ムハンマド・アリーって凄いよな
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エジプト人じゃないのにオスマンの副司令として頭角を現し最終的にエジプトの総督となりエジプトに富国強兵を推し進めたことによってエジプトの父として未だに語り継がれるんだもんな ムハンマド・アリーを歴史の闇に葬りハッサン・アル・バンナーやサイード・クトゥブを召喚したアッラーフは罪深い 最終的に、勢力伸長を危険視したイギリスの介入によりその富国強兵策は頓挫したが、エジプトのオスマン帝国からの事実上の独立を達成し、その後のエジプト発展の基礎を築いた。
またブリカスか エジプト総督ってことは、独立したわけじゃないんだな エジプト5大英雄
ラムセス2世
クレオパトラ
サラディン
バイバルス
ムハンマドアリー >>10
ほぼ独立目前だったのを、
オスマン帝国に肩入れしたイギリスが邪魔してオスマン帝国下の副王に落ち着いた 南はスーダン、東はシリア、北はギリシャ独立運動鎮圧のためギリシャにまで遠征してる
エジプト屈指の英雄
アルバニア人だけど >>15
イギリスまじでウザすぎやな
今までの報いとして英連邦解体した方がええな イスラーム主義の文脈からはナポレオンと同じ侵略者あつかい >>21
アルバニア人は今でも7割ぐらいがイスラム教徒で、
ムハンマド・アリー自身もイスラム教徒だけど侵略者扱いなの? アラブ民族主義とかの観点ならどうなんだろうか
そもそもトルコ人に支配されてたから関係ないか 英雄だけど、その後はイギリスの植民地になったんだよな? ナセルが革命起こさなければ、エジプト王政続いてたかも 汎アラブ主義はなぜ成功しなかったのかな
同じアラブ人同士、団結するわけにはいかなかったのか? >>27
ナセルによれば「アジアには日本があったが、アラブには日本がなかった」からだそうな >>12
後世にはナセルサダトムバラクの現代エジプト三傑からランクインする奴が出るのだろうか シリア内戦もリビア内戦も、エジプトが汎アラブ主義に基いて併合すればいいのに
やらないってことは、そう言うのはもう流行らないんだな >>27
ネーションを束ねる意味での"アラブ人"なんていう民族は存在しない
アラビア語の話し言葉は地域で全然違う
文語のクルアーンを読誦できるくらいしか共通点がない
イスラームだから一緒になれるはず、という幻想
非ムスリムの有力な宗教民族集団(コプト、アッシリア人)や非アラブの民族(クルド)が歴史的に根を張っちゃってる地域を統一しようなんて不可能
アジアが仏教と漢字をもとに東南アジアから中国、朝鮮半島、日本をひとつの国民国家にまとめられると考えるくらいの誇大妄想に近いのが汎アラブ主義 ムハンマドアリー朝は
・開祖がアラブ人じゃない
・途中からオスマン家に忠誠を誓う(クリミア戦争でオスマン帝国側に立って参戦、オスマン家と婚姻関係を結ぶ、ムハンマドアリーの子孫はオスマン帝国の大宰相になる)
・支配層はトルコ系、バルカン系(アルバニア、ボスニア)、コーカサス系(チェルケス、チェチェン)
・アラブ人の反乱を弾圧する
・WW1前後にオスマン帝国寄りの姿勢を見せてイギリスに併合される
・最後はアラブナショナリスト将校に追放される
っていう、オスマン帝国から離れているような離れていないような中途半端な状態で
アラブ人は完全に脇役の歴史だからエジプトアラブ人が思いを寄せる理由は何一つないだろう 結局、オスマン帝国の一部で終わったか
でも、明清帝国の550年間を通して、朝鮮ではそんな人物が1人も出なかったことを考えると、やはり歴史的な意義は大きい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています