【双頭の鷲】ビザンツ帝国総合スレ11【東ローマ】
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一千年に及ぶ繁栄・衰退を誇ったビザンツ帝国史について語りましょう。
基本はsage進行。バルバロイによる荒し、煽りは適当に無視して下さい。
現代トルコ・ギリシャの話はできるだけ他所でやってください。
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【栄光の】ビザンツ帝国総合スレ11【東ローマ】
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1409377933/ 何故芸術が東ローマであそこまで衰退したのか謎だ
コインの刻印とか落書きレベルだし
古代ギリシャローマの彫刻とかたくさん残ってたろうにな ユダヤは教会の絵画も像も同じで全部偶像だというし、イスラムもそういうスタンス
この2つに狙われたら恐怖だな >>167
イスラム進出後の東ローマを文明というべきなのか
単なるローカルな中堅国というイメージ
西ゴートもランゴバルド時代もフランク帝国も金印勅書以前の神聖ローマにも
ロクな建築物は残ってない
西欧もビザンツも中世中期頃まではずっとそんな感じ
唯一コルドバに大建築が生まれたがあれはイスラム文明圏のもので北アフリカの
技術者とかが参加してた
中世後期に入ると大聖堂がいくつもできはじめた西欧とくらべ東ローマは凋落の一方
文明どころか単なる地方文化
東方に大建築をつくる能力がなかったわけではないことは、オスマンが東地中海を統一してから
アヤソフィアを並みの大建築がいくつもつくられたことからわかる >>171
中世西欧文明 単行本 – 2007/12/1
ジャック・ル ゴフ (著
というくらいだからビザンツも文明であってもおかしくない イスラムにとってはコンスタンティノープルは予言によって破壊する対象であって
とっちゃったらもうどうでもいいんじゃないだおるか 十字軍からの奪還後のコンスタンティノープルってどれくらい栄えてたんだろうか
取るに足らない規模の都市にまで落ちぶれてたりはしない? >>173
重要性は理解した上で異教時代の建物を破壊するのだ カルタゴや大坂と同じ >>173
逆にアッカドやアッシュール、ニネヴェ、
ティルスみたいに国が滅んだ後、新政権に
再建されなかった都市の方が少ないだろ >>176
マリ、エブラ、バビロンは放棄されたな
ティルスはイザヤ書によると70年放棄されてその後小規模で再建とある
中東地域は人が作るもんだから放棄されやすいのか
ユダヤの教えで廃墟に立ち入ってはならないって教えが関係してるのか >>177
再建されたのですか!失礼しました
中東地域はアンティオキア、ダマスカス、
エルサレム、アレキサンドリア等古代からの
歴史がある都市が多いから放棄された都市の方が
少ないような感じですが バビロンは近場にセレウキア作ったから廃れたわけで
セレウキア対岸のテースフォーンとバグダードも同じ関係
逆に言えば「そこらへん」にある大都市機能の需要は変わってない
ニネヴェ対岸のモスルだって今もイラクの主要都市だし メソポタミアの場合、川の流路の移動で廃絶した都市も多そう >>168
ユスティニアヌスでさえもう彫刻じゃないからな
彫刻家もういなくなってたと思われ 十字軍がアラブに伝えられていたアリストテレスなどの諸学問を持って帰ってきてそれがルネサンスに影響を与えた
という話なのだがギリシャの本家本元のビザンツでは当然プラトンやアリストテレスの学問は保全されている ビザンツと西欧に交流がないではないのに何故わざわざアリストテレスがアラブ経由になったんだろう
アラブ語からラテン語に訳するよりギリシャ語からラテン語にする方がずっと容易に思えるが >>182
アラブの学者が注釈付けたのも訳したかったとかやないの? 西欧じゃアリストテレスはボエティウスが訳したオルガノンの一部しか伝わってなくて大して評価されてなかった
アリストテレスが俄然評価されるようになったのはイベリア半島の再キリスト教圏化によって発見されたイブン・ルシュドの圧倒的な注解がラテン語に訳されてから
西欧思想界を風靡したアヴェロエス主義に対抗するために教会知識人が源泉のアリストテレスにまで遡って研究しだしたのが西欧のアリストテリズムの深化の始まり ちなみにプラトンが西欧に再導入されたのはもっと後で、教会合同のための皇帝使節団に随行したプレトンがマルシリオ・フィチーノのグループにプラトン哲学を伝授した時
フィチーノがプラトンをラテン語訳した >>185
プラトン本人が自分でも意味不明と言ったティマイオスだけ中世ヨーロッパでも残っていた不思議 十字軍時代に西欧の学者が東方を旅行した時はアリストテレスのアラビア語版が本屋で売ってたと考えられる
これに対して滅亡直前くらいにビザンツを訪問したイタリア学者は修道院の書庫とかで写本を見つけて持ち帰ったようだ
この時期プラトン著作はプレトンが復興させてたので著作の入手は容易だったと思われるがアリストテレスは本格的な
古写本調査が必要だった状態だったので十字軍時代では西欧に写本を持ち帰れなかったのかも知れない あとシチリア王国とかレコンキスタのイベリアではアラビア語がわかる知識人がいて
留学した西欧の学者がアラビア語文献を紹介してもらえた状況があったし
アラビア語文語は殆ど変化してないから同時代の現地人でも読めただろう
これに対しビザンツ滅亡末期にイタリアでビザンツ人が古典ギリシア語を教えていた状況からすると
それなりに学習しなければ古典ギリシア語は読むことができなかったようだから
十字軍時代に東方を訪れた学者が口語ギリシア語で会話できたとしても写本を読みこなすことは
できなかったのかも知れない アラブ人がもってきてくれたものをなんで十字軍のおかげにするのか西欧史観 ギリシャ人は傲慢だったな
ラテン語ではキリスト教教義は精確に表現できないとか舐め腐ってたら何もかも置いていかれたでござるってか
帝国末期だとトマスアクィナスの翻訳を推し進めたり西欧思想を取り入れようという気運があったがメインストリームにはならずに消滅したな 第4回十字軍さえなければ
今でもローマ帝国が保っていた
トルコも最後は一蹴できてた
全てラテン人のせい コンスタンティノープル陥落はイスラムに預言されてるから回避は不可能だよ ユスティニアヌス以外で世界史的に重要なビザンツの人って誰がいる? キエフのように市民を戦わせるようにしたらコンスタンティノープルも防衛できたのにな >>200
市民総出で城壁内の守備をしてたんじゃなかったっけ? >>200
ユダヤ人がアッラーアクバルと叫んで神が鍵をあけたんだよ 八王子に根拠を持つ八王子軍が東京23区を完全に包囲してる状態だったから23区民総動員しても敗北は必至 オスマン帝国がコンスタンティノープルを陥落させた時は、
オルバン砲とか艦隊の山越えとか色々苦心してようやく攻略できた訳だが、
オスマンよりだいぶ兵力が少なかった第4次十字軍は、
どうやってあの難攻不落のコンスタンティノープルを攻略できたんだ? カイホスローが勝って、アレクシオス3世の
ビザンツ+ニケーア帝国攻略が成功していたら、
インノケンティウスやアンナースィルと並び立つ
諸王を操る中世最強指導者の一角として名を馳せただろうに 東ローマの勢力ってクリミア半島まで
及んでたことある? 突厥に使者を送る時はクリミア半島経由だったのかな? いま電子辞書でビザンツ帝国について勉強してる
ただ、どうしても取っつきにくい国だなぁとは感じる…
1,000年続いたのはすごいと思うけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています