ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ14
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ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ
識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
貨幣経済 → 物々交換
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 → 重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配
前スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1605014991/ なぜ中世ヨーロッパは厳格なキリスト教を受け入れたのでしょう?
そこにはもちろん、合理的な理由があったのです。
最大の理由は中世の貧しさです。
禁欲のキリスト教は貧しい中世の荘園世界にジャストフィットしました。
それ以前…古代ギリシアやローマの時代は豊かでした。
なぜなら地中海を支配していたからです。
温暖な気候の中、各地域はそれぞれの特産品の生産に特化し、海上貿易が盛んに行われていました。
人々はその経済力で食と性の享楽にふけりました。
しかし、ゲルマン民族の大移動で西ローマ帝国は崩壊。経済秩序が破壊されます。
またイスラム勢力に地中海の制海権を奪われ、貿易も不可能になりました。
ヨーロッパは深い森の中で、小さな村(荘園)単位での自給自足体制を強いられます。
中世とは都市も海も失ってしまった時代。
人々はアルプス以北の寒冷な森に入って行きました。
地力もなく、流通もなく、深い深い森の中にある小さな村での自給自足。 なぜ中世ヨーロッパは厳格なキリスト教を受け入れたのでしょう?
そこにはもちろん、合理的な理由があったのです。
最大の理由は中世の貧しさです。
禁欲のキリスト教は貧しい中世の荘園世界にジャストフィットしました。
それ以前…古代ギリシアやローマの時代は豊かでした。
なぜなら地中海を支配していたからです。
温暖な気候の中、各地域はそれぞれの特産品の生産に特化し、海上貿易が盛んに行われていました。
人々はその経済力で食と性の享楽にふけりました。
しかし、ゲルマン民族の大移動で西ローマ帝国は崩壊。経済秩序が破壊されます。
またイスラム勢力に地中海の制海権を奪われ、貿易も不可能になりました。
ヨーロッパは深い森の中で、小さな村(荘園)単位での自給自足体制を強いられます。
中世とは都市も海も失ってしまった時代。
人々はアルプス以北の寒冷な森に入って行きました。
地力もなく、流通もなく、深い深い森の中にある小さな村での自給自足。
その貧しさに耐えるため、中世は神への強い信仰を必要としたのです。 なぜローマ崩壊後の欧州における文化生活水準が一気に下がったかというと、通常は古代の農村や都市社会は地産地消で
自分たちの必要分はすべて生産できたが、古代ローマではすでに比較優位にもとづく産業の地域分担制が確立されており
高度に発達した流通路を使って庶民でも遠隔地で作られたそれら生活物資を使うことができた
しかしこうした各都市間が互いに依存するシステムは一度交通が遮断されると一挙に石器時代まで戻ってしまうことすらありえる ブライアン ウォード=パーキンズ (著)、南雲 泰輔 (翻訳)
『ローマ帝国の崩壊 文明が終わるということ』(白水社、2014年6月20日)
ローマ帝国末期にゲルマン民族が侵入してきたとき、
ローマ社会や経済に何が起き、人々の暮らしはどう変化したのか。
史学・考古学双方の研究を駆使して描く、激動の時代の実態。
ギボン『ローマ帝国衰亡史』以来長らく、ローマ帝国は衰亡し崩壊したというのが常識だった。
ところが一九七〇年代以降、研究者のあいだでは、それまで主流だった政治・経済面を中心とした研究に対し、宗教や社会に着眼することで、
「衰亡」とみなされてきた時代を独自の価値を持つ「古代末期」という新しいポジティヴな時代と捉え直す動きが起こった。
さらに九〇年代になると、考古学的史料を用いて、ローマ帝国はやはりある時点で「崩壊」したのだという事実をつきつける研究者があらわれた。
著者ウォード=パーキンズもそのひとりであり、本書では、何がどう問題なのかというレベルからわかりやすく解説しつつ、
「ゲルマン民族が侵入してきたとき、経済や社会に何が起き、人びとの暮らしはどう変化したのか」を、文献史料や陶器・家畜の骨・建築物(の跡)などを使い、
史学・考古学双方の研究を駆使して描き出している。ローマ帝国の洗練された生産・流通システムがひとたび崩壊してしまうと、
地域によっては先史時代の水準にまで後退し、回復には数世紀を要したという事実は、かなり衝撃的である。
英国ペンクラブのヘッセル=ティルトマン歴史賞受賞。 神崎 忠昭『ヨーロッパの中世』
近現代に結実する、豊穣なる中世
―― 中世とは真に暗黒の時代だったのか。
「ローマ」「キリスト教」「世俗権」「都市」「国民」「科学」など、ヨーロッパの基底となるキーワードから読み解く。
▼ヨーロッパ史を学び直したい人のために。
中世ヨーロッパは確かに暗黒の時代であった。しかし、近代において飛躍するヨーロッパを育んだ豊かな苗床の時代であったともいえる。
「ローマ」「キリスト教」「世俗権(王権・帝権)「都市」「国民」「科学」などのキーワードから中世ヨーロッパ史を読み解き、近代の「人間」の時代へと誘う。
▼中世を読み解くための6つのキーワード
【ローマ】中世人は模範として仰ぎ見た。政治的にも文化的にも深い刻印を残したが、中世は古代ローマの繁栄を1000年以上も超えられなかった。
【キリスト教】中世人の心を絶対的な規範として律した。人々はそのメッセージを遵守し、理想に殉じたが、時に軽んじ、自らの利益を優先した。
【世俗権】君主個人の能力やカリスマに基づいたが、教会との闘争を経て宗教性を減じ、官僚制と軍を備えた近代国家へと脱皮した。
【都市】西欧の復活にともない、社会全体の成長のエンジンとなった。生活を向上させるだけでなく、新興階層を出現させ、新しい文化を生み出した。
【国民】帝国でもなく宗教でもない、ヨーロッパが生み出した新しい統合の絆である。現在に至るまで世界を支配している。
【科学】近現代におけるヨーロッパの繁栄の源泉となった。技術を手がかりに、理論を実験や観測と結びつけ、新しい合理的な世界観を生み出した。
・・・そして【人間】へ・・・ 艱難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ず。
急いで得た富は減る。少しずつたくわえる者はそれを増すことができる。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。
明日のことを思い煩うなかれ。明日のことは明日思い煩え。一日の労苦は一日にて足れり。
いつも与えなさい。そうすれば、人々はあなた方に与えてくれるでしょう。
「眼には眼を、歯には歯を」といえることあるを汝ら聞けり。
されど我は汝らに告ぐ、悪しき者に抵抗うな。人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ。
暗いと不平を言うよりも進んで明かりを点けましょう。
狭い門から入れ。滅びに通じる門は広く、その道はなだらかでこれに入るものは多い。
人生は短く、苦しみは絶えない。花のように咲き出ては、しおれ、影のように移ろい、永らえることはない。
己を愛するごとく、汝の隣人を愛せよ。
自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。 東ローマ帝国が東地中海の大帝国として復活した9世紀になると、
宮殿や教会・修道院が多数建設され、孤児院や病院のような慈善施設も建てられた。
古代ギリシア文化の復活とそれを受けたビザンティン文化の振興も進み(マケドニア朝ルネサンス)、
コンスタンティノープルは東地中海の政治・経済・文化・宗教の拠点として、
またロシア・ブルガリア・イスラム帝国・イタリア・エジプトなどの各地から多くの商人が訪れる交易都市として繁栄を遂げ、
10世紀末から11世紀初頭の帝国の全盛期には人口30万〜40万人を擁する大都会となった。
当時の西ヨーロッパにはこの10分の1の人口を抱える都市すら存在せず、
コンスタンティノープルはキリスト教世界最大の都市であった。
※現在のスペイン領のコルドバはコンスタンティノープルに匹敵する大都市であったが、
当時のコルドバはイスラム王朝・後ウマイヤ朝の支配下にあった。
また2世紀の古代ローマ(都市)は100万人を超える住民を抱えていた。
西洋において再びこの人口に匹敵する都市が現れるのは19世紀になってからのことである。 十字軍運動の魅力の秘密
もともと十字軍は一部の騎士に対する呼びかけであったが、
やがて膨大な人数を動員して移民活動のような状況を呈することになった。
十字軍への呼びかけというのは当時のカトリック教徒にとって魅力のある言葉だったのである。
東方のビザンツ帝国やイスラム諸国がもたらす発達した文化や洗練された工芸品や文物、
富は西欧の人々を魅了していたのである。
下級騎士は封建制度の息苦しさと貧困から逃れようとし、農民や職人も貧しく困難な日常から逃れたいという気持ちを持ち、
東方には豊かで文明的ではあるが柔弱な世界が広がっていた。
西ヨーロッパ中世におけるキリスト教徒の2つの生き方、聖なる戦士と巡礼者が一つに結びついたのである。
戦闘に参加した者に免償が与えられる、あるいは戦闘で死んだ者が殉教者となりうるというのは、
十字軍運動の中で初めて生まれた概念であった。
そして十字軍に参加することで与えられる免償は、エルサレムへ詣でるという巡礼者としての免償と、
キリスト教戦士として戦うという免償の二重の意味があるため、どちらにせよ免償を受けられるというのが魅力であった。
このように宗教的なものから、世俗的なものまで、さまざまな動機によって十字軍運動に身を投じたのである。 >>4
ということは、現代のグローバル化した世界が崩壊したときも文明が後退するのかもな
例えば日本はアフリカから石油、天然ガス、レアメタル、コーヒー、カカオ、
バニラ豆、タコ、イカなどを輸入しているが、それらの商品が入ってこなくなる
また、湾岸産油国も石油が売れなくなれば、昔の砂漠のベドウィンや海岸部の
貧しい漁師の生活に逆戻りか 騎士はカロリング朝〜カペー朝時代のミレス(従士)から発展した
ローマ帝国末期には軍団は消滅し
各地の元老院貴族や将軍の私兵へ
これらとフランク従士団がメロヴィング朝に再編成され、スコラカリウスと呼ばれる従士団になる
同じ頃ランゴバルドでは、ガスタルドと呼ばれる従士団ができ、身分としても確立された
カペー朝時代には、緩やかに解体されミレスと呼ばれる貴族と平民の間に位置する戦士身分となる
>>10
昨年のマスク不足の時なんてまさにそうじゃん
殆ど中国の工場に作らせ、輸入に頼っていたから交流が途切れるとああなる ローマ帝国では市民も味わうことのできた物質的快適さだが、このような快適さは、
ほかの古代文明にあっては、少数の特権階級の贅沢な占有物だった
例えば、水道について取り上げてみると、ギリシア人の都市では街に公衆のための
大きな泉水があればよかった
しかし、ローマ人の都市では、町中に幾つもの水道の蛇口があり、富裕民の場合は
邸宅の中にも水道が引かれていた
上下水道のみならず、舗装道路、神殿、劇場、円形競技場、浴場、広場などの
公共施設が整備され、市民の誰もがそれらを享受した
しかし中世にはそのような快適さなど望むべくもなくなった 67世界@名無史さん2020/11/14(土) 20:49:16.100
キリスト教徒を見てると
異教は改宗させようと頑張てアプローチするスタンスだが
異端は問答無用で叩き潰すって感じがする
68世界@名無史さん2020/11/14(土) 21:48:17.590
悪魔は我らの神に勝つことは不可能だから異教は怖くない。むしろ哀れである。救いを与えたい。
異端は我らを間違った信仰へと巧みに誘い、天国への道を閉ざすので滅ぼさねばならぬ。
よしこ
70世界@名無史さん2020/11/14(土) 22:25:05.490
>>69・上
近年のイスラム原理主義者は異端も異教も問答無用で叩き潰そうとしてる感ある。
キリスト教側のほうもかつてはそういう勢力があったかもしれんけど
72世界@名無史さん2020/11/14(土) 22:29:45.240>>74
北方十字軍は異教徒を殺しまくってたけどな
ドイツ騎士修道会にいたっては、リトアニアのヤゲウォの改宗を
あくまで認めようとせず、改宗は偽装であり、欺瞞であると主張した
リトアニアがキリスト教化すれば、ドイツ騎士修道会はその存在理由を
失ってしまうから かんこくがかんじをはいししはんぐるのみにしたのはしっぱいだったな
にほんごにたとえるとすべてかなでひょうきするようなものだしね
はんぐるだけだとよみにくいうえにどうおんいぎごにまったくたいおうできない
こうしてかんじごにゆらいするじこくごをどんどんうしなっていった
ゆえにかんこくじんはにちじょうをはなれたこうどなぎろんや
ちゅうしょうてきなぎろんをするのがむずかしくなった フーリー(アラビア語: حورية)は、イスラームに伝えられている天女達の総称。
その肌は白く、金髪の乙女であるという。フーリーはペルシア語で、古代アラビア語ではフール(Hur)と呼ばれる。
フーリーは天国に来たイスラーム信者の男性のセックスの相手をするとされ、一人につき72人のフーリーが相手をするともいわれる。
彼女たちは永遠の処女であり、セックスを行い処女膜が破れても、すぐさま再生するとされる。
イブン・カスィールによれば、ムハンマド・イブン・アブドゥッラーフは
『天国では男性は一日100人の処女とセックスが出来る』と述べていた。
また、『われわれは天国で処女とセックスが出来るのでしょうか?』と問いかけた信者に対して、
『もちろん出来る。そしてセックスが終わった後には、彼女は清らかな乙女に戻るのだ。』と述べたともしている。 日本で第二位の神社、熱田神宮を有する名古屋
寡兵で大軍を破った戦いだと日本ならやっぱ桶狭間の戦いだな
駿河・遠江・三河を支配し、海道一の弓取りとまで言われた今川義元の軍2万5千を
小国尾張の一領主に過ぎない織田信長が3千で撃破し、義元の首級をあげた
兵力差8倍以上
まさに戦国最大の番狂わせ
出陣前に熱田神宮で戦勝祈願したのも有名な話
三種の神器の一つである草薙の剣が祀られている
今年何か決戦を控えてる人にっては初詣におすすめ
ご利益あるかもよ? 16世紀から17世紀にかけて、アジア各地で「無敵といわれた最強の騎馬隊が、鉄砲隊によって壊滅させられた」という、
時代の分水嶺となる戦闘が起きた。それを順番に並べると、
1514年 チャルディラーンの戦い
オスマン帝国の鉄砲隊により、サファヴィー朝イスマイル1世の無敵騎馬軍団が壊滅
1526年 パーニーパットの戦い
ムガール帝国バーブルの鉄砲隊により、北インドを支配するロディー朝の騎馬軍団が壊滅
1575年 長篠の戦い
織田信長の鉄砲隊により、武田勝頼の騎馬軍団が壊滅
1626年 寧遠城の戦い
明の袁崇煥の鉄砲隊により、後金ヌルハチの騎馬軍団が壊滅
この4つの戦いのうち、鉄砲を国産化していたのは日本の織田信長だけ
あとは全部、ヨーロッパから輸入した鉄砲 マルクスは資本主義が成熟し、共産主義が生まれると言ったが、
実際に共産革命が起きたのはロシア、中国、カンボジアなど資本主義が未発達の国ばかりだった
貧しい国ほど共産主義というカルト宗教にハマりやすい アリウス派(異端) 「イエス・キリストは人である」
ネストリウス派(異端) 「神のイエス・キリストと、人のイエス・キリストがいる」
アタナシウス派(正統) 「イエス・キリストは、神であると同時に、人でもある」 ヨーロッパとアジアの境界は一応ウラル山脈にある、とされているが、
カトリック圏の国々は、東方正教圏の国々はヨーロッパではない、と
考えている人たちもいそうだな
ビザンツ帝国もロシアもアジア的・東方的とみなされてきたし ディオクレティアヌス帝の時代にペルシア風儀礼を導入して、ローマ皇帝は
市民には近寄りがたい存在になったが、アッバース朝のカリフも、ペルシアの伝統が
入ってくると、だんだんに神がかった存在になって、一般人とは隔絶された
半神半人のごときものと思われるに至った
彼らは、アッラーが現世に示したその影といわれるようになった
ペルシア文化が地中海世界に与えた影響というのは、けっこう大きいのかな? http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/018/157/89/N000/000/000/125481428609216132572.jpg
132 <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 2011/05/20(金) 19:51:34.91 ID:EdrCPrGF
>>86
大韓帝国
(大=Greatが付く帝国ってのは、どこか他国を占領・編入したか、
複数民族・言語で成っている帝国の場合なので、
それもないのに、大=Greatを僭称するのはおかしいと
英仏ロシアから何度も忠告されたが、理解出来ず無視ww)
初代皇帝である高宗
明治天皇に嫉妬、対抗するため、服装だけ急遽真似した。
やけに小さなプロシア式突撃兜をかぶってるのはおかしいのだが・・・・
部下も本人もアホで、何にも調べず、適当にかき集めたから・・・
ドイツ帝国陸軍歩兵帽に、歩兵用ベルト、剣はフランスの軽騎兵のものw
フランス騎兵の歩兵ズボンなんかをかき集めたw
上着は英国騎兵馬世話係の古着らしい。
アイロンもかかってないし、お披露目した途端に各国大使の物笑いにされた。 左:白人の「ぼくのかんがえたキリストぞう」
右:実物に近いとされるキリスト像
https://i.imgur.com/JP69Pp7.jpg 劉邦「農家出身です」
朱元璋「農家出身です」
豊臣秀吉「農家出身です」
毛沢東「農家出身です」
ポル・ポト「農家出身です」
菅義偉「農家出身です」 朝鮮陶工「アイゴー!倭人に拉致されたニダ!ウリナラに帰りたいニダ・・・」
その後
通信使「おい、戻るぞ」
朝鮮陶工「イルボンでの待遇が良いから、もうあんなとこ戻りたくないニダ!」
※実話です
アラブ世界でも金髪碧眼が人気だった
売る物が無い中世ヨーロッパの商人は最初はゲルマン女を連れていったが、ゲルマン女が嫌がるので
今度はスラブ女を捕まえて売り飛ばした
ヴァイキングはヨーロッパ中で人攫いして捕まえた人々を奴隷として
イスラム世界に売り飛ばしていた
だがビザンツ帝国には敵わないので傭兵として仕えた イタリア料理、フランス料理、スペイン料理
美味いのはラテン系ばかり
料理に関してはゲルマン系はラテン系に敵わない >>13
仏教で一番一神教的なのは日蓮宗だな
法華経以外の他の宗派・宗教は全て邪教という認識 正月は神社で初詣、葬式には坊さんが来てお経を唱える、キリスト教徒でもないのにクリスマスを祝う
外人さんから見たら奇怪に映るみたいね 元首政時代のローマ皇帝は、一般市民が気軽に近寄れる存在だったが、
ウマイヤ朝のカリフたちもアラビア半島の気風が濃厚で、人間くさい存在だった
またカリフたちの側近にはハージブ(侍従)という役人がいて、これを通しさえすれば
一般民もカリフにあうことができた
しかし、アッバース朝になると、文武百官が人民とカリフとの間を隔てており、
その官僚陣のいちばん上にワジール(宰相)がいた
ビザンツ帝国でも「黄金の食堂」(宮殿の宴の間)に招かれた高官たちは、
皇帝から下賜された衣服で盛装し、玉座の間へ続く階段を跪いたまま登っていった >>17
スレ違いな上に時代も場所も違い過ぎるけど
信玄率いる武田騎馬隊とチンギス率いるモンゴル軍が激突したら
どっちが強いんだろう?戦場は大平原として
元寇の時は上陸戦だったから、騎馬戦が主体のモンゴルの実力を殆ど発揮できなかったのが痛い
おまけに敵が鎌倉武士+日本刀で更に古刀という鬼に金棒状態だったのが余計にきつかった 武田騎馬隊ってのは幻想
川中島みたいなアクシデントでもない限り正面きっての削り合いは避けるだろうな 武田騎馬は主に移動で使ってて
決戦に敵に騎馬突撃を仕掛けるみたいなのは無かったらしいね
まあ、相手に同等の騎馬兵力が無い場合は
貴重な騎馬兵をすり減らすことになっちゃうものな >>33
騎馬で突撃というのは、モンゴル騎馬軍団の新しさだろうな
漢はもちろん、唐あたりでも騎馬は移動が主目的だったらしいが いや、「馬の数が多くて、乗り換えにより長距離移動できた」というのがモンゴル騎馬軍団の新しさだったようだ
↓
個々の兵士は全員が騎馬兵であり、速力が高く射程の長い複合弓を主武器とした。
遊牧民は幼少の頃から馬上で弓を射ることに慣れ、強力な弓騎兵となった。
兵士は遠征にあたって1人あたり7〜8頭の馬を連れ、頻繁に乗り換えることで驚異的な行軍速度を誇り、軽装騎兵であれば1日70kmを走破することができた
(中世ヨーロッパの歩兵の行軍速度は一日20km)。
また、衰え弱った馬を解体して食糧(肉、内臓、血)、武器(骨、腱)、衣類(毛皮)と徹底的に利用したため、編成や食糧調達に長い時間を割かれる心配が少なかった。 >>31
そりゃモンゴルだろ
武田の方は合戦のすべてを騎馬隊だけで戦うような経験ないだろうし
鎌倉武士みたいに全員が騎射出来るわけでもないだろうし
そもそも武田騎馬隊とて騎馬突撃なんてしてた訳じゃないだろ
まして騎馬に不向きな山岳戦が主戦場
軍艦にも馬で素早く移動して有利な地形を確保し戦闘時は下馬して戦ったとか書かれてなかったか
武田にモンゴル並みの破壊力と機動力があったなら、多分畿内に早期に出れていた 義経=チンギス説
信長=ヌルハチ説
大衆は英雄に生きてほしいものなのね・・・
>>34
モンゴルは攻城戦にも優れていた
ペストに罹った死体をカタパルトで敵の城に投げ込んだりもしていた
生物兵器の原初 アレクサンドロス大王のマケドニア王国
冒頓単于の頃の匈奴
武帝の頃の前漢
トラヤヌス帝の頃のローマ帝国
アッティラのフン帝国
単純な戦闘だとどれが一番強いんだろうな 糞尿やら死体やらを投石するのなんてずっと前からある戦法だぞ
モンゴルの場合はそれがペスト拡大の原因になったと言われるから大きく言われるだけで
そもそも日本だとカタパルトやトレビュシェットとか有効じゃないし >>39
そりゃ2世紀のローマ帝国が、紀元前の軍隊に負けるとは考えられない
武器の性能、それを支える製鉄技術がまるきり違う 日本と世界の将軍が同じ土壌で戦えると思ってるのはかなり痛い そもそも「ペストの原因は沼地の淀んだ空気」とか思われてた、病原菌の存在を想像すらしてなかった時代に、そんな手段でペスト感染を助長する戦術なんて本当に存在したんだろうか?
「白人はインディアンに、天然痘ウィルスが付着した毛布をわざと贈った」とかもそうだけど、後世の牽強付会のような気も 死体から伝染病が発生するなんて紀元前から言われてるから >>44
紀元前の誰が言ったの?
少なくともヒポクラテスは「瘴気から伝染病が発生する」と主張したはずだが。 >>45
外科医が全く消毒も殺菌もせずに手術してた時代から150年くらいしか経ってないんだぜ。経験則でそのくらいわかりそうなもんだけど。 >>41
武器の性能もそうだが
他にもローマ軍は兵站(ロジスティクス)が素晴らしかったからな
それに引き換え1000年後の十字軍なんてお粗末そのもの・・・ 第三回以降、十字軍の主力は海軍と海上輸送された兵士たちとなる
これに関してはイタリア海洋都市国家が大きな役割を果たした ひとつには、イスラム文明の中心地バグダッドやダマスカスからエジプトに移っていたからな
十字軍も、南イタリアから地中海を渡ってエジプト上陸を目指すようになった 10世紀のイブン・シーナーは、感染症と検疫に関する詳細な検疫を行った。
ペストの感染が微生物が原因で起きることは、イスラム世界では14世紀に発見された
13世紀のモンゴル帝国期だと、感染症のことくらいならイスラム知識人は知っていた >>51
イスラム科学が微生物の存在を知っていたというのが初耳なんだけど、それ何がソースですか? 聖地の十字軍国家の存続は、人材と資源が海上交通を通して継続的に
補給されるということにかかっていた
海上ルートが無ければ、聖地への十字軍は第一回と第二回で終わっていたかもしれない 後期ローマ帝国の時代には、もはやローマ軍からかつての紀律正しさは
失われていたらしい
蛮族の騎兵が来襲したときに、歩兵が槍と盾で壁を作り、組織的に抵抗できれば
よかったのだが、それができなくなっていた >>53
そうだな
「14世紀のイスラム圏では、微生物が原因と発見した」は言いすぎだ
それは顕微鏡が発明される17世紀ヨーロッパのレーウェンフックやパスツールを待たないと
なんらかの「病元素」が人から人へ、豚から人へ・・・と伝染することが明確に認識されたのが、14世紀のイスラム医学。
その「病元素」を、人によっては「微生物」と解釈する人もいる ちと紛らわしいな
「17世紀のレーウェンフックやパスツール」を
「17世紀のレーウェンフックや、19世紀のパスツール」に訂正(笑) >>55
ゲルマン傭兵が主体になったのっていつ頃からだろう?
コンスタンティヌスの頃はまだまだローマ人が主体っぽいし
ユリアヌス以降かな? コンスタンティヌス大帝は親の代からガリアが勢力地盤
普通に考えてガリアで集めた兵が主力だろうよ カルタゴは功利主義と狂った教義のせいで規律が糞になり
ハンニバル以外の将兵がクソザコだったのが敗因
奴隷商売と食人が産業とかどこのチャンコロだよという暗黒地域だった
ハンニバルが孤軍奮闘してる間に逆王手かけられたあげく
戦術をスキピオにパクられて終了したという糞具合 >>38
モンゴル軽装騎馬弓兵は5~8頭もの馬を引き連れて長駆してたのは
敵襲を知らせる伝令潰しじゃないかって言われてたね
そして防衛体制が整ってない要塞を急襲し、時間稼ぎしている間に本隊のモンゴル重装兵が到着
いわゆる情報遮断 鎌倉武士と戦国時代の侍だと平均的戦闘力はどっちの方が強いのか気になるところではある
中国相手だと前者は元と、後者は明と戦ったよな
東北と九州は強兵の産地、尾張は弱兵、三河武士は勇猛とはよく言われるが >>63
武器も戦術も進歩するんやから新しいほうが強いに決まってるがな トラヤヌスの頃の全盛期ローマ軍ならウマイヤ朝、カール大帝のフランク軍、十字軍が相手でも普通に勝ちそうな気がするわ
流石に百年戦争時の英仏やオスマン帝国やドイツ騎士団やポーランド・リトアニア連合が相手だと厳しそうだけどね >>37
いや普通に武田でしょ
残念ながらモンゴルがいくら強くてもあくまで鉄砲普及以前のことで全然戦術が違う
くわしくは宇田川武久の「東アジア兵器交流史の研究」でも読んで欲しい
>>58
ナクシェ・ロスタムによるとゴルディアヌスは帝国全土からゲルマン人を招集したという記述があるので
少なくとも3世紀初頭時点でローマ軍の主力だったのは間違いない
ゲルマン系兵士一強になったのは5世紀あたりだろうけど >>65
> トラヤヌスの頃の全盛期ローマ軍ならウマイヤ朝、カール大帝のフランク軍、十字軍が相手でも普通に勝ちそうな気がするわ
んなわけがない
古代ローマの重装歩兵密集隊と、ウマイヤ朝のベルベル騎兵じゃ機動力が違いすぎるわ >>69
トラヤヌスがベルベル騎兵を大変重用して機動的な電撃戦やってたこと知らなそう
まあ最盛期ウマイヤ朝と全力で衝突するとさすがにキツそうなのは同意だけど >>70
トラヤヌスがいた2世紀だと、まだ重装歩兵隊が全盛の時代
本格的な騎兵隊が台頭して戦術が一変するのは3世紀から4世紀のこと。
なので、それ以前と以後を比べるのは無理がある
もちろん、大砲をぶっ放す百年戦争の英仏軍と比べるのは論外 >>71
アッリアノスの布陣文献やニシビスの戦い(これは厳密には3世紀初頭だけど当時はまだ軍は2世紀と同じまま)なんかを見るかぎり
この段階でもサルマタイやパルティア相手だと投射兵と騎兵が攻勢主力で、重装歩兵はそれらを支援する盾役だよ
臨機応変な運用できていて少なくとも>>69みたいなジャンケンレベルの相性問題からはとっくに抜け出してる そもそも2世紀って一応サルマタイやパルティアをボコってんだから
重装歩兵vs騎馬民族なんて安直な構図で「ローマの負け!」って話にはできんでしょう >>72
英語版Wikipediaによると、ニシビスの戦い(217年)は、
「ローマ軍は伝統的な歩兵中心の軍団だった。それに対して、パルティア軍の主力は騎兵隊だった」とあるけどな
騎馬民族のパルティア人に対抗するために、ローマやペルシャも変わらざるを得なかったんだろうな
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Nisibis_(217) >>73
いやいや、そこが「程度の問題」なんだよ
たしかに古代にも騎兵はいたし、中世にも歩兵はいた
でも、ウマイヤ朝がイベリア半島を侵略したときなんか、万単位の騎兵を組織した本格的な騎兵軍団だ
古代ローマの重装歩兵軍団とでは、さすがに機動力が違いすぎる。
それが「時代の違い」ってもんだわな 欧米で制作された歴史映画でも、古代ローマ軍っていったら、
「巨大な盾を並べてバリケードを作り、盛んに投げ槍で攻める重装歩兵軍団」というイメージ。
馬で移動するのは将軍くらいのもの
まあ、しょせん映画といってしまえばそれまでだけど
https://i.imgur.com/DSuINFj.jpg >>74
戦い方もちゃんと読んでる?
ちゃんとへロディアヌスも読んでればなお良いんだけど
この戦いでは軍団兵は接近してきたカタフラクトを止める盾役しかやってないよ 一応あらためて言っておくけどウマイヤ朝が相手だとキツイってところは同意だからね
安直すぎる物言いがちょっと気になっただけであって 鎖帷子をまとった蛮族の重装騎兵はローマの歩兵の到底敵しえないものではなかった
それは疾駆して来襲するときには恐るべき敵だったが、ひとたび落馬すれば
「ひっくり返された亀のように」動きがとれなかった 装備だけで戦争に勝てるんなら世話はない
それだけ全盛期のローマはヤバかった ギリシアのファランクスには柔軟性の欠如という欠点があったので、ローマ人は
それぞれ120人から構成される単位(マニプルス)を作り、35マニプルスで
1レギオーとした
そして戦闘ではマニプルスを三列に配置し、戦闘が始まると、まず第一列が戦い、
それが疲れると第二列が代わって戦うという具合に兵力を交替させ、戦機が訪れると
予備軍をくりだした
こうした編成が、密集の持つ強さに機動性を与えることになった >>81の続き
こういうふうに書くと一見簡単そうに見えるが、この戦闘方式は決して容易ではない
例えば一列目と二列目の交替だが、それは戦いながら行うのである
一列目の間をぬって二列目が前に出るのだが、下手をすると、そこに混乱が起こる
しかも、その困難なことを職業軍人ではなく、一般市民から構成される軍隊が
行うのである
それはローマ人が紀律を重んずる人々であり、かつ常日頃からよく訓練を
積んでいたことによってはじめて可能となった >>78
まあ、確かにな
「古代ギリシャは重装歩兵密集隊、古代ローマはそれを受け継ぐ
3世紀から4世紀にかけて騎兵の役割が増大し機動力が飛躍的に向上」
というのは、あくまでも教科書的な戦史理解であって、実態がこんな単純な図式におさまるわけではないだろう
実際に、トラヤヌスのローマ軍はパルティアの弓騎兵とシノギを削ってたわけで 2世紀には補助軍で6〜8万ほど騎兵を常備していて
大遠征ではこの三分の一ほどが集中して投入されたとも言われていて
文献や彫刻等の史料でも「騎兵部隊による素早い進撃」といった描写やシンボルが
昔よりも多く現れるようになる
この時期は往年の重装歩兵運用と新しい騎兵運用が並立していて
後につながる運用理論の発展・移行期みたいな状態だったと思われる
共和制以来の伝統的運用を保持してたはもちろん事実だけど
一方で多種多様な補助軍を大量にそろえて共和制とは異なる運用も
構築しつつあったのがこの時期 2世紀といってもトラヤヌスは初期だから、まだそこまでは行ってないな >>85
トラヤヌス期も該当するよ
というかむしろ彼がこの流れを加速させた一人だと思われる
記念柱で彼自身が騎兵部隊を率いて進撃してるのが象徴的に描かれてるパートあったり
ベルベル騎兵の徹底的な重用とか踏まえると 378年のハドリアノポリスの戦いでローマ軍は蛮族に敗北し、
東部皇帝ウァレンスが戦死した
このあたりがターニングポイントかな 円柱みてるとスコルピオ載せたチャリオットも使ってたりとか
トラヤヌスってけっこう面白いことやってんのよね トラヤヌスのベルベル重用は実用優先しすぎてやりすぎたくらいだな
ベルベル王子で騎兵の元締めなクィエトゥスさんは出世しすぎてハドリアヌスの粛清対象になって
この精強で名をはせた騎兵連中も反乱容疑かけられてしばらく表舞台から消える 騎兵のプロフェッショナル化ってガッリエヌスの頃からでトラヤヌス時代はまだ騎士階級の子弟から
馬術と武勇に長けたものを選抜して徴兵する日本の健児制みたいな感じだったはず
また通常ローマ軍団の軍務期間は25年間でその間ずっと軍営生活を送るのだが
騎士の場合はその期間が3年ぐらいでどちらかというと行政官としての役割のほうがデカかった >>90
階級としての騎士と兵種としての騎兵をごっちゃにしちゃいかん
2世紀にもなると兵卒騎兵はほとんどが平民出身だし軍務期間も通常ものが適用されるよ
あとごく少数の軍団騎兵ならともかく補助部隊のala編成の騎兵は特に専門集団で
騎馬民族の戦士集団をそっくりそのまま編入して訓練するケースもしばしばで
ベルベルの件なんかはその典型例でもある トラヤヌス時代の騎兵が騎士階級の子弟で軍務3年とかトンデモ説のレベルじゃないか
おおかた指導者層の話と混同してるんだろうけども ヨーロッパでは、騎士は貴族の階級
古代でも中世でも変わらない
遊牧民の話と混同してはいかん 五賢帝期でも、その前でもローマ帝国軍に騎兵はいたが、あくまでも重装歩兵が主力だったことに変わりはない パルティアは遊牧民の国
ローマとはそもそもの成り立ちが違う >>84
> 2世紀には補助軍で6〜8万ほど騎兵を常備していて
モンゴル帝国じゃあるまいし、んなわけがないだろ
トラヤヌス帝によるパルティア大遠征でも、総兵力が8万くらいで大半が歩兵 >>96
いろいろな計算あるけど例えばここに載ってる補助軍の規模や内訳の推定を見るといいよ
https://en.wikipedia.org/wiki/Auxilia
あとそもそもこの騎兵の全てが投入されたとは書いてないだろう
人のレスはちゃんと読んでくれ 単純化された「教科書的な戦史」だと
ローマは帝政後期まで騎兵少ないというステレオタイプで説明されるので
こういう細部を知らん人は戦史好きでも多いでしょうな >>96
トラヤヌスの時にゲルマニアかパルティアのいずれかを征服占領しておくべきだったな
衰退期に入ってからゲルマン諸部族とササン朝の二正面戦争は流石のローマ帝国でも厳しかった ゲルマニアについてだが、ライン河を越えると森林や沼沢地が多いので、
ローマ軍にとってはやりにくかっただろうな 最盛期ローマの常備軍の規模や、意外な騎兵の多さは、毎度わりと驚かれるネタ
ただ、あれだけ大規模でも広大な国境を守るには人手不足だったらしいですね トイトブルク森の戦いの時点で、ローマ帝国の国境は2万qに近かった ローマ帝国を度々脅かしたゲルマン人だけど
フン族にちょっとつつかれるとあっさり逃げ出すんだよな
ベトナムに侵攻して失敗した元軍もそうだが
森林地帯だと騎兵の強さは大幅減する筈なのに・・・ ゲルマニアの征服はカール大帝を待たなければならない >>106
フンが最初にゲルマンをブン殴ったのは黒海北部の草原地帯で、
そこから西へとゲルマン同士の玉突きが連鎖する
あとフンも雪だるま式にゲルマン軍を配下にして引き連れてく ギリシャ神話
ローマ神話
ケルト神話
北欧神話
スラブ神話
クトゥルフ神話 >>1
これでもまだ最悪の状態ではないんだよな
キリスト教があったから土人一歩手前で踏みとどまれた 東ローマ帝国はヴァンダル王国への侵攻でフン族騎兵を用いていたね >>110
修道士には余暇があったから、余った時間を写本や古代の文献の読書や整理で
過ごすことができたんだよな
中世社会の中では彼らだけが文字を解し、書くことができたから、農業経営に
おいても傑出した技術を維持することができた
中世の農園、とくに荘園経営においては修道院経済は傑出した存在だった 4世紀半ばのローマ帝国では、税金調達吏や、地方の行政を行う高官に働きかけて、
税を免除してもらうことが頻繁に行われた
税金を査定する人を抱き込めば、実際は収入があっても収入が無いようにするとか、
あるいは収入額を減らすことができる
つまりは買収 そらまあ当時の最先端ブンメであるイスラムから見れば中世欧州なんて、暗黒の野蛮後進国だろうさ ハンガリーあたりは、騎馬民族にとって非常に攻めやすい地形 バルカン半島も、スラヴ人が南下してきたせいでかなりの都市が破壊されたな なんでここは西欧みたいに
発展しなかったのかな
イスラムのせいか? 中世後半以降だと東ローマ帝国の旧領よりも西ローマ帝国の旧領の方が発展していくんだよな オスマントルコに支配されず各キリスト教国家が続いてたとしても
ピョートル大帝治下のロシアのように思い切って西欧化をはからないと
停滞したままのような気がする>バルカン ギリシャ・ローマの遺産を持っていたのにあの体たらくだったからなビザンツ バルカンの中でもハプスブルクの支配下にある地域は進んでたんだっけ バルカン半島なんて、山岳地帯だろ
大国ができるようなところではない ブルガリアもセルビアも、バルカン各地の領主層が強力な指導者のもとに結集して
成立させた国家であり、抽象的な国家概念が十分に明確になっていたわけではなく、
またそれに形を与える領域的組織も整っていなかった
そのため、一時的に広大な領域を支配しても、強力な国王が死去して指導力が
失われれば簡単に崩壊してしまった てかいい歳こいたジジババがびびりすぎやろ
若者は死者0で高齢者でもそんな簡単に死なんし、仮に奇跡で死んだとしたらそこまでやろ。
運が悪かった。体調管理、自己責任の問題で
別に他人が悪いわけちゃうし
世のジジババはどんだけ長生きしたいねん
90歳100歳まで生きたいとか贅沢言いすぎやろ
医療が進化して平均寿命が伸びるほど国は立ちゆかんようになって少子高齢化で破綻しつつあるんやし、多少のリスクなら背負った方がいいくらいや
長生きなんかより、どう生きたかやろ
コロナごときにいつまでもびびって萎縮してたらそれはもう死んだと同じやと思うわ
インフルみたいにこの先ずっと付き合わなあかんウイルスやのに
餅に喉つまらして死ぬやつが毎年4000人もいるのにいまさらコロナで1000人死んだ2000人死んだって、騒ぐほどの事でもない
生きてるんやし歳重ねた者が死ぬんは当たり前の事 コロナ前の人間軽視、人命軽視の社会には戻れないと思うけどなぁ
自爆テロや核兵器よりももっとお手軽な方法で先進国の足元すくえることが知れ渡っちゃった以上
自分の軍事的優位を確信したローマの軍拡が止まらなかったのと同じで アメリカでは職場・組合・教会・政党・地域活動などの「中間団体」が
弱体化しているんだが、これが行き着く先は「ビザンツ化」じゃないかな 自立の気風がー
といってもロシアも結局
発展してるからな
工業化に向いてなかったのかもな
住民が 独立後のバルカン諸国はどこも貧しい農業国
おまけに縁故主義やコネが幅を利かせていた >>128
>コロナ前の人間軽視、人命軽視の社会
コロナの当事国である中国は人間軽視、人命軽視やな。
自国の大都市を丸ごとコロナの実験台にしてるし 文明が発達すれば、人間は柔弱になり、剛直な蛮族の前に敗れるというのは
昔からいわれてきたな だよな
実際、産業革命で文明を一気に発展させた西欧は、
清、トルコ、インド、江戸幕府、インディアンに植民地分割されちゃったしな 今回のコロナは中国共産党が世界征服に王手をかけるべく発動した最終兵器 ローマ帝国滅亡後、地中海はサラセン海賊が跋扈する場所となったが、
もしアメリカの海軍力が衰退すれば、世界各地の海は安全に航行できる
場所ではなくなるだろうな >>137
反米論者は、「アメリカ亡き後の世界」 など本気で考えていない フランク王国の軍隊に騎兵が本格的に導入されたのは、カール・マルテルの時代
メロヴィング朝時代の軍隊にも騎兵は存在したが、その比重は軽かった
732年のトゥール・ポワティエ間の戦いで、イスラームの軍馬の威力を
思い知らされたカール・マルテルは、フランク軍を重装備の騎兵軍団が
主力となる軍隊に再編しようと努力した >>96
> >>84
> > 2世紀には補助軍で6〜8万ほど騎兵を常備していて
それは輸送用なんじゃないか? >>140
いやれっきとした職業軍人(miles)身分の騎兵の数
輸送用(iumenta)の使役獣はこれとはまた別にいっぱいいる
あと必要に応じて集められるパートタイム兵・雑務要員のnumerus枠もある >>136
明とオスマン帝国ってどっちが強かったの? トラヤヌス時代のローマ軍誇張じゃなく20万いたっぽい
前に何かの記事でみた
軍団の駐屯跡地だかの規模から最低そのくらいいたそうな ローマの正規軍は重装歩兵
補助軍は中東など外地で徴集した騎兵や弓兵 >>144
全軍はもっと多い
>>97の英wikipedia記事にも簡潔に載ってるけど
正規軍団と補助軍あわせてトラ〜ハドリアヌス期で推定35〜38万
セウェルス期にはもっと増えていて40〜45万
古代の文献にそう書いていたわけではなく
発見された駐屯地跡や部隊記録等の現代研究で裏打ちされた数
そしてこれだけの常備軍を支えるために
膨大な民間リソースも注ぎ込まれていて(駐屯地を支えるために周りに街ができる等)
こんな軍拡しつづけたもんだから軍事費で財政破綻する >>145
いや補助軍(Auxilia)もmiles身分を与えられた常設の正規軍
非正規のパートタイム徴集兵に相当するのはnumerusという別枠 中世だと西欧諸国の総力を挙げた十字軍でも精々数万が関の山だからな 十字軍は兵は諸侯の寄せ集めで兵站は貧弱ときてる
いやこれでイスラムと戦えたんだから凄いっちゃ凄いんだけども… 3世紀の中頃には、ローマ帝国からガリア帝国とパルミラ王国が分離し、事実上の三国鼎立状態になる
このときに登場した軍人皇帝のガッリエヌスこそ、騎兵が主力の軍団を編成した最初の皇帝
これがヨーロッパにおける騎士階級の興隆の始まりとされている 帝政初期の往年の歩兵軍団方式を主力として固持しながら
一方で多様な補助軍を大幅増させて新スタイルにも対応しようってのは
ぶっちゃけ非効率と矛盾を抱えてる器用貧乏なのよね
最盛期の国力の力技でなんとか機能してただけで
(そして実際に無理がたたって破綻する)
余裕なくてそうせざるを得なかったとはいえ
時代に合わない古い部分をキッチリ捨てていった3世紀以降のほうがやり方自体はスマート ハドリアノポリスの戦いのとき、ウァレンスの率いた軍隊の数は、二万人を
越えないという小軍団であったらしい
四世紀の終わりには兵制通りの軍隊を維持できなくなっていた >>149
民衆十字軍にいたっては、ライン地方でのユダヤ人虐殺やハンガリーでの掠奪など、
数々の狼藉を働いているな 民衆十字軍はアナトリアでも略奪をしながら進むが
セルジューク朝の攻撃を受けて壊滅
生き残った連中は奴隷にされ売られていった セルジューク朝の末裔がオスマン帝国の皇帝と話す黒いエピソード好き 我が一族が必ずやオスマン家を滅ぼしてみせるぞ、みたいなこと言ってたやつ?
宮廷に取り入って媚売ってた胡散臭いやつだったな 十字軍に参加した連中の中でも「タフール団」は、武器らしい武器も持たず、
ただただ棍棒を振りかざし、神の加護だけを信じて突き進み、ムスリムと見れば
容赦なく叩き斬り、戦いがすむと食人鬼と化して死体を貪り喰らった トルコマン族にとってはシリア・メソポタミアよりアナトリアのほうが
牧畜に適した土地だったんだよな
そしてトルコマン族のアナトリア侵入がビザンツ側の反撃を引き起こし、
マンジケルトの戦いへと発展する ゲルマン民族の南下が本格化すると、ローマ時代のウィラは次第に放棄され、
メロヴィング期に入ると、農村は一気に低迷期に入る
もはや石造の農家はみられなくなり、平面積にすると10uにも満たないような
木造掘っ立て小屋の農家が散在するだけになってしまった
そこでは、ローマ時代以前よりも農家の規模は小さくなってさえいる
やっぱり旧西ローマ地域では文明は崩壊したのだと思う 中原に侵入した五胡は大宮殿を作ったりしたが(石虎とかね)
ゲルマン人は豪華な邸宅には興味がなかったようだな >>165
ゲルマン人の国には、首都も王宮もない
王が今いるところが首都 旧ローマ帝国内に建国された蛮族諸王国は当初はふつうに宮殿とか作ってただろ。
社会の生産力や技術が衰退して作れなくなっただけじゃないの? ラヴェンナのサンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂モザイク画に描かれたテオドリック大王の宮殿
https://i.imgur.com/ThoHK65.jpg テオドリックとかは特別だろ
ローマ文明のコアな地域を乗っ取ってるんだから
アルプス以北にいる連中はシンプルそのもの アーヘンのシャルルマーニュの宮殿
https://i.imgur.com/aFFte1U.jpg
支配領域の広大さを考えるとだいぶお粗末ではあるが、別に作らなかったわけではない。 テオドリック大王は若いころ、コンスタンティノープルの宮廷で
暮らした経験があったことも影響しているのかな
巨大な霊廟も造らせているし、彼の治世下で、都市では城壁や水道橋が整備され、
古代ローマの建造物の大規模な修復が行われた。 中国やメソポタミアやエジプトの場合、大陸の穀倉地帯の上に成り立った文明だから、
異民族が侵入してきても豊かさを維持できたのかな
旧西ローマ帝国領の場合、地中海各地を海運で結んでいたネットワークが寸断されると、
もはや文明を維持できなくなった >>172
> メソポタミアやエジプトの場合、大陸の穀倉地帯の上に成り立った文明だから、
> 異民族が侵入してきても豊かさを維持できたのかな
その「メソポタミアやエジプトの穀倉地帯に侵入してきた異民族」がローマ人 うーん
まあ、エジプトやメソポタミアから見ればローマも蛮族で間違いないか 多くのローマ期の都市は、中世初期には放棄されたり、都市の市域を狭く
縮小されたりした
中世初期の西ヨーロッパで都市を維持したのはカトリック教会であり、
とりわけ司教の存在が、古代から中世への都市の一定の連続性を
維持するのに貢献したといわれる >>173
ローマ人の前はギリシャ人が侵入してきてヘレニズム諸王国を建てた >>175
何度も既出だが初期の司教クラスが、セナトール貴族層で占められていたからだよ
彼らはローマ末期から、都市の領主として機能保持に努めていた 6世紀末から7世紀にかけて、司教層がガロローマ人からゲルマン人に急激に置き換わっているとかいう話やね。 >>158
セルジューク朝はイラン東北部で興って拡大西進し、最終的にはアナトリアの小国としてひっそり滅んだ >>163
中国でも似たようなことが起こりそうだったが阻止された
モンゴル人「漢人は役に立たんし、追い出して華北を牧草地にしちゃおうぜ!」
耶律楚材「ダメよ〜ダメダメ」 >>180
メロヴィング朝の国王たちが、司教の任命に影響力を行使して、
司教の都市支配を介して当該地方を王権のもとに統合したかったからじゃね? 中世初期は、ローマ教皇よりフランク国王や神聖ローマ皇帝のほうが
力が強かったんだよな
皇帝はキリストの代理人だったが、ローマ教皇はキリストの使徒である
聖ペテロの代理人にすぎなかった
教皇がキリストの代理人を名乗るようになるのは、最も強力な教皇といわれる
インノケンティウス3世以来
オットー大帝の即位後の百年間のうちに、21名が皇帝によってローマ教皇に
任命され、そのうち五人が皇帝によって罷免されている 早いうちに皇帝が教皇を任命するビザンツ方式にすれば
神聖ローマも叙任権闘争とか起きなかったのにね >>182
別にアナトリアに住んでた人々は追い出されてないだろ、改宗しトルコ人となっただけで
今のトルコ人の大半は改宗した元ギリシア人の子孫だぞ
WW1の後の住民交換の時も見た目ではトルコ人とギリシア人の区別が付けられず
正教徒ならギリシア人、ムスリムならトルコ人として扱っていたわけで トルコ人はイラン人の農地を奪い牧草地にしようとしたので
セルジューク朝のイラン人宰相ニザム・アルムルクは
イランを救う為にトルコ人をアナトリアへ移住させた
アナトリアはトルコ人により牧草地化して人口が激減した
アナトリアはオスマン帝国時代に新大陸からトウモロコシが伝わって
再び農業が盛んになり人口が増大した
トウモロコシは旧大陸ではトルコで普及し始めたのでトルコ小麦と呼ばれた 現代人から見ると異様に思えるが、カロリング時代の司教や修道院長は
自身の軍隊を率い、国王の行う戦争に参加していた
その後10世紀後半には、南フランスを中心にしてはじまる「神の平和」運動において、
司教が司教区の平和を実現するために、司教の軍隊を組織していた 高句麗が滅んでその遺児と靺鞨が渤海を建国してそこそこ文明的だったのに
遼に滅ぼされた後はヒャッハー的な女真の部族社会になるという 西ローマ帝国滅亡の影響がもっとも大きかったのはブリテン諸島かもしれない
異教徒のアングロ・サクソン人はブリタニア東部を占拠し、キリスト教の痕跡を
消し去ってしまった
キリスト教徒の一部はウェールズなどブリタニア西部に逃げ延びた ところで
壮大な空想みたいなのを「ロマン」て言うのはなんでやねん
ローマ人は空想好きやったんか? あと、恋愛のことを「ロマンス」て言うのもなんでやねん
恋愛なんかどこの誰でもすることやし
特にローマ人の専売特許ていうことはないと思うけど ロマンスって元は中世西ヨーロッパの宮廷で流行した騎士道物語のことだったような
なぜロマンスなのかは知らん >>198
中世の西欧ではラテン語=文語に対して日常語=ロマンス語といった
騎士道文学は日常語で書かれた通俗文学であり、キリスト教や学問のラテン語とわけるため
ロマンス(語でかかれた通俗小説)と呼ばれた 女作者じゃ男の日常も考えも分からんしな。女読者→女作者→女読者→女作者と女だけで閉じた世界。 俺は人生で2回、女子トイレで排便したことがある
1回目は東京ドーム、
標識がわかりづらかった記憶がある
用を足して個室ドア開けた時、
「あれ?何で、ここ大きい方しかないんやろ?」
と思った
二回目は某BOOKOFF
漏れそうだったので、良く確認しなかった
どちらも誰とも会わなかった ヅカもそうやろ
宝塚の男役に求められるのは女の目から見た男らしさであってリアルな男臭さは求められない
まあそれで需要があってビジネスが成立するなら口出しすることでもないが 東方正教会に比べて、中世のローマ・カトリック教会はえらく好戦的だよな
ザクセン人やバルト海沿岸地域への布教は武力によってなされたし 徳川幕府がイギリスではなくオランダを選んだ理由が気になる
スペインを破って大英帝国の始まりって時期だったと思うが 直近で香港取ったから
難癖付けられて領土取られるのも時間の問題 >>205
17世紀はオランダの最盛期で世界の海洋覇権国
それに今でもそうだが、オランダ人の宗教(対するコダワリの無さは西洋でも特別
「宗教は宗教、ビジネスはビジネス」という現実感覚に定評があるので付き合いやすかった 北アフリカのローマ都市レプティス・マグナは、イスラーム支配下に入ると、
住民が戻らず、その後は一千年近く、見捨てられて砂に埋もれていた
しかし現在ではリビア内戦に呼応するように、盗掘が盛んに行われるようになり、
貴重な彫像などが不法に国境を越えているといわれる 北アフリカの都市の衰退理由はいろいろ
アラブ軍の軍営地が発展したもの
カルタゴやアレクサンドリア
当初アラブ軍は騒乱が多く治めにくい都市に定住せず、軍営都市を築き、やがてそちらに
元の都市の人々も移動して廃れた
軍事的破壊
レプティス・マグナ、ティムガド
ベルベル人とアラブ人の侵攻で荒廃
ほぼずっと存続
コンスタンティーヌ ヨーロッパ北部ではブドウが生育しないために、オオムギやエンバクを発酵させた
アルコール飲料(英語ではエール、フランス語ではセルヴォワーズ)が作られていたが、
キリスト教の拡大に伴って、儀式に必要なワインを作るために、ブドウの栽培が
広がっていったのだとか 地中海沿岸地域は小麦を原料とする白パン、オリーヴ油、ワインが主な食事
それに対して北方では食生活の中心は肉であり、パンの原料はライ麦、
飲み物はビールだった
西ローマ帝国崩壊後もローマの文人は、もっぱら肉をむさぼり食う
北方の諸民族に畏れと侮蔑をないまぜにした視線を送っている >>214
確かその話は、ゴミ捨て場の骨の分析から、イタリア半島のローマ人も結構肉を接種してたようだと
指摘されているんじゃなかったっけ 魚が高級品なら一般市民は肉食ってたろうな
ギリシャといい地中海地域で豚肉食わないとは思えない 古典期のギリシャだとめったに肉は食わず、基本的には祭礼で神々に犠牲を捧げたときにのみ御相伴で食べるとっておきのご馳走だったみたい。
富裕な人でもふだんは肉は食べず、食べるのは魚。貧乏人はその魚もめったに食えない。 古代ローマ人も肉を食べたし、ゲルマン人も農耕をしなかったわけじゃないんだよな
塩婆様なんかはゲルマン人のことを狩猟民族と呼んでいるけど >>218
ゲルマン人について「狩猟民族」なんて概念を今更大真面目に取り扱ってる時点で、この人は歴史家でもなければ批判的思考もないとよくわかる。
「ヨーロッパは狩猟民族、日本人は農耕民族だから」みたいな類型論は昭和の3流歴史評論では愛用されてたけど、そのレベルから脱していない。 歴史評論だけじゃなくサッカーとかでも未だに使われてるなw ゲルマン人が農耕してる頃の日本人はどんぐり食ってた 残された遺物のDNAとかから栗とか栽培してた形跡あり ゲルマン少なくとも現ドイツにいた系統は戦後に進んだ考古調査で
気候変動や部族抗争・野心的なカリスマ指導者が出現しないかぎり
百年単位で同じ場所に邑つくって定住して農牧してたって結論に至ってるんだけども
未だにゲルマンは狩猟民族・定住しないという雑な史観で語る人の多さはゲンナリするね >>222
塩野の学生時代の頃の20世紀の中頃の歴史観のままだから
その頃に知識形成を行った知識人ではゲルマン人=狩猟民族、日本人=農耕民族みたいな井戸端論は一般的
塩野が特別なわけではない
が
塩野の問題は、その前世紀中盤の世界観で20世紀末になってロマ物で有名になったから
既に時代遅れの史観を拡散してしまう結果となってしまい、古い世代にはそのまま受け入れられ
既に古くなった歴史観だということを知らない一般人もそのまま受け取ってしまった
もちろん最新の歴史学に詳しい人たちは気づいていたが、学界の連中は表立って指摘しなかったし
そもそも学界の連中は塩野ほどの著作を世に出せなかったのだから塩野の勝ち、となってしまった
これはまずいと本村先生のような人が一般向け著作をやたらめったら出すようになったが
もう遅く塩野史観はかなり定着してしまった 「ローマ人の物語」は参考資料リストがかなり役に立つと思う
でもその資料あたってると「塩バア本当にこの研究ちゃんと読んだのか?」って感じるようになって
本編に対する印象はますます悪化する スレと直接関係ないけど、最近は日本人の六割は遺伝的に、人に合わせるより自分の
時間や世界を大切にする「自閉気質」を持っているとか、
日本人は不安や恐怖に苛まれやすい傾向を持ち、ネガティブ思考を得意とする
「不安気質」の遺伝子を持っているとか、
アメリカ人には「動じない・緊張しない・大胆」を示す遺伝子を持っている人が
多いとか、遺伝子である民族の気質が決まるという疑似科学が流行っている >>228
エッセイだから
翻案・省略・誇張は当然あるわな 当人の史観や本文内容はともかく
ネット環境も発展しきっていない情報にアクセスしにくい時代に
具体的な書籍名をあげて一通り研究網羅してリスト化してくれた点は確かに有益だった >>217
それはないな
古代ギリシャの貨幣の最小単位であるオボロス貨一枚で大体串肉一本と等価だったから
というかオボロスの語源もそこから来てるし
ギリシャはオリーブ栽培や牧畜に向いた土地だけど農耕に不向きで穀物はエジプトや黒海との
交易だよりだから穀物の割高だったはず >>228
普通の研究者ならドイツ語や英語版の研究書を参考文献に書くところ、塩婆はイタリア語版を
文献一覧に乗せている
一か所でも参照した文献は参考文献一覧に乗せて構わないから、そういうのも入っているだろうと思う
「ちゃんと読んだのか」って印象になるのは、塩野は恐らく必要な箇所だけ目を通すだけで、
研究史や研究者の論旨学界の動向など全体を把握しているわけではなくて一部部分だけ参照しているからだと思われる
このへんでいくら大量の参考文献を列挙していても見る人が見れば ? というエッセイとなってしまうのだろう
まあこれくらいは学生の卒論ではありがち ロマ物が完結して十年以上経つのに誰もローマ通史の作品書かないな
後に続こうみたいな作家先生はおらんのか 研究が細分化されて、歴史学者が通史を書くのが難しい時代になった。かと言って作家が書けば「日本国史」みたいなゲテモノになる。 >>234
井沢読んだことないから知らんけど守備範囲が広すぎないか?
塩野の著述は少なくとも古代ギリシア以外は古代からルネサンスのイタリア史に限定されているから
井沢よりは専門性は高いだろ(ロドス戦記や十字軍、コンスタンティノープル陥落にはジェノバ人やヴェネツィア人が参加している) 中世初期には、肉としては豚肉がもっともよく食べられた
ヒツジやヤギは、肉を食べるためよりも毛とミルクをとるために飼われていたらしい
その他に二歳以下の仔牛肉なども食べられていた
王族などがローストされた新鮮な肉を大量に食べられたのに対して、
農民は塩漬けされた保存肉をスープに入れて食べるのが普通だった 中世の西ヨーロッパでは、神聖ローマ皇帝だけでなく、ローマ教皇もローマ皇帝を
意識していたんだよな
12世紀以降、教皇が古代ローマの帝権を継承する者だと主張されるようになった
ローマ教皇は古代ローマの皇帝儀礼を模倣する儀式を行い、可視的にローマ帝国の
継承者であることを表現するようになった
教皇は皇帝の戴冠式を模倣して教皇冠をつくり、戴冠式を行うようになる
また12世紀から教皇の即位式では、ビザンツ帝国の皇帝儀礼を模倣して、
即位の際に「亜麻布を燃やす儀礼」を行うようになった 中国 項羽、呂布、冉閔
日本 平教経、本多忠勝、宮本武蔵
東洋最強は誰? 中世随一の英雄はやはりリチャード獅子心王だろう
アレクサンドロス、カエサルとナポレオンの間の時代だとやっぱこの人を置いて他にいない
と言おうと思ったが、ジャンヌがいたわ >>244
ヘロディアヌスやヒストリア・アウグスタの情報なんで誇張あるかもしれないけど
個人戦最強ローマ皇帝は圧倒的なフィジカルエリート戦士だったらしいマクシミヌス・トラクスじゃなかろうか 著述みるかぎりマクシミヌス・トラクスは別格
「軍内でも敵なし!ローマ軍最強の男!」ってレベルだから
次点でコンモドゥスその次はハドリアヌスって感じかな コンモドゥス「この首取って手柄とせよ」
マルコマンニ族「ヒャッハー!」
クアディ族「大将首だぜー」
ヴァンダル族「人質にしてローマから金たんまりもらうぜwww」
コンモドゥス「ふんっ!」
マルコマンニ族・クアディ族・ヴァンダル族「うあああああああああ」
コンモドゥス「他愛もないな。蛮勇のゲルマン人と聞いて期待していたのだが、もっと骨のある奴はおらんのか?」
コロッセオでの試合もいいけど
マルコマンニ戦争でこういうのも見たかったな 剣闘士にはゲルマン人も多かったというからタイマンだとやり合った人も結構いるだろ コンモドゥスが戦闘力最強なわけないだろ
3世紀なんか、戦争しまくって平民から成り上がった軍人皇帝がゴロゴロしてんのに ヘロディアヌスによれば、コンモドゥスは新年を前に近衛隊長官ラエトゥス、
それにほとんどの元老院議員を処刑する計画を立てたとされる。
そのリストには些細な理由から愛妾であったマルキアという女性も記されていたが、
少年の男娼と寝室で寝ている間にそのリストをマルキア本人に見られてしまった。
驚愕した彼女はただちに書類に載っていた要人たちを集め、
重臣たちは皇帝の側近ペルティナクスを擁立する廃立計画を決断した。
同じく暴君として暗殺されたカリグラやネロと異なり、腕の立つコンモドゥスが相手では近衛兵による暗殺は難しかった。
そこで毒殺が試みられ、入浴後に飲酒する習慣のあったコンモドゥスにマルキアが何時ものようにグラスに葡萄酒を注ぐ際、
一緒に毒薬を混ぜ込んだ。警戒せずにコンモドゥスがワインを飲む干す様子を見届けると、
マルキアは使用人達に人払いを命じて、最後の時を迎える皇帝をそっとしておこうとした。
コンモドゥスはしばらくは平然としていたが、突然に毒に気づいてワインを吐き出した。
彼は食事の前に必ず解毒剤を一緒に飲むようにしていたため、致命的には至らなかったのである。
慌てたマルキアや重臣たちは、控えさせていた護衛の剣闘士ナルキッソスを差し向けた。
コンモドゥスも咄嗟ながらかなりの抵抗を見せたとされるが、毒がまだ体に回っていたために十分な力が入らず、
そのまま絞殺されて31歳の生涯を閉じた。 ネットフリックスのドラマではコンモドゥスは相手に切れ味の悪い剣を持たせてズルをして勝ってたと描かれてたけどどっちが正しいんだろうか コンモドゥスが出てる映画といえばやはりグラディエーターだな 血統で帝位に就いた皇帝って何で元老院と揉めるんだろうな
うるさいジジイどもをおだてて大人しくさせておくとかお坊ちゃんには難しいのかな 王制ローマの件で世襲嫌いだったから
皇帝だって元老院から指名される人物が元老院側の一番の理想 成り上がり者は元老院のいうことをよく聞く
現代アメリカもそうで、トランプ前大統領は実は議会での評判が良い アメリカでは、イギリス式の「貴族院」(ハウス・オブ・ロード)という呼び名を嫌って、「元老院」(セネト)と呼ぶことにした
建物の上の階にあったので別名「上院」(アッパーハウス)とも呼ばれるようになったのが、日本では定着した アメリカの上院は、本当は「元老院」と訳すのが正しい
上院議員も「元老」(セネター)でいい 補足すると、これは別にアメリカ人がローマ帝国を尊崇してこれに習ったわけではなく、欧州大陸方式を普通に採用しただけ
むしろイギリスが特殊 リトアニア=ポーランド共和国元老院(Senat)が1493年、ロシア帝国元老院(Senat)が1712年、ヴェネツィア共和国元老院(Senato)は起源は定かでないが15世紀ころにはその名で呼ばれて板らしい。他にもあるかな? >>261
アメリカも古代ローマへの意識は間違いなくあったよ
当時の西洋支配階級にとってはそれが当たり前だったというだけの話 身分制議会は中世から近世のヨーロッパにはけっこうあったけど、セナートを自称した例は案外少ない気がする。
フランスの三部会、イベリア諸国のコルテス、神聖ローマ帝国のライヒスターク、ハンガリーのOrszággyűlés(オルサグギュレシと読むのかな?)はどれもセナートを名乗らなかった。
ハンブルクやブレーメンなど自由都市の市政府がセナートを名乗った例もあったり。 共和制の元老院と君主制の議会は別物、という意識があったのかな?
ポーランドは王様もいたけど共和国を名乗っていたというちょっと特殊な例。 >>263
アメリカが独立した18世紀末頃にはバリバリ意識してたろうなローマを アメリカ合衆国議会議事堂のある地域の呼び名からして
キャピトル・ヒルだからね
ローマ元老院を意識してる シリア取られ、エジプト取られ、マグリブ取られ、イスパニアも取られ、
やられっぱなしだった欧州だが、十字軍でいよいよ反撃開始って感じだな オスマン帝国の登場でまた押される
中国も含め力関係で完全に逆転するのはやはり産業革命 アメリカ海軍の創立された理由がイスラム海賊からの防衛だったとはな アメリカ議会はSPQRを模範として作られたものかと思うくらい似ている ソ連=パルティア
ロシア=ササン朝
中国=ゲルマニア 就任1ヶ月で病死したハリソンの就任演説の主題は「古代ローマにおける護民官の役割」だったそうだ。 カエサルと髪型似てるし、俺もカエサル・アウグストゥスであると宣言していい? アメリカ合衆国憲法は「いかにしてカエサルの牙から共和制を守るか」という苦心の産物 /;;;;;;;;;;;;;\
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| _)_ノヽ\ ハ // / ヽ
ヽ____)ノ  ̄ ̄ ̄ / ヽ、
>>280は陵遅三千刀滅十族 レーニンと髪型同じヤツが全員立ち上がっても物悲しいだけだよな 米中戦争になったらアメリカに寝返る下級兵士や国民が多そうな気がする
冷戦の時と違って今の中国の庶民は外の世界を知ってるからな 中国製AIが「チャイニーズドリームとはなんですか?」という質問に「公共財産を横領してアメリカに移住すること」と返事したとかいう笑い話があったなあ。
でも今の中国人はわりと中共の統治に満足、とまでいかなくても合格点与えてる人が多いと思う。香港の民主派に対しても中央政府目線で冷ややかだし。 >>272
アメリカがローマならば
カルタゴはラテンアメリカ諸国かな アメリカをローマ帝国に形容してる人ってかなり多いようだけど、ゲルマン人は黒人に当たるわけか?? >>286
ローマ帝国にも黒人やベルベル人などアフリカ系はいたんだぜ >>286
黒人は奴隷の子孫だ
ゲルマン人というより、スラブ人だろう ローマ帝国におけるゲルマン人の立ち位置ってたぶん現代に当てはまるものはないよな
傭兵として扱って、そいつらが住んでいるところを襲撃するとかどう考えてもいつかしくじる てかゲルマン人ってウホウホだったのによくここまで伸びたよな 良くも悪くも戦争が好きだからな。北欧神話から民族性がよく分かる。キリスト教の皮をかぶっても中身はそんなに変わらない。 >>294
世界中どこの民族も昔は原始時代や
たかだか何千年か文明化が早かったか遅かったかの違いしかない 平安時代末期の坂東の状況について調べてみると、日本人も相当戦争好きだと思うが 文明が発展するのが遅かった地域ほど今は先進国になってるよね
ゲルマン人の国(ドイツ、イギリス、アメリカ、北欧)とか日本とか
逆に世界4大文明の地域は最近中国が伸びてきただけであとは途上国だし
あとギリシャも だいたいゲルマン圏は農耕も鉄器時代も結構古いし
蛮族といってもアマゾンの狩猟採集民みたいなのをイメージするのは間違いだわ >>294
大移動前でも平和的に帝国内へ移住して下級兵士や農民として穏便に過ごしてるやつもいたし
ゲルマニアに住んでるやつでもローマと交流を持っていたやつもいるからねえ
蛮族は蛮族でもフン族みたいなガチ蛮族とは違う
個人的にはバルカンを席巻したスラブ人の方が蛮族度高そう >>295
話は通じそうだ
でなければ森の入っていったアリウス派の僧侶たちは皆殺しにされていただろう メフメト2世がコンスタンティノープルで負けてたらルネサンスないらしいから
ぶっちゃけゲルマンというか古代から続く遺産の相続の賜物だよな ギリシャ・ローマの遺産を持ちながらビザンツのあの体たらく・・・ tp
://www.twitch.tv/kato_junichi0817 中世ヨーロッパはペストのイメージが強いわ。
疫病が蔓延していたみたいな。 >>299
日本も縄文土器は世界最古だし、農耕も縄文時代に行われてたしね。 欧米人が狩猟民族だと言い出したのは、和辻哲郎あたりらしい 欧米人が猛禽類なのは間違いない。自分達を示す意匠によく使うから。 ワシタカの意匠は欧米っぽいけど
鷹狩りは中東・アジアにもあるのに ヨーロッパ人は農耕牧畜民だよな
狩猟採集民じゃない 鷲といえば、ドイツもしくはゲルマン民族の象徴
ロシアの象徴は熊だし、イギリスはライオンで、フランスは鶏 >>314
一応、「キジ」ということになってるが、国際的な認知度は定かでない >>313
国鳥と象徴獣はまた別でしょ
UKの国鳥はコマドリで、ロシアの国鳥はゴシキヒワ
それに、UKからさらにブリテン島内に限定して象徴獣を挙げてみるだけでも、
獅子は飽くまでイングランド限定で、スコットランドは一角獣だし、ウェイルズは龍 あと、ドイツの国鳥は実は朱嘴鸛(シュバシコウ)で、鷲ではなかったり
まあ、例えばサッカー協会の紋章に出てくる象徴鳥獣ってことでいうなら、
ドイツは鷲でイングランドは獅子だけど、日本は三足の八咫烏だったりロシアは双頭の鷲だったり カタカナでシュバシコウと綴ったら元のドイツ語名自体がSchbaschikowの綴りかと
つい思ってしまうorz >>316
>>313は国鳥の話ではなく、国を象徴する鳥獣の話 新興国の成り上がりですら名乗ってる皇帝,
王に比べてその価値は・・・ 国家が成立する時代になるとちょっと今に近すぎて民族性の根っこが見えにくい気がする。
貴族や都市を示す意匠だと数が多いから楽しい。膨大でよく分からんから詳細は紋章官に任せるが。 500万年後に日本は暗黒大陸とくっつくのか・・・嫌だな >>323
そのころには日本人という民族そのものが滅んでいるかもしれない それともユスティニアヌスのイタリア回復を叩く流れか 半島は海の勢力と陸の勢力の両方に狙われるから大国になりにくい
ローマは例外 >>331
オスマン帝国
近世のスペインとポルトガル
アレクサンドロスのときのマケドニア バルカン半島 マケドニア王国
アラビア半島 ウマイヤ朝
アナトリア半島 オスマン・トルコ
イベリア半島 ポルトガル海上帝国
スカンジナヴィア半島 バルト帝国 デンマークも今は大人しいけど、昔はぶいぶい言わせてたからな >>986
昔の中国が偉大だったのは事実
でも今の中国人を見ていると自国が世界一の大文明で世界の起源と自惚れているようで複雑な気分になる
司馬遷以前の文献である竹書紀年などを見てみると、中華に小麦や金属や牛などを伝えたのはステップ地帯の印欧語族であるのが透けて見えるのに、世界の起源が中国だと思っている
これは危険な兆候だよ >>337
そこは、しばしば誤解されてるとこ
斉は山東半島ではなく、山東省の内陸部の国。
春秋時代の山東半島には莱などの国があり、「斉の人なのに山東半島の人と会話できた」と書かれた人もいるほど言語も異なる別の国
戦国時代には斉が山東半島も支配していたが、半島国家とは言えない >>339
唐がペルシャやインドから受けた文化的影響は、日本が唐から受けた影響にも比すべきものがある
実際のところ、日本人が「中国から伝わってきた文化」と思ってるものには、もっと西から来たものがかなり多い 燕も遼東半島を支配していたが、半島国家とは言えないな ヨーロッパって半島だよね
ペテルブルグーケルチ、あるいはアルハンゲリスクーケルチ以西の半島状地形の面積ならアラビア半島の2倍程度 細かいこと言えばペロポネソス、イタリア、イベリアも半島だけど強国になったよね ヨーロッパ半島って、陸からはときどき遊牧民が攻め込んできたけど、
大西洋方面からは攻められることがなかったからな >>346
イギリスから大陸に攻め込むときは、たいていフランスの大西洋岸から上陸 イベリア半島も北アフリカ勢の勢力圏だった時代がながいし 西欧と日本はユーラシア大陸の東西の端っこにあったのが幸いしたのかもしれない 日本は島嶼だし西欧は簡単にアフリカに渡れるから半島の性質があると言えない >>344
ペロポネソスは強国でたか?
スパルタが一瞬だけ強くなっただけでギリシャ世界の外に出たわけじゃなかろ >>351
ペロポネソスだけでなくギリシア世界全体が半島の先端部やん
バルカン半島とアナトリア半島の 何で今のペロポネソスはあんなに人口少ないの?
スパルタの人口が数万でそれで中心都市らしいし >>353
アナトリアがはんとうでなくてなんやねん 朝鮮で王姓が少ないのは高麗滅亡後に李氏朝鮮に殺されまくったから
逆に新羅の金氏は今でもいっぱい(偽物も多いだろうが)
中国だと滅亡した王朝でも主流は族滅されてるけど、傍系は見逃されてることが多いね
唐代でも元氏がいるし、宋代でも司馬氏・宇文氏がいるし、現代でも共産党に朱元璋の末裔がいたっけか 退位後のロムルス・アウグストゥルスとその血筋
退位後のロムルス・アウグストゥルスは概して幸運だった。
退位したときの彼はまだ若く、オドアケルはその命まで奪おうとはしなかった。
息子ロムルス・アウグストゥルスを帝位につけた実の父オレステスはオドアケルに殺されたが、
ロムルス・アウグストゥルス自身とその家族はカンパーニャに送られ、そこで恩給をもらい余生を過ごしている。
後にオドアケルが敗れたときも、新たに権力者となったテオドリック大王から恩給をもらい続けることができた。
カンパーニャでは何百年も続くことになる修道院を建てるなどの業績を残したが、
東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世によるイタリア支配をその目で見ることはなかった。
ロムルス・アウグストゥルスには、バルバラ(495年頃 - ?)という娘がおり、
ルフィウス・マグヌス・ファウストゥス・アウィエヌス(485年頃 - ?)と結婚。
アウィエナ(520年頃 - ?)を儲けた。ルフィウスの系譜を遡ると、
祖先には皇帝プピエヌス、ガイウス・アウィディウス・カッシウスがおり、
それから更に遡ると皇帝アウグストゥス・大ユリア父子、
大ユリアの夫マルクス・ウィプサニウス・アグリッパ、大ユリアとアグリッパの娘である小ユリアに辿り着く。 アウィエナはプロブス(少なくとも510年から542年までは存命)と結婚。
プロヴァ(540年頃生誕)を儲け、プロヴァはRogasという男性と結婚。
その間にはファビア・エウドキア(580年頃 - 612年8月13日)がいる。
ファビアは後にヘラクレイオス王朝の初代皇帝となるヘラクレイオス1世の妻の一人となり、
コンスタンティノス3世(612年 - 641年)、エピファニア(611年生誕)の一男一女を儲けた。
コンスタンティノス3世の子孫は8世紀の初めまでヘラクレイオス王朝として存続し、
コンスタンス2世、コンスタンティノス4世、ユスティニアノス2世へと継承。
ユスティニアノス2世の娘アナスタシアは第一次ブルガリア帝国の皇帝テルヴェルに嫁ぎ、
テレリグを儲け、その子孫はブルガリア皇帝の位に即位している。
著名なブルガリア皇帝としてクルム、そして東ローマ帝国に一時的ではあるが優位に立ったシメオン1世がいる。
コンスタンティノス3世の血筋は少なくとも16世紀後半まで、
その姉妹エピファニアの血筋は複雑さを経て現在まで存続している。 ブルガリアに東ローマ帝国の皇女が嫁いでいたとは・・・
匈奴に輿入れする漢の公主みたいだな 愛新覚羅は金氏になったそうだ
キムは半島や満洲に多い 「嫁入りに向かう途中だったあの東ローマ帝国のお姫様、
婚約者に裏切られて宙ぶらりんになっちまったんだとよ」
「これきっと天の声だから俺たちの殿様の嫁になってもらおうぜ!」
「いいね!」 https://edition.cnn.com/style/article/the-dig-netflix-culture-queue/index.html
'The Dig' and five other culture recommendations if you love ancient discoveries
Published 22nd January 2021
https://dynaimage.cdn.cnn.com/cnn/q_auto,w_727,c_fit/http%3A%2F%2Fcdn.cnn.com%2Fcnnnext%2Fdam%2Fassets%2F210111153452-02-netflix-the-dig.jpg
Ralph Fiennes as Basil Brown, the self-taught archaelogist who uncovered Britain's greatest treasure.
あのサットン・フーの遺跡を発見した人のドラマ >>363
https://www.netflix.com/jp/title/81167887
時の面影
1時間 52分ヒューマンドラマ
第二次大戦直前のイギリス。不思議な塚の発掘を望む未亡人が雇ったのは、経験豊富なアマチュア考古学者。
この出会いが、歴史に残る大発見へとつながっていく。
出?演?:キャリー・マリガン、レイフ・ファインズ、リリー・ジェームズ >>341
最大の違いは唐とインド、ペルシャは相互に影響を与え合う関係だったが
倭は唐から一方的に影響を受ける関係だったことだな ブルガリア兵「ビザンツ皇帝、独身らしいぜ」
ブルガリア兵「ホモなんじゃね?wwwwwww」
バシレイオス「やあ・・・」 スペイン、フランス、ロシア、ドイツ、アメリカはかつて皇帝を戴いたことがあったけど
イギリスはKingはいてもEmperorになった人はいない
と思ったが、イギリス女王がインド皇帝を兼任したことがあったなそういや ブルガリアみたいな蛮族でも皇帝(ツァール)を名乗っていいんだな
中国だと五胡十六国時代なんて皇帝のバーゲンセール状態だし 慕容儁「汝は下才の奴僕に過ぎないのに、どうして天子を称しようとしたのか」
冉閔「天下は大乱であり、汝らの如き人面獣心の夷狄ですら奪逆している。我は当代の英雄であり、どうして帝王になれない事があろうか!」
慕容儁「ムキー!300回お尻ぺんぺんだお!首もチョンパだお!」
慕容儁「草木が枯れ果て、蝗害が大発生。おまけに降雨がなく日照りが発生・・・これはやつの祟りだお!武悼天王と諡ることにするお!
あっ、大雪」 ユスティニアヌスの再征服は、イタリアを荒廃させただけではなく、
イタリアにペストまでもたらしたんだよな
そしてローマ人貴族はシチリア、ギリシア、あるいは地方の修道院へ
逃げてしまった
そのため、ユスティニアヌスはイタリアの統治を東方出身の官吏に
委ねざるをえなかった
これによってイタリアに残っていた古代ローマの伝統は絶える >>368
>中国だと五胡十六国時代なんて皇帝
東晋にとって遠交近攻にある遠方の国の多くは東晋を宗主国として王を名乗ってたし
中原の強国も天王と名乗ってたりして皇帝を名乗った国は殆どなかった ゲルマン人も、ローマの物質文明をすべて破壊したわけではない
たとえば5世紀のアクィタニアでは、ゴート族は地方の荘園を利用し続けた
アフリカではヴァンダル族が、現地の職人が私有していた共同浴場を再建させた
逆にヨーロッパ北部では、多くの古い住居は、再利用するにはあまりに状態が
悪かったので、フランク族は荒廃した荘園に建てられた木造の住居に住んでいた 東北と九州は強兵の産地
蝦夷や隼人の末裔だからかな ホームレスのおっちゃんがベンチで座りながら寝てたな
最近のホームレスは特定の場所に住むとポリ公に排除されるっぽいので
その日ごとに泊まる場所を変えてるという
なんか遊牧民みたいだ 遊牧民も日ごとに住処を変えているわけじゃないよ
放牧地も夏と冬が違うだけでだいたい同じ場所を往復してる キリスト教に改宗する前のフランク族とブルグンド族においては、王権は選挙に
もとづいており、一時的なものだった
戦で敗北したり、不作が生じたりすると、王は失脚し、さらに異教の神々への
生贄となった
キリスト教化した後のゲルマン人社会では王権が安定することになる ゲルマン諸王国の中でフランク王国だけがカトリックに改宗し
支配下のローマ人の支持を取り付けたので長続きして、そして紆余曲折を経て今のフランスにつながる
他のアリウス派の国は全て滅んだ・・・ スラブ人「カトリック?オーソドックス?イスラムどれにしようかなー
イスラムは禁酒だからNG。カトリックは教義がよく分からん。オーソドックスは華麗で格好良くていいなーよしこれにしよう!」 司教ウルフィラによってアリウス派のキリスト教がゲルマン人の間に広まった
彼はゴート文字も発案した >>380
西スラブと一部の南スラブはカトリックを選んだよな ナポレオンに追われたマルタ騎士団は正教国ロシアの皇帝を団長に擁してんだな ローマ帝国と中国王朝がガチで戦ったことあんのかな? >>379
西ゴート王国はアリウス派からカトリックへ改宗した
しかしイスラム教徒によって滅ぼされる
地理的条件が悪かったよな 匈奴なら、ローマ帝国に攻め込んだことがある
フン族が匈奴だというのを前提にすればの話だが 今純粋にゲルマン人部族同士のDNAしか自分の血にはないって人はそういないんだろうな ナチス政権が続いていたら、今頃は何世代も交配が続いて、かなり純血っぽい人間が誕生してただろうけどな 人間葉は世代20年くらいかかるんだし、70年やそこらでは品種改良には短すぎだろう ザクセン族のシャルルマーニュへの反抗と後の宗教改革をオーバーラップさせるレトリックは、トーマス・マンにもあったな 中世初期にはアリウス派だけではなく、イスパニアのプリスキリアヌス派の信者や
イタリアのマニ教徒などのようないくつかの古い異教・異端信者が残留していた
しかしゲルマン人の王たちがカトリックに改宗したことでこれらは消えていく
またカトリックによる宗教的統一はユダヤ教共同体をおびやかした
6世紀末からは、ゲルマン人の王たちがユダヤ教徒に対してカトリック教徒との結婚、
キリスト教を信じる奴隷の所有、官吏のポストへの就職を禁じる古いローマ法を
再び有効にした ネットフリクスのバーバリアンズ見たが、アルミニウスがウァルスに育てられてて
史実とは違うんだろうなと思いながらも結構歴史興味ない奴でも見れるというかお勧め
トイトブルクまでやるから まぁガチであんなことしてたんだろうなーって。
トールがあああああ ヴォーダンがああああって あの頃から結局変わっていなんだろうな あんなに鬱蒼としていたところに白人はいたんだなーっていうのはなんかわかるわ
あんなところにずーっと住んでたら色素なくなるわ 中国は東ローマになってからも大秦と読んでたみたいだね ゲルマン人にとっては、ローマの物品や戦争捕虜(その多くは工芸職人)が
その戦利品となっていたので、蛮族の襲撃はドナウ川と黒海北部に位置する
チェルニャホフの物質文化の形成に寄与したとか >>397
北極に近い緯度だから、冬なんか午後3時には日が暮れる
真っ暗な森林だ
妖怪や精霊の伝説が多いのもうなずける 中国だと前王朝の皇族は基本的に皆殺しだけど
日本だと族滅されたのは鎌倉の北条だけで
室町の足利や江戸の徳川は今でも子孫が沢山いるのよね >>386
アフリカとは海を隔ててるんだし、海岸の防備さえ固めたら敵は上陸戦の段階で食い止められるよ
蒙古襲来の時みたいにね
西ゴートは悪政や内紛で国内がごたごたしてるのにつけこまれた
国王が参加して戦死した戦以外は抵抗らしい抵抗もなくすんなり進撃できたというしね
平和な時代が長く続き過ぎてゴート族の尚武の気風がすっかり廃れたのもあるけど
>>399
匈奴や突厥や蒙古の武器とかも漢人拉致って作らせてたのだろうか? >>402
古代の倭人は、朝鮮半島に攻め込んで中華系の技術者を拉致ってきていた ヨーロッパにおける否定的なゲルマン人観はルネサンス期の思想家たちに起因する
彼らの目には、ローマ帝国の消滅は、唯一にして真の文明の破滅と映った
たとえば、中世の大聖堂の建築様式を形容するのに、16世紀のイタリア人は
「ゴシック様式」の語を用いた
彼らは、ゴート族のみが古代の美的規範から逸脱したと考えたのである
同様に、18世紀に「ヴァンダリズム」という新語が発明された 魏「漢から禅譲された」←分かる
蜀「景帝の末裔だよ」←まあ、分かる
呉←こいつ何なん? >>407
孫子の山東と呉が下戸遺伝子の率が高いのはちょっと気になるよね >>401
秀吉直系は途絶えたけど実は残ってる豊臣家
血筋それも男系に拘るお国事情とか、そもそもローマ帝国には無縁っぽいけどな >>405
ヒャッハー、またローマ領に侵入して女子供、金品、食い物、家畜全て掻っ攫うぜww
といった具合
キリスト教化する前のゲルマン人はマジで蛮族そのものだぞ
戦闘力だけは高いからローマでさえ度々苦戦してる モロッコもなかなか強いな
ポルトガル国王を戦死させてるし、オスマン帝国の侵攻も撃退してる 中国は文化大革命の時に文化財や歴史的建造物を破壊しまくったからなあ・・・
紫禁城、万里の長城、敦煌くらいだわ見る価値あるの >>414
またそんないい加減なことを・・・
宋代以降の建築物なんか山のように残ってるだろ。歴史好きなら行って見てくりゃいいのに 5世紀のゲルマン諸族のスペイン略奪はすさまじかった
まずアラン族、ヴァンダル族、スエヴィ族が409年にスペインに侵入した
スペインに侵入した蛮族たちは、あたかも敵軍の侵入であるかのように
略奪と殺戮を繰り返した
そしてペストが流行り、スペイン全土が荒廃した
ゲルマン人は、保存されていた備蓄食料を食べつくし、空腹が激しかったので
人間を食べるようになった
母親が死んだ子を自分で焼いて食べた
住民は、空腹のために戦いやペストで死んでいった人間の肉を食べるようになり、
ゲルマンの兵士を殺して、その肉を食べた トラヤヌスの頃のローマや武帝の頃の前漢なら
ゲルマン人や五胡が帝国に侵入しようものならフルボッコにされて終わりだろうね
マルコマンニ戦争の時は衰退が始まっていたとはいえ全盛期に近い状態だったから
蛮族の攻撃を防ぎ切りローマの勝利で幕を下ろした >>415
中世は暗黒 → でも良い部分もあったことない? → 考古学的に見たらやっぱ暗黒(今ここ) トゥールのグレゴリウスの『フランク史』を読むと、
メロヴィング朝時代のフランク人はまだまだ野蛮だよな >>402
鍛鉄奴隷つーて傘下の民族に精錬や武器製造をやらせてた
だから柔然の鍛鉄奴隷だった突厥、突厥の鍛鉄奴隷だった鉄勒は
作らされた武器をくすねて下克上した
複合弓や玉鋼製の武器は、銃器の発達まで無敵の存在であり
遊牧民の衰退とともに製法が失われた
>>419
ゲルマンと五胡はレベルが段違いだぞ
フン族やアヴァールすらも凌駕する危険な奴が五胡連中
イタリア本土は上陸しないだろうが、ハンガリーあたりまではあっさり抜かれる
弓騎兵の戦い易いフィールドでファランクスじゃ勝ち目はない 印欧語族は小麦と車と馬車の文明を持って蒙古高原までやってきた
そしてその文明は中華と狄に引き継がれて中華が漢民族となり狄がトルコ民族になる
印欧語族は発明は上手いが応用は東アジア人の方が上
19世紀の黄禍論はそれで起こった
日本叩きもその延長だったし今でも日本人が欧州行くとチーナチーナと嫌がらせされる キリスト教に改宗する前のチェコ人は生贄を捧げていた
プラハ城の建てられた場所も、もとは生贄を捧げる場所だったとも考えられている >>405
そんなに否定的か
ローマ大好きなやつが嫌ってるだけでしょ塩野みたいな
現実に欧米人の祖先はゲルマン人でもあるから
欧米のドキュメンタリー見てもそこまで否定的じゃないよ >>426
19世紀になって、国民国家の時代を迎えると、逆に各民族の祖先として
ゲルマン人が持ち上げられるようになった >>372
でもまぁ12世紀に調べたら、結構な数の元老院貴族の家系がローマに残ってるのが分かってるけどね… >>422
人口の2%しかいないのに目立つよな
まともなフランク人は、とっくにローマ人として数世代にわたって活動してるから… >>428
それって自称や仮冒ではないのかな?西欧では7世紀頃から司教や修道院長のリストがローマ的人名からゲルマン名に急速に置き換わってるそうだし、現代に続く古い家系(カペー家やヴェルフェン家サヴォイ家)も8世紀か9世紀までしか遡れないことが多い。
この辺の社会変動でセナトール貴族という層は消滅してるんでは トゥールのグレゴリウスについても、彼は実は西ローマ帝国の崩壊後に
「グレゴリウス元老院議員」の閨閥に加わった成り上がりの一族出身で
あるという説がある わーくにの豪族どもも自称源平や秦氏の末裔ばかりだからな ゲルマン諸王国がアリウス派からカトリックに改宗してからは、
ゲルマン人とローマ人の通婚も増えたらしい >>430
たしかハプスブルク家もルドルフ4世がローマ貴族の子孫だと偽造してたような 最初に1120年代の半ば、南ドイツでヴェルフェン家の家系図が出現した
次に1170年頃、大公ヴェルフ6世周辺のシュヴァーベン聖職者が「ヴェルフェンの歴史」を書いた
「ヴェルフェン家はフランク族出身で、
そのフランク族はトロヤから移住してきたローマ軍との戦いの後、
ライン河畔に定住した」 >>412
北の十字軍とかキリスト教化以降のゲルマンのほうがよっぽどヤバいのですけど
それとローマ軍は5世紀頃からほとんどゲルマン人傭兵だし
実質陣営の違うゲルマン人同士の争いといってよい ヨーロッパでゲルマン系の支配層とローマ系の庶民階級の構図があったとのと同じで日本も半島系(弥生)と縄文系の被支配層の体系があった
資本主義以前の社会階級は民族のコンクエストによって生まれていたとは部落解放同盟の松本治一郎の持論でもあった >>437
日本の部落民はポリネシア系の移民の子孫だろ 末期ローマの歴史家アンミアヌス・マルケリヌスの『歴史』や、タキトゥスの
『ゲルマーニア』などは、フルダ修道院で9世紀に作られた写本一点だけで、
今日まで伝来している
もし修道院が無かったら、もっと多くの古代の著作が失われていたのだろうな アヴァール人は隋の李徹によって追いやられた阿抜であるという説があるな
実際にアヴァール人の墳墓からは鮮卑のものとよく似た鎧や馬甲、バックルが見つかっており
出自がモンゴル高原から北中国がであることは間違いないな 791年にカール大帝の軍勢がアヴァール人から膨大な量の貴金属宝石を略奪した
ビザンツ帝国からの貢納に加えて、商業交易からもたらされた富も大きな部分を
占めていたらしい 大国町の蘭州牛肉麺の店に行ってきた。いろいろ食いたかったけど一人じゃ無理だな。 ビザンツはなんか
ずっと停滞してるなっていう
印象しかない >>444
あそこは週一くらいで行って
平麺の蘭州麺とそのときの気分次第で付け合わせの小皿1〜2品食うてる >>445
ビザンツ帝国はギリシャ・ローマの遺産を食いつぶして内紛に明け暮れてるイメージしかない
むしろあれでよく1000年ももったもんだわ 神奈川から国1国23国25延々と走って、堺に車おいて電車だから、そうそう通えない。最初で味も量が分からなかったから麺しか頼まなかったよ。 ローマ帝国は滅んで二度と復活することはなかったけど
漢は滅んでも晋がまた統一し、五胡南北朝を経てまた隋が統一し、唐として再び大帝国になった
その後も明、清と皇帝独裁体制の巨大国家が続き、そして中華人民共和国となり今に至る
この違いはなんなの? >>449
いっぺん滅んで復活してるで
十字軍にコンスタンティノポリスを占領されたがな >>449
言語特性・文字体系と、秦漢以来の中央集権制の徹底が背景にあると思う
今でいう漢語はもともと一音節一語を基本とする単音節言語で、
そうした言語特性のもとに、一音節一表語文字の表記体系が形成されていき、かつ、表音文字の表記体系は発達しなかった
さらに、秦が統一帝国を形成したとき、郡県制による非常に強固な中央集権体制を構築し、
その統治体制下で、それまで地域的に表記に違いのあった文字体系を、小篆で統一表記する方式にした
これにより、音声言語としての地域間差異が文字言語上は統合されることとなり、
行政文書上の言語統一と中央集権制による一元的統治が両者相まって形成されていった
さらに、秦からの承継国家となった漢は、当初は郡国制による緩めの体制統一を採っていたけれども、
武帝の頃から再び強力な中央集権制に移行していき、かつ、漢は(後漢代も含め)非常に長期の統一帝国期が続いた
こういった歴史的諸事情により、漢語圏では、統一帝国を志向する地域特性が定着していったと考えられる >>451
面白いけど、それをローマ帝国に当てはめると、東西分裂までは説明できてもそれ以上の細分化は説明できないよね ラテン語・カトリック文化圏から北アフリカは切り離されてスカンジナビアや東欧が編入されていったダイナミズムとか考えると、やはりピレンヌ・テーゼは有効なんじゃないかとー。。。 >>452
そこは言語特性の違いがあるだろう
欧州諸言語は、語族も語派も非常に多岐なうえ、
最大多数の印欧語族諸言語を含めいずれも複音節言語で、
文字体系も表音文字体系だった >>454
語派はともかく語族はほぼ印欧語と言っていいでしょ。
あと表音文字か表意文字かが統一政権の安定性に相関するとは思えないな。 >>454
中国も欧州も、日常言語の話し言葉がバラバラなのは同じだ
中国では漢文、欧州ではラテン語が文章の標準語として存在していたのも同じ 深い森林で分断された欧州と河川流通が盛んな中国は違うで 実はローマと中国は隋、ユスティニアヌス時代までは相似性の高い酷似した歴史を歩んでる。
全く違う歴史になったのは、ユスティニアヌスや隋による再統一の後だ。
隋による再統一は唐に継承されたが、
ユスティニアヌスによる再統一は継承されることなく
一瞬の再統一で終わった。
ここから先はローマと中国で全く違う歴史になった。 >>458
全然似てないのを箇条書きマジックでそう思い込んでるたけや ピレンヌ「だからイスラムの侵入による地中海世界の分断だっちゅーの」 >>455
行政言語の統一性の如何は国家体制に影響することが多いでしょ
たとえば古典ラテン語の文書をそのままゲルマン諸語やスラヴ諸語に読み替えるのは事実上無理でしょ
文書のやりとりはともかく、現場の会話は音声言語だからね
印欧語族は基本的に屈折語だから、
漢語その他の孤立語のように「とりあえず表語文字ならべとくから、あとは地元の発音で好きに読んで」ってわけにもいかないし >>449
それは「ローマ帝国」ではなく、「西ローマ帝国」の話 東ローマ帝国は千年つづいた
その後もオスマン帝国が東ローマ帝国をほぼ復興した 大河の存在だと思うな。
陸路より遥かに大量の行き来があって、海とは異なり飛び地とか出来にくい。
国が変わっても河の流通は変化しなかったんじゃないかな。 なんといっても、「西欧中心史観による錯覚」が最大の要因
ローマ帝国の版図と、オスマン帝国の版図を見比べてみればいい
たいして変わらんぞ
減ったのはイタリア・南フランス・南スペインだが、その代わりアラビア半島が加わった >>464
「地中海」の存在を見落としていないか? 言語で思い出したけど、13世紀のハンガリー人修道士でシベリアに伝道布教の旅に出て「なんでだろう?この村ではなぜかハンガリー語が通じる・・・」という報告を残したひとがいるんだってな。
マジャール人のヨーロッパ侵入から数百年を経ても、言語はそんなに変化してなかったらしい。 >>465
それはローマ帝国じゃなくて「ユスティニアヌスの帝国」では? >>456
その通りなんだけど、おそらく大きな違いは西洋の王族貴族といった支配エリートの教養が低くラテン語に習熟していなかったので、公用語として母国語がラテン語に早々に取って変わってしまったことだと思う
これによって西洋は政治のみならず言語的統一も大きく後退したのだろう >>467
ウラル語族のうち、ハンティ語かマンシ語あたりの圏域だったのかな
それらはマジャル語に比較的近いというね >>1
何か日本の学者や知識人の間じゃ「暗黒の中世など幻想に過ぎなかった、中世は西洋の躍進の時代だったのだ」史観が幅を利かせてるようだけど
西洋が一度文明的に大きく後退した事実は否めんだろ >>469
早々に、と言うけど早くても13世紀(ダンテの神曲)、おそけりゃ16世紀(ヴィレール・コットレ王令)だぞ >>472
それは別に日本人学者の創案じゃなくて、ヨーロッパの研究を紹介しただけ >>473
スペインとかイギリスは公用語の母国語化がフランスより早めじゃなかったっけね
まあ、国によるバラつきが大きいが
王侯貴族がラテン語操れなかったというのは大きいと思う
聖職者中心の知識人だけが理解できる言語が中国の漢文に匹敵する役割果たすのは無理でしょ >>473
その後、ルネサンスの古典文芸復興運動で、むしろラテン語の揺り戻しがくる
18世紀のニュートンの「プリンキピア」だってラテン語だ >>460
地中海沿岸はフランク王国、ビザンツ帝国、イスラム世界に分裂しちゃったしな
これにより三者は別の道を歩んでいくことになる >>477
ラテン語がルネサンスからニュートンの時代にかけて知識人の共通語であったのは確かだろうけど、この時代は出版革命で母国語の書籍が圧倒していく時代でもあるよねら >>476
イギリスの場合は、「公用文書はラテン語、公用語はフランス語、日常語は英語」という独特の状況なので同列に語れない 「プリンキピア」のラテン語による公刊も既に時代錯誤だったんじゃないの?ロイヤルソサエティの紀要も最初から英語だしなあ >>461
意味わからんのだが
古代の漢文の時点で口語とはかなり違う文章語として整備されてたぞ >>482
上にも書いたけど、秦漢以来、中央集権制が長く続いてて、
表語言語としての漢字と漢文は、その後もずっと現場の行政言語として使用され続けてたでしょ
表音文字による表記をわざわざ全く別言語の語彙に読み替えるというような手法は
(アラム語語彙表記をパフラヴィー語語彙で読解するといったごく稀な例外を除き)採られた例が世界的にもほとんど無いし >>484
口語と全然違う漢文を使った中国と
口語と全然違うラテン語を使ったヨーロッパで効率がどう違うんだよ >>486
俺もそんなに違わないと思う
ただ、知識人だけでなく権力者も普遍言語を理解できたかどうかが中国と西欧の違いを生んだんだと思う
つまり、言語的要因ではなく社会的要因ね >>486
他の人も言ってるけど、欧州の場合、行政の現場責任者自身が識字者であったかどうかが非常に微妙でしょ
カール大帝ほどの超大物政治家ですら、字を読めなかったというし
そして、そうしたこととも或る程度関係するけど、欧州、特に西欧の場合、
政治・行政の関係者と宗教・思想の関係者が分離していることが一つの要因でもあった
共和政ローマ以来の最高神官位も、西ローマ帝国存続時期すでに、皇帝ではなく教皇が受け持つようになったしさ
一方、儒教思想が漢代以来に国家思想の主軸となった漢語圏では、
皇帝を頂点に行政担当者自身が識字層であることが一般原則で、
かつ、皇帝自身が、「天子」の用語に象徴されるように思想上の最高権威者を兼ねていた >>488
話がどんどん的外れな方向にいってるよ
君主の識字能力と言語情勢は無関係ではないかね?
行政を担う官僚はゲルマン系でもラテン語を使って執務していただろ
ローマでも最高権威は皇帝であり西側で教皇と分離したのは西ローマ皇帝が早期に廃されたからに過ぎない >>489
>西側で教皇と分離したのは西ローマ皇帝が早期に廃されたからに過ぎない
たとえばテオドシウス1世も、皇帝でありつつ最高神官位には即かなかったよ >>490
テオドシウスのようなのがいわば特殊であり、それまでローマでも最高権威が皇帝というのが普通だったわけで
宗教思想の関係者を分離するようになったのであれば
ヨーロッパ元来の文化由来ではなくその時代特有の要因を論じねばならない >>488
> カール大帝ほどの超大物政治家ですら、字を読めなかったというし
カール大帝は無骨者でも、アルクィンがついてるから大丈夫だ
北魏の太武帝に、崔浩がついてるのと同じ 漢が崩壊してから、隋が統一するまで何百年もかかった
隋は短期間で崩壊、唐も統一といえる状態は長く続かず、事実上の群雄割拠状態
皇帝は常に地方勢力との闘争に追われて東奔西走する、神聖ローマ帝国や室町幕府と似たような状態だった 明清帝国の強力な中央集権体制や、近代ヨーロッパのウエストファリア体制のイメージが強すぎるため、実態以上に違いが大きく見えている ヨーロッパでもフランスだけは中央集権的だよな
ある意味、ミニ中国 中国は統一されたといっても、「南船北馬」という言葉が示すように、
地域ごとの違いも大きいよな 日本だって、例えばシコクと呼ばれる地方では貧しくてお米が食べられないので、雑穀を粉に挽いた麺を食べて飢えをしのいでるらしいしな >>501
>貧しくてお米が食べられない
本州でもそういうところはあった
半分以上麦飯まぜてたとか
ただし今の世代にこの話をしても、ヘルシー食だと思われてしまう シコクの雑穀麺は糖尿病を誘引してるがコロナ禍でも食べるのを止めてないらしいな >>501
朝鮮みたいな地域が、日本にもあったんだな スペインの、いわゆる「98年世代」と呼ばれる知識人たちは、イスラーム勢力の
侵略とレコンキスタが、軍事を偏重し生産活動を軽視する気風を育て、また教会の
特権的な地位の強化を招くなど、社会の後進性を加速させたととなえた
またサンチェス=アルボルノスは、西ゴート王国とフランク王国の類似点を列挙し、
イスラームの侵入がなかったら、スペインもフランスのような歩みを
辿ったであろうという言説を展開している
ロシア人もロシアの後進性をモンゴル支配に求めている 朝鮮人も、朝鮮の後進性の原因を豊臣秀吉の侵略と日韓併合に帰している 中世においては、南スペインはヨーロッパじゅうから留学生が集まる最先進国 ルーマニア人は、ラテン化されたダキア人の子孫ということになっているが、
271年にローマ人がダキアを去ってからルーマニア語の最初の手稿が現れるまでに、
12世紀以上もの空白がある
ダキア人は消えてスラブ人の間に埋もれ、ラテン化はずっと後に、いくぶん作為的に
進められたのでは? イスラームとの戦いによって
イベリア半島のキリスト教国が野蛮で狂信的な集団に変化していった面はあるかもな >>507
スペイン帝国の時に植民地から膨大な金が入ったけど
奢侈や戦争ばかりに使い、産業の育成に使わなかったからな
それがイギリスやフランスとの差になった 奢侈や戦争が資本主義を育てるふ化器になったという説もあるけど、スペインの場合は国内のブルジョアが弱体で、資本がフランドルやイタリアに流れちゃったからなあ 北東部のカタロニアは西欧的なんだよね
ポルトガルとカスチラが共にアストゥリアス由来で
カタロニアはラングドックと共に南仏文化圏で
もともとスペインでもフランスでもないわけだ
スペイン国家とフランス国家に挟み撃ちにされた
ガリア・ナルボネシスの末裔だね >>447
ビザンツは上手く異教と共生することを実行した皇帝が定期的に表れたおかげ
その結果、ハザール(ユダヤ)やセルジューク、オスマン(イスラム)に守ってもらえることも多かった
カトリックには異教に媚びたクズと罵られたりするが、激戦地域で生き残るために現実的な選択をしてる
最後はその守ってもらってたオスマンの君主の座を盗もう(息のかかった者を擁立)としてボコボコにされて滅んだ フェリペ3世の息子は4人居て
末っ子はアルフォンソ・マウリシオ。
アルフォンソは生後10日ほどで母であるマルガリータが死去。
父であるフェリペは火鉢も持てない程度に虚弱体質。
兄弟の中で一番立場が弱かったと思われる。 父フェリペ3世は明らかな不審死であるにも関わらず
「残念な死に方」で処理され、暗殺を臭わせている。
以降、後のフェリペ4世以外の兄弟2人も死んでしまうが
ソレに際して毒殺の噂が流れている。
その後フェリペ4世と子供のカルロス2世が治める事になるが
カルロス2世は障害者であり、ここで断絶。
仮にアルフォンソ・マウリシオが生きていても
スペイン継承戦争後の勝者であるブルボン王朝にすら邪魔者扱いされ
一切の証拠すら残らないのは推測に難くない。 最近じゃクリス・フォン・ハプスブルクとかいう
スペイン・ハプスブルク家の男系子孫が出て来たけど
男系子孫が存在したら、そもそもスペイン王位継承戦争に発展しないんだよな。
俺はブルボンの方じゃないかと疑ってる。
ハプスブルク・ロートリンゲンとブルゾンは仲が良いらしいしな。 >>511
> ルーマニア人は、ラテン化されたダキア人の子孫ということになっているが
そもそもこの所謂Daco-Romans史観は主に近代以降のナショナリズムで作られたもので
今日ではまともに支持されていないよ
ルーマニア国内の研究界隈でもチャウシェスク時代の呪縛から開放されてからは
「ダキア人」はローマ時代にていったんは部分的にはラテン化したものの、
その後の断続的な他民族流入と吸収されたことで消えたって認識に向いてきてる
ただルーマニア一般界隈では未だに、
ラテン化ダキア人と現代ルーマニア人を直結させるナショナリズム史観も強いけども
あと日本の一般界隈ではDaco-Romans史観への反論や、
チャウシェスク後研究がほとんど認知されてないので、
ルーマニアの歴史研究ではいまだにDaco-Romans史観が主流だという誤認識がある 仮にスペイン側が認める気無しでも
アメリカも他のヨーロッパも都合良く無視はしないだろうからな。
まぁ、なるようになるだろうな。 ルーマニアとか
欧州最もヤバイところだろ。。。
だれも興味ないし
ローマ人の子孫だなんて詐称しないでほしい
迷惑 遺伝的には一部として一応繋がってはいるけど
言語・文化的にはダキア・ローマ支配時代とはほぼ断絶してる
ってのがニュートラルな研究者たちによる結論のようだけど
本国民衆ではまだ強いナショナリズム派から国賊だと叩かれその様をみた海外からは
「ほらみろ!ルーマニアはいまだにコレだ!」って言われる泥沼状態らしい
チャウシェスクの悪夢が過ぎ去ったとはいえ本国研究者は依然キツイ立場なようで >>524
アルーマニア語の分布とか見ると、今のルーマニア人はイリュリアあたりから移動してきた俗ラテン語話者の子孫なのかな 言語的には中世のイリュリアやバルカン半島からの影響が大きいらしい
少なくともトランシルヴァニアにおけるローマ時代からの言語連続性は確認できんって ローマ帝国に侵入した蛮族のなかで、アラン族は影がうすいよな
一部はイベリア半島を経て北アフリカにまで到達したというのに >>430
何で記録に残ってるのが仮冒になるんだ?馬鹿なの? ゲルマン人には、財産を組織的に経営するという理念が欠落していた
彼らは一つの領地において貯蔵分を使い尽くすまで暮らし、
次いで他の財源を探し求めた
また家族制度については、妻の「購入」、家父の懲罰権、家族の連帯義務、
まれな離婚、一夫多妻などの習慣があった ウラドの時代にはもうすっかりローマやらトラヤヌスやらのことは忘れ去られていただろう 東南アジアでまともな国って
タイとシンガポールくらいじゃないか?
フィリピンは怠け者
カンボジアは貧困
ラオスは空気
ミャンマーは政情不安
ベトナムは土人
インドネシアはデカいだけ
ブルネイは油頼み ネトウヨは今度はインドネシアに発狂かな
韓国は更に発展してネトウヨももう噛み付かなくなってきた >>538
シンガポールは独裁制
タイは前王没後政情不安
マレーシアはどうした? ディオクレティアヌス達はバルカン出身者ばかり優遇し過ぎた
ガリア出身のカラウシウスをガリア担当にしていれば
テトラルキアはディオクレ退位後も維持出来ただろう
コンスタンティヌス1世はガリアで我慢し続ける事が出来ず
テトラルキアは崩壊してしまう スッラに近いな
現役の頃はいいんだけどいなくなっちゃうと崩壊する
スッラの場合はスッラ死後子飼いともいうべきポンペイウスがスッラ体制壊しちゃったんだけども >>542
平民から成り上がって、群雄割拠の軍人皇帝時代を制して天下統一
豊臣秀吉に相当する人物 ゲルマン人の大移動が始まる前から、ローマ帝国西部の都市は
衰退が始まっていたんだよな >>547
寒冷化したからだろうね
ローマがブリタニアを征服した時には
ブリタニアで葡萄の栽培が可能だった イベリア半島にゲルマン人が侵入してきたとき、ペストも流行し、飢饉も猛威を
ふるったのでより悲惨なことになった
多数のローマ人や司教たちが北アフリカに避難所を求めて逃亡した >>546
ヌードダンサーから皇后になったのは偉い イベリア半島において、ハスディング=ヴァンダル族とスウェヴィ族はドウロ川の
北に定着し、シリング=ヴァンダル族はセビーリャ地方に、最後にアラン族は
中央高原に散らばって住んだ そもそもローマ文明と後の西欧文明は繋がっていると言えるのか まあ残滓ぐらいはあるんじゃね?
ルネサンス以後、高度化する社会で法やシステムの手本になるのはローマだけだったし トゥールの司教グレゴリウスは、中世初期の聖職者たちの姿を伝えている
クレルモンの司教カウティヌスという男は彼の貪欲から彼の司祭の一人を
墓の中に閉じ込めさせており、エムブロン司教サロニウスとかガープ司教の
サッギタリウスのような者は説教者であるよりも狩猟者であり戦士であった
多くの司教たちは貴族階級の生活様式を保っており、そのためにガリアでは、
彼らは王権に対する抗争の先頭に立っていた >>557
確か正教会系だと司祭なる前に結婚していれば司祭昇格後も妻帯しててもいいはず >>557
妻帯だけではなく聖職売買、高利貸もやっていた 269年2月14日 ウァレンティヌスがローマ皇帝クラウディウス・ゴティクスによって処刑される >>561
それは、開祖の親鸞がガマンできなかったせい カール=マルテルは、彼の家臣に教会領を分配し、俗人が司教職に入り込むことを
許し、彼の甥が、フォントネルとユミェージュの修道院領は言うに及ばず、
パリ、ルーアン、バイユーの司教領を兼併することを許している 天皇 お飾り
将軍 お飾り
執権 お飾り
得宗 お飾り
鎌倉時代すげえええ No.2が実質的な最高権力者→・・・の家のNo.2が実質的な最高権力者→・・・の(以下略)
この繰り返しじゃねーか >>566
得宗は、北条執権家の家長だ
No.2ではない 執権ー得宗の所で「No.2の繰り返し」が崩れるという話でしょ 100年ほど前の李氏朝鮮の様子は古代ローマよりも遅れているようにさえ見える
朝鮮はあれから100年経った今先進国と呼ばれるほど発展してるのにローマから500年後は暗黒の中世なのでマジで中世の人は何やってたのと思わざるを得ない ホノリウスはお飾りじゃなく余計なことしかしない愚帝だったけどね それを言うならユスティニアヌスでしょ
平和に繁栄してた東ゴート王国滅ぼしてローマ世界を実質的に終わらせた あくまで結果論だが
東ゴート王国のローマ人たちもビザンツやランゴバルドに支配されるくらいなら
ゴート族と一緒に抵抗して独立を守った方が良かっただろうね ヨーロッパで一番古い店ってのが、オーストリアの修道院由来の飲食店で
西暦500年くらいから続いているらしい。
それでふと思ったのだが、ローマ帝国時代のお店が一つも残ってないのは何故だろう?
ローマの言語は残っていたわけだから、商業が途絶えたわけでは無いと思うが…
宿とか武器職人とか残らないものかねえ 人口動態や流通網がめちゃくちゃ変わってるのに商売を続けるのは難しいだろ こう捉えるのは可能か?
ローマ文明は西では途絶え、東では東方文化の影響も受けながらも存続した
西はゲルマン民族による新しい文明が成立した
そしてこの新しい文明がビザンツやイスラムなどの先進文明を吸収して、今日のヨーロッパ文明が作り上げられた キリスト教がなかったらアフリカ並の土人になっていたかもね 西だって途絶えたわけじゃあるまい。ゲルマン民族の文化と融合して新たな文明圏が出現したんだろう。
あと北アフリカなら、イスラム文明のもとで繁栄してたぞ。イブン・バトゥータもイブン・ハルドゥーンもチュニジアとかモロッコあたりの出身者だろ。 「土人」なんて言葉を無批判に使う人ほど無知な傾向があるのかな 土人とは本来の漢語では「その土地の人」という意味でしかない
また地人ともいう 語源や元義と現在の語義は別物だろ
だったら「ジャップ」「ニップ」だってジャパン、ニッポンを短縮しただけ 「アフリカの人を土人と呼ぶのはやめようね」と婉曲にたしなめられたら「カンコクガーチョウセンガー」とか言い出して発狂するのがネトウヨの知的水準
こんなのバカにされて軽蔑されるのは当たり前じゃん そうは言うがアフリカ人てかなりアレですぜ
処女をレ○プするとエイズが治るとか 不逞鮮人は、掲示板というより日本から出ていくべきだな ローマ帝国が漢なら、ゲルマン人は匈奴といったところか? ローマ帝国が崩壊して原始人レベルに文明が後退した西欧が、大日本帝国が崩壊したときの朝鮮の状況とかぶるんだよなあ 韓国や朝鮮の悪口を言いたくて仕方のない下劣なネトウヨが汚物のように湧き出てくる 大日本帝国が崩壊して乞食のようにチョコレートを米兵にせがんだ日本人 >>593
地方において発言者が中年以上だった場合、たしかに差別のニュアンスがある
そうでない人にとってはピンとこない話だろうが
「朝鮮かかってこい」 兵庫県サッカー協会事務局長が酒に酔い発言 7月に辞任
https://mainichi.jp/articles/20200918/k00/00m/040/283000c 中世ヨーロッパと李氏朝鮮は文明の停滞ぶりという点では似てるのかもな >>593
中国では、朝鮮人を「高麗人」と呼ぶのが差別 高麗人(コリョサラム)といったら普通はロシアと中央アジア諸国に住む朝鮮系の人々(いわゆるсоветские корейцы)のことで、差別的ニュアンスがあるという話は聞いたことがないな 沿海州に朝鮮人いっぱい居るけど
あれは差別されてんの? >>613
中国ではって話よ。
中国国内の朝鮮系は朝鮮族が正式名称だから。 朝鮮半島発祥の民族を朝鮮人と呼ぶと差別とかワケワカラン 昔、北朝鮮シンパの反日韓国人が、「朝鮮人という呼称の何が悪い。これが差別用語になるとはケシカラン!」と怒ってたことがあったな(笑) そこまで言って委員会にて
金慶珠が「朝鮮人と呼ばれたくない」と発言
竹田がすかさず「朝鮮人を朝鮮人と呼んでなぜ悪い」と噛み付いたが、辛坊があいにく確かにそういう感覚はあるからと竹田を窘めていた 「チョン」も同様で、それ自体は朝鮮人によくある姓であり差別ではない
「バカチョン」は差別 国家が存在しててその国家名を呼ばないと言う事はその国家を認めてないと言う事
日本政府が朝鮮人民民主主義共和国を北朝鮮と地名で呼んでるのはそういう意味 ローマスレでなぜ朝鮮人が・・・と思ったが
テロ朝鮮人が亡命先のロシアで内ゲバ起こしまくって粛清された話を思い出したわ >>627
上にも出てるが、ローマ帝国が崩壊して原始人レベルに後退したゲルマン土人と、
大日本帝国が崩壊して中世レベルに後退した朝鮮土人の姿がかぶるんだろ
土人つながりだ >>628
今の韓国は普通に進んでるだろ
文明が遅れてたのは李氏朝鮮時代や >>629
いや、60年代から70年代にかけてはエチオピア並の最貧国だった。
1人当たり国民所得がフィリピンを追い抜いたのは、だいぶ経ってからのこと。
いまでも、韓国メディアの経済記事にはたまに「我々はフィリピンに追いつき追い越した」と誇らしげに書いてあったりしてビックリする
日韓国交正常化で日本の援助を受けるようになってから、急速に復興した。
そこがゲルマンとの違い >>632
そら朝鮮戦争で全土が焦土になったからや Kの法則には元も日本もアメリカもやられた
でも白村江の戦いだけは例外だな
流石は大唐帝国 唐は高句麗を滅亡させ、突厥を弱体化させた
ローマ帝国はゲルマニアを征服できず、パルティアを中途半端に凹ったせいでササン朝という裏ボスを出現させてしまった >>633
北朝鮮はそこまで貧しくなかった
韓国がボロボロだった 安保の砦論か
日本が支援する代わりに韓国は貴重な生産人口である成年男子のかなりの数を38度線に常に展開させてないといけないのだから
プラマイゼロどころかマイナスだろ割に合わないな
それでいてそろそろ一人当たりGDPで日本を抜くというのだから大したもんだ痛みに耐えてよく頑張った >>631
最近、キムチの起源をめぐって中国と揉めてる
>>632
第2次大戦後、日本の次に発展するのは人口が多く英語を話せ、資源も豊富でアメリカとの関係も良好であるフィリピンだと期待されていたからね
韓国が自慢するのも致し方ない
もっとも実際には抜いた韓国よりも抜かれたフィリピンの方が問題
韓国・台湾・タイ・マレーシア・中国と順番に抜かれ、現在はベトナムに追いつかれつつある >>638
今はその砦を辞めたがって中国に接近してるんだから日米の保護も無くなって当然だわな >>640
東南アジアでも国民性が特にアレという噂
犯罪者が皆フィリピンに逃亡するのも故なき話ではないと フィリピンの由来ってフェリペだろ
国名が旧宗主国の君主の名前とか国民はどう思ってるんだろうな ラプラプランドに変えようという話は昔からある
ラプラプとはマゼランをヌっ頃した酋長 ルーマニアの国歌にトラヤヌスが入ってるね
ローマ人の末裔である誇り >>1
フンからモンゴル、トルコに至るまで
蛮族侵入による文明破壊は中国やインド、
中東にもあったけど、モンゴルによるバグダッド破壊からオスマン、サファービー朝の繁栄、
あるいは宋滅亡から元の繁栄、もっと長い
五胡十六国から唐繁栄までの期間を見ても
欧州の立ち直りはかなり遅い気がする
フン族侵入からゴシック建築登場までの期間は
ユーラシアのどの地域と比較しても
いくら何でも長過ぎるし、ゲルマン系の制服地の
文明への関心がアジアの蛮族より低過ぎ
新大陸でもアフリカでもいたのか、こんな奴 五胡君主は配下は蛮族でも自身は歴史や儒教の知識を持ってる文化人が多かったから
まだ西欧みたいな全面崩壊は避けられたのでは? 中世のゲルマン系とスラブ系は、同じ蛮族でも
女真族、モンゴル系、トルコ系、中南米の蛮族に比べて数段劣るのではないだろうか 女真は後金どころか前金ですら中原に入る前よりそれなりに漢化してたからな
早くからローマと接触・交流のあったゴート族みたいな感じ >>652
五胡君主が漢の文化に精通していたとなると
ゲルマン系にももう少しそういう君主がいて
良いはずですね 南ドイツ、ベルギー、
イングランドの辺りまでローマ文明が来て
交流もある訳ですし >>650
> 五胡君主は配下は蛮族でも自身は歴史や儒教の知識を持ってる文化人が多かったから
んなことないだろ
五胡君主の中でも別格の偉人といえるのは前秦の苻堅
幼少期から聡明だった苻堅が「学問をしたい」というのを聞いて、「夷狄で大酒飲みの我が一族から、そんな奴が出てくるとは」と親は大喜びしたという話だが
苻堅の先も後もヒャッハーさんばかり >>653
ゲルマン人でそういうのはカロリング朝まで無かった どの王朝も、だいたい3代目くらいで教養人が出てくるな
もちろん、狙って教育した成果だが 誰が見てもわかる広大な中華圏支配となると圧倒的多数の漢人の協力は避けて通れない
その漢人が代々書物を引き継ぎ口揃えて異民異教問わず天子が中華支配をすると言う教えを説いた
そうやってあのモンゴル帝国ですら感化させ文明を継承してきた
ヨーロッパ人は書物もキリスト教が独占してたので王家ですらローマ文明をよく知らない
文字を持たないキリスト教以外はその歴史に触れることはまず無い >>659
漢族だって識字率は低いだろう。
但し、母数が多いから絶対的識字人口は多かったというところ。 >>660
中華は宮廷や貴族になるとほぼ100%
ヨーロッパは王ですら文盲がザラ 西洋画だと字を書くのは駄目だが、東洋画だと当たり前に書くし、書そのものが鑑賞の対象になるから、理性も感性も違うんだろう。イスラム圏も綺麗に書くな、全く読めないけど。 歴史の教科書には「北魏の孝文帝は漢化しました。野蛮な北方民族は漢人になりました」と書いてあり、そこから隋唐帝国へとつながったような印象操作がなされている
でも実際には、漢化政策は長続きせず、北辺を防衛していた軍閥が不満を爆発させて六鎮の乱を起こした
その後の北斉・北周・隋・唐を形成したのは、その北辺から南下してきて北魏の漢化政策を潰した連中だということを忘れてはならない 歴史の教科書の記述は本当に不思議だ
「華北から北方民族が移住してきたため、ズボンや椅子など北方の文化が中国に定着しました」と書かれたすぐ下に、
「北方民族は漢化して、文化的には漢人に同化されました」と書いてある(笑) それにしても日本人の年配者は、本当にこの「野蛮な北方民族は中華の文化に憧れ、漢化政策して漢人に同化されました」という話が好きだな
当の中国人ですら、ここまで好きではない(笑)
時代劇・歴史映画の描写を見ると、やはり彼らは「北方から移住してきた民族こそ自分の祖先」ということを、なんだかんだ自覚しているところがある 祖先の起源と文化は別物
漢人は滅ぼされなかったので異民族異教の支配を抵抗はしたが柔軟に受け入れた
柔軟に受け入れながら理に適った過去の文献は異民族にも魅了させ異民族も柔軟に取り入れた
同化されたと言うより自然と良い物を受け入れてその合わさったアイデンティティが漢化されたと表現されただけ
根本的な考え方在り方を異民族流に徹底的に潰された訳でも無いから
文献を徹底的に独占し不利益になるような情報を隠し捏造までして教えを広め
理に適った事を唱える者に対して異教として弾圧してきたキリスト教ヨーロッパとは大きな違い 漢化して同化したってのは中国本土に移住した集団に限られてるし
数の論理で異民族の支配者側が多数派の非支配者側に同化するなんて古今東西よくある話に過ぎない
そんなに中華が偉大なら故地に残った北方民族がなぜ今日に至るまで中国文明に同化しなかったのだろうか(満洲族除く) 工事現場は中東風の顔つきの外人が多いな
トルコ人? モンゴル人は漢字で蒙古と書かれるのを嫌がる
注意しよう >>667
中華文明は紀元前の黄河流域からずっと拡大し続けてるぞ
北方民族は同化されなかったというが
むしろ同化されなかったものを北方民族といってるんであって
単なるトートロジーにすぎないよ シンガポールに台湾、韓国が戦後に発展したのは、漢字文化圏だったから
中国の科挙の伝統から、ある程度の学歴信仰があったから。
フィリピンが発展できなかったのは学歴信仰がない世相に加え、
熱帯だったからではないか?
熱帯気候ではどうしても頭がボーッとしてしまって理論的な思考ができない。
タイなんかが経済発展したのは、冷房の普及も大きいだろう。 シンガポールって発展してるし一年中温かいし理想郷だな >>671
西はイスラム圏だし、南はヒンドゥーや仏教の勢力があるから
中華文明は広まらなかった >>672
>中国の科挙の伝統から、ある程度の学歴信仰があったから。
日本には科挙の伝統はないけど?
>熱帯気候ではどうしても頭がボーッとしてしまって理論的な思考ができない。
>タイなんかが経済発展したのは、冷房の普及も大きいだろう。
フィリピンにはなぜ冷房が普及しなかったの?
なんかつまみ食いで説明して無理があるな >>672
日本がアホみたいに経済援助したからじゃ。税金で。次は、北朝鮮に大規模援助する イスラムが勃興しなければ北アフリカはローマ・キリスト教世界のままだった? 酒とトンカツの美味さを知らんとか
イスラムは人生損してるな キリスト教にしろイスラム教にしろあんなに広まったのが本当に意味わからん
日本では一部にしか広まらなかったのに キリスト教の教えよりギリシャ哲学のほうが高度に感じるけどなぁ >>663
いくら何でも無知過ぎない?
その遊牧民の反乱を鎮圧した武川鎮が隋唐へとつながっていくのだが >>686
キリスト教は教えが簡単
隣人を愛しなさい、誠実に生きなさい、絶えず祈りなさい
さすれば神はあなたを救ってくださるでしょう
イスラム教は剣かコーランか
あと超絶男尊女卑だから男天国
死後の世界でハーレム
これでバカ受け >>688
北辺を防衛していた六鎮が、北魏の漢化政策に反発して六鎮の乱を起こし!北魏王朝を崩壊させた
六鎮の乱のあと、六鎮同士で争いが起きた
勝ち残った懐朔鎮と武川鎮によって決勝戦が行われ、勝った武川鎮が関隴集団となり、隋唐帝国の屋台骨となった イスラムはノリで西はイベリア半島、東はイランまで支配したのはすごい 田中芳樹は漢民族マンセー
だから五胡を毛嫌い
西晋を亡ぼした匈奴を徹底的に罵倒している。
西晋最後の皇帝は豚小屋に繋がれ残飯を食わせられた、と
正史にないことまで捏造してるな。うっかり信じるところだった。
だが漢化した鮮卑族の北魏は認めてる。
暴君や暗君を排出しまくった明王朝はモンゴルを追い出した漢民族だというだけで
マンセー
だが名君ぞろいの清王朝は女真族だから絶対認めない 狩りに行く時のお供、皿洗い、奴隷の服を着せられただっけ? 李世民なんて鮮卑の出自にコンプ持ってるしな
ローマ皇帝(東ローマも含めて)は名族出身もいるけど卑賤や蛮族の出もいたりするし
割と血統はおおらかなんだよな
家柄とか血筋でガチガチに身分が固まるのは中世から 秦始皇→犬戎
漢高祖→漢族
隋太祖→鮮卑族
唐太宗→鮮卑族
宋太祖→沙陀族
元世祖→蒙古族
明太祖→朝鮮族
清太祖→満洲族 李成桂は女真説があるけど、朱元璋チョン説は初耳だな >>698
そんな誰でも知ってることでドヤられてもなw 隋唐は宗室が鮮卑が祖先であっても鮮卑帝国ではない
そもそも中華思想自体が民族主義的ではない 名前を漢風にして服装も言語も漢化してれば
文明化したとして受け入れるのが中華のノリよの 山川の教科書にも楊堅は北周の軍人って、書いてる。初めて知ったわ >>696
正史には、懐帝は宴会で給仕係をやらされたとしか書かれていないね
確かに皇帝にとっては屈辱だろう 朝鮮は明に助けられたが、琉球はスルーされた
あの時の明はガタガタで海外まで出兵する余裕はなかったしな
(出兵しても薩摩隼人相手にフルボッコにされたろうけど)
国防を他国に任せっきりなのも危険
強国と同盟しつつ、自分も強くなるのが理想
信長と同盟を組んだ家康のように 芳樹が漢民族マンセーしてんならなんで桓温取り上げないの?
南朝で統一目指してたのあいつくらいやろ >>710
呉明徹は取り上げてるよな、「蘭陵王」で 蕭梁は東西魏に分裂した時北伐の絶好のチャンスやったのにまるでやる気なし >>686
> キリスト教にしろイスラム教にしろあんなに広まったのが本当に意味わからん
> 日本では一部にしか広まらなかったのに
日本はカトリックが偶像もってやってきてたからね
本来のユダヤ教的キリスト教てのは
「偶像を全部焼き払え、偶像には何もこもっていない、ただの作り物、それに祈るのは土人」
みたいな考え イスラムでは偶像崇拝者こそ最悪で、無信仰者よりなお悪いていうことになってる
1 正しい方法でアッラーを信仰してる人 (イスラム教徒)
2 アッラーを信仰してはいるが間違った信仰のしかたしてる人 (ユダヤ教徒、キリスト教徒)
3 信仰をしてない人 (無信仰者)
4 アッラー以外を信仰してる人 (偶像崇拝者) ホラズムの某君主がジョン並の暗君だな
ま、相手が悪過ぎたのも大きいが 興味あったら・・・
https://gigazine.net/news/20210221-murder-map-london/
2021年02月21日 20時00分
中世のロンドンで起きた●人事件を地図にした「中世ロンドン●人マップ」が公開中
>イギリス・ケンブリッジ大学の犯罪学者が収集した●人事件のデータを、
>Googleマップのように動かしたり拡大・縮小したりできる地図にした
「London Medieval Murder Map(中世ロンドン●人マップ)」が公開されています。
※敢えて伏字にしました(すいません) 日本でキリスト教広めようと思ったら、聖書とかの訳文を考えないとな
もっと和風に、かけまくもかしこきキリストの大神、民のくさぐさのつみを祓わんと磔になりて・・救いたまへとかしこみかみこみもうす、とかにじゃないとな 文語訳の聖書、特に黙示録と創世記は厨二心に訴えるものがあるけどな
中世のラテン語勉強中の聖職者の卵なんかでも「カッコイイ!」とか思ってたやついるはず 聖書を読む事が必須なら乳幼児期に死んだ者は救われない事になる 日本正教会の訳語センスが中2っぽい
生神女、至聖三者、聖神、奉神礼、福音経などなど そもそも文盲が多いから読めない。洗礼の有無で行ける行けないで揉めてるのに読む事が必須は珍説過ぎる。 プロテスタントは聖書至上主義で原典にあたるから非キリスト教を排除出来ると言う考え 古代ローマ人「今こんなに文明が発展してるなら500年後とかとんでもないことになってるんだろうな」 >>714
イヴァン雷公がカザンクレムリンを攻囲した時にカザンハン側の呪術師がトーテムを掲げて呪詛を唱えたので
負けじとモスクワ軍もイコンを掲げて呪詛返しを行った記録がある
近代以前の教義理解なんて支配者層でもこの程度で自分とこの宗教が偶像禁止とか聖職者以外は知らんかったと思うぞ >>725
当時は神々の時代―>英雄の時代ー>人の時代という史観だったからどうだろね
キリスト教の最後の審判とかは斬新な思想だったらしいし しかし蛮族のほうがルックスがいい、というのが皮肉だな 今はその蛮族の国のほうが発展してるし民度も高いからな キリストが実在したのかどうかもそうだしw
キリストという偶像が出てきたのは、古代ローマが神を崇める事は大変な労働だと思ってから何億年も経ってから、違う国の人が夢を見た画像がキリストの磔刑でそこでキリストという名前がはじめて出てきたんじゃないのかw
経典を神から都合の良いキリストに変えたんだから。 永遠に源に戻る事なんかないなw
どうなるんだろうかw
もう何もしないというか出来ないw 人を超えた事象は、人がどんな形のものになろうがお構いなしに突き進んでいくのをなんとなく理解出来るようになってきた。
滅ばずにいたなら中国人ウミウシになっていたとか言ってたからな。 イギリスやイタリアなんかは、日本にホビットのような小さい者が生きているという事実を知らないしな。
生きていられないが生き延びさせたというのが正しいかも。
あんな奴がよく生きていかれたなと。 >>729
ヘリオガバルスは絶対金髪マッチョのゲルマン人ニキとやってる
間違いない >>736
下らない事を自慢しにきたのか、イタリアじんはw >>736
東京都牛込
東京都新宿区市谷柳町3-209
都庁 家賃無料 ロンドン中国共産党員
スティーブ ロンソン 39
080 1902 1023
trattoria cuore
〒292-0009 千葉県木更津市金田東6丁目40−4
店員 キリスト教の聖人のヨサファトは菩薩の訛りで、釈迦牟尼のことというし、キリスト教成立にインド宗教が何らかの関わりを持っている可能性はある キリスト教というより、聖書を読んで受けるイメージのいくつかは仏教と近いものを感じる。神秘主義からはさらにより近く。
今のカトリックからはほとんど感じない。 仏教で一番一神教的なのは日蓮宗だな
法華経以外の経典は邪宗・邪教という認識 >>741
浄土真宗じゃないのか?
実質阿弥陀如来が唯一仏の扱いだぞ。
阿弥陀如来のマントラを唱えることすら、
阿弥陀如来を諸仏の一つと扱うことになるとして禁じてるのだが。 禅浄双修とか禅浄一如とか言って、禅宗と浄土宗真宗は相性が良い 中世外交の事例とか知りたい
「外交」って本を読んだけど各国の歴史の紹介で
どのような交渉で利益を得たかの実例とかが知りたかった
おすすめの本か何か面白い話して下さい >>739
関わりがあるというのは、同じような意味合いがあるからだろ。
同じようなものでないとおかしいからなw 宗教というものは、教えによって全く別物と見ているのか。
理解してない証拠だろw >>742
マントラというのは、真の言葉。
嘘がないなら、違いを言わないのが正しいんだよw >>741
神教的とは具体的どんなものなんだろうなw >>730
今は完全に古代と逆転してるよな
暗黒時代は中世だけでなく古代にも起きた
ようで、古代から中世にかけては文明世界は
蛮族の大海の中にある島のようなものだった
のではないか?これが近世になると
文明世界が面化始めて、文明破壊でイキった
蛮族の地域が著しく縮小し始めて、
漢族とロシア人の侵食で近現代に突入する感じ
元々は中露の多数派民族は蛮族にボコられ
搾取され続けた弱小勢力だった 今は逆だが
世界史は近現代で全てが逆転するよな ヨーロッパでの温泉というと古代ローマにおける公衆浴場のイメージが
強かったが現在は水着を着て入る温水プールなイメージあるわ。 >>750
今では漢族(ここでは中国共産党)が文明を破壊する蛮族となってるな 中国人といえば、「野蛮」というイメージがつきまとう >>752
中国のほうが日本よりはよほど先端技術研究してる 中国ウィルスは「先端軍事技術の研究から生まれた」という説と、「土人が食べるコウモリ料理から拡がった」という説が同時に出た
中国ならではの二面性が、ここに端的に表れていたな 西側社会を破壊するために最先端の科学技術という文明を用いる中国共産党,
同じ漢族でも中国国内の一般市民や香港・台湾の非親中派は分けたほうがよさそう >>758
現地の左寄り連中とイスラム移民の中の過激な跳ね上がり共によってな >>759
西側が衰退してるとしたらお前みたいな1bit脳の馬鹿がのさばるせいだな 西側はダブスタがデフォだがそれが機能不全になったな 十月革命後のロシアで発足した共産主義体制は野蛮だったと思ふ >>741
浄土教は?
ほとんど阿弥陀如来一神教やん 古代エジプトでは製粉するのに石臼を使うから石粒が混ざったパン食べて歯が欠けまくってたらしいが
中世では大丈夫だったんかね エジプトはアケメネス朝に支配されてから主体性を失ったな
あとはずっと外来政権ばっかり 神聖ではなく、ローマを支配しておらず、帝国でもない >>772
ならば大日如来ならどや
全宇宙を包摂する真理そのものやで
もうYHWHとかわらんくらいの絶対者や キリスト教の神は造物主というけれども、じゃあ始まりの前に何があったか、神はなぜいんるだという疑問がある
仏教の原初は、始まりもなく終わりもなく、時間もなく自他の区別もなく、作るものと作られるものの区別もないレベルだから、始まりの前に何があったという疑問すら無いんだよね そもそも「時間」という属性は神が創造した宇宙の属性の一部だから、天地創造以前という概念は存在しない、というのがキリスト教神学の答だったかと >>777
ビッグバンの前には何があったんや
そう言うてるのと同じやで
「その前」なんて無意味 多神教から始まって、最終的に原初的存在を神とする発想は、世界的潮流なんだよね
ローマでも多神教から一神教というのは、例えばキリスト教でなく異教であっても、そういうベクトルが主たる潮流だったのは変わりがない
江戸時代の日本の神道家も「儒佛、或いはバテレンが道と雖も本此の一元より起れり」(吉川惟足、神道大意註)といって、諸教を分析して原初について言ってたりするくらいだから、多神教から一神教に向かうのは必然なのかもしれない
だだ一神への信仰以外は許さないという排他的方面に行ったのはローマ社会を崩壊に導いたと思う いやビッグバンの前に何があったかは普通に気になるけど 畑とか辻とか峠とか日本にはあるが中国には存在しない漢字はどう発音されてるんだろう? >>783
畑 tian2
辻 shi2
峠 qia3 越南の字ロ南は中国でどう発音するんだべか。
朝鮮にも「朝鮮国字」がある「水田」を縦書きにした一文字で、文字通り水田を意味する
田の字は中国でも朝鮮でも耕地全般を意味する言葉で、
水を張った水稲の耕作地に限定するのは日本のみ >>785
朝鮮人は漢字が読めないから関係ないだろ >>785
なんで日本は田の漢字をそう使うのだろうな。
日本には水稲と田の漢字が一緒に伝わったのだろうか。 会意形声文字の音を考えると、右側の部首を音符として読むのが原則じゃないかねえ。 >>789
大半の韓国人は、自分の名前はかろうじて漢字で書けるが、親や子供の名前は無理というレベル >>785
韓国語も、日本語の「た」と「はた」に当たる固有語がそれぞれ別だよね
「た」が「논 non(ノン)」で、「はた」が「밭 bat(パッ)」
「はた」と「밭」は、ひょっとして同根語なんだろうか?
畑 の字についても、
水
田 の字についても、
固有語での表現区別の事情が造字につながったんじゃないかな?
>>792
この議論の焦点は、現代人の漢字知識云々じゃないんだが >>796
同じ質問を繰り返すな
たまには自分で調べろ >>797
いや、オレは知ってるけど
>>786がなんで韓国人だけしか言わんのか不思議なんや >>800
なんじゃそりゃ
>>794で「ベトナム人はまったく書けない」と書いてるぞ? >>802
両方とも俺に決まってるだろ
他に誰がいるんだ? >>803
ならなんで「朝鮮人は漢字が読めないから関係ないだろ」なんや?
越南人はますます「関係ない」はずやん
それ以前に現代人の漢字知識云々は関係ない話しやないか >>804
日本と朝鮮の漢字の比較論(?)みたいな話の流れになってたからだ とんがり帽子に、長いアゴヒゲ
ランゴバルト人は勇猛で怖かった ランゴバルド語は東ゲルマンだと思われていたが、実は近年になって彼らの言葉が高地ドイツ語の方言であると明らかになった。
ゲルマニアは痩せていて人口が増えると部族を分けて移住する文化があったから、ランゴバルド族というのはつまり定住地のない放浪ドイツ人集団だったわけだな。 てことは、ランゴバルト王国とはドイツ人に征服されたイタリア? 龍 ドラゴン
鳳凰 フェニックス
似てるけど別もんだよね? 十二支と黄道十二宮は西アジア起源で元は同じだそうだから、もしかしたら・・・ >>810
そうだよ
だから現代チェザーレとか名前付けてる人は祖先の敵だった訳だし笑っちゃうよね ランゴバルド王国も結局はカール大帝に滅ぼされたな
ランゴバルド王デシデリウスは捕虜としてフランキアに連行され、
息子のアデルキスはコンスタンティノープルに亡命した 寅=猫
日本では一番大きくて立派な猫である虎を猫代表にしてるんや
越南では可愛さ重視なのか寅は小さい可愛い猫やで
昔の日本人は大きくて強いのを重視して虎を猫の代表にしたけど
現代なら日本人も可愛さ重視になりそうやな この前北川景子が出てたローマの番組がやってたが
古代のコンクリート建築が頑丈で中世はそれを作る技術がなかったからその上に増築してたらしい
まるでゲームのfalloutや北斗の拳みたいに文明が無くなってまた1からやり直すような世界だったんだなと セゴビア水道橋とかハドリアヌスの長城みたいにローマ人が作ったこと自体を忘れられたのは
住民が総入れ換えされたってことだろうか そりゃ、造らなくなって時間が経てば、造れる人はいなくなる
何百年もたてば忘れられるだろ 日本の電子工業と同じだ
半導体を製造しなくなれば、そのうち半導体の造り方を知ってる人がいなくなる アメリカでは、百年前の橋梁を改修しようとしたところ、ワイヤーロープを国内ではどこでも造っていなかったので、日本から輸入しなければいけなかった ベネチアって確か
蛮族に攻められないように
辺鄙な水だらけのところに住んだのが
起源だよね? これから本格的なAI時代に入れば、コンピュータやロボットに任せきりにする作業が増える
人間にはできる人がいないというのが多くなってくるだろう >>822
飛鳥の酒船石とか何のためのものだかわからんやろ
民族的には同じ日本人なのに 東ローマ帝国から西ヨーロッパに技術を伝達するとか
できなかったんだろうか
西から留学生を送るとか >>828
大和どころかピラミッドも今では建造てけへん 広大な領土に道路や橋梁を建設したことが、ローマ帝国の土木技術を育てた
帝国が崩壊してバラバラな部族社会に寸断されたおかげで、道路や橋梁を建設することもなくなり、やがて造れる人かまいなくなった 人や物の移動と、土木技術は切っても切れない関係にある >>820
それはちょっと違うんじゃないかな?
ベトナムの十二支にはネコが入ってるけど、トラも入っている
その代わりに、ウサギがいない 旧西ローマ帝国領はもともと未開の部族社会で、
その上にローマ文明が薄く塗られていたに過ぎなかった
だから西ローマ帝国の滅亡とともにもとの状態に逆戻り 十二支は元々オリエントの星座が中国に伝わって産まれたもの
伝来が周代後期という文献の乏しい古代だったため、往古から中華にあったものだと誤解された
七曜は唐代に仏典と共に伝来したから、外来のものと認識されて、あまり普及しなかった
今の中国語では、遂に月曜日や火曜日という言葉も廃されて、星期一や星期二と表記している >>839
甲骨文にも干支が現れるのでそれはおかしい ユスティニアヌスのゴート戦争で、水道橋などのインフラは度重なる包囲戦で傷つき、
ミラノなど北イタリアの主要な都市は何度も略奪され、主だった貴族たちは
コンスタンティノープルなどへ避難した 十二支と十干で日付を記す方法が殷代で既に確立している 十二支に動物をあてがうのは後代の文化のようだが
それが何起源なのかはわからない 十二支にそれぞれマスコットキャラを作ろうとしたんやろ
しかし、十干のほうはそういうの特に無いな 亀卜には文字が不可欠
実は日本でも中世に入って、記紀の中に太占の話があるが文字がないのにどうやったんだという疑義が出て、実は神代の昔に古代文字があったとか主張されるようになる
実は星占いやら卜占やらは、未開な原始的なものではなく、ある程度の文明が成立して初めて生まれてきたもの
メソポタミアやエジプトではこれらの発達が著しく、ギリシャ人によって体系化されローマ文明に引き継がれた メロヴィング朝では、ダゴベルト1世の時代から、ボヘミア地方などの
スラヴ人居住地域でとらえた人々を、フランキアに連行し、去勢をおこなったうえで
イスラーム世界の後宮で働ける奴隷として取引することが、盛んに行われていた それは本当に「スラブ人」だったんだろうか?
今のネネツとかサーミ人とか、そういう系統だった可能性ないのかな >>841
奴隷と農民は貴族が逃げて大はしゃぎだっただろうな
王朝滅亡とは年貢を収め、兵士を集め、
普請をさせる機関が崩壊する事だから >>849
ちょっとまて
タゴベルト1世の治世って629-639 年でムハンマドが布教し始めた時とまるかぶりだぞ
イスラム世界におけるハレムが出来たのはもっと後の時代だ(10-11世紀) >>852
オリエントにはイスラーム以前から後宮が存在していたじゃん >>851
東ローマの重税、そしてランゴバルド侵入という最強コンボなんだけど・・・ >>851
浴場も劇場も学校もすべて崩壊して文明が事実上消滅したわけだが
お前みたいな税金さえ無ければ原始人みたいな生活でも幸せみたいな奴は喜んでたかもな ランゴバルド族は都市貴族となったのが多かったらしく
近年の研究では文明崩壊度は低かったのではないかと考えられる
ようになってきているらしい 568年のランゴバルド族の侵入では、半島全域に略奪と破壊が広まり、
歴史家ラヴェニャーニは「ゴート戦争にも劣らぬものであった」と述べている。
ランゴバルド族は勝者の権利として、ローマ人たちを過酷に扱い、
ランゴバルド族からの災厄を避けるために沼沢地に避難した人々がヴェネツィアをつくったとされる。 ラヴェニャーニ は1964年死没でランゴバルド時代の都市の連続性と発展を認めた
Lepelleyの論文集が出たのが1996年 東ゴート王国の滅亡後、生き残ったゴート兵の一部はビザンツ皇帝の軍隊に入り、
その子孫は独立部隊として、ランゴバルド王国から給料をもらっていた
11世紀になっても独自の法を遵守していたという
東ゴート王国の民間人にはイタリアに私有する土地に残る者もあったが、
ビザンツ皇帝は彼らの反乱を恐れ、まとまって住むことを許さなかった カルタゴ、宋、日本
経済力だけではダメなのね・・・ 西ローマ帝国
東ローマ帝国
西ゴート王国
東ゴート王国
西フランク王国
中フランク王国
東フランク王国 ジャップは明治以降に一時的に興隆しただけ
歴史的には中国や韓国の末弟に過ぎない
植民地化などとは何かの勘違いに過ぎない >>836
古代ローマ終焉の頃まであの辺りにライオンがいたんだよな
蛮族に狩られて絶滅したんだろうか >>868
ホラアナライオンは氷河期が全盛期なので
むしろ寒冷化した方が生きやすくなる アメリカにもライオンいたんだよな(ピューマじゃないよ) 11世紀、西ヨーロッパは、木材や金属などの原材料、奴隷を輸出し、
香料や手工業製品を輸入していた
しかし、14世紀末からはこの構造が逆転し、西ヨーロッパから中東へ、
大量の毛織物、ガラス器、金属製品、紙などが輸出され始める
この時期はもはや暗黒時代ではないと思う 13世紀頃になると文明度はもう「欧州>中東」になっていると思う。
自然科学の分野では15世紀に入ると完全に欧州の方が上になる。
イスラムの勃興が7世紀だから七〜八百年はイスラム世界の方が先進的だったが、現代は21世紀なので欧州の優位は代々イスラム世界が優位だった時代と同じくらいの長さになってきている。 イスラーム世界は結局「自由」というものを受け入れられなかったな
西欧キリスト教世界のみが「自由」を受け入れられたのは、政教分離という
やり方を苦労して生みだしたせい 動物園行ったときインドとアフリカにしかライオンいないのは、他の地域のは絶滅したからという説明見たな >>875
新大陸で虐殺
キリスト教の教義を捨てたようなもんだ イスラムの翻訳ばっかの15世紀で勝ってるわけないじゃん イスラム哲学が衰退して見る影もなくなるのは13世紀
西洋哲学が勃興するのも13世紀
時代の流れだな ただ、それは哲学や科学の面であって、国力は別だ
イスラム文明圏の最盛期は、ムガール帝国・サファヴィー朝・オスマン帝国の3大帝国が鼎立した奇跡の17世紀
それを忘れてはいけない 西欧って13世紀くらいにジョットが出てくる頃から芸術でもかなりクオリティ高くなってくよね
この時代はビザンツを超えてると思う >>883
しかし、その時代なら世界最強は清やろ
世界最強ていう意味ではイスラム最盛期はアッバス朝時代やん 13世紀と言えば商業ルネサンスによってようやく貨幣経済が復活したばかりで
まだまだ原始時代に毛が生えたようなもんだぞ
ジョゼフ・ギースの「中世ヨーロッパの城の生活」によると貴族ですら秣ひいてそこに雑魚寝という有様
どんな小さな都市にも学校、病院、浴場があったイスラム圏とは比較にならない 国土面積でも経済力でもサファビー朝よりイスパニアやポルトガルの方が上だと思うのだが
アジア的軍事帝国というなら清王朝が一番だし >>887
「イスファハンは世界の半分」だ
マドリッドもリスボンも、イスファハンの繁栄に及ばない >>886
ルネサンス時代でも文明の灯がともったのは
フィレンツェとかボローニャとかのイタリア北部の一部の都市だけ >>889
北イタリアの都市がルネサンスの先鞭となったのは確かだけど
ボローニャよりはヴェネツィア、ローマだし
その後アルプスの北にも伝播するんだけども 17世紀の世界でGDP世界一なのは、おそらくムガール帝国
世界2位が清朝 当時のイスタンブールが、ロンドン・パリ以上の都市だったのは、まず間違いない
ベルサイユ宮殿が完成して招かれたオスマン帝国の外交使節は、「たったこれだけ?」と宮殿のショボさに拍子抜けしたという だが、その一方では西欧人に鉄砲を造ってもらわないと戦争もできなくなって、すでにだいぶ経っていた
技術では、もう西欧に太刀打ちするどころではなかった >>890
ヴェネチアは西欧唯一の例外で中世野蛮時代にも文明の灯を維持し続けた
ルネサンス時代にやっと文明が復活した他都市とは違う >>883
その3つ結局トルコかペルシャの帝国
イスラーム的な世界観は13世紀で終了
アラブ人政権に限ると9世紀で実質破綻してた
非アラブ人反乱、カリフ乱立、部族主義の殺し合い、クーダター主義、文民統制できない政体など
いま全く同じことを繰り返しているアラビア半島のひとたち >>892
いうてオスマン帝国にベルサイユ宮殿より凄い建物あったっけ? 「封建制」って名は歴史オンチの俺から見ると厳かな響きがある >>896
ギリシャ人=ペルシャ人
ローマ人=アラブ人
ゲルマン人=トルコ人
ポジション的にはこんなもんかね 正統カリフがササン朝を滅ぼしたのは
ローマがギリシャを手に入れたようなものと誰かが言ってたわ アケメネス朝とギリシャ人
ササン朝とアラブ人
アケメネス朝はエジプト再征服を選択
ササン朝は東ローマと全面戦争を選択 >>900
トルコ人は民族大移動期のゲルマン人より開明的だと思う。
既にササン朝と突厥は組織的に接触してたし、
独自の文字による碑文、製鉄技術、オオシス灌漑農業とか
同じ時期のゲルマン人より、組織化され文化レベル高い様に思う。 中世トルコ人は勇猛だけど規律のないの人々だった
アルプ・アルスラーンやサンジャルなど歴代スルタンらは
トルコ遊牧民の反抗に悩まされていたので
トルコ系の王だけどマムルークを頼りにしていた
トルコ遊牧民らは忠誠心と規律が著しく欠如していたので
モンゴル軍に攻められると完敗してしまった
モンゴル軍だけでなく東ローマ軍にも勝てなかったので
アルプ・アルスラーンのマムルーク軍が東ローマ軍を撃破した ゲルマン民族大移動の時代は、美術作品も、もっぱら持ち運びのできる
工芸品になってしまったな
聖遺物入れとか >>907
1ページだけ読んだけど
広告だらけのページネーションだらけだと読む意欲が失せるよ >>908
そうなんだ。adブロック入れてるから気づかんかった。なんか表示されない所あると思ったら広告なんかな 西ローマ帝国にとっては、ヴァンダル人に穀倉地帯である北アフリカを
奪われたことはやはり経済的な大打撃だったんだろうな 西ローマ帝国が西ゴート族を嗾けなければ
ヴァンダル族はスペインに定住して
北アフリカは西ローマ領のままだった チェニジア30%が農地ってググルマップでもそうは見えん。ここ砂漠だよなと思いつつ拡大したらオリーブ畑なのか。 古代の北アフリカは、砂漠はあったが、緑の耕地も多く、
灌漑施設もことに東部ではととのっていた
平均するとイタリア本土より富んでいたらしい
また、カルタゴは人口100万に近い大都市で、
フランク族の根拠地パリなどは、これに比べたら
泥臭い田舎町でしかなかった 西欧の発展は三圃式農業の発明が大きかった。
それにより西欧社会の豊かさは11世紀頃に東ローマを超える。
社会の発展は生産力の発展およびその社会の物質的条件が引き起こすという良い例。
次に新大陸からポテトが来ると西欧はイスラム世界を圧倒するようになる。 地中海でも、10世紀末から11世紀末にかけての100年間に、
ムスリムの覇権は徐々に失われていく
この時代に、地中海の島々の支配権が、ムスリムから
キリスト教徒の手に移っていった
10世紀の後半、復活したビザンツ帝国の艦隊が、
クレタ島、キプロス島、キリキアを奪取する
その後、ピサとジェノヴァが、ムスリムをコルシカ島と
サルデーニャ島から追い出した
そして1091年、ノルマン人がシチリア島とマルタ島の
征服を完了する チュニジアはファーティマ朝によって衰退した
ファーティマ朝がベドウィンを移住させて
チュニジアの農業が衰退した オスマン帝国はペストのおかげで大帝国になった
エジプトとかアラブ諸国はペストの被害から立ち直れなかった
ヨーロッパは14世紀のペストの後に人口が増大していったけど
オスマン帝国時代にアラブ諸国は人口が減ったままで
19世紀初頭にエジプトは200万人しかいなかった オスマン帝国はあれだけ超大国なのに人口は3千万人台で、江戸時代の日本と大差ないな >>433
ガイウス・ユリウス・カエサルが攻め取って服従させた地域の有力者を養子・猶子としてユリウス族に編入したから
もうその時点で、ラテン人とガリア人・ゲルマニア人の通婚は盛んになってたんじゃないの? もともと、ラテン系はおおらかだからな
北米より、中南米の方がずっと混血が盛んで、人種の区別がつきにくくなっている >>927
> もうその時点で、ラテン人とガリア人・ゲルマニア人の通婚は盛んになってたんじゃないの?
そもそもガリア人・ゲルマン人らをローマ人として取り込んで巨大化していったのがローマ帝国だしね イスラーム帝国も、先住のシリア人・エジプト人・ベルベル人などを
改宗や通婚によってアラブ化していった ブリテン島のブリトゥン人とかも「ローマ系ケルト人」だしな
ローマ化しなかったケルト人がピクト人とかアイルランド人なワケで ローマと違ってアラブ化しきれなかった
ローマ法の世界観をドナウ川以西の西欧は普遍化したがイスラーム法の世界観はアラブ人以外にはいまだに馴染んでないイスラームの宿痾 >>933
イスラム法って、インド(パキスタン)とかインドネシアと言った非アラブ系イスラム圏でも普遍的に受け入れられているのでは?
何より地理的には近いけど、ペルシア人はアラブ人じゃないじゃないし言語も違う イランやインドは、なぜ言語が統一されなかったのかな
ペルシア語やヒンディー語で統一されてもよさそうなものだが >>935
そりゃ貴方、ヨーロッパだって各地域で言語はバラバラで統一なんてされてないだろがい
あの狭い地域でアレなんだから、当然イランやインドみたいな国土の広い地域ならバラバラなのが当たり前でしょ
ユーラシアでは多種多様な民族が移動してきたのだから、
異民族の侵入に伴う支配体制の崩壊、異民族の流入、それに伴う言語などの文化的変化etc・・・
当然、強制的に同化でもさせない限りは各民族の文化は並存するだろうよ
それは不思議に思うことじゃない
中国みたいに北京語と広東語程度しか違いがない方が珍しい
もっとも、古代〜中世じゃもっと地域ごとに違いがあったんだろうが >>929
侵略先の原住民の女を穴があればチンコ入れるって感じで犯しまくりの印象。
でも、ラテン系でもフランスは原住民とあまり混血しないよね。原住民とやりまくるのは
スペインポルトガルの専売特許。 >>936
イランはペルシャ語が支配的だろ。チュルク系すらペルシャ語話者。 >>934
普遍化されてたらサラフィー主義者やワッハービー、ムスリム同胞団系が非アラブ諸国で21世紀のいま活動を活発化させる必要なんかないでしょ
普遍化されてたらシャリーア国家を実現してるはずです
そうなってないからジハードしてんでしょ
シーア派12イマームのイランはギリシア思想グノーシスや新プラトン主義が相当血肉化さてるからイスラーム法(スンナ派)から見たら相当な異端だよ >>939
それはイスラム法の解釈の統一であって、イスラム法の需要という点で普遍性あるやろ
なお、アラブ世界(スンナ派)内でも、法解釈は大きく分けて4種あるわけで >>936
実は中国語で最も北京語とかけ離れてるのは福建語 >>940
需要が普遍性になるなら、例えば世界中の言語はひとつってことになっちゃうよ
日本語も英語もアラビア語もぜーんぶ一緒
なぜなら人類に需要があるからだ、これで言語は普遍化したって言えるかな?
ぜんぜん違う言葉を喋ってる人たちなのに
イスラーム法の場合もコレと同じ
ローマ法のようには普遍化されていない >>942
ちなみに、人類学の観点からすると
言語の受容は人類における普遍性って視点はありうるよ そりぁメタ視点に立てばなんでも定義できる
言語(実際に使われて存在する個別のもの)の普遍性ではなくて、言語を受容する人類(実際にひとまとまりにできない個別のあつまり)の普遍性とか言いだしたらね >>945
うん、だから
ローマ法とその派生の法体系を受容したグループと
イスラム法を受容したグループで現代世界は二分できて
イスラム法を受容したグループはアラブ人に限らない
というのは地理学的にも歴史学的にも有意
東アジアには別の法体系あったけど、西洋法系に組み込まれちゃったからね >>937
北米にに、メティスっていう、フランス語もしくはミチフ語というクリーインディアン語とフランス語の混成語を喋る、
インディアンとフランス系移民との混血由来の人種が有るよ。
南米仏領ギアナの人種構成、最多は数で約4割のクレオールで白黒混血の言語はフランス語。
インド洋の仏領レユニオンも人口の最大はクレオールで、白人+マレー人黒人マダガスカル人等の混血
ハイチの人種構成は、農園奴隷ルーツの黒人9割、ムラート1割。ムラートはフランス人農園主と奴隷黒人の混血、
独立前は農園の中間管理層、独立後は富裕層・政治特権層。
トマ・アレクサンデル・デュマは、そういう農園主と奴隷黒人の混血一代目で、フランス本国に渡って栄達。 >>946
ローマ法とは別のアングロ法もあるではないか >>948
現代の英米法とか、ローマ法由来の慣習とその後の判例の積み重ねからなるコモンローで
あれはあれでローマ法の流れだぞ >>949
いや違うでしょ
現代英米法がご飯だとしたら白米がゲルマン由来の慣習法
ローマ要素はふりかけだよ >>952
ゲルマン法がなんなのか、よくわかってないように思えるが
現代の公法私法の区別をつけるのなんてまさにローマ法由来だし
特に契約や債権の取り扱いなんて、英米法でもローマ法ど真ん中なんだよ
ゲルマン法的って言われるのも、ローマ属州法の影響を受けてラテン語により成文化されたものがほとんどであって
この時点でローマ法の強い影響下にあるってのが通説なんだな ゲルマン法とは何か
という話は、ドイツにおけるゲルマニステン(ゲルマン法を民族的な法制度と見做した一派、現代では残存者ほぼいない)の研究とか読むと分かるよ サリカ法典がローマ法なら蝶々トンボも鳥のうち ハゲの頭に毛が生える >>953
英語がラテン語から派生したみたいなひろゆき論法に近い理解だなあ >>954
> (ゲルマン法を民族的な法制度と見做した一派、現代では残存者ほぼいない)
そうなの?
2009年12月に名古屋大学院から出た論文集でもサリカ法を民族的な法制度ってしてたけど >>956
その論法なら日本語は漢語からの派生になってまうがな 今でこそ欧米の白人は偉そうにしてるけど、中世の頃の欧州なんて世界でも遅れた途上国だったからな 宋王朝や高麗王朝に比べて中世の西欧白人が土人や野人の類だったのは分かる
しかし倭人に劣ってたことはないと思うぞ >>961
両方に接したモンゴル帝国が、ヨーロッパ人の官吏は使っても、宋や高麗からは採ってないよ。
「一官二吏三僧四道五医六工七猟八民九儒十丐」なんてふうに、官僚の供給源だった儒学者は完全にコケにしているし。 高麗の当時、1250年とか、すでにヴェネツィアにサン・マルコ寺院やドゥカーレ宮殿ができていて、現在のサン・マルコ広場とほぼ同様の姿だったんだけど
高麗??? >>964
その頃のジャップって国家崩壊して武士とかいうヤクザが暴力で民を支配してたんだが…🥺 >>965
既に日本では灌漑水車が使われてたのにチョンで初めて灌漑水車が導入されたのは
日本統治下で日本人の手で建設されてから。 >>967
水車と世紀末ジャップってなんか関係あるか?🥺 >>959
> 今でこそ欧米の白人は偉そうにしてるけど、中世の頃の欧州なんて世界でも遅れた途上国だったからな
欧州の中世初期というと日本列島では古墳時代から飛鳥時代にかけてか・・・ >>955
あーローマ法だと言うことを知らないんだね >>967
推古天皇の時代に、聖徳太子が高麗から招いた僧(曇徴)が日本に水車をもたらしたのに、
チョンは作り方忘れただか? >>973
チョンは今でも盛んにドングリ食うじゃん ヴァンダル王国は海軍を創設したんだが、ガイセリックは、あるとき舵取りに
今度はどこを襲うのですかと尋ねられ、「神の怒りを買いつつある者を」と答えた
要するに、だれでもよかったということだ
東ローマ帝国はいまだ海軍が健在だったので、もっぱら西ローマ帝国の
領海に出没した
シーレーンを脅かされた西ローマ帝国は悲鳴を上げた どんぐりも、しっかり煮てアクを取れば普通に美味しいだろ 品種によってはクリみたいに美味しい秋の味覚だが、アクが強烈で普通に食べられないものもある
粉末にして何回も茹でて、さらに焼いてパンみたいにして食べる フグもドングリも調理する技術と食べる文化があれば普通に食べられる
トンブリは日本じゃ珍味だが多くの国では大概は雑草だ ヴァンダル人は北アフリカを征服したが、
実は彼らが支配できたのは沿岸部だけなんだよな
内陸部はベルベル人の諸部族が支配していた >>988
現代社会の一般的食文化だと
例えば海苔を常食する地域は
日本列島、朝鮮半島、それにウェイルズだな 海から魚介や海藻を獲ってきて食べ、陸で排泄する
そうすると、海の栄養分が陸に移動して肥沃な地となる循環サイクルが生まれる
それが、生態系における人間の役割 ヴァンダル族とアラン族はなぜ行動をともにしたんだろうか
一方はゲルマン系、もう一方はイラン系で、言語も違っていただろうに そもそも○○族って呼ばれてる集団に当時は「民族的同一性」なんてなかった
いろんな言語や習俗の人々が離散や集合を繰り返し、長続きして成功を収めた集団のなかで、長年行動をともにした人々が団結を維持するために、ある程度意図的に虚構的な○○族的自意識を形成していった >>993
いや、言語が違ってたら一つのコミュニティなんか作れんし
言語が同じならそれは事実として同一民族や
祖先が別の出身であっても関係ない
いま同一言語なら同一民族 >>994
言語が同じでも異なるエスニックグループになることもあるし(セルビアとクロアチアなど)
ここ30年ほどの研究だと、フランク族とは多分に政治的集合体であって多数の民族を内封しており、
フランク国家とも呼ぶべきだって結論になりつつある フランクはマルコマンニ族をベースに他のゲルマン、ケルト、チュルク、ラテン系を吸収した民族集団
リプリアとサリーの2系統が主な部族
特にサリーフランクは、ガリア管区との結びつきが強く、クローヴィスの父が不義により追い出された際は、ドゥクスのアエギティウスがサリーフランク族長を代わりに務めた ヴァンダル王国の海軍には、ヴァンダル人のほかに、フェニキア人、ムーア人、
キリキア人、ダルマティア人、エジプト人、クレタ人、シチリア人、カタルーニャ人
などがいた ヨーロッパではしばしば紛争の種になるくらい経済的に重要だったのにな、「森で豚にどんぐりを喰わせる権利」
弥生時代以降の日本ではどんぐりの有効活用をしていなかったのはなんだかもったいない感じ。 ヴァンダル族はポーランド人で、スラブ人は農民階級が中心で支配者階級には他民族が立つような習性でもあったのかな
スキタイ時代はスラブ人は農耕スキタイなどと言われていたし、ヴァンダル族は支配階級がゲルマン人だったようだし、ドナウブルガールは支配階級がトルコ系で下々はスラブ人だった
古代のルーシーも支配階級はノルマン人だった このスレッドは1000を超えました。
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