わお〜わお〜わお〜
>>317
分からない人は置いてくよw

>>310の続き
弥生後期になると、筑紫平野を中心とした甕棺墓文化圏は一層勢力を九州北部で拡大した
福岡平野に連なり、西は背振山地、東は宗像地域の端までに至った

主役の第3波渡来人は、金属器をはじめ朝鮮半島との文化摂取が生命線であった
半島に近い海浜部が重視され、いつしか覇権の中心は志賀-壱岐-対馬-馬韓の海路ルートを掌握した村落に大きくシフトしていった
奴国の誕生である

これまでの平野部の開拓は、漁労採集と小規模農業を生業とする縄文系弥生人と第2波渡来人には、あまり障害とならなかった
しかし、玄界灘の中心を牛耳る奴国の権勢は、縄文系弥生人と第2波渡来人の対馬海流海上ネットワークに大きな楔を打ち込み、両者の緊張関係を極限まで高めていったのである

倭国大乱が勃発した

続く
本当に小笑い