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長江・江南を提唱している考古学者など一人もいない
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0001出土地不明垢版2018/09/20(木) 13:46:13.54ID:iaak11Sv
長江やら江南なんて提唱している頭の湧いた考古学者なんて一人もいないが何か?

いるなら出してみな。
0384出土地不明垢版2019/08/31(土) 11:49:59.20ID:umU5ju32
鳥形木製品

鳥に対する信仰は,基本的には稲作文化の渡来とともに大陸からもたらされたと考えられます。
その意味では大陸系譜ということもできるでしょう。しかしながら,鳥形木製品は文化受容の玄関口となった北部九州からは
あまり出土せず,近畿・東海地方から数多く出土する傾向があります。

・山田康弘1996「鳥形木製品の再検討」『信濃』48-4

2014 国立歴史民俗博物館



鳥形木製品の用途

水野正好氏(1982)や渡辺誠氏(1995)に代表される「集落の境界を守る鳥」の考え方が有力である。


鳥形木製品が北部九州からは あまり出土しないのは、長江人は朝鮮人によって北部九州から追い出されたからさ。
0385出土地不明垢版2019/08/31(土) 11:52:59.46ID:umU5ju32
神社にある鳥居の起源って?これは昔から不思議に思っていたのだけれど、どうも東南アジアから東アジアに広がる“倭族”に共通した信仰・風習を起源としているようです。


「鳥居論---ニッポン人の鳥信仰とその出自」

鳥越憲三郎氏は「倭族」という概念で、中国南部や東南アジア、それから朝鮮南部および日本に共通して残る習俗を括る。

その氏によって、雲南省やそこに隣接する東南アジア北部の山岳地帯に棲むタイ系諸族(アカ・ハニ族など)に「鳥居」が見出されている。
それは左右二本の柱の上に笠木(横に渡す木)を載せたものだ。ただし、これは「社(やしろ)の門」ではなく「村の門」(「ロコーン」と言う)だ。

「鳥居」の起源は、共同体(村)へ侵入する悪霊を防ぐ結界門だったのである
(「締め縄」とはそういう意味だ)。

 そして、果たしてその門の笠木には木製の鳥が止まっていた。

実は、吉野ヶ里遺跡を始め、わが国の弥生時代の遺跡からは木製の鳥が頻出している。
だが「鳥居」は残っておらず、どこにどう止まっていたのかは分からない。

「村の門」には左右の自然木に「締め縄」が渡されただけのものもある。
それらにはしばしば「鬼の目」がぶら下がっている。
鬼の目とは竹で編まれた悪霊を追い払う呪具(「籠目」もその一つ)で、現代の日本の締め縄にも吊されている。
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