イタリアの歴史
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中世から近現代にいたるまでのイタリアの歴史を語るスレです。 中世のイタリアって、なんであんなにたくさんの都市国家に分かれてたん?
なぜ統一された王国ができたなかったのか不思議だ >>4
理由はいろいろと考えられる
まず第一に、ミラノは皇帝、ローマは教皇、ナポリはアラゴン国王という具合に、いくつもの巨大な権威によって分断されていた
ヴェネチアやジェノヴァはイタリア半島にとどまらず地中海全域に進出し、それぞれ巨大勢力を築いた
そもそも根本的な原因として地形
「イタリアは征服するには長すぎる」とナポレオンが言ったように細長く、しかも「西海岸から東海岸に行くには、船でグルッと海を回ったほうが早い」と言われる山岳国家
北のロンバルディア地方は、半島とは言語も異なり、同じ民族と思ってなかった ビザンチン帝国とロンゴバルド時代、カロリング時代、神聖ローマ時代、このへんまで他国支配下
他国支配下が長いから統一国家ができなかったのかな
んで他国支配がなくなっても公国レベルがどんぐりの背比べになったと ドイツとイタリアの統一が遅れたというより、フランスとスペインの統一が早かった
一足お先に、この両大国が中世から早抜けしてしまった 塩婆って古代ローマ〜16Cあたりまでのイタリアはネタにしても
19Cの国土統一期とかそれ以降はネタにせんよな >>4
海洋民は寄れる港さえあれば国土なんか必要ないから 19Cのイタリアでは高名な作曲家は輩出してるくせに
文豪のほうはサッパリやな 19Cのイタリアで英仏独露のような文豪を輩出できなかったのって何で?
北欧諸国ですら輩出してんのに フィウメ占拠した人のイメージが強いわ>ダヌンツィオ >>13
ダヌンツィオに限らず、この時代のイタリア文学者は、政治的な方面でアツくなりすぎたようだ
現代の日本にたとえれば、文学者が「北方領土奪回!」とかを叫んで、ろくに作品を書かないようなもの 枢軸国のくせに途中から連合国へ鞍替えしたイタリアだが
第二次大戦後は反独感情と反日感情のどちらが強かった
のやら
日本とは直接的な接点や利害関係は薄そうだがローマ五輪で
日本の選手が現地のイタリア人から嫌がらせを受けたり卵を
投げつられたりとかされたんかね? まあ、「憲法改正反対!」とかを叫んで、ろくな作品を書かないのも似たようなものではあるが ダヌンツィオって日本だと石原慎太郎に近いポジの人だったりして 三島由紀夫は、ダヌンツィオにかなりの影響を受けたと言われているな
イタリア統一運動が盛んなのはダヌンツィオに限らず、19世紀のイタリア文学界全体の傾向。
当時のイタリア政治文学の大半は、後世に残らず消えた 北イタリアと南イタリアに別れてもおかしくなかったな ムッソリーニの功罪って何?
日本ではファシズム枢軸のイタリア代表のイメージしかないけど
イタリアではそれなりに評価され孫がEU議員になったりしてるよな イタリアは大西洋に面してないから、植民地を持とうとするなら
アフリカか東欧方面しかないよな
中世においては地中海に面していることがイタリアにとって利点だったが、
近代にはその地理的位置がマイナスになったような 大航海時代に、大西洋沿岸諸国に圧倒されたのは仕方ない
イタリアだけでなく、ドイツやロシアも同じ ヴェネツィアは輸出品の自作などで繁栄してる
他国から奪うより安上がり
隣にオスマンという安定した大国があるのは幸いであり不幸であり オスマントルコがキプロス島を陥落させた時は現地の守備隊司令官が・・・>ヴェネツィア >>23
ロシアはシベリアや中央アジアや極東に進出できた イタリアも、リビアとかバルカン半島に進出した
どこにも行くとこ無かったドイツよりはマシ >>24
17世紀のヴェネツィアは、毛織物の輸出でも
イギリスやオランダに負けるようになったな
その時のヴェネツィア人は、イギリスやオランダの毛織物は
品質は悪いが低価格だから売れるのだと言っていた サンマリノが独立を保った意味訳わからん
イタリア統一に協力したから逆にイタリアに統一されないって矛盾の塊やん
こういうんがイタリア人の気質なんか? >>28
毛織物はフィレンツェの特産品
ヴェネチア商人が扱ってたのは、フランドルの毛織物ではなかったか? >>30
ヴェネツィアでも毛織物は生産されていたよ
毛織物職人のギルドもあったし >>29
ヨーロッパの小国家は未だに絶対王政だし
王が権力を手放したくなかったんじゃね >>27
南西アフリカとか山東とか
そういえばドイツは南西アフリカに入植者の子孫が現在も住んでるが
イタリアは自国の進出した地域に入植者がそれほど渡ってないような
たいてい新大陸に渡ってるよな >>27
そもそもビスマルクは植民地は不要だと考えてたみたいだけどな
世論に押されてアフリカ切り取りに参加したけど >>33
アルゼンチンはスペイン語圏だけど、スペイン系よりイタリア系の移民のほうが多かった
アメリカでも、イタリア系は一大勢力 もともとイタリア南部がスペインの一部だった時期もある >>26
進出した極東にウラジオストクなんてまんまな名を冠してたな ジェノヴァがフランスにコルシカを渡さなければナポレオンも
台頭しなかったんだろうな >>36
母を訪ねて三千里もイタリアからアルゼンチンに向かう話だったな イタリア南部はビザンツ帝国の一部だった時期もある
9世紀の後半にマケドニア朝のバシレイオス1世が
再征服して成立した
ランゴバルド三国(ベネヴェント・カプア・サレルノ)や
カンパニア三国(ナポリ・アマルフィ・ガエタ)は
ビザンツの宗主権を認めていた。 東ローマ時代のローマってどうなってたんだろ?
保持していた期間短かったしどうせ碌な扱いじゃないんだろな アラブ人やノルマン人がやってこないまま南イタリアを確保しても
結局はローマ法王サイドに潰されたりして 北部イタリアでは、君主が「封」として土地を譲与し、
家臣が忠誠誓約によって君主に托身するカロリング朝の
「封建制度」が、フランキアなどのアルプス以北、
とりわけライン=ロワール間地域のヨーロッパと比較すると、
同様には進展しなかった
なぜこのような違いができたのか不思議だ ヴェネツィア共和国とかジェノヴァ共和国という名を聞いた時,
その都市だけで一つの独立国家を作ってるもんだと思ってた
実際にはその都市を首都とし周辺地域も領域となっている国家
だったのね >>45
都市が自治権を獲得し、周辺の農村からの徴税権をも封建領主から奪い取って、事実上の領域国家と化していく。
こういう都市国家を「コムーネ」といい、中世イタリアに特有の現象とされる
神聖ローマ帝国の封建秩序にとっては深刻な脅威で、皇帝と都市の抗争が長く続いた 中世ドイツの自治都市は、皇帝から特許状をもらって商業に専念する「帝国都市」だった
それに対して、中世イタリアの自治都市は、周囲の農村をも支配して事実上の領土をもつ領域国家と化した。
教皇の権威をバックに、皇帝と対立することが多かった >>15
反独という見方が正しいのかわからんが少なくとも反日感情よりはあったろうね
イタリアで一般的に知られてる第二次世界大戦末期の歴史なんて、ナチスドイツ軍の支配への抵抗ぐらいのもんだからね ところでお前らって何歳なん?普段どんなことしてんの?なんでイタリアの歴史なんかにやけに詳しいの? ダンテは、分裂抗争を繰り返すイタリア諸国の未来を憂慮し、
皇帝によってイタリア統一を成し遂げることを夢見た
彼はその考えを『帝政論』にまとめている
このためにダンテは祖国フィレンツェから裏切り者として
重罪を宣告されることになった >>50
タイミング良く、若きカリスマ皇帝が登場したんだよなあ
残念ながら、早死にしたが 結局、イタリア半島はダンテの憂慮したとおり、
イタリアを征服するという最終目的を持った
スペインとフランスのバトルフィールドとなっていった もしローマ教皇庁がなかったら、中世・ルネサンス期に
イタリアが統一されていた可能性が微レ存? >>52
スペインがイタリアに領土持ってたんは知ってるけど
フランスはイタリアを領有することに(ナポレオン以前に)成功したことあるん?
戦争ふっかけた事は知ってる >>32 最初から共和制
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%8E
>サンマリノは、現存する共和政体を採用する国としては世界でも最も長い歴史をもつ。アメリカ大陸がヨーロッパ人に知られる以前、すでにサンマリノ共和国初代執政が就任していたといわれる。 1463年 - 近隣リミニ(現エミリア=ロマーニャ州リミニ県)のマラテスタ家の侵略に晒された。しかし独力で撃退、追撃を加えて逆に領土を拡大した。
1631年 - 教皇ウルバヌス8世より独立を承認される。
1739年 - アルベロニ枢機卿によって一時的に占領されるが、教皇クレメンス12世の勧告により独立を維持。
1815年 - ウィーン会議で、サンマリノの独立が再確認される。
1849年 - イタリア統一を目指すジュゼッペ・ガリバルディをオーストリア軍の追撃からかくまう。
1854年 - 教皇ピウス9世が、ガリバルディをかくまったサンマリノを「自由主義者の巣窟」として糾弾。トスカーナ大公国に命じてサンマリノ共和国の教皇領併合を企てるが、失敗。
ローマ教皇のお墨付き
なかなかの自衛力(というかイタリアがばらばらだったおかげか)
ガリバルディの恩義
こんなとこ? >>55
フランスという国家としてはイタリアを支配した例はないが、
聖王ルイ9世の弟シャルル・ダンジューが南イタリア攻略に成功し、シチリア王になったことならある 1266年、シャルル・ダンジューは、ローマ教皇クレメンス4世からシチリア王カルロ1世として戴冠され、
教皇の承認を得て十字軍を称し、アンジュー、プロヴァンスの兵に加えてフランス中から兵を集め、イタリアに進撃した。
同年、ベネヴェントの戦いでマンフレーディを討ち死にさせ、シチリアを占領した。
さらに1268年、北イタリアに侵攻してきたコンラート4世の子コッラディーノも捕らえ処刑することにより、ホーエンシュタウフェン家を完全に滅亡させ、南イタリアの支配に成功した ナポリ・シチリアの主体性のなさすごいな
次から次へと外来勢力の支配が入れ替わるのか イタリアの都市国家は、フィレンツェ・シエナ・ヴェネツィアなどを除いて
共和政から君主政へ移っていったな
やっぱり内ゲバがひどすぎたんだろうか >>61
フィレンツェが「トスカーナ大公国」になったのが、共和政から君主政へ移っていった代表例 >>60
中世のシチリアは先進国、ナポリは欧州屈指の大都会
常に、ドイツ・フランス・スペイン・オーストリア・ノルマン人その他による争奪戦 シエナの建国神話というものがあって、
ロムルスの弟レムスの子であるセニウスとアスキウスが、
神から授かった黒と白の駿馬にまたがり、狼と双子の像を
たずさえて、父を殺したロムルスのもとを逃れた。
二人はトスカーナにたどり着くと、牧人らとともに
今日カステルヴェッキオと呼ばれる丘の上に要塞を築き、
それをカステル・セニオ(セニウスの城)と名付けた。
そしてここで二人がアポロとディアナに感謝の捧げ物をすると、
アポロの祭壇からは黒煙が、ディアナのそれからは白煙があがった。
これがシエナの都市の起源であり、シエナ市の紋章である白と黒の
「バルザーナ(二色紋)はこの故事に基づく、というものである。
それにしても中世ヨーロッパ人の古代ローマへの憧れはすごいな >>64
ケルンのドイツ人なんか、「ケルンは、英語でいえばコロニー。ローマ帝国の植民市にさかのぼる古い歴史がある」と自慢するくらいだからな >>10
輩出はしてないけど国民作家という位置づけの文豪はいる
マンゾーニは日本語Wikiでは4600バイトしかなく知名度も低いが
イタリア語は14万バイトある
夏目漱石でさえ93000バイト >>67
20世紀だと、イタロ・カルヴィーノも日本での認知度が極端に低いな カルビーノは「現代作家」という枠組みで紹介されることが多かったから「現代」が過ぎれば
忘れられるということなのか…
カルヴィーノの日本語ではたくさん翻訳が出ているが、マンゾーニは日本語題名が違うだけで実質一冊だけしか出てない
カルビーノの記事は日本語で1万5000バイト、イタリア語版7万バイト
カルビーについての日本での扱いはそれほど低くはないが、マンゾー低すぎ
せめてマンゾーの記事が46000バイトあれば日本での知名度も上がるかも知れない >>67
夏目漱石の文章で、古文ではない近代日本語の書き言葉ができあがった
イタリア語も、近代イタリア語を確立したのはマン雑煮 現代人にとっては当たり前すぎて意識しないことだが、一国を近代化するためには、言語の標準化が欠かせない
現代の朝鮮語は、日本語をモデルとして朝鮮総督府により編集された。
「日本語と朝鮮語はウリ2つ、双子の兄弟みたいに似た言語だ」とよく言われるが、そこまで似るようになったのは20世紀に入ってからの話 イタリアが統一されたときも(日本の幕末維新とほぼ同時期)、どうやって「標準イタリア語」を創るかが問題になった
結局、トスカーナ地方、つまりフィレンツェの言語が標準になった。
イタリア語とスペイン語は「ゆっくり話せばだいたい分かる」というくらい似ているとよく言われるが、それほど似るようになったのは19世紀後半からの話。
もしもミラノやトリノの言語が採用されていたら、もっとフランス語に似ていただろう 母をたずねて三千里がクオレという短編集の1エピソードだった事を
知ったのはずっと後になってからですたorz >>72 ローマの方言もスペツィア・リミニ線の南側でイタリア語というくくりになるけど、むしろコルシカ島の方言のほうが標準イタリア語に近いんだっけ
そして北イタリアは実際は異言語か
スイスの「イタリア語圏」に標準イタリア語が浸透したのはいつ頃なんだろう >>71
近代ルーマニア語についてもそんな話をきいたことがあるな
標準語を策定するときかなりスラブ語化していた元の言葉をラテン語純化したそうな >>73
俺は逆でクオレの方が先だった
「アペニン山脈からアンデス山脈まで」と言う原題でね
何か変なタイトルつけるなあと思ったら
戦前に既に「母を訪ねて・・・」だったらしいね >>74
アオスタ谷がフランス語圏になったのもいつ頃からなのか
元サヴォイア公国領でフランス王権下に入った事は一度もない筈だが >>71
>一国を近代化するためには、言語の標準化が欠かせない
だから多民族・多言語国家だったハプスブルク帝国は
近代に入ってうまく機能しなくなったのか >>77 アルピタン語っていう頭痛薬みたいな名前の言語を話してたんだっけ
スイスの「フランス語」圏もそうか? アフリカ諸国って独立したけど多民族多言語だから内戦が尽きないイメージ >>78
近代は画一化と大量生産によるコストダウンが大本にあるから
国内が複数の言語にわかれていると、新聞・雑誌・行政文書等重複コストがかかり
富国強兵にとってマイナス要因となる
また国民皆兵である近代軍の兵士への命令伝達に齟齬がないようにするためには言語標準化は必須だった アメリカ合衆国は国際社会に向かって多様性多様性と主張するけど、
自国の言語だけはかたくなに英語だけ、というのを守っているな >>82
英語を公用語と定めている州もあるが、大都市は他言語社会そのもので、英語はデファクトスタンダードではあるが絶対的な存在ではない。
とくにカリフォルニアやテキサスの社会は、もはやスペイン語を抜きにしては考えられない。
この状況に対して、「英語ができない移民は入れるな」と主張しているのがトランプ ユタ州では州民の圧力で州のスペイン語サイトが閉鎖されたってのを
どっかで見たおぼえがある。
それはそうとフランスではアメリカ文化の流入による英語の侵略から
フランス語を守ろうとする動きがあったそうだけど,アメリカのほうでも
他国語の侵略から自国の言語を守ろうとする動きがあるのね。 >>80 言語がほぼ統一されてるソマリアやルワンダやブルンジであの惨状だから....
ソマリアはよくわからないけど、ルワンダ・ブルンジは分断統治に変な仮説を白人が持ち込まなければ、のちに不毛な内戦も起きず、現時点でスワジランド程度には発展していたかも
というかルワンダは結構有望な国らしいな
ソマリアもケニアのソマリ人は結構やり手らしいiから、いつか日本の戦国時代みたいに一人の英雄が終わりをもたらして、統一国家ができて栄えるか? 日本では、イタリアが第二次世界大戦で行った残虐行為については
ほとんど知られていないな
エチオピアでの毒ガス使用、アフリカやバルカン半島での住民の
強制収用や虐殺などは裁かれなかった
ドメニコンの虐殺(1943年2月)をはじめとするギリシア各地での
イタリア軍・ファシストによる戦争犯罪は忘却されていた イタリアはフランスと同じく連合と枢軸に分裂して戦ったから
戦争犯罪をうやむやにできたんじゃない?
後ドイツの強制収容所の方が宣伝効果があったとかな
カチンの森事件を起こしたソ連と原爆投下したアメリカは裁かれない裁判にそもそも何の価値もないけど 第二次大戦後のイタリアでファシスト政権の要人が裁判に
かけられたり処刑されたって話は聞いた事がない
(ムッソリーニはおいとくとして) イタリア参戦時の残る敵は英国と英連邦のみ 講和も時間の問題のはずがヒトラーがなんの相談もなくソ連を攻撃 これだけでも頭が痛いのに今度は日本がなんの相談もなくアメリカを攻撃する こんなガイキッチな連中と組んでいたら身の破滅とイタリア人が思ったのは当然だろう >>90
イタリアが寝返ったり、日和見を決め込んだりするのは、そのときに限らず、いつものことだ
それが半島国家の習性なのかもしれない と言ってもヨーロッパって半島国家だらけだけどあんまり類似性があるように見えん
イタリアの日和見や寝返りは仕方ないと思うよ
イタリアには英仏露独のような主体になれる力がない
第二次世界大戦ではスペインもほぼ同様の立ち位置だったがフランコはギリギリで踏み止まりムソリーニは踏み込んでしまった ひとつには、オーストリアとの間に「領土問題」を抱えているから、同じ陣営にオーストリアが加わっているとややこしくなる
ちょうど、韓国が「日本は同盟国ではないニダ」と言い出して、アメリカ側の陣営を揺るがせるような感じ >>92
まあ、そうだな
半島国家と言っても、寝返ったり日和見したりはイタリアと朝鮮だけの傾向 イタリア人は郷土愛は強いが国民国家的な愛国心は希薄だなと思う
自分の街を守るなら勇敢に戦うのだろうが意義もよくわからん対外戦争なんてやる気も湧かんのではないか
第二次世界大戦でのイタリア軍の東部戦線での闘いぶりはドイツに酷評されてるがイタリア兵からしてみたらこんな地の果てでロシア人と戦えと言われても命をかける意義を見出せないだろう イタリアが再統一されたのは150年ほど前だし、
やっぱり統一前の小国分立の名残りは今もあるのかな。 >>95
イタリア人にとってイタリアのために戦えと言われるのは、
現代のヨーロッパ人がEUのために戦えと言われるのと
同じような感じだったんだろうな サッカーでも、イタリア代表と他国の試合より、国内の他の都市のクラブと対戦するときのほうが、ずっと熱くなってるな
まあ、イタリアに限らず欧州諸国にはアリガチな傾向だけど 日本も昔は、西と東の対立がかなりあったように思う。
巨人阪神戦は、今の日韓戦くらい熱いものがあった。
関西人の反東京感情は、かなり強かった。
関東人と関西人の結婚は少かった。 西と東でもそうなのだから、ましてや、イタリアのように南北に細長い国だと、北と南では気候風土がまるきり異なり、生えてる植物が違うし、人々の気質も違いすぎる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています