるくらいだ 常に誰かを敵として攻撃し続けなければ中国王朝は維持できない。
残忍さを保てなくなれば滅ぶのみ。 タタール部を皆殺しにした責任を金に押し付けるチンギス・ハーンの見苦しさ。 タタール部を皆殺しにしたのに
何で「タタールのくびき」とか呼ばれるんだろう? モンゴルとロシアではタタールが別のものをさしてるからだろ ロシアのタタールスタン共和国に住むタタール語を話すタタール人とタタール部は別なの? >>148
ロシアのタタールスタン共和国に住むタタール語を話すタタール人とタタール部が同じであることを君が証明すればいい。
できなければ別ということになる。 >>146
元朝の樺太侵攻を鎌倉幕府はどこまで知ってたんかなぁ? チンギス・ハーンの寛容さとして称えられているのはすべて同じ遊牧民に対するものであり、
都市民や農耕民に対しては一貫して皆殺しで臨んだ。
例外になってしまったのが同じ遊牧民であるタタール部への大量殺戮。言い訳がましく金のせいにした。 インド人とアメリカ先住民インディアンが同じであることを証明できないなら、別のものということになる。 チンギス・ハーンと源義経が同一人物であることを証明できないなら、別人ということになる。 >>145
タタール人の狂暴さが、ロシア人の印象に強く残ったから
以後は北アジアの遊牧民を「タタール人」と呼ぶようになった >>149
モンゴルの末裔を何でタタールと呼ぶのか?
北元を韃靼と呼ぶのは何故か?
やっぱりモンゴル軍に多数のタタール部のメンバーが含まれてたんじゃないの? >>155
質問なぞせずに、モンゴル軍に多数のタタール部のメンバーが含まれていたことをお前が証明すればいい。簡単だろ? >>155
あと、「多数」の定義を最初に決めとけ。無意識にゴールポスト動かすみっともないふるまいをせずにすむ。 >>141
鷹揚じゃん。
支那人の王朝がやってるよう言いがかりをつけて自治権を停止するようなことしてないでよ。 調べた限りでは
チンギス・ハーンの后イェスゲンとイェスルン、チンギス・ハーンの弟のカサルの妻がタタール部出身で
カサルが彼女たちの懇願を受け入れて
兄の命令に従わずに千人のうち五百人を生かしておいたという話ぐらいです。(集史) 2015年5月、「ウクライナが、13世紀チンギス-ハンの子ジュチの軍隊がキエフを破壊した事に対し、モンゴルに補償を求めている」との情報が流れた。
モンゴル外務当局はこれを認め、「キエフ当局から、しかるべき公式書簡を受け取った」と明らかにした。
なおモンゴル側は、賠償の支払いに同意したが、対象は、この歴史的出来事の直接の被害者あるいはその家族に限るとし、ウクライナ側に、被害者リストを提示するよう求めている。
ナムスライ報道官は、ラジオ番組の中で次のように述べた。
「中世には、たしかにキエフ・ルーシは存在したが、当時ウクライナ国家はなかった。
もしウクライナ議会(最高会議)が、ジェノサイドの被害者となったウクライナ市民及びその家族すべての名前を書いたリストを用意するならば、我々は、賠償金を支払う用意がある。」 まずは「多数」の定義を決めてください。ぶれるのはよくない。 >>147
帰順させるのてこずったから、一番東に陣取っていた部族なのに、総員を征西の先鋒に使った。
征西の途中途中で併合した遊牧部族も、仲間として信用してほしいならまずは役立ってるところを見せろ、と、最前線のタタール部隊に混ぜ込んだ。
ロシアを攻める頃には中央アジアら辺のトルコ人の比率が高くなってきていて、トルコ系遊牧民=タタール=モンゴル兵団という誤解が生じた。 多数の定義と言われてもねぇ。
モンゴルをロシアがタタールと呼び、中国が韃靼と呼んじゃう程度の
軍の主力になる程度は目立つぐらいいたのかなぁと思ったんだが、
いないのか。 >>163
まずは「目立つ」の定義を決めるところから始めよう。 三十姓韃靼というようにモンゴル帝国以前は
モンゴル系の民族はタタールと呼ばれていた
モンゴル族よりもタタール族の方が有名だった >>164
モンゴル≒タタールと誤認するぐらい目立つということ。
>>162氏や>>165の説明に感謝。 モンゴルをテュルク(トルコ)の一派とみなす分け方もあるし面倒。
誰目線の呼称なのか次第。 「ナチスはユダヤ人を皆殺しにした」という意見に対して、
「他の土地にはまだまだユダヤ人がたくさん生き残っていたのだから、ナチスはユダヤ人皆殺しなんてしていない」、というロジックを立てることも可能。
「皆殺し」の定義を決めろという話でもある。 南京大虐殺を南京小虐殺に呼称変更する案に賛成します。 ひとつには、「タタール」(Tatar) という名前が、たまたま西洋で地獄を意味する「タルタロス」(Tartaros)とあまりにも似ていた
そんな部族がモンゴル侵略軍の先鋒となり、騎馬で高速移動しつつ、行く手を阻むものを皆殺しの串刺し、焼討ちしながら進んでいくのだから、西洋人には地獄のタルタル軍に見えた >>128
敵に塩を送ったわけじゃない。
交易を断絶すると
自分たちが困る。 ジンギスカンも旨い。
羊肉が苦手な人が多いが。
チンギス・ハーンと関係なさそうだ。。。 >>146
アイヌ人は撃退してないよ。
樺太はモンゴル軍に征服されてアイヌ人は貢物を納めてる。 「カサル」とは「勇猛な」という意味らしいが、ジョチ・カサルの
ジョチはどういう意味?
チンギスの子のジョチは「客」という意味らしいがそれと一緒? 羊肉たけーよ
豚肉くらいの値段なら普段から使うのに >>173
家でジンギスカン作って食ってたら服に匂いが染みついて
大変だったって話をラジオで聞いたおぼえがある スーパーのジンギスカンパックを買って焼いて食ってる。
結構好き。
まぁ独特の臭みがあるから苦手と感じる人のことは理解できる。 >>174
元軍の攻撃は1264年、1284-1286年。
1308年にアイヌの玉善奴・瓦英(イウシャンヌ・ウァイン)が毛皮を朝貢して元に服属。
アイヌ人、大陸へも行き来してたんだな。 版図の地図にはシベリア方面って空白。
バイカル湖ぐらいまで。
モンゴル人はシベリアには興味なかったんか。
後のロシア人とは違うね。 スブタイがもっと長生きできてたら、
バトゥの征西はどの程度まで行けたんだろうか?
神聖ローマ帝国?
フランス?
イベリア半島の諸国?
ブリテン島はイングランドとスコットランドで分かれてたっぽいけど、
モンゴルが攻めてきたら一致団結して、元寇時の鎌倉幕府みたく撃退できただろうか? 北ドイツは森林と沼沢に覆われているから、騎馬軍団に適さない地形
モンゴル軍はそれもあって再挑戦しなかったんだろうけど、あきらめずに何度も攻めてたら、そのうち征服できたでしょうな >>183
> ブリテン島はイングランドとスコットランドで分かれてたっぽいけど、
> モンゴルが攻めてきたら一致団結して、元寇時の鎌倉幕府みたく撃退できただろうか?
できない。イングランドの不平貴族やスコットランドはモンゴルにつく。
実際、モンゴル軍にはイングランド人将校がいた。モンゴル軍撤退で取り残されて発覚した。 >>160
一種のブラックジョークか 資料など残ってないだろう
>>181>>184
シベリア ヨーロッパ 東南アジア
あと日本も森が多いので、あのまま侵攻しても
征服には苦戦しそう ×スブタイ
〇オゴタイ
だったわ。
神聖ローマ帝国はハンガリーやポーランドのようにはいかんという事ね。 ロシア東欧は木の城壁だけど
西欧は石や焼き煉瓦の城壁
華北とイランとイラクは日干し煉瓦や版築など土の城壁
南宋は石や焼き煉瓦の城壁
西欧の城塞は南宋の城塞と同じく手強い
南宋には回回砲トレビュシェットがないけど
西欧にはトレビュシェットがあった 要するにサマルカンドやバグダッドはデカいプラモデル
キエフとかはペーパークラフト
ウィーンやコンスタンティノープルは超合金やミニカー 香山リカさん「私は中国の味方。もし日本が中国に乗っ取られても生き延びるために中国語の勉強をしている(笑)」
https://snjpn.net/archives/108499
2019-04-07
※香山リカさんはクリスチャンです >>188
そうだな
現代の戦争ほどではないとはいえ、工業力や技術力は、この時代でも無視できない要素
西欧を征服するのは簡単ではなかったはず ブルガリアハンガリーあたりにバトゥ・ウルスができて宗主権を認めるくらいだろ
モンゴル人もキリスト教化して >>179
カルピスから甘味を除いた感じの味。
度数が低いからアルコールは殆んど感じない。 >>193
客に必ず馬乳酒を飲ませると聞いた。
酒に弱い俺でも大丈夫か。。。 1287から88年にかけて
フビライはモンゴル人クリスチャンの
ラッバン バール ソーマをヨーロッパに使節として派遣してる。
イル ハン国を経由して、
コンスタンティンノープルに入り、
皇帝アンドロニコス二世に謁見、
その後ヨーロッパを旅して
教皇ニコラウス四世、ローマ枢機卿会、フランス王フィリップ四世、
イギリス王エドワード一世にも会い、
友好関係を築きたいと申し出た。
教皇は教師たちをモンゴルの宮廷に派遣することを約束するなど
終始友好的な訪問となり
征服の時代が終わったことを周知させた。 マルコ・ポーロは1271-1295年の24年間旅した。 >>165
明朝が天命によって蒙古帝国を滅ぼしたというストーリーに仕立てたいため、
明朝は北元を蒙古ではなく、韃靼と呼ぶことにしたという記述をどこかで読んだ。
中国史料に引きずられたらしく、近年まで高校教科書にはモンゴルがオイラートとタタールに分かれたかのような記述だったので自分も誤解してた。
実際は韃靼とは明側の呼称で、実際はモンゴル。
モンゴル帝国の滅亡は1634年に元の玉璽を満洲のホンタイジに献上したときというのがモンゴル人の認識。 >>191
当時の西欧の工業力や技術力なんかカスだろ >>198
13世紀だと、まだまだだな
もう少し後になると、オスマン帝国のスルタンから「大砲を造ってくれ」とか言われるようになる
(西欧じゃなくてハンガリー人だが) そもそもモンゴル人の(通商路の)お陰で中国の火器兵器がヨーロッパに伝わったんでしょ 鉄砲伝来以前から火薬を用いた武器は日本に存在した。
蒙古襲来で「てつはう」の存在を知っていたから。
応仁の乱では「火箭」が飛び交った。ロケット弾のようなものと考えられる。 モンゴル帝国の世界進出は、宋代の中国の技術革新と切っても切れない関係にある
産業革命でイギリスが世界進出したのと一緒 >>202
宋なんて支那人の土人化する衰退期だろ。何の技術革新があったんよ? >>203
羅針盤と火薬は宋で発明されたと考えられている。
モンゴルは当時の最新鋭の兵器である火薬を使った。 宋を土人化とか衰退期とか言ってる時点で何もわかってないやつだと分かるな >>204
ペルシャか回教圏からもたらされたものではないんかい? >>205
徽宗の書画を珍重し過ぎて目が曇ったかw 三大発明も去ることながら、最大の技術革新は石炭火力によるエネルギー革命
それによる製鉄の普及 北宋でコークスの使用が当たり前になった。
コークスは、石炭を粉砕して水を加え、蒸し焼きにしたもの。
鉄鉱石(酸化鉄)をコークスと一緒に加熱すると、酸化鉄の酸素が、コークスの炭素とくっついて二酸化炭素になって出ていくので、あとには純粋な鉄が残るんだよ・・・
と、昔、学習塾の理科の授業で中学生に教えたものだった。
文系で歴史ヲタなのに、なぜか理科を教えてた。 モンゴル帝国の強さとしては、騎馬軍団の機動力が注目されることが多い。
だが、当時の世界最先端だった中国の工業力による、豊富な鉄製武器と、火薬の威力も見逃せない。 >>210
結局間違ってんじゃん。
コークスに酸素と水蒸気を吹き込んで、一酸化炭素と少量の水素を発生させて、
水素を燃やしながら鉄鉱石の酸化鉄を一酸化炭素を以って還元する。
水素があった方が、再度鉄が酸化しないようにするに都合が良い。 >>211
ヨーロッパやペルシャまで攻め取った段では、まだ、宋の攻略に難儀して痰たけれど?
第二次東欧遠征が1237年、バトゥ・サライ建都・ルーシ諸邦を属国にした1243年がロシア征服完了。
この頃の宋とモンゴルの係争は、襄陽府を獲ったり獲られたりの一進一退
ペルシャ攻略が完了したのが、1258年バグダッド占領・アッバース朝カリフ廃位、1260年ダマスクス占領とイラン東アゼルバイジャン州のマラガ盆地に新都建設のあたりだろ。
この時点、1260年頃というと、モンケ皇帝の命令でクビライが武州を攻撃していたが、崩御により、一旦撤退した時期。 モンゴル人自身は何にも発明しないけれど、
中国やイスラム圏からの良いとこ取りで
混ぜ合わせてイノベーションが起きる。
どこの出身だろうと役立つものを採用する。
工芸技術者を卑しい者とは見なさなかった。 >>212
なるほど、正確に言えばそういうことなのか
化学はあまり得意じゃない(笑) >>213
宋を征服する前から、交易によって、鉄を手に入れやすくなっていた >>213
金庸の武侠小説「神雕侠侶」を思い出す場面
郭靖が襄陽を守ろうと奮闘する中、「神雕侠」こと楊過は、超人的な武芸でモンケ・ハーンを討ち取った。 >>214
モンゴル人は、騎馬軍団の機動戦法と、広大な帝国の統治機構を発明した
おかげで、それを見習った明清帝国、オスマン帝国、ムガール帝国、ロシア帝国は何百年も続き、安定しすぎたおかげで停滞に陥ったほどだ >>214
>工芸技術者を卑しい者とは見なさなかった。
それはどうかなあ?
農耕民については、下に見ていたのは確実。
工芸職人だって、農耕民の一種だからねえ。 >>212
でも、途中のプロセスはともかく、要するに「石炭の炭素と、酸化鉄の酸素がくっついて、二酸化炭素になって出ていきました。あとには、鉄が残りました」ってことだろ
要点はそこなんだし、中学理科レベルではそれで充分 >>204
火薬の発明は唐だろ
唐はモンゴルに近い騎馬民族王朝 >>216
そもそも石炭も鉄鉱石も産地は長城より北じゃん。 >>218
アケメネス帝国
ローマ帝国
イスラム帝国(ウマイヤ帝国、アッバース帝国)
のような三界を跨ぐ帝国があったじゃん。
欧亜を跨ぐ突厥とか、明清よりも勢力圏の大きかった唐とか、
モンゴル帝国以前にも大帝国あったろ >>221
唐の時代に西から伝わったんだろ。
ギリシャの火とかインドラの矢とか火遁兵器があっただろ なんで揮発性オイルを使った兵器と火薬を同列に語ってんだよ
少しは考えろよな チンギス・ハンのモンゴル帝国を支えた鉄「チンギス・ハンの鍛冶遺跡」の聴講記録
https://www.infokkkna.com/ironroad/dock/iron/8iron06.pdf
アウラガ遺跡の地表には数多くの鉄関係の残滓が散在していて、鍛冶場があったらしい。
鉄素材は中国から入手と考えられ、
この筆者の私見では、モンゴル帝国をつくりあげたチンギス・ハンが真っ先に
鉄資源に恵まれた中国東北部を支配していた「金」などの国を攻略し、
継続的に鉄資源や人的資源を確保したとか。 >>226
それまで、モンゴル人は動物の骨片を矢ジリに使うことが多かった
大量の鉄を確保したことにより、飛躍的な攻撃力UPを実現したことになる ドラゴンクエストだって、装備が鉄製になると、途端に強くなる 本名のテムジン (tem�in) とは
テュルク・モンゴル語で「テムルチ」 (tem�r-�i) 、
鉄(テムル)を作る人、鍛冶職人を意味する単語の省略形らしい。
そこからテムジン=チンギス・カンは鍛冶屋だったという伝説が発生。 スターリンも「鉄の人」という意味の通称だそうだけど、テムジンも似たような意味だったか? >>223
それらは、モンゴル帝国とその後継王朝のような、強力な中央集権体制を敷いたわけではない
似て非なるシロモノ >>226
中国東北部って……
明だって国境の外側に長城を作ってそこから北は緩衝地帯ですらない完全な外国だとしていた、遊牧地帯なのに…… >>231
モンゴル帝国の後継王朝がそんなに広大な地域を支配していないじゃん。
明国なんて、西・北・東をぐるっとモンゴル勢に囲まれていて、河西回廊すら勢力下に置けずにいたろ >>233
「広大な領域」?
「強力な中央集権体制」と書いたつもりだったが >>230
ティムール帝国のティムールは
ずばり鉄(テムル)。
テムジンを漢語で鉄木真とかにするのは
単なる音訳だけでなく
意味を含めてたのか。。。。 アルタン・カーンは俺答汗
俺が答えだ!
すげえ独裁者みたいだな >>235
マンハッタンが民鉄吾なのはどうしたものか たかぎ七彦の漫画『アンゴルモア 元寇合戦記』に金属管形火器が登場する。
「てつはう」は銃砲なのか。。
陶器製の手投げ弾じゃなかったんか。。
沈没船で見つかったのは「てつはう」じゃないのか? >>235
ところで、なんで、ティムール帝国とかティムール王朝とかいうんだろう?
ティムールは、日本でいうと、関白とか摂政とか内覧とか大臣とかいうものに相当する立場。別途、王様居たよね?
王様に政治的な実権無かったり、王位を大臣の思いのままに挿げ替えたりしていても、たとえば、日本の9世紀10世紀を藤原朝とか17世紀18世紀を徳川王国とか言わないのと同じ基準なら、
ティムール帝国の言い方もおかしいよなあ。 >>194
馬乳酒はアイラグという。
蒸留酒でアルヒ(発音はアラヒと聞こえる)
というのがあるが、これは相当酒に自信がない限り
飲んじゃだめ。大柄なモンゴル人ならいいだろうが、
度数が50位あってしかもストレートだから
高原地帯で空気の薄いモンゴルで飲むと
悪酔いしてひどい目にあう。 飛行機でブランデー啜る人なら平気なんじゃない?
それよか、馬乳酒の方は勧められて日本人が飲むとひどい腹下しに遭うというけど。 >>238
中国系アメリカ人の多くが
台山出身で粤語の四邑方言の影響で
マンハッタンが民鉄吾になったという話を聞いた。 >>218
オスマン帝国とモンゴル帝国なんてほとんど共通点がないだろ。
支配領域も違うし、オスマン軍の強さは歩兵部隊イェニチェリの駆使する重火器。
ビザンツ帝国を滅ぼしてからはローマ帝国の継承国家を自認してた。 遊牧民は古墳を作るのか
ttps://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1293798199/926
分かるやつ答えてあげて なんで元朝の大ハーンやイルハン国のハンの中期以降の人て、頃されたの以外でも早死にばかりなんだ? >>246
大砲を作ったのも東欧人だし、イエニチェリもバルカン半島のキリスト教徒
してみると、オスマン帝国の強さってのは、主として東欧バルカンの軍事力なんだな >>232
建前上は女真族の住む満州も明の属領だぞ
永楽帝のころはヌルカン都司とか設置して本当に統治してたけどな 蒼き狼って訳したの那珂通世だっけ
名訳ではあるけど勝手に色変えんなよな >>251
建前ではセイロンやジャワやペルシャやザンジバルまで明国の属領でしたわねー >>251
日本国王源義満を冊封してたので日本も明国の属領でしたなw チャイナは、大使館と総督府との区別のつない阿呆ですからね >>243
乳糖成分が多いから日本人だと乳糖を消化しきれないから。 >>249
元々バルカンと小アジアではバルカンの住民の方が勇猛だよね
小アジアの方が古くから農業が盛んで住民が温和だった
ギリシャ人は小アジアを征服して小アジアをギリシャ化したけど
バルカン北部を征服してバルカン北部をギリシャ化出来なかった
バルカン北部はローマが征服してラテン化した
ローマ軍が騎兵が主力になると乗馬が得意なバルカン北部の住民は
ローマ軍の主力になり帝位を独占するようになった
バルカン北部の住民がスラブ人に滅ぼされると
小アジアの住民は小アジアを守る事だけで精一杯なので
無理してブルガリアを倒してバルカンを再征服すると
小アジアのテマ兵は没落して東ローマ軍は傭兵だらけになった コンスタンティヌス大帝とか
ユスティニアヌス大帝とか >>260
モンゴル族はどっちにも攻め込んでいるけれど、満州族は攻め込んでないよ >>259
>>257
ディオクレティアヌス帝も。 >>257
ローマはトロイヤの難民が祖先だし、
アテナイはイオニア渡ってきた人らの町だし トロイヤ遺民起源説って創作でしょ
天皇家が呉の太伯の子孫レベルのトンデモ説 ラテン人とかイタリア語派はケルト語派に近縁
ケルト語派のガリア語とブリトン語よりも
ガリア語とラテン語の方が似ていたので
ガリアはラテン化したけど
ブリタニアはラテン化しなかった >>259
>>263
サンクス
そういやマケドニア朝なんてのもあったな
ビザンツは東のテマ軍団が勝手に皇帝擁立ってイメージがあった >>266
ブリトン語はケルト語語派なんだがなあ?
征服に手を焼いて長城作って侵入を防いだカレドニアのピクト人やゲール人もケルト系の言語を喋っていた。
言語の系統からしておよそ違う、エトルリア語(イタリア中部)、フェニキア語・イベリア諸語(イベリア半島)の用いられていた地域は
ガリアよりも先にラテン語で塗り替えているだろ。
ガリアが同化したのは、単に、本国から近くて、兵員の動員や通過が多かったり、入植者が多数いたりではないのか?
支配しやすかったのも、言語が似ているからというよりも、小麦を秋に撒いて春に刈る農耕の様式が同じだからではなかったのか?
中欧・ブリテン島は、春に蒔いて秋に刈る燕麦やライ麦の方が主流だから、ローマ人と生活様式が違いすぎたんだろう。 モンゴル時代について調べると日本は史料に恵まれてるって実感する。
同時代のバルカンなんて闇の中。 ロシアの歴史ではモンゴル帝国をどう解説してるんですか? モンゴル人の前髪をちょっとだけ残して剃るのはオシャレなの? 大事な所だから残してるだけじゃない?
日本人は頭なでなでされるの好きだけど、
中東の人らって神聖な頭を触られると激昂するよね モンゴル人、女直人、日本の武士の弁髪は兜を長時間かぶっても蒸れないようにするため。
戦士階級の証だ。 〉〉273
それマジですか?
自分も同じことを考えたことあったけど
西洋人、イスラムは髪をそらないと思うし
東洋の妙な文化かとも思ってた >>274
ヨーロッパや中東は乾燥してるから蒸れないだろ 日本の兜には頭頂部に蒸れ防止のための穴があいてる。
鎌倉時代に月代を剃る習慣が普及するとその穴が小さくなるから蒸れ防止なのは間違いない。 ベトナムとか東南アジアの武人は頭を剃るのかな?
日本よりはるかに高温多湿だ >>269
つい最近、この時代のバルカンについて書いた本が出版されたな。
聖デメトリオスは我らとともにあり 中世バルカンにおける「聖性」をめぐる戦い
https://www.yamakawa.co.jp/product/67248
モンゴルについての記述は一切ないけど。 満州やモンゴルは乾燥してそうで
そんな剃るほど湿潤だったんか この流れでバリカンの語源はバルカンである、というデマを思いついた >>275
官吏に登用した人だけだよ。
礼装を支配階級のものに統一するってのは古今東西どこでもやってたことだ。 1、モンゴル帝国が動員した兵数
2、モンゴル帝国と敵対した国家双方の合計動員数
3、モンゴル帝国側が与えた損害者数
4、モンゴル帝国側が被った損害者数
…の最大なのはそれぞれどの戦いだろうか?
モンゴル側が与えたキルレートならバグダッド包囲戦、
モンゴル側が被ったキルレートなら弘安の役な気がするが… >>287
明がハンバリクを奪取したときの戦争でのモンゴル方損害はどんなものなん?
多数取り残された韃靼人・色目人の婚姻を禁止し必ず少なくとも一方が漢人での婚姻を強要したエスニッククレンジングのおまけつき。 蒙古馬に乗ったモンゴル騎兵とアラブ馬に乗ったホラズム騎兵だったら
後者のが圧倒的に強そうなんだけど 4〜6頭ぐらいの代え馬もってて
乗り換えながら近づかないで戦うんだっけか
戦いは数だよアニキ >>292
モンゴルの夏祭りの草競馬って、走行距離30キロとかだよ。共産時代以降どんどん縮めて半分に縮めてなおその距離になってる。
つまり、陣地から行って帰っての突撃が30キロとか50キロとかの距離なわけよ。
アラブ馬等を使って作り出した馬でやってる近代競馬で長めの距離のものというと、グランドナショナルの4.5マイル(7キロ)とか。
俊足のアラブ馬では行って帰って3キロ4キロの突撃しかできない。
3メートルの高さ、大きめの馬に乗って鐙に足かけて立った状況での地平線が大体6.2キロくらいだ。
後方から戦況の見えるところでの突撃しか想定していない。
20メートルの高さ、城の櫓とかの上から地平線はざっと16キロ。
「韃靼の騎兵は地平線の向こうから攻めてくる」とヨーロッパ人も回教圏も言ってたから、突撃に使う馬の駆ける距離と結構一致してのよね。 16世紀頃の日本人が本州、四国、九州の
中のみを動き回ってたのに対して
戦国時代から200-300年も前に
モンゴル高原から東欧までバトゥが
大遠征に出たことって冷静に考えたら
凄いよね。
ハワイ真珠湾攻撃での遠征より
遥かに長い距離を遠征しているから。 バトゥの行軍の距離が凄い!
ハワイ真珠湾への行軍より凄い。
しかも13世紀頃 >>297
知らない。
ただ時代を考えたら
バトゥの大遠征は凄いよ。
鉄道も車も無い時代だし。 しかも当時は道路も無いし
あったとしても舗装もされてないんだろ? 日本海軍が帆船を使わずに
ハワイ真珠湾を攻撃したことを考えると
バトゥの大遠征は凄すぎるよ。 >>297
単純に直線距離だと、7千kmくらいか
でも、あちこち征服しながらの行軍だから、実際にはもっと遠い チンギスカンって世界一、成功した英雄だよね。
アレクサンドロス大王が短命で終わって
一代限り。
ナポレオンや信長が最後には破れて
始皇帝とかが長く続かなかったのに
チンギスカンは天寿を全うして
しかも自分の一族が次々に
支配領域を広げて皇帝の家系に
なったことを考えると
史上屈指の成功を手にしているし。 ナポレオン、信長
最後には敗れる
始皇帝
一族の支配が長続きせず
チンギスカン
天寿を全う。しかも一族が優秀な為に
征服地を広げて一族の支配が長続き >>303
その時はよかったんだけど
その後にロシアに支配される当たり歴史的な因果応報はあると思った 20 :世界@名無史さん:2020/05/31(日) 15:04:04.89 ID:ULV7ItA0i
ベトナム(陳朝)はモンゴルを3度撃退したって言われるけど、
1度目の侵攻に関しては撃退したと呼べるのか、かなり怪しいんだよなぁ。
元側の歴史書では、陳王が降伏してきた後に撤退したと記録されているんだよね。
その後の陳朝は、しっかりとモンゴルの属国化しているし。
1次侵攻に関して日本の学者はどんな解釈してるのかな。 >>302
まあ、そうだろうな
なんたって、オックスフォード大学のDNA解析調査によれば、「歴史上、最も多くの子孫を残した人物はチンギスハンであると推測される」らしいから >>297
モンゴルの当時の首都がカラコルムでウランバートルの近所、戦闘があったのがレグニッツァ近郊、
ウランバートルからレグニッツァの最短距離が6100キロくらい。球体としての地球の表面をなぞっていくから随分と北回りになる。
寒さを避けて同じ緯度で行ったとすると、
赤道1周4万キロ、地球を真球とすると北緯48度の緯線の長さが赤道の2/3、レグニッツァとウランバートルとの経度差が92度くらいだから、
ウランバートルが北緯47度50分、レグニッツァが北緯51度なので、緯線1度111キロ、赤道付近で経線1度跨いで111キロなので、
大雑把に計算して、6900キロくらいになるかな >>299
舗装されてると
補給が利かなくて
長駆して攻め込むのはムリ >>307
ウランバートル起点じゃないだろ。
東欧遠征に参加したのはモンゴル帝国内でも西側に所領を持つ一族。
東側のモンゴル軍は同時に行われた南宋や高麗への遠征に参加した。
遠征の起点はカザフスタンあたり。 現在内モンゴル、外モンゴルに居住してるモンゴル人は数百万人だが
ロシアやイスラム諸国に遠征したまま現地に定住してモンゴルに戻ることがなかったモンゴル人の子孫は数千万人はいるだろうな >>309
大王崩ズ疾ク還レ
の早馬の到着で、戦闘中断。
何処へ帰るのやら。 >>309
モンゴルのヨーロッパ遠征、総大将は、西寄りの今でいうとカザフスタンら辺に領地を持っていたバトゥだけれど、有力王族・譜代部族長全員集合の朝議で決めて、
西も東も動員割り振って主力部隊を出させてるけど、それでも、首府カラコルムが出発地ではないんかい? モンゴルのおかげでアジアや東欧の人民は大虐殺されたが
モンゴルは駅伝制でアジアからヨーロッパへの交通通信手段を向上させたという良い点もあった それでもウジャウジャのこってるだろ。人民なんて全滅させときゃあいいだよ。チャイナの肺炎でもうウンザリだよ >>313
は?
中央アジアを迂回する目的から花開いた大航海時代、知らないの?
どちらかというとモンゴルのおかげじゃなくてモンゴルのせいでしょ。厳密にはトルコだけど。 ん?
マルコポーロやルブルックはモンゴルの交通網に乗ってアジアへ行ったんじゃ無いの 交通網を整備するということは、恣意的に交通網を閉鎖できるという意味でもあるんだが。 重商主義国は交通網の封鎖とかできないよ。やったから国が内から潰える 重商主義は長続きしない。富の一方的な流出を経て終わるので。自分から国境を閉ざす。
トランプ大統領が出てきたのはアメリカの重商主義の終わりの始まりだからだよ。 宗教や経済が開放的なモンゴル帝国が滅び、真逆の閉鎖的なロシア帝国が?栄した。結論が出ている。 >>319
われらが日本はどうよ?
世界中が重商主義に舵を切り始めた17世紀に鎖国して200年後に蓋を開けたらまだ中世。
人口も増えない、社会も経済も産業もなにもかも発展できなかった、
19世紀末な重商主義に転換したら、あっちゅうまに人口倍増。 >>321
どこの平行世界の中世ジャップランドから来たん? 明治以降に日本の人口が増えた要因は農業と医療の技術導入によるものであり、重商主義かどうかはまったく関係ない。 >>317
交通網を遮断することは、自分の首を締めることになる。
カイドゥの乱でも、フビライはカイドゥ側との交易を停止しなかった。 交通網を遮断する能力は、軍事・貿易・防疫の点から必要不可欠。交通網を遮断できてこそ権力者。
兵糧攻めなんて交通網遮断の最たるものでしょうに。 遊牧民の強みは自給自足できることであり、交通網を遮断して都市住民をいたぶることに何の躊躇も必要ないことなんだがなぁ。
だから、遊牧民は都市での生活に慣れたら負け。 モンゴル軍は食糧不足に陥っても捕虜を殺して人肉を食べるので兵站が強かった。
戦争中に殺した女性の乳房をえぐり取る話は古今東西どこにでもあるが、実際に食べた勢力もあっただろう。 遊牧民が重商主義に見えるのは、特定の商圏に依存して商人の言い値取引になる従属を嫌うからに過ぎない。
モンゴルが表向き日本と関係を深めようとするのも、中国への過度の依存を恐れてのこと。
中国はモンゴルを経済制裁できる有利な立場にあるので、日中どちらかを選ぶことになればモンゴルは必ず中国を選ぶ。 自由貿易の盟主を自己演出するアメリカも、実際には経済制裁・金融制裁を武器として多用しているわけで。 遊牧民の重商主義うんたらかんたらは、マイカーを持ってる人が駅前商店街に依存することなく郊外の量販店をハシゴできるのと同じ。
今後はマイカーを持ってる人を重商主義とほめてあげればいい。痛々しいけどな。 >>323
重農主義では、排外主義に陥りやすい。対して、重商主義は、排外主義と両立しない。
徳川時代はガチの重農主義且つ排外主義の時代な。
明治になって、技術の導入も、輸出産業の育成も、産業機器から工業原材料から食糧衣料の民生品から輸出も輸入もする、
支払の為にメキシコドルに品位量目を合わせた1円銀貨を発行したのも、重商主義策そのものだろ。
その結果、農産技術も、医療技術も入ってる、食品も薬品も輸入し輸出するようになっての人口増大だ。 アメリカもブラジルもオーストラリアも重農主義だけどな。
農業輸出国だからこそ強気に排外主義を打ち出せる。穀倉地帯を抑える経済強者だから。
遊牧民が経済強者の農民を屈服させるには略奪遠征をやるほかない。 習近平のヤバいところは、食糧も満足に自給できないいびつな農耕民政権でありながら、
遊牧民王朝のような対外政策をとろうとしているところ。 重商主義と重農主義で分けるのは無意味。
自国の生産物を経済的恫喝に利用できるかどうかが重要なのであって、
競争力のある生産物が毛皮ぐらいしかない遊牧民は経済的恫喝政策をとりたくてもとれなかった。 コロナ禍以前から重商主義国イギリスで平均寿命が低下する現象が続いていたわけだが。 中国は本来、穀倉地帯を抱える農業大国なので、経済強者だからこそ自由自在に排外主義を採用できる有利な立場だった。
イギリスが清に売るものがなくてアヘンに手を出したのは有名な話。
重商主義と称されるものの実態は競争力の高い生産物を持たない国の市場ハシゴにすぎない。 武力で市場をこじ開ける略奪遠征を美化・正当化するためのロジック。それが重商主義。 >>326
逆だよ。自給自足できないのが遊牧民、自給自足できるのが農耕民。
農耕圏は農耕圏の中で物資的に完結できる。
遊牧民は自己の集団内で必需品すら完結しないし、人口支えるだけの食糧の生産ができない。
幸い、獣脂や畜肉は、カロリーに対する価格が穀物の数倍なので、秋の草の枯れる時期・農耕圏での穀物の収穫の時期を狙って、物資の交易に出るわけよ。
家畜を売って、穀物を買う、生活必需品を買う、というふうに。
懐具合の豊かになったの農耕圏としては「馳走に肉でも食べようか」の贅沢の一つだけれど、遊牧民として越冬の食糧確保で必死だ。
交易を拒否されると遊牧民としては死活問題だし、交易できない都市も付随する農地も遊牧民からすると価値は無いので潰すことに躊躇が無い。 >>327
中国人って自分らのやる悪行を他人のやったことにすりかえるよねえw
古今東西、当たり前に人を食うのは殷周の大昔から共産時代の今まで、中国人だけだよ。 >>338
バカだな。
略奪という手段で現地調達できる遊牧民こそが自給自足を実現できている。
農民を家畜のように扱う統治理念は遊牧民由来。
明治維新後の日本人が清を訪れて驚いたのは、略奪を生業とする馬賊が存在していたことだ。 >>339
モンゴル軍の人肉食を記述したのは東ヨーロッパ人だぞ? 戦争で人肉を食うなんて近代でも珍しくない出来事だけどな
特に劣勢の敗戦国側は補給状況が酷過ぎて、ドイツ軍や日本軍でも
食人が起きた例は報告されてるしね
なのでこの程度のことを取り立てる必要性も感じないかな 日本社会が「残忍」な鎌倉武士の台頭におののいていたころ、大陸ではさらに残忍かつ大規模な殺戮が展開されていた。 白石典之は、「1220年のホラズム帝国との戦いでは、モンゴル軍は、女性と犬を除いて、すべてを殺してしまい人口の4分の3が死亡してしまった。
1241年3月24日ポーランド、クラクフ中央広場はモンゴル軍によって火の海にさらされる。
モンゴル軍は、クラクフ広場から西に移動している途中、ヨーロッパ連合軍と接触し対決した。
その中核には、ヨーロッパ騎士道の華と語り継がれたチュートン騎士団、テンプル騎士団、ホスピタル騎士団、それに各地の優れた雇い兵であった。
しかし、ヨーロッパはこの戦争にも完敗した。わずか数日でキリスト教の大軍団は壊滅してしまった」と、およそ述べている(白石 2015)。
白石もハイシッヒと同様にモンゴル帝国に、残虐なイメージを抱いていると言えるのではないだろうか。
白石は日本人であり、ハイシッヒ同様に中国人のモンゴル帝国に対する考え方に触れたことが原因なのかもしれない。
大きな戦闘では、数的不利のモンゴル軍だが、指揮官達の戦略、戦術、戦闘はヨーロッパ軍を凌いでいた(マーシャル 1993)。
様々なヨーロッパ系やヨーロッパ人が書いた文献を見ている中で感じることは、彼らは必ずと言ってよいほど、
指揮官や将軍、モンゴル族のリーダーに敬意を表し、必ず称賛も述べている。
加えて、マーシャルは、「侵略軍の共同作戦は、正しく調整された機械のように、おどろくほど精確だった。
モンゴル軍はポーランドからハンガリーの大平原へといたる複雑な大作戦を用意周到にねりあげ、みごとにやりとげたのである」と主観を記した(マーシャル 1993)。
同じ時期に、モンゴル軍によるわざわいのニュースが、ヨーロッパ中に広がり、余すところのない破壊と破滅の予言が飛び交った。
噂は噂を呼んで、超自然的な力をもつ冷酷な馬頭の怪物が犠牲者をむさぼりくう、といった外道な残虐行為となってひろまった(マーシャル1993)。
聖ベネディクトゥスの修道士、イギリス人年代史家、マシュー・パリスも『大年代記』に下記のような絵を残した。
犠牲者を料理し、むさぼり食うモンゴル人を誇張して描いたもので、女性捕虜は死よりひどい運命が待っていたと記している(図1参照)。
ルーも、火をいれない肉だけ食べて10日間も行軍していた、口に入るものならなんでも食べていた、泥水も啜っていたと述べている(ルー 2002)。 人命尊重するならそもそも侵略なんてしないわけで、モンゴル贔屓の引き倒しが痛々しい。
貧困調査に尽力した前川喜平氏を聖人君子と称揚するに等しい。 >>336
イギリスも農産輸出国だよ?
アダムスミスの言葉でいうと、羊を飼って羊毛刈ってラシャを売って葡萄酒を買う方が儲かるから、囲い込みしたわけで、
別段、生産ができないわけでもないよ。
地球の真裏から調達する方が安あがりになった今では穀物の生産に回帰しているよ。
現に、イギリスの食糧自給率100パーセント超えてるよ。穀物・畜産品は輸出>輸入だ。 アヘン戦争前夜、イギリスは毛織物を清に輸出しようとしたけどさっぱり売れなかった。
中国国内の生産物のほうが品質が良かったから。
モンゴル人やウイグル人が供給する良質な羊毛があったから。 >>344
13世紀に「正しく調整された機械」なんて有ったの?
時代が500年くらい早くないか? >>349
ガガイのガイw
日本語が読めない日本人っておるんやな はぁ。
機械なんてものは産業革命よか後のものちげぇの? ねぇねぇ?ゆとりくん
デウス・エクス・マキナって言葉知ってる? machinaは、現代語で「機械」の意味に転用されてるけど、グレコローマン時代は、舞台装置のことだよねw
別に機械的な仕掛をつかわなくても、強引にご都合主義な展開でオチをつけてら、dei ex machinaだわ モンゴル帝国をほめるために重商主義や信教の自由をほめる風潮は改めたほうがいい。
モンゴル帝国は機能不全に陥ってからの期間のほうがはるかに長かった。
スポーツ選手の人生は現役選手として活躍できる期間は短い。長い引退後の人生が待っている。 モンゴル帝国の版図を受け継いだ中国・ロシアで信教の自由を厳しく制限される傾向があるのは、
モンゴル帝国の長い衰退・停滞期に付き合わされた中国・ロシアの知見によるものだ。
モンゴル帝国を分析した書籍は多くの場合、フビライ死後について適当に茶を濁している。
だらだらと続いたモンゴル帝国の長い衰退・停滞期をガン無視するのが、モンゴル帝国マンセー厨の特徴である。 80年の人生のうち最初の30年にしか注目が集まらない薄っぺらなスポーツ選手のような存在。それがモンゴル帝国。 >>358
明も清も帝政ロシアも、モンゴル人タタール人の信仰を弾圧したりしてないけどな?
弾圧したのは共産政権だろ。モンゴルの支配があったからではなく、マルクスレーニン主義だからだろ。 モンゴル帝国統治下で漢人支配を担ったイスラム教徒に対する報復は明代からすでに始まっている。 露土戦争はタタール人とロシア人の戦いであり、キリスト教とイスラームの戦いでもあった。
チェチェン紛争もキリスト教とイスラームの戦い。 >>362
永楽帝のお気に入り鄭和は、メッカ詣の許可貰って南海遠征に出かけてるよ?
イスラム教の弾圧してるんかいな? ロシア皇帝がユダヤ人技術者を厚遇したからといって、一般大衆がユダヤ人を厚遇していたとは限らないだろ?
ポグロム知ってる? ドイツのグループジンギスカンのメインダンサーの格好って
全然モンゴルっぽくないんだけどどの辺の衣装? >>365
帝政ロシアって、皇帝の権力、そんなに弱いの? モンゴルは内陸の高原につぼんでしまっているが、再び、海と肥沃な土地を目指して南下をしていただきたい。 お馬さんがオワコンやからな
ジュンガル帝国が最後の輝きやったで 馬がオワコンになったのは携帯火器の射程が伸びたからだよ。 騎馬鉄砲は騎馬と鉄砲の悪いところを組み合わせた産物。
身を伏せつつ依託射撃できる歩兵の方が射程が長いので身を伏せることもできない騎馬鉄砲はただの動く的になり下がる。 ユーラシアを征服する戦の最中、こうして野営しながら、苦みが特徴の韃靼そばをすすっていたんでしょうか? 弓と銃の決定的な違いは射程。
弓のほうが火縄銃より速射に有利だった時代もしばらく続いたが、関係なくオワコンになった。
お馬さんがオワコンになったのは速射性能ではなく射程が原因である。
念のため書いておくが、射程距離という表現は冗長である。
射程という語はすでに距離の意味を含んでいるからである。
どのくらい冗長かというと「馬から落馬する」ぐらい冗長である。 >>372
銃騎兵(竜騎兵)の銃は思いっきり長く、
鎧を貫通出来る槍として使われた。
歩兵の投射兵器とは運用上の概念が違う。 末端兵士に殺傷能力の高い火器を配布できるのは主従に信頼関係がある勢力だけである。
主従に信頼関係のない勢力は少数エリートにしか火器を配布できないがゆえに銃騎兵でオナニーしつつ没落した。 永遠なる天の命令であるぞ。天上には、唯一の永遠なる天の神があり、地上には、唯一の君主たるチンギス・カーンがある。
これは汝らに伝える言葉である。
我が命令を地上のあらゆる地方のあらゆる人々に、馬の足が至り、舟が至り、使者が至り、手紙が至る限り、聞き知らせよ。
我が命令を聞き知りながら、従おうとしない者は、眼があっても見えなくなり、手があっても持てなくなり、足があっても、歩けなくなるであろう。
これは永遠なる天の命令である。 チンギス・ハーンに授けられた天の命令を1回でツイートできない時点でモンゴル帝国はオワコン。 執権 北条時宗は、鎌倉に連行し、辰の口に蒙古の使者を並べ、一斉に斬首しました。
船つくりを命じられた高麗は、粗悪な木材で間に合わせるほかなかったこと
南宋や高麗は、やる気がなかったこと 高麗は、やる気マンマンだったでしょ。
手柄を上げてフビライ・ハーンの覚えがめでたくなれば、高麗王室の繁栄と地位向上につながる。
対馬・隠岐で捕まえた日本人は奴隷として献上された。
輪姦して殺すのもあと腐れがなくて良かっただろう。 勝ってよかったな
負けてたら今の鮮人みたいにモンゴル人の子孫ばかりになってた 朝鮮人にとって遺伝子検査は鬼門だよ。
モンゴル人・満州人の遺伝子が少なかったら下層民出身者ってことがばれるからね。
朝鮮の高貴な人は皆、モンゴル人・満州人の血を受け継いでいる。
朝鮮の人々が日本を憎みさげすむのは当然。日本人の遺伝子は下層民の遺伝子だから。 朝鮮人がモンゴル人の子孫ばかりというのは間違いだよ。
先祖の出身階級で大きく異なる。支配階級はモンゴル人・満州人の血統。
遺伝子が日本人に近くなればなるほど賎民階級。それが朝鮮社会。科学は嘘をつかない。 高麗は女真族が建てた王朝なので、モンゴルが侵略してこなくても支配階級はすでに先住民とは別の民族だった。
支配層と被支配層が別の出身民族だからこそ容赦なく搾取できるようになった。
朝鮮人という集団はモンゴルの支配が終わった後に作られた仮想集団なんだよ。
高貴な朝鮮人が日本人をさげすむのは、けがらわしい先住民と同じ血が流れているからだよ。 紛らわしいので書き直すね。
朝鮮の高貴な人々が日本人をさげすむのは、けがらわしい朝鮮半島先住民と同じ血が日本人に流れているからだよ。 朝鮮の高貴な人々が日本人をさげすむのは、けがらわしい白丁(主に朝鮮半島先住民)と同じ血が日本人に流れているからだよ。 その社会に醜い過去があればあるほどキリスト教やイスラム教が広まりやすい。
醜い歴史を消去してうやむやにできるからね。 醜い歴史があると祖先神信仰が劣勢になり、自然とキリスト教やイスラム教が広まるようになる。
聖書やコーランを受け入れることによって、祖先の歴史をユダヤやアラブの歴史で上書きする。 ムガール帝国もモンゴル系でしょ。 現地のヒンディー教徒との折り合いはどうつけたんですか 支那人や朝鮮人は騙す誤魔化す盗むチョロまカスと言うような時以外やるき出さないだろ けがらわしいパンチョッパリの血が流れている金正恩は白頭山の高貴な血統にはほど遠い。
金正恩「秘密の家系図」が北朝鮮国内で拡散、当局緊張
https://news.yahoo.co.jp/byline/kohyoungki/20200628-00185341/
高英起 | デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト
6/28(日) 5:00 >>395
ジンキス汗のヤサ法典にバッチリ他宗の侮辱を禁止しているでよ >>384
高麗の金将軍は文永の役前の撤退前の軍議で進軍を主張してたし
高麗王は王子時代からクビライに日本遠征に賛同して協力してるよ
(撤退の決定はモンゴル人将軍) モンゴル・満州の高貴な遺伝子が少ない韓国人の祖先は下層民。 モンゴル語で朝鮮のことをソロンゴスと呼ぶ。
ソロンゴスはもともと沿海州にいた女真系狩猟民の名称とされる。
ソロンゴスが朝鮮半島を征服したので朝鮮の呼び名がソロンゴスになった。 新羅のことじゃないの?
同じ単語を現地人が発音したものを
飛鳥時代の倭人・日本人が聴いたら「しらぎ」
北方遊牧民が聴いたら「ソロンゴス」 シラギは「奴ら」という古代朝鮮語における蔑称だろ。百済の人々が新羅を蔑称で読んでいたので
日本人はその蔑称をそのまま新羅の読み仮名にあてた。 新羅はシルラが正式名称だったのに、百済からの亡命者が新羅をシラギ(やつら)と蔑称で読んだので日本でシラギという呼称が定着した。 >>401
>>403
明確に違う
新羅もソロンゴスもショラゴル(「徐羅(ショラ)」の「城(ゴル)」)が訛ったもので新羅の固有語名にして慶州の古称である徐羅伐のこと
愛新覚羅烏拉熙春が突厥語チョルグル、契丹語シュルウル、女真語ソルゴルという新羅・徐羅伐に似た発音の朝鮮に対する呼称を発見している >>404
シルラなんて現代朝鮮訛りの発音を当時してる訳ないだろいい加減にしろ! >>407
横レスだが、否定するなら反証の論拠とその出典(少なくとも論者個人名)を明示しないと話にならない >>1. へ
現在までの『歴史の、一発屋!』・・・今では "ニッポンの相撲取り" に、なり果てて
いる。 中国に入ったモンゴル人は洗濯をするようになったのだろうか? >>403
「古代朝鮮語」なんてあったの?
三韓そのものが、邑里の寄せ集めで、盟主が百済・新羅・高麗ってだけの連合体だろ。
それぞれの内側ですら言語が共通しない。 >>411に同意だ
朝鮮半島に古代から居続けた民族っているのかね
世界の歴史を見てると逃亡者の一時避難先というイメージしかないんだよな半島って
いろんな言語の民が混在してたんではないの 朝鮮で歌われるアリランスーリの意味が本人たち分からないっていうのも、元は別の言語の民の歌だったからなのではないかね
例えばマレー語にアリランという言葉があるけど、少しずつ分散していった海洋民族の一部が残していった歌なのではと思ってしまう
日本人が記紀の中で謎に感じる部分も、当時の多民族時代には難なく理解できるレベルのことだったのかもしれないのと同じで >>413
済州島が朝鮮半島本土からさげすまれ続けた原因もその辺にあるかも。 高麗の時代から王朝創設者は国外勢力の傀儡という伝統。金日成も李承晩もそうだった。
多くの場合、女真族軍閥が朝鮮に侵略して王朝を建てる。
高貴な征服者にとって領民は言語の通じないまさに下衆な異民族なので産業を育成せず搾取することを優先した。 >>414
>済州島が朝鮮半島本土からさげすまれ続けた
そうなの?
リゾート地の印象しかないけど
ソースあったら読みたいクレクレ GoogleなりBingなり検索サイトで「済州島 差別」を調べればいいじゃない。 差別してる人の書き込みしか出てこなさそう
ソースって信頼できる筋の公式見解みたいなもんを言うんだけど意味は分かってるのか BingはWindows10の標準の検索エンジンだから意識しない人は知らないうちに使ってる。 >>419
日本人がわざわざ済州島や全羅道の人だけを狙い撃ちで差別する言説なんてあまりないと思うけど、あなたはなぜそう思ったの? >>422
日本人から見れば、どっちも薄汚い朝鮮人だし 失礼。ビングりなよ、ではなく、ビンぎなよ、のほうが日本語として正しいか。 >>399
文永の役だとこれ以上の進軍は無謀すぎる撤退すべきというモンゴル将の忻都に対して
高麗将の金方慶は船焼いて退路を断って背水の陣敷くわとか言ってる始末だからな
やる気ないどころか当のモンゴル軍以上に殺る気満々やで >>428
あの軍議の様子だと、撤退前の元高麗軍って日本軍に対して不利か、
これから不利になると思ってたっぽいんだよな 普通に10月20日の戦闘は日本軍の勝利だよ。
『五檀法日記』
「仰去月六日申刻、自鎮西飛脚上洛。去月十九日廿日両日合戦。廿日蒙古軍兵船退散了。」
双方の史料が日本軍の勝利と書いてるのに何の疑問があるん? モンゴル騎兵を実際に見てみると
こんなもんかとがっかりするのか
それとも超凄くて驚くのか
どっちだろ 日本の馬はポニー!って馬鹿にする風潮が一時あったけど、
蒙古馬もサイズはポニーなんだよな 落馬しても大けがしにくいのでママチャリのような使い勝手の良さがある。 体高と馬力って=じゃないらしいね
なんかの番組では大して訓練してない馬に人間載せた実験でヘトヘトにしてたらしいけど テンポイント号は65キロの斤量で潰れて脚折ってしまった 仰向けに寝そべって斥候を行うのが草原の流儀らしい。本当かね。 集団戦では弓矢が主体なので、馬が大きいことはデメリットになってしまう。 >>439
姿勢を低くして地平線上の敵から見えにくくするってのは分かるが >>443
上みれば鳥が飛んだり砂煙が上がればわかる
下はどの方面からくるか音でわかる 馬は歩兵より速く移動できて多くの荷物も運べるのが最大の利点だったけど、それも自動車の出現でオワコン化した。 >>432
見た目たいしたことなくて
いざ戦うと動きにビックリする感じじゃないかな トルコ人の騎馬術は現代でもやってて映像を見る限り
迫力はあった >>26
異端審問官や中国共産党、朝鮮労働党の基本思想
はこう言う発想にある訳だ 中国や朝鮮、極左、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒を理解するには服従者以外の
殱滅義務=天命思想が根本原理があるのだと
考えるとその論理は理解は出来るが全く支持は
出来ない そう言う考えなら先軍思想にもなるわ >>445
そう思ってるソビエト軍はアフガニスタンを攻めきれませんでした。
戦車繰り出したところで、山道に慣れた地元のお馬さんにかないません。 いくらアフガン土人でも戦後になってまで馬賊スタイルはやらんやろ
それとも馬に引かせたタチャンカで戦車に立ち向かったんかな? 農民と遊牧民との土地争いが慢性化しているナイジェリアで、
牛を育てるより人間を狩るほうが割が良くなってしまった遊牧民や自警団崩れが
200台あまりのバイクに二人乗りしてアサルトライフルを装備し、
政府の食糧支援先の村々を襲っては略奪や誘拐を繰り返す盗賊団に
https://www.bbc.co.uk/news/world-africa-53009704 ジンギスカンって戦そんなに上手くないよね
モンゴル高原でも結構負けてるし 中国・内モンゴルで腺ペスト感染者 当局が予防策を強化
https://www.bbc.com/japanese/53304300
2020年7月6日
中国内モンゴル自治区バヤンノール市当局は5日、住民1人が腺ペストに感染したと発表した。同市は予防策を強化している。
当局の発表によると、腺ペストに感染したのは牧夫で、現在は隔離されている。症状は安定しているという。感染経路などは不明。
モンゴルでは昨年5月、齧歯類(げっしるい)のマーモットの生肉を食べて感染した2人が死亡した。
モンゴルの首都ウランバートルの世界保健機関(WHO)職員はBBCに対し、マーモットの生肉や腎臓を食べることは、
健康のための民間療法と考えられていたと述べた。
マーモットはペスト菌を持つことで知られ、モンゴルでのペスト感染に関係していることが多い。
マーモットの狩猟は違法だ。
リンパ節の腫れが腺ペストの症状の特徴だ。感染から通常3〜7日で発症するが、
インフルエンザと症状が似ていることから初期の段階で見分けるのは難しい場合がある。
しかし、黒死病として悪名高い腺ペストがエピデミック(感染流行)を引き起こす可能性は低い。
「14世紀とは異なり、現在では我々はこの病気がどのように伝染するのか理解している」と、
米スタンフォード・ヘルスケア病院の感染症医師、シャンティ・カッパゴダ氏はニュースサイト「Heathline」で述べた。
「我々は予防の仕方を知っているし、効果的な抗生物質を投与して感染患者を治療することもできる」
14世紀に黒死病が流行した際には、アフリカやアジア、ヨーロッパ各地で約5000万人が死亡した。
最後に恐ろしいアウトブレイクが起きたのは1665年、英ロンドンの大疫病で、ロンドン市民の約5分の1が死亡した。
19世紀には中国とインドでペストが大流行し、1200万人以上が死亡した。 アイン・ジャールートの敗戦:バイバルスが有能だった
元寇の敗戦:この時代に上陸戦は無理ゲー
白藤江の敗戦:陳朝軍が仕掛けた孔明の罠発動
クリコヴォでは何でモンゴル負けたんだ? バイバルスはぶっちゃけラッキーだったよな。
アイン・ジャールートのモンゴル軍が文永の役レベルの兵数ならマムルーク軍は木っ端微塵だった。 四ハン国でオゴタイの領土だけ美味しいトコが無いよな モンゴル中央部を流れるオルホン川沿いの発掘調査で、ルンチェン、
またはルウト(「竜の都」の意味)で名を馳せた、遊牧国家「匈奴」の首都が見つかった。
発掘調査はモンゴルのウランバートル大学が主体となってアルハンガイ州ウリジンスキー地区で行われた。発掘関連のニュースサイト「ヘリテージ・デイリー」によれば、古代都市の遺構は2017年に最初に発見されていたものの、研究者らは3年を経て、この発見を公表した。
発掘現場からは都市の二重の壁、ため池、「天子」の飾り文字の入った建物の跡が見つかったことから、考古学者らは遺跡が匈奴のかつての「竜の都」のルンチェンではないかと考えている。
この発見に対して、考古学者らの間からはそもそもルンチェンが存在したかどうかを疑う説も多く挙げられている ドラクエ3で竜王の卵らしきものが置かれている場所がモンゴル高原だった記憶。 >>464
>>466
実際そういう漢語からの借用
luuは中古西北漢語から古ウイグル語に入った「龍」 >>468
ググレカスっていうギリシャ人知ってる? >>116
>>117
モンゴルが宗教使って侵略とか高等戦術しないし。 モンゴル帝国って同性愛の文化あったの?
調べてもよくわからん テムジンとジャムカが同衾してたとかいう描写あるよね
あれは一体どう捉えればいいのか悩んだことも まだら模様の狼を蒼き狼と誤訳した元朝秘史がなんだって? スキタイとかトルコ系の遊牧民族の同性愛風習の話はよく見るけどモンゴルはあんまり聞かないな
ありそうだけどどうなんだろな
清はアナルセックス禁止にしたけどあれはキリスト教の影響? そこの部分は誤訳って訳でも無さそうなんだが…
元朝秘史が史書としては不正確?なのは知ってるけど、そもそもネタとしても
「同衾するほど親しかった」と描写するのってどういうことなんだろうと コロナ純一がマルコ・ポーロの映画でチンキム役をやっていた 親密だったはずが数か月で殺し合う間柄になるのがテムジン周辺の人々の特徴。
統一されたモンゴルの国民となった敵味方双方の子孫が合作で歴史改竄をした結果だと思う。 明らかにハグではない。
夜は衾を共にして宿った、みたいな訳だから、明らかに夜に同衾してたって記載なんだよね
いつもそうしてた、みたいなニュアンス。
そこだけ解釈に苦しむ。
テムジンは妻がいるわけだから、スワッピングなのかな。
男二人の親しさを表現するために、スワッピング的な意味で同衾してたみたいな表現する
習慣でもあったのかね? モンゴルに限らず遊牧民社会では夫と妻の天幕は普通は別々
イブン・バットゥータがキプチャク・ハン国を旅した時の記録にもハンとは別にハトゥンの天幕があったとこが記されている
つまり「夜は衾を共にして宿った」とはスワッピングではなくBLを指しているものと思われる >>482
同じ毛布をかぶって寝たってだけの意味では?
衾の意味は解ってる?
なんなの腐女なの?キモ 男友達の家に泊まりに行ったり
男友達と同じテントでキャンプしたりしたら
愛し合ってると誤解されるのか?
ちょっと病みすぎってか腐りすぎじゃね
ドン引き 元朝秘史の別のところに、弟がチンギスハンが起きる前に天幕に押しかけたら
ボルテが布団を引き上げて胸を隠しながら発言した、みたいなシーンもあるじゃん。
同じ衾(掛け布団)をかぶって寝るのって、一緒に寝るだけというのを想定したとしても
男同士でも女同士でも、あんまりしなくない?
そこの表現だけ、異様で唐突な気がするんだよね。
普通は、同じ衾で寝たという表現は性的関係を意味するのが一般的だけれども
ここはそうではないよね?そんな話じゃなかったよね?なんでいきなりこの表現?
なにかモンゴルで普通の親しさを表すための慣用的な表現として、こういうのがあるの?
とか思ったけど、注釈にもなんにも書いてないし。
なのでそこの部分は、ジャムカとテムジンの子供の頃の話なら違和感ないんだが、とか
色々解釈に苦しんでいる。
これが日本の歴史書とかそのたぐいのものなら、男色文化が珍しくもないから、特に
解釈に悩むところでもないけれど。 >>485
たとえば、毎日同じ天幕で寝た、だけなら別に違和感ないよ
なんで同じ衾?というのが異様に感じる
男友達の家に泊まりに行って、掛け布団が足りなくて寒いとかいう特殊な事情もなく
毎日同じ掛け布団を分け合って寝たりする?? >>483
イブン・バットゥータが旅したのは、ジョチ・ウルスではなくフレグ・ウルスじゃないかな。 【南モンゴル草原の風 #32】中国による「モンゴル語教育停止」に数千人が抗議![R2/8/10]
https://youtu.be/C3mIgGOaHiM @YouTubeより
「南モンゴル草原の風」は、中国共産党により民族浄化の危機にある
南モンゴルの現状やニュース・文化・歴史等を多言語でご紹介する番組です。
キャスター:
チメド・ジャルガル(南モンゴルクリルタイ副会長)
古川フミエイツ(シンガー)
三浦小太郎(評論家)
テーマ
@中国による「モンゴル語教育停止」に数千人が抗議
A草はらに葬られた記憶『日本特務』 戦争に適した言語こそが科学に適している。
ゆえにモンゴル語は科学に適している。 ちなみに小澤重男氏の訳は
「夜は一つ褥(しとね)に宿り合うのだった」
村上正二氏 モンゴル秘史での訳は
「夜は衾(ふすま)を一つにして、ともに宿るのであった」 >>489
キプチャクどころかチャガタイウルスも旅してるぞ >>484 >>485
キリスト教的な価値観以外の社会だとむしろ同性愛文化ある方がメジャーでは?
モンゴルの周りのテュルク系遊牧民族に男色文化はあるし当時のイスラム圏も少年愛文化はあり中国圏も男色文化がありシベリアの原住民にもあるからモンゴルの遊牧民族だけ例外的に無いと考える方が不自然だと思うが
特に遊牧民族は戦士社会的だし 秦の始皇帝の母の愛人は絶倫すぎてそれ一本で戦車を動かせるほどだった、みたいな悪口が書かれてるけど、色物にはそういう尾ひれはひれが付くんだろうなくらいにしか思わなかったわ
そんなにその一文に食い付く? >>493
とことん漢民族に従わない者を排除したいんだね
香港も台湾もウイグルも大変だな 元朝秘史はチンギスハンの悪口は書かないのでは。
ってか、ホントに男色的な意味を示唆すると解釈できるわけ?
どちらかというと、それを否定する見解や根拠を誰か出してくれるのではと
期待してたんだけど 腐の妄想というなら、元朝秘史自体が腐が書いたみたいなものなような 元寇で日本制服されてたらやっぱり我々も辮髪強要されたんかな
月代ちょんまげもカッコ悪いけど辮髪も頭振り回してたら電柱にからまりそうで辛いわ >>505
モンゴルの辮髪は寧ろ日本の古墳時代のみずらに似ている。
みずらにして左右と前髪を残して頭頂部を丸く剃る。 有名なチンギス・ハーンの肖像画は耳にイヤリングしているわけだが。 元朝秘史(上)岩波文庫
どこを探しても在庫がないんんですが!
いろんなとこで取り上げられてて結構評判が良さそうなのに?
刷れよ! 男色が悪口だと捉えるのはユダヤ教やキリスト教的な価値観でキリスト教が広がる前の社会では別に貶す要素にもならないでしょ 近代化と共にキリスト教的な考え方が広まった現代的な感覚と当時のキリスト教圏以外の世界での男色に対しての感覚は別物だと考えた方がいいと思うよ
中国やキリスト教化以前の西洋でも近代以前のイスラムや南アジアやインディアンやシベリアでも特に忌避されるものでも無ければ日本でも男色文化根強かったし
ソクラテスやアレクサンドロス大王やトラヤヌスに男の恋人はいたけど別にそれが侮蔑される要素であったわけでもなかったのと同じ >>506
ちょっとよくわからない
みずらと弁髪は別物のような モンゴルの相続の男子等割は源氏の相続も全く一緒
源義経がチンギスハン 元寇は太宰府にこだわり過ぎて失敗した
北海道辺りの涼しい土地から馬で南下していけば余裕で日本に勝てた集団騎馬戦法 博多でボロ負けしたモンゴルの幼稚な集団騎馬戦法じゃどこから攻めようが勝てないだろ モンゴル側に騎馬なんて殆どいなかったが
募兵場所が江南なら九州になるわな >>524
いや、元寇の主力はモンゴル騎兵部隊。
だから文永の役の史料に「蒙古舟ヨリ下リ、馬ニ打乗リ、旗ヲ揚テソ責懸ル」と書いてある。
モンゴル騎兵が騎馬戦で鎌倉武士に惨敗したのが元寇の敗因。 >>522
樺太でそれやってアイヌにボコボコにされただろ
いい加減にしろ! 徹底的に元軍に蹂躙されて樺太最南端の白主に土城まで築かれているのにどこがボコボコにしたんだか テムジン時代の出来事の確かな年号を記す資料は何も無い チンギスハンが義経である数々の証拠
https://www.wikiwand.com/ja/義経%3Dジンギスカン説#/二人の年表 騎馬民族の中でも、モンゴル帝国が特に強かったのは、なんで?
https://youtu.be/UC00dxKd-p8 チンギスのホラムズ征伐最後のインダス河畔の戦いは一ノ谷の戦いに酷似している
また、追い詰めたジャラールッディーンが崖から川に馬に飛び込んだ時、チンギスハンもとい義経は鵯越のことを思い、敵ながら天晴れということで追撃をやめている
また、側近には、男子たるものあのようで無ければならぬ、我が子もあのようであって欲しいものだ、と発言している 『元史』の記述には1202年ジンギスカンがケレイト部族の長、ワンカンと共にナイマンを攻めた日にジャムカがワンカンに云った記述がある。
「私はあなたにとって白翎雀であるが、彼は鴻雁である。白翎雀は、寒暑に関わらず北方にいるが、 鴻雁は寒くなると南へ飛んで行き暖を取る」
と、ジャムカはジンギスカンを渡り鳥の鴻雁に例えて、暗にジンギスカンがモンゴル部族とは別の異民族の人間だと書いているのではないかとしている。 ナイマンの王タヤンカンはジャムカに尋ねた。「その後ろから飢えた鷹のように真っ先にやってくるのは誰か」
ジャムカは「彼は私のアンダ(盟友)であるテムジンである。彼は、全身に鉄の鎧を着て飢えた鷹のようにやってくる」
「全身」にとは鎧だけでなく兜も着用していたことを意味し、モンゴル高原で鉄の甲冑をどこで入手したのだろうかと疑問視している。 1222年西征中のジンギスカンは道教の師である長春真人を山東省の莱州から呼び寄せ、ハバルク郊外で不老長寿の道を尋ねたが、ジンギスカンは侍臣にその講和を記録するよう命じた。
ジンギスカンはそれを備忘録にするため漢文で書くよう指示している。
人民に公布する内容はモンゴル文字で書かせ、外に洩らしてはならない自らの備忘録は漢文で記録させている。ジンギスカンは漢文を理解できたのではないか、漢文を読解出来たとすれば何処でいつ漢文を習得したのか、とこれも疑問視している。 2005年に仏大統領のシラクは、エリゼ宮を訪問する日本の要人に「源義経とチンギス・ハーンの関係」などを話題にして驚嘆させ、外国要人もこの説に関心を持っている事が窺える。 アカデミー賞にノミネートされたロシアのセルゲイ・ボドロフ監督の「MONGOL」。
2007年公開のドイツ・カザフスタン・ロシア・モンゴル合作。
この映画でチンギスハン役を務めたのは日本人の浅野忠信。
なぜモンゴルの英雄チンギスハンに日本人を抜擢したのか?
それは、欧米の知識人の間ではチンギスハンは日本の義経だったということが常識であるから。 モンゴルに俳優がいないだけでは
日本人は中国朝鮮のコーカソイド顔と違ってモンゴロイド顔だし都合が良かっただけでは 義経がモンゴル帝国の地にいただとか
義経がアイヌの地にいただとか
みんな義経に憧れすぎ… >>532
気持ち悪い
なぜWikipediaではなく偽物サイトみたいな日本語あやしいやつ張るの? 義経のWikipedia見たらチンギスハン関係は捏造トンデモ説と書かれてたよ
証拠も何一つ無いと 鉄兜鉄鎧長弓を装備し、漢文と兵法を操り、40近くになってから表舞台に颯爽と現れ、興した帝国では何故か日本の長尺を採用した遊牧民の英雄チンギスハン
彼のバックボーンはどこにあるのか >>539
そんなソースないけど?
ttps://www.cinematoday.jp/interview/A0001703
Q:ロシア人の監督がどうしてチンギス・ハーンの映画を撮ったのでしょうか?
浅野:監督にどうしてかは聞いたことがないんです。監督は出身地がカザフスタンに近いそうなんですが、カザフスタンには顔が日本人とそっくりな人が多い。僕らが思う以上にロシアの人はモンゴルが近い存在なのだろうと思いました。 モンゴル人の感じ方が分かりやすかった
日本人はチンギスハン好きすぎて歪めすぎなのかも
チンギスハンの映画どっちも酷評らしい
ttps://www.minpaku.ac.jp/museum/event/salon/014
映画「蒼き狼」のモンゴル国での評判
日本とモンゴルの合作として製作された「蒼き狼」という映画は、日本人の大好きなチンギス・ハーンの物語でしたが、モンゴル国では上映反対の動きもあるほどです。「異文化誤解」がどのように発生しているのか、その理由についてお話しました。
小長谷有紀(研究戦略センター教授)
ttp://mongolpartnership.com/?p=2012
ttp://mongolpartnership.com/?p=2035
日本映画「蒼き狼」に対するモンゴルでの評判
小長谷有紀(国立民族学博物館)
>モンゴルの歴史と文化をゆがめた作品(誌面)
>偉大な歴史をゆがめる権利は誰にもない(誌面)
>撮影現場にはモンゴル人監督やスタッフも同行していたので、こうした問題は本来なら、関係者の配慮によって回避できるはずであった。しかし、そうした指摘はことごとく撮影現場で無視されたらしい。 モンゴルの正史とされる元朝秘史が編纂されたのはチンギスハン没後であるが、そこにはチンギスハンはモンゴル高原で生まれ、頭角を表してモンゴル部族を統一したと記されている
だとしたら、彼は漢文をどこで学び、兵法をどこで覚えたのか?
そもそもチンギスハン以前はモンゴル部族(匈奴)は文字を持たず、戦闘力は高かったが、戦略的な軍事行動を展開する能力は無かった
一番現実的な線としては、漢文と兵法を駆使できる一団がモンゴルに入り込み部族を統一して、兵法をもとに騎馬部隊を訓練してモンゴル文字を定めて軍事規律を整えたのではないか、というところ
当時のモンゴル産まれモンゴル育ちの青年が漢文と兵法を操れたというのは到底無理がある(当時のモンゴルにはモンゴル文字さえ無いのに) 所詮は蒙古も拓跋国家のフォロワー。日本の源氏の由来になった北魏こそ東西に影響を与えた世界帝国の祖。 ちまちまと狭く入り組み、立て込んだ日本の地形での兵法と、モンゴルの草原での兵法が
同じと持っているなら頭がおかしい。というかアホすぎる。
だいたい、チンギスハン以前もモンゴルを統一するような王はしばしば現れたが
チンギスハンが違ったのは、その後、他国を侵略して下していったこと
他国を侵略する際のモンゴルのやり方というのは、基本、情報戦が中心。
義経とはスケールが全く違うしやり方も違いすぎる。 >>549
兵法とは六韜だよ
単純に漢文読めて兵法で運用できて、モンゴル文字定めてルール整備しただけで、漢文を扱える文化人ならそう難しいことではないが、モンゴル人は文字を扱ってこなかったから
チンギスハン以前はね >>540
支那チョンのどこがコーカソイド顔かよ。
細く目が吊り上がった一重瞼のコーカソイドなど
殆どレアだろ。そもそも、支那チヨンは鼻の
形が悪い。親指入る位に穴がでかいし、
穴の形もドリルで開けた様な真ん丸。 >>550
バルジュナ湖の誓いのメンバーに漢語漢文、
テュルク語、ペルシア語に長けた耶律阿海が
居たから通訳には困らんだろう。 >>539
モンゴルからの留学生の女の子に聞いたら、
日本の方が顔立ちがいいと云ってた。モンゴルの男は
平気で大風呂敷広げて約束守れなくても知らばくれるから、
体は弱々しいけど日本の男性がいいといってた。
でも、モンゴルの男性客は身体は立派でもチンチンは
小さくて親指程度なのばっかといってた。 モンゴル語は、現代ではロシアと同じキリル文字を使って表記されます。
文法はかなり日本語に近く、日本語の助詞「てにおは」の使い方も似ているため、日本語の単語をモンゴル語に置き換えるだけでも文法的にほぼ正しいモンゴル語できあがります。
例えば、
Би Японоос ирсэн.
私 (は) 日本 から 来ました。
Би сургуульд сурч байна.
私 (は) 学校 で 勉強 しています。
こんな感じです。 1204年、モンゴルがナイマンを攻略、ウイグル人のタタトンガを捕虜にしたが、『元史』のタタトンガ伝によると、
ジンギスカンは掌印官である彼に「そちはウイグル文字に詳しいのではないか」と尋ね、彼がウイグル文字に精通しているのを知ると、
彼にモンゴル文字を作らせたが、 33文字から成るモンゴル文字は、大部分がウイグル文字であるが、その中で4文字は日本語のかな文字が用いられているとしている。
モンゴル文字の字順はウイグル文字の字順とは違う五十音体系(ア、カ、サ、タ、マ、ヤ、ラ、ワ)になっているとしている。
4文字のかな文字と五十音体系を彼がモンゴル人だとすれば、どこで習得したのかと疑問視している。 チンギス・カンの子孫たちが作らせた東西の文献には「波乱に満ちた彼の前半生について、様々な逸話、苦心譚を人馬が激しく交わる『血湧き肉踊る』活劇」として語り伝えてはいるが、
「前半生と容姿は真偽は闇の中にあり、確かだといえることは、1203年の秋にケレイトのオン・カンを奇襲でチンギス・カンが倒し、モンゴルの東半分を制圧してからだ」と述べている。
また、満洲史、モンゴル史研究者である岡田英弘も、「1195年ケレイトのオン・ハーンとその部下のチンギス・ハーン(このときはテムジン)は、金と同盟してタタール人に大規模な征伐作戦を行い、金から恩賞を受けている。
これが初めて歴史に登場した事件であり、これ以前のチンギス・ハーンの事跡ははっきりとは分からない。」と述べる 義経は都落ちした当初から「唐国の王」たらんことを切望して、北へ向かったのである。
それは越中国の皇祖皇太神宮(もともとは富山市内にあったが、明治時代に北茨城市に再建されている)への「祈願文」に現れている。
それによれば「源義顕(よしあきら)は生国に望みなきをもって、自身が蝦夷唐国の王たらんことを望む」と書かれ、花押が添え書きされている。
これについて佐々木勝三は、「源義顕」というのは義経の変名であり、筆跡も花押も義経直筆のものとまったく同一筆法である、彼はここで神宮に黄金二十五枚を寄進したとしている。筆者も佐々木の説を支持するものである。
義経は鞍馬寺での牛若丸時代、遮那王(しゃなおう)時代、仏門に入るために学問に勤(いそ)しんでいる。
この時、書道、作文の素養も磨かれたと考えられる。義経直筆の書としては、幾つかの書状と有名な「腰越状」が現在に伝わっており、達筆で、文章もしっかりしており、筆跡も花押も「祈願文」と酷似しているといえる。
これらから判断して義経の「祈願文」は本物と考えられる。 義経は大陸の王を目指すべく蝦夷を経由して樺太経由で大陸に渡りまずは蘇城を拠点とした
そのまま南進したが金の圧倒的な力を前に、まずは銀の庇護下に入りタタール部族を制圧、その際遊牧民の可能性を見出して匈奴平定を画策し成功
遊牧民族の王としてユーラシアの王にならんとして勢力拡大に勤しみ、最終的には金をやっつけて大陸の王とならんとしたところで天命が尽きた 妄想垂れ流すなら自分でブログでも作るといいよ
議論をしたいなら、せめてもう少し根拠とか出典とか示しながら論じるべき 兵力において劣れる鉄木真(テムジン)は尋常の手段をもって勝を制するの不可能なるを知り、まず諜者をして敵情を探らしむ。
その報にいわく、敵軍は金帳の内に盛宴を張る、急ぎ侵入して討ち給えと。
鉄木真直ちにチュルチェ及びアルカイなどの武将を先駆となし、疾風のごとくに突進して懸崖を下り、山下に陣せる敵軍の不意を襲ってこれをおう殺せり・・・。
――『鉄木真用兵論』より
まさに義経の騎馬奇襲戦法 鉄木真は少時父を喪い郎徒らにも見すてられたるにより、ついにメルトキ部の人々に捕えられ、敵の長老ワンカンに一身を依託せり。
――『鉄木真用兵論』より
まさに清盛の一存で身を助けられた義経の生い立ちと同じ 成吉思汗の母親の名はホエルン・イケ。モンゴル語で「雲のような(包容力のある)母」という意味らしいが、成吉思汗は彼女の死に際し、「宣懿(せんい)皇后」の諡(おく)り名をしたという。
つまり「ホエルン・イケ・センイ」。これは義経(牛若丸)の処刑見送りを平清盛に嘆願してくれた大恩人、池ノ禅尼となる―というわけだ。 ジンギスカンは義経だ、という話が流行ったのって明治〜大正時代ぐらいの頃で、
20世紀始めぐらいなんだよね
19世紀位から集史の研究もぼちぼちされてきて、そのあと、1907年に初めて、元朝秘史の
モンゴル語テキストからの日本語訳が珂通世によって出版されて以降、20世紀を通して
元朝秘史の研究も進んだし、モンゴル史の研究も進んで、今まであまり明らかでは
なかった「オンカンを倒す前」「1195年に金から恩賞を受ける前」のチンギスハンの事績も
ある程度は把握されるようになってきてる
20世紀中頃以降に研究が進んだから、それ以前に流行った義経=成吉思汗説については
そこらへんの研究業績で完全に否定されているわけ。
ただ、元朝秘史は史書というよりも歴史小説みたいなものなので、集史や元史、聖武親征録
などとの比較や検証で、だいたいどういうことがあったかは分かっているものの、
(まだ成人しない子供のうちに父親のイェスゲイ・バァトルが死んで苦労したとか、わりと
若い頃に許嫁だったボルテと結婚して、1180年前後には長男が産まれたらしいとか、
タイチウトだとか色んな部族と抗争を繰り返していたとか、金に恩賞を受けた頃には
手を結んでいて、のちに奇襲で倒したオンカンは、父親イェスゲイの盟友だったとか)、
物事が起こった正確な年代を特定することはなかなか難しい。
とはいえ、父親や代々の家系図、おじたちや弟や多くの親戚たちとか、他の史料からも
実在したと言えるような親族たちの存在を考えてみても、源義経がチンギスハンというのは
絶対にありえないよ 義経が日本史に登場した1180年〜1189年の間は、たしかにチンギスハンがいつ何を
していたのかについて、正確な記録はない。
ただその間に、タイチウト族に囚われて逃げ出したとか、コンギラト族のボルテを妻にしたけれど、
ボルテがメルキト族の捕虜になったことがあったらしいとか、オンカンの助けでボルテを
取り戻した後は子供たちが次々に産まれていたようだとか、ジャムカと手を結んだり
仲違いして結局戦いになったりしていたとか、だいたいどういうことをしていたのか
というのは分かっている。
何年に何があってどうした、という正確なことは勿論今後もなかなか特定できないだろうが。 >>547
>モンゴル高原で生まれ、
>漢文をどこで学び、兵法をどこで覚えたのか?
どういうこと?現在のモンゴル領土に生まれて現在のモンゴル領土に引きこもってたと思ってるってこと?
騎馬遊牧民はどこで生まれようが、西へ東へ北へ南へ自由自在に周辺国に行けるのでは?だから各国を繋ぐ商人のようなことも出来たんでしょ?
それに情勢や気候変動や迫害や何かで国が荒れて逃げ出してきた漢字を知るものが迷いこんできた可能性も捨てきれないんじゃないの? >>565
いや両者とも鵜呑みにできる文献情報は殆んど無いに等しいのでは?噂話や創作レベルとして考えないと
鵜呑みにしちゃうにしても
義経は生まれが九男で小柄な体格とされる
チンギスカンは長男で堂々たる体躯とされる
人物像が違う
神仏習合したがる日本人気質は直したほうがいい
モンゴル人から例の映画みたいに失笑されるぞ
なおWikipediaによれば
>この説は中央ユーラシア史の研究者からは否定的に受け止められている。
これ以上義経連呼したいなら専スレ作ってそっちでやって >>568
文献や絵画からチンギスハンは実は小柄だったこと明らかになっている
堂々とした体躯だったというのは、当時そのように、喧伝していたのが伝わっているということ
また中国やユーラシア大陸の本来の干支は猪が豚であるが、日本では豚が馴染みが無いので猪になった
そして、なぜかモンゴルの十二支は中国の豚ではなくて、日本式の猪が使用されている >>568
鵜呑みにできる文献はないけれど、チンギスカンが、1195年に金の史書に登場するまで
だいたい何をしていたかということは、元朝秘史だけではなく集史などにも記載がある。
集史や元史、元朝秘史それぞれに少しずつ違うけれど同じ部分もある、みたいな
エピソードが伝わっているから、かえって、何かしら元となる事実があって、それに対する
異伝なのだろうということは推測がつくよ。
その元となる事実をはっきりと確定していくことは難しいにしても。
父の話、母の話、妻ボルテの話、弟たちの話、叔父たちの話、子供たちの話、いとことか
親戚の話とか色々豊富なので、すべてを創作とするのは無理がありすぎる上、義経自身の
親族・妻・母・子のエピソードとは全く似ても似つかない話ばかり。
エピソード自体に類似性が全くない。
せいぜい >>563 みたいに荒唐無稽なこじつけするぐらいだろうけど、そもそも「ホエルン・
エケ」の「エケ」は固有名詞ではなく「母」って意味だよ。
そして宣懿皇后と追諡されたのは、クビライ・カーンの元朝期。
チンギス・カンが追号したわけじゃない。
日本書紀と古事記ほどの荒唐無稽な話でもないし、 あれ?変なの削除ミスってた
日本書紀と古事記にも同じ神話で中身が違うという話は色々あるけれど、
そこらへんは荒唐無稽な神話みたいな内容が多い。
一方で集史や元朝秘史に伝わるチンギス・カンの話はそんなに荒唐無稽な話ではなくて、
どの部族と戦ったの捕虜になったのとか、基本はそういう話だから、何かしらそうやって
モンゴル部族内や他部族との抗争に明け暮れてたんだろうということは、疑ってかかる
理由もない…
ということを書こうとしていて消したんだけど >>570
そもそも日本はチャンポン文化(逃げてきた色んな民の集まり)なんだから、そっちから入ってきて猪になったとは考えられないの?
そこはかとなく思い通りにこじつけようって感じするだよな、あんたの話 >>571
もう少しずつ違ってる時点で鵜呑みにはできないと思うけどな
書き手の「こうだったらいいな」が反映されていたり
伝言ゲームで誤解や思い込みがこじれたり…
「このように伝わってきた」ということだけが事実というか
記紀に出てくる人物は、実在したモデル何人かの武勇伝を1人の話としてまとめたとか、爺から孫までの一族の話を1人の話としてまとめたとかっていう説もある
モンゴルも何か考古学的に物証が出て、明らかになっていけばいいのにね >>570
日本式って何
なんでも日本発祥だと思っちゃう花畑な人?
遊牧する家畜として豚は向かない
=当時のモンゴル人に馴染みなし→猪は自然
日本に豚が入ってきたのは江戸期
=当時の日本人に馴染みなし→猪は自然 >>574
鵜呑みにするのとは違う
ただ、細かい部分は違っても、共通して具体的に書かれている話については、おおよそ
実際にあったことだろうというのは言える
ジャムカなんかも、モデルは何人かいてそれをまとめたものじゃないかって言う人もいるけど
おおよそそのようなライバル的な部族長が他にいて、手を結んだり仲違いして戦ったり…
というような抗争をしていたんだ、ということだろう
最近は、金の史書の中にある人物をジャムカだと主張する説とかもあるようだけど
チンギス・カンが歴史の表舞台に出てくるまでは、要は、父親を早くになくして苦労をしつつ
モンゴル部族内・他部族と小競り合いを繰り返しながら、父親の同盟者だったオンカンの
配下になって段々と頭角を表した・正妻のボルテとは早くに結婚して多くの子供が
産まれてた、とか、おおよそそうやって過ごしていた、と。
でも伝承されている名前のついた戦いが本当にどのようなものだったのか、何年のこと
だったのか等、正確なことはなかなか特定できない。
だいたい、義経=成吉思汗説を唱える人って、弟や子供たちのことはどういう設定にしてるんだろ
1180年代の、義経が日本で活躍してた頃に、チンギス・カンとボルテの間にいっぱい子供が
生まれて記録に残っているわけで。
そういうのは誰の子という設定になってるのかね 日本の記紀やサブ書籍にも共通して書かれていることは多いが?
ちなみに古来、中国以外の国が文字を持とうと躍起になった造字ブームの時があったけど、あれは史実を未来に残そうという趣旨でなく、
うちの一族すごいんだかんね!おらの国こんな伝説と伝統があるし!こっちだって格が高いし歴史あるもんね!
という、周辺国に対抗して張り合って血族正当化する思惑があったわけ(そして日本も同じで、文字が無いのに急に漢文で記紀が登場)
これ、めっちゃ個人レベルで雑に言うと、JKが必死にタピオカインスタに上げたり、派手な女が必死にブランド品で着飾ったり、なんちゃって鬱の構ってちゃんが私可哀想エピソードを連投するのと大して変わらないというか 正直チンギス=義経とか本気で思ってたら無知か病気だよ >>553
馬乗るのにオチンロンがデカかったら挟まって痛い
ペニーが小さいのは環境適応 >>553
胡散臭い話だなモンゴル人の男の体格は漢人と似たり寄ったりで大抵日本人より華奢だけど
タイ人やミャンマー人はさらに華奢だけどな
というか日本人がモンゴロイド系のわりにゴツすぎるんだよ ロシア貴族の3割がモンゴル系って話、ソースはどこ? >>585
ウランバートル行ってみろよ。男女とも平均で5cmは背が高いぞ。 モンゴル人も中国人も日本人より背は高くても胸板ペラペラで首が細い奴が多い チンギス・ハーン、オゴデイ・ハーン、フビライ・ハーンの肖像画はいずれもずんぐりしてる印象。猫背っぽいし。 チンギス=義経説はさておき、
チンギスが義経と面識があった説はどうだ? 日本海沿岸は金朝を建てた女真族の出身地でそこから樺太まで支配してたから
金に知られず蝦夷からモンゴル高原に入ることはできないんだよね >>470
逆に信仰の自由が国是だぞ。
ヤサ法ば「互いの信心を尊重せよ」「だよ。
宗教に対する侮辱や妨害は、支配層にも厳禁なんだぞ。
すんげえ開明的じゃん。 >>565
奥州・衣川で戦死、首級は塩漬で塗物の櫃に詰められて鎌倉に送られ、梶原景時が首実験をしている。
梶原景時は、義経に深い面識があり(且つ、不仲で対立)、頼朝の信頼は篤かった。
死んで一ヶ月以上かかって送られた塩漬の首でも見逃しは無いだろう。 元朝に花開いた朱子学なんて根底にあるのはアンチ・モンゴルだぞ。 微量元素のアンチモンは、アンチ・モンクだぞ。モンクっちゃあ耶蘇の衆道僧だぞ。 良く遊牧民のY遺伝子はC2だから科学的に義経説は否定されたと言われるけど、実際はユーラシアの遊牧民にはOも多いんだよね
たしか白鵬もOだったような
義経も日本人だからOじゃないのかな?
でも天皇からの男系ならDになりそうな気もするけどわからんね >>597
遊牧民ってしょっちゅう民族を移籍するじゃん。個人単位のときもあれば、部族丸ごとのときもある。 チンギスハンが客観的な大陸の歴史に登場するのは1195年頃からで、確かな記録として残されているのは1203年にモンゴルの覇者となってからである
一方、義経は1989年に衣川で死去したことになっている
一説によると大陸に渡った義経御一行とテムジンが同盟を組み、軍事行動については義経が全面的に統括し、テムジンは政治的な棟梁としてのハーンとして君臨した説がある チンギスハンは1196年のウルジャ河の戦いで金の資料に初めて登場する
それ以前の客観的な資料は存在せず、モンゴル帝国が残した資料を参考にするしかないが、それが創作の無い客観的な資料であるかというともちろん不明である 1196年に金の資料に初めて登場するってことは、チンギスハンが義経じゃないってことだよ。
大陸側の日本海沿岸地域は全部金の領土。
義経が日本から大陸に渡ったら、金の資料に記録が残るはず。 チンギスカンの弟たちや息子たちについては確かな記録も色々あるんだから、
義経がチンギスカンというのはあり得ない 『モンゴル帝国の戦い』P246
「トルイが死ぬとオゴタイはソルコクタニ・ベキをグユクと結婚させようとした。これは叔父と姪の結婚であり、」
グユクから見て叔父トルイの妻ソルコクタニ・ベキって叔母だから、正しくは叔母と甥の結婚だよね? >>600
自称モンゴル人が増えたモンゴルブームがあったような話を何かで読んだけど何だったかな >>608
集史に、もともとモンゴルの部族だったけれど今はテュルクになっている部族、もともとテュルク人の部族だが今(14世紀)はモンゴルになっている部族が、それぞれ列挙されている。
現代のカザフ人の部族に、コンギラト、ナイマン、ケレイトというようなモンゴル帝国時代の有力部族があったりする。
海西女直の葉赫那拉氏族はモンゴル人から満洲人に氏族まるごと移籍。
北魏、支配層の拓跋人を鮮卑の習俗・言語を禁止し政策的に漢化、支配下の匈奴人・羯人・羌人にも北族の言語・習俗・氏名を漢風に改めさせる。
モンゴル帝国、帰順の遅かった蒙古高原東部のタタール部族を根こそ西方戦線に駆り出し、新たな帰順部族もタタールの最前線部隊に投入、いつの間にか、タタールの名称が残って中身は北西テュルク人。
クリム汗国 モンゴル→タタール→オグズ
チムール帝国 モンゴル→オグズ→ペルシャ、ムガル帝国 ペルシャ→ヒンドゥスタン >>608だけどアーリア人ブームと混同したかも
>>609の人ごめん >>594
梶原景時は義経じゃないって言ってる
頼朝の目的は奥州の平定と鎌倉幕府の全国支配
義経が本当に死んでなくても死んだという既成事実が奥州平定のための情報戦に役立つからそういうことにしたのでは
ただ、頼朝は奥州平定後も畠山重忠に義経追討を命じて岩手まで行かせてる
その後、執拗に追い詰めなかったのは、鎌倉幕府による全国支配が確定的になったからか、北行の情報を聞いてもはや幕府の災ならずと踏んだのか >>612
日本は亡命先で勢力盛り返して反攻する、というような例があんまりないからねえ。
いうたら、遠流先で仲間を集めて勢いを付けた頼朝が最初の例のようなものだしな。 元朝秘史の翻訳を待つまでもなく、元史太祖本紀を読んだだけで
義経は全く関係ないと分かる >>614
あれは後世の人間が都合よく残したもの
日本でも徳川家康が実は影武者だったなんて事実は正史としてはどこにも記されていないだろ とにかチンギスハンと義経は異常なくらい共通点があるんだよな
まずチンギスハンってのがロシアなまりで英語読みGenghis Han だが、ハン、カンは王って意味だから、実際はゲンギスって呼ぶもんだとして、源義経を重箱読みするとゲンギツで一致する
モンゴルのシャーマンの一族が天啓を受けてゲンギスと名付けたようだが、それにテムジンが当てた漢字が、吉成思汗という特に意味のない漢字というね
漢文に精通していたチンギスハンがなぜこの漢字を当てたのかも謎 当時の日本は今と違って大陸から複数の民族が流入してきて、それぞれが大陸とのコネクションを持ち勢力を保つような社会だった
一説によると、藤原氏のルーツは鮮卑であり、藤原氏の膨大な富は、中央アジアから日本の交易ルートからもたらされたと言われている
もちろん金の採掘もあっただろうが、平泉を手中にした頼朝ら莫大な金を手にしていないことから、むしろ交易が主な財源ではないかという予測もある
ルーツが鮮卑であるため、当時の金王朝が支配下にあった日本海沿岸地域についても、完全に金の監視が機能していたかどうかは疑問が残る
実際に藤原氏は大陸と交易を盛んに行なっていたが、金の正史にそのことが記されているのだろうか? その奥州藤原氏が日本での覇権を失ったとしたら、交易相手であり道祖の大陸に亡命するのは自然な流れではないか
そこに義経も加わり、藤原氏とともに中央アジアの指導的立場として参画しても何も不思議では無い
また義経が修行した鞍馬寺は天狗が有名だが、テングと言えばかつてモンゴル地区で遊牧していた突厥の神、テングリを彷彿とさせる
天可汗(テングリカガン)と言えば、遊牧民で最高の権力者である世界皇帝の事を指す
もし当時の鞍馬寺に突厥との繋がりがあったのだとしたらモンゴルとも繋がり、また源氏のルーツは大陸騎馬民族ともいわれるため、
源氏の義経一門と藤原の一門が先祖のルーツである大陸中央部に渡り勃興したのだとしたら違和感が無い
なぜ記録に残されていないかというと、日本から渡ってきたという情報が残されてしまうと大陸における正統性に影響があるからであり、極秘事項として隠蔽、史実捏造がなされたということ 義経は女好きで京都から九州へ逃亡しようとする時も20人以上の女を同行させていたとされる
そんな女好き極まりない義経に男児が残されていないというのは不自然極まりなく、捕らえられた時などのために男児の情報は伏せていたのではないか
実際、捕らえられた静御前が産んだ男児は殺されており、武士の世界の習いで男児は殺された
義経と藤原氏の亡命生活のなかで既に子供がおり、それがジョチであり、オゴデイの可能性もある キルギス国境にはテングリ山があり、キルギス語、モンゴル語ではテングリとは天、神を意味する
義経は鞍馬寺のテングに修業を受けており、チンギスハンは若年期の名をテムジン(天、神)と言う
これはかつて日本が古事記を編纂した時のように、モンゴル帝国の神話の創生であるとも考えられる
かつての鞍馬寺のテングはシルクロードを支配していた交易の民であるユダヤ民族との関連も指摘され、大陸の交易ルートには古ユダヤ関連の民が絡んでいた可能性が高い
その鞍馬寺では、チンギスハンの命日に密かに義経忌を行なってきた歴史がある 近年になって、藤原氏四代のミイラ遺体が安置された金色堂内部や藤原氏ゆかりの邸宅遺跡などから、数十グラムの小石状の金塊が見つかりました。
専門家の鑑定によれば、それらは川床の砂金とは完全に別もので、金山の鉱脈または近くの地中などから採掘された「粒金」だとわかりました。
もちろん、砂金が採れる川の上流には金鉱脈があるはずなので、奥州藤原氏は高純度の金塊を大量に産出する‘隠し金山’を所有していたという推理も成り立つでしょう。
しかし今日にいたるまで、それらしき金山の在処は突きとめられていません。プロの山師たちによる執念の鉱脈探し、さらには現代の科学資源探査でもチェックできないのですから、そんな隠し金山など最初からなかったのです。
義経をかくまったことを口実に奥州藤原氏を滅ぼした頼朝も、真意は産金利権を奪うことにあったに違いないのですが、
いざ占領してみると北上川の砂金量は意外に少なく、結局は大和朝廷時代から続く地道な品種改良をベースとした稲作経済の振興に力を入れざるを得ませんでした。
しかし、その一方、奥州藤原氏四代の治世に大量の純金が平泉にあふれかえったことはまぎれもない事実なので、ここにひとつの歴史常識仮説が浮上します。
つまり、奥州以外の土地からも大量の金が運び込まれていた可能性が高いということです。かといって、朝廷や源平氏族の目が届く土地から採掘したとは考えられません。
ならば、砂金以外の金塊はどこから平泉へ運ばれたのでしょうか?
私は、その場所は日本列島内ではなく日本海の対岸地域にあったと考えています。
より具体的にいえば、中国黒竜江省(こくりゅうこうしょう)からロシア領の間宮(まみや)海峡北端にかけて約2千キロの広がりをもつ、アムール川流域に真の意味での奥州藤原氏の隠し金山があったのです。 「天、中原の驕華大極の性を厭い、朕、北野に居て莫生の情を嗜好す。朴に反り、淳に還り、奢を去り倹に従う。一衣一食する毎に、(牛馬飼育人)と共につかれ、同に饗す。民を視ること赤子の如く、士を養うこと兄弟の若し」
モンゴル帝国初代皇帝チンギス・ハーンが、今の中国山東省に住んでいた道教の教主・長春真人を招くために送った招待状の文言です。
現代的に訳すと、「淳朴に立ち戻り、贅沢をやめ、倹約を守り牛飼いや馬ひきと寝食を共にするのが、われわれ北野(モンゴルの草原)の生き方です。人民は赤子のように見て、軍士を兄弟のように養う」という意味になるという。 南宋と戦うときカタパルト用意してなかったフビライって間抜けだね 鞍馬寺は鑑真の弟子が開祖と言われ、寅月、寅日、寅刻に毘沙門天が現れるということで寅を崇めている
鑑真は唐の人であり当時の唐の支配層は鮮卑族であり、仏教は数ある教の一つであるともに、当時の大陸における仏教は大陸の宗教(ゾロアスター、景教、ユダヤ、シャーマニズム)と渾然一体のものだった
そのため鑑真の教えにも多様な宗教が盛り込まれていたと考えられ、鞍馬寺の文化を見るとそれが純粋な仏教的なもの以外に彩られていることはすぐに分かる
そんな鞍馬寺で修業した義経は、寅月、寅日、寅刻に産まれたということとなっており、テングから虎の巻で兵法を教わったとされる
この虎の舞というのは一説によると、古ユダヤの言葉で巻物を意味するトーラーであったのではないかと言われ、兵法とともに大陸の文化も学んだのではないか
またテングというのはいわゆる鮮卑の末裔であった可能性も考えられる その鮮卑と日本の関係だが、古墳人に関係している
日本また朝鮮半島の古墳から鮮卑のものと思われる馬具などが出土しており、大和王朝の前駆となる古墳文化には鮮卑などの大陸騎馬民族が関わっていたということである
奥州が名産として馬についても、奥州藤原氏が大陸の内陸部から輸入した馬を繁殖したものと言われており、奥州藤原氏が鮮卑などの騎馬民族の末裔であればこそ交易ルートを拓けたのではないか
逆に平家は大陸南部のアラブ系との繋がりが深かった
源平合戦は大陸の南北の文化闘争のような側面もあったのではないか、かつてのアメリカでイタリア系マフィアとアイリッシュ系マフィアが勢力争いをしていたような構図だ
そこで、大陸北方騎馬民族と関係の深い奥州藤原氏が大陸に落ち延びるというか里帰りという形で落ち着いたというのはありえる話である
単に交易ルートだけの問題であれば、奥州藤原氏が滅亡した後も鎌倉幕府と貿易を続ければ良い話であったが、奥州藤原氏滅亡後は大陸北方部との交易は途絶えた またチンギスハンについては、幼少期の名前がテムジン、天神であり、妻の名前はボルテであり、これはモンゴル人の神話的な祖とされる蒼き狼のボルテチノと同名である
テングリ、つまり天の神であるテンジンが、伝説のボルテと結ばれてチンギスとなりモンゴル帝国建国の祖となる
出来過ぎではないか?
これは本名ではなく、神話の創造が為された、物語が作られたと解釈するのが自然ではないか
もしくは、鮮卑をルーツに持つ鞍馬寺のテングが裏で絵を書いていたのかもしれない
鞍馬寺は天台宗に属しており天皇家や藤原家と繋がりが深く、天台宗は火祭りに代表されるような中身は仏教というよりもゾロアスター教に近い
その天皇家や藤原家が秘密裏に義経を支援し、大陸に行かせた可能性もある
実際、義経逃亡時に頼朝が朝廷に対して、これ以上義経を支援するならば京に軍を送り制圧すると脅しをかけたこともある
朝廷としては、鎌倉幕府に日本全国の支配圏を握られるというのは、かつての支配層としての大和朝廷の役割を半分以上完全に奪わられるということでなんとかしたかったはずだ 源氏のルーツは嵯峨天皇が子供を臣籍降下させたことである
魏書の列伝第二十九「源賀」に依れば、太武帝と汝は私と同じ「源氏」で有るから、今後はこの姓を公許すと有り、皇帝の子孫を臣籍降下させて、その親衛隊にしたとある
嵯峨天皇はこの鮮卑族(騎馬民族)の制度を模倣した
また嵯峨天皇の母親は藤原鎌足の子孫であり、源氏のルーツは藤原系とも言える
もともと天皇制度の起こりは701年の大宝律令に遡り、唐国の武則天が白村江の後に出雲王朝を征服した後に、日本の支配を確立しようとして定めたものである
中大兄皇子は武則天の息子であり、藤原氏とは、唐を源にするので唐源、藤原となったのである つまり、701年の大宝律令からは日本というのは唐国の支配下の国であったということであり、唐国は鮮卑の文化を色濃く残す国であったため、鮮卑が日本のルーツの1つであるのことは疑いようがない
その唐国も滅亡の憂いにあい、日本列島へと難民が大挙押し寄せた訳だが、彼らは唐国での再興を狙っている節がある
唐国の支配層の末裔である朝廷がなぜ義経を支援して大陸へ向かわせようとしたのか、それは、大陸の再支配を狙うためでもあった
それは失敗に終わり、むしろ元寇という因果応報な形で日本国の災となったわけだが、時代を下り信長が唐国に天皇を遷す計画を練っていたことも、唐国滅亡に関係がある
朝廷に近かった豊臣秀吉は朝廷の唐国再支配の野望を取り入れ唐入りを目指して朝鮮半島を進軍したが、朝廷に遠い家康は特に興味を示さず唐入りは終わった
その後、明治天皇として朝廷が権力を握った際は、義経の頃の想いも乗せて満州支配へと繋がり、日中戦争による大陸再支配を目論んだがアメリカに潰された つまり、チンギスハンが義経というのは大陸と日本の真の歴史から見ると、さもありなんという有力な仮説の一つである >>628
武則天の息子は中大兄皇子ではなく、大海人皇子
武則天は、天皇の祖先「天照」として伊勢神宮で祀られている
それを象徴するように伊勢神宮の神紋は花菱で、別名が「唐花」と呼ばれている
また、征服した出雲王朝の出雲大社の本殿には、天皇家は立ち入り禁止が命じられている >>618
平氏政権はどこに亡命したの?
平将門とか、平清盛とか、外国に落ち延びた形跡無いけれど。
将門はともかく、平清盛の一門は宋・高麗との貿易で稼いでたよね?受け入れてもらってないのはなんで? >>632
平家は亡命しようとしなかったはず
一説によると大陸に亡命する案も出たが、平安的な雅な価値観を旨とする平家では、いまは自害せんといった平知盛言葉にあるように、仮初の世を潔く去ろうという滅びの美学があった
ちなみに、平安時代の日本語を聞いてもらえれば、現代日本とは明らかに違うアジア文明の中の一国家という位置付けが理解できる
https://youtu.be/gn3s3Oczkrg >>623
チンギス本人がそんな文書く訳ない
降伏した漢人書記に書かせたんだろ >>634
チンギス・ハーンと長春真人の会見の時の通訳をした耶律阿海が
書いたんだろ。阿海はモンゴル語、契丹語、女真語、漢語、
テュルク諸語を操れた語学の達人だから。 >>629
大陸支配を正当化する為にその当時出版された義経チンギス説のトンデモ本に便乗して広まったんだよ 琉球併合を正当化する時にも琉球王に関する源氏血統説が利用された。
チンギス・ハーン義経説も領土野心を正統化する意図がある。
どのような下心でこの種の流言が流されたかを考えるのが学問としての価値。 >>635
中世の遊牧民は、縄張の接する他集団の言語は解して当然。
大抵の場合、遊牧民社会は物資的に完結していなくて、他集団の産品を必要とする。対して、農耕圏は物資的に完結していることが多い。
そこで、遊牧民と農耕民との交易は、遊牧民は必需品を求め、農耕民は無くてもいいけどあれば便利嬉しいくらいの奢侈品を遊牧民から買うことになる。
農耕民の方がやりとりでは有利なわけだから、必然的に農耕民の作法に従う。やり取りの言語も農耕民の言葉になるわな。
農耕圏との直接の交流の無い遊牧集団は、別の遊牧集団から必需品を買い、換金性の高い産品を差し出すことになる。これも、隣集団の言語だな。
遊牧社会では、同盟関係や通商協定の締結や戦後処理の和睦には人員の交換が伴う。
部族長や軍指揮官クラスになると、異民族の妻妾・養子・婿殿・人質・居候なんかが普通にゴロゴロしているわけよ。通訳にも困らない。
中世に限らず、軍隊の指揮官は、交戦する敵方の言語は解して当たり前。
加えて同盟関係にある集団の言語も解することは必須ではないが有利とされる。 チンギスとは古代トルコで「苛烈」という意味。
遊牧民でない人々に対する皆殺しを貫いたチンギス・ハーンを聖人君子のようにでっちあげた史料は、御用学者の存在なしには成立しない。 >>639
全滅させてないよ?
城市の破壊や無人化は、話し合いに応じず使節を殺したり、協約を破ったりのときだけ。
無人化するときも虐殺でなくて、捕縛して先に帰順した別の城市に移送だし。 貢物を出させるための恐喝を話し合いと呼ぶようなアホはどうか他のスレに行ってください。 生き残ってモンゴル帝国の軍門に下った人々は、野蛮人の支配下に入ることを自己正当化しなければならなくなる。
その葛藤に支配下のウルスはさいなまれた。 ロシア人にはモンゴルの血が入ってる風貌の人結構いるけど
イラン人には少ない気がするんだが、どうなんだろ? イランではなくてアフガニスタンのほうだと、モンゴロイド系の人も少しいるって聞いたことあるな >>641
12世紀13世紀ってそんなものでしょう?
本邦だって承久合戦から夜盗の支配する国に成り下がってんじゃん。 >>647
それだ。やっぱりモンゴル帝国時代の名残の民族なんかね? 撫民を掲げた執権北条氏が世界史上どれだけ貴重な存在か分かってない人多すぎ。 モンゴロイドっぽい風貌でサッカーのイラン代表だったアジジ選手のコソ泥感、半端なかったわ。 >>650
犬で言えば雑種の混じった顔だね。
これがコソ泥なら、イタリア人はもろ泥棒顔になるじゃんw >>650
ズルするイタリアは最悪だったと思い出したw 洗濯も皿洗いもしなかったモンゴル人が一番清潔な暮らしするように
なったのは何ハン国?元? 耶律楚材はMMTを理解していたんじゃかいかと思う
今の日本人より遥かに賢かったのか…?
少なくとも税制、貨幣についてはある程度精通してたのは確か モンゴリアン習俗系のYouTube見てると食習慣が面白いけど、モンゴル帝国時代も似たような調理法だったんだろうか
基本解体したら直接かまどに乗せて焼くか直接バーナー当てて焼くかして、さらに時間かけて煮るみたいな手のかかる調理法
そんなのんびりしてられたのかなと思って
最近見たやつだと、
ヤギを解体してお尻から内臓こぞぎとる→さばいた肉塊と熱した火石を詰め込んで調味料サラサラパッパして外側からモミモミ→後ろ足を縛って閉じる→中身を蒸してる間に皆で毛をむしる→バーナーでこんがり→腹を開いて食べる
最初はグロいのにだんだん美味しそうに見えてくる… あと、調理や食事の前に必ずかまど?の中に肉片を幾つか放り込む(神様に供える感覚?)なのは、火の神への信仰でもあるのか気になった >>640
モンゴル人は話を盛って噂を流したらしいね
自分達を恐れさせるために 朝鮮人はモンゴル系なのかな
>チョンガー(총각、chong-gag)の漢字表記で、朝鮮語で独身男性を意味する。かつての朝鮮では、独身男性の髪型は辮髪に似た三つ編みのお下げであり、結婚して初めて髷を結うことが許された。 元寇の鎌倉武士団打線(最新の研究)
1(中) 壱岐対馬は最初から見殺して相手の戦法を見極めてた
2(二) 既に出兵5か月前に出兵の時期を想定し鎌倉武士団を大宰府に展開してた
3(一) 相手が人質を楯にして攻めてきても関係なく矢を射かけまくってた
4(三) 2度目は30キロの防塁を沿岸に、20キロの空堀を博多の南に、10キロの水堀を大宰府に築いていた
5(遊) 博多が略奪されてるのは目に見えてるので、敵が来る三日前に博多を略奪しつくしてた(鎌倉武士団が)
6(右) 2度目の時はモンゴルに倣って人質を楯にして攻撃してた
7(左) てつはうにあんまり動じずそのまんま徒歩で戦ってた
8(捕) 2度目の時は夜襲しまくって眠らせなかっただけじゃなく相手の船に牛馬の腐乱死体を積極的に投げ入れてた
9(投) 元軍が壊滅した後、取り残された元軍の内、宋人は助命したが高麗人、モンゴル人は負傷者も女性も含めて皆殺しにしてた
【悲報】 鎌倉武士団、実はモンゴルより鬼畜だった!! [515020545]
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1608447184/ 戦争犯罪のイノベーターとは言い得て妙。
アメリカもインディアンやフィリピン人相手に無差別大量殺人やってるけどね。
バッファローを狩って敵対するインディアンの生活基盤を破壊し、勝利した。
勝ち続けることが重要。負ければ祖先の報いを受けることになる。 てか、西夏って3回まではモンゴルの遠征に耐えられたってすごいよな。西夏軍強かったのかな? アイン・ジャールート
元寇
バクダン川
クリコヴォ
以外でモンゴルの主な敗戦は何がある? モンゴルの伝承にあるモンゴル人の祖「Borte Chino (蒼き狼/灰色の狼)」って
ドゴン族の伝承にある「Yurugu (銀狐=大地を汚す孤独と無秩序の象徴)」と関係あるのかな 世界の神話いろいろ見てるけど、農耕系から見ると騎馬系や遊牧系は大地を汚す悪い奴って位置付けではあるよな(その逆も然り)
モンゴルの神話って興味持って読んだことないけど結構ある?狼の嫁が鹿くらいのことしか知らんかも チャンネル桜の「南モンゴル草原の風」シリーズ動画を全部見てから書き込め。 モンゴルのホラズム・シャー国への遠征にはウイグル商人やムスリム商人が
協力したんだが、彼らにとっては交易ルート上にいくつもの国や勢力が
乱立しているより、より強大で広域を支配する帝国の出現のほうが望ましかった
国境を越えるときに危険がつきまとうこともないし、商品を運搬している間に
通過する各地で高額な税を取られることもない 市場原理によって健全な競争が起きるかと思いきや、詐欺が横行して「悪貨は良貨を駆逐する」の構図が各業種に起きた
モンゴル帝国の支配地域では技術革新が起きなくなった グレシャムの法則は人間にも当てはまる
自由競争によって嘘つきの悪人だらけになる
モンゴル帝国がもたらしたインパクトはそれだった グレシャムの法則で良貨を隠すようになれば秘密警察を使って不正蓄財を探し出す技術が発達する
秘密警察もモンゴル帝国がもたらしたイノベーションのひとつ モンゴル帝国が成立したせいで、ヨーロッパにまでペストが伝わったのだとか 元が明に敗れて北に帰ったのも疫病が原因と聞いた
ペストだったの? チンギスの根拠地であった大オルドには大規模な鉄工房があり、優秀な鉄の武器が
大量に生産されており、これがチンギス軍の強さの要因の一つであったと
指摘されている メキシコがスペインの500年前の侵略を謝罪せよといっているけど
侵略を受けた世界各国がモンゴルに謝罪を求めないのはなぜ? スペインも金ないやろ
マドリー市に失業者ごった返してるし >>684
モンゴルが襲来する遥か以前にヨーロッパにはペストは存在したんじゃね?
東ローマ帝国のユスティニアヌスのペストとかあった訳だし・・・ ペリクレス時代のアテネでも疫病が流行したが、
これはペストだったのではないかと推測されている クビライ政権は、安南、チャンパー、ミャンマー、ジャワにも
数次にわたって遠征部隊を送ったが、炎暑と疫病などのため、
ミャンマーのほかはいずれも撤退したな
モンゴル軍も無敵ではない ミャンマー軍の残忍さはモンゴル帝国からの影響かねぇ >>694
モンゴル軍は安南をモンケ時代に、チャンパーもクビライ時代に征服してる。
両国は、弘安の役でモンゴル軍主力が壊滅したのを見て翌年に反乱を起こし、独立した。
モンゴル軍の戦闘力は元寇前後で全く違うから、分けて考える必要がある。 ふつう、元朝は1368年、大都が明軍に占領されたときに滅んだことになっているが、
実際の元帝国の滅亡は、1388年のブイル・ノールの戦いで皇帝トグステムルが
明軍に大敗し、敗走の途中イェスデルの軍に殺された時だといってもいいと思う
そして、元朝が滅亡した後も、モンゴル高原に君臨した歴代の大ハーンたちは、
あいかわらず大元皇帝の称号を名乗った 北元は元じゃない理論なんかな?
俺はそれ「滅んだ」とは思わないんだが
モンゴル帝国的にはただの植民地放棄に過ぎない事を滅亡扱いするのは変な感じがある >>637
>琉球併合を正当化する時にも琉球王に関する源氏血統説が利用された。
順番が違う、琉球統一王朝が正当性を高めるためにその説を生み出した
しかし、あながち為朝伝説は間違いではないかもしれん
かなり前で子供の頃で興味がなかったのででうろ覚えだが、
琉球王朝の末裔が、テレビで自分たちは為朝の子孫と語っていたのをみたことがある
それと、沖縄の大学の学者が、琉球の本島の支配層は内地の武士的なことを言っているのもみた
DNAからみても、少なくとと沖縄本島の人間は内地から来たことは間違いない、
言葉も内地では使われなくなった古い時代のものが残っているし
>チンギス・ハーン義経説も領土野心を正統化する意図がある。
>どのような下心でこの種の流言が流されたかを考えるのが学問としての価値。
この説を最初に主張したのはドイツ人医師のシーボルトだよ、
流言ではなく、彼の研究に基づいた主張
それに、チンギス・ハーン義経説を盛んにやってるのは保守層ではなく、オカルト系の雑誌やミステリー陰謀系のテレビ番組とかだし、
韓国の起源説を批判、揶揄する日本人を黙らせるために、日本人がチンギス・ハーン=義経と主張しているという攻撃材料になっている
実際のところ、韓国みたいにそれなりの地位にある学者がこの説を主張しているわけでもなく、学会も支持していないし、日本人も異常な人間以外ほとんど信じてないでしょ
下心で言えば、韓国人が日本に対してやっているのがまさにそれでしょ、様々な分野で数がありすぎで取り上げるときりがない
騎馬民族征服説とかも利用されている 義経説が語られるようになったのはシベリア出兵で大陸進出が本格化した大正時代だよ >>699
韓国のトンデモ起源説もたいがいはカルト新興宗教信者が言ってるだけでまともな扱いされてないけどな トグステムルは元朝をたてたフビライの子孫
彼を殺したイェスデルはフビライの弟アリクブガの子孫
フビライとアリクブガは長兄のモンケ・ハーンの死後、
四年にわたってモンゴル帝国を二分して帝位を争い、
ついにフビライは弟を打倒して皇帝の位を確保し、元朝をたてた
その子孫がアリクブガの子孫に滅ぼされたという皮肉なめぐりあわせ 遊牧民は氏族内で殺しあう
アラビア半島ならよくあること 遊牧は人口増加に応えられる生活形態ではないので、
身内同士で殺し合うか、戦争するか、だれかが遊牧生活をやめるかしないと人口問題を解決できない 遊牧民は末子相続だから一番下の弟が継ぐ
なので兄たちから命を狙われやすい
逆に兄たちが遠くに逃げることもある 名誉や友好関係を損なうことなく体よく口減らしする仕組みとしてチベット仏教が必要とされた 口減らししたい対象をおだてて出家させれば出家者は基本的に妻帯しないので人口抑制できる
血で血を洗う跡目争いを避ける知恵だよ チベット仏教が遊牧系に持て囃されたのはそういう理由? プレスター・ジョン伝説の起源とされるネストリウス派キリスト教徒のケレイト部は、
現代ではヨーロッパ唯一の仏教国カルムイク共和国として残っている >>710
清代を起こした満州人は、モンゴル系を取り込むためにモンゴル系の信仰してたチベット仏教も取り込んだらしいね
信仰心はあったわけだから、別にそれだけが理由じゃないと思う 明の永楽帝は紫禁城の中にチベット仏教の道場を置いた
彼は即位の年、宦官の侯顕をはるばるとチベットに送り、
カルマパ派の教主を迎え、南京の霊谷寺で朱元璋夫妻のため
盛大な追善供養を行った
さらに山西五台山で、帝の亡き皇后の法要をいとなんだ チベット仏教が流行る前は何を信仰してたの?
ソグド系の影響も受けてるのかな? 白蓮教やイスラームのような終末論を掲げる宗教は政権にとって大きな脅威
政権に害の少ないチベット仏教を選ぶのは自然な事でしょ ショイグ防衛大臣の風貌をみるにつけ、ロシアがジョチウルスであることを実感 >>712
モンゴル人も、チベット仏教の房中術に溺れたのだろうか? >>707
古今東西、上流階層の余った子供の受入先が、宗教施設だよ。
日本の仏教でも、門跡寺院とかいう、皇族や公家の余った子弟が放り込まれる寺が在っただろ。 他のテュルク系遊牧民のようにイスラームに改宗しなかったのは確かに謎だよな アルタンハーンが仏教を導入してイスラーム化も漢化も阻止したからなぁ 日本の聖徳太子が、儒教・道教・景教(ネストリウス派キリスト教)ではなく仏教を重視したようなもんかね >>726
そうなんだよ
イスラームだけでなくゾロアスターや他諸々の宗教に触れる機会もあっただろうし
>>727
いつのことか分かれば教えてほしいm(__)m >>728
それは単純で、当時かなり力を持ってた隣国(隋とか半島系とか)が、最新ブームの仏教を国教にしたり崇めたりしてて国としても先進的だったから
つーか当時の日本は仏教導入も含めて国政を近代化しないといけなかったんだ
特に隋から交易相手として蔑まれたんよ
年表から省かれがちだけど、600年の遣隋使が失敗してんの >>730つづき
だから聖徳太子は、そのあと急速に憲法だの冠位だの定めて国力あげようと一気に国政改革おしすすめたでしょ
近隣諸国との情勢を踏まえた上で、強くて先進的な国を手本にしただけのことかと思われる
流行りに乗ったとも言える 理由があるとするなら、元々モンゴル人が崇拝してた何かとチベット仏教の親和性が高かったとか?
そういや現代のモンゴル人は、かまど(火)の神に調理中に肉を一切れ捧げるよな
一神教より多神教の民族性ではあったのかもしれない >>3
それ本当にモンゴル人?
ギリシャ人がシワオアシスのアメン神殿に書いたという話(アレクサンドロス遠征)じゃなくて? かつてモンゴル帝国だった地域、どこをとってみてもまともな国がない
どれも腐ってる
なぜ? >>3
パトレイバーの話してるならモンゴル人なんて言ってないぞ モンゴル帝国が大量殺戮をともなう既得権の破壊で規制緩和しすぎた結果、品質や信用の担い手がいなくなった
モンゴル帝国の統治下で詐欺や偽物が横行し「悪貨は良貨を駆逐する」世界が創り出された 君たちはアメリカの選挙で陰謀論垂れ流しを目撃しただろ?
自由や規制緩和の行き着く先は、詐欺や虚言の横行だよ
まじめに競争するよりウソをついて競争相手を潰した方が合理的だからね
先住民への皆殺しをやってしまった社会は大体こうなる モンゴル帝国の影響というより、世界の中で西欧と日本が特殊なんじゃないのかな >>739で、モンゴル帝国の影響が及ばなかった南米やアフリカの腐敗ぶりを説明できる チンギス・ハーンとその後裔がもたらしたヒャッハー祭りのあとのディストピア化と恒常的停滞 モンゴル帝国のように道徳規範の担い手を皆殺しにしてしまった社会は腐敗する めんどくさいやつ来たな
モンゴル帝国と関係あんのか 中国、ロシア、イラン、イラクの腐敗体質がなぜ生み出されたのか考えるうえで避けられないでしょ >>705
それ誤りだよ。
分割相続で生前分与だよ。
末子相続は、末子に優先権がある、ではなくて、末子にも相続権がある、くらいのものだよ。
無論、成人していることが大前提。
親父の死んだときに成人していない弟を養うのは既に成人している兄で、扶養義務まで相続対象。
最後に大きく親父の宿営に残ってるものを、若い弟が総取り、ということにはならないで。
特に、家督とか、冬営地の監督権とかのような、人柄や才覚の必要なものは、合議で決める。
結構な大帝国になっても、もとの慣習から逃れられなかった。
分割相続・生前分与は、封土や分隊の指揮権を与えてる形で行われて、家督=王位や、冬営地の監督権=
首都の領有権やらは、帝国上層部総出の合議に諮って決めている。 >>724
チベットとモンゴルは隣で近い
高地の遊牧民に適した信仰形態 >>726
アルタイやトゥバはテュルクで仏教徒だよ。
モンゴル帝国時代に、テュルクからモンゴルに部族まるごと移籍した集団とかもあるよ。
18〜19世紀頃のシベリア・中欧アジアを同化していた時分のロシア帝国も、
イスラム教徒よりも多神教・偶像崇拝のタタールの方が同化しにくいと記録しているよ。 モンゴルはテングリ信仰だったような?
>>3から適当なこと書いてる人が目立つし何が本当やら >>753
NHKのモンゴル帝国を扱う歴史番組で私も見た記憶があるから、 >>3 は適当じゃないよ
攻め込んだ先の欧州の教会に書かれた落書きだったと思う 松平定知氏がナレーターを務める番組だったと思う
ようつべに動画(たぶん違法)あるかもね >>747
最近のニュースとかで 権威主義国家 vs 民主主義国家 というフレーズ使われ始めてるんだけど、
その権威主義国家なる地域は全部モンゴル帝国だったところばっかなんだよね
モンゴル帝国は旧共産圏というくくりよりもぴたりと当てはまる
その証拠にモンゴル帝国だった南朝鮮(韓国)も権威主義国家の枠組みに入ろうとしている >>7298
アルタン・ハーンの仏教国教化は16世紀
1578年にはチベットから初代ダライ・ラマとなるダライ・ラマ3世を招聘したりして
モンゴル人の仏教改宗を進めてる >>754
その落書きは残ってるの?
ゴーギャンもバイブルもアレキサンダー大王から話を取ってるように見えるのに、モンゴルにまで酷似した話あるんだ? アメリカあるあるの極み!?非を認めずウソでも主張を貫き通そうとする人が相当数いる! おお、どうした…?
唐突に出てきたアメリカって何…? 大量虐殺の加害者と被害者が同じ共同体の中で共存している社会を想像すればいい
ウソをつかなければ社会を動かすこともままならなくなる
そうやって共同体の人々は真実や独自性を軽視するようになり、文化や科学の進歩が起きなくなる 沖縄県民が比較的誠実でいられるのは、米軍関係者が沖縄県民の居住地域から隔離されているからに他ならない かつてのモンゴル帝国だった国のうち、西欧で治安が悪いとされるベルギーよりも殺人発生率が低い国はウズベキスタンしかない 自分で調べなよ
質問したら答えてもらえるという思い込みは心の病気につながりやすい 悪いことは全部モンゴルのせいにする。
曰く
ロシアが西側のテクノロジーについていけないのは、タタールの頸木のせい、
ペルシアが後れてしまったのは、モンゴル人に灌漑システムを壊されたせい、
中国が後れを取るのも、モンゴル人と満州人の搾取を受けたせい、
インドが貧しかったのも、ムガル支配のせい、
アラブ人は、モンゴル人がアラブの都市の図書館を焼かなければ、
イスラム教徒が科学の先端を進み続けていたと主張。
十把一絡げに全部悪いことはモンゴルのせい。 サウジやヨルダンは、同じイスラム圏であるイランやイラクよりも殺人発生率が低い 共産圏どころか親米だったはずのイランや韓国が磁石のように権威主義国家連合(モンゴル帝国)に吸い寄せられる現象
どう説明する? イランも韓国も中国も大げさに他国を罵る北朝鮮スタイルの外交をやる
これはモンゴル帝国の遺産じゃないだろうか >>749
チベットの地図を見ると、チャンタン高原の下を遊牧地帯が
ホタンから西寧まで弓型に走っている
このためチベットは昔からモンゴル、東トルキスタン方面の
遊牧民との関係が深かった
11世紀になると、インドから多数の仏教学者がチベットへ逃げ込んできた
これはこのことアフガニスタンのトルコ系ムスリムが北インドに侵入を開始し、
仏教に猛烈な迫害を加えたから
チベットが完全に仏教化したのはこのときから 権威主義国家(旧モンゴル帝国諸国)の中心にいるかのようにみえるモンゴル国(現在のモンゴル・ウルス)はあまり権威主義じゃないんだよな >>772
なんだそれ
知ったような感じでレスしてくれてた人に改めて聞いただけなのに、急にパッタリ無視だからさ
最初から確証ないことレスしたの?っていう
答えられなくてキレてるの? すでに精神を病んでるかもしれないから、ネット見るのしばらくやめたほうがいい そう言えば逃げられる、優位に立てると思ってるみたいだけど、全くスレチじゃない話を追い出そうとするお前こそ病的だぞ?
>>3か? 分からないなら分かりませんって言えばいいだけ
しかもお前には聞いてない
他の分かる人が答える
いちいち反応して追い出そうって必死すぎるよ 分かる人だけ回答するのであって、分からない人がいちいち書き込まないよ
掲示板の使い方知らない人なのかもしれないけど、ここそもそも質問スレじゃないよ
質問すれば答えてくれるという思い込み、
自分が関心を持っていることに他人も関心を持っているという思い込み、
いろいろとヤバいね
悪化しないうちに精神科に行ったほうがいい >>733
>>736
やっぱり3の人は漫画に出てきた架空の話か何かを真に受けてしまった感じかな。調べてもソース出てこないからね。 モンゴル帝国 落書き
で検索するとコロコロ事件しか出てこなくて草 Wikipediaをソースにするとか初心者ですか
まじめに相手してもらいたいならちゃんとした出典元ださないと NHKの松平アナウンサーのモンゴル帝国特番で見たと思うんだけど、近い時期に見たTBSの世界ふしぎ発見のモンゴル帝国でやってたような気もする。
どっちにせよモンゴル兵の中には詩を詠む文学的な人もいたんだな、っていう意外な印象を受けたの覚えてる。 >>3 もマンガの架空の話とかじゃないと思うよ 落書きした本人がモンゴル人とは限らないわな
モンゴル軍のイギリス人使節―キリスト教世界を売った男 (角川選書) 単行本 1995/7/1
ガブリエル ローナイ (著), Gabriel Ronay (原著), 榊 優子 (翻訳)
十三世紀、世界の勢力地図を激しい勢いで塗り替えた、ハーン一族率いるモンゴル軍。
その先鋒で一人のイギリス人が暗躍していたことはほとんど知られていない。
彼は、マルコ・ポーロより半世紀以上も前に遙かモンゴルへ赴き、ついにはキリスト教世界を売った大罪人として遠い異郷の地で処刑された。
著者は、この人物を不条理な運命に翻弄された時代の犠牲者として捉える。
膨大な資料を渉猟し、歴史の闇に葬られた謎の人物を追いかけながら展開される、十字軍時代の一大歴史絵巻。 >>753
遊牧民は割りと宗教に寛容で、モンゴル帝国でも国教は無くて比較的自由にそれぞれが信仰できたんだよ
シャーマニズム(テングリ信仰と自然信仰や祖霊信仰)はもちろんなんだけど
チンギスハンの時代はキリスト教徒が多くて、でもイスラム教徒や仏教徒もいた
その後、チベット修行から戻ったサナバザルが仏教を広めたのでモンゴルの東側ではモンゴル仏教が体系化され、逆に西側ではイスラム教に傾いていって、でも基本的に宗教は自由だった
ちなみにザナバザルは今でも仏像や美術館で有名な人 >>787
自分で調べなよ
質問したら答えてもらえるという思い込みは心の病気につながりやすい 落書きの詳細を知りたいと思ってるのはひとりだけで、他の人はあんまり興味ないんだよ
そういやテレビで見たなぁ
きみ見てないの?そりゃ残念だね、ニヤニヤ
でおしまい >>794
そうなんだ
少なくともスレタイ気になって見てる以上、おれは気になるけど >>788
NHKスペシャル 大モンゴル 1992
これかい?かなり古そうだけど ショイグ国防大臣の顔を見ると、ロシアはモンゴル帝国の末裔だよなぁって実感できる
ロシア国防相、ウクライナ国境付近の部隊に撤収命じる | 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20210422/k00/00m/030/431000c
2021/4/22 23:59(最終更新 4/22 23:59) >>797
それかもしれないけど、近い時期にチンギス・ハーンの墳墓に関する考古学番組もあったし、よく覚えてない >>788>>797
横だけどありがとう
TSUTAYAプレミアムで探したら無かった
そもそもVHSしか出てないようだけどディスク化されない理由が気になるわ 定説ならネットに出回っても良いだろうに不思議だね
ちなみにNHK番組なら、アーカイブス契約すれば見られるっぽい ちなみに私は >>3 ではない別人
NHKの番組じゃなかったとしてもご容赦願いたい
なにしろ見たの20年以上前だから
とにかくテレビで見たのは確実、その時の印象が強く残ってるので
散々侵略しといて何、たそがれてんだ的な >>802
その書いた人はキリスト教だったんだろうね
どう見ても聖書からの引用感がある
遺跡が残ってるなら見たいな
>>800
Nスペ、古いシルクロード番組だったらBSで先月ぐらいまで再放送してたの見たよ
そのうちモンゴル帝国もやるんじゃない
https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009040279_00000
第一集は、ユーラシア大陸を駆け抜けたモンゴル騎馬民族がヨーロッパに与えた衝撃を探り、第二集は、チンギス・ハーンの伝説的な生涯を、その参謀・耶律阿海(ヤリツ・アハイ)の視点から描きました。第三集は第二代皇帝オゴデイの時のヨーロッパ遠征をたどり、世界帝国の実態に迫りました。第四集は、北京の地下に眠る元の都・大都をCGで再現。 モンゴルの宗教観に関係すると思うが、
歴代大ハーンの墓所が不明なこと。
史書には地名が記されているが、それがどこなのかが特定できていない。
徹底的な秘密主義で、埋葬地がわからないようにしている。
明清の皇帝が広大な陵墓を建造したのとは大違い。 同じ粗霊信仰でも、
漢族は大袈裟な墓を拵えるのに
モンゴルは場所を隠してるよね
考えられる理由は2つある
1 死んだことを知られないようにしていた
2 敵に掘り起こされ汚されないため
1は死を秘密にしたまま死の3日後に西夏に攻め混んで滅ぼしたのは有名な話だよね
2については、米国の方にいた原住民の感覚なんだが、新興勢力(米国人)と戦いつつ原住民の長が死んだことは知られないよう亡骸を隠していたことからの推測
てかモンゴルの葬送文化って鳥葬だったんだっけか >>797
多分これ見たことあるけど落書きのことは出て来てないような?チンギス・ハンの側近(マルチリンガルの翻訳家)が超キリスト教だったことが出てきたのは覚えてるけど >>807
もうネタの域だけど、プーチンも死が秘密にされて今は4つめの体とか噂されてるよなw
>>805
ペルシャ人に頼んだモンゴルの歴史書(集史)で、ハーンは禁足地 yeke qorok に埋葬されたよ!とかヒント書かせちゃってるの不思議
記録に残ってる墓所は人を欺くためのフェイクなんじゃないかと 日本人って帝国時代のモンゴル大好きだから
落書きの遺跡なんぞ本当に残ってるなら
観光に組み込まれて有名になってるはずでは
言い伝えや伝説の一つみたいなやつでは
>>787
ソース出せてないレスが殆んどのスレで急にどうした キリシタン客の食い付きが良いから吟遊詩人とかが脚色して盛りに盛った架空の人物
それだけキリシタンはイスラーム勢力が恐かったんだろ モンゴル帝国に征服された国からすれば、モンゴル帝国は侵略者の扱いなのか?
バグダッドの戦いでは築き上げたイスラム文明が破壊されて廃墟となったし、個人的には野蛮人のイメージしかない。 古代のイエメンダムにせよ、アッバース朝の知恵の館にせよ、再建しようと思えばできるのにしないのは
結局のところ地元民が再建の必要を感じていないからだろう >>3
カルカ河畔の戦いについてのロシア年代記の記述「彼らは何者なのか?どこから来たのか?」が
記憶の中で変形しただけじゃねーの? >>814
1231年のホラズム・シャー朝滅亡から1258年のバグダードの戦いまで27年も間がある
27年というのは世代交代するような長さだよ
バグダードの壊滅はシーア派とスンナ派の派閥抗争が原因だろう
近くの仇敵は遠くの敵よりも憎いものだ >>818
フレグの遠征ではシーア派の暗殺教団とスンナ派のバグダードを両方壊滅させてるんだから
シーア派とスンナ派の派閥抗争とか関係ないじゃん。
単なるモンゴル軍による破壊と殺戮。 >>814
中東ではモンゴル≒東方アジアのイメージは最悪らしい
十字軍より蒙古襲来のほうが悪夢だった
イスラーム過激派のハンバル法学派は対モンゴルのトラウマから出てきた思想
サラフィー主義の生みの親はモンゴルよ 義務教育だけのニワカ→ジョチカワイソスw
一歩踏み込んだ者→ベルグテイカワイソス・・・カサルも ハーンって皆短命すぎない?まあ暗殺もかなりあるんだろうけど・・・w
チンギスでも長生きの部類てのがねフビライだけぶっとんで長命
まあハーンに限らず総じて短命傾向な国だよなあ モンゴル帝国は滅茶苦茶毒殺が多いお国柄
帝国以前からもチンギスハーンの親父も毒殺されてるし
ジョチウルスでロシア人諸侯が君主にご挨拶に行って帰って来ると死ぬ
しかも顔色がすげー変な色になってる、とかよくある話だな チンギス・ハーン父の死因は毒殺ではないと思うよ
客人であるチンギス・ハーン父はわずかな人数なので、殺そうと思うなら確実な方法を取れたはずからね
アナフィラキシーショックとかじゃないかな 今でもロシアや中国には秘密警察のようなものがありますが、それはモンゴル帝国からの伝統だとロシア人も中国人も言っています。
宮脇淳子著『日本人が知らない満洲国の真実封印された歴史と日本の貢献』(扶桑社BOOKS新書)から抜粋 チンギスの前半期って史実に基づいた創作って奴なんだろけどね
モンゴル一家のテンプレートって感じで一通りイベント網羅してあって勉強になる、みたいな
戦史動画から入って横光チンギスハン読んだけど面白いけど面白くもなかったなぁ
対外戦争からが本番なのにそこ全然描かれなくてそのまま終わっちゃった
まあストーリー的にはその前半生で大体のモンゴル生活は語り尽くされてんのかな
話としてはやっぱ三国志のが遥かに面白いわ、モンゴルの魅力の半分以上は騎兵のぶっ飛んだ強さだと思う >>831
漫画や小説、映画でのチンギス一代記の元ネタは「元朝秘史」だろう。
原本のモンゴル語版は失われ、漢字で音写し中国語で訳したものが事実上の再発見。
何しろ秘密の歴史書なんで、当初、考証学者たちが読めたのは中国語の部分だけ。
まるで暗号解読みたいな秘史研究だったとか。
なんか秘密主義なんだよねぇ。
チンギス・ハーンは自分の肖像や像を作ることを禁止した。
コインに彫り込むことも許さない。
私生活にかかわる部分の記録を公表しない。
墓所も秘密。
言い伝え伝説では埋葬した場所を800人の騎馬隊で踏み固め、
その騎馬隊全員を別の部隊が皆殺しにし、
手を下した兵士たちをさらに別の軍団によって皆殺しにして、
秘密を守ったそうな。 どこまで本当か知らないが、
葬列が進んだ40日間に出会った人間と動物を全て殺した。
殺した兵士たちは次にみんな殺される。
アニメの悪の組織でも、そこまでやらんだろう。 あんなジェノサイドを多発した
モンゴル帝国を杉山正明のような
研究者はなぜ擁護するのか? >>834
それはどういう理由からなの?
興味あるんだけど何の本に書いてる? >>838
そりゃ墓を秘密にするため。
ジャック・ウェザーフォードの
チンギス・ハンとモンゴル帝国の歩み
という本に風説として書いてあった。
元ネタは知らない。 >>839
おもしろそう
ありがとう
葬列を見られたからってことね成る程 >>833
むしろ中国っぽい逸話だな
騎馬隊800抹殺も一つオマケに抹殺ってなあ クロエ・ジャオ監督のアカデミー受賞のニュースやSNSを徹底的に遮断するような情報統制の習慣は、モンゴル帝国が起源じゃないかな チンギスハーンに関しては大体集史か元朝秘史が元ネタだと思う >>819
ユーラシアで最強レベルのアサシン派も女真族も
殲滅 まるでスキタイが地獄の残虐超人
アッシリアを滅ぼした時のような感じ 三別抄が日本に使者を送ったことは有名だけど、女真族の東夏国もモンゴルに対抗するため
日本に使者を派遣してる。
チンギス・カン時代に既にモンゴルの余波が日本に到達してた。 チンギス時代の精鋭モンゴル軍vs鎌倉武士
リングサイドで観戦してえわ、どの道海将軍で無理かw ホラズムシャー朝のムハンマドは、モンゴル軍に敗れた後、イランの各地を転々とし、
カスピ海沿岸の小島で病死した
その遺体を埋葬するにあたっては、遺体を包む帷子にも事欠く状況で、
シャツで代用したと伝えられている
なんとも惨めな最期 ジェベ&スブタイの最強タッグに追われる地獄
ジェベのエピソードって流石に出来すぎだよなあ少年漫画やんけ モンゴル軍はバルフ、マルヴ、ニーシャープール、ヘラートの四都市を陥落させた後、
特殊な技能を持つ職人たちは助命して連行した
その他の住民の中でも、降伏した壮丁はハシャルという労役部隊に入れられ、
他の都市の攻略に従事させられた 技術者を保護したのに、工業技術が衰退してしまう謎。
モンゴル帝国の政策はオカラ工事を世界に広めただけだった。
検収する者を皆殺しにしたからだ。 モンゴルで最強(最高)の武将って一般的には誰なんだろう
数百年の歴史あるからある程度時代ごとの区分もいるだろうけど 世界各地の市場から最も安く仕入れることだけを考えて最適化されていった結果、信用や品質が失われた イランに点在するイスマーイール派の山城群は、暗殺者教団の拠点となった
ばかりでなく、東西をつなぐ隊商貿易路を遮断して交通を滞らせる原因にも
なっていたが、モンゴル軍がこれを壊滅させたことで、通商路の安全が
保障されることになり、東西交通がいっそう発展する契機がうまれた ニーシャプール大虐殺の女指揮官、
チンギスの娘の名前はわからないの?
女性史上の恥さらしだな。 せっかく東西交流が自由になったのに全然発展したように見えないところが残念で
むしろ衰退してしまった感さえある
文化の担い手だった貴族や軍人が皆殺しにされた後に残るのは共産主義国のような品質軽視の社会 低品質な商品が出回ることで経済そのものが破壊されてしまう現象がモンゴル帝国で起きた
家畜以外は自給自足できず穀物などの生活必需品を市場で購入し続けなければならない遊牧民にとっては、商品が安ければ安いほどいい
ディスカウント優先で品質は後回しになり、高品質な労働力は市場から消えていった
グレシャムの法則 世界中でマクドナルドなどのファストフードやジャンクフードが流行るようなものかな ナヤア100歳以上生きたってマジかよ
他にもなんかおったよな100歳くらいまで生きた奴 12世紀の後半以来、ホラーサーンでは、政治的な混乱や都市内部でのスンナ派同士の
宗派対立(とくにハナフィー派とシャーフィイー派の対立)のためにニーシャープールや
マルヴの町が荒廃し始めていた
そしてモンゴル軍による破壊がとどめをさした ホラサーンとかタバリスタン、ギーラーンは肥沃な土地だから常に狙われるねえ
山がちな地形もあいまって異端が隠れるにはもってこいの場所だけどモンゴルが来ちゃった 広々とした道走りながらモンゴル軍に思いを馳せるが
弓騎兵なんて相当訓練しないとまずモノにならんだろなあ
自衛隊で一から訓練したとして1年2年で軍隊として運用出来るかね?
日常がそのまま訓練てのはやはり大きすぎるよ モンゴル軍は1260年9月3日にヨルダン川西方のアイン・ジャールートで
マムルーク朝軍と激突し、史上初めて野戦での完敗を喫した
モンゴル軍の総帥キトブカは捕らえられてスルターン・クトゥズの前に
連行され、尋問後斬首され、その首級はカイロのズワイラ門に晒された そりゃあまあ、モンゴル軍言うけど本隊は既にモンケ・ハーンの崩御によって
クリルタイ開催されたことで引き揚げしていて、現地に残存させておいた部隊を叩いただけだからなぁ
オゴデイ崩御の時もそうだけど、モンゴルはこの辺がお役所仕事というか
四角四面で融通利かないというか ソルカンシラってチンギス最大の恩人の一人だけど
微妙に後ろ向きな含みを持ってるのは何でだろうな?
ボオルチュとか全然そんな事ないけど モンゴル軍に破壊されたホラーサーンの四大都市のうち、ヘラートのみは
後に復興し、ティムール朝の時代に文化の中心地になったな >>867
戦災孤児が親族からつらく当たられたようなもんだよ 遊牧民社会では女性の地位が低いと思っている人がいるけど、
オゴデイ・ハーンが1241年に死んだあと、オゴデイの妃の一人で
ナイマン部族出身のトレゲネが摂政になって、次のハーンを決める
クリルタイを招集しているんだよな チンギス・ハーンの母親ホエルンもテムジンの旗揚げの時は武器持って戦ったし
ガルダン・ハーンの妻は康熙帝との抗争中に戦士してたり
普通に戦士として戦う分発言権もあるってことなんだろうな 横光漫画でも戦わないまでも馬乗って存在感アピールしてたな
ホエルンだけ見てもたくましい印象、実際かなり偉大 >>859
> 世界中でマクドナルドなどのファストフードやジャンクフードが流行るようなものかな
マクドナルドは高品質な国内産物の輸出を実現しているので悪貨ではない。
モンゴル帝国が同じことをするならば、モンゴルで生産した高品質な羊毛を全世界に販売するような実績があってよかったがそうはならなかった。
モンゴル自体に何の創造性もなく、たあただ広く浅くみかじめ料をとる暴力団としての機能しかなかったからだ。 モンゴル帝国自体に何の創造性もなく、ただただ広く浅くみかじめ料をとる暴力団としての機能しかなかった モンゴルにある、ザナバザルの制作した仏像は美しいな
ザナバザルはチベットの仏教美術に学びながらも、
モンゴル人の感性に合った独自なものに変えていったといわれる
仏像だけでなく絵画、アップリケなどの技術も持っていたし、
寺を建て、ソヨンボ文字もつくった せ、戦争芸術があるから・・・カルカ湖畔とかワールシュタットとかすごない? 人身売買の市場を国際化した功績は大きい
バイバルスが立身できたのはモンゴル帝国の奴隷貿易のおかげ モンゴル帝国は高品質な奴隷の輸出を実現しているので悪貨ではない。 遊牧民って基本的に略奪経済なのかな
アラビア半島のベドウィンにもそういうところがあるし 中世まではいくら十字軍とイスラム勢力の争いが
凄くても地中海と黒海の話、
モンゴル帝国がいかに史上最大の世界帝国でも
ユーラシア大陸の話で他の大陸は並行世界だった
中世までは本当の世界史は存在しない
近世でヨーロッパ人による西インド諸島上陸と
世界一周達成によって地中海・黒海とは別の
覇権闘争が行われていた南シナ海・インド洋、
ブラックアフリカ、中南米が繋がった
これでモンゴルの限界を超える真の世界帝国に
なる為の闘争が始まった >>833
チンギスハンがモンゴル生まれの故郷のスターだったら、こんなに秘密主義をとるだろうか?
秘密主義を貫く理由はなんだ? 口伝民話からもあきらかなように、チンギス・ハーン一族はボルテ・チノ(蒼き狼)の子孫ではない、ということも関係しているかも 遊牧民の過小評価はいかんが過大評価はもっといかん歴史を見誤る チンギス個人は意外とチキンなエピソード満載だよな
ベグテル抹殺からしてチキンの極みだし犬嫌いだったり
前半生カサルに頼りっぱなしな割に急に冷遇しだしたり挙げたらキリがない オゴデイは非常に温厚な性格の人で、臣民に寛大だったとか
兄のチャガタイが峻厳な性格の人だったのとは対照的
ただしオゴデイの飲酒癖は度を越していた ヤサの番人()の他に取り柄ないからテキトーに何かつけたろか感 オゴデイがもし1241年に死ななかったら、バトゥが率いるモンゴル軍は
西ヨーロッパまで侵攻しただろうといわれている
もし西ヨーロッパがモンゴルに征服されていたら歴史がどう変わっていたか、
少し興味があるな タラレバ言ったところで結局分裂分裂アンド分裂だからなあ
リセットボタン何回押しても足らんで 清朝を築いた満洲人は一度も内戦
やらなかったのにね。
モンゴル人の方が戦争は強かったけど。 >>890
フビライだけ異様に長命で殆ど50前後で皆死んでるぞ(寿命とは限らないが)
データ上はタラレバ言えるほどの数字でもないと思う
30前後もザラにいるし結局死ぬべくして死んだんだろ 帝国の領域が拡大し続けている間は、ハーンの直轄地も増し、
分配すべき戦利品があるからハーンの権力は大きいが、
征服すべき隣国がなくなると、帝国の財政すなわちハーン自身の
個人収入はたちまち窮乏化する
しかも世代を追うごとに、均分相続によって私領は減少するので
分裂は不可避になる ふと思ったんだけど、現在の資本主義やグローバル経済も、
いつか限界にぶち当たるのかな 品質を無視して安さを追い求めたモンゴル帝国のグローバル経済の残滓は、今も中国のニセワクチンに見られる トゥルイってやっぱオゴデイにコロコロされちゃったんかな
やっぱ怖いスね、末子相続は・・・ 一般に遊牧民の社会では、年上の息子から順番に結婚して、財産となる家畜を
親から分けてもらい、家を出て独立していく
最後に残った末子が両親と同居してその面倒を見、親の死後その財産を引き継いだので、
末子のことを、家のかまどの火を守る君主という意味の「オッチギン」「オトハン」
などと呼んだ
このことから末子相続ともいわれるが、末子が全財産を相続するという意味ではない 漢人はモンゴルを同化しきれなかったことより、むしろ大元以後の華北中原の漢族は蒙古の悪いところを引き継いでしまったのかもな ロシア史では「タタールのくびき」について盛んに議論されるのに、
中国史ではモンゴル人の悪影響がほとんどなかったかのように
思われているのは不思議だ 実際に悪影響とかあったの?
明の時代になって開明度後退してんじゃん 影響は東西問わずあるけどタタールのくびきという程の悪影響なんてないでしょ
ロシアがタタールは良くないとか言い出すのピョートル大帝の頃のヨーロッパ化が原因だし
それ以前って貴族も大半がどっかでタタールの血を引いてたり、
そもそも初期のツァーリの正統性もチンギス統原理をある程度受ける形で担保された代物だし
単にヨーロッパ社会に仲間入りする段階で「遊牧民に支配されたけど独立勝ち取った側」を名乗っただけ >>904
俺達は西欧的な近代君主国家に生まれ変わったんだ!もう野蛮なモンゴルの後継国家ではない!
だから俺達を受け入れてくれえ >>901
明の悪い所は秦、漢時代に萌芽が見られるのでは?始皇帝の時代はもう春秋戦国時代よりも
暗黒時代な感じだし、鮮卑族の北魏、隋、唐も
農民に苛烈 一番ましなのは女真族の清かと イランにはモンゴル支配の悪影響というのはあるのだろうか? K.マルクスが、 モスクワはモンゴルのおかげで国家統一をはたし、
周囲を圧倒する強国となることができたとする見方を明らかにしていた。
かれによれば、モスクワ国家建国の立役者イヴァン一世カリター(大公1325-41年在位)は
「タタールの絞刑吏、追従者、奴隷頭」であり、タタールすなわちモンゴルから
「簒奪する奴隷のマキャベリズム」を学んだという。
そして「モンゴル奴隷制の血なまぐさい汚辱がモスクワ国の揺籃を形づくり、
現代ロシアはモスクワ国の変身にすぎない」とまで記す。 マキャベリズムを極めていけば安かろう悪かろうの詐欺大国にならざるをえない たまーーーーに知ったように「チンギスと信長って似てるよね」とか言う人いるけど
もはや知っててわざと言ってるとしか思えないくらい何もかも違いすぎるよな
境遇から思想性格果てはスナイパーのエピソードまで正反対な徹底ぶりじゃん >>911
具体的な悪影響は知らんがモンゴル侵略は非常に評判が悪いとイラン専門の高橋和夫は書いてた 佐々木照山は、明治34年に、ある資産家に出資を仰いで大陸に渡り、
モンゴルへの探検行を挙行した
彼はモンゴルに到着するや、なんと日本から持参した直垂に烏帽子を戴き、
沓を履き杓を携えるという平安貴族か神主のような姿で、
堂々とモンゴル宮廷を訪問し、なぜかモンゴル王族たちの信頼を勝ち取ってしまう
無謀ともいえる彼の行動の成功に、当時の日本人は喝采を贈り、トルホト王を
伴って帰国した佐々木は、「蒙古王」の異名で呼ばれることになった
こんなエピソード、日本人でもほとんどの人は忘れていると思うが >>916
大本教の出口王仁三郎の前にこんな人いたのか 佐々木照山がモンゴルへ渡った表向きの理由は鉱脈探査だったが、
彼はアジア人の大同団結の理想に燃えていたから、当初から
政治的野心を抱いていたのかもしれない
トルホト王を伴って帰国した後、明治41年には衆議院議員に当選までしてしまった
また彼はモンゴル探検中も考古学史料の収集に余念がなく、その成果をまとめた
本を出版している
それが『二千九百年前西域探検日誌(上)』である >>899
そのオゴデイも身内に毒殺されるというモンゴルの残酷さ 毒殺で思ったけどモンゴルって毒見役っておらんのかな
毒=食物とは限らんけどイェスゲイから早速毒殺されてるんよな エスゲイの死因は毒じゃなくて、食べ物のアナフィラキシーショックじゃないかな
もてなす側がエスゲイに恨みを含んでいたのなら、毒殺などというまどろこしいことせずに直接殺せばいいだけだし 毒殺文化もちこんだのもモンゴルかよ
どうしようもねえな本当に 矢じりに毒を塗って狩猟をする習慣は遊牧民よりも女真やアイヌのような狩猟民のほうが強かったはず コロナ治療にトリカブト キルギス保健相、飲んでみせる:時事ドットコム
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021041700425&g=int
2021年04月17日14時42分 >>904
悪影響ったって、自尊心が著しく傷つけられただけだろ。根拠の無い自尊心が。 グユク・ハーンの未亡人オグル・カイミシュと、
チャガタイの跡を継いだイェス・モンケは
モンケ・ハーンに殺されている 英語wikiのスブタイ推しは異常、そこまでブッチギリで傑出した存在なん?
早い時期からの古参にして側近中の側近てのは間違いないし子孫の栄達ぶりも相当だけど >>927
チャイナでも日本の武家でも回教圏でもインド圏でもヨーロッパでも、
王侯貴族の同族殺しは結構な頻度あるよ? ハッカー集団「ダークサイド」は遊牧民王朝のようなもんだ
みかじめ料をとるだけの存在 イスラーム圏では、ジズヤを払えば異教徒でも共存が許されたけど、
あれもある意味みかじめ料のようなものだな イスラムに改宗されると、人頭税が取れないので困ってしまった ジョチとチャガタイってほんとに個人的に仲悪かったのかね
個人の問題じゃなく不可避の一般論なんでは 時代劇では、「お前は大カーンの実の子でもないくせに!」と、ジョチが出生疑惑を責められるのが定番だが チンギス・ハーンの弟ハサルも正確な名はジョチ・ハサルだぞ 兄弟がそれぞれの私兵を動員して内戦になるというのは、遊牧帝国のお約束だからな
仲が悪いというより、それが普通 パンデミックのユーラシア史とポストコロナ〜モンゴル帝国史を起点としたペスト(黒死病)の欧州と日本の中近世史〜
多摩大学 2020年度インターゼミ・アジアダイナミズム班
https://www.tama.ac.jp/guide/inter_seminar/2020/2020-asia.pdf カサルとかいう序盤のお助けユニット好き
用済みでポイ捨てするチンギスってやっぱクソだわ
残り下二人ほんと空気よな >>936
唐とか宋でもあるよなあ。まあ、唐の皇室は鮮卑で北方西方に対しては拓跋の河汗だし、宋も皇室の血統は沙陀(突厥)だから、遊牧政権なのかな?
遊牧圏の影響の少ない日本でも、兄弟間の殺し合いに発展する争いはしばしば起こってるで?
大きなものだと、壬申の乱とか、源義経追討とか、文永二月騒動とか。観応の擾乱とか。
戦争にまではなっていないけれど、織田信長、徳川家光は、弟を死刑にしている。 >>940
「代替わりのたびに、 毎度お約束の兄弟戦争。兄と弟がそれぞれの私兵を動員して戦闘開始」
というのが、遊牧民の社会構造に由来する特有の現象
モンゴル帝国やムガール帝国がその典型
初期の唐朝もそうだった。
「唐の李氏は漢化していた」と主張する人がよくいるけど、実際には遊牧民の気風を色濃く残していたことが、そこに表れている >>942
兄弟皆殺しはサーサーン朝や、ムガル帝国にもあった オスマン帝国はまだ穏便な方だよなぁ
兄弟は死ぬけど内乱にまで至るってのはジェムの乱とか結構少ない方 >>941
そんなの遊牧民に特有でもなんでもない
底の浅い見解だは 長子相続制で、継承問題が安定している国のほうが、
世界史では少数派なのかもしれない 長子相続でも日本みたいに親離れした子供が親を追放するようなのがあるし イスラム圏は宗教色が強いからか家族制度の違いからか共産圏にならなかった つ ウズベキスタン、カザフスタン、アゼルバイジャン >>944
元朝の場合、14世紀に上都派と大都派の抗争が起こっているな
二人の皇帝が並び立って主導権を争い、元朝の膝元の華北の地は戦場と化した ハーンの肖像画とか絵見ると総じて後期ほど無能臭漂ってんな
ダヤンだけは別格だけど エイジオブエンパイアにもモンゴルキャンペーンあったけどストーリーの言い回しがいいよな
「母はネズミで飢えをしのいだ、息子たちは金の食器を使うだろう」とかそういうの詩的で 中央アジアって、モンゴル帝国の時代にはユーラシアの東西を結ぶ通路だったが、
その後は東アジアとの関係が薄れてイスラーム化していくな
それまでユーラシアの東西を結ぶ架け橋だった中央アジアは、
逆に東西を隔てる障壁になっていく >>954
時系列がおかしい
真正ハディース「ムスリム」や「ブハーリー」が編纂されたのは9世紀
これらのハディースを著したのはそれぞれイラン人とウズベキスタン人
チンギス・ハーンが軍事侵攻するはるか前からイスラーム化していた
拓跋系遊牧民王朝である唐とアッバース朝が衝突したタラス河畔の戦い(751年)とか知らんの? 教科書程度しか知らない者ですが、モンゴルは土木の変より後に良いところがないように見えますが、古代から強かった騎馬民族がなぜ他の国を征服どころか一時的にでも戦争に勝ったというのすら見られなさそうなくらいになったのでしょうか? 面倒な統治をせずにみかじめ料(朝貢)だけ取るほうが楽だから南下しなかっただけ 米油送管、身代金認める 4億8000万円支払いと報道 - 産経ニュース
2021.5.20 01:11
https://www.sankei.com/world/news/210520/wor2105200002-n1.html
サイバー攻撃を受け、石油パイプラインが一時稼働停止に追い込まれた米コロニアルパイプラインのブラント最高経営責任者(CEO)は、
ハッカー側からの身代金要求に応じ440万ドル(約4億8000万円)を支払ったことを認めた。ウォールストリート・ジャーナル紙電子版が19日報じた。
コロニアルが身代金支払いを明らかにするのは初めて。
(共同) >>956
教科書に載ってないだけ
土木の変以降だとアルタン・ハーンが庚戌の変を起こしたし
アルタン・ハーンはチベットや中央アジア方面へ勢力を伸長してる
このアルタン・ハーンの後、元々その傾向はあったが、
モンゴルは長い分裂と内乱の時代に突入するが
その一部が後金ハーンを大ハーンとして推戴して中原に再度侵入
これが清朝 モンゴルに仏教が広まると、仏教は殺生を禁じているので、
モンゴル人もだんだん穏やかになっていったらしい 最大の喜び〜も字面どおりどうこうってより皆たるんでるからチンギスなりに喝入れようとしたのかもな
その点ジェベ&スブタイのキラーマシーンぶりは素晴らしいね >>961
違うと思うよ。
父イェスゲイが死んだ後、テムジンが母ホエルンに「状況はもっと悪くなる」という趣旨の発言をしたのと同じ冷静な分析だよ。
この人間の本性を見抜く冷静さがその後の成功をもたらした。 でもあの「最大の喜び」って、男たちを殺して妻と娘を強姦する、ではなくて、こっちの方が
強いと示せば、妻も娘もこっちになびいて我がものとなる、という意味なような気がする ダヤン・ハーンは混乱の時代を生きのびた唯一人の
チンギス・ハーンの子孫だったが、彼が何家の出身なのかは明らかでない
それどころかその生没年にかんしても史料の異同が激しい 何も知らんで物語読んだら前半生のナイトメアモードよく乗り切れたなと思う
そしてホエルンとカサルとベルグテイの重要性を思い知る、モンリクもか
王に相応しい人間って周りがほっとかないもんなのかね 漫画読んだだけだけど意味深な描写や詩的な表現に満ちた物語だな
歴史家も考察し甲斐ありそう、原典の作者どちら様なんでしょかね? モンゴル軍の強さ語る時決まって「ドルジが馬乗ってくる」とか言うけど
実際のところむしろ小兵の方が有利じゃねえかな?ネタにマジレスで何だけど
現実問題ドルジ選抜部隊作るにしてもごくごく小規模でしか編成出来ないだろうし・・・ >>661あたりの、鎌倉武士の捏造の蛮族コピペには大抵ソース無し
対馬壱岐を意図的に捨て駒にした?などソースもない
人質(てか対馬の女たち)が手に穴開けられて船に結付けられた、
その女たちは助からなかった、とあるだけ
(?鎌倉武士が殺した?なんて話はない)
> 去文永十一年(太歳甲戌)十月ニ、蒙古国ヨリ筑紫ニ寄セテ有シニ、
> 対馬ノ者、カタメテ有シ総馬尉(そうまじょう)等逃ケレハ、
> 百姓等ハ男ヲハ或八殺シ、或ハ生取(いけどり)ニシ、
> 女ヲハ或ハ取集(とりあつめ)テ、手ヲトヲシテ船ニ結付(むすびつけ)或ハ生取ニス、
> 一人モ助カル者ナシ、壱岐ニヨセテモ又如是(またかくのごとし)
『日蓮書状』、高祖遺文録
一応ソースあるのは、捕虜を南宋人以外は皆殺しにしたって話が元史にあるくらい あと高麗船はボロ船どころか竜骨入ったそこそこ頑強な船なだったのも追加
これは日本の大学の調査チームによって証明されてるから間違いない
ボロ船だったのは弘安の役の時の南宋船の方
その辺の話がごっちゃになってるからウヨのコピペは信用ならない
ソースを持って来て説明しても「どーせチョンの捏造w」とか言って
捏造であることを証明できもしないくせに都合の良い情報ばっかり信用する調子の良さ ウルスというのはもともと「遊牧民の集団」という意味の言葉だから、
ウルスを「国」と翻訳するのは本当はおかしいよな
本来のウルスはリーダーであるハンが交代するたびに集合離散するもの
ハン個人をリーダーとして認めれば従うけれど、気に入らない奴が
リーダーになれば従わない 元寇でモンゴル愚弄されるのほんと悲しい
まあ事実惨敗も惨敗だけどさ・・・大陸の戦果にも目向けようよ ジョチ→親に先立ち病死、チンギス大いに悲しむ
チャガタイ→オゴデイの後を追うように?死亡
オゴデイ→西方遠征中に急死、ヨーロッパ胸をなでおろす
トゥルイ→兄の身代わりで呪いの儀式がドータラコータラ死
なんかチャガタイだけあっさりというか不明瞭だよな
どうせロクな死に方じゃないんだろうけど >>972
結果だけ見ると元の侵略って大したこと無くね?って思うけど、
その2つで差し向けられた軍の大半は南人とか漢人とかばっかでモンゴル人は司令官クラスしかいない
実効支配している地域の関係上モンゴル人ばかりでは頭数が足りなかったんだろうが、
実態としては元軍というのは”中国軍”でしかない
実際弘安の役の大半であった南人は、
南宋を征服した後で扱いに困った南宋兵達を”捨て駒”として使っただけだった 旧南宋の兵士が征服戦争に参加できるのは失業対策の社会福祉政策という位置づけもできるけどね
征服後の植民を考えて鋤や鍬まで船に持ち込んでいたわけだし >>975
元寇でモンゴル人は司令官クラスだけなんてことは絶対ない。
そんな馬鹿な編成したら、台風の後で南人とか漢人とかがモンゴル人の司令官を置き去りにして逃げる。
元史にはモンゴル兵40万人を動員したと書いてある。 【植民地支配を受けたことのない国】圧倒的な強国の襲来を退けた日本、「神風か、ただの運か」=中国[6/12] [首都圏の虎★]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1623465896/
日本はアジアでも数少ない「植民地支配を受けたことのない国」だが、その歴史を紐解けば、何度か危機が存在した。たとえば、鎌倉時代には2度にわたって元(モンゴル)の襲来を受けている。もし元の打ち払いに失敗していたなら、今の日本はなかったかもしれない。中国メディアの快資訊は7日、圧倒的な強国だったモンゴル帝国が、日本を征服できなかったのはなぜかと問いかける記事を掲載した。
蒙古襲来の失敗は、日本では一般的に「神風に助けられた」と言われているが、記事はこれを否定し、「単に気象条件と運が良かったことが勝因だ」と主張した。元軍は、準備を万全にして大軍で攻めたので、2度とも成功しておかしくなかったと記事は伝えている。
1度目の文永の役では、総勢3万2000人の兵を率いて壱岐を難なく攻略し、博多湾へ上陸するところまでは「元のシナリオどおり」だったと主張した。戦争に熟練していて火薬兵器もあり、戦闘力・士気ともに日本より高かった元が破れるはずはなかったが、暴風雨に遭いやむなく撤退したと伝えた。
2度目の弘安の役では、雪辱を晴らすべく元はじっくり戦略を練って臨んだという。記事は、「九州には大型台風が多い」ことを学んだ元は、弘安の役では台風の時期を避けて攻めたと紹介した。しかし、日本に到着するまで思いがけず時間がかかり、やはり暴風雨に襲われて成功しなかったと伝えた。 中国で暴れ回る日本人に全く歯が立たないモンゴル軍w
日本側の史料:『太平記』
「結局此賊徒数千艘の船をそろえて、元朝高麗の津々泊々に押寄せて明州福州の
財宝を奪い取り、官舎寺院を焼き払いける間、元朝三韓の吏民是を防ぎかねて、
浦近き国々数十箇国皆栖む人々もなく荒れにけり。」
モンゴル帝国側の史料:『論倭』
「今の倭奴は昔の倭奴とは同じではない。むかしは「至弱」と雖も、なお敢えて
中国の兵を拒まんとする。いわんや今は険を恃んで、その強さはまさにむかしの
十倍に当たる。さきに慶元より航海して来り、艨艟数千、戈矛剣戟、畢く具えている。
(中略)その重貨を出し、公然と貿易する。その欲望を満たさなければ、 城郭を
燔ゼツして居民を略奪する。海道の兵は、猝かに対応できない。」 >>970
竜骨って何だよ。14世紀の高麗にキールを入れる造船技術などないぞ。
江南軍の船舶に被害が多かったのは元々長江沿岸を守備する水軍の河川航行用の
喫水の浅い船を転用したから。 元朝秘史の作者って何者だろうな
作家としてはどういう評価だろ自分は素直に凄いと思うけど 普通にチンギス・ハーン一族の子孫だと思うよ
そうじゃないと開祖チンギスによる兄弟殺しを暴露できない 日本で手軽に読めるモンゴル時代の史料としては十八史略がある。
十八史略は歴史書としての評価が低く、学術的には完全に無視されてるけど、
モンゴル時代については元史はもちろん、宋史、金史よりも成立が早く、
同時代史料としての価値があると思うんだよね。 成立年代早めにとるなら長寿の古参という線もあったりして
それこそ当事者たるベルグタイとか・・・ねーか そもそもチンギス・ハーン一家の貧しいころを伝え聞いて知っている人は親族か股肱の重臣しかあり得ない ああいう歴史書ってどうやって作るんかね「取材」とか 【歴史】モンゴル帝国の衰退は寒冷化→免疫力の低下→ペスト大流行(パンデミック)→基軸通貨たる銀の不足 [かわる★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1626936604/1 上海協力機構は現代のモンゴル帝国
元:中華人民共和国
キプチャク汗国:ロシア
チャガタイ汗国:中央アジア諸国
イル汗国:イラン(オブザーバー)とトルコ(対話パートナー)
ムガル帝国:インド >>942
テュルクでもオグズ系だからアナトリアにはいってくるよか何百年も前に農耕化してるでよ >>960
元寇のクビライ皇帝も先鋒の高麗も迎え撃つ日本も仏教徒だっけれどね。
弘安戦役では、モンゴル人高麗人の捕虜を惨殺。 >>969
鎌倉御家人宗も大概やで。
船べりに日本人吊るすのを見て「あれが有効な戦術と思ってるのか、味方に矢を射かけたくないんやな?」と、
生け捕ったモンゴル兵を盾に縛り付けて応戦の矢よけに使った。 >>977
モンゴル帝国の兵だからモンゴル兵ではないの? >>978
その暴風雨のことを神風と呼んでいるし、天候が日本方に味方したというもにも矛盾が無いだろ。
お店頭様は神様の領分だから、風も神様の采配だでよ。 昭和からワープしてきたんかよってくらい古臭い歴史観だなぁ・・・
子供はお外で遊んどいで 以下動画の導入部分でネクタイの話でてくるんだけど、遊牧民が起源なのはネクタイじゃなくて立て襟じゃないかな?
【LIVE 8/27 16:00?/ゲスト:楊海英(静岡大学教授)】『宮崎正弘の生インタビュー #12』ウイグル、チベット、南モンゴルを忘れるな...
https://youtu.be/iHYYoc4DLw4 この七年間のチンギス・ハーンの中央アジア遠征の結果、この地方の様相は一変してしまった。
ホラサン地方はそれまで人口が多く、都市や農園が連なった豊かなところで、イラン人の文化の中心であった。
拝火教の教祖ゾロアスターもホラサン地方の出身であったといわれる。
ところがチンギス・ハーンのモンゴル軍の侵入で多数の人々が殺され、都市は破壊され、
さらにオアシスの緑を支えていた灌漑設備が大損害を受けたために、この地方は沙漠化し、人口は激減した。
そしてこれまでの住民のイラン人に代わって、北方からトルコ系の人々が入り込んでくるようになった。
もとのホラサン地方の北半分は、現在、トルクメニスタン共和国に属しているが、トルクメン人は北方から入り込んだトルコ人である。
チンギス・ハーンのモンゴル軍が、この遠征でかくも破壊をほしいままにした理由は、
この地方が遊牧民の好きな環境の草原地帯でなかったため、人手と財貨の掠奪にしか興味をもたなかったからであろう。
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