日本の古代史 Part37
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前スレ
日本の古代史 Part36
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/archeology/1493122707/ わお〜わお〜わお〜
>>204
>まず気候が全然違うし、その他の自然環境も違うから、数百年も経てば 北方アジアにいたときの形質そのままではいられないと思うんだわ。
↑
新モンゴロイドが極度の寒冷・乾燥化に適応して獲得した形質が、たかだか数百年で南方形質に勝手に戻るのなら、南下先の沿海州や朝鮮半島でもその後の温暖化で、とっくに北方形質が少なくなっているだろ
これこそ、証拠遺物と関係のないマンガチックでむぱ頭脳なのではないかね??ww
よくわかったか?
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月笑い >>205
全然分かりません。
で、1000年も経たない間では形質が変わらないという証拠は?
で、1000年も経たない間では形質が変わらないなら、
どうして筑紫野、佐賀、小郡の間、福岡、春日、土井ヶ浜の間にはズレが
発生してるんですか?
で、第2波・第3波弥生人が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる外来系土器とその外来系土器に対応するあちら側の土器は?
早く言えよ出雲が津雲のマンガチックでむぱ頭脳の方w わお〜わお〜わお〜
>>206
>まず気候が全然違うし、その他の自然環境も違うから、数百年も経てば 北方アジアにいたときの形質そのままではいられないと思うんだわ。
↑
新モンゴロイドが極度の寒冷・乾燥化に適応して獲得した形質が、たかだか数百年で南方形質に勝手に戻るのなら、南下先の沿海州や朝鮮半島でもその後の温暖化で、とっくに北方形質が少なくなっているだろ
これこそ、証拠遺物と関係のないマンガチックでむぱ頭脳なのではないかね??ww
よくわかったか?
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月笑い >>202>>206
仮に渡来人骨が二つに分かれるからと言って、第2波・第3波弥生人があった事を どう証明するの?
じゃあ逆に、
二つに分かれるからと言って、第2波・第3波弥生人があったわけではないことを証明してください フルボッキさん わお〜わお〜わお〜
>>206
>で、1000年も経たない間では形質が変わらないなら、どうして筑紫野、佐賀、小郡の間、福岡、春日、土井ヶ浜の間にはズレが 発生してるんですか?
↓
もともと別の渡来元の2種族が個別に渡来したか、同一渡来種族であってもなぜか一方が在来縄文人と和合して混血を多く残したか、このどちらかだろう
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn3/003_05/kamekannbo_no_yayoijinn338.jpg
よくわかったか?
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月笑い >>208
フルボッキさんではないが、
第2波・第3波弥生人があった事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる外来系の生活土器がない事自体が証明です。 >>209
混血したなら劣化も経年変化もしてる事になるじゃないのw
で、別の渡来元の2種族が個別に渡来した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる外来系土器とその外来系土器に対応するあちら側の土器は?
出雲が津雲のマンガチックでむぱ頭脳の方w >>210
え?
第2波・第3波弥生人があった事を証明する証拠遺跡がないという証拠は?
あと、その生活痕たる外来系の生活土器の証拠遺跡がないという証拠はどこなの?
しかもそれでなんで弥生人が来てないなんていう証拠になるの?馬鹿なの? わお〜わお〜わお〜
>>211
>混血したなら劣化も経年変化もしてる事になるじゃないのw
↓
さりげなくこれまでの主張を変えようとするなよ
バレバレだぞww
お前が他言を許さず排除して、長年言い続けてきたのは、混血説ではなくて民族置換説だろ
見事に、盛大に、否定されたお前の民族置換説の前提条件はコレだから
↓
>>151
「日本列島が全くの無人だったとして、アムール沿海州の少数民族のナナイを日本列島に100人投入して生活させて、1000年後、彼らの形質は全く同じだと思うか? 」
よくわかったか?
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月笑い >>212
じゃあ、第2波・第3波弥生人があった事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる外来系の生活土器が一体どこにあるんですか?
どこどこ?
今すぐ提示して見せなさい。
すっかり待ちくたびれているんだが。
それに弥生人が渡来定着していないなんて俺は一言も言ってないが。
確かに縄文晩期の第1波弥生人だけは確実に渡来定着しているな。
彼らが渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる外来系生活土器の生産が西日本中にあり、その土器に対応する土器が
同期する沿海州南西部にある訳ですから立証できてますからね。 >>213
逆に混血なしとして、1000年程度では渡来人の形質は全く変わらないという証拠は?
で、別の渡来元の2種族が個別に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
それらの生活痕たる外来系生活土器とそれら土器に対応するあちら側の土器は?
出雲が津雲のマンガチックでむぱ頭脳の方w わお〜わお〜わお〜
>>215
>逆に混血なしとして、1000年程度では渡来人の形質は全く変わらないという証拠は?
↑
北方形質が過多の沿海州人の存在そのものが証拠というわけだ
新モンゴロイドが極度の寒冷・乾燥化に適応して獲得した形質が、たかだか数百年で南方形質に勝手に戻るのなら、南下先の沿海州や朝鮮半島でもその後の温暖化で、とっくに北方形質が少なくなっているだろ
>逆に混血なしとして
↑
これだけ同じ説に固執して、長年わめき続けてきたのだから、今さら完全に破綻した沿海州人による民族置換説を捨てられるわけがなかろう
みんなずっと見てきたからなww
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月笑い わお〜わお〜わお〜
>214
>確かに縄文晩期の第1波弥生人だけは確実に渡来定着しているな。
↑
後のち混乱しないように訂正しといてやるよ
>>100の文献、『核DNA解析でたどる日本人の源流』の定義では
第1波が縄文人
第2波が縄文晩期からの弥生人
第3波が弥生・古墳時代の北方渡来人
の3タイプだから
よくわかったか?
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月笑い >>214
おまえの個人的な願望意見はよく分かったから、
で、第2波・第3波弥生人があった事を証明する証拠遺跡がないという証拠はどこ?
それとその生活痕たる外来系の生活土器の証拠遺跡がないという証拠はどこなの?
あと、それでなんで弥生人が来てないなんていう証拠になるの?
はやく言えよ、このスレ荒らしの常習犯フルボッキが >>216
じゃあ、混血なしとして、1000年程度では渡来人の形質は全く変わらない
という証拠はおまえの私見だけで、その証拠はない訳だ。
それに俺は渡来してから列島内で増えていったと考えているだけで
民族置換説じゃないがな。
>>217
プ
ここは考古学板だぞ。
遺伝学の話がしたいなら、人類板や生物板でやれよ荒らし。
だいたい遺伝子屋の斉藤の図表は北方アジア抜きで中国朝鮮しか調査してない
片手落ちの調査結果じゃないか。
まともな調査結果など全然期待できないね。
弥生・古墳時代の北方渡来人って、今さら騎馬民族か?wwww >>218
悪いが、俺は馬鹿は相手にしないんでw
一人で踊っててくださいw >>220
で、第2波・第3波弥生人があった事を証明する証拠遺跡がないという証拠はどこ?
それとその生活痕たる外来系の生活土器の証拠遺跡がないという証拠はどこなの?
あと、それでなんで弥生人が来てないなんていう証拠になるの?
はやく言えよフルボッキ わお〜わお〜わお〜
>>219
>それに俺は渡来してから列島内で増えていったと考えているだけで 民族置換説じゃないがな。
だからみんなずっと見てきたと言っただろうに w
これは一体どなたのご高説でしたっけ??
あー恥ずかしいww
↓
>弥生人は海賊集団だから縄文人に取り入れられるような大人しい人たちではなかったと思います。
>やはり乗っ取りに近い事が弥生開始頃にあって、九州北部は弥生人の入植地になっていった。
旗色が悪くなったらといって、今までわめき散らした自説を曲げるなよww
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い >>222
自説を曲げるどころか、まったくそこに書いてある通りだと思うが。
渡来系弥生人は海賊集団だから縄文人に取り入れられるような大人しい人たち
ではなかっただろうし、やはり乗っ取りに近い事が弥生開始頃にあって、
九州北部は渡来系弥生人の入植地になっていった。
そうでなければ九州北部の大部分が渡来系人骨を持つ渡来系弥生人のテリトリーに
なり、縄文系人骨を持つ縄文系弥生人のテリトリーが九州北西部以西
になった説明ができない。
この部分は『考古学的事実』だから嘘を書いたってどうしようもない。
そして、それは渡来系弥生人と縄文系弥生人が居住地を異にしていた考古学的事実
とも合致する。
そうして渡来系弥生人たちは西日本中に拡散しドンドン増えていった。
だが、そんな状況がいつまでも続く訳がない。
古墳期頃から徐々に渡来系弥生人と縄文系弥生人は交雑し、今の日本人種の青写真が
出来上がっていった。
そもそも民族置換などできる訳がない。 わお〜わお〜わお〜
>>223
>自説を曲げるどころか、まったくそこに書いてある通りだと思うが。
↑
やっぱり、そうだよなw
旗色が悪くなったって、これまで散々わめき散らした意見を100%反転させたら、この板に居れなくなるもんなーww
つまりおまえの説では、「弥生期の渡来は民族置換的で、古墳期になってから混血が始まった」としているわけだ
↑
ところで、この説のどこが一体『考古学的事実』と言えるのかね??ww
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い >>225
自説を曲げるどころか、まったくそこに書いてある通りだと思うが。
渡来系弥生人は海賊集団だから縄文人に取り入れられるような大人しい人たち
ではなかっただろうし、やはり乗っ取りに近い事が弥生開始頃にあって、
九州北部は渡来系弥生人の入植地になっていった。
そうでなければ九州北部の大部分が渡来系人骨を持つ渡来系弥生人のテリトリーに
なり、縄文系人骨を持つ縄文系弥生人のテリトリーが九州北西部以西
になった説明ができない。
この部分は『考古学的事実』だから嘘を書いたってどうしようもない。
そして、それは渡来系弥生人と縄文系弥生人が居住地を異にしていた考古学的事実
とも合致する。
そうして渡来系弥生人たちは西日本中に拡散しドンドン増えていった。
だが、そんな状況がいつまでも続く訳がない。
古墳期頃から徐々に渡来系弥生人と縄文系弥生人は交雑し、今の日本人種の青写真が
出来上がっていった。
そもそも民族置換などできる訳がない。 わお〜わお〜わお〜
>>226
>自説を曲げるどころか、まったくそこに書いてある通りだと思うが。
↑
やっぱり、そうだよなw
旗色が悪くなったって、これまで散々わめき散らした意見を100%反転させたら、この板に居れなくなるもんなーww
つまりおまえの説では、「弥生期の渡来は民族置換的で、古墳期になってから混血が始まった」としているわけだ
↑
ところで、この説のどこが一体『考古学的事実』と言えるのかね??ww
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い わお〜わお〜わお〜
>>228
>で、何が言いたいの?
おまえの説「弥生期の渡来は民族置換的で、古墳期になってから混血が始まった」
↑
しかし、見事に、盛大に、破綻している ww
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い >>229
おまえがいつも笑ってるのは虚勢を張ってるからだよなw
そうじゃないと頭の悪さが見透かされてしまうからw
もう気が済んだか?
そろそろバカニュース板に帰れ。 わお〜わお〜わお〜
>>230
考古学を一から学び直した方がいいのではないでしょうか??w
↓
『土井ケ浜遺跡の発掘調査をおこなった人類学者の金関丈夫は、土井ケ浜弥生人を「渡来者と在来者との混血者」と考えた。金関は、縄文人と渡来者とが混血して、日本人になったと推測したのである。この仮説を「渡来混血説」という。』(土井ケ浜遺跡・人類学ミュージアム)
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い >>231
混血もあったんだろうけど、そもそも土井ヶ浜あたりに縄文人は
そんなに居なかったんじゃないか? わお〜わお〜わお〜
>>226
ではお得意の『考古学的事実』で勝負してやんよーww
>>102
縄文人の遺伝子を強く引き継いだ出雲人とは、いったいどのような種族でしょう?
弥生前〜中期には、宗像以東の玄海灘・響灘・日本海沿岸地方に『綾羅木文化人』がおりました
http://stat.ameba.jp/user_images/20150720/10/shimonose9m/7f/46/j/o0480023113371115660.jpg
この『綾羅木文化人』の考古学的遺物には、以下の特徴があげられる
・貝殻施紋を施した綾羅木式土器
・腕に装着した貝輪
・墓式は甕棺墓ではなく、石棺墓や土壙墓
・土笛
など >>233
綾羅木式土器は前池式に始まる山陰系刻目突帯文土器に後続する土器文化だろ。
もろ渡来系だわ。
貝の腕輪。
もろ渡来系だわ。
渡来系人骨の土井ヶ浜弥生人たちの腕を飾っていたのは貝の腕輪。
以前、北海道南部で渡来系人骨と思しき弥生人骨が出土したので、骨屋の松下孝幸が
現地に駆け付けて、さっそく骨を見たところ、土井ヶ浜弥生人骨そのものの人骨で、
腕にはトレードマークの貝の腕輪が。
「これは土井ヶ浜弥生人骨ですよ。」
と思わずその場で呟いていたそうな。
彼らは沖縄の南洋貝ゴボウラを腕輪に加工して、北海道南部まで舟で
行商していたのである。 >>235
もろ渡来系です。
その頃、あなたの祖先は九州北西部以西で、わおわお叫んでらっしゃった。
俺の祖先もかもしれんがw わお〜わお〜わお〜
>>234
>彼らは沖縄の南洋貝ゴボウラを腕輪に加工して、北海道南部まで舟で行商していたのである。
↑
↓
>>226
>「渡来系弥生人は海賊集団だから縄文人に取り入れられるような大人しい人たちではなかっただろうし、やはり乗っ取りに近い事が弥生開始頃にあって、九州北部は渡来系弥生人の入植地になっていった。 」
海賊集団が周辺地域を制圧もできずに、わざわざ北海道まで行商してたんか??ww
で、一体北海道の誰に、商いしてもらってたん??
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い >>237
北海道南部なら、今のアイヌの祖先の縄文系弥生人に行商していたんだろうな。
そこで昆布と交換。
その昆布を沖縄でゴボウラと交換。
土井ヶ浜で腕輪に加工。
日本各地で貝の腕輪を行商。 わお〜わお〜わお〜
>>238
>>234
>彼らは沖縄の南洋貝ゴボウラを腕輪に加工して、北海道南部まで舟で【北海道の縄文系弥生人に取り入って】行商していたのである。
↑
↓
>>226
>渡来系弥生人は海賊集団だから縄文人に取り入れられるような大人しい人たちではなかった
かなり香ばしい展開だなあww
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い わお〜わお〜わお〜
>>238
で当時、彼らの交易相手の何%が一重まぶたで、何%が二重まぶたなん??ww
早く答えろ
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い わお〜わお〜わお〜
>>238
>【北海道の縄文系弥生人に取り入って】昆布を行商していた
↓
のであれば、
↓
【沖縄の縄文系弥生人にも取り入って】コボウラ貝を行商していたのではないのかね??ww
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い >>241
逆だろ。
北海道南部の縄文系弥生人にはゴボウラの腕輪の行商で、沖縄の縄文系弥生人には
昆布などの日本各地の名産品の行商。
沿海州から山陰に直接舟でやって来てしまう人々だぞ。
沖縄から北海道南部まで舟で行商する事なんて大した事ではなかったのである。
沖縄以外の日本各地にはゴボウラの腕輪の行商だが、ゴボウラの供給地の沖縄には
日本各地の名産品が運び込まれ、ゴボウラと交換された。
このときに土井ヶ浜弥生人の遺伝子もまた、日本各地に落とされていったのである。
この考古学的ノンフィクションの何が笑えるのか、よく分からないが、
一度頭の病院に行く事をお勧めする。 わお〜わお〜わお〜
>>242
で当時、彼らの交易相手の何%が一重まぶたで、何%が二重まぶたなん??ww
早く答えろ
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い わお〜わお〜わお〜
>>242
逆だろ。
仕入れ品と売り込み品を逆に言っているだけのこと
>>242
>このときに土井ヶ浜弥生人の遺伝子もまた、日本各地に落とされていったのである。
↑
あー恥ずかしいww
それが実態なら、弥生初期から混血が拡散していくではないか
>>227のおまえの説「弥生期の渡来は民族置換的で、古墳期になってから混血が始まった」 が、見事に、盛大に、破綻しているぞ
縄文人に取り入れられない海賊集団は、一体どこに消えっちゃったんだい?ww
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い わお〜わお〜わお〜
>>242
>沖縄から北海道南部まで舟で行商する事なんて大した事ではなかったのである。
↑
渡来人を待たずしても、宗像の鐘崎縄文人の時代から、ベンケイ貝の腕輪の交易など、大した事ではなかっただろw
http://stat.ameba.jp/user_images/20150624/19/shimonose9m/4e/38/j/o0480036013346793138.jpg
「ベンケイガイ製の貝輪は道内では噴火湾沿いの縄文遺跡で多数発見されているほか、道南の戸井貝塚からも発見されています。北海道にベンケイガイが生息していた確証がなく本州方面から運ばれてきたものと考えられています。」(北海道庁)
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い >>244
行商で遠方に土井ヶ浜弥生人の遺伝子は落とされていったが、山陰から九州北部の
渡来系弥生人は弥生期にあまり混血が進まなかったんじゃないかな?
言葉も違うだろうし、居住地も別なんだから、あまり混血が進んだとは思えない。
中国地方なんかは3000年経った今でも朝鮮人より若干、アムール沿海州の北方民族に
形質が近くなっていて、当時の名残が垣間見える。
混血が進み切った今日でさえ、日本人の形質は一様ではないのだ。
3000年前、2000年前は渡来形質そのものの地域だっただろう。 わお〜わお〜わお〜
>>246
>>242
>このときに土井ヶ浜弥生人の遺伝子もまた、日本各地に落とされていったのである。
↑
あー恥ずかしいww
それが実態なら、弥生初期から混血が拡散していくではないか
>>227のおまえの説「弥生期の渡来は民族置換的で、古墳期になってから混血が始まった」 が、見事に、盛大に、破綻しているぞ
縄文人に取り入れられない海賊集団は、一体どこに消えっちゃったんだい?ww
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い わお〜わお〜わお〜
>>247にまともに答えられないようなので先に行くww
それでは、沖縄の南洋貝ゴボウラを腕輪に加工して、北海道南部まで舟で行商していた主役の種族は誰だったのでしょう?
↓
石棺墓に埋葬されゴボウラ貝の腕輪をつけた小柄な人骨が発掘される
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/35106
本当に小笑い >>247
あのな中卒、土井ヶ浜遺跡は弥生後期の遺構だぞ。
>>248
土井ヶ浜弥生人。 わお〜わお〜わお〜
>>249
中卒はおまえじゃww
土井ヶ浜弥生人の遺伝子とは、綾羅木文化人の遺伝子ではないのかね??
それでは、弥生後期以前のゴボウラ貝の行商は、一体誰が行っているのかね??
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い わお〜わお〜わお〜
>>249
中卒はおまえじゃww
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ゴホウラ
「弥生時代初期から九州北部などでゴホウラの殻を縦切りにして製作した貝輪が盛行し、当時の権力者(主に男性)のステータスシンボルであったと考えられる。」
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い >>250
もちろん土井ヶ浜弥生人は、前池式刻目突帯文土器文化人、
それに後続する山陰系刻目突帯文土器人、それに後続する綾羅木文化人を
祖先としているはずですよ。
ゴボウラの貝の腕輪の行商は土井ヶ浜弥生人です。 わお〜わお〜わお〜
>>252
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ゴホウラ
「弥生時代初期から九州北部などでゴホウラの殻を縦切りにして製作した貝輪が盛行し、当時の権力者(主に男性)のステータスシンボルであったと考えられる。」
>弥生時代初期から
>弥生時代初期から
>弥生時代初期から
それではもう一度聞くが、弥生後期以前の綾羅木文化人が着けたゴホウラ貝の行商は、一体誰が行っているのかね??
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い >>253
初期と言うほどでもない。
九州北部でゴホウラの腕輪が出土するのは弥生前期中頃からの金隈遺跡。
ゴホウラの腕輪の行商は弥生後期だから土井ヶ浜弥生人。 わお〜わお〜わお〜
>>254
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ゴホウラ
「弥生時代初期から九州北部などでゴホウラの殻を縦切りにして製作した貝輪が盛行し、当時の権力者(主に男性)のステータスシンボルであったと考えられる。」
>弥生時代初期から
>弥生時代初期から
>弥生時代初期から
それではもう一度聞くが、弥生後期以前の綾羅木文化人が着けたゴホウラ貝の行商は、一体誰が行っているのかね??
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い わお〜わお〜わお〜
>>254
『考古学的事実』というのは残酷なものだねえw
それでは、沖縄の南洋貝ゴボウラを腕輪に加工して、北海道南部まで舟で行商していた主役の種族は誰だったのでしょう?
↓
石棺墓に埋葬されゴホウラ貝の腕輪をつけた小柄な人骨が発掘される
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/35106
>石棺墓
>貝輪
>小柄な人骨
本当に小笑い >>255
土井ヶ浜弥生人の祖先の渡来系の綾羅木文化人だろ。
>>256
土井ヶ浜弥生人だな。
2000〜1500年前の遺構との事だから、歴博年表で弥生時代後期〜古墳時代中期頃の
遺構。
ゴホウラを買い取りに来た土井ヶ浜弥生人からもらったか、土井ヶ浜弥生人に
影響を受けた沖縄の古代人だろうな。 わお〜わお〜わお〜
中卒はおまえじゃww
>>257
>土井ヶ浜弥生人の祖先の渡来系の綾羅木文化人だろ。
↑
あー恥ずかしいww
それが実態なら、弥生初期から混血が拡散していくではないか
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い わお〜わお〜わお〜
『考古学的事実』というのは残酷なものだねえw
>>257
>ゴホウラを買い取りに来た土井ヶ浜弥生人からもらったか、土井ヶ浜弥生人に影響を受けた沖縄の古代人だろうな。
↑
石棺墓に埋葬されゴホウラ貝の腕輪をつけた小柄な人骨が発掘される
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/35106
>石棺墓
>貝輪
>小柄な人骨
沖縄の古代人がこれまで石棺墓に貝輪をつけた状態で見つかっているのかね??
本当に小笑い 綾羅木はもろ渡来系だから
出雲人縄文人と同じとは思えんな。
常に縄文人側が先住民として優位で
渡来人の技術や文化を摂取して今に繋がってると思うけどなぁ。
置換というより融合的というか
まあ穏当にいうと初期から混血が進んだというか。 山陰とか、縄文人が少ない場所だというのも、渡来系の人口を伸ばすのに寄与したと思われ。 わお〜わお〜わお〜
>弥生人は海賊集団だから縄文人に取り入れられるような大人しい人たちではなかったと思います。
↓
↓
>>260
>置換というより融合的というか
まあ穏当にいうと初期から混血が進んだというか。
何だか、540度意見が変節したように思えるのは俺だけか?w
ほとんどおまえと俺で意見やり取りしてるんだから、もう少し付き合って
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
>>254
それでは、ゴホウラ貝と同じく沖縄南洋貝のイモガイを腕輪に加工して、北海道南部まで舟で行商していた主役の種族は誰だったのでしょう?
本当に小笑い 260は俺じゃないがな。
容貌も言葉も違う人々なんだから、簡単に交雑したとは思えんがな。 わお〜わお〜わお〜
>>264
>260は俺じゃないがな。
↑
やっぱり、そうだよなw
旗色が悪くなったって、これまで散々わめき散らした意見を100%反転させたら、この板に居れなくなるもんなーww
おまえの説は、「弥生期の渡来は民族置換的で、古墳期になってから混血が始まった」だもんなー
マンガチックでむぱ頭脳の証拠遺物の方w
本当に正月から大笑い わお〜わお〜わお〜
>>264
それでは、ゴホウラ貝と同じく沖縄南洋貝のイモガイを腕輪に加工して、北海道南部まで舟で行商していた主役の種族は誰だったのでしょう?
本当に小笑い わずか数人から数十人という規模で沿海州から渡来してきた人々が渡来当初から
縄文人と交雑して消えてたなら、その後の数千体もの出土した渡来系人骨は
一体何なんだって話だよね?
それに北海道から沖縄まで存在している約4割の一重まぶたの日本人は
一体何なんだって話だろ。 >>266
弥生前期半ば以降の九州北部・山陰の渡来系弥生人。
土井ヶ浜弥生人のみならず、九州北部も南洋貝の腕輪の流行があるから、
この表現の方が適切か。 わお〜わお〜わお〜
>>264
>弥生前期半ば以降の九州北部・山陰の渡来系弥生人
↑
で、彼らは誰のために、わざわざ南洋産イモガイの貝輪を遠距離行商したん??
一重まぶた?二重まぶた?ww
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
>>257
>ゴホウラを買い取りに来た土井ヶ浜弥生人からもらった
↑
行商の取り引き相手ではなく、わざわざ「もらった」と表現したのは、遠距離輸送や加工のコストを上回るそれなりの規模の縄文社会側の購買ニーズが存在することを認めたくたくないからだろ
ましてや、本土の縄文社会との商取引があれば、それ自体が彼らとの和合を意味するからな
本当に小笑い >>270
沖縄では貝の腕輪の風習が見られなかったから、一点出た事でクローズアップされて
記事になってるんだろうに。
例外を出してもしょうがない。
貝の腕輪の行商は九州以北の縄文系弥生人に対してだろ。
それはファッションなどの文化の中心が当時は渡来系の九州北部・山陰にあった
事を意味している。
奈良盆地の邪馬台国が勢力を拡大してくるまでは。 わお〜わお〜わお〜
>弥生人は海賊集団だから縄文人に取り入れられるような大人しい人たちではなかったと思います。
↓
↓
>>271
>貝の腕輪の行商は九州以北の縄文系弥生人に対してだろ
何だか、510度意見が変節したように思えるのは俺だけか?w
はじめて弥生期の縄文人との商取引を通じた共生関係は認めたわけだな
↑
しかしそれが実態なら、弥生初期から混血が拡散していくではないかw
幕末に英語を喋る行商人のグラバーは、日本人との3人の混血児を残したぞ
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
>>271
>沖縄では貝の腕輪の風習が見られなかったから、一点出た事でクローズアップされて 記事になってるんだろうに。
↑
↓
>貝の腕輪の行商は九州以北の縄文系弥生人に対してだろ。
>石棺墓
>貝輪
>小柄な人骨
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/35106
おまえ以外の人はもう気づいているだろw
この石棺墓の人物が貝輪を好む「九州以北の縄文系弥生人」である可能性を
本当に小笑い >>272
弥生開始から貝の腕輪の行商をするまでに少なくとも400年以上経ってるだろ。
貝の行商を始めたのは拡大路線の一環じゃないか?
いや、拡大路線の中で始めた事かもしれん。
混血はあっても、渡来系から縄文系に対しての一方的なものだけだろうね。
縄文系から渡来系に対するものはほとんど無かったと思われる。 わお〜わお〜わお〜
『考古学的事実』というのは残酷なものだねえw
>>274
>弥生開始から貝の腕輪の行商をするまでに少なくとも400年以上経ってるだろ。
↑
「西北九州では南洋産の貝輪は、ゴホウラ製貝輪が有川町浜郷遺跡、平戸市根獅子遺跡、イモガイ製貝輪が佐世保市宮の本遺跡、五島列島の福江島大浜貝塚・中通島浜郷遺跡・宇久島宇久松原遺跡、オオツタノハ製貝輪が宇久松原遺跡・福江島大浜貝塚などで出士している。
また、埋葬人骨にともなうアワビの副葬列が中通島浜郷遺跡、福江島大浜貝塚で確認された。」
↑
それでは、南洋産の貝輪を加工して、九州以北の縄文貝塚まで舟で行商していた主役の種族は誰だったのでしょう?
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
>>274
>混血はあっても、渡来系から縄文系に対しての一方的なものだけだろうね。
↑
侵略的・民族置換的な海賊集団ではなく、対等な商取引で遠路寝泊まりしていたのなら、父系遺伝子の拡散は対等だろ
本当に小笑い >>275
弥生前期半ば以降の九州北部・山陰の渡来系弥生人。
それらの縄文遺構は歴博年表で見れば、弥生遺構でもあるだろ。
>>276
九州北部・山陰から北海道南部までの日本海沿岸には九州北部・山陰の渡来系弥生人の
植民都市が幾つも置かれただろうね。
沖縄にも置かれたのではないか? わお〜わお〜わお〜
>>277
>弥生前期半ば以降の九州北部・山陰の渡来系弥生人
↑
いや、見事に、盛大に、間違っている ww
>>275
>埋葬人骨にともなうアワビの副葬列が中通島浜郷遺跡、福江島大浜貝塚で確認された。
↑
正解は、九州以北の縄文系弥生人
西北九州と沖縄の海路を掌握して頻繁に行き来しなければ、アワビの副葬列という共通の埋葬習俗も行われるわけがない
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
>>277
>九州北部・山陰の渡来系弥生人の植民都市が幾つも置かれただろうね。
英国人のグラバーがいた長崎の出島は、江戸幕府の出先か、植民都市のどちらだね??w
本当に大笑い >>278
北海道南部の弥生遺構で出土したゴホウラの腕輪を着けて行商していた人骨は
渡来系人骨の九州北部・山陰の渡来系弥生人でした。
で、九州北西部以西の縄文系弥生人が南洋貝の腕輪を行商していた事を
証明する考古学的具体例は?
. わお〜わお〜わお〜
>>280
>で、九州北西部以西の縄文系弥生人が南洋貝の腕輪を行商していた事を証明する考古学的具体例は? わお〜わお〜わお〜
『考古学的事実』というのは残酷なものだねえw
>>280
>で、九州北西部以西の縄文系弥生人が南洋貝の腕輪を行商していた事を証明する考古学的具体例は?
何度も載せているではないか
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/35106
>石棺墓
>貝輪
>小柄な人骨
しかも
>女性 ‼
九州北部・山陰の渡来系弥生人の首長クラスには、女性が多いのかね?男性が多いのかね??
おまえ以外の人はもう気づいているだろうw
この石棺墓の女性が貝輪を好む「九州以北の縄文系弥生人」である可能性を
本当に小笑い >>282
そんな可能性はほとんど無いだろうな。
九州系弥生土器の遺構でもなさそうだし、ふつうはその沖縄の出土人骨は
沖縄の土着の弥生人骨だと解釈されるわな。
沖縄の土着の弥生人骨は九州北西部以西の縄文系弥生人骨よりもさらに小柄で短頭。
詳細は分からないが、小柄だというところから考えて、やはり土着の人骨だろう。 わお〜わお〜わお〜
『考古学的事実』というのは残酷なものだねえw
>>283
>九州系弥生土器の遺構でもなさそうだし
↑
>>280の北海道南部の弥生遺構で出土したゴホウラの腕輪を着けて行商していた人骨の場合は、九州北部・山陰の渡来系土器があったのかね??
また九州北部・山陰の渡来系弥生人の首長クラスは、女性と男性どちらが多いのかね??
いずれにしても、今後この小柄の人骨に>>113の核DNAによる解析が行われて下図の様にプロットされれば、明らかになるであろう
http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/087/img/research/1/p09.jpg
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
『考古学的事実』というのは残酷なものだねえw
>>280
>で、九州北西部以西の縄文系弥生人が南洋貝の腕輪を行商していた事を証明する考古学的具体例は?
さて、そろそろ本命でも出すかw
土井ヶ浜ではなく、西北九州の話だから、九州以北の縄文系弥生人の関与は免れないわけだ
↓
宮の本遺跡
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/宮の本遺跡
「8体の女性は左手首にイモガイの腕輪をつけて埋葬されていた。
弥生時代から宝物として珍重されていたイモガイは、南西諸島原産であるにもかかわらず、宮の本独自の加工が施された物が、北海道の有珠10遺跡でも発掘されており、宮の本が貝の東シナ海流通ルートの中継拠点だったことが実証された。
その一翼を船で担っていた宮の本弥生人は、内陸弥生人に比べ上腕が発達し、逆に足は華奢だったことも判明した。」
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
『考古学的事実』というのは残酷なものだねえw
>>234
>貝の腕輪。
>もろ渡来系だわ。
↑
いや、見事に、盛大に、間違っている ww
南洋産の貝輪のうち、特にイモガイとオオツタノハ製貝輪は、縄文系弥生人のためのもの
本当に大笑い わお〜わお〜わお〜
>>260
>常に縄文人側が先住民として優位で
渡来人の技術や文化を摂取して今に繋がってると思うけどなぁ。
↑
ちなみに、北海道で発掘されたイモガイ腕輪は南洋産であるにもかかわらず、西北九州の宮の本遺跡の独自加工が施されています
この特殊加工は、幅広の輪切を縦四片に切断し、小孔二対で繋ぎ合わせる特殊形式
技術は縄文系弥生人の側にもあったんですよ
本当に >>287
宮の本遺跡にはゴホウラの腕輪がないよね。
九州北部・山陰の渡来系遺構にはゴホウラとイモガイの両方の腕輪がある。
ゴホウラの腕輪は貴族階級のものだったんじゃないかな?
北海道のイモガイの腕輪は宮の本遺跡で生産されたとして、実際に行商しに行ったのは
宮の本遺跡の縄文系弥生人ではなく、九州北部・山陰の渡来系弥生人だった可能性も
あるしな。
この場合、宮の本遺跡は九州北部・山陰の渡来系弥生人にイモガイの腕輪の生産を
任されているだけの工場だった可能性もあるし、宮の本遺跡に材料のイモガイを
沖縄から運んでいたのは九州北部・山陰の渡来系弥生人で、宮の本遺跡で加工して、
完成品を全国に行商しに行くのも九州北部・山陰の渡来系弥生人だった可能性もある。
材料のイモガイの仕入れと完成品の流通は九州北部・山陰の渡来系弥生人が行い、
工場での生産は宮の本遺跡の縄文系弥生人が行っていたかもしれない。
ただ、ゴホウラの腕輪だけは九州北部・山陰の渡来系弥生人の工場で生産して、
全国に行商しに行った事だけは確実だがな。 >>287
硬い石に穴を開けるのは出雲人の技術らしいね。
玉作を独占できたのはその辺りの技術背景があるらしい。
あとウメガイも わお〜わお〜わお〜
>>289
>硬い石に穴を開けるのは出雲人の技術らしいね。
↑
そのようですねー
技術は縄文人の遺伝子を強く引き継いだ出雲人の側にもあったんですね
本当に わお〜わお〜わお〜
>>288
>実際に行商しに行ったのは宮の本遺跡の縄文系弥生人ではなく、九州北部・山陰の渡来系弥生人だった可能性もあるしな。
↑
ほほう、その表現では弥生期の縄文系弥生人による遠路交易の可能性もはじめて認めたわけだな
>>288
>宮の本遺跡は九州北部・山陰の渡来系弥生人にイモガイの腕輪の生産を任されているだけの工場だった可能性もあるし
↑
ほほう、その表現では弥生期の縄文系弥生人との協働をはじめて認めたわけだな
それが実態なら、全国的に混血が拡散していくではないか
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
>>288
>沖縄から運んでいたのは九州北部・山陰の渡来系弥生人で、宮の本遺跡で加工して、完成品を全国に行商しに行くのも九州北部・山陰の渡来系弥生人だった可能性もある。
↑
しかし、やはりできるだけ縄文系弥生人を集落内に留め置きたいようだなww
そう仮定しないと、縄文人の父系遺伝子が拡散してしまうからなー
しかし実態はD1もO1b1も共に協働して遺伝子を拡散し合っているのだよ
それを証明しているのが、全国平均より縄文人の遺伝子を強く引き継いだ出雲人の存在だろ
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/d/digx/20161208/20161208190813.gif
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
>>288
>沖縄から運んでいたのは九州北部・山陰の渡来系弥生人で、宮の本遺跡で加工して、完成品を全国に行商しに行くのも九州北部・山陰の渡来系弥生人だった可能性もある。
↑
西北九州と沖縄の海路は、九州以北の縄文系弥生人がすでに掌握していたと言っただろ
そうでなければ、アワビの副葬列という共通の埋葬習俗も行われるわけがない
沖縄への遠洋航路に比べれば、海岸沿いの日本海航路など極めて容易いものだっただろう
http://stat.ameba.jp/user_images/20150624/19/shimonose9m/4e/38/j/o0480036013346793138.jpg
本当に小笑い >>292
その遺伝子表はアムール沿海州のデータがない偏向データだから、
渡来系弥生人からの距離が分からないだろ。
縄文人のデータもないから、縄文人からの距離も分からない。
アムール沿海州の遺伝子位置をKOREAから間を開けて右隣、あるいは斜め右上と
推測して、縄文人の遺伝子位置がIZUMOとTOKYOから間を開けて真下と推測して、
IZUMOとTOKYOの渡来系弥生人からの距離はほとんど変わらないか、ややIZUMOが
縄文人に近い程度だろう。 >>293
なら、九州北西部以西の縄文系弥生人はどうしてゴホウラを扱えなかったの?
で、アワビの副葬が九州北部・山陰の渡来系弥生人になかった確証はあるのか? わお〜わお〜わお〜
>>294
>IZUMOとTOKYOの渡来系弥生人からの距離はほとんど変わらないか、ややIZUMOが縄文人に近い程度だろう。
↑
全国的に本土日本人の解析を行っているから、北方形質の高い関西のデータも当然ある
しかし、何で東京人と比較したかと言うと、出雲人が全国でも縄文形質の高い東京人をも上回る結果になったから
この「衝撃の結果」を表明するために、わざわざ東京人と比較しているわけだ
しかし縄文人の遺伝子を強く引き継いだ伊勢のリアル海女ちゃんは本当にかわいいなw
http://lily-new.com/wp/wp-content/uploads/2015/09/real_amachan.jpg
三陸の元リアル海女ちゃんもかわいいw
http://imgcc.naver.jp/kaze/mission/USER/20130623/88/899368/44/497x750xae45b8032a80cf5c3ea70c26.jpg
わかったか?
本当に小笑い >>296
TOKYOもIZUMOも渡来系弥生人からの距離はほとんど変わらんだろ。
遺伝子はナマモノだから、色んな条件でその頻度を変えていくからな。
仮に元々の渡来系弥生人の本拠地だった九州北部・山陰よりも東京を含めた
関東地方の方が渡来系弥生人の遺伝子にとって適した自然環境なら、
経年すればするほど、その頻度の高低はいずれ関東地方に逆転されてしまう訳だ。
遺伝子とは経年でドンドンその頻度や形態を変えていく無常のナマモノであるゆえ、
一辺倒の解釈では通用しないだろう。
しかし、土器や骨の形質はおそらく地球が太陽に飲み込まれる寸前まで、半永久的に
変わらない、形状を固定されたハードウェア。
どちらが信用の置ける考古学材料であるかは言わずもがな。 わお〜わお〜わお〜
>>297
>遺伝子とは経年でドンドンその頻度や形態を変えていく無常のナマモノであるゆえ、一辺倒の解釈では通用しないだろう。
↑
保存が効かないと言う割には、ずいぶん地域ごとにしっかりまとまるもんだなw
古モンゴロイドと新モンゴロイドを分かつ核DNAの基本因子配列の違いが明確に存在するということだろ
本当に小笑い わお〜わお〜わお〜
>>295
>なら、九州北西部以西の縄文系弥生人はどうしてゴホウラを扱えなかったの?
↑
ゴホウラ製貝輪とイモガイ製貝輪の決定的な違いが何か分かるか?
両者の共通点は
1)遠方の南洋産のため希少価値が高い
2)大型で腕輪にできる
3)渦巻きの文様で祭祀・呪術的価値が高い
関連で、九州北部・山陰の渡来系弥生人の首長クラスは、女性と男性どちらが圧倒的に多いのかね??
本当に小笑い 島本町民以外の皆さん
大阪府三島郡島本町では
「いじめはいじめられた本人が悪い」ということですよ >>299
で、どうして九州北西部以西の縄文系弥生人はゴホウラを扱えなかったの? わお〜わお〜わお〜
>>299
答えないから、次に行くw
>>295
>なら、九州北西部以西の縄文系弥生人はどうしてゴホウラを扱えなかったの?
↑
ゴホウラ製貝輪とイモガイ製貝輪の決定的な違いが何か分かるか?
両者の共通点は
1)遠方の南洋産のため希少価値が高い
2)大型で腕輪にできるが、加工に労力を要する
3)渦巻きの文様で祭祀・呪術的価値が高い
つまり、両者とも入手困難な宝飾品であり、祭具・呪具としての価値もあるため、限られた首長クラスが装着していた
では、両者の決定的な違いは何か?
その答えは貝の形状にある
http://home.b06.itscom.net/kodaishi/img073.jpg
この写真でも分かるとおり、ゴホウラ製貝輪にあって、他の貝輪にはないあるいは目立たない最大の特徴は、写真左側の鉤状突起である
続く
本当に小笑い >>302
それ、輪切りの腕輪だろ。
沖縄の人骨のゴホウラの腕輪はゴホウラの背面を使った丸い腕輪だぞ。
で、どうして九州北西部以西の縄文系弥生人はゴホウラを扱えなかったの? >>302
失礼。
ゴホウラは全部、背面を使うみたいだな。
背面の取り方で突起の付いた腕輪になったり、丸い腕輪になったりするだけみたいだな。
で、どうして九州北西部以西の縄文系弥生人はゴホウラを扱えなかったの? わお〜わお〜わお〜
>>302の続き
>>304
>で、九州北西部以西の縄文系弥生人はどうしてゴホウラを扱えなかったの?
↑
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/宮の本遺跡
九州以北の縄文系弥生人のいた宮の本遺跡では、8体の首長クラスの女性がイモガイの腕輪をつけて石棺墓に埋葬されていた。
一般的に縄文社会では女性が祭祀者(巫女)として、宮の本遺跡のように首長クラスに崇められる
貴重なイモガイ製貝輪は、富と巫覡の象徴として埋葬女性への信奉を高めたであろう
一方、九州北部・山陰の渡来系弥生人には、ゴホウラ製貝輪が愛重された。そのほとんどが男性の首長であった。
貝輪をめぐる2つの社会の相違は、どこにあるのか?
その原因は社会の生存基盤であった生業にあると考えられる
縄文系弥生人の生業の中心は、縄文時代から続く漁労採集であった
一方、九州北部に始まる渡来系弥生人の生業は、大規模稲作が主体であった
続く
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