中央アジアの歴史
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カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、
東トルキスタン、アフガニスタン、チベットあたりの歴史について語るスレです >>95
ティムールがチャガタイ=テュルク化した元モンゴル貴族の末裔って事言いたいんだろうけど
現在ウズベク人も大半の先祖がチャガタイ=テュルク系なんだから
現在のウズベク人がティムールを先祖縁の英雄とするのは何も間違ってない
これ”ウズベク”って名称だけを見ていちゃもん付けているって言う根本的な間違いだろ
シャイバーニの率いたウズベク族と現代のウズベク人はそもそも系統が違うし ジュンガル王国の文化は、茶を飲む習慣から建築、工芸、文学、学問に至るまで、
チベット文化の影響が強かったな
物質文化の導入では、農業、中継貿易、鉄砲や大砲の製造使用などで、
東トルキスタンのムスリムの影響が大きかった
さらにロシア人やスウェーデン人の捕虜が最新式の火器の製造にあたり、
中国人の職人は綿布、紙、印刷などの工場を作った 中央アジア初となる「雄牛の地上絵」をシベリア南部で発見!ナスカより2000年古い
ロシアとモンゴルの国境に位置するトゥヴァ共和国にて、中央アジア初となる動物のジオグリフ(地上絵)が発見されました。
大きさは3×4メートルほどで、雄牛をかたどっているとのこと。
製作年代は約4000年前の青銅器時代初期と判明しており、最も有名な「ナスカの地上絵」より、2000年以上も古いと推定されています。
発掘調査には、ロシア科学アカデミー 物質文化史研究所(IIMK RAS)、LLCクラスノヤルスク・ジオアーケオロジー(LLC KG)らが参加しました。 >>112
旧版の文庫をまだ持ってるな内容はアップデートされてるのかな 匈奴 モンゴル系
鮮卑 モンゴル系
烏桓 モンゴル系
柔然 モンゴル系
突厥 トルコ系
高車 トルコ系
ウイグル トルコ系
契丹 モンゴル系
これであってる? >>114
鮮卑はトルコ系という説を見た事がある
鮮卑はモンゴル系かトルコ系か、いずれにせよ
それにしては異様に漢化した種族だよな
他の遊牧民族とは志向が違う感じ
通常、モンゴル系やトルコ系には漢化を拒否する傾向を感じるし、だからこそ習近平ら中国共産党指導部も迫害する訳で 鮮卑
https://i.imgur.com/j8menVl.jpg 69頁
アジア北部のモンゴル系遊牧民族。
2世紀なかばに一時統一され、再び分裂、
4世紀後半拓跋氏の北魏が部族を統一した。 豊かな中国大陸で3K業務を引き受けてくれる人が遊牧民だったってだけ >>120
漢人は3Kじゃなくて2K(汚い・カッコ悪い)どまりだ 今更ながら乙嫁語りを読んでこの地域にハマったのでおすすめの書籍などあればご教示ください
沢田『匈奴』
ベックウィズ『ユーラシア帝国の興亡』
杉山『モンゴル帝国の興亡』
林『スキタイと匈奴』
小谷『大月氏』
森安『シルクロード世界史』
岡田『世界史の誕生』
とりあえずこのあたりは買ってきました ニュース見ても、クリミア地方の印象が湧かない
カルノフが上半身裸で火を吐くステージのはずだが寒いんだよな >>114
テュルク系な
あとチベット系も網羅しとけよ クリミアタタール人は
モンゴロイドのルーツを持つコーカソイドと言ったところ 🇨🇳 شىنجاڭ ئۇيغۇر ئاپتونوم رايونى
🇰🇬 Кыргыз Республикасы
🇹🇯 Ҷумҳурии Тоҷикистон
🇰🇿 Қазақстан Республикасы
🇺🇿 Oʻzbekiston Respublikasi/Ўзбекистон Республикаси
🇹🇲 Türkmenistan 形質人類学的には紀元前と現在とではかなり違う
トルコ語とイスラム教とモンゴロイドとに征服された地域 カザフスタン北部にはロシア系住民が多く、北カザフスタン州では人口の半分、それ以外の州でも1/3前後を占める(ソ連時代は国全体でみてもロシア系がカザフ人を上回っていたので大幅に減ってはいるが)。
ウクライナと比べて軍事力はかなり劣るし、西側諸国からの支援も地理的に難しい。ドンバスみたいに攻め込まれたらひとたまりもないね。 カザフスタンの首都、アスタナに戻る
アスタナ
2019-22年ヌルスルタン
アスタナ >>130
しかも鉱物資源はウクライナと比較にならないほど豊富 国の規模からみると豊富というだけで、世界経済に占める影響から考えると大したことないんじゃね? タジク人とヤグノブ人は遺伝的に若干異なるらしいね
ヤグノブ人の方が欧州人に近い ロシアとカザフスタンの国境付近で鉄道が入り組んでいるところが何箇所かあるけどソ連崩壊時に境界を見直さなかったのかな? 匈奴をイメージするとき何人を想像したらいいですか? なるほど、トルコではないんですね!
ありがとうございます >>145
カザフもモンゴルもタタルもテュルクの一派だよ
モンゴル人にとってのタタルと中国やロシアにとってのタタルが違っていたりする >>143
モンゴルはもちろんだがバイカル湖あたりに棲んでるロシア人 のイメージもあってもいい気がする
このあたりは匈奴に降伏後の李陵の家があったかもだし ステップ地帯の遊牧民はウクライナからバイカル湖まで移動しているからね
遺伝子上も交流が裏付けられている 混血しすぎていて考え出すとわけわからなくなってくるな… 西に行くほどコーカソイドの血が濃くなり
東に行くほどモンゴロイドの血が濃くなる
南へ行くほどインド系の血が濃くなる モンゴルの研究をしている
北海道大学、弘前大学、東北大学、東北学院大学、岩手大学、
東京都立大学、東京大学、一橋大学、東京外国語大学、早稲田大学、大阪大学、京都教育大学、
広島大学、鳥取大学、九州大学、大分大学
の研究員、講師、助教などの研究者たちに知ってほしい
Yahoo掲示板で、三菱UFJの株で800万円儲けたことを投稿したり、
日経平均レバレッジETFの掲示板で名古屋大学の学生がいたら自らの身分証を見せたり
している、
やたらモンゴルに詳しい研究者がいます。
日本学術振興会は三菱UFJの株で800万円儲ける国立大学教員に科研費を交付するんか?
われわれの血税で賄われている科研費は、研究に使うために交付されるんと違うのか。
科研費をもらいつつ三菱の株で儲けててええんか?
国立大学はそういう教員のためにポストを与えているのか?
真面目に研究している研究者が、そのポストに就いたほうが公益のためになるんと違うか?
三菱株で800万儲けて教授より稼いでる国立大学教員が、
どんな研究しているんや 研究者の投稿
13?14世紀は、ユーラシア大陸を語るに於いて、モンゴル帝国の時代だといってもいいでしょう。彼らは破壊の限りを尽くしたけれど、奇しくもそれが東西交流の発端にもなった。なにせ中東・イスラム文化の殆どを破壊し、果ては今でいうルクセンブルクを超えるぐらいにまで迫るもんだから、欧州文化はこの破壊の疾走に恐怖を覚えたものでしょう。その証拠に当時のローマ教皇は、タタール人をキリスト教に改宗させるために修道使節を派遣しているし、同じくフランス王も懐柔使節を派遣しています。
その甲斐もあったんでしょう、東西交流は矛戟を構えることなく進み、安全が確保されたことから、後のマルコ・ポーロが出てくる地盤が構築されました。
このように、曲がりなりにも交易路というものが獲得されれば、自然と文化の成長変化もあらわれます。
今回特筆しようものは、アジアに於けるその学問で、元の郭守敬はアラブの数学を会得して授時暦という太陰太陽暦を編み出し、これは後の日本で頭角を現し、日本独自の暦を作り、日本初の天文学者とされる渋川春海が考案した貞享暦にもおおいに影響を与えたもので、歴史的発明のひとつといえるでしょう。
しかしながら、元国内に限っては、官吏登用制度である科挙が一時廃止されたこともあって、士大夫(上級官吏)階級の地位が低下したため、中国(元)由来の学問や思想は生じなかったという側面があるものの、政界から離れた知識人が市井郷里に戻ることで、かわりに庶民文化というものが発達し、なかでも趙孟?を原点とする文人画家は、黄公望、倪?、呉鎮、王蒙ら四大家によって漢代発祥とされる宗炳が方向づけた山水画の描法が様式化され、南宋画というものが確立されました。
余談にはなりますが、この中国から伝播した南宋画の模倣から脱却したのが、かの有名な雪舟であり「天橋立図」や「秋冬山水画」などは国宝として今でも国に管理され、日本の絵画史において格別の評価を得ています。
末尾として、もう少しだけ中国文学に触れておくと、日本でも不朽の名作として万人に知られる「水滸伝」や「三国志演義」などの劇場型文学は、その原型が元代にできあがったといわれています。この両作品に共通する傾向は、社稷を蝕む高級官僚に国を憂う正義の英雄たちが挑むも、志半ばで悲劇的な結末を迎えるという内容で一致しており、当時の抑鬱された民衆感情が色濃く出た、わかりやすい作品です。 モンゴルに詳しい研究者「猫准教」とは
https://finance.yahoo.co.jp/cm/personal/history/comment?user=752c60aaa248773c9a72d4218b5e36e46aec205200bc61cf14f147d17dc35a3d
Yahoo掲示板でやっていること
・女性教員を自称
・准教授を自称
・モンゴルに関する自分の考えを投稿
・名古屋大学の学生が掲示板に書き込みをしていたから、みずからの京都大学の身分証の画像を貼る(既に削除済み)
→モンゴル史を専攻している該当の「准教授」は存在していない。講師・助教・研究員については不明。
・個別銘柄である、三菱フィナンシャルグループ(8306)の株式を2023/2/20に売買し、800万円以上の利益を得たスクショを投稿(既に削除済み) https://finance.yahoo.co.jp/cm/message/1160004548/06e849fd4914445c27fed6a7a800b61d/1/2632
13~14世紀は、ユーラシア大陸を語るに於いて、モンゴル帝国の時代だといってもいいでしょう。彼らは破壊の限りを尽くしたけれど、奇しくもそれが東西交流の発端にもなった。なにせ中東・イスラム文化の殆どを破壊し、果ては今でいうルクセンブルクを超えるぐらいにまで迫るもんだから、欧州文化はこの破壊の疾走に恐怖を覚えたものでしょう。その証拠に当時のローマ教皇は、タタール人をキリスト教に改宗させるために修道使節を派遣しているし、同じくフランス王も懐柔使節を派遣しています。
その甲斐もあったんでしょう、東西交流は矛戟を構えることなく進み、安全が確保されたことから、後のマルコ・ポーロが出てくる地盤が構築されました。
このように、曲がりなりにも交易路というものが獲得されれば、自然と文化の成長変化もあらわれます。
今回特筆しようものは、アジアに於けるその学問で、元の郭守敬はアラブの数学を会得して授時暦という太陰太陽暦を編み出し、これは後の日本で頭角を現し、日本独自の暦を作り、日本初の天文学者とされる渋川春海が考案した貞享暦にもおおいに影響を与えたもので、歴史的発明のひとつといえるでしょう。 https://finance.yahoo.co.jp/cm/message/1160004548/06e849fd4914445c27fed6a7a800b61d/1/2633
しかしながら、元国内に限っては、官吏登用制度である科挙が一時廃止されたこともあって、士大夫(上級官吏)階級の地位が低下したため、中国(元)由来の学問や思想は生じなかったという側面があるものの、政界から離れた知識人が市井郷里に戻ることで、かわりに庶民文化というものが発達し、なかでも趙孟?を原点とする文人画家は、黄公望、倪?、呉鎮、王蒙ら四大家によって漢代発祥とされる宗炳が方向づけた山水画の描法が様式化され、南宋画というものが確立されました。
余談にはなりますが、この中国から伝播した南宋画の模倣から脱却したのが、かの有名な雪舟であり「天橋立図」や「秋冬山水画」などは国宝として今でも国に管理され、日本の絵画史において格別の評価を得ています。
末尾として、もう少しだけ中国文学に触れておくと、日本でも不朽の名作として万人に知られる「水滸伝」や「三国志演義」などの劇場型文学は、その原型が元代にできあがったといわれています。この両作品に共通する傾向は、社稷を蝕む高級官僚に国を憂う正義の英雄たちが挑むも、志半ばで悲劇的な結末を迎えるという内容で一致しており、当時の抑鬱された民衆感情が色濃く出た、わかりやすい作品です。 タジク共和国東部山中に分布するヤグノブ人がソグド人の子孫 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています