「光は朝鮮半島から」 兪弘濬 [著] ; 橋本繁訳

A 吉野ヶ里遺跡

一八八四年、東京大学本郷キャンパス付近の弥生という場所で土器が発見された。
縄文土器とは全く異なるものであった。朝鮮半島の無紋土器と似た無紋の土器であった。
その後、こうした種類の土器が日本各地で出土した。
おおよそ紀元後三世紀までの遺跡から出てきたために、この時期を弥生時代と呼ぶのである。

二三〇〇年前、ついに日本列島に文明の光が朝鮮半島から照らされました。
稲作と青銅器文化が朝鮮半島から入ってきたのです。

弥生時代の遺跡からは、慶尚道の弁韓・辰韓時代のものと同じ細形銅剣、青銅鈴、無紋土器が出土しています。
朝鮮半島の三国時代のものと全く同じ半月型包丁が出土しています。鎌もでています。また、牧畜がなされました。

農業を始めると共同作業が必要となり、そのため氏族が集まり、自然に村が生まれて初歩的な社会を構成するようになります。
剰余農産物という富が創出されることで階級が生まれ、略奪と戦争が起きることで氏族が連合して部族国家に発展していくのは、人類史の普遍的な足跡そのものです。
それを文明の段階的発展過程といいますが、そのすべてが朝鮮半島の渡来人がもたらした稲作と青銅器文化から始まりました。

日本が文明の恵みを受けて弥生時代を開いていったことを証言する場所が、まさに吉野ヶ里遺跡です。