モンゴル帝国3
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かつて世界最大の帝国を築いたモンゴル帝国について語りましょう
前スレ
モンゴル帝国2
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1634554423/
モンゴル帝国のユーラシア興隆史 (多摩大学 2017年度 インターゼミ アジアダイナミズム班) 97ページ
https://www.tama.ac.jp/guide/inter_seminar/2017/2017_asia.pdf
文献研究1
13世紀前半初代 チンギス・カーンの時代 〜モンゴル帝国の樹立と拡張〜
(3)' 絶対服従
虐殺は古来からの戦争のルールであり、モンゴル軍の戦争のやり方がそれまでの戦争と大きく異なったのは、自
分たちが天から世界を支配すべき命令を受けた種族であると確信していたのである。1206年シャーマンである
コゴチエ・テブ・テングリは神がかりになって次の天命を宣言した。「永遠なる天の命令であるぞ。天上には、唯一
の永遠なる天の神があり、地上には、唯一の君主たるチンギス・カーンがある。これは汝らに伝える言葉である。
我が命令を地上のあらゆる地方のあらゆる人々に、馬の足が至り、舟が至り、使者が至り、手紙が至る限り、聞き
知らせよ。我が命令を聞き知りながら、従おうとしない者は、眼があっても見えなくなり、手があっても持てなくなり
、足があっても、歩けなくなるであろう。これは永遠なる天の命令である。」
チンギス・カーンも全モンゴル人もこの天命を堅く信じ、天命に導かれ世界征服に乗り出したのである。チンギス・
カーンの子孫たちも、西ヨーロッパやエジプトの君主に送って降伏を促す手紙の中で、この天命の文句を引用して
いる。この天命を信じるモンゴル人にとって、無条件で降伏しない者は、天に逆らう極悪人であり、極悪人を殺しつ
くすのは、天に対する神聖な義務を果たすことだったのである。 結局、元朝秘史だのみだろ
甲斐武田氏研究における甲陽軍鑑みたいな感じがする元朝秘史 元朝秘史によると、オンカンが弟のエルケ・カラとナイマンのイナンチ・カン
に敗れて西方に逃げた時、弟のジャカガムボは金の国境付近にいたらしい
チンギスがジャカガムボを呼び寄せた頃にメルキトが襲ってきて
セチェ・ベキに援軍を頼んで撃退したという
セチェ・ベキが協力してることから、チンギスの第一次即位
(1189)以降のことだろう
1196年にはオンカンとチンギスがタタルを征討してるから
1189〜1196のことなんだとは思う
元史と元朝秘史しか読んでないけど、聖武親征録とか読めば
分かるのかな? 新元史読んだらオンカンの逃亡は1195年になってたわ
でも出典が分からん
新元史は集史やモンゴル語史料とかも参照してるらしいが、
クルジャ河の戦いが1194年になってたり、ホントに
正しいのか不明
新元史だとオンカンの称号を得てから国を奪われて逃げた
こととなる キヤト氏のカプル・カンが祖元皇帝を称して
元号を定めたって、文字の無いモンゴルとしては
あり得なくね?
漢人の書記とかいたのだろうか? オンカンが1195年に国を逐われたというのは
集史が元ネタのようだ
ウサギの年に西域から帰って来たと書かれているらしい
国を逐われたのはその前年かも知れない 元朝秘史を読んでもモンゴルがいつから
モンゴルと呼ばれたのか分からん モンゴルのアッシリア教会派キリスト教徒はいつまで存続したんだ
いつの間にかチベット仏教一色になっちゃって >>681
遼史の記述では大康10年(1084年)の2月と3月に室韋の萌古国が遼に遣使を派遣とある。 ダヤンカンの妃にモンゴルはイヤな臭いがするボロ服の民
と散々に評されてるな 5世紀の悦般がモンゴル系の柔然と婚姻を結ぼうとした際に
洗ってない衣服や食器をなめる様を見て、こんな犬の国とは
通婚できんと引き返したエピソードそのままだな
モンゴル系は800年近く水を使って食器や衣服を洗わない生活
を続けていた ジャムカの釜茹での水と燃料どっから湧いてきたんやろなぁ 洗ってない食器を舐めるんじゃなくて洗うために舐めるんだろ モンゴル人はとにかく水を汚すのを忌む
だから食器もスープなどを注いで飲んで
きれいにしていたらしい >>677
たしかに、それは話を膨らませ過ぎでありえないだろう。 洗衣院なんて作った女真は意外に
清潔なヤツらだったのかも知れん 元朝秘史で
ダヤンカン「あの鷹のようによだれを流しながら口先を尖らせて
やってくるのは誰だ?」
ジャムカ「我がテムジン・アンダです」
チンギスも出っ歯だったのかよ
つかよだれって・・・ 口笛吹きながら歩いていたのかもしれない
しかも下手だからよだれがダラダラと ダヤンカン「あの後ろから来るのは誰か?」
ジャムカ「心優しきオッチギンです。
早く寝て遅く起きる者です」
何かウケる 健康的な働き者の人間という事だろうか…
文化が違うとニュアンスが難しいな 朝日の後に起きて夕日の前に寝るハメハメハ大王の奥さんも心優しいと歌われていたな ケレイトって何かあると東のモンゴルやタタールじゃなくて
西のナイマンに逃げるよな
ナイマンと同じテュルク系言語を話していたからか?
ナイマンが強力だったのもあるだろうが
オンカンとかはモンゴル語とテュルク語のバイリンガル
だったのだろうか? スーホの白い馬って遊牧民的には評価低そう
色々ありえない、低次元すぎる描写も少なくなかったりで >>703
それは内蒙古自治区シリンゴル近辺のローカル民話。 >>703
それは内蒙古自治区シリンゴル近辺のローカル民話。 チンギス・ハーンが生きていた当時のケレイト部トオリル・ハンの尊称の発音はオンカンじゃなくてワンカンだと思うんだ ジョチがチンギスの実子かどうかって、子孫のDNA検査で
すぐ分かるんじゃね? チンギスハンであることが確定のDNAとジュチであることが確定のDNAってどっかにあるのか?
まあ本当に血が繋がってようと繋がってなかろうと当人たちにはもう関係ないし、歴史にも関係ないだろうけど それでいうならチャガタイがテムジンの実子じゃなかったほうが面白いな
お前が違うのかよ!って タルタル民族とヤマト民族が共闘すべき時期がやってきました エルサレムを攻略しなかったのは単に
聖地とかどうでも良かったからか? キリキアのキリスト教国家はモンゴル軍に協力したらしいね
だからマムルーク朝に恨まれてしつこく攻撃され滅んだ マムルーク朝はバイバルスがキプチャク族出身だから
キプチャク汗国と同盟結んだのか?
当時のハンがムスリムだったのもあるらしいけど アインジャールートってゴリアテの泉って
意味なんだな
ゴリアテが水を飲んだトコなんだろうか?
名前が後世まで残ったのはパレスチナ人の
英雄だったのか? >>719
タールートが軍を率いて出征する時,かれは言った。「本当にアッラーは,川であなたがたを試みられる。誰でも川の水を飲む者は,わが民ではない。だがそれを味わおうとしない者は,きっとわが民である。只手のひらで,一すくいするだけは別だ。」だが少数の者の外,かれらはそれを飲んだ。かれ(タールート)およびかれと信仰を共にする者が渡った時,かれらは,「わたしたちは今日ジャールート(ゴリアテ)とその軍勢に敵対する力はない。」と言った。だがアッラーに会うことを自覚する者たちは言った。「アッラーの御許しのもとに,幾度か少い兵力で大軍にうち勝ったではないか。アッラーは耐え忍ぶ者と共にいられる。」 それからかれらは進んで,ジャールートとその軍勢に見えんとする時,(祈って)言った。「主よ,わたしたちに不屈の精神を注ぎ込んで下さい。わたしたちの足場を固めて,不信心の民に対し,わたしたちを御助け下さい。」
果たしてかれら(タールートの軍勢)は,アッラーの許しのもとにかれらを打ち破り,ダーウードはジャ―ルートを殺し,アッラーは,王権と英知をかれ(ダーウード)に授け,かれのおばしめしに就いて教えられた。 いつも思うがモンゴルの使節って色んなところで殺されすぎだろ
開戦するためにわざとやってんのかってくらい
でも死ぬとわかってる使節なんて誰もなり手がないよな
ムカつく顔してるやつに、何も教えずに、傲慢な手紙もたして、ご褒美やるからこれ渡してこいってやるのか?
事前にモンゴルの使節はスパイだ!って情報を敵に流してから送り出すのか?
悪魔よのー ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています