なんで中華民族って自分たちのことを漢って名乗るん
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漢以前にも夏、殷、周、秦があるのに漢を名乗るん。他にも漢服、漢詩とか中国古来の物には漢をつけるし。その割には中国人が一番崇拝してるのは孔子で劉邦を神格視してる感じではないし。 中国はしょっちゅう征服王朝に支配されてるけどその際異民族と自分たちを区別する時に必ず漢民族って使うよな、なんでなん。そんなに漢帝国が好きなんか。 ゆーて夏、殷、周は中原だけの統一されてない王朝やしー 秦も長続きしてないから最初の統一帝国は漢やろ 今の漢字の形に落ち着いたんも漢代やしな 篆書体とかガチで読めへんで 「華夏族」っていう言い方もあるな これだと、黄河文明の担い手としての中原の民を意味する言葉で、「漢族」よりもずっと対象が狭い 日本では「華夏族」とはまず言わない。 「唐人」でしょうな、どっちかっていったら 日本人にとっては、漢より前は関係ないし、唐の時代が最も印象に残ったということだろう 「明民族」という案もあったが、セミみたいに聞こえるので、日本にいた孫文が嫌ったという話もある この孫文のエピソードでも分かるように、「漢民族」になったのは20世紀のこと 自分で考えたみたけどやっぱり異民族と自分たちを区別するのに最適な呼称が漢なんだろうな。中華の民って表現すると今(当時)に住んでる人とも捉えられて、入ってきた異民族やその子孫との区別がつきづらい(どこからどこまでが中華かという問題がでてくる),周だと古すぎるし中原だけだし。古くから万里の長城より南に住む中華伝統の国・民族と意識づける呼び方は漢民族なのかなと。 19世紀の中頃に、太平天国の洪秀全が「滅満興漢」と言い出してから、「漢人」という意識が高まってきたように思う それ以前は、「反清復明」がスローガンだった >>7 >「明民族」という案もあったが、セミみたいに聞こえるので、日本にいた孫文が嫌ったという話もある そんな話聞いた事無いしググッても5chの書き込みみたいなとこしか見つからないぞ 出典は? >>11 だから、「・・・という話もある」としてるだろ 史実かどうかは知らない >>9 >周だと古すぎるし中原だけだし 上にも書いたけど、それに相当する呼称としては、「夏」が古来から使われている 中原だけだと範囲が狭すぎるから、今では「漢族」と呼ぶのが普通 中国人の自称は「漢人」だけど、日本人を含む他国人からは、「唐人」と呼ばれる方が多かったんじゃないかな? 中華という名称そのものはいつから使われるようになったのかな 夏華なら分かるけれども中華は宋以降の新しい用語の匂いがプンプンする まあ、「民族」そのものが近代的概念だからなあ 基本的には、清代には「清人」であり、明代には「明人」、宋代には「宋人」 五胡が自分達と比較して文明人を漢人。日本も渡来人を漢人と呼び、男尊の漢からオトコの音を与えられている。 漢が滅亡してからの数百年は、民族移動が激しかった時代 「俺たちは漢人だ」という意識は、その頃に強くなったと考えられる 征服王朝が建てられる以前、モンゴル元以前は、ことさら中華と異民族を区別するために漢人って言葉を使う必要がなかったんだと思う。当時(征服王朝以前)は中華という言葉は夏殷周から始まり、その後に勃興した、戦国各国や秦、漢魏晋多くの国それら全てを指すから。晋までは完全に同一民族だし。 しかし征服王朝以後の中国で中華という言葉を使ったら、唐(支配階級は異民族出身)や元と、上に書いた古くからの伝統の中華同一民族の区別がつかないから。夏から晋までの民族をひとくくりにする言葉としては、事実上最初の長く続いた統一帝国の漢という言葉がはっきりするのかなと。 >>15 中華って言葉を三国志以前であんま聞かないよね。ただ単純に 国 って言ってたんじゃないかな。韓信を国士無双、国の中で最強の士って言う風に。 戦国時代は他国は他国だし、中華って言葉も見ないよな。周は意識したとしても。 やっぱり万里の長城より北の異民族が入ってきて、中国の中と外の意識がはっきりしてきた頃から中華とか漢民族って言葉を使うようになった気がする。それまでは周も秦も漢も魏晋は 国名 を呼ぶだけで完結してたんだと思う。違う民族との区別なんか考えたこともないだろう。まさか国の連中に支配されると思ってないし。 熱血漢とか好漢とかの用法の漢も、漢帝国あってこそなのかな それとも華と並ぶ古くからの自称で、「真の人間の国」くらいの意味で漢と名乗ったのかな >>25 意識はあるだろうけと当時から中華って言葉使ってた? >>26 「中華」という言葉はまだ無かった 「華夏」と言ってたようだ お前らこれからそれらの言葉を挙げる時には 「誰が」その言葉を使っていたのかをできるだけ分かる範囲で書け 戦国時代の文献でも漁って華夏って文字を探してみるか wikipediaによると、こうだ↓ 「華夏」の言葉がもっとも早く見られるのは、『春秋左氏伝』襄公26年(紀元前546年)の「楚 華夏を失う」であり、唐の孔穎達はこれに「華夏は中国なり」と疏をつけている >唐の孔穎達はこれに「華夏は中国なり」と疏をつけている ということは、唐代には「華夏」より「中国」のほうが一般的だったってことになるな 世間には、「中国」という国名は「中華人民共和国」の略称だと思ってる人が多いんだが、違うんだよなあ 「中華」よりも、「中国」のほうが、ずっと長い伝統を持つ呼称 日本もあんま深く考えずに大和とか日本って言うようなもんか やはり、第一印象ってのが大事なんだよなあ 秦でチャイナを知った人が多かったってことだな なぜ商以降一度も「華」を国号とする王朝が現れなかったんだろう 中華民国まで待つことになる 華人・華僑・華裔・ホア族(ベトナム) 漢族を指す民族名としては広く使われてるのに だって王朝名って始祖が封じられた地名をつけるもんだもん >>39 皇帝としては伝統的な名前だしてみんなの国ってするより、俺の国、俺の代からできる国ってアピールしたいんじゃね。中華は俺のものだと >>39 宋までは、すべて地名 地名じゃないのは元・明・清だけ >>34 「中国」の初出ってなに? 三国志魏書烏丸鮮卑東夷伝のパクリ元の魏略西戎伝か? 宋王朝以降の王朝名は易経から取られるようになつてかなり玄学的だ 朱子学といふものは陰陽五行説を元に現実世界を説明して道徳まで解説してしまうのだから是の影響であらうかと思ふ 日本人のことを大和民族や日本人っていうのも、 ヤマト(日本)という国家が日本列島を支配したからだろ >>43 漢書西域伝卷4「及秦始皇攘卻戎狄,築長城界中國」(秦の始皇帝は、中国を防衛するため長城を建てた) 漢書溝恤志卷29「中國川原以百數」(いにしえより中国には何百もの山と原がある) ・・・だそうな >>46 中国と長城がセットか 最初から長城によって中国の北限が規定されるイメージなのな >>35-36 サンスクリットで「秦」に由来するシーナから西方に伝わったと考えられる ほかに「契丹」に由来するkitadがモンゴル語での中国を代表する呼称になり (のちハルハでは音変化を経てhyatad)ロシア語のキタイ、英語のCathayにつながる >>49 サンスクリットの「cina」は「チーナ」と読むんだよ。 >>2 >篆書体とかガチで読めへんで 今の時代に篆書が読める人は ハンコ屋と先秦史専門家くらいやな 書道家でも普通の書道家は楷書行書草書だけやろ 『漢字』一族という意味なら台湾だろ 。中国は「簡体」内紛輸出族になって、台湾に憧れてる。 中華っても、DNAはほぼ蒙古と女真ばかりの土人だろ 気取ってんじゃないよ 秦の時代にも中夏ってあったのか 普通に昔から使われてたんだな中華 中国語の発音なんて言うか知らないけど 華 hua 夏 xia 全然違う 日本語でどっちもカだからといっていっしょくたにしてはいけない 中学生の時、最初に統一した王朝が「秦」なんだから秦と名乗ればいいと思った。 黒竜江 満洲 女真族って女が綺麗だからそう呼ばれてたんか? 黒竜江省の美人の画像みたけどスタイルよすぎだろ。狩猟民族並みに足長いな。 秦は中華の中でも割と異端ってイメージはある。 中原から離れた西方だし、民族系統も中原の民とはちょっと違うし(始皇帝の特番でみたけど地元民は皆堀りの深い顔立ちだった)。 あと官僚制度とか法治制度ってオリエント辺りからきた移民が秦に持ってきたのが最初って聞いたぞ。 ハルノートを誤訳せず受け入れてれば美人がたくさんゲットできたのか 東条英機ゆるせねーよ そういえば取引先にいる中国人がハルピンの人ばかりだな 日本名持ってる人もいるが 残留孤児かと思ったが顔が違うしどんな背景なんやろ? >>69 日本人が「中国発祥の文化」と思っているものは、実はもっと西から中国に入ってきたものが多い とくに、唐の時代はペルシャ文化がどっと入ってきた >>71 中国人は同じ出身地で固まる傾向があるからな。 ヨーロッパの国々くらいの地域差があるんだから当たり前 黒竜江省出身者は寒さに強いので、野菜市場とかによくいる >>73 同じ職場でも北と南がいると仲悪いらしいねw 中国人が日本で逮捕されると被害者も中国人がほとんど >>56 ラテン系や中華系は大帝国を長く経営した結果、 文化を重んじて血統を後回しにする傾向を持つようになった 天下がちゃんと治まってみんなが幸せなら出自なんてどうでもいいのだ 活力があって有能なら野蛮人の新しい血を入れて同化させたほうが有益と言える 大帝国を経営しようとして拡大して失敗した国では 上層部を無能な者が占めて、拡大の一時期の栄光にすがって血統主義に固執するようになる そういう国では新参者が同化しても、後々までねちねちと出自を誹られることになる 出自をよく揶揄するのは中国の十八番じゃないか。 英雄曹操を漢を終わらせたという理由で千年の悪玉に仕立て上げ嘘八百の歴史小説を作る、司馬懿の九品中正の強化によって門閥貴族が形成され家柄と血統が長く物を言う。歴史を下るほど歪んだ中華思想で外国を見下す。 それなのに王朝が入れ替わり前の皇帝が殺されるのは実力主義の大陸世界だからだろう。 ジャップは手足の長いアイヌ人を土蜘蛛などと虐殺したから、今でも体格が醜いんだろ 門閥と血統が全てなのは日本文化の典型 京都なんて日本文化の凝縮された土地柄だけれども、在日差別が異常にキツい 表向きは優しそうに見えるけども、実は遠回しにイケズもええところの血も涙もないことを言ってくる 子供の頃の恨はトラウマで一生もんだよ >>71 いくつか理由があるが根本的には 満州国時代に日本人が北満を水田地帯にしてしまった経緯がある 多数の日本人農民が入植したが、日本の敗戦に伴って残留婦人・残留孤児が多く残った また作られた水田地帯はうまく米が取れず食糧難を起こしていた 帰国事業と農業技術交流によって日本と強く結びついた地域がある それがハルピン郊外の方正という所で、近年は日本の農村に中国人花嫁を多数送り出した地域でもある 帰国者がここから親類縁者を次々と呼び寄せたので、方正は日本のビザが取りやすいと言われている 00年代に日本の歓楽街で働く中国人、マフィアを形成した中国人は 黒龍江の方正と福建省の福清(蛇頭のふるさと)という2つの街の出身者に集中していた もちろん留学生や昼間の勤め人などではそこまで顕著な偏りはなく、普通に北京や上海の人が多い >>71 一昔前まで日本に来てた中国人は旧満洲国の人ばかりだよ だって彼らは日本や日本人を知ってたから それ以外は、反日教育のせいで「日本人は残虐で怖い」と洗脳されたままだった これ静岡大学の楊海英先生が書いてた >>69 そもそも住んでる人たちも簡単に移動したしね 海がないからね >>80 そら密入国してきた犯罪者だから、しゃーないよ 散々悪いことやってきたし 今でも組織的に日本人拉致をしているからね >>84 お前は差別主義者ネトウヨか? 日本で正義運動している市民の多くは子供の頃の恨でこの島国を恨んでいる 市民が政権を取ったらその時にネトウヨは断頭台に送られるだろう >>85 でも事実でしょう 日本人の多数はそういう反日的な朝鮮人が嫌いなんだよ 心の底から嫌っている人が多い 君、朝鮮人なら出ていってよ 日本社会に必要のない連中なんだし 君等いまでも日本人を拉致してるんじゃないの 出自を隠し、偽名まで使って、ほんと怖いわ >>86 朝鮮人が全部反日的とか密入国とかw植民地時代に来た人も多いのに 当時は日本だったから北海道から来るのと大して変わらんw 在日ももう3世4世になったら普通に日本人だよw朝鮮学校出てるのとか利権に絡んでるのはいるだろうが そもそも朝鮮学校は金持ちじゃなきゃいけない あと在特会の桜井や籠池 作家の百田なんかもみんな在日 日本人じゃないコンプで日本人よか日本人になろうとする そして朝鮮人は朝鮮人嫌いな人も多い 日本人が日本人のネトウヨ嫌いなのと一緒 >>86 日本社会に必要ないのはお前wコドオジやろwどうせ うだつが上がらないから何か対象を探す キング牧師暗殺したやつもなんの取り柄もない白人だったw >>86 偽名つかわなかったら朝鮮人だー!って差別するんだろう?ww おいおい勘弁してくれ、なんで中国は漢を使うのかっていう歴史の疑問からスレを作ったんだ。 関係ない右翼左翼の話は他所でやってくれ... >>43 西周の何尊の銘文の「其宅兹中国自兹乂民」が中国の初出 ほかにも周では「亖或」とか「亖方」が中国的用法で使われている ついでに秦の睡虎地秦簡出土の法律問答には「可謂『夏』欲去秦屬是謂「夏」』とある 「可謂『夏』欲去秦屬是謂『夏』」だった少し訂正 この法律問答で夏、臣邦、眞臣邦、諸侯、外臣邦の秦律における定義が書かれてる。秦の当時の国際観がわかるから興味あるなら読むべき 「九州」も「四国」も「中国」も、もとは天下全体を指す言葉 日本では、どれもローカルな名前になってるが 皇帝の称号が現れる前の中国の王様観は興味深い。 天帝、三皇五帝、夏、殷、周それぞれの王。何千年も経った今だからそれらをひとくくりにするけど周の当時は夏、殷は古代扱いだったろうな。 中国の中は中出しの中 たくさん中出しした結果人間が大量にいる >>105 中国が世界の中心でなくなったからに決まってるやろ 漢王朝の「漢」は「漢中王」に由来しているが、そもそも「漢中」ってどこ? 中国の国は郭に通じ、邑を取り囲んで護る塀や土壁 中国とは元々はその内側の生活圏を意味したらしい それやと国中とか国内になるやろ 素直に読んだら中心の国やんか >>107 長安のある陝西省の南のほうで、漢水の沿岸。 漢水は長江の支流で、武漢で長江に流れ込む。 支流と言っても、「これで川なのか?」というくらいデカい。 高祖・劉邦が漢中王だったおかげで、中国全体を指す名称が「漢」になった 長州藩が天下をとって、日本全体が「長州」になるようなものか 胡族虐殺した冉閔や漢化政策を推した孝文帝がいる五胡十六国時代だよ。漢民族と胡族の共存が問題になった時代に中国人の漢民族意識が強くなった。 あとは、南宋のときだな 中華の地である黄河流域を金朝にとられ、「俺たちこそが本当の中華だ」という意識がかえって高まった。 朱子学には、その悲憤慷慨する愛国者のイデオロギーが色濃く流れている。 皮肉にも、その影響を受けた日本や朝鮮で、ナショナリズムを高める結果となった。 >>113 >>114 それはそうとして、なんでその時に漢を名乗るのかってのが本スレだな。 日本やベトナムでは、大陸の人間を「唐人」と呼んできた。 西洋人は、中国を「秦」(シナ、チャイナ )と古来から呼んでいる。 ロシア人は、中国を「契丹」(キターイ)と呼んでいる。 「漢人」という用語が正式に採用されたのは、金朝のとき。 金は、遼と北宋を滅ぼして華北を統一したが、遼の国民を「漢人」と呼び、宋の国民を「南人」と呼ぶ身分制度を始めた。 次のモンゴル帝国は、金と南宋を滅ぼして全国を統一した。 金の国民を「漢人」と呼び、南宋の国民を「南人」と呼ぶ身分制度を敷いた。 異民族が入ってこなければ漢は周や秦や魏や晋と同じように国名で完結して、中華民族を名乗ればそれで済むけど、中華に入ってきた以上異民族と区別するために何かしらの名前がいる。 長城以南の事実上唯一の統一国家は漢しかないから漢民族と名乗るしかない。 >>121 一般的は言い過ぎ 上代の漢語でさえ後置修飾なんて断片的な痕跡しか残ってない 現代でも雞母とか芒果乾とかあるけど、上代もその程度でしかない 敬称の「子」は 固有名詞の修飾を後から受ける形が一般的だったのに 春秋時代の間に前から受ける形が増えていくよね 子貢、子路、子游、子思、まだまだ 字とされているけど多すぎないか? 何らかの意味を持っていたと考えた方が自然だろう 墨子だってテクスト内では「子墨子」で、 前に来る敬称と後に来る敬称が併存していた時期があり、 時に併用さえされていたということがわかる >>125 子路、子貢、子張… その辺は全部「弟子」っていう意味で、名前でも敬称でもないんじゃないかな 子路の子と孔子の子が同じ意味の同じ単語だとは思わんわ ただし子思だけは「子思子」っていう呼称があるから間違いなく固有名詞やな 「弟子+誰それ」っていう構成だと考えると、やはり後置修飾に通じるな 前置修飾の言語は肩書き名詞も後置、後置修飾では前という傾向がある 弟子の路さん、弟子の貢さん 典型的な前置修飾に見えるけどな 内閣総理大臣安倍晋三と同じ語順やん たとえこれを後置修飾に入れるとしても、結局のところ固有名詞とか人に関する言葉っていうごく限られた条件でしか後置らしい表現が現れないことに変わりはないね >>127 >>128 ほんこれ 自立できない語が来てから初めて後置修飾を主張しておくれ >>121 ,122 現代の日本語ですら後置修飾がたまにある 例 : 親御さん、ホテルオークラ、首都大学東京 >>131 ただの洒落乙ワードであってまったく一般的ではないよな 首都大学東京は滑稽で楽しいからネタ枠として残して置いて欲しかった。どこのFランかとワクワクする素晴らしいセンスだったよ。アホの坂田みたく名前だけでアホなんかと笑えてしまう稀有な存在だった。都立大というつまらない名称にしてしまうそうだ。 >>128 その「の」は修飾語を作るものではなくて、国文法で同格と呼ばれる用法だから別 トルコ語の〜ベイというのが日本語とよく似た語順の肩書が後に来る例 ミスター、セニョール、ムシューは前につく肩書き 語順と肩書の関係については以下の論文を参照 Joseph Greenberg 1963. "Some universals of grammar with particular reference to the order of meaningful elements," in Universals of Language, pp. 73–113. Cambridge: MIT Press. >>137 どんな風に解釈してもいいよ そこを争うつもりは無い どう解釈したって結局日本語のそれと漢語の子路は同じ構成だよね 子路、子貢 詩士師氏 香港科技大學教授丁邦欣 弁護士唐沢貴洋 どれも同じで後置修飾とは言わない 子路は「子路」という名前 子貢は「子貢」という名前 そう思うてたけどこの「子」も敬称なんか? >>140 名といっても、字(あざな) 「子ナントカ」という字はよくある。 別に敬称ではない 字とまとめて考えてよくあるで片付けるのが思考停止なんだよ その背景にある理由について何も考えていない >>15 もともとは秦の時代に 我らこそが夏だと言い始めたのが始まり 夏だとすると秦ははしっこに位置してしまうので中を付けて中夏とした これが中華の語源 中夏が時代を経て中華になった 紀元前に言われ始めたが正解だな 中夏が中華になったのはいつか不明 >>35 秦は日本語読みでシン 中国語読みだとQin 音だろうな >>144 ラテン語では「シナ」やで 英語のチャイナはそこからブリテン風に訛ったもんや >>145 ラテン語では Serica(セリカ)じゃなかったか? >>115 異民族の侵入史を有史上最初に証明した五胡が中国の正当支配の根拠を漢王朝や漢族に求めて南北朝を形成したから。中国の正統論が華夏から漢に変わった。 >>148 んなことないだろ 前秦も北魏も、べつに「漢の後継王朝」を名乗ったわけではない 前秦は結果的に漢を継承してない非正統国扱いだが、北魏は漢魏晋を継いだ立場で北朝の周斉隋の禅譲の正統性になってるから。 >>150 それは、北魏が分裂した後で、後の王朝の都合でそういうことにされたのではないか? 秦が滅亡した後も秦の名に由来する呼び名が各地で中国を意味するようになったように、 はるかのちに「契丹」や「拓跋」を語源とする呼び名が広まったように、 長期間広範囲にわたって何度も匈奴と戦った漢の名は北方でかなり長く使われたのではないか 唐突に見えるかもしれないが、満州語で民族や言語としての「漢」をあらわすnikan/nihanは 「漢」の字の声符の部分が「難」「灘」といった舌音系統の声母の字と共通しているところを見ると、 上古漢語において語頭に二重子音✳︎nhがあったのが借用されたのではないだろうか 北魏を「漢の後継であり正統王朝」としたのは北周の正史だが、記述がデタラメで古来から不評な史書 匈奴の劉総は漢を名乗ったが、北周が編纂した正史により、正統王朝として認められなかった >>155 魏を名乗った時点では、まだ内モンゴル自治区のフフホトを中心とする漠北の王朝だった ヨーロッパが中国を漢、すなわちHunと呼ばずに秦、Chinaと呼んだのは、ローマ時代に秦と呼んでいたのがそのまま時代を下ったってことでいいのか? あと支那はどこから来たんだ。 >>156 >>158 匈奴が「漢」を名乗ったのがフン族の名の由来なのか >>122 上海も海のほとりという意味の語で、後置修飾だってどこかで見たけど、これもデマ? 呉語は粤語よりさらに北方語に地理的に近いから、後置修飾はあり得ないか? でも本来の有声音b・d・gを残す数少ない地域だしな >>122 牛肉乾とか葡萄乾とかいくらでもあるし、 乾は「〜の干物」という名詞と考えて良いだろう >>158 「支那」は(今も昔も)中国語で「チーナー」と読む。 サンスクリット語の「チーナ(cina, ciina)」の漢字音写であり、インド起源。 もちろん、さらに起源を遡れば、中国語の「秦」(今も昔も「チン」と読む)が元だが。 ちなみに奈良時代(唐の時代)には日本語でも「支」は「チ」、「秦」は「チン」と発音していた。 日本で「支」を「シ」、「秦」を「シン」と読むのは、平安時代以降の日本語内部での音韻変化の結果。 日本語で「チ」→「シ」という音韻変化が起こった。 チナ以外にもジナという形もあった また漢訳仏典には支那のほかに 「脂那」「震旦」などもあって日本にも伝わっている >>165 いや、万葉仮名の仮名遣いにchiとsiの違いはない 当時の日本人は両者の区別ができなかったのだ あと片仮名で「チ」と書くな「チ」の古代における発音であるtiと紛らわしい >>168 劉邦はもちろん中国でも有名だが、どっちかっていったら項羽のドラマチックな人生が好まれているような おま工ラが日本人(縄文人)名乗ってるのと同じで権威にあやかりたいだけ 大谷スゲー俺スゲー 一番長い王朝だから? 中国で皇帝の「万世一系」を守ろうとした男。その名は「荀ケ」! https://youtu.be/AsNIEi9a2bg 北方の漢人は大柄で丸顔気味、南方の漢人は相対的に小柄なうえに タイ人やベトナム人などに近い顔の輪郭 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる