ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ7
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ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ
識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
貨幣経済 → 物々交換
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 → 重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配
前スレ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1571656047/ なぜ中世ヨーロッパは厳格なキリスト教を受け入れたのでしょう?
そこにはもちろん、合理的な理由があったのです。
最大の理由は中世の貧しさです。
禁欲のキリスト教は貧しい中世の荘園世界にジャストフィットしました。
それ以前…古代ギリシアやローマの時代は豊かでした。
なぜなら地中海を支配していたからです。
温暖な気候の中、各地域はそれぞれの特産品の生産に特化し、海上貿易が盛んに行われていました。
人々はその経済力で食と性の享楽にふけりました。
しかし、ゲルマン民族の大移動で西ローマ帝国は崩壊。経済秩序が破壊されます。
またイスラム勢力に地中海の制海権を奪われ、貿易も不可能になりました。
ヨーロッパは深い森の中で、小さな村(荘園)単位での自給自足体制を強いられます。
中世とは都市も海も失ってしまった時代。
人々はアルプス以北の寒冷な森に入って行きました。
地力もなく、流通もなく、深い深い森の中にある小さな村での自給自足。
その貧しさに耐えるため、中世は神への強い信仰を必要としたのです。 なぜローマ崩壊後の欧州における文化生活水準が一気に下がったかというと、通常は古代の農村や都市社会は地産地消で
自分たちの必要分はすべて生産できたが、古代ローマではすでに比較優位にもとづく産業の地域分担制が確立されており
高度に発達した流通路を使って庶民でも遠隔地で作られたそれら生活物資を使うことができた
しかしこうした各都市間が互いに依存するシステムは一度交通が遮断されると一挙に石器時代まで戻ってしまうことすらありえる ブライアン ウォード=パーキンズ (著)、南雲 泰輔 (翻訳)
『ローマ帝国の崩壊 文明が終わるということ』(白水社、2014年6月20日)
ローマ帝国末期にゲルマン民族が侵入してきたとき、
ローマ社会や経済に何が起き、人々の暮らしはどう変化したのか。
史学・考古学双方の研究を駆使して描く、激動の時代の実態。
ギボン『ローマ帝国衰亡史』以来長らく、ローマ帝国は衰亡し崩壊したというのが常識だった。
ところが一九七〇年代以降、研究者のあいだでは、それまで主流だった政治・経済面を中心とした研究に対し、宗教や社会に着眼することで、
「衰亡」とみなされてきた時代を独自の価値を持つ「古代末期」という新しいポジティヴな時代と捉え直す動きが起こった。
さらに九〇年代になると、考古学的史料を用いて、ローマ帝国はやはりある時点で「崩壊」したのだという事実をつきつける研究者があらわれた。
著者ウォード=パーキンズもそのひとりであり、本書では、何がどう問題なのかというレベルからわかりやすく解説しつつ、
「ゲルマン民族が侵入してきたとき、経済や社会に何が起き、人びとの暮らしはどう変化したのか」を、文献史料や陶器・家畜の骨・建築物(の跡)などを使い、
史学・考古学双方の研究を駆使して描き出している。ローマ帝国の洗練された生産・流通システムがひとたび崩壊してしまうと、
地域によっては先史時代の水準にまで後退し、回復には数世紀を要したという事実は、かなり衝撃的である。
英国ペンクラブのヘッセル=ティルトマン歴史賞受賞。 神崎 忠昭『ヨーロッパの中世』
近現代に結実する、豊穣なる中世
―― 中世とは真に暗黒の時代だったのか。
「ローマ」「キリスト教」「世俗権」「都市」「国民」「科学」など、ヨーロッパの基底となるキーワードから読み解く。
▼ヨーロッパ史を学び直したい人のために。
中世ヨーロッパは確かに暗黒の時代であった。しかし、近代において飛躍するヨーロッパを育んだ豊かな苗床の時代であったともいえる。
「ローマ」「キリスト教」「世俗権(王権・帝権)「都市」「国民」「科学」などのキーワードから中世ヨーロッパ史を読み解き、近代の「人間」の時代へと誘う。
▼中世を読み解くための6つのキーワード
【ローマ】中世人は模範として仰ぎ見た。政治的にも文化的にも深い刻印を残したが、中世は古代ローマの繁栄を1000年以上も超えられなかった。
【キリスト教】中世人の心を絶対的な規範として律した。人々はそのメッセージを遵守し、理想に殉じたが、時に軽んじ、自らの利益を優先した。
【世俗権】君主個人の能力やカリスマに基づいたが、教会との闘争を経て宗教性を減じ、官僚制と軍を備えた近代国家へと脱皮した。
【都市】西欧の復活にともない、社会全体の成長のエンジンとなった。生活を向上させるだけでなく、新興階層を出現させ、新しい文化を生み出した。
【国民】帝国でもなく宗教でもない、ヨーロッパが生み出した新しい統合の絆である。現在に至るまで世界を支配している。
【科学】近現代におけるヨーロッパの繁栄の源泉となった。技術を手がかりに、理論を実験や観測と結びつけ、新しい合理的な世界観を生み出した。
・・・そして【人間】へ・・・ 艱難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ず。
急いで得た富は減る。少しずつたくわえる者はそれを増すことができる。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。
明日のことを思い煩うなかれ。明日のことは明日思い煩え。一日の労苦は一日にて足れり。
いつも与えなさい。そうすれば、人々はあなた方に与えてくれるでしょう。
「眼には眼を、歯には歯を」といえることあるを汝ら聞けり。
されど我は汝らに告ぐ、悪しき者に抵抗うな。人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ。
暗いと不平を言うよりも進んで明かりを点けましょう。
狭い門から入れ。滅びに通じる門は広く、その道はなだらかでこれに入るものは多い。
人生は短く、苦しみは絶えない。花のように咲き出ては、しおれ、影のように移ろい、永らえることはない。
己を愛するごとく、汝の隣人を愛せよ。
自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。 かんこくがかんじをはいししはんぐるのみにしたのはしっぱいだったな
にほんごにたとえるとすべてかなでひょうきするようなものだしね
はんぐるだけだとよみにくいうえにどうおんいぎごにまったくたいおうできない
こうしてかんじごにゆらいするじこくごをどんどんうしなっていった
ゆえにかんこくじんはにちじょうをはなれたこうどなぎろんや
ちゅうしょうてきなぎろんをするのがむずかしくなった 東ローマ帝国が東地中海の大帝国として復活した9世紀になると、
宮殿や教会・修道院が多数建設され、孤児院や病院のような慈善施設も建てられた。
古代ギリシア文化の復活とそれを受けたビザンティン文化の振興も進み(マケドニア朝ルネサンス)、
コンスタンティノープルは東地中海の政治・経済・文化・宗教の拠点として、
またロシア・ブルガリア・イスラム帝国・イタリア・エジプトなどの各地から多くの商人が訪れる交易都市として繁栄を遂げ、
10世紀末から11世紀初頭の帝国の全盛期には人口30万〜40万人を擁する大都会となった。
当時の西ヨーロッパにはこの10分の1の人口を抱える都市すら存在せず、
コンスタンティノープルはキリスト教世界最大の都市であった。
※現在のスペイン領のコルドバはコンスタンティノープルに匹敵する大都市であったが、
当時のコルドバはイスラム王朝・後ウマイヤ朝の支配下にあった。
また2世紀の古代ローマ(都市)は100万人を超える住民を抱えていた。
西洋において再びこの人口に匹敵する都市が現れるのは19世紀になってからのことである。 十字軍運動の魅力の秘密
もともと十字軍は一部の騎士に対する呼びかけであったが、
やがて膨大な人数を動員して移民活動のような状況を呈することになった。
十字軍への呼びかけというのは当時のカトリック教徒にとって魅力のある言葉だったのである。
東方のビザンツ帝国やイスラム諸国がもたらす発達した文化や洗練された工芸品や文物、
富は西欧の人々を魅了していたのである。
下級騎士は封建制度の息苦しさと貧困から逃れようとし、農民や職人も貧しく困難な日常から逃れたいという気持ちを持ち、
東方には豊かで文明的ではあるが柔弱な世界が広がっていた。
西ヨーロッパ中世におけるキリスト教徒の2つの生き方、聖なる戦士と巡礼者が一つに結びついたのである。
戦闘に参加した者に免償が与えられる、あるいは戦闘で死んだ者が殉教者となりうるというのは、
十字軍運動の中で初めて生まれた概念であった。
そして十字軍に参加することで与えられる免償は、エルサレムへ詣でるという巡礼者としての免償と、
キリスト教戦士として戦うという免償の二重の意味があるため、どちらにせよ免償を受けられるというのが魅力であった。
このように宗教的なものから、世俗的なものまで、さまざまな動機によって十字軍運動に身を投じたのである。 他にも、貴族の男子は嫡子以外は独立しなきゃならんかったから、
そのための土地を求めて・・・って理由もある
11世紀当時、いいかげん西ヨーロッパは開拓しきったので親から相続できる土地に限界が出てきた
兄弟で分割相続していったら際限なく小さな土地になっていくしね まあ暗黒の中世あってこそのヨーロッパ近代だからなあ・・・ >>12
厳格だけど、あれはユダヤ教が積極的に布教して信者を増やす宗教じゃなく、
ユダヤ人のみの閉ざしたコミュニティだからまだ良かった
キリストの目指した改革派ユダヤ教をリデザインしたキリスト教は、
国家を管理するために愚民化政策を行うための宗教
国家単位で厳格な教えを強制するため、為政者にとって民衆の管理には都合が良かったが、
その分迷信などにより社会の発展が遅れてしまう欠点があった。
一神教は正しい知識とそれを理解する頭が無ければただの迷信になるのを
キリスト教は歴史的に証明してしまった感じ。
都市型定住民の宗教で思ったほど厳しくないと言われるイスラム教ですら、
正直この傾向を否定することはできないと思う http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/018/157/89/N000/000/000/125481428609216132572.jpg
132 <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 2011/05/20(金) 19:51:34.91 ID:EdrCPrGF
>>86
大韓帝国
(大=Greatが付く帝国ってのは、どこか他国を占領・編入したか、
複数民族・言語で成っている帝国の場合なので、
それもないのに、大=Greatを僭称するのはおかしいと
英仏ロシアから何度も忠告されたが、理解出来ず無視ww)
初代皇帝である高宗
明治天皇に嫉妬、対抗するため、服装だけ急遽真似した。
やけに小さなプロシア式突撃兜をかぶってるのはおかしいのだが・・・・
部下も本人もアホで、何にも調べず、適当にかき集めたから・・・
ドイツ帝国陸軍歩兵帽に、歩兵用ベルト、剣はフランスの軽騎兵のものw
フランス騎兵の歩兵ズボンなんかをかき集めたw
上着は英国騎兵馬世話係の古着らしい。
アイロンもかかってないし、お披露目した途端に各国大使の物笑いにされた。 生活面で言えば京阪神や名古屋が一番バランス良くて暮らしやすいよ。
大都市の割には住居費・物価が安いし、商業施設や娯楽などの一通りのものは揃ってる。
イベントや巡回展も基本的に回ってくるしね。
仙台や広島は都市のレベル的に色々物足りないし、
札幌や福岡はそこそこ都会だけど、東京・大阪まで遠過ぎるから、
ちょっと遊びに行くだけでも交通費や宿泊代がかかりまくって大遠征になってしまう。
金持ちなら東京が最強だけど、住居費が高過ぎるから庶民にはきつい。 >>11
キリスト教は関係ないよ
西欧の覇権はルネサンス、大航海時代、産業革命、帝国主義の流れ 西ローマ帝国崩壊後
ローマ人「文明が崩壊してしまった・・・orz」
ゲルマン人「ウホッ、ビール飲む?」
こんな感じ? ローマをイスラムに比定すると
東ローマ=ホラサン
イタリア=イラク
ガリア=エジプト&シリア
イスパニア=マグリブ
ブリタニア=アンダルシア
ダキア=タジキスタン
ゲルマニア=トルキスタン
アルメニア=アフガニスタン
ササン朝ペルシャ=インド ローマをマケドニアに比定すると
東ローマ=セレウコス朝
テオドシウス1世=セレウコス1世
アルボガステス=リュシマコス
ゲルマン人=ケルト人
コンスタンティヌス1世=リュシマコス
クリスプス=アガトクレス
ファウスタ=アルシノエ2世 支那朝鮮みたいな後進国持ち上げたくて仕方ない頭のおかしいパヨクが住み着いてるな どっかの外国人に「中国ってどういう国なんだ?」って聞かれたから
ローマ帝国が現代まで残ってるみたいなもんだと説明した
未だに古代さながらの奴隷制で人権もないくせに
「お前らの文明は我々が与えてやった!感謝しろ」と威張ってる連中だと ローマ帝国と漢王朝ってどっちが栄えていたの?
双方の全盛期で比較したら >>18
『文明が崩壊した』ってのはローマ側に属していた人間などから見た一方的な意見だからね
とはいえ、ローマ帝国時代からある水道橋を活用できないなど、文明が退行したことも事実。
ゲルマン人側の視点からすると、散々バカにされて利用され続けたからブチ切れたというところ
西ローマ帝国の崩壊はそのフン族の侵入から始まるゲルマン諸民族の大移動、破壊・略奪
───の流れの中で西ローマ帝国なるものが徐々に形骸化していった結果起きたもので、
オドアケルが西ローマ皇帝の印を東ローマ皇帝に返上した当時は
「文明が崩壊してしまった」じゃなく、既にそんなものはあって無いようなものだった。
ガリア・ヒスパニア・イタリア半島などの各地のローマ人は
現地のゲルマン系・スラブ系の支配の中、それらと同化して消えていった
ローマ系住民は中世の中期ごろにはほぼ同化しきって、自らの祖先が如何なるものだったかも忘れている 五胡は漢族に吸収されたけど
西欧だとローマ人がゲルマン人と融合した
という具合かね >>28
ローマ化されたゲルマン人支配層の一部にゲルマン風俗が残った
って感じじゃないかね (しかし、スラブ人の侵入なんて西ローマ崩壊してからずっと後、それもローマ帝国領域には入れていないのにスラブ人支配層ってなんぞ?) パンノニアやイリュリアとかバルカン西部は西ローマ領 イスラム教国でもトルコだけは普通に飲酒してるよな
なんであそこだけ緩いんだろう?遊牧民の気質? イスラム教はもともと遊牧民の宗教なんですがそれは
アッバース朝時代のバグダードには酒屋が繁盛しててカリフですら公然と飲酒してたぐらいだから
むしろ何でトルコ以外の国が厳格に戒律を守るようになったかを考えたほうが良いと思う キリスト教におけるプロテスタント的な運動として捉えてるんだけどな、ワッハーブ派や原理主義 大酒飲むなとしか書いてないのに醤油に含まれる
微量のアルコールもいかんとか原理主義過ぎ アブラハムの宗教は全て基地外カルト
ユダヤ教 超選民思想(ユダヤ人マンセー主義)
キリスト教 磔にされた裸体のおっさんがご神体
イスラム教 死後は天国で72人の美処女(やる度に処女回復)とセックスし放題 結局最後までローマ化しなかったゲルマン人だが
キリスト教はあっさり受け入れたな
布教のため森に入っていった僧侶たちはさながら
底辺高校に赴任する熱血教師みたいだ
(無論、所詮相手は蛮族なので殺された人も多かったみたい) ゲルマン人「ウホッ!金、食い物、女子供、全部寄越せww」
ローマ人「蛮族いやあ」
神父「そんなあなたに朗報。神を信じれば救われます」
ローマ人「カルトはもっといやあ」
西ローマ帝国滅亡後・・・
神父「そして主は汝、隣人を愛せよと仰ったのです」
ローマ人「ウホッ」
ゲルマン人「ウホウホ」
完 イエス「実は鞭で打たれて気持ち良かったなんて言えない///」 ユダヤ人「バビロニアやローマに国を潰されて世界中に散らばったけど、2000年ぶりに約束の地に国家を再興出来たよ」 何度も国を滅ぼされても、不死鳥のごとく復活するポーランド格好良い イスラム世界には中世でも今でもわずかにだがキリスト教徒(コプト教とかな)がいるけど
中世ヨーロッパにも隠れイスラム教徒とかいたんだろうか?
もしいてもバレたら魔女裁判で悪魔崇拝の罪で処刑だから表の歴史には残ってないだろうけど 分からんのはアフリカとかインドにもキリスト教徒がいたとか
プレスター・ジョンかい? 中世ヨーロッパには隠れドルイド教徒とかがいただろう >>41
改宗っても結局ゲルマン部族王とかトップを改宗させたのがいちばん
効果があったわけだから、底辺高校もボスとクイーン生徒をまずは鍛えなおすのが効果的
とかビジネスマンが学ぶ世界史とかの本に書かれてそう ユダヤ人は(時々ポグロムしちゃうけど)いちおう合法的に居住してたんだし、イスラム教徒もそのくくりじゃあかんかったのかね?
シチリア王国にはノルマン征服後もアラブ人コミュニティが残ってたそうだが、中世カトリック世界ではレアケースだねえ。 東欧北欧では初めて改宗した部族王が列聖されて〇〇聖王、〇〇聖公と呼ばれてることが多いね。 イベリア半島のイスラム教徒もレコンキスタ後はみんなアフリカに帰ったのか キリスト教から見て、ユダヤ教・イスラム教は異端なのか異教なのか距離感が分からん。 >>52
再征服戦争の降伏条件で信仰の自由を保証されてたはずが、短いと10年、長くても半世紀くらいでテノヒラクルーで「改宗か追放か選べ」で多くは改宗した。
でもその後長いこと「あいつら実は隠れムスリムだろ」ということで異端審問で痛めつけられたみたいね。 残っても息苦しそうだな
俺がその立場ならさっさとモロッコに逃げるわ >>56
そもそも、イベリアのムスリムは生活習慣は北アフリカのモロッコとは異なり、イベリアのキリスト教徒と近かったわけで、そんなに簡単な話ではない >>57
日本での生活しか経験してない在日3世が南朝鮮に帰国して暮らすようなものかね >>34
あの宗教は実利優先ですよね
生で食ったら危ないから豚肉禁止
女が肌見せると男がムラムラして風紀乱れるから女は肌見せんな
戦争で突撃して欲しいから、死んだらバルハラいけるぜ!と言っとけ
すごいなーと思う >>45
あれ国民の中身ごっそり入れ替わってね?
ギリシャ並みに >>46
レコンキスタでウホウホ言ってたあたりはやばそうね ゾロアスター教は今でも細々と存続
ミトラ教、マニ教は絶滅 インドの仏教もイスラム教徒の攻撃で死滅したが
いつの間にか復活 イランがホットだねえ
世界初の覇権国家アケメネス朝を生んだイラン
現代のローマ帝国アメリカ
因縁の対決 >>60
ポーランドは分割前にも、中世の時点でモンゴルの侵攻後に人口不足を補うべく
ドイツ人の東方植民を大量に受け入れているので、民族的にも文化的にもドイツの影響をかなり受けてる
ポーランド内にあったドイツ騎士団領プロイセンは一度ポーランドに負けてポーランド領プロシアとして封建家臣となるが、
その後プロイセン公が断絶するとプロイセン公の本家であるブランデンブルク選帝侯ホーエンツォレルン家に併合され、
しかし飛び地だったため時間をかけてプロイセンはポーランドから独立しつつ飛び地を繋ぎ、
プロイセン公からプロイセン王に昇格しプロイセン王国が完成、そして弱体化したポーランドを分割へ・・・
という流れになるが、こういう歴史的過程を踏んでいるため、旧プロイセン王国領だった地域には
多数の『ポーランド系ドイツ人』が住んでいる。
(なお現在プロイセンの旧首都だったケーニヒスベルクは二次大戦後に旧ソ連に併合され、
その直前に市民はドイツ本国に亡命、以後同都市は”カリーニングラード”と改称された)
旧プロイセンとポーランドの国民は色んな意味で歴史的に不可分だ。 >>59
>女が肌見せると男がムラムラして風紀乱れるから女は肌見せんな
こんなことハーディスにもクルアーンにも書かれてないけどな
せいぜいクルアーンにせめて胸はヴェールで覆って隠すべきだとあるぐらい(コーラン24章31節)
これも20世紀初頭までは乳房が完全に露出しないかぎりは問題ないという解釈でこのため
ドレスコードの厳しかった同時代のヨーロッパではイスラム女性のブロマイドは飛ぶように売れた
https://www.pinterest.jp/pin/492018328026109795/
https://www.pinterest.jp/pin/845973111230844732/
ttps://www.pinterest.jp/pin/394487248606508601/
https://www.pinterest.jp/pin/714172453380233887/ >>60
あまり入れ替わってないだろ
遺伝子からみればな 中国の歴代王朝ですら直轄領にするのを避けた朝鮮半島
文禄慶長の役でも朝鮮の領地を欲しがる大名はいなかった
ふむ・・・ ヴァンダル族は王国滅亡後は故地のゲルマニアに帰ったようだね >>68
じゃあブルカやらニカブやらで完全に顔面まで覆ってるのは
現代に入ってからの極端な解釈なんだな
中東じゃないがアフガンもイギリスやらロシアやらが介入してくる前までは、
そこまで厳格じゃなかったそうだしな
彼らの文化が厳格化したのは、やっぱり西洋への対抗意識のせいなのかね? 完全に顔まで隠すスタイルは中世から普通にあったみたい
だからモンゴルとかスパイを送り放題だった >世界最初の覇権国家アケメネス朝
最近アッシリアがなかったことになってる発言多いな オリエント統一したとはいえ
ペルシャ、マケドニア、ローマに比べたらスケール小さいね >>78
一応、複数の文明を越えて支配した最初の国ではある >>67
ポーランド国内でも地方ごとに混血度が違うのだろうが、
「オレたちこそが純潔に近い」とかいってる地域とかあるのかな >>74
70年代のアフガン
https://www.youtube.com/watch?v=_3Xf2THmmAo
モボモガが闊歩していた大正から一変して国民服とモンペばかりかになった昭和初期と通じるものがあるな ヨーロッパなんて程度の差こそあれ混血の坩堝だろ
バスクみたいな他民族を寄せ付けない地域ならともかく >>71
ネトウヨって授業中寝てたの?
楽浪郡って聞いたことない? >>82
モガモボって銀座とかの大都市の中心のイメージしかないけど、
日本中の都市で闊歩してたのかな 朝鮮半島は煬帝や李世民、唐の高宗、遼の聖宗、紅巾軍の関先生、破頭潘など
中国史上のレジェンドクラスに辛勝ながら勝利を納めてるから直轄統治できなくてまぁ当然 >>81
さすがにそれは良く知らない
強いて言えばポーランド側のドイツ系は二次大戦後、
ポーランドのユダヤ人の報復も相まって凄い差別を受けたことは聞いたことがあるが。
あと今調べたんだが、ドイツ東部にはポーランド系以外に、
ポーランド系とは違うスラブ系の民族であるソルブ人が住んでいる
大部分でドイツ人と混交しているので、ソルブ語には大部分でスラブ系の語彙の名残が見られるとか。
ポーランド系のみならずソルブ人なども含めて、東ドイツはスラブ民族との関わりが深いようだ。
思えば古代のヴァンダル人もこの辺りの出身だっけ 書き忘れてたけど、そもそもポーランドって中世にリトアニアと同君連合化してるから、
リトアニア人ともある程度混血していると思うな
リトアニア人はバルト系だが、過去にはルーシの一部だった歴史がある。
そしてリトアニアを含むバルト三国は、リヴォニア騎士団の植民の影響である程度ドイツ化もしている
だからあの辺の諸民族の境界線なんて酷く曖昧だと思うよ
各国の右翼・民族主義者がどう思ってるのかは知らんけども >>86
自己レス
ばあちゃんに確認した
地方都市にもいたそうだ 繁華街に
さすがに住宅地を闊歩していたわけではないが 秦や楚が夷狄視されてたのは事実だが具体的な民族名は確証がないからね >>82
パシュトン族がコーカソイドであることがよくわかるな >>88
どこかの新書にシレジア人をテーマにしているのがあった
ドイツ系とスラブ系の混血と言う趣旨だったな
東部ドイツと西部ポーランド
北東部ポーランドとリトアニア
南部ポーランドと北部ウクライナ
ここらへんは時代によっては混然一体だろう >>82
そこら辺は欧米によって「演出された自由」があるので真に受けない方がいいかと
良く欧米で持ち出される比較でタリバン支配後は退行した、みたいなこと言われやすいが、
現地の声がホントに脱イスラム化に傾いてたかどうかは疑いの余地がある プロイセン征服をドイツ騎士団に認めたことがポーランド史上最大の失敗 ネトウヨの差別主義者は底辺低学歴の
偏差値30だから来ないでくれないかな
レベルが落ちてしまうんだ ドイツ騎士団の内輪揉めがポーランド回廊を作り出し後の禍根に
やはりゲルマンは土人 >>96
ついでに言うと、リトアニアとベラルーシの文化も不可分
リトアニア大公国時代から現在のベラルーシ地域はリトアニア領だったが、
そこにポーランド化したリトアニアの貴族が大量に移住したらしい 今のベラルーシの史的アイデンティティはかなり曖昧模糊としてるなあ。歴史教科書ではトゥーロフ公国あたりから書き起こすらしいが。
ミツケーヴィチみたいにポーランドベラルーシ双方から自国の偉人とされている人もいるし、コシューシコも実はベラルーシ士族で生家も今のベラルーシ共和国にある。リトアニアのミンダウガス大王の古都ノヴォグルドクもベラルーシ領内。
ただ、今のベラルーシでは独裁者ルカシェンコがコスモポリタン、弾圧されてる民主派が民族主義という妙な捻れがあるので、歴史教育は「我が国はルーシ、リトアニア、ポーランドの影響が混淆して出来上がりました」となってるそうだ。 >>97
娯楽施設全廃、音楽映画禁止、女性の外出の禁止、公開処刑の復活、女子教育撤廃、少数民族弾圧
アヘン密輸とかほんとタリバンの政策には見るべきものがないぞ
日本だとアメリカ憎しでタリバンマンセーしてる極左とかいるけどなバカとしか言いようがない >>106
スマン、俺の言い方も誤解を招いたようだ
アフガンがタリバン政権支配期にアンタの言ったような政策を行っていたのは間違いないし、
それに反論する気はない。
ただ、ヨーロッパ勢力が介入してくる以前のアフガンがこれほど極端ではなかったと思う
欧米支配が余りにも開放的過ぎて現地住民は急激な変化についていけないパターンが多いんよ
だからタリバンを支持してしまって、結果反動による再イスラーム化に結びついてしまうケース
「ここまでの厳格化は望んでない・・・」と思っても、時既に遅し的な?
アフガンはともかくでも、イランではこのパターンだった >>105
コシューシコはベラルーシ人だったんか
最も当時はそんな民族意識はなかったかもしれんが >>109
ポーランド化したベラルーシ人なんだろうな。
世界遺産になったミール城の最後の城主スヴャトポルク=ミルスキー公爵家なんかはリューリク裔のロシア貴族だが、信仰も言語もポーランド化していた。そのミール城は今はベラルーシ領内。 >>107
アフガン侵攻したソ連に言ってくれ
ロシア人に理が通ずると思うならだが >>111
ソ連のアフガニスタン侵攻は、英国と米国の失策もかなり大きなウェイトを占めると思うよ
あの重要な地域を勢力のパワーの空白地にしたら、そりゃソ連としては出て行かざるを得ない
別にソ連擁護ってわけではなく、地政学的な意味の話だけど
ターリバーンって、結局のところそういう地政学的な地位への反発と自立が根源としてあるんでないのかね
奴らマジで人類史的にはゴミ屑みたいなことしかしてないが イランもよく分からんよ
近代化政策を取ってたパーレビを追い出してホメイニを迎えたなら
清貧に徹して暮らしていればよかろうに、経済の不調に不満だとかで
しょっちゅう揉める
なら聖職者に政治やらせるなと まあアフガン侵攻がソ連崩壊を早めたからエエんでねーの >>113
イラン人と清貧
一番マッチしない組み合わせだよね
パキスタン人とイラン人だけは信用しないと決めてる >>112
戦国時代武田信玄が天下とったら同じようになってたかもね
身内以外なんでもあり イランは突撃隊が粛清されずに残り、石油と国外からの援助のお陰で財政破綻もしなかったナチスドイツみたいなもん。
共産主義者から自由主義者、イスラム原理主義者まで幅広い層が一緒になってシャーを追放したが、最終的にイスラム原理主義者が勝ち残ってイスラム国家になった。
政権掌握の過程で活躍した愚連隊が粛清されずに残り、半分以上がphd持ちの閣僚はじめ上層部はインテリ揃いになっているが抑えられない。
イェニチェリやらマムルークやら近衛兵やらが既得権層になって暴れる帝国あるあるの状態。ホメイニの孫で政治やってたのは大抵反神権政治だが幽閉されたり失脚してる。
別の言い方をすると、攘夷派が解体されず、天狗党が内ゲバで滅ばなかった明治日本みたいなもんです。 逆に言えばそれが国民の体質だろう
天狗党にしろ突撃隊にしろ、結局浮いた存在になって消滅したが
革命防衛隊はそうならなかったと >>113
そもそもイスラムは清貧なんか奨励しない
商人の宗教やで >>119
ムハンマドが覇権を握る為の手段として、
砂漠の遊牧民に布教してその武力を当てにしたつけだな。 そしてシーア派(の十二イマーム派)はイランにおいてペルシア人の民族宗教と化した
結局どんな宗教でも地方の文化に同化する
本来は中東発の宗教にも関わらずヨーロッパ化したキリスト教とかな イスラムがアルコール禁なのは、始祖が飲まなかったというのもあるが
創業のとき、ワイン商人と対立し撃破したという可能性はあるのかな >>122
イスラム化したテュルク、モンゴルは飲酒を止めなかったし、
ペルシャ人もウマル・ハイヤームの様にワインを止めない層も多かった。 テュルク・モンゴルは馬乳酒のような酒は飲んでたが、
それ以外の酒はあんまり飲んでない感じ
オスマン帝国に至っては既に飲酒を止めていたのに
バヤズィト1世のように妻の影響でワインを嗜み始めた君主もいた >>124
テュルク語でアラク、モンゴル語でアラーキという
ウォッカの様な蒸留酒があるが。
それに、トルコには日本には輸入出来ない
70度のアブサンがあるよ。 大航海時代から交易が本格化した西洋だけど
中世の交易も捨てたもんじゃないって訳にはいかんかね >>126
ユスティニアヌスが来るまでは帝政末期よりは栄えてたけど… >>125
それは知らなかった
己の知識の補強になるので助かる
>>127
西洋というより、西地中海世界が、じゃない?
ゲルマニアやそれ以東の世界(東地中海世界は除く)はまだまだ田舎だったと思う
要するに、ローマ人が支配していなかったヨーロッパ地域のことだけど しかし南イタリアは何故後進地域になったのだろうか
やはりラティフンディウムのせいかね >>129
ナポリ近郊は、中世後期までは特にアマルフィを中心に特に欧州の先進地域の一角を成していた
だから、原因をローマ時代に置くのは個人的には違うと思う
アラゴン>フランス(アンジュー)>スペイン(ハプスブルク)と、くるくると入れ替わる外国勢力の支配者と
毎度のごとく繰り返される戦乱のせいで安定的な商工業の発達が阻害され、結果的に一次産業頼りの後進地と
なっていったんではなかろうか >>126
ヴァイキング「奴隷狩りしまくってイスラム世界に売り飛ばしてたわww」 >>131
実際、バルト海や北海で利用されていたクナールやコグは、外洋船として中世では非常に優秀な構造だったんだよな
その意味では、中世末期から始まる外洋の時代の萌芽として捉えるなら、地中海より北海の方が基礎となった部分は大きいのだろう 中世初期でまともな海軍持ってたのってヴァンダル王国と東ローマ帝国だけだな ドイツは元から分裂状態
イタリアは東ゴート王国滅亡以後ずっと分裂状態
ビスマルクとカヴールしゅごいわ >>129
かっては欧州より栄えていたイスラム世界に近かった
繁栄の中心が欧州になりさびれた、交易の中心地はオランダに移った
あ、>>134さんも同じことを書いていた >>136
わからなくもないけど、イタリア国内での南北格差の説明になってるかな?
130の説明のが近い気がする ローマが中心になったのって地理的になんか優位性あったの? >>139
バチカン+遺跡+明るくあたたかい気候で観光客が多いからでないのかな?
昔からイタリア旅行は欧州のあこがれ、今の海外旅行、江戸時代のお伊勢参り >>140
ホノリウスのような無能が在位長いってどういうことだよ!
ホント末期の西ローマの人材の無さってもう・・・ ゲルマン人が文明化するまで1000年かかったってことだよな ホノリウスの前世がハドリアヌスで
ユリアヌスはカリギュラの生まれ変わりってことだ ハドリアヌスはブリタニアに長城を築き
ホノリウスはブリタニアを放棄した >>140
どちらかが嘘の歴史って事なんじゃない? >>141
そもそもなんで三重県の県庁所在地が津なんだよ
歴史でいえば伊勢、街のレベルでいったら四日市が適任だろうに >>143
帝政初期から兵士や農民としてローマ帝国内で暮らすゲルマン人もそこそこいたがな
ゲルマニアにいるゲルマン人はマジもんの蛮族だけど 中国は漢が滅んでも魏晋南北朝時代を経て再び大帝国の唐として甦ったけど
ヨーロッパは西ローマ帝国滅亡以後、ルネサンスまでずっと暗黒の中世だったよな 西欧は11世紀以降はそれなり。
ペストの直前には1人あたりGDPで中東や中国を追い越していたらしい。
まあ人口を抑制して1人あたりの土地を多めに確保していたのが大きいけど。 シュメールからローマまで古代の壮麗な建築
があるが、もっと凄いのが古代ではこれらが
人間と家畜の動力だけで建てた事だ
蒸気機関や電力、クレーン車やダンプ、
ショベルカー、ドリル等が登場するのは遙か
後なのが逆に凄いと思う ペスト直前どころか大航海時代がはじまった16世紀あたりでも世界のド田舎だと思うけど
ヴァスコ・ダ・ガマが現地のインド人から身なりの見すぼらしさとヨーロッパからの持参品があまりにも貧相なので
笑いものにされて激怒してるぐらいだし >>151
一人当たりのGDPってなんの推計だか意味不明だが
13世期ごろとか、宋が世界の富の2/3を占めるとか言われていた時代なわけだが 今月末でイギリスがEU離脱か
栄光ある孤立の大英帝国の頃ならともかく、今は・・・ アメリカを倒す方法
・全面核戦争
・隕石を落下させる
くらいしか思いつかん
どっちにせよ地球崩壊するけどw 塩婆の文章齧っただけだが
クレオパトラやコンスタンティヌスが明らかに嫌いなんだろうな
ということはよく伝わってくるw イングランドを統一したウェセックス王国の初代国王セルディック(チェルディッチ)は
名前がケルト系で、大陸から来たサクソン人移住者と先住のブリトン人の間に生まれただろうと言われてる
アングル人やサクソン人の侵入は武力も使っただろうけど、
先住ブリトン人王族や貴族との結婚によってとけ込んでいった面も大きかっただろう
ローマ撤退後のブリタニア南部はブリトン人の小王国が分立する状態になってたけど、
北方からピクト人が攻めてきたりブリトン人同士で戦う状態になってたから、
戦士としてのゲルマン人を喜んで迎えた者も多かった
現在ブリテン島に住んでる「アングロ・サクソン系」ブリテン人も遺伝子で見ると
大陸からの移住者の系統はわずかだそうだ >>159
R1bもブリトン人はL21で
その後大陸から移住したサクソン人などはU106だからね
イングランド東部はU106が優勢だよ 東ローマ帝国は貨幣が鋳造されてるだけマシ
西欧だと西ローマ帝国滅亡後は貨幣が作られなくなり
物々交換に逆戻り >>154
13世紀後半には宋は滅んでいる
中東でもホラズムもアッバース朝も滅んでいる 11世紀ならば東ローマや北宋とかが
西欧よりもはるかに繁栄していた >>160
アーサー王伝説も元は古い史書に「サクソン人に勝利した武将」として
ただ一度名前が出るだけの正体不明だったのが、
年代が経つに連れてどんどん伝説が付け足されて
最後は「ローマも征服したブリテンの皇帝」みたいな俺tueeee英雄になっていくのが面白い 金は南宋との戦線に軍の多くを配備していて
本国の満州は手薄になりがちだった
ローマ帝国もササン朝方面に軍を優先させて
ヨーロッパの防衛線が手薄になりがちだった
金と西夏の騎兵は宋との軍備競争で甲冑が過剰に重装備になり鈍重になった
完顔阿骨打の頃の金軍ならばもっとモンゴル軍に対して機敏に対応出来たと言われる チャーチル「アーサー王?そんな空想読み物より英国の歴史にとって大事なのはカエサルやローマ帝国だろ」 >>170
読書家ではあったけど、学校では劣等生だったよね。士官学校でも成績悪くて騎兵科しか行けなかったし。
歩兵科=花形
砲兵科=頭良い
騎兵科=金持ちのドラ息子(馬が自弁なので金がかかる) アーサー王伝説もアラン人の影響大と言われているからなあ >>158
カエサルは好きなんよな
クレオパトラの側になってカエサルに恋文送る読みものまで発表してる(流石に痛い) >>154
13世紀前半だと南宋だけが生き延びて繁栄していたよね
金やホラズムとかライバルの大国は廃墟になっていた
インドもイスラム教徒に征服されたばかりで荒廃していた 生活面で言えば京阪神や名古屋が一番バランス良くて暮らしやすいよ。
大都市の割には住居費・物価が安いし、商業施設や娯楽などの一通りのものは揃ってる。
イベントや巡回展も基本的に回ってくるしね。
仙台や広島は都市のレベル的に色々物足りないし、
札幌や福岡はそこそこ都会だけど、東京・大阪まで遠過ぎるから、
ちょっと遊びに行くだけでも交通費や宿泊代がかかりまくって大遠征になってしまう。
金持ちなら東京が最強だけど、住居費が高過ぎるから庶民にはきつい。
娯楽なら東京、コスパなら名古屋、飯なら京阪神が最高。 娯楽ならローマ
コスパならバグダッドかコンスタンティノープル
飯なら長安
こんな感じか >>176
とある話では失敗作を愛知県に集めていた >>177
やあ、どうかな
同時代の飲食なら・・・ひょっとすると長安よりもバグダードのほうがいいもの飲み食いできたかも
ユーラシアアフリカ各地域間流通の結節点だったからね、アッバース朝時代のバグダードは
(アッバース朝時代も含む中世中東は飲酒にも実は相当に寛容だったし)
また、中華料理が一気に発達したのは、唐代よりも宋代だからね
陶磁器生産の余剰産物としてのコークスの火力を生かせるようになった
また、そういう商品経済の発達が飲食業を含む第三次産業の発達を促進させた
唐代は店舗の夜間営業が事実上できなかったけど、宋代は規制が非常に緩くて営業時間も大幅に拡大された
それから、宋朝廷の南遷に伴って、
南北間の食文化(南宋と金の事実上の境界でもある淮河流域を境とする北方麦食文化と南方米食文化)の混交が進んだのが南宋代 唐は唐で西から豆腐が入ってきたり醤油の大量生産や改良が進んだりと魅力的ではある さらっとしか語られないけど
タラス河畔の戦いは何気に大帝国同士の戦い
ローマ帝国とササン朝以来だな
この戦いで紙が伝わるまでは欧州や中東は石板や羊皮紙か >>182
とはいえ、唐としてもアッバース朝としても、前線の半ば独自の動きをしている軍団同士の争いで
ローマ対パルティアとか東ローマ対サーサーン朝みたいな全面対決ではないあたりが地味なんだよね つくづくティムールと永楽帝の決戦が実現しなかったのは惜しい アメリカとソ連が直接対決してたら地球崩壊してたね
キューバ危機あたりが一番危なかった >>186
地球は崩壊しない
崩壊するのは人類が生存・繁栄しうる環境だけ >>184
アッバース朝でアブー・ムスリムが粛清されなければ
内乱になった唐にイスラム軍が攻めこんで
安禄山 対 アブー・ムスリムになったのかな >>188
当時のアッバース朝が、タミル高原越えて西域に進出し、さらにそれを越えて中国本土に進出できるとは思わんな
モンゴル後のティムールならともかく やはりパミール高原は西洋と東洋の大きな区切りなんだな
アレクサンダーもその手前でリターンしたし パミール高原を越えるのはたしかに無理だろうね
タラスはパミール高原もよりもずっと北だよね
モンゴル軍もパミールより北のシル河から侵入した その場合中央アジアはほとんどが西洋ってことか?
ユーラシアステップ遊牧世界みたいな領域があって、それが西洋と東洋の間に挟まりかつ媒介している、みたいなことをいってたのは梅棹忠夫だったかな。
「ユーラシア大陸という屋敷には玄関や勝手口はいくつもあるが奥座敷は一つしかない。それが満州から南ロシアマデ何の障壁もなく広がる乾燥ステップ世界である。」みたいな。 キプチャクハアアアアアアアアアアアアアアアアアアン国 西洋と東洋の間にインド洋に面した中洋があるとされる
中洋の範囲は西はユーフラテス河から東はパトカイ山脈まで
アラビアとメソポタミアとイランとインドからなる世界 >>196
それ一つの文明圏とちゃう
イランから西はアブラハム教文明圏
インドはヒンドゥーでアブラハム教的には偶像崇拝者
インドが中洋でイランから西は西洋や イスラム教がユダヤ教やキリスト教から派生したことを考えると
イスラム圏までは広域西洋と言うか西ユーラシアだろうな 西洋人にとって、まず自分達がwestで、それ以外は全部eastなのではなかろうか。
それの訳語に洋の字も追加して当てたのが日本人。 最初にオリエントって分類があって、オクシデントはあとからできた 羊献容「ワイルドな男って良いわよねー」
ホノリア「うん、DQN最高!」 いや古代ギリシャ人にとって、ギリシャこそが文明世界であるエウロパ、
それ以外は”オリエント””アフリカ””アジア”という野蛮な地域、という分類でしかない
特にアジアとアフリカは凄いテキトーな地域分類だから、
こんな分類の仕方にしてる今の世界の基準すらおかしい
同じアジアでも日本・中国辺りとイスラム圏じゃ全く違うし、
同じアフリカでも北アフリカと南アフリカじゃ人種・民族も全然違う
更に東スラヴ人が住むロシア圏なども古代ギリシャ人的には野蛮なアジアと一緒
何せスラヴはギリシャ語に入った時点で奴隷という意味の言葉になったくらいだから。
アレクサンドロス大王の教師だったアリストテレスでさえ
アジア人のことを「奴隷にすべきです」と言っていたくらいだしな。
この概念は後にギリシャを征服したローマ帝国、
ローマ文化を部分的に引き継いだアラブ圏(西方イスラム世界)にも引き継がれた
黒人を見下す価値観はアラブ人がイスラム化する前後からあったものだが、
イスラム化して以降は、アフリカの黒人は他のマムルークなどの奴隷とは違い
労働奴隷としてしか見られなかった
そしてその価値観をイスラム世界より発展し始めた西ヨーロッパが受け継ぎ・・・
という形で今に至る
だいたい一番発展した地域はそういう中華思想的な考えを抱きがちだわ そりゃーアリストテレース先生にかかっちゃ、みんなバカで奴隷ぐらいにしか使いみちがないとしか思えなかっただろうさ。
何でも語頭にアクセントもってきて長母音を解さない連中や、ドングリうめぇハマグリうめぇと食うことしかやってない連中とか。 ローマ人「コロッセオで試合観戦して、演劇観て、大浴場で仲間と政治について語り合おう」
ゲルマン人「肉うめえ、ビールうめえ、ウホウホウホwwww」 >>199
きれいに分かれてたらそれを言えるが
実際はインドはイスラムに侵食され南インドやスリランカですらアラブ・ペルシャの文化的・言語的影響を無視できない
比較的純度の高い東南アジア大陸部を飛び越して東南アジア島嶼部はイスラムが多数派の地域が多くを占める 人類学では西ユーラシアと東ユーラシアに二分している イスラム 東南アジア で検索してこれが出てきて思ったのだが https://www.y-history.net/appendix/wh0503-017_0.html
キリスト教からすると神秘主義は異端として潰してきたけど、イスラム教の方ではどうなってるん? >>206
ローマ人色んな文化パクってますけど
その文化の大半ってほとんどローマのオリジナル文化じゃない
あとゲルマンもそこまでバカじゃない
もしそうだったら徒党を組んでもローマに勝てるはずがない
分からないのは都市インフラの使い方とかだよ >>209
一言では語れない
イスラム教はカトリックのようなヒエラルキーがないし聖俗の区別もない
神秘主義もスンナ派からすれば異端だけど、この区別は極めて曖昧
何故ならそれを決めるローマ教皇庁のようなデカイ組織がないから。
教義の細かい所は結局地方のウラマー・イマームなどに委ねられている
んで、中央アジア以東におけるイスラム教の布教には、
こうした神秘主義(スーフィズム)教団の影響が大きい。
いきなりガチガチのスンナ派の教義を布教しても受け入れられないからな
まずはこういうソフトタッチな活動から入信するパターン。
でもまあ、現代ではそういう緩やかな教義だった地域が欧米化の流れの影響で
欧米文化に反発して逆に極端化するパターンが多い
神秘主義から入信した歴史なんて、とうの昔に忘れてるからね
なおシーア派は現在ほぼイランの民族宗教と化してる感じ
神秘主義教団でもスンナ派よりかシーア派よりかの区別はあるみたい >>210
使い方は知っていただろうけど
西ローマ帝国滅亡からゲルマン諸王国乱立に至る過程で
経済的にそれらを維持出来なくなり
次第に技術的なことも忘れられていったという具合かと
ローマ帝国という巨大かつ緻密なシステムがあってこそ成り立つ生活だったからな 巨大な都市生活を維持するだけの経済圏がなかったな
例えばエジプトからの小麦とかね ケルト人やダキア人の都市はローマ軍に無力だったけど
都市がないゲルマン人はローマに征服されなかったので
ゲルマン人はそのまま都市を造らずに独立し続けた
ローマ軍の強さがゲルマン人の文明化を阻んだ >>214
ゲルマンを指して森?だかで表現してたよね
当時はなんのこっちゃと思ったけど今なら納得できる表現 >>210
ゲルマンは徒党を組んで負けてもゲリラで戦えたのかね? 「ヴァルスよ、余の軍団を返せ」
アウグストゥスの寝言 トイトブルグに関しちゃヴァルスがゲルマニアに不慣れだっただけ
アルミニウス信じてホイホイついてっちゃうし
将軍時代のティベリウスならこうはいかずローマが逆に勝ってただろ アルミニウスも内輪揉めで殺されちゃうしゲルマン蛮族ダメダメだな ゲルマンの戦術は森では極めて有効だったけど
木が生えていないところでは無力だった
ゴート族は木が生えていない所に移住しても
集落を城壁で囲まなかったので
フン族が来ると逃げ出した ローマが森に住むゲルマン人を征服する事は無理だったけど
ローマが平原に住むゴート族を征服する事は出来そうなのに
何故かローマはそうしなかった
ゴート族支配下の黒海北岸では農業が盛んになっていたので
ローマにとって征服する価値がありそうだけど何故だろうだろう?
かつてアウグストゥスがゲルマニアを征服しようとした時は
ライン河とエルベ河の間の土地が欲しかったのではなくて
イタリアを守る為に天然の堀としてエルベ河が欲しかったから ゲルマンがどれくらいの土人だったのか見たいわ
そういうゲームとかないのか 戦争は結局物資のやりとりだからコスパに合わない場合は行わなかったんじゃね
徳川幕府が対外遠征しなかったようなもの 農業が盛んといっても余剰生産力がどれだけかが問題だから
住民が食っていけるだけの生産力しかない所を占領してもな 戦わないと功績を立てられないから、口実を設けて戦う。 ゲルマン人を防ぐために城壁こしらえたのに
4世紀後半には無力化してしまう
カネあっての防御だな なんで西封建化したん?
普通都市化してさらに発展していくだろ
常識だろこんなの >>230
なんの常識だ?
都市化ってある程度の条件整わんと進まんぞ >>223
征服しても遮る地形がなくてすぐ外から蛮族に攻められるぞ
クリミア半島に籠ってるのが防衛費節約になる >>232
ドニエプル河やドニエストル川が防衛線になるのでは?
ドニエプル河はスラブ人の農耕地帯とアラン族の遊牧地帯の境界だった
ドニエストル川は西岸が高地で起伏があり西ゴート族と東ゴート族の境界 >>233
北側がら空きですやん
ロシアの対クリミア汗国もそうやがこんなん障壁にならんで >>223
エルベ河って、歴史上防波堤になったことってあったっけ?
ヨロッパで防波堤になったのってラインとドナウくらいしかなさそうやん エルベ進出は皇帝になったティベリウスが白紙撤回した
なおゲルマニア方面で一番活躍したのは将軍時代のティベリウス
さらにパルティア方面でも大活躍する有能っぷり トラヤヌスの時にゲルマニアかパルティアのどちらかを征服しておくべきだった
衰退期に入ってからの二正面戦争はきつい トラヤヌスの時にダキア戦争の続きでボヘミアを征服すべきだったかな
ライン河とエルベ河の間の土地よりもまずボヘミアを征服すべき
ボヘミア征服後にエルベ河にそって北上して東からライン河を目指すと
ゲルマニア征服に成功しそうだな パルティア征服はハドリアヌスが中止したろ
ローマはしょせん地中海国家で遠く離れるのは無理 それより黒海沿岸を完全に統治する方が良かっただろ
あと北カスカス沿岸部だけ征服すりゃクリミアと繋げられたのにな パルティアに対しては歴史的に見て五分の戦績だったなローマは >>243
五分か?
パルティアが快勝したのごく初期のクラッスス侵略くらいで
あとは劣勢で押されてる戦争ばっかりだぞ
2世紀にはほぼ一方的に袋叩きにされてる状態で
イラン後背地に逃げ込むことでギリギリ凌いでたくらいだし パルティアの主要な対ローマ戦績
BC53年 ◎圧勝 vsクラッスス ローマ遠征軍を一方的にほぼ皆殺しにする
BC39年 ×大敗 vsウェンティディウス パルティア主力軍が一方的にほぼ皆殺しにされる
BC36年 〇勝利 vsアントニウス ローマ遠征軍をボロボロにして撤退させる
AD58年 △引分 vsコルブロ 一進一退の末、ローマが大攻勢かける直前で講和
AD113年 ×大敗 vsトラヤヌス 内紛のため満足に迎撃できずメソポタミア陥落
AD161年 ×大敗 vsルキウス・ウェルス 久々の強力な統一政権で迎撃するも敗退 メソポタミア陥落
AD198年 ×大敗 vsセウェルス 迎撃戦を行うも敗退し東方に退却 メソポタミア陥落
AD217年 〇勝利 vsカラカラ&マクリヌス 激戦の末にローマが賠償金を支払う形で講和
最初は善戦してるけど全体としては五分ではない >>244
アルメニア方面で親パルティア政権作ったり、割と有利に進めてるなパルティア
戦わずして勝つって点で言うと、パルティアの方が上手いことやってる >>246
より昔の最盛期よりはかなり衰えてたけど
それでも依然として極めて重要な地域ではあったよ
とくに権威が凄まじくてパルティアもこの一帯を支配することで
巨大覇権の正統性と繁栄を維持してる
イランに後背地あるのでここを失ってもパルティア自体は滅亡しないけど
属国勢がみんな離れてあらゆるパワーを失って
「世界の支配者」からただの一国に成り下がることになる ローマもずっとずっと執着してたくらいだからそりゃ価値はある
少なくとも当時の指導者たちはそう考えてた ローマ帝国はオリエント、ギリシャなどの古代文明の集大成 >>241
ゲルマニアは旨みがないからスルーの方針か >>241
トラヤヌスはアレクサンドロス大王に憧れていたとか >>245
メソポタミア陥落し過ぎ
最終的な徹底破壊はモンゴル軍だな 古代のアッシリアとかはかなり好戦的だったのに
メソポタミアの地元民は戦わなくなってしなった
アッバース朝軍はマムルークだよね >>246
パルティアとササン朝時代にはメソポタミアは帝国の穀倉
イランは牧畜が盛んでまだ人口が少なくて帝国人口の半数が
メソポタミアに集中していた
イランが文明化しなかったのでイラン人は勇猛な兵士であり続けた
中世イスラム時代にイランが文明化するとイラン人は商人的になり
軍事をトルコ人マムルークに依存するようになった ギリシャ人=ペルシャ人
ローマ人=アラブ人
ゲルマン人=トルコ人
ポジション的にはこんなもん >>257
エジプト
人口的にも軍事力的にもアラブの大国
そしてイスラエル プトレマイオス朝、ローマ帝国、東ローマ帝国、イスラム帝国、マムルーク朝、オスマン帝国、ムハンマド・アリー朝
エジプト人の王朝が滅んでから外来政権ばっかですねえ・・・ >>264
モンゴル「ワイもエジプト行きたかった・・・」
十字軍「せやな」 モンゴル人がエジプトの君主だったこともあった。
短い間ではあったが。 エジプトのマムルーク朝は本当は王朝じゃないよね
ホラズム・シャー朝とかは初代がマムルーク出身だけど世襲王朝
エジプトのマムルーク朝はローマ帝国のようにマムルーク帝国と呼ぶといいかな シーザーとイエスの二大巨頭会談は実現してほしかった。マジで。 > エジプトのマムルーク朝は本当は王朝じゃないよね
なんで?
王朝って歴史記述に都合がいいように勝手に名前つけて分類しただけのものだけど ヘイルシーザー!
ハイルヒットラーのルーツ
ヘイルとは万歳の意味
ロシアは今でも演説の最後にウラ(万歳)と言っている >>259
トルコとイランは余り対立してない。
イランにはテュルク語系アゼリー人も
多く居てペルシア語とテュルク語の
バイリンカル。
トルコとイランの政府関係者同士の
会談では通訳使わずにイラン側が
トルコ語を話していた。 >>248
パルティア時代にはイラン高原のパルティア諸侯はそれぞれ自立していたけど
ササン朝時代にはイラン高原のメソポタミアに対する依存度が増したようだね
おそらくササン朝時代の方がパルティア時代よりもイラン高原の人口が
増えたけどそれはメソポタミアの農産物によって増えたようだ
だからササン朝末期ホスロー2世の治世にメソポタミアが大水害になると
ササン朝帝国は飢饉で衰退して東ローマとアラブに敗北し滅亡してしまった 800年12月25日カールの戴冠
西ローマ帝国が滅んで300年以上経っても
まだローマ皇帝の権威が残っていたことに驚き あんだけローマ帝国を蹂躙し長年の鬱憤を晴らしまくってたゲルマン諸民族の諸国家が、
結局ローマの権威に頼ってるところが何とも・・・ フランク族は元からローマ側のゲルマン人
ヴァンダル族がライン河を渡ろうとした時に迎撃したのはフランク族 そもそも完全野党のゲルマン部族がとれだけあるかね?
部族出身の誰かはローマでそこそこの地位にあるだろう スラブ人たちにとっては東ローマ帝国が政治・文化のお手本になった >>285
キンブリ「ウホッ?」
テウトニ「ウホッ?」
マルコマンニ「ウホッ?」
サクソン「ウホッ?」 ゲルマン人は速攻でキリスト教化されたけど
ノルド人はローマとの接触もなく、北欧神話の神々を崇拝し続けた >>284
ヴァンダルも北アフリカに王国を築いてからは
ベルベル人の侵攻に悩まされたようだね 蝦夷は徐々に大和政権に征服されていったが、
その支配を拒んだ奴は北海道に逃げたのだろうか。 ローマ教皇の権威が施政に必要だから
ドミノ式にアリウス派から転換したんだろうな 800年12月25日の午前中のミサで、ペトロの墓にぬかずき、
身を起こしたカールにレオ3世は「ローマ皇帝」としての帝冠を授けた。
この時、周囲の者は皆「気高きカール、神によって加冠され、偉大で平和的なるローマ人の皇帝万歳」と叫んだという。
これ以後、カールは自らの公文書において、それまで用いていた「ローマ人のパトリキウス」の称号を改め、
「ローマ帝国を統べる皇帝」と署名するようになった。 617世界@名無史さん2019/12/14(土) 21:11:59.100
>>614
ゲルマン民族が移動しなくなったのはカール大帝の征服とキリスト教布教の賜物。
布教師たちが同じキリスト教徒を傷つけてはいけないと教え諭したから略奪文化が廃れた。
ドイツ本土で異教からの改修を阻んだ人たちは北欧に逃亡してバイキングになる。
キリスト教の神とゲルマンの神々は数百年の間戦っていたといえる。 ヴァイキング「ヒャッハーw」
フランク人「あいつら野蛮杉」
サクソン人「同意」
ワイ「あれ昔のお前らの姿やで・・・」 あんなもん北斗の拳の中にしかいないヤツだから
現実には、あんなチンピラにも親がいるし人間性もある
しかもヴァイキングはただの海賊集団じゃない
平時はちゃんと農業してるし家族と所帯持って生活してんのよ
ただ共同体のルールが原始社会的ってだけの話 ヴァイキングは武力的には勢いがあったけど、文化的には現地にとけ込んでしまってるな。 >>299
デーン・ローとか、法規範とか生活習慣(食文化など)には結構影響残してる >>282
朝廷蔑ろにしまくった日本とか言う国と同じだね ノルマン人、別に北方に逃げていった南方出身のゲルマン人ではないが
北方十字軍の建前が、北方異教徒への布教だったのは間違いない ヴァイキング時代の始まりとされるリンディスファーンの蹂躙は、カール大帝によるザクセン戦争、すなわちキリスト教徒による異教徒に対する戦争と時期を同じくする。
歴史家のRudolf SimekとBruno Dumézilはヴァイキングによる攻撃は同社会におけるキリスト教の広まりに対する反撃ではないかと位置付けている。
Rudolf Simek教授は“初期のヴァイキングの活動がカール大帝の統治時代と時を同じくするのは偶然ではない”と分析する。 カール大帝はキリスト教を掲げ、侵攻と拡大を繰り返しており、スカンディナビアにおけるその脅威は想像できる。
また、キリスト教の浸透はスカンディナヴィアにおいて問題化していてノルウェーではそれが原因で1世紀に渡り深刻な対立が生じていた。
通商・貿易面では、スカンディナヴィア人はキリスト教徒による不平等な条件の押しつけで苦しんでいたことが判明している。
名誉を重んじ、名誉が汚された場合は近隣を襲撃することを厭わない文化において、上記のような原因で外国を襲撃することは考えられる。 >>308
ヴァイキングは突然ヨーロッパ各地を襲撃してきたのではなく、
背景としてキリスト教化したゲルマン人達との文化対立があったから、
いずれキリスト教世界を攻撃してくることは必然的な流れだったってことか
当たり前の話だが、こういうのはどちらが悪いというのではなく、
『原因と結果』を考えて俯瞰的に見るのが良いと思う 中世温暖期が始まったからヴァイキングが活性化した
温暖になったからアンスランドやグリーンランドに入植出来た
温暖になったからカール大帝もザクセンを征服出来た
かつてアウグストゥスがゲルマニア遠征をさせた時も温暖期
ローマ軍もアルミニウスが反乱するまでゲルマニアに駐留出来た 西欧はカリブ海流の動向で気温が大きく左右されるから
日本人の温暖・寒冷化よりも民族移動などが気候の影響を受けやすい
それをもたらす中緯度高圧帯が温暖化で現在は北へ張り出し気味
従ってパリなどもサハラ砂漠並みの気温になることが増えてきた
これは過去5000年ぐらいはなかったこと
現在が如何に暑いかがわかる >>255
前スレでデータ張ったけどイラクの人口はローマ時代で100万人程度で少ないぞ
いい加減人口はデータ出してから書き込めよ >>313
ローマの東側で言うと、一貫してエジプトは人口が多く、大シリアもそれに次ぐのよな 小氷期のマグレブは現在より相当雨量が多かったようだ
アレクサンドリアも同様 人口データに関してはwikiの「歴史上の推定地域人口」「歴史上の推定都市人口」が出典元付で時代毎に載っているので、珍説奇説を主張するなら先ずそこで確認を取ってからにして貰いたい >>300
イギリスでの赤毛差別はデーン蔑視の名残りだとか >>317
赤毛が多いのはケルト人だからそれはないだろう
デーン人は金髪が多いし蔑視される様な被支配階級ではなく逆に支配階層 >>318
まあ、ノルマンコンクエストの時に他の在地諸侯共々駆逐されてるんだけどな
(ジェントリー層の先祖に当たるんだろうが) >>310
こう言うの読んでると中華の国が日本に攻めてくるのは必然だよね >>320
なお歴史的には日本が大陸側に攻め込むことが多い模様 中華からすると日本を抑えても戦略価値が無いからな。
今は太平洋のフタだけど。 日本の向こう側に何かあれば必死こいて侵略しただろうけどな
しかしパミール高原がなければ世界の歴史は大きく変わっていたとのは確実
俺たちもイスラム教徒になっていたかも 基本的なことを聞きたいんだが、イスラム教はどうやって広がってるんだ?コーランはアラビア語で翻訳禁止でしょ?ハードル高いんだけども。 時と場合によって違うが・・・
エジプトは元々多神教→キリスト教へと改宗したが、
水面下ではエジプトを支配下に置く東ローマ帝国への反感が溜まっていた
コプト正教会ら非カルケドン派は東ローマやカトリックで採用された
アタナシウス派を嫌っていたが、これも地政学上の対立が影響していると思われる
その状況で東ローマより言語的にも宗教的にもエジプト人に近しいアラブ人らイスラム勢力が侵攻して来た時、
イスラム勢力を解放者として歓迎した
だからエジプトではイスラム・アラビア文化への同化が早かった
イランより以東は
圧倒的な士気をバックに侵攻、占領する→占領地ではイスラム教徒優遇
→イスラム教に改宗すれば人頭税免除という条件をチラつかせる
→支配者側に同化すれば優遇されるので皆改宗、更に遠征への軍勢に加わる
この過程の繰り返しで広げた
要はアメとムチの使い方が上手かったんだろうな いわゆる「島のイスラム」と呼ばれる東南アジアのイスラム教は交易を通して広がってるしな
禁欲主義でもなく当時としては戒律のゆるい部分を利用して布教していった 追記
アラビア語のみ、翻訳禁止なんてそこまでハードル高い条件でもない
そもそも西欧ですら聖書はラテン語のみ、翻訳禁止だった
ラテン語から他言語への翻訳が解禁されたのは、
プロテスタント系キリスト教(新教)が各地で布教されてからの話
その時代になるとキリスト教は啓蒙主義により軽んじられ、
代わりに民族主義が各地で根付き始めたため各国語への翻訳が重要になった
イスラム教徒ならアラビア語を宗教的・支配者的な言語と位置づけ、
支配層に加わりたいなら最低宗教関係者だけでもアラビア語を学ばなければならない、
とするのは自然な流れ
何せ神はアラビア語で預言者ムハンマドの口を通じて教えを伝えたという教義なので、
アラビア語以外での翻訳書などありえない
そうやって色んな方面で教義を徹底したことにより、
少なくともスンナ派の正確な教義をアジア各地に伝えることができたと思われる
翻訳した時点でどうやっても意味合いは変わってくるからな
今でもウラマー・イマームなど宗教関係者は正則アラビア語(フスハー)を学ぶことは必須 マグレブなんてキリスト教徒が大半だったのが
コロッとイスラムに改宗しているからなあ 般若心経も漢語部分すら表面的にしか分からんし、最後は未翻訳だな。 もう一つ疑問があって、イランはどう落とし所?をつけてるん?
イラクより向こうはアラビア語で、イランはペルシャ語とアラビア語という状況になるけど。 >>321
完全に僻地で他民族だったからね
昔なら統治が不可能だった
でも移動方法と通信技術が発達したおかげでチベットウイグルと他民族なで斬りし放題
インドと中国がばちばち戦争するなんて近代以前は考えられなかった >>324
岩波文庫とかで和訳の仏典色々あるけど
仏壇の前で和訳仏典を朗読する人は居らんし
坊さん呼んでも岩波文庫の和訳浄土三部経を朗読したりせんやろ
仏教で使う仏典は原書のパーリ語仏典ではないけど、
現代の日本人が聞いても理解できんていうことでは漢訳仏典も同じ
現代の日本人は仏壇の前で漢訳仏典を意味もわからず音読してるやんか
宗教ていうのはそういうもんや ローマ帝国のライン河とかドナウ河みたいな自然国境というと
今の中国ならばロシアから沿海州と樺太を奪い
朝鮮半島と日本を征服して日本海を中国の内海にするのかな >>331
ネパールがチベットに攻め込んだ時清が撃退してたんやが
君の生まれた世界線では清帝国は近代国家やったんけ? >>313
イラクが100万人という事は
パルティアの総人口は200万人ぐらいか >>330
同じメソポタミア文明圏でも、イラクとイランじゃ全然違う
イラクはアラビア半島とイランの中継点、対してイランは完全なインド・ヨーロッパ語族の地域
アラビア半島以西はアフロ・アジア語族の領域
この時点でイランとアラビア半島では文化が違うので、古代から対立関係があった
アケメネス朝時代から積極的にペルシア人はアラビア半島に遠征してるし、
そもそもイラン──ペルシア人文明は、中東における先進文化圏だった
サーサーン朝の時代になっても力関係は変わっていない
ペルシア人より"下"という立場だったアラブ人の立場が史上始めて逆転したのが、イスラム教の勃興からだった
やがてアラブ人がイランを征服すると、アラビア語を話すアラブ人がエリートという立場になり、
それに合わせて『自発的に』改宗したペルシア人達は、ペルシア語にアラビア語の語彙を大部分で取り入れていった
とはいえ、日常語はあくまで中世ペルシア語であり、自分たちはあくまでアラブ人ではないという意識はあったんだろう
アラブ人と同じアフロ・アジア語族であるエジプト人とは、ここで対応が違ったワケだ
あくまで正則アラビア語はイスラム圏に置ける共通語としてのみ存在し、
日常語は現地の言葉で話すという流れは、この時点で方針づけられたと思われる
さすがに日常語までアラビア語に矯正すると手間もかかるし、反発も物凄い 第一にアラブ人はこれまで大規模な領域を統治した歴史がないため、統治技術は特段優れていない。
総督をおいて細かい部分の土地は現地人に任せるスタイルをとっていたが、
これが各地における独自のイスラム文化を育む土台になっていたと考えられる
特にペルシア人は今まで大帝国を築き上げた実績があるため、
ウマイヤ朝末期頃から王朝中枢の官僚になるケースが多かった
イラン以東のイスラム諸国が、ペルシア文化の影響を多大に受けているのは、
それだけ『ペルシア文化こそが至高』だという認識があったからこそのことだろう
テュルク系民族の諸語ですら、大部分に中世以降のペルシア語の語彙が多分に混じっている
東方イスラーム文化はトルコ=イスラーム文化とイラン=イスラーム文化の2つに大別されるが、
そのどちらもアラブ人の文化というよりは、
中央アジア遊牧民の文化にイスラム化したペルシア人の文化が乗っかっているという感じだ
特にアフガニスタンの少数言語ダリー語とかは、ペルシア語と意思疎通が可能なレベルなんではなかったかな?
ただ、宗教用語は明らかにアラビア語由来のモノがほとんど。
当然、宗教的儀式ではイスラム圏のどこでも、アラビア語以外の言語はまず使われない
まあ欧州の中世におけるラテン語みたいなものだと思っておけばいいだろう おぉ素晴らしい。ようやくペルシャとアラブの区別が出来るようになったよ。 タジク語とダリー語はペルシャ語の方言でしかなく
イラン国内で使われるペルシャ系の他言語よりも近い関係にある >>327
聖書ってギリシャ語じゃないの?
ラテン語は司祭たちの公用語で >>340
うん、俺が勉強不足だったw
イエスとその弟子達の話す言葉はアラム語だったが、
新約聖書ではコイネー(1世紀頃使用されたいたギリシア語)で表記され、
その後ラテン語、シリア語、コプト語などに翻訳されている
が、カトリックではラテン語聖書の翻訳は禁止されていたのは本当だよ
だから西欧諸国各国で翻訳された聖書が出てきたのは、近代に入ってから。
宗教改革でローマ教皇庁の権威が失墜しただけでなく、
活版印刷が発明されたことも各国語の欽定訳聖書の作成への流れに拍車をかけた そして聖書絶対主義の困ったちゃん達、福音主義者が誕生したというわけか 単性論とか三位一体説とかいう妄想で
なんで国をあげて争ってたの?
そこがわからん ナンミョーホーレンゲーキョとナンマイダだって殺し合ってた過去があるじゃん 中世でどこでも妄想が流行った理由って
なんかあるんかな 記録に残ってるのが中世なんじゃね。羊皮紙はパピルスより頑丈。 もし石山本願寺が天下を取っていたら我が国は
イランのような宗教国家になっていたのだろうか
そういや東本願寺も西本願寺もなかなか壮観だったな
しかも入場料無料だし >>324の質問への回答に追記。
中央アジア以東への布教は、征服だけではなく、もっと平和的な方法でも広まった
イスラム教神秘主義教団(いわゆるスーフィー)がソフトな形での布教を果たしている
スーフィーと呼ばれる修行僧達は、元はイスラム圏において9世紀ごろ、
形骸化した教義を批判するための運動として始まったと言われる
いわゆる旋回舞踊(セマーと呼ぶ)が有名。これは修行の一環でもある。
単に通常の生活を送ることに飽き飽きし、もっと神を近くで感じたい!
知識を収集して頭でっかちのイスラム法学者のようになるより、
自らの体験の中に神秘を求めたい!と考える人間が多くなったことから流行した
しかし本来のイスラム教の教義に修行するだとか体験を通して神との合一を図る、
などと言った教義はなく、完全に異端である
このスーフィズムと呼ばれる思想が成立した背景には、
イスラム的ではないインド哲学やギリシャ哲学の流入があったりもする
それだけイスラム教が世界的な宗教になっていた証だが、
同時に本来コーランに書かれていないことを重視する風潮が広がっていたことも示唆している
まもなくスーフィズムの台頭によって様々な教団が勃興し、
それらは”正統派”を主張するアラビア半島よりもっと遠い場所、未開の地への布教を目指した
特にインドでは、下層カーストやそれ以下の不可触民と規定された民が、
その環境からの脱却のためにイスラム教へ改宗する例が多かったらしい
一応イスラム教の建前では「全ての信徒は平等」なので。
少なくとも、イスラム圏はヨーロッパやインドのような厳格な身分制社会ではない。
また遊牧民に対しては、複雑な教義を布教しようとしたところで理解されないため、
まずはこのような『座学より見た目、体験重視』の教団から入信するのがわかりやすかったと思われる 日本オリジナルの文化
土偶、埴輪、勾玉、寿司、天ぷら、神道、武士道、初詣、花見、切腹 天ぷらは元はポルトガルみたいだな。
カステラ、丸ぼうろとかも長崎を中心としたポルトガル元祖みたいだけど。
長崎ちゃんぽんは、中国人シェフの考案みたいだけどな。 寿司はいなりならオリジナルだろうが、握りなら誕生して200年
型押しやちらし酢飯ならベトナムカンボジアのほうが遥かに古かった筈だ >>334
技術の発展で昔の朝貢圏が直接支配圏になったって話なんだけど 藩部は朝貢国とは違う
英領印度帝国やロシア帝国との国境画定でも清朝の政府が交渉にあたった >>348
「本願寺はいつでも誰でも自由に出入りできる」と親鸞聖人が決めたから入場料を取れない
本願寺の経理担当者は親鸞を恨んでるかもしれんな >>345
いろいろ文献に当たってみると、宗教観にしても社会観にしても、
実は中世の人たちのほうが近世の人たちよりもずっと覚めてて現実的だったりする
原理主義だの魔女狩りだのがおおはやりするのはむしろ近世初期
中世はなんやかんやで漸進的なぶん鷹揚でもあった
14世紀以降のイタリアンルネサンスにしても、中世の蓄積の集大成と見るのが妥当かと
それよりずっと前の、後ウマイヤ朝ごろのイベリア半島とか、いわゆる12世紀ルネサンスとかがあってこその、それだったろう 中世は温暖期で近世が寒冷期で
近世の方が気候が厳しかった 古代ローマという略奪と奴隷パワーで生み出される科学力
まあその科学力も大部分古代ギリシャを取り込んだことによるパワーだが >>343
キリストが何者かというのは一番大事なとこだからじゃないかな
それによって教会に何を飾るのかも変わってくる
キリストが人間だとしたらマリアを信仰することはできなくなる
それぞれの地域でバラバラだったのを国教会化するにあたって
統一しとかないと運営できなくなるから >>361
そこが最大のポイントだね
しかし三位一体は何か中途半端な感じがしてるのだが 中途半端ってどのへん?弾圧がまだまだ足りんぞみたいな? イエスという名は「イェホーシュア」で
要するにヨシュアだと聞いてがっかり >>362
逆に中途半端だからいいんじゃないかね
多数決で一番最大多数になりやすいいいとこどりな意見
キリストは神として祀りたい
けど完全に神だと変なので人間か神かの中間の
神よりな人として編み出したのが三位一体 >>366
そうだね
あたりさわりのない存在に祭り上げられたと言うことだな
ただその中途半端さが中東では命取りになった感はある 117名無しさん@お腹いっぱい。2020/01/20(月) 12:25:43.65ID:ivbLcm1U0>>118
金のやつらが北宋の皇族女性を性奴隷にしたのと比べて
劉曜は羊皇后をそういう扱いじゃなくて妻にしてちゃんと自分の皇后として大切に扱ってるのが、野蛮人だとしても紳士というかなんというか
118名無しさん@お腹いっぱい。2020/01/20(月) 12:46:55.89ID:Xb2v+sOWO
>>117
その金にもモンゴルによってきっちり報いが
衛紹王の娘だけは父親を殺されて不遇な境遇だったのと、チンギスの妻になっていたので大切にされたけど
男は皆殺し、他の后妃や公主は奴隷にされて売り飛ばされましたとさ
南宋の皇族や后妃が賓客扱いされて丁重にもてなされたのと対照的に
119名無しさん@お腹いっぱい。2020/01/20(月) 19:05:22.98ID:z12gT2L90
モンゴルにとって金は宿敵で積年の恨みがあるからな
南宋と比べて征服後の皇族の扱いには違い出るだろうな 聖骸布をDNA鑑定したらイエスの子孫とか分かるかも
ローマ=カトリック教会が絶対許さんだろうけど 十字軍が聖十字架を持ってたけど
1000年以上経って残ってるわけないので間違いなく偽物なんだけど
本人たちはどう思っていたんだろうな 仏陀の歯や骨のほうがまだ信憑性がある
DNA採れないのかな 世界中の仏舎利を全て集めるとゾウ2頭分くらいになるとか ありがたや ありがたや ( ー人ー)|||~~~ ナムナム >>360
古代、中世は凄い 蒸気機関も内燃機関もない
動力がほぼ奴隷と家畜しかないのにあんなに
巨大な建築物を建てたのだ
現代で同じ条件で同じ建物を建てるのは大変だ 貧民を食わせるために大規模公共事業が必要だったからな
スエトニウス「ローマ皇帝伝」のウェスペシアヌス伝やヨセフス「ローマ古代誌」のヘロデ大王の記事にもそういう話が出てくる >>380
それは怪しい。公共事業で経済が活性化というのは生産力が総需要に比して肥大した工業化社会にのみ当てはまる理屈であって、古代社会では経済的意味はない。むしろ窮乏化するだけ。 中世は水車が発達してる。水車小屋の親父=嫌われ者のイメージはこの頃でしょ。 >>382
冬の間に労働と引き換えで備蓄の食物を開放してるんだよ
経済の活性化の話では無いよ >>385
「貧民を食わせる」のが主目的なら「労働と引き換え」る必要は全くない。ただ配給すればいい。
言ってることが矛盾してるよ。 >>386
「働かざる者食うべからず」やぞ
なんで忠誠を示しもしないタダの乞食に施しくれてやらないかんねん >>387
それ、キリスト教の労働概念がスタートで
人口に膾炙したのは社会主義とセットだったって分かってるかな?
(不労地主や資本家に対する糾弾が主たる目的) 貧民食わすために公共事業とか晏子春秋にも出てくる話なのにな 生活保護を弱者やマイノリティから取り上げようとするネトウヨ的発想だよな
天皇のために安部のために働いたら生活保護出すとかどこの独裁国家だよ >>388
そんな訳ないやろ
新約聖書が元の言葉なら更に元ネタの思想が紀元前からあるゆうことやんけくっさwwwwwwwwwwwww >>393
調べたことないのか知らんが、レーニンがソ連建国したときにプラウダで取り上げて、通称レーニン憲法で取り上げてから広く広まった言葉なんだぞ?
語源が新約聖書なのは確かなんだけどな
だから、プロテスタンティズムの視点から語られることもあるのだが(カトリックはこの言葉あまり使わない)
割と思想色の強い言葉であることは確かだから意識した方がいいぞ >>395
だからといって働かない下級国民に国の蓄えをくれてやるバカがどこにいる?
働けば報酬ガ得られるという人類文明始まって以来の普遍的な労働の概念をレーニンなんて失敗した経済作った雑魚でウリナラ起源説するのはちゃんちゃら可笑しいやい >>396
"He who does not work, neither shall he eat."
という慣用表現には明確な語源があり、近代以降には赤い色がついて回るってお話
ウリナラ起源説とかそんな話ではない
価値観の話もしていない 労働と対価、それが貴重だという価値観は何時ごろ生まれ、どのように広まったのかってのは、割と面白い研究対象だと思うけども
それは必ずしも普遍的概念ではない(例えばインドヒンズー教や儒教、またはギリシャ思想の観点からは労働は聖ではなくむしろ卑)
労働の神聖さが欧州で普遍化したのも、プロテスタンティズム(っつかカルヴァン派の影響)が大きいのではなかろうか まあ現代社会に生きてたら、労働と対価という思想を
無自覚に普遍的なものと見なして全乗りしてしまうことは珍しくはないわな 働いたら負けはごく一部の極めて恵まれた環境にある上級国民だけだろう >>396
「蓄えをくれてやるバカ」は前近代の社会には珍しくなかったし、富者や権力者にとってはそれは少なからず義務でもあったんだよ。
柳田国男も阿部謹也も前近代社会の乞食については似たようなことを言ってるね。「乞食というのは現代とは違って一つの身分であり技芸でもあって、社会の欠くべからざる一員であった」と。 ちょっと宗教のところに話を戻すけど、俺はキリスト教徒でもイスラム教徒でもないのに、いま現在の連中の教条主義・原理主義的な見方で歴史も見てしまって、理解しづらくなってるのかな。 働かざるもの食うべからず
レーニンが不在地主を追放するために作った言葉だが
昨今のネトウヨが多さを見るにつけ今の日本に必要な
概念だと分かる
ネトウヨみたいなのはシベリアで重労働でもさせて
黒パンとスープで消えれば良い ∨
|/-O-O-ヽ| ブツブツ・・・
| . : )'e'( : . |
` ‐-=-‐
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||\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
||\\. \ ∧_∧
||. .\\ \ ( ;´Д`) (オイ、なんか変なのがいるぞ)
. \\ \ / ヽ.
. \\ / .| | |
. \∧_∧ (⌒\|__./ ./
( ´,_・・`)目合わせるなって ∧_∧
. _/ ヽ \ ( ) うわー、こっち見てるよ 英語留学ならイギリスだな
アメリカは治安が悪過ぎる(銃撃戦が日常茶飯事だし) まーだパヨクはマルクス主義捨ててないのか
いい加減敗北を認めろ 朝鮮半島は中国のものになる!
朝鮮人は残らずチベットに追放だ! >>412
アメリカで復活する気配があるのが皮肉だ 8050問題とか言うけどさ
ニート第一世代がいよいよ親が死ぬ年代になってきただけだろ
高度経済成長期以前でニート出来たのは金持ち家庭の子息(高等遊民)くらいで
庶民はみんな貧しかったから否が応でも働かざるを得なかったゆえに
こういう問題自体が発生しなかっただけの話 豊かな古代ローマはともかく
貧しい中世ヨーロッパにもニートっていたの?貴族階級以外で 中世ドイツだと職業乞食がいて乞食ギルドもあった
何もせず見すぼらしい恰好をして市長から物貰って市政をマンセーするのがお仕事
いわばプロニートってとこだな 乞食や遍歴学生がいて、各地の修道院や慈善施設を巡りながら暮らしていた。
都市の定住乞食にはギルドもあって、そこでは一人前の乞食になるには徒弟奉公から始めなければならなかった。 現代日本でも共産党ナマポのアベやめろの人達は職業乞食の一種よな 古代はローマどころかギリシャの前のペルシアの前のフェニキアの前のエジプト、バビロニアの前のシュメールから既に完成されてる感じ
古代があまりにも進み過ぎて、これを超えた感は
蒸気機関、内燃機関、缶詰め、発電装置、
ガスコンロ、冷蔵庫の登場までない感じ
缶詰めこそは天災で電気、ガスが止まっても
腐らずに食える古代超え食品である 西ローマと言う首都がローマの中心とトップが
分かりやすい国が滅ぶと、欧州は分かりにくい
時代に突入する
中世後期には宗教権威的にはローマ一強でも
政治・経済では様々な都市が中心になった
古代では蛮族の地の植民都市でしかなかった
都市もローマとは別の文化の中心に発展していった >>423
ちょい待ち
缶詰よりも先に、瓶詰めがフランスのアペール氏によってナポレオン・ボナパルト時代に発明されてる 戦前生まれのドイツの婆ちゃんが1番のお気に入りは洗濯機で、他のは2番以下とかいうのが印象深い。 >>425
近代だなあ 瓶を密閉状態にするって凄いな
これが現在の真空パックにつながる理論な訳だ 今のヨーロッパの都市はローマのコロニーだった
都市も直接は現代につながらずに一旦崩壊し
ゴシック建築を中心に発展してきたのだな
ゴシック建築は高さを重視し、高天井の上に
また出来るだけ高い尖頭を乗せて出来るだけ
苦しみに満ちた地上から離れようとしてる感じ
ギリシャ・ローマ時代は建物は巨大でも
そこまで上ばかりに伸びようとはしてない
今の超高層ビルの元型か? ?
万事ラテンな地中海は多層階マンションで都市人口集約
生活音に敏感なアルプス以北は温暖期中世まで3階止まり
しかも城郭の外は治外法権で土地不足なんで、工夫を重ねて19世紀に5階建で完結した様式美 >>430
パリもケルンもローマ時代から一旦崩壊などしていない
妄想を論拠に語るならチラシの裏でやれ >>428
日本でもそうだろう、冬の冷たい水で洗濯はかなわん >>423
戦闘で言えば白人が有色人種に完勝したのは19世紀後半
特に火器の発達によるところが大きい
19世紀の中盤までは
アメリカでもチリ南部でもインドでも中国でもアフリカでも
けっこう苦戦していたからな >>429
最初の開発当時の手法は、ガラス瓶とコルク栓と蝋の応用だったそうな
「料理を瓶に詰めて、緩くコルク栓をして、
湯煎で熱膨張と圧力調整を加えてから空気を抜き、コルク栓を固く詰めて、最後に瓶と栓を蝋封する」
という手法だね
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/瓶詰
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/ニコラ・アペール ドイツもググるワードに入れると元記事出てくるので入れておいた。
洗濯機が1番てのは、女性の人生に占める1番の時間が洗濯だったのだろうな。 「洗濯女」って職業があったくらいだし。
いまよりも着替えの頻度がずっと低かったにもかかわらず(取り外し可能なカラーって、シャツは滅多に着替えないのが前提だもんね) 洗濯物を水で洗う伝統的な洗濯屋は洗濯カーストの者しかできない
しかし、現代的なドライクリーニングはカーストにかかわらず誰でも自由にできる
カースト制度の想定外の現代的な職がカースト制の抜け穴になってる 下位カーストは穢れているという思想から料理人みたいに上位カーストなんだろ? >>440
そらそうや
自分より下のカーストが触った穢れた物は食えんからな 武蔵小杉のカレーイベント
わざとやってるだろ・・・ >>420-421
都市はまだしも農村だとニート無理っぽいな
領主におさめる年貢と自分たちの飯で精一杯だし
穀潰しの餌までは流石に厳しいか カタリ派は肉食禁止だが魚はOK
海から自然に湧くものだから動物じゃないって オスマンってビザンツやっぱ意識してたんかな?
皇帝教皇主義なんて
まさにスルタンカリフ制だし >>448
ビザンツというか、メフメト2世とスレイマンはローマ帝国を強く意識してたのは文献残ってる >>448
水を差すようで悪いが、皇帝教皇主義ってのは誤解じゃなかったか?
皇帝と総主教がいるけど、立場は皇帝の方が上の場合が多いというだけで。
しかし皇帝に総主教を処罰することは基本的にできない。
逆の場合も然り。
何故ならビザンツ皇帝は精神世界ではいちキリスト教徒であり、
コンスタンディヌーポリ総主教は世俗の世界では皇帝のいち臣下であるから。
この二人の理想的な関係を指してビザンティン・ハーモニーと英語では呼称する・・・
ってまあ知ってるよな。 >>450
実際には何人も追放されたりしてるわけだが >>451
その辺興味あるんだけどどっかソースある? 皇帝教皇主義の割には支配地域を拡げていないし
支配力を強化した訳でもない >>452
横だけどソースを求めるようなことかなあ?いくらでも事例はあると思うが。 その事例あげてくれ
自分で探しても見つからないんだ >>455
皇帝による総主教解任の例で良ければ。皇帝レオーン3世に解任された総主教ゲルマノス1世、レオーン5世に解任されたニキフォロス2世。
まあ解任されて失脚した総主教は修道士として修道院に入るのが普通だから、それが追放なのか隠棲なのかは判断しにくいけど。 ビザンツがローマを支配していた頃は教皇も皇帝によって解任されることがあったようだ >>1よ、そのリストは大半が誤りだ。
例えば、イタリアにはローマ時代からの上水道があるだろ?その噴水群と
合わせて世界遺産だよ。
だから2000年間もの間ずっと、豊かな水道を保ってきた筈だよ。 >疫病、餓死
これらは、実際、中世には対策がほとんど無かったが、15世紀以降は、薬草があった。
>香辛料貿易 - Wikipedia
>大航海時代〜香辛料迷信と東方幻想〜(世界史・15〜16世紀 ↓これも西洋教育史を見て見ると、かなり進歩的だよ。
>識字率そこそこ → 神父以外文盲 ローマ文化の復興、ラテン語の公用語化など
>まず中世に入って、最初の大きな出来事はカロリング・ルネサンスである。
>フランク王国のカール大帝が、ようやくヨーロッパの殆どを支配下に置き、
>800年ローマ教皇から冠を授けられて神聖ローマ皇帝となる。
>彼は、産業振興、教会の刷新と共に学芸の奨励を図る。
>ローマ文化の復興、ラテン語の公用語化によって、帝国の文化的統一を図り、
>イングランドから学僧アルクィンを招いたが、効果はあまり上がらなかった。 イタリアやフランスにおける大学の創設
>11世紀 - 12世紀の十字軍遠征の結果、東方からもたらされた都市の経済発展を
>背景としてヨーロッパで初めて大学が成立する。
>
>最初のものは、ボローニア、サレルノ、そしてパリの各大学である。 大学=ウニベルシテ(ユニバーシティ)の由来
>特にボローニアとパリのものは、その成り立ちに学生の組合、教師の組合と特徴があり、
>後年の諸大学の範となった。大学をいうuniversitasは、「組合」の意で、
>異郷で学ぶ者たちが現地の市民と利害の衝突が起きないように、
>その権益を保障するための組合から由来したものである。 カースト的教育の始まり・・・現在の教育差別の創始。
>また階級身分別の教育もこの時代から始まる。
>騎士や貴族は、城郭学校や宮廷学校で、
>その職分にふさわしい武芸や文筆、あるいは宮廷のしきたりなどを学び、 エリートはエリート校で、金持ちはブルジョア校で、宗教は宗教学校で、
専門職は専門学校で・・・
>都市の庶民は、都市学校で読み書きを教わり、
>また修道院や教会でも庶民の師弟に読み書きを教える
>学校を併設するところも出てきた。 名著も次々と誕生している。
>ユークリッド言論
>紀元前3世紀ごろにエジプトのアレクサンドリアの数学者ユークリッド
>
>レオナルド・フィボナッチは1202年著・1254年改訂の『算盤の書』 >中世への誤解 - 暗黒時代
というサイトがあったぞ。
>欧州中世という時代は誤解されやすい時代である。日本だけでなく、
>欧米自身でも様々な誤解や偏見がつい最近まで信じられていたり、
>現在でも俗説として一般の人々に広まっていたりする*1。 >*1 姫と白馬の王子や正義の騎士のような騎士道物語やお伽話のイメージと、
>その反動からくる非常に残酷で不潔に描いたリアル中世物の影響だろう。
だって!
エンタメとしての残酷物語の悪影響だってさ。 近代や産業革命以降すら、中世と勘違いしているんだってさ。
>単純に中世と言っても1000年間もあるため、イメージが定まりにくい上、
>一般人の認識として、近世の初頭(16-17世紀)を代表的中世と思っている人が多く、
>エリザベス1世やシェイクスピアや聖バルテルミーの虐殺などは普通に
>中世と思われており、フランス革命以前を中世と思っている人すらいる*2。 >>1よ、これが理由だよ。
↓
>さらに、ルネサンス期の人間はローマ帝国が光の時代であり、
>それが失われた後に、今、再び光の時代が訪れたとしており、
>その間の時代を暗黒時代と呼んだため中世=暗黒時代が定着したのである。 だってさ・・・
>ローマ帝国=光、
>ローマ帝国では無い中世=暗黒 >疫病
あとペストの大流行で、大量に死んだ時代があったろ?
あれが原因じゃないの? 基本的には、農業中心で、原始的な工業しか無かった、
割と安定した時代というか。紛争が絶えなかった時代というか。 >食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
これなんかは、インドのテーブルマナーに近いからね。
日本式のテーブルマナーと韓国式のテーブルマナー、欧米とインドのテーブルマナーは
全て違うわけだから・・・単なる文化の相違だね。 >>474
近世以降の欧州のテーブルマナーというものは、
いろいろ影響を受けたものがあるだろうが・・・
その一つはイスラム圏から伝わったものだよな
後ウマイヤ朝時代にアッバース朝から招かれた歌手ズィルヤーブが、
バグダードの宮廷の洗練された優雅な文化の数々をコルドバの宮廷にもたらしたってやつ >>448
カリフ=ローマ皇帝で
スルタンやアミールは総督
ヴェネチアのドージェとかの同類 中世が終わって近世に入っても、それはまだ絶対王制の時代。
絶対王制の終了から市民革命と産業革命を迎えて現代になる。
日本で言えば第二次世界大戦前の天皇制絶対主義までが近世。
戦後になって初めて民主主義が確立され、共産党の設立が許可された。
不完全とはいえ、日本では1940年代後半に初めて言論の自由が認められた。 相変わらず謎な持論展開する脳みそ虹色のやつが常駐しとるな >>477
正確には
スルターンは「(世俗の)支配者」、アミールは「〜の長、司令官、総督」、
アミールは更に上位の地位として大アミール(アミール・アル=ウマラー)がおり、
後ウマイヤ朝のカリフは当初イスラム世界全体に配慮して大アミールと自称するに留まっていた
カリフは正確な発音はハリーファ、原義は「後継者」、預言者ムハンマドを代理する者という意味
その二つ名はアミール・アル=ムウミニーン(信徒たちの長)
イスラム圏全体を率いる政治・宗教のトップであり指導者。
ちなみにアラビア語では漢語の王に近い意味のマリクという単語もある
ごっちゃになりやすいが、シャーはペルシア語で、イスラム化以前から使われている王号。
主にペルシア文化の多大な影響を受けた東方イスラーム世界で使われる
セルジューク朝の君主にマリク=シャーってのがいたから尚更ややこしいわな
他、ベグ(ベク、ベイ、バーイ)はテュルク語で”司令官、主”という意味、
アナトリアや西アジア方面で使われるパシャという称号は語源が不明だがテュルク系の語彙で、
オスマン帝国では軍人の称号として、後に官僚の爵位としても使用された。
アジア遊牧民共通の王号であるハン(カン、ハーン、ハーガーン)とも合わせて使われるから、
イスラム圏の称号というものは何語なのか正確に理解する必要性がある ゲームやろうぜ!
クルセイダーキングス2がおすすめだよ カリフとローマ教皇は同格ではないわけだよね
ローマ教皇はローマ帝国内の属州ユダヤの
エルサレム神殿の大神官とかの同類
カリフと東ローマ皇帝が同格 バグダッド陥落後に
エジプトのマムルーク朝の庇護下になってから
アッバース朝のカリフは教皇的になった >>485
ブワイフ朝にバグダード落とされた時には、もう皇帝的な世俗権力は失っていたのではなかろうかと セルジューク朝の衰退分裂後は
アッバース朝は再独立していた >>487
それは知っているが、だからといって「皇帝」と称するような世俗権力は失っていたわけだが 天皇制もカリフ制のように無くなれば何という事もなく忘れられる
廃止しても無問題だよ >>488
いにしえのバビロニア王に匹敵する独立国の君主だった
バグダッド陥落時に10万人もの兵を雇える富があったとされ
軍事費を惜しまなければエジプトのように持ち堪えそうな国力だった >>476
それって例えば、大皿盛りか銘々皿盛りかはともかく、皿の使用ってことなのかな?
ちなみに、品目ごとに順を追って新たに出していく現在の西洋料理の高級コースの習慣は、帝政ロシアが発祥らしい
冬場のロシアで全品目を一度に出すと、運ぶときなどに冷めやすかったからだとか
一方、フォークを中東料理で食器として使うようになったのは、わりと新しい習慣のようだよ
オスマン帝国後期の西洋文化導入期だね
まあ、西欧でも、フォークの使用が地域全体に広く行き渡ったのは近世末のようだけど
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/フォーク_(食器) >>490
スレチだが真面目に回答しよう
そうだな、日常生活においては何の問題もない
でも、伝統ある王室・皇室を廃止した国は大体どこか『堕落』してるよ
何せそれも民族の重要なアイデンティティーだからな
皇室を失った日本人なんて、何の個性もなく誇りのない国民になる
お隣の中国のようにな
中国の反日感情は愛国心ではなく、ただの排外主義だが、
日本もそれと変わらなくなることを承知でお前は言ってるのか?
はたまたフランスのように人工的な『自由』という概念を愛するだけの薄っぺらい国民になるのがいいのか?
俺はそうなった日本人の価値なんて無いと思ってる イギリスは、イギリスの規範をお硬いヴィクトリア女王の統治時代に求めてるよな。その前の執政時代のことは忘れたいんだろうけど。
現エリザベス女王も頑張ってるが、その他王室メンバーがどうにもこうにも。 >>493
多くの日本人の反韓反中だって醜いもんだが。
民族精神やら伝統やらを語るのにも隣国を貶さずにはできない誇りだかアイデンティティなんて糞みたいなもんだ。そんなもんならないほうがマシ。 >>480
現在の中東だと、
ヨルダン、サウジアラビア、バーレーンの君主の称号がマリク、
オマーンの君主の称号がスルターン、
クウェート、カタール、UAE加盟各首長国の君主の称号がアミールだね >>493
>>495
皇室の方々は、東アジア近隣諸国に対するご理解もご発言も、穏健で友好的だよね
そういえば欧州でも、19世紀から20世紀前半に掛けての社会的傾向として、
貴族階級の人々は民族的な事柄に関して穏健で融和的な傾向、
市民階級の人々は民族的な事柄に関して急進的で分離的な傾向があったらしい
汎欧州運動を提唱したリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵も、こういった傾向の違いがあったことを自著で指摘していたと思う
フランス革命期以来の社会的背景とか思潮とか(言語圏と民族意識と国民意識の同一化)の推移によって、
当時の欧州はどうしてもそういう傾向になっていったのだろうけどね
そうして行き着いた果ては、二つの世界大戦だった・・・
今も継続中の欧州統合は、その悲劇からの復興としての道だよね そりゃウソだな
ナポレオン戦争時の大陸軍には欧州の庶民層はみな同じローマ帝国の末裔であり
ゲルマン貴族の搾取から解放しなければならないというイデオロギーが士気に繋がっていたから >>498
ラテン系やスラヴ系ほかにも貴族の人はいるよ
まあ欧州の場合、そうした貴族階級の人々は、
中世以来、言語圏なども跳び越えて幅広く姻戚関係があったのでもあるんだけど
ちなみに、上記のクーデンホーフ家は、ハプスブルク家に仕えたボヘミア貴族の家門だったそうで、
もともとは現ベルギー内に当たる地域からお国替えしたそうな
後に、ギリシア貴族のカレルギス家の家督も受け継いで、クーデンホーフ=カレルギー家になったのだそうだ なんだろうね
俺は皇室に存続して欲しいと思っているし、日本人の重要なアイデンティティのひとつだと思っているが
>皇室を失った日本人なんて、何の個性もなく誇りのない国民になる
というのはまったく思わない。個性や誇りが何パーセントか減少するかも知れないが
寧ろそれしか誇るものがないのか?と思うのだがね、、、
>中国の反日感情は愛国心ではなく、ただの排外主義だが、
>日本もそれと変わらなくなることを承知でお前は言ってるのか?
日本の排外主義も愛国心ではないだろう。排外主義者の多くはただ中韓が嫌いなだけ。愛国心と一緒にして欲しくない
>フランスのように人工的な『自由』という概念を愛するだけの薄っぺらい国民になるのがいいのか?
皇室だけが薄っぺらい国民にならないものなのか
レスの内容からは皇室しかよりどころの無さそうにしか見えない>>493こそ薄っぺらい人物像が浮かぶ 大抵の人からは家族や食事や日々の習慣により処を感じるけど、信仰をよって成り立っていると感じる人は片手の指にも足らない。
解脱してるなら相当のものじゃね。 >>495,500
同一人物かどうか知らないが、
>民族精神やら伝統やらを語るのにも隣国を貶さずにはできない誇りだかアイデンティティなんて糞みたいなもんだ。そんなもんならないほうがマシ。
という発言からは中韓のネガキャンばかりするネトウヨが下品だというより、
中韓に文句ばっかりつけるな!という本音が見て取れる。
そうなると・・・
>俺は皇室に存続して欲しいと思っているし、日本人の重要なアイデンティティのひとつだと思っているが
この発言に至っては「自分は純粋な日本人ですよ」という形だけのアピールにしか見えない
実は周りに中韓の人間がいてホントは親しみを感じてるんじゃないのか?
そりゃ俺だって中韓の人間が職場にいれば嫌なことされない限りは嫌がらせする気はないし、
付き合いが良ければ普通に好感も抱くが、国家としての関係は別だ。
あるいは、あんたがそっち系の人間なのかね?
だとしたらことさらネトウヨを嫌うのも納得だ
ちなみに、俺は中韓だけでなく世界の文化と比較して日本の文化の独自性、重要性を再認識してるところだ
中韓の良い点や善悪と関係のない「文化の違い」も認識した上で言ってる
それこそ脊椎反射で中韓の文句つけてるようなネトウヨとは一緒にしてほしくない
皇室は大事だと思ってるが、神武天皇・神功皇后は架空の人物だと思ってるし、
万世一系だなんていう伝説をマジメに信じてるわけでもない 国粋主義者って国というか権力と国民を一体化しすぎて逆に国民の価値を過小評価するな
だからといって世俗主義がすぎるのも考え物だが 岡田美術館にいるんだけど、ペルシャの皿とか展示してて、痛みが激しいけど、割と日本人好みの紋様かな。日本人好みのものだけが現存してるのか、ペルシャで数多く生産されたのかは分からないけど。
あと埴輪にある鐙を見てて思ったんだが、鐙は日本人が馬に乗り始めた当初からあったのかね? 神武天皇やロムルスは
日本やイタリアを統一していない >>505
馬が日本に入った時期にも諸説あってな
魏志倭人伝には「倭国に牛馬無し」と記述があるがその真偽でも論争がある >>502
ダラダラと脈絡ないこと書き殴って、結局国籍透視かい
まあネトウヨの知的水準じゃしょうがないね 本でヨーロッパ中世の貿易はしょぼかったって見たけどそうなん?
やっぱ大航海時代に入ってからが本番なのか ネトウヨは良く国籍透視してくるが下らないよな
誹謗して朝鮮人などというが日本に住んでいて日本政府に税金を納めて日本社会で暮らしている人間なんだから日本人だろう >>511
税金収めてるだけじゃ参政権はもらえないし日本人だとは見なされないぞ
何年も在住して本人の意志で帰化しないと日本国籍は取得できない
日本社会で暮らしてても日本こき下ろすだけの在日なんて腐るほどいるだろ 「北の同胞」は朝鮮半島に住んで朝鮮政府に税金払ってるんじゃないだろうか?🤔
あっ、ネトウヨちゃんにはロジハラだったかwメンゴメンゴww😂
>>510
バルト海貿易やレヴァント貿易は中世盛期には盛んに行われてたんでは?
他のことについてもそうだけど、崩壊した社会秩序の再建過程だった初期中世と、盛期中世とでは全然違うんじゃないかな >>508,511
国籍を透視されたら不都合なことがある奴がそういう言い訳をするんだろ?w
ちなみに俺は例え日本生まれ日本育ちで日本国籍を持っていても、
反日日本人のサヨクは日本人とは見なさない
逆に元外人でも日本の社会に馴染み、日本の社会に貢献してくれるのは、
肌の色や民族に関係なく日本人だと思ってる
本音では黒人を日本人だと思ってないネトウヨとはそこが違うんだよ >>514
サンクス。その一部は確かに目立つ
それ以外のイングランドやフランス、ドイツだとあまり目立ったのを見なかったりもするな >>515
ふーんそう(ハナホジ
ところでお前、どこからどう見てもまごうかたなきネトウヨだよ?自覚症状ないみたいだけど。 >>516
イングランドの羊毛がフランドルの毛織物工業の原料として輸出されてたり、いろいろあると思うけどな
ハンザ同盟の在外商館がロンドンやノブゴロドに置かれていた様に、中世盛期には全ヨーロッパ的な貿易のネットワークが存在していた、それに加えてレヴァント貿易のような対外貿易もあった、ということじゃないかね。 >>518
詳しくサンクス
勉強不足で手間を取らせてすまなかった参考になった 最近では、大航海時代はレコンキスタや中世バルト交易の延長でとらえられているところもあるな
突然変異的に大航海時代になったんじゃなくて、中世の活動の延長線上の要素が強調されてきている バイキングは先に新大陸へ到達したのに、中南ヨーロッパではその話は共有されてなかったのかな アメリカインディアンにみられるYーRが物議を呼んでいるね
氷河期の移住民かバイキングの子孫か古代欧州からの漂着民か
バイキングだとRだけでなくIもあるからないだろう 西暦270年2月14日 ウァレンティヌスがローマ皇帝クラウディウス・ゴティクスによって処刑される 鎌倉時代の日本人が太平洋を渡るよりは簡単だけど
いくら色々とチートだったローマ帝国の時代でも大西洋を渡るのは困難
一部の物好きはブラックアフリカやインドまで行ってたみたいだがな
中国までいったかは不明 欧州各地で大暴れしたヴァイキングでも流石にグリーンランド(ヴィンランド)では
それが出来なかった
本拠地である北欧から遠過ぎて補給もままならないし、物資の現地調達も無理っぽいからな トルコは親日国だけど、東ローマ帝国を滅ぼしたことは個人的に許せない フェリペ2世「王でも大貴族でもなく、貧しくてもいいから一介の騎士として気楽に生きたかった」 >>528
ティムールがトドメを刺していればと言うところかな そもそも近代の前提は中世だからね。
封建制度の解体は、軍事貴族、即ち騎士達によって
も押し進められた。民衆ではない。
魂を重視した時代だからこそ人々も安定できた。
暗黒の中世というのは厳密にいうと誤り。
近世初期の方が動乱期で荒れてた。 >>532
暗黒って荒れてたって意味じゃないだろ
文明と文化において「暗黒」なわけで
一次史料がローマ時代と比較して減ってるのもその一因 >>533
領域内の住民の識字率がダダ下がりだったわけだしね。 >>534
>記録が少ない時代は暗黒扱いされるからな
某政権とかですね しかし、どこでも暴れるなこの手の連中
そういうとこだぞ
と言っても通じないだろうが 誰かを悪魔化して叩くことで悪魔祓いしているんだよ
21世紀になってもこの手の呪術的思考の人間が絶えないんだから
いわんや古代中世に置いては バレンタインの起源はローマ帝国の時代からなのにチョコレートとかおかしいだろ
黒パンを食べろ しかしイギリスの田舎は見事にはげ山だらけだな
逆に平地林はけっこう残っている
ひょうこうが高くない分、羊の放牧に利用されてしまったと言うワケか >>540
若者が愛を誓いあうなら何だって構わないんだぜ 日本=カルタゴ
米国=ローマ
ソ連=パルティア
中国=ゲルマン人 日本はカルタゴほどアメリカを追い詰めてないしダキアくらいがシックリくる
地域強国に台頭してイケイケだったけどついにローマを本気で怒らせて
圧倒的なパワーで叩き潰されるポジション ダキアは陸軍しかないし、アンティゴノス朝かプトレマイオス朝ぐらいじゃないか >>546
今の若い人には信じられないかもしれないが
経済的にはガチで今の中国よりアメリカ追い詰めた
数年間だけだけどなっ >>548
そらその時の日本は凄まじい勢いだったけど
いくらなんでもローマを追い詰めたカルタゴほどではない カルタゴはローマにとって先進国
ドイツ=カルタゴ
イギリス=シチリア
アメリカ=ローマ
ソ連=パルティア
日本=ゴート族
中国=フン族 >>546
アメリカの戦艦、巡洋艦、空母、戦闘機を史上最も破壊したのは日本なんだけどね >>546
アメリカが100%本気のフルパワーで戦った国は日本とドイツの2国だけで意外と少ないんだよな
ソ連とは結局最後まで直接対決せずに終わったし
北朝鮮、中国、ベトナムには手加減したしね(つか諸事情で本気を出せなかった) スペイン「サムライ強過ぎ、植民地化無理だわ」
イギリス「識字率の高さ半端ねえ、植民地化無理だわ」 大航海時代の西欧列強の実力じゃ、朝鮮さえ征服できたとは思えんし、サムライ持ち出してホルホルするとこじゃない >>556
朝鮮でさえっつうか
基本東アジアは単位面積当たりの人口多すぎ
技術格差でもない限り、遠隔地からの征服とか無理だよ 南アメリカは鉄器時代ですらなく技術的格差が大きすぎた上に、旧世界の伝染病の免疫がなかった、みたいな特殊な条件も重なったから。
西欧が人口稠密で官僚機構の整備されたアジア諸国を正面から圧倒できるようになったのは、蒸気船と連発銃、後装砲の時代以降だな。 世界の富裕層数ランキング検索したら日本は3位だった
ニュースとか見ると日本はもう先進国では無いなど煽られてるのを見るけどまだ影響力あるのかね ああいうバカな煽りを真にうけるのもいるんだな
金かけて扇動する価値あるな もう先進国ではない、というのは大袈裟だけど、ズルズルと後退し続けてブレーキがかけられないでいるのもたしかだよね 既に長く先進国やってて後退食い止められてるのってほぼアメリカのみだよな >>562
「金かけて扇動」と言うからには、誰かが金を払ってああいう報道させてるって根拠持ってるんだよね?
まさかただの想像や陰謀論じゃないよね?
見せてその根拠❤ >>564
アメリカだって後退してるぞ
終戦直後の世界のGDPの半分がアメリカだった時代、冷戦終結直後の世界中敵無し状態だった時代と比べれば。
日本と違いがあるとすれば、自分の力の衰退を直視して、その現実に適応してきたことかもね。 最近左翼が錯乱状態だよね
ネットの普及で彼らの言説が通用しなくなったからね 極度の悲観論者は初めから日本を過大評価しすぎ
アメリカとイチイチで比べて終わった終わった大騒ぎ 少なくとも左翼メディアのフェイクニュースは一発でバレるからな >>571
ケンモーde真実おじさん
ケンモーへ帰ろう >>573
自分がネットで真実を知っちゃった口だから、相手もそうに違いないと信じたいんだよねw
とりあえず>>562の根拠出そうよ、もし君の書き込みなら >>571みたいな人間が左翼の信頼度を著しく下げてるんだが >>575
「ネットで真実を知った!」おじさんには言われたかないw >>562みたいな妄想が大手をふってまかり通ってるネット言説を鵜呑みにしてる情弱おじさんが、ちょっとつつかれたら「サヨクがああああ!」ってちょっと痛々しすぎないかね?
陰謀論批判にウヨサヨ関係ないだろ?根拠があるならさっさと出せばいいし、なければ撤回すればいい、それだけの話。
でもネットの妄想とデマを撤回すると自分の妄想世界が崩壊するからそれはできない、と。 過激な言葉で過剰に不安を煽り立てる背後には金の流れがあると想像するのは別に突拍子のない思考でもないと思うが
そんな発狂して多レスつけるほどのことか? >>579
俺は「根拠見せて」といっただけなんだけどね
なぜか「キモ」とか「左翼が錯乱」とか相手が突然発狂しだしたんだよね。
一歩引いて、なぜこの一言がそんなにクリティカルだったか考えてみると、常にデマで作った妄想の世界に安住してる人にとっては、その根拠を問われること自体が個人的攻撃であり侮辱であるかのように感じられるのだろうね。 >>580
悪いが一人で同じレスに何度も同じような安価つけて君のほうが発狂してるように見える 煽動者は煽動と言われるのを一番嫌うんだよ
まぁケンモメンは煽動者にもなってない火病患者だが >>583
普通に考えて、何の根拠もなく扇動者と決めつけられたら腹立たない人っていると思う?
一言「ごめんなさい」と言って撤回すればいいし、それがウヨサヨ関係なく人間として当然だとは思わないの? >>582
俺には君がネットに毒されてるように見えるなあ。 誇張された大袈裟な見出し、過剰な悲観論
それをまともに信じこんで一般人との認識のズレに気が付かなくなる
ネットに毒され、ネットのエコーチェンバーで産み出されるモンスター 街中で発狂してる奴見ても誰もかまわないのになあんでネット上では構っちゃうかな >>587
町中でもネット上でも直接の会話相手とイザコザがあればヒートアップする人は多そう >>587
ヴァカをいじって遊ぶのはネットの楽しみじゃないですか! 本人はプロパガンダのつもりだが周りから見るとただのキチの人 >>561
それって株主配当金の累進課税を止めて一律15%にするという前代未聞の税制改正やった結果だぞ
中流層が没落して上流層が肥え太るとか西ローマ末期もそうだったけど国家衰退のテンプレ キチガイとキチガイが惹かれあってキチガイ理論をさらに強固にする
これがエコーチェンバーってやつですね 経済規模が世界3位の国で、世界で3番目に富裕層が多くてなにがおかしいのかわからん 富裕層とは中下層から搾取して成り立っていると言う認識がないと
ローマの没落とか理解出来んだろうな・・・
それは農業開始とともに発生した人間の間の力関係であり
例え一時的に平等を実現したとしても必ず発生するもの
そして行き過ぎると社会が瓦解していく性質が悪いシロモノ >>593
普通はそうなんだけど、馬鹿な煽りに乗せられきってしまってる人たちにはおかしく見える
そして何か悪いカラクリがあるに違いない!とさらに拗らせていってしまう 貧富の差でいくと現代アメリカが断トツ
でもいまだに拡大し続けてるのもアメリカ パヨクが言うほど酷くもないしネトウヨが言うほど特別でもない
すぐ日本はーに持っていきたがるのは右左どっちもそっくり
ローマとの比較でいくとアメリカのほうがよっぽど興味深いのにね >>597
まあ日本は覇権国家だったことはないので、ローマ帝国との比較ははなから無理がある。 >>597
ちょっとロシア史におけるスラブ派と西欧派にも似てるな。
スラブ派「ロシアは遅れてるんじゃなくて特殊なんだ!この特殊性故にロシアは全世界を救う使命を帯びた聖なる国なんだ!!」
西欧派「ロシアのものは何から何まで遅れてて野蛮でどうにもならないよw西欧と総取っ替えするしかないよねww」 >>598
このスレで日本ガーやってる人に言ってね >>593
1人当たりGDPは26位に転落しているのですけど
これは国民一人一人が作り出せる生産量の値なので国内総生産よりよほど重要な数値 じゃあ一人当たりのGDPが一番多い国が世界で一番富裕層が一番多くないとおかしいですね
自分がどんだけ馬鹿なこと言ってるかわかってるんだろうか もう専用スレでも立ててそこで納得がいくまで討論すれば? >>604
馬鹿はお前じゃね?簡単な算数すらできないの? キチガイが言うにはルクセンブルク人の富裕層が世界で一番多いらしい >>3
規模は違うけど現代でもそうだな
マスクの工場や材料は中国にあるから全然日本に入って来ず品不足が続く 元を辿れば国家的影響力の話のようだが
一人当たりの生産性が世界一高いルクセンブルクの影響力はいかほどだろうか 歴史的に語ることもできるので話に乗っておくと
一人当たりの生産量は、集約的産業が優位なので都市国家や人口が少ない国家は高く出やすい傾向がある
現代は機械力である程度カバーできるから差は小さくはなっているが、これが近世以前であれば圧倒的差になる
中世のイタリアの商業都市国家と農業国家フランスを比較したら100倍とかじゃ効かない 「富裕層の多さ」という言葉の意味がわからなかっただけの知恵遅れをそこまで苛めなくても 富裕層の多さが国の経済規模に比例するのは普通
そして経済規模の話から、でも一人当たりのGDPが!という論点のすり替えも5chではテッパン >>565
確かに支那チョンの金減ってるね。
だから、ハニトラで下半身で繋げて操るだろ。
これはあると断言する。何故なら、この目で見たから。 >>614
その理屈だとアメリカより中国のほうが豊かって事になるんだがボケ
って突っ込んで欲しいんだろ? 今日のBS1でハーバード大の教授が
中国はやがてアメリカを凌駕すると言ってたな・・・ 遠く離れたヨーロッパ諸国はともかく、東アジア諸国は中国に従属せざるを得ないかもしれないな。
日本もフィンランド化(外交では従属するが、国内の民主主義と自主権は死守)を選択肢に入れざるを得ないときが来るかも、、、 >>620
ハーバード大学の教授もそれらしきことを指摘していたね
ローマの範疇内で生きてきた人たちも
ローマが崩壊した後は「昔は良かった」と嘆いていたのだろうか・・・
まあそれも数十年のことだろうが >>620
だよねー
いつまでもアメリカさんが守ってくれるわけないもんね
どう考えてもクソ長い海岸線を持ってる日本を日本単独で守り切るのは不可能
なんとかして中国が分裂して民主国家が乱立してくれたらワンチャンあるかな >>561
富裕層を調査する会社「Wealth-X」による富豪数ランキングでは
日本は10位以内にも入ってなく圏外やけど
米国(680人)
中国(338人)
ドイツ(152人)
インド(104人)
スイス(99人)
ロシア(96人)
香港(93人)
英国(90人)
サウジアラビア(62人)
アラブ首長国連邦(UAE、62人)
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1806/07/news009.html あまりにも似ている 反復してる
古代ギリシャ:ドーリア人侵入→ミケーネ滅亡→暗黒時代→ポリス抗争時代
中世イタリア:ゴート人侵入→ローマ滅亡→
暗黒時代→コムーネ抗争時代 フェニキア人がミケーネ文明を滅ぼした場合には
ギリシャの暗黒時代は短期間で収束して
線文字Bからすぐにアルファベット=
ギリシャ文字の時代に入るのではないだろうか?
それはベネチア資本家がフン族とゴート族を
招き入れて西ローマ帝国を滅亡させたと言う位
時系列がおかしい
フェニキアの台頭は海の民の破壊の後で
フェニキアの辺りも被害に遭っている
当時の東地中海は混乱期で西ローマ滅亡時に
似ている 西ローマ滅亡時にはまだベネチアも
ジェノバも台頭していない 西ローマが滅亡し、フランク王国の影響から
離れると、イタリアは本来古代前期で終わるはずの都市国家の時代が19世紀位まで延々と続く
英仏が普遍的な国家発展モデルだと、欧州でも
それに沿った発展ではない国が意外と多い 南イタリアの停滞はイベリア半島とセットにして論じられることも多い
大土地所有制の問題とか地中海式農業の限界とかね >>624
絶体数が少なすぎる
極端にライン引き上げればそうなるわな wikiペディアいわく今や文化や科学力は西洋と逆転してしまったアラブ
と書かれてたが金持ちがたくさん… 日本の富の集約は国家衰退の証明で中東や中国やヨーロッパの富の集約は発展の証拠!を地でいくケンモメン 貧富の差で衰退するというなら
アメリカはとっくの昔に衰退してなきゃ
ならないだろ。。。
実際はそうなってない 貧富の差で衰退するというよりは発展しないと言う方が正解だろ
アメリカも優秀な移民なければここまできてないからな ウヨおじ理論だと富裕層さえ肥え太れば問題ないそうなので議員、大企業の経営者、株主は無課税にして
それ以外の所得税率を倍に引き上げればいい >>634
もう1920年代から80年代のような好景気が
最下層の生活をも引き上げる時代は先進国には
来ないのではないか 今後は19世紀以前のように
最下層ほ最下層のまま固定されるだろう
この30年間は庶民締め殺し経済の時代だった
20世紀の中流大衆社会は終わった 生産と消費とがバランスすれば
実体経済(≒生産力)が大きく伸びることはない
あとの経済発展は金融によるもの
アメリカも日本もその段階に入っている
ただし中国やインドはまだ物的生産が拡大する余地はある
アフリカなんかはまだこれから
世界は一括りに論じられないね 違うだろ
大企業と株が隆盛を誇れば人はどうでもいい
だから所得税は馬鹿高いままで法人税だけ下がる 金融って肉食みたいで植物(実業)が十分なければどうしようもないような 1946年の映像を見てるとアメリカに負けてまだ1年しか経ってないのに
みんな元気で生き生きしてるんだよな
スターリンが終戦直後に「日本は最後にはまた這い上がってくる」と言っていたけど
高度経済成長期とかで実際にそうなったな 朝鮮戦争特需、ベトナム戦争特需と他人の不幸で儲けた金で得た反映だからあまり褒められたものではないけどな
あとガリオア基金エロア基金ララ物資などアメリカや西側諸国が全面的に資金物資面でサポートしてくれたこと
安保条約で軍事費もアメリカがすべて肩代わりしてくれたこともデカい >安保条約で軍事費もアメリカがすべて肩代わりしてくれたこともデカい
9条押し付けたんだし自業自得 九条は押し付けだとかいう都市伝説信じてる奴いまだにいるんだな 8050問題とか言うけどさ
ニート第一世代がいよいよ親が死ぬ年代になってきただけだろ
高度経済成長期以前でニート出来たのは金持ち家庭の子息(高等遊民)くらいで
庶民はみんな貧しかったから否が応でも働かざるを得なかったゆえに
こういう問題自体が発生しなかっただけの話 >>654
8050問題はニートの問題じゃなくて老々介護の問題だろ ペストが流行った頃ってこういう雰囲気だったのかな。情報量も伝達速度も遥かに上がってるのに、渦中にいると分からない。 そしてパニックを起こすのはどんなに豊かになっても同じ
これはマルクスも予見出来なかっただろうな マスコミも酷いし、Twitterなんかもパニック起こしてるのが騒いでるんだよな
なんでお前ら(無知で無能な)自分の直感の方が、ノウハウ持ってる専門家より正しいって無条件で考えるのかと
よくそんなに自分に自信あるな、驚くわ 結局のところ中世であろうと現代であろうと災害は事象が終わってみなければ分からない
情報伝達のスピードが上がったところで分からないものは分からない むしろスピードが上がりすぎてデマや不確定情報がワンサカ出てきて混迷を深めてるだけとも言える 国のトップがアホやって国民が詰むっていつの時代もあるのね
ポーランドの民主主義みたい 武漢肺炎に対する日本政府の対応は良い
よくやっている
韓国の無様な失敗を見るにつけ、そう思う 俺が子どもの頃だった70年代は平日の昼間から酒飲んでは食堂でたむろしてるオッサン連中が一定数居た
まだまだ会社勤めがそれほど一般的ではない時代でゴロゴロしつつたまに家業手伝っていれば暮らしていけて自然と嫁も来るような良い時代った 家業の手伝いしてるなら一応働いてるわけだしニートじゃないぞ
ニートは就労時間0どころか家事すら全て親任せ >>663
江戸時代だと武家の次男坊・三男坊はあくまで長男のスペアで、部屋住みという合法ニートだったけど
百姓や町人でもニート出来たのだろうか(豪農・豪商の子息は除く) >>663
田舎だと平日昼間に出歩いてるのは主婦と爺婆だけだが
都会だと平日昼間でも遊び歩いてる若者やおっさんがごろごろいるよ 武士は自動的に年貢が入ってくるからいいけど
百姓だと子供が一家で養えない数になったら
食い扶持を減らすためにそいつを丁稚奉公に出したり、寺に入れたり、
遊郭に身売りをしたりとかしてた 浪人は豪商の屋敷で用心棒でもしながら暮らしていたの? >>663
70年代は高度経済成長期の真っ只中だし
庶民家庭でも穀潰しを飼育可能になるくらいには豊かになっていたんだよ >>668
傘張りなどの手仕事で手間賃を稼ぐ
土方をやる
剣術道場をやる
識字を利用して寺子屋の師匠、文筆業
本格的に町人、百姓になる
自暴自棄になって犯罪に手を染める‥
明治になって政府が支給する秩禄は当然ながら浪人は対象外、平民として登録された 宮本武蔵ほど孤高という言葉が似合う剣豪もいないよな 中世ヨーロッパの傭兵だけど
戦がない平時は何して稼いでいたのさ? カルタゴは海軍は自国民、陸軍はヌミディア傭兵だっけか 大物の傭兵はたいがい貴族身分で、傭兵隊の中核は自分の封建家臣だったりするしな。 傭兵崩れ、乞食、娼婦、大道芸人は一緒に旅することが多かったよ。相互扶助のためにね。 騎士は武功を上げるために戦いたがったけど
傭兵は戦が終わると商売あがったりだから牛歩戦術でだらだらやってたって感じ? 東ローマ皇帝「十字軍見たけど、きちんとした身なりの騎士は一部だけで、後は野盗・山賊の類の輩ばかりだな・・・」 >>246
メソポタミアに価値があるかどうかは、衛星写真を見れば一目瞭然
緑色なのはエジプトとメソポタミアだけ。。
ここだけは農業が盛んな穀倉地帯で、あとは茶色くて何もない不毛の地・・・というのが、中東地域の実態だ。
ここが兵家必争の地になるのも当然と言える
https://media.sciencephoto.com/image/c0046571/800wm/C0046571-Middle_East,_satellite_image.jpg 西ローマはヴァンダル族に北アフリカの穀倉地帯を奪われたのが痛恨
東ローマはイスラム勢力にエジプト・シリアの穀倉地帯を奪われたのが痛恨 トラヤヌスが征服に成功してメソポタミア属州にしたけど、次のハドリアヌスはあっさり放棄したんだよな ただし、静かに増水していく穏やかなナイル川と異なり、チグリス・ユーフラテス川は、人に優しくない暴れ川
そのせいか、人々の気性もエジプト人とくらべて気難しく、古来より反乱が多くて統治困難な地域として知られる。
とくにイラクの南部は、地元のサラセン帝国ですら誰も総督をやりたがらなかった。
それを思えば、アメリカ合衆国がこんなところの統治に乗り出したのは無謀そのものであった >>681
東ローマは、ペルシャ帝国と、シリアを取ったり取り返したりのバトルを繰り広げてきて、「ついに取り返した!」というときに、イスラム勢力が怒涛のように押し寄せてきたんだよな
「シリアよ。汝は敵にとって、なんと美し国であることか」というのが、皇帝が残した痛恨のセリフ >>680
衛星写真で緑色なら豊穣、というのも短絡では?
その写真だとトラキアやザカフカースが穀倉地帯になるじゃん。 >>683
ヘブライ人がこの厳しい自然の中に住んでたから一神教を思いついたんかな ヴァイキングも貧しいヨーロッパより
豊かなビザンツやイスラム世界を狙えば良かったのに
と思ったが、本拠地から遠過ぎて補給が滞るか まぁ、東ローマには傭兵として出稼ぎ行ってるから良いのでは? >>689
海をグルっと回って、豊かな穀倉地帯のシチリアを取りに行った そういえば、ネットではひところ、こんな「衛星画像」が出回っていたな
「緑豊かな日本列島、荒れ果てた◯◯半島」というわけなのだが、これは加工されてたみたい(笑)
http://blog-imgs-71.fc2.com/t/a/n/tansoku159/201506181813226d3.jpg >>689
それ以前にキリスト教社会みたいに宗教で情報共有されてた訳じゃないから
位置や栄え状況すらよくわかってない
羅針盤も無い時代だし船もそこまで強固に作れる時代でも無かったし 台頭したパルティア・ササンによるメソポタミア掌握やこの地域へのローマ介入は
富じゃなく「古の世界覇者の地」たる威信が最大の目的じゃないかな(もちろん富も副次目的ではある)
イラクイランの連中にとっては世界支配の正統性を象徴するし
ローマ人にとってはここを制覇したアレクサンドロスへの強い憧れもある >>695
カエサルを始めとするローマの覇者や皇帝たちがパルティア征服にこだわったのは、確かにアレクサンドロスの東征の栄光を再現して自らに箔をつけるのが目的だった
でも、パルティアがメソポタミア征服を目指すのは、モンゴル人が中国に攻め込むようなものじゃないかな。
ペルシャはゴツゴツした岩山が多くて、限られた水をトンネルで流しながら、かろうじて農業生産してるような厳しい環境。
メソポタミアの無いペルシャ帝国なんて、ちょっと考えられない 遊牧だと、たくさん神様がいると世話しきれないのだろう。 >>672
>中世ヨーロッパの傭兵だけど
>戦がない平時は何して稼いでいたのさ?
「傭兵の二千年史 」によると傭兵のうち専業傭兵は全体の1割程度で後は農閑期の臨時雇用の農夫とか
小遣い稼ぎで来た学生とかで当然こいつ等は非戦闘員も同然で実際の戦闘に参加することはほとんどなかったらしい >>698
そりゃ死人でないよね
死んだら丸損で、やる気がない奴が大半だもん ん?なんか変な認識になってないか?
傭兵の二千年史読めば出てくるけど、欧州の戦争で死者数が多くなるのは、(欧州では)封建軍から傭兵主体に切り替わることによる影響なんだぞ?
具体的には、スイス人傭兵の登場と、その影響を受けたドイツ人傭兵(ランツクネヒト)の誕生によるもの
>>685
エジプトとメソポタミアのみ豊かってのも変で、今のレバノン(広義のシリア)とかも地中海性気候で農産向き
そして、例に上がってるカフカースは山がちだけどその分古代的農業にとっては農業適地だったぞ
山がちで分断されてたから帝国は産まなかったけど >>694
ヴァイキングはスカンジナビアから地中海に至る航路をはっきり認識していたように思う あれだけ行き来していたわけだし
一方でイタリア人はシャンパーニュ大市等にはアルプス越えの陸路で行き来していてジブラルタルからビスケー湾を回る航路を開発したのは13世紀になってからという
時代的にずいぶん遅れを取っているがヴァイキングの船の方が外洋の航海にはガレー船より向いていたというのもあるんだろうけどもヴァイキングの航海術が地中海諸国に比べ随分と進んでいたのではないだろうか >>694
>>702
ヴァイキングはビザンツ皇帝の親衛隊に傭兵として大量に参加してたし、アラブ商人とも取引してたんだから存在を知らなかったはずはないよ。
相手が強ければ傭兵稼業や商取引で儲け、弱ければ襲撃して略奪する、ってことでしょう。
ヴァイキングの航海術は船の優秀さもあるけど、航海術も相当優秀だったようだ。羅針盤はまだないけど、太陽コンパス(太陽高度から北を割り出す器具)の実物が出土している。 >>701
レバノンも穀倉地帯ではあるが、古代においてはむしろ、木材の産地として知られていた ローマ帝国の時代に北アフリカが大穀倉地帯だったのに今は一部を除いて砂漠化しているのは、気候変動、灌漑設備の機能停止、土壌流失や塩害のような過剰利用の弊害、どれが大きいのだろうか? >>705
拡大したとは言え、当時から砂漠地帯は広かったでしょ?
逆に今でも緑が広がる地域も多い
砂漠化で深刻な食糧不足が起きるのは何故か
北のアラブ側より南の黒人側の方が多い
世界で最も豊かな国だったマリが見る陰もなくなった >>703
ヴァイキングはヨーロッパで捕まえた人々を奴隷としてイスラム世界に売り飛ばしていたからね イスラム諸国 特にトルコ帝国は奴隷を必要としたから売り手も沢山いたというな
ジェノバなどのイタリア商人が黒海沿岸で集めてきてはトルコに売ったりフランスのヴェルダンではトルコ宮廷の求める宦官の一大製造工場になっていたという
白人が白人を売っていた時代だ しかもナニの切除までして >>705
リビアが砂漠じゃなかった時期なんかあるのか? >>708
白人の美少女が大好きなアラブの大富豪もいるからな 最近は、中東でもゲリラ豪雨で洪水になったりしている
「この調子だと、自然に緑化されるのではないか」という声も出てきた ギリシアにライオンがいた時代って良いよな…
レバノンには杉もたくさんあったんだろうなぁ かつては中国・朝鮮にも虎がいたし、日本にも狼がいたしな スラブ奴隷からスルタンの皇后にまで登りつめた
リアルシンデレラがいたらしいぜ >>712
レバノンの杉は5000年ぐらい前にはだいぶなくなっていたらしい
それでより北部のシリア・トルコ国境あたりまで伐採の手が伸びていったらしいね
安田喜憲の本にそう書いてあったワ ローマ帝国にとってゲルマニアは魅力的ではなかったのかな?
森林地帯で木材の宝庫なのに
トラヤヌスの頃ならゲルマン全部族を服従させることも可能だったと思うけど
彼はアレクサンドロス大王への憧れからかパルティア遠征に行ってしまった トラヤヌス「キミ、良い身体してるね!ローマ軍に入らない?」
ゲルマン人「ウホッ!良い男」
ハドリアヌス程ではないが、トラヤヌスも男色だったらしいから
こういう会話もあったかもしれない そもそもトラヤヌス自体が結構なガチムチボディーなんだよな >>718
ゲルマニアはラインなど北流河川で地中海には持ってこれないしローマには意味がないのでは 憧れの土地地中海地方
ゲルマン人はそれしか思ってないよ
ゲーテみたいにね 今でも「夏休みはイビサやマリョルカに行きてえ」奴らがめっちゃ多いしなドイカス >>706,>>709
たぶん705がいっているのはアフリカプロコンスラリス州(リビア沿岸地帯とチュニジア、及び
アルジェリア東部の海岸と山岳地帯の間の部分)のことだと思う。このあたりは帝国の穀倉地帯だった >>718
ケルト人やダキア人は城塞に籠城するので
ローマ軍お得意の城攻めで征服出来たけど
ゲルマン人は城を築かないので城攻めが出来ない トイレットペーパーもティッシュペーパーも
ストックはあるらしいから1週間もすれば出回るだろ
出せば出すだけ売れる状況だしな
1週間以上経ってもない状態ならマジでないんだろうけどさ
それよかマスクだわ
安倍ちゃんが6億枚以上あるとか言ってたらしいが
早く出回ってほしいもんだわ
医療従事者やシナ人にばかり回してないでさ 野戦で殲滅しようにも
森の中に逃げ込まれたら追撃不可能だしな リビアとアルジェリアはともかく、チュニジアは砂漠じゃないだろ 毛沢東は風呂も入らない臭い人物だったらしい
そんな人間が支配する大陸志向の中国共産党が
華北の乾燥地帯は押さえても
華僑を大量に送り出した浙江、福建、広東省は
中華民国のまま海外の華僑と繋がっても
おかしくはない
むしろ、華東や華南の連中はよく寒い半砂漠の
蛮族共産党員に従うよな
あの体制が華南人に何のメリットがあるのやら
まるでゲルマン民族に征服されたローマ人みたい 華東や華南じゃ元々は北京語もロクに通じない
ルーズベルトやスターリンは何考えて
あんな蛮族に武器を与えて華東や華南の大都市を
占領させたのだろう そこのエリートが共産党のサイコパスにどう従えと言うのか?
あれはゲルマン民族の大移動に匹敵する
ルーズベルトとスターリンは悪魔と違うのか?
隋→陳 元→宋 清→明の悪夢の再現か 毛沢東は湖南省の人だが
スターリンもルーズベルトも支援したのは蒋介石の方だし >>732
通じないって言っても方言だし、地元民はなんとなくはんゆ通じるしそこまで堕とさなくても 広東省も、田舎ならともかく、深センには北からの移住者が集中している
そういうところは完全に北京語の世界 香港も広州もマカオも広東語の世界なのに、深圳は北京語なんだよねぇ
今やあの辺で香港よりも深圳の方が特殊だわ >>732
ルーズベルトは良くも悪くもインターナショナリストだった
良くもというのは英国の植民地支配を嫌ってたこと
悪くもというのは社会主義に幻想を持っていたこと ルーズベルト死去→第二次大戦集結→東西対立→赤狩り
ジェットコースターだな >>718
トラヤヌスの頃がゲルマニアを征服する最後の機会だったようだね
マルクス・アウレリウスの頃にはゴート族が黒海北岸に移住してきたり
寒冷期になっていたからもうゲルマニアを征服しても
ローマ式農業をやるのは無理になっていた >ルーズベルト死去→第二次大戦集結
まるでルーズベルトが大戦を長引かせていたようにも見えるな 国家が代わるのは、戦争、内乱、飢饉、パンデミックなど死者が多く出る事態
アメリカでもしコロナが広がったら、米の強固な製薬利権が崩れ、国民皆保険が始まるか アメリカは都市に住むマイノリティーが絶滅すれば万々歳なんだろう
チャイナタウンもブッラクハーレムも死滅する 次スレからワッチョイ入れたら消えるよ
この板が対応してるかしらんけど スレチ連呼君てどう見ても発達障害だよな
コミュ力ゼロだし どう見てもスレ違いの方がおかしいと思うが…お前は池沼かアホなの?
それにしても、俺は初めてスレ違いって書き込んだんだがね 軍事力を持たない日本はカルダゴ、ローマ帝国たる中国に滅ぼされる!!
て、昔からよく言われるけど覇権国家て中国じゃなくアメリカじゃね?
寧ろ中国がフェレンギ人でアメリカと覇権争いしてるだろw
日本はカエサル・クレオパトラ亡き後のローマの属国になって
ローマ帝国を経済的に支えたエジプトのことだろ? >>737
ルーズベルトは反日親中だったよな
カイロ会談では蒋介石を招いてチャーチルと三者会談
カイロ宣言草案が中国に有利過ぎる内容だとチャーチルが反発して宣言不成立
以後ヤルタ・ポツダムには蒋介石は呼ばれず >>744
残念だがこの板は未だにIDすら導入出来ない コロナウィルス感染者数
取り合えず韓国と日本はおいといて、
イタリア 1,694名、イラン978名、中国80,026名 と ローマ帝国、ペルシア帝国
中華帝国の古代三大帝国が突出している
インド3名というのは検査ができてないだけじゃないのか… インドはコロナよりもっとヤバい病原菌がありそう・・・ 武漢在住のインド人700人に感染者ゼロ
これはやっぱりカレーの効能と考えるほか無いやろ ガリア人は、ワインの為に人を売る…
でも結局、ローマ化して今も同じ製法でワイン作り出来て良かったよ つかほとんどが軽症で高齢者と持病持ちが重症化って
それただの新種の風邪じゃね? >>759
その通りやで
新種の風邪や
思い切り悪質な風邪で重症化すると肺炎になる風邪や >>759
間違いなく新種の風邪だよ
重症化しやすい風邪
元々風邪は万病の元で、場合によっては肺炎とかの原因になっていたわけで そりゃああったんじゃないの
サイコロなんて博打に使わんでなんに使うんだ ローマの競馬とか戦車競走はお金かけなかったんかな?って疑問に思ってたわ
野球でもなんでも賭け事になるんだから当然なったよな >>748
と言う事はチャーチルとルーズベルトは本当は
仲が悪かったのですか
すると結局、チャーチルら旧植民地体制派から
ルーズベルトら新国際秩序派に、国際社会の
主流が移っていったように見えますね
ただ、アメリカは旧植民地体制派も大変強い力を
持ち、巻き返しは常に画策してる感じもあります 真偽は知らないが
ルーズベルトが香港返還をチャーチルに説得しようとして「失礼はお詫びするが、あれはアヘン戦争で中国から強奪したものではありませんか?」と言ったらチャーチルは「そうですな。確かあれは米墨戦争と同じ頃でしたな」と言い返したとか。 >>766
何でも賭け事が出来るって言うのはな、割り切れる国民のある程度の知力
知力を駆使したちゃんとした法整備、警察のような機関がしっかりしてるからこそ成り立つ物
それ全部機能してないと簡単に殺し合いにもなるし利権の奪い合い借金等で血みどろのスパイラルになる
だからこそ高貴なる文明人を自負してるローマ貴族は賭け事を底辺、蛮族のやる物だと蔑んで来た
酒場でやるような簡単な物にまでは口出ししないだろうけど、準備したり会場手配しなきゃいけない物は
貴族は認めるはず無いし貴族のご機嫌伺う組合とかギルドは簡単に消すことも出来た >>766
賭けてたよ
東ローマのコンスタンティノポリスだと青と緑の2チームしかなくて、戦車競技がある日は、町中で互いのファンが喧嘩になる
暴動に発展したこともある 戦車競技場での賭けの話は古代ローマの24時間だったかにあった >>770
ニカの乱の引き金ですな
現在のイスタンブールでは、サッカーのガラタサライ対フェネルバフチェのボスポラス海峡ダービーマッチが
「欧州最凶対戦カード」と呼ばれるほどの過激な様相 賭け事好きには戦車レース、血を見たい奴には剣闘
意識高い系には演劇
ローマの娯楽は充実してるな コロナ見る限りはイタリアはやっぱり不潔だったw
ゲルマン人やらドイツ人やらがイタリア遠征すると大抵疫病にかかるんだよな 実際ドイツは衛生環境が中世の頃から欧州随一なのは記録でわかってる
ゲルマン人も清潔だったのかもしれんぞ ゲルマン人は古すぎるにしても
民族性ってのはそう変わらんしね
ナポリが汚いのも昔からだろうし、ドイツ人の掃除文化も昔からだろ ゲルマン人は家族ごとにバラバラに住むを好む
他の民族のように都市を築いて密集しない >>778
家族ごとバラバラまでは散らない
考古学見地からすると数十の家族が集まったほどの村を形成するのが普通
もちろんオッピドゥムのような大規模居住地はほとんどつくらなかったようだけど ゲルマン人って一括りにしてるけど、ゲルマン語族に属する部族で統一的な様式があるような研究あったか?
ゲルマニア地域に住む人々の共通性って話ならあるけど >>780
俺はここではとりあえずローマと同時代のライン・エルベ帯の
所謂スエビ系に代表される集団をイメージしてる
>>779のもその地域・年代の傾向
邦書だと「ゲルマン経済・社会・文化の史的研究」や
「ヨーロッパ世界の形成過程の研究」あたりが考古学調査の詳細を紹介してる
出版が80年代とやや古めだけど、居住様式のモデルについては現在でも変わってない
(「ジッペ」の是非や定義など社会構造についてはだいぶ議論入り乱れてきてるけど) 「西洋人は風呂に入らない」とよく言われるが、それは主にフランス人の傾向で、いた。人はずっと清潔
おそらく、コーランの影響でマメに入浴するアラビア人の影響だろう 中世欧州の生活史的な本ではペストの大流行以前は都市部では割と公衆浴場も多く入浴の習慣はそれなりにあったという
ペストの大流行時以降フランスあたりでは風呂に入るとかえって健康を害する的な概念が定着したらしい まあ浴場で感染するというのは普通にあり得ただろう そうした経験が入浴を忌諱する文化を醸成したのかもしれない
日本にも五木寛之のような頭を洗うとハゲになるから洗わんとかいう御仁もおるし 生活の世界歴史によると西欧人が不潔だったのは16から18世紀の近代人で中世の人々は余程マシだったとある
欧州近代人の風呂嫌いは新大陸から梅毒が持ち込まれて風呂屋での感染を恐れたためというのが通説らしい 当時の風呂屋は売春も兼ねていた
日本も風呂屋の売春と梅毒事情は同じはずだが気候的に風呂に入らないと耐えがたい日本と乾燥している欧州との差だったのかもしれない ローマ帝国ってアトランティスみたいなロマンあるよな 2000年前にアメリカが
存在したようなもんだ いやそれは言い過ぎだけどさ アトランティスなんて非現実的な話じゃないけど、最近>>1みたいな本が
書店であふれているね ウラル系のフィンランド人はサウナ好きだけど、ゲルマン系のスカンディナヴィア人はどうなんだろう
ロシア語では蒸し風呂をバーニャと呼ぶけど、これは中東起源の言葉だっけ? ブルガリア語だと風呂一般がバーニャだよね >>788
ゲルマン人も風呂好きよ
先に出てるけど、疫病大流行があかんよね >>782
「いた。人は」って、「イタリア人は」の誤記?
それとも例えば「あった。他の国の人は」といった表現の誤記? そういえば日本も平安貴族はあまり入浴しなかったらしいとか >>788
ローマ遺跡に浴室、サウナ相当のものがよくある イタリアパニック状態でおもしろいことになってるな
ローマ末期もこんな感じで騒いでたんだろな 死者数230人だっけイタリア
もう明らかな医療崩壊 日本人も風呂好きだよね
水がしっかり確保できるようになるまで基本はサウナだったし >>793
ラテン系のローマ人はもちろんテルマが大好きだな
タキトゥスが書いたゲルマーニアだと、地理的には今のドイツあたりまでだろうし
更に北方のユトランドやスカンディナヴィアの住民は蒸し風呂なり温水浴なりしてたのかどうか、はてさて
中世にまでなれば、開拓先のアイスランドの住民は確かに温泉大好きだけどね 日本にしてもまあそこそこ風呂に入っていたのは都市住民で農民はまだまだ風呂は贅沢品だっただろう
冬は湯治で温泉三昧という地域もあっただろうけど 中世日本だと風呂屋はお寺の兼業で独立した風呂屋はなかった
ちなみに現存最古の風呂は東大寺の大湯屋で1231年創立
1428年に来日した朝鮮使節団の朴瑞生の記録だともうこの時点で銭湯が繁盛していたようだ 風呂に入らないのは、主にフランス人の傾向
イタリア人はそんなことない 曰く、チベット人が風呂に入るのは生涯に二回だけ
産湯と湯灌だとか インドネシアの人の多くは、日本の人よりもさらに風呂好き
1日2回が一般的で、日本の人の1日1回の入浴習慣に「少ないな」と感ずるんだとか >>804
1日2回はいいね
日本の場合、入浴のたびに衣服を脱いでまた着るのが面倒で2回はできない
1日2回だと薪代が大変だろう、温泉が多いのかな 熱帯なら燃やす草があっというまに勝手に生えてきそう >>805
コーランの教えの影響で、イスラム教徒はこまめに入浴する
乾燥したアラビアでさえ、そうなのだから、ましてや高温多湿なインドネシアでは ドイツは感染者増えても重症化せず
イタリアは死にまくり
生活習慣の違いかね >>805
火山帯の島嶼国としての温泉の存在もさることながら、
そもそも熱帯の国だから、温水に毎回こだわらなくても済むという事情もあるね >>805
>>806
冷水浴で済む場合も多いうえに、いまどきの世の中ならガスとか電気とかもあるし >>804
マレーシア人の友人からも同じこと言われたわ
日本人って夏にシャワー浴びる回数少ないねと 常夏の国で、いちいち薪を燃やすかいな
現代人なら、ガスで沸かしたお湯を使うだろうけど >>807
イスラムは入浴というより水で手足を洗う
モスクの入り口に洗い場のようなものがある >>809
昔仕事でジャワ島に行ったことがある 日本以上に火山だらけで地熱発電所も多いんだが温泉利用は非常に低調だったな
自噴でこんなお湯がドボドボ出てるのに利用もされず勿体無いなと思ったが暑いから水浴びの方が気持ちがいいのかもね >>804
東南アジアで生活してると寝汗をかくので朝起き抜けにシャワー、仕事から戻ってまたシャワー
湯舟に入らなくても最低2回はシャワー浴びる やべえイタリア死者数400人越え
国中の刑務所で暴動
末期ですね! 文明が伝わるのが遅かっただけでゲルマン人のが優秀だったと思う
実際ゲルマンのリーダーは教養はないが優秀だったし ローマ時代に栄華を誇ったイタリアの没落度やべえなwwwwww >>817
末期のゲルマン出身の将軍や貴族を見るとそんな感じだね >>804
あいつら裸足で走り回ってるよ
そんで朝と夕方に一回ずつ入る
衛生観念は比較的まし程度
前提条件が間違ってる >>813
ウドゥー(清め)ってヤツじゃね?
確か性行為後もこの行為を推奨してたはず 高度経済成長期に海外旅行に行った日本人男性が食事の前に手を洗う習慣がなかったり
フィンガーボールの水を飲んだりして現地の顰蹙をかっていたのは有名なお話 公共男爵トイレの手洗い場では、指先にちょっと水をつけてそれで手洗いのつもり、というのもよくみる。コロナ騒動でだいぶ減ったけど。 ジャップは野菜にウンコかけていたんだぞ
戦後マッカーサーが禁止したんだ
恥ずかしいよな >>829 ユゴー「文明に劣る東洋人ですら便を肥料として活用してるのに我々は今も垂れ流し、情けないなぁ」 >>829
東京湾に流してる現在よりもよほど優秀なのでは? 韓国じゃいまだに韓流スターが政府広報に出て「虫下しを飲みましょう」と
キャンペーンしてるぞ ソウルとか北京はどうしているのだろう
ソウルは川に流すか、海まで運ぶ
北京は海が遠いから川に流す、上海は海に流す 海洋投棄じゃないの?東京でも70年代までやってたし >>833
10年以上前にソウルに2年足らず住んでたことがあるが、
そんなCM、ソウルのどの放送局の放送でも見たこと無いぞ? またネトウヨのデマだったか
あいつら息を吐くように嘘を吐くからなあ 帰国してらしたんですね
どうして再来日したんですか? 韓国にいた事もあるしソウルに住んでいた事もあるが
韓流スターが虫下しの薬の宣伝してるのなど見た事ないわ >>840
本当にそういう広告が有るというのなら明確な出典を833が示せば済むだけのことで、
明確な出典が無いなら833のレスは却下されるだけだろう
水掛け論やってても意味が無いのでとりあえず次の話題に移ろう(風呂の議論から水掛け論とは、これ如何に)
ローマの実権がラテン系勢力からゲルマン系勢力に移っていった過程でも考察するかね ゲルマン系のが体が強くて頭がいいのは現状みりゃわかる >>844
ゲルマン系のおねーちゃんは顔が厳つい。
あそこの毛もボウボウ。今みたいに処理するのが
主流になる前は、毛皮のタンガ穿いてる感じだったし。 ん?ローマ帝国の衰亡はキリスト教の爆発的な流行とほぼ同時期だったと思うけど? ゲルマン系が頭いいなら二度の大戦で二度とも敗戦国になったりしない
せめてどっちかは勝っとけ ゲルマン系同士が戦っただけだよな
アメリカの白人の内訳はアングロ・サクソンとジャーマン、他オランダやスカンナジビアで7割ぐらいいくゲルマン主導国家だよ >>852
アングル人はユトランド半島から渡来したゲンマン語系の言語を母語とする集団だし
サクソン人は言うまでもなくザクセン人のことだけど
お前は何を言っているのだ しかし、その上のレス群も酷えな……
ゲルマンだのなんだの、近代国家的には「母語の文法」以外に古代との共通項なんぞほぼ残ってないと言うのに
中世での変遷も踏まえての分析ならともかく
19世紀のロマン主義から何一つ成長してない ゲノム解析によれば今のブリテン島の住人はローマ時代のケルト系ほぼそのままだという
一番ショックを受けたのは当のイギリス人で、アングロサクソンとは何なのか議論になっているとか >>856
けどそれでもイギリスの3割はゲルマン系遺伝子だし
それいったらドイツ中南部だってケルト系になっちまう
フランクも純ゲルマンじゃない
普通に民族の自認でいいだろ 細かいこと言いだしたらイタリア北部もラテンじゃなくエトルスキやケルトになってしまう >>856
そもそも、言語学的グループ(仮説)「語族」を文化的集団に当てはめた研究があるだけであって
生物学的な分析(遺伝子によるルーツ調査含む)は、その伝播経路、また文化的受容を測るための一助に過ぎない
ゲルマンの特色だのを生物学的な分類でステレオタイプ化するのも、文化的集団をゲノムだけで分かったように語るのもどっちも極端すぎて明白な誤り >>857
そもそもフランク国家(王国になる前)は、ゲルマン語を受容したケルト系部族とゲルマン系諸部族の政治的集合体だったって仮説すらある(しかも割と有力)
フランク王国成立後は言わずもがな とりあえず征服されたケルトの遺伝子さらにそれ以前のケルトに征服された原住民の血も残ってるから
特定の民族じゃなくて遺伝子集団で比較するなら
中欧から西欧にかけた北方系遺伝子集団の方が南方系遺伝子集団より優秀
南方系は文明が伝わるのが早かったから一時有利に立てただけ
北方系集団は質実剛健、忍耐があり、体もでかく強く、頭もいい
南方系は富が入ったらすぐ享楽的になるよな アングロサクソンばかり取り沙汰されてデーンさんとノルマンさんの立場は >>862
デーンロー地域はともかくとして、ノルマンコンクエストって、部族が侵入したわけでなく、フランスのノルマン系貴族がイングランド征服したってだけだからなあ ノルマンはヴァイキング船でアメリカや中央アジアまで行ってしまうからね
航海技術に関してはめちゃ頭がきれる 日本は島国で国家としては海洋国家として在るのだが、農民根性のせいか、彼らが何に駆られて海を行ったのかよく分からんね。 >>861
文化圏の違いと分子生物学上の違い(しかも種としては同一)を混同してる時点で、
861の言説は与太話にすぎない
はい次いきましょう >>863
そのコンクエストに多数のブルトン貴族が参加してるのもお忘れなく >>866
南欧が享楽的でビジネスがダメな事実は変わらん
ファッションとメシだけだろ
一方イーロンマスクは火星に行く たまたま南欧は海路でメソポタミアとつながってるから早く発展しただけ
中欧・北欧のやつらが知恵ついたら太刀打ちできなくなった ローマ帝国が衰退滅亡しなきゃ北方の連中を撃退してたかもしれんが…うーん >>853
基礎語彙数百だけをもってゲルマン要素なんて笑わすな
ウムラウト変化も消失、アプラウトも数えるほど、性も格変化も無し、
枠構造もなし、分離動詞もなし、語順はSVO型固定ってどこのピジンだ 豊臣秀吉の入寇は今まで小規模だった倭寇の親玉が遂に姿を表して本気で攻め込んできたようなものだからな
もし当時の倭人がハワイやアメリカ大陸西海岸に行けてたら間違いなく欧米人と同じいやそれ以上の虐殺をやってのけただろう
徳川家康が秀吉の政権を打倒して海外渡航を禁じ李王朝に使節を送って学問を乞うようになったのは一時的ではあったが素晴らしい事であった
しかし明治維新という暴挙で侵略性が復活する >>873
秀吉は倭寇と何の関係も無いがな
秀吉が倭寇使うて何かしらの工作でもしてたていう疑いでもあんの? バルカン半島 マケドニア王国
イタリア半島 ローマ帝国
イベリア半島 ポルトガル海上帝国・スペイン帝国
アラビア半島 イスラム帝国
アナトリア半島 オスマン帝国
朝鮮半島 千年属国
なんでチョン助は半島なのに覇権国家になれなかったの? 750年のアッバース革命でアッバース朝がウマイヤ朝を滅ぼすと、
アッバース朝の残党狩りは執拗を極めた。
ただ一人生き残ったウマイヤ家の王族アブド・アッラフマーン1世は身につけていた貴金属を逃走資金に変え、
アフリカ大陸に入りアフリカ西北部のベルベル人に保護された。
彼の母親はベルベル人であり、その容姿を受け継ぎ、金髪で瞳が緑色であった彼はベルベル人に温かく迎えられたばかりか、
ウマイヤ朝再興の足がかりを築くことができた。
>彼の母親はベルベル人であり、その容姿を受け継ぎ、金髪で瞳が緑色であった彼はベルベル人に温かく迎えられたばかりか、
金髪碧眼なのはヴァンダル族の末裔ってことでおk? 勇猛果敢で知られたヴァンダル族だが
王国を築いてからはベルベル人の侵入に悩まされていたようだ カルタゴ人に一番近いのはポルトガル人ってマジかいな イスラム勢がペラーヨを討ち
イベリア半島から完全にキリスト勢を駆逐していたならば
今のスペイン・ポルトガルはなかっただろうね レコンキスタの時といい、十字軍の時といい、
イスラム側はいつも内紛してるよな。こりゃ負けるわ。 >>884
16Cにはオスマン帝国の勢力下になってたんかね? >>882
>>886
モロッコは小国かと思いきや
なかなかやるぜ
ポルトガル国王を敗死させるし、オスマン帝国の侵攻も撃退してる ギリシャもレコンキスタやって
コンスタンティノープルをトルコから奪い返せよ 五本山
ローマ以外の4つは今やイスラム教国の領土になってる
悔しいのう キリスト教がこんなに広まったのも
ローマ帝国がイエスを処刑してそれが伝説になってしまった所為 >>13
最初にキリスト教を統治に利用したのはコンスタンティヌス >>881
ベルベル人はヨーロッパ人に近い外見で、元より碧眼が多い
ヒスパニアを支配していたサラセン人のほとんどもベルベル系
ヴァンダルは数が少なすぎるので、残ってても同化してしまう >>881
カナリア諸島の原住民グアンチェ族もベルベル系の言語を話す金髪碧眼の人種だったらしいが
彼らはヴァンダルの侵入以降に移住してきたのだろうか? >>891
尊皇攘夷思想も、吉田松陰が処刑されてレジェンドになったことにより広まった 松陰はなぁ
「地勢上から我国は諸国の首に当る」とか言ってて、幕末当時も突飛すぎる思想だと
叩かれてるんだが、それがイデオロギーとして成立しちゃうのも時代の趨勢なのかねえ イタリアコロナ死者数3000人
ヤバいなんてもんじゃない >>897
植松も死刑執行で障害者殺しの守護聖人 聖☆植松に列聖だな >>896
ヴァンダルのローマ住民に対する人口比率は2% もう満州族もとっくに同化しちゃったから固有の言葉も話せない人が多いよ フランク人や西ゴート人も次第にゲルマン語を話せなくなっていったのか
現にフランス語やスペイン語はラテン系だしね スペインの場合はイスラム化の影響と、その後のレコンキスタの流れが大き過ぎてな >>905
フランク・ゴート・ランゴバルドは積極的に同化していったからね
言葉も俗ラテン語に変えた
そこに彼らの語彙が混じっていった
スペインは俗ラテン語に、アラビア語の語彙がかなり混じったのでちょっと独特だよね 北アフリカのベルベル人とかYハプロこそ9割ニグロだけど
ミトコンドリアハプロはケルト系のH1とか北欧に多いVとかUがほとんどなので金髪碧眼の人がいても不思議でないけどな コロナがヤバいのは中国イタリアイラン
古代帝国跡地ばかりなのは何かあるんかいのう イベリア半島がアラブ化されたまま現在に至ってたら同地の
キリスト教徒はアラビア語を話しアラブ文字を使うアラブ人に
なってたんだろうが,ローマカトリックを奉じ、キリスト教の聖人名の
アラブ語形を名乗ってたりして ローマ、ヴァンダル、東ローマと
長くキリスト教圏だったのに
ジハードが始まって北アフリカは一気にイスラム化したよね 黒人がゴリラとセックスしてエイズになり、そこから世界へ広がった ブラックアフリカでローマ帝国と交流があったのがエチオピア
北アフリカがイスラムに席巻されキリスト教圏と分断されてからも今日までずっと信仰を保ち続けた モスリコ追放令
モロッコやオスマン帝国に行った人が多かったようだ >>914
むしろシリアのキリスト教徒アラブ人のほうが近い
カトリックとの接近についても同様 イラクからアメリカに移住してきたアラブ系キリスト教徒が、
カフェ作って儲けてるのをテレビで見た
NHKじゃなく民放で。
多分アッシリア東方教会の信徒なんだと思うが、正確なところは分からない 古代ローマ時代に建築関連の技術書を数多く残したとしても再び実用化
させられるような職人・技術者っておらんかったん?>東ローマ イスラムと中世ヨーロッパの医療技術水準の違いというと脚を
化膿した騎士のエピが思い浮かぶが、古代ローマの医療技術水準と
その後のイスラムのそれとではどっちが高かったんやろ? >>913
イベリア半島がアラブ化されてたらアルジェリア、モロッコ、チュニジア同様
マグレブ諸国の一つとなってたんだろうが、フランスは対イスラムの最前線
としてスペインみたく頑迷なカトリックになって自然科学の発展が阻害・・・
されてたんやろな 古代ローマに出てくる医者ってグラエキア人ばかりじゃね >>922
イスラムの方が高いかな
ローマをベースとした彼らは、10世紀には虫歯の治療法を発見していた
ただし、相当痛いので普及するのは後
バグダッドが当時最高レベルの医術の都 いろんな意味で、アッバース朝時代のバグダードって、
今の米国のワシントンとニューヨークとボストンを合わせたような存在感だよなあ
西方諸国の政治と外交と経済と学術の拠点中の拠点 むしろ関税無しで物動かしまくってたから経済は潤い中華からの物の往来も活気良くなった
オスマン帝国がコンスタティノープル陥落した時に使った大砲技術も火薬も中華からの伝達
ペスト広がった要因にもなったけどな モンゴルモンゴル言うけど西アジアでもヨーロッパロシアでも
モンゴル人はほんの一握りで
実際にやってきて蹂躙してヒャッハーしてたのは
それ以前から接触してきたチュルク人だろ
モンゴル人は大半が帰国したり
残った者もチュルク人に溶け込んだりして消えた
チュルク語とモンゴル語は日本語と朝鮮語以上に違う モンゴル帝国の端っこだと数世代で現地人化してるからね
ロシア貴族の10%が、モンゴル貴族の直系子孫 今もロシア軍って双頭の鷲の紋章なんだよな
ローマは落ちた、コンスタンティノープルも落ちた
だがモスクワは落ちなかった
とかどこかで聞いたことある
第3のローマなのよね ロシアの専制的な要素ってビザンツ由来?それともモンゴル由来?もしくはその両方? モンゴルのほうがでかいだろうな。
モンゴル支配以前以後では大公の権力がまるで違う。西欧の旅行者がモスクワ大公の権力について「われわれの国とは違い、モスクワでは大貴族たちも大公の奴隷と同じであり、
大公のために最も賤しい奉仕をすることが彼らにとって最高の名誉とされている」とか書いている。 ディオクレティアヌスに始まる皇帝専制が絶頂を迎えるのはバシレイオス2世のころ >>935
西欧もそのちょっと後くらいに絶対王政になるだっけか >>926
ピーク時にはそうだったが、政治の首都は、第8代カリフのムウタスィムが、サーマッラーに遷都してしまったな >>935
中国史もそう言われているな
唐宋と明清では、皇帝の権力に大差があり、同じ帝国といっても似て非なる存在であると マルクスの予想とは異なり共産主義が成立したのは
ロシア、中国、カンボジアなど資本主義が遅れた国ばかりだった モンゴル帝国に支配された地域ほど、社会主義の体制になじむのが早かった マルクスの予想通りなら資本主義が発達したイギリス、フランス、ドイツが真っ先に共産主義国になる筈だからな。 権力の集中にはモンゴルによる既存の文化の破壊と旧支配者層の絶滅が必要だったってこと? >>935
グレコフとヤクボフスキーが「金帳汗国史」で指摘しているけどキプチャク・ハン国は男女や身分の差が緩く
ルーシ諸国よりもずっと自由でハーンの勅書も正妃や官僚の署名がなければ実効力を持たず多分に立憲君主的な色合いを持っていた
ロシアのタテ社会的構造や男尊女卑はもともとスラブ人が持っていた特徴でしょう 中国の南北朝時代でも遊牧民の遊牧民の系譜をひく北朝や隋唐では門下省が皇帝の詔勅を審議し
律令に違うとこがあれば無効とする封駁権を有していた
これは単于といえども大人の掣肘を受けるという鮮卑の伝統を反映していると言わている
一方宋になると審議機関である門下省は実質的に廃止され皇帝の勅命が素で実行される
「陛下のお言葉が法律でございます」的な皇帝専制政治がはじまることになる >>944
モンゴルを通じて、中国の影響を受けた可能性が高い >>945
「じつは唐と宋での変化が一番大きかった」というのも盛んに言われることだからな
唐宋変革期の話はさんざんやった 皇帝の専制は、古代のペルシャ帝国やバビロニア王国に由来するオリエントの伝統だな >>947
室町時代と江戸時代の違いみたいなもんか フビライの時は専制っぽい感はあるが
モンゴルってもともと家族主義的な支配体制じゃねーの
門外漢だから適当なこと言ってるけどどうよ 異民族による征服王朝と言うのは
支配される側の民族から見たら支配者が妥協を許さない圧倒的な存在で
法令の施行で容赦なく人民が殺される専制的的な支配に見えただろうが、
支配する側の民族は特権階級を持つ「貴族」になりやすく、
貴族たちと皇帝との間の権力の差は絶対的なものではなかった
だから決まってどこかの段階で貴族たちを粛清し皇帝の権力を絶対化した
征服王朝の支配原理を我が物とした民族王朝の宋や明はそこまで引き継いだ モンゴルは間接支配ばっかだから、まぁ支配の実感あんまりないと思うな…市民からすると 白人がうらやましいです
彼らはいつも優遇されています
不遇だった時代なんて無いんざないんですか ルーシがモンゴルに征服されなければ、
そのうち西欧を抜いてたかもしれないな >>952
それいかにも単一民族国家の日本人らしい発想だよね
大理国なんて国民のほとんどが奴婢だったけどモンゴルの征服によって解放されている
日本もGHQによる異民族統治で人口の過半数をしめていた小作人が解放されてるんだけどね >>957
モンゴルは占領することで全体を奴隷化したと見ることもできるし、
戦前の小作人は土地の賃貸業の客であり別に奴隷じゃなかった
原爆を落としてありがとうって解放軍様を褒め讃えるぐらいなら単一民族のレッテルで馬鹿にされてもいいよ じゃあ君は地主の胸先三寸で田畑を取り上げられて赤紙一つで徴兵される戦前のほうが良かったというわけだね
うんうん立派な陛下の赤子である臣民だ
連合軍は原爆投下の前に伝単ビラを撒いて避難勧告していたが防空法によって一般市民は避難することができなかったこと
それらを取り締まっていた特攻や憲兵は事前に投下時刻を知っていて自分たちだけは逃げ出したことは知っておいたほうが良いよ アメリカが広島に原爆を落とす前に大量に撒いたビラの内容がこちら
https://www.pinterest.fr/pin/613334042974744459/
なぜ日本政府が住民の避難を禁止したか?
伝単ビラをバラまく際に連合軍機は日本軍の高射砲の射程範囲に入る必要があった
つまり自国民を人質にして自国民を救おうとして奮闘する敵軍機を撃墜してたわけである 共産党員さん!共産党員じゃないですか!
また5ちゃんで折伏活動ですか? どっちが悪いとかそういう問題ではなく、戦前も戦後も良し悪しがある
小作人制度が消滅して農家は誰でも土地所有が自由になったのは、
日本の身分制度消滅・自由主義化を促進したと見ることもできるが、
一方で農業の零細化を深める結果を招いてしまった側面もある
東南アジアで植民地時代から今日に至るまで続いているプランテーションは、
大土地所有者が労働者を『小作人』として雇って働かせる制度。
つまり戦前日本の農業も、見方を変えると大規模農業に適していたともいえる。
もっとも、確かに人権無視で土地が狭い日本に向いている制度だと言えるかどうかはわからないが。 田舎から東京に出てあくせく働いて、故郷に土地を買って人に貸して
どうやら老後は安泰かと思ったら敗戦・農地改革で財産無くした
老人の話とかよくあったよね
地主は富農で特権階級だーというステロタイプな話に疑問符 日本人単一民族説は財界が日本の成功神話を盛んに理論武装しようとしていた80年代に
通俗的な文化論から派生して中曽根康弘が得意げに講演会で孫引きしたのが
当時のウタリ協会に抗議を受けたと言う曰く付きのもので、どっちかと言うと保守寄りの思想なのだが
かつては朝鮮人とも共闘していた日本共産党ももはや末端まで行くと保守と大差なくなっているのだろうな もはや保守と革新という区分け自体が無意味というか、革新派と
呼ばれた勢力が既得権益を抱えてその維持を最大目的としているからな >>952
ウマイヤ朝→アッバース朝
ウマイヤ朝時代にはイスラム帝国でイスラム教徒の多くが
まだアラブ人だけでアラブ人は特権階級だった
アッバース朝はアラブ人の特権を奪い権力を強化した
アッバース朝はアラブ人を恐れたので
バグダッドを厚さ50mもの城壁で囲んだ 11 世紀のイタリアって、一大発展期だと思うのだが >>963
>地主は富農で特権階級だーというステロタイプな話に疑問符
じゃあ地主制度復活させてみるか?5人組制度や徴兵制も
戦前はよかった民主主義は押し付けというのは結構だが主張するなら戦前に回帰する覚悟でいてくれ >>963の話のポイントは
・貧農の伜でも東京に行って働ける→移動、居住、職業選択の自由がある
・誰でも金があれば土地が買える→私有権が保護されている
のあたりだと思うんだが、共産党員氏はどうしても
農奴制とかいう方面に話を持って行きたいようだね >>889
イスラム教はキリスト教の一種みたいなもんだから違和感はない >>959-960
原爆を落としたのは日本軍部なの? >>954
サラセン帝国の奴隷市場では、白人少女が人気商品 >>964
日本共産党は、あらゆる改革に反対し、現状維持を声高に主張する超保守勢力
過去3年間で、30万人党員の5%が老衰等により死亡した >>979
まあ、そりゃそうだが、もしもイスラム教な出てこなかったら、シリアやエジプトは今でもキリスト教国だっただろう イスラム教が出てくるまでは、今でいうトルコやシリアあたりがキリスト教の中心だったということが、現代の世界では忘れられている 簡単にイスラムに染まったってことは宗旨替えしても違和感がなくなるような背景があったってことだよな 戦国時代や江戸時代にムスリムが来てたら
キリシタンの一派扱いだろう >>984
キリスト教が持つ排他主義が嫌だったかもしれない >>984
ビザンチンが重税課してるからな
ジズヤ税差し引いても改宗した方が得だったんだろう なぜビザンツがオスマンくらいの
領土にできなかったのか
場所ほぼ同じなんだから
できたはずなんだよな >>986
何言ってんだ?一神教はすべからく排他的だろ
イスラム教はユダヤ教やキリスト教に対しては寛容だが、
多神教やイスラム内部の異端にはかなり厳しい
だいたいイスラム教勃興前だとエジプトのキリスト教徒は
ムセイオンを焼き払って学者を虐殺してたじゃねえか
欧州キリスト教圏は野蛮でイスラム圏は平和的ってモノの見方はバカ過ぎ
エジプト人がキリスト教からイスラム教に鞍替えしたのは、
@宗教問題。神の属性を巡って東西教会と対立していたこと(非カルケドン派)
A文化の違いすぎる東ローマの支配に服していることが我慢ならなかった
Bアラブ人とは同じアフロ・アジア語族であるため、同化が割と容易だったこと
Cキリストを始め、預言者は皆「ただの人間」とするなど、宗教思想的にもイスラム教と近かった
だいたいこんなところだろ。 ヨーロッパ人にはカルケどん派が「ローマ公認の本物のキリスト教」だったんだろうけど、
中東の人間にとってはどうでもいいことだだったんだろうな
こっちのがギリシアやローマより歴史があると思ってたろうし >>3
>>4
今にも通じることだな
【コロナ】「首都封鎖」なら東京壊滅?専門家「物流が止まればパニックになり、都市は死ぬ」 >>990
そんなに説明しなくても分かるよ
そもそも今更感のある知識を披露するために、わざわざ反論したわけ?ww >>987
イスラムもアッバース朝から重税になった >>987
ジズヤにはジハードに参加しないことの代償の意味合いもあったという
兵役が義務ではない時代だったが、異教徒であるがためにジハードに
参加せず、それによって迫害されるようなこともあったのだろう >>990
お約束だが
「すべからく」の誤用
なお、すべからくは「須く」と書くので、全てという意味はない >>944
有名な本だし一度読んで見ようかとアマゾンで探したら22,000円かよ・・・
とても手が出ない。
でもこれに比べたら安いような気がしてきて、前から欲しかった「科学の参謀本部 ― ロシア/ソ連邦科学アカデミーに関する国際共同研究」をポチってしまった。10,800円也。 このスレッドは1000を超えました。
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