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【謎】考古学初心者雑談4【解明】
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2019/01/06(日) 20:46:19.45ID:mhOPL//G
考古学関連に興味の有る人が 従来の一般的な説にはとらわれず自由に発言するスレッドです。
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前スレ【謎】考古学初心者雑談3【解明】
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/archeology/1437216899/
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2019/11/19(火) 21:53:10.90ID:dmtFidv5
UFO Over Moon Watching Apollo 12, NASA Source, UFO Sighting News.
https://youtu.be/FlBjs6LrJ0I

久々のコバルトブルー繋がりです。。U字型なのか並列なのかは謎でアル...
0609卍3286卍ss
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2019/11/23(土) 21:35:26.63ID:xsX6WspE
流石スコットさん ハヤッ。。

UFO at ISS, Russian says "A ship!" NASA responds, "Its with you,"
Nov 21, 2019, UFO Sighting News
https://youtu.be/twxBmq-aP-s
0610出土地不明
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2019/11/23(土) 22:31:46.83ID:SIDt6eeJ
火星の大地に行き倒れたエイリアンを、大型ハリケーンの衛星写真にグレイ型エイリアンの顔を空目し
ストリート・ビューで確認できる街中に常在するオブジェを「間違いなくUFO」と言ってしまい、それを突っこまれて恥ずかしさのあまり、ほとぼりが冷めるまで活動を一時休止し(>>357
火球や電離層調査のトレーサーの光をUFOと誤認し(>>393
小惑星エロスにエイリアンによるエロチックな彫刻を妄想し(>>394
人面魚を宇宙人の仕業、スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさんをエイリアンと看破する・・・
さすがは世界的UFO研究家スコット・ウェアリングさん(笑)


【衝撃】今世紀最高の「完璧すぎる人面魚」が激撮される! 人間とのキメラを疑うレベル…大災害の前兆か!?
https://tocana.jp/2019/11/post_122769_entry.html

世界的UFO研究家のスコット・ウェアリング氏も、衝撃の仮説を提示している。なんと、この生物は宇宙人の実験で生まれたものだというのだ!

「この魚の真実はこうです。宇宙人が地球上あらゆる生物に数百万年前から実験を行っていることは知られていますね。
その結果、長い時間がかかる進化が数日で起こってしまうこともあります。人間を連れ去り、家畜を切り裂くのも実験のためです。
ただ、この実験にはより恐ろしい側面があります。この人面魚こそ、その証拠なのです。目、鼻、口、どれも人間そっくりです。これは宇宙人の仕業としか考えられません。」
(ウェアリング氏)

A Bizarre Fish with a Human Face seen in China!!
https://youtu.be/fbjr7EtWHWE







【速報】グレタさんは「歴史改変のために送り込まれた宇宙人タイムトラベラー」だった! 120年前の証拠写真で正体判明!
https://tocana.jp/2019/11/post_124218_entry.html

世界的なUFO研究家スコット・ウェアリング氏は、グレタさんは“エイリアン”かもしれないと主張している。

「この写真はグレタさんが国連で演説をし、一夜にして世界的な有名人になった理由を説明してくれます。1つの可能性としては、彼女は人類よりも優れたエイリアン種族であり、人類の破壊を止めるために地球にやって来たということです。」
(スコット・ウェアリング)

Greta Thunberg Found in 120 Year Old Photo ? ArtAlienTV
https://youtu.be/I3d_MgUbwho
0611出土地不明
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2019/11/24(日) 10:26:45.40ID:kEAxf4Jn
>>606

307:出土地不明 2019/11/15(金) 21:51:52.19 ID:hNKRlAVQ
Yuki Naga2 時間前
先生!ナスカに新しい地上絵が発見されましたね!https://www.asahi.com/sp/articles/ASMCH4K6GMCHUZHB00L.html

Hiroshi Hayashi40 分前
ナスカ高原ではなく、ヒエログラフのことです。すでに何千点と見つかっていますよ。
https://youtu.be/NZ8qqGDeXAM


ずいぶんトンチンカンなことを言ってるな
すでに見つかっているものとは別に新しいのを見つけたってニュースなのに…
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191115-00000119-jij-soci
https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1218911.html
https://this.kiji.is/568011029622965345

山形大の新発見がニュースになったのが妬ましいのか認めたくないのか
いずれにしても大人げない話だな (^。^)y-゜゜゜



308:出土地不明 2019/11/16(土) 19:33:46.57 ID:qmCvCB2n
Hiroshi Hayashi
あのうですね。。。、ナスカ高原の地上絵、いわゆるナスカライン群と、無数に残るヒエログラフを混同なさっておられませんか?
ヒエログラフは、すでに何万個も見つかっていますよ。岩などの壁画として描かれています。
今さら「発見した」などという大げさなものではありません。どうかNHKの発表に、だまされないように、ご注意ください。

あのですね、ナスカやパルパで発見されたのは「Geoglyph(ジオグラフ 地上絵)」で
「hieroglyph(ヒエログリフ 聖刻文字)」ではありません
これまで地上絵を文字として解読されたことはないし
それどころか地上絵が文字であるという説も唱えられたことはありません
また今まで何万個見つかっていようが未発見のものが新たに見つかったのは貴重な歴史遺産の保護や謎解明のための材料が増えるという大きな意義があります
ほかの研究発表を冷静に評価できないのは研究者として失格でしょうし
自説が評価されないことの恨みか評価されている人々への妬みか知りませんが嘘をついてまで他人を下げるのは本当に大人げなくみっともないですよ (^。^)y-゜゜゜

http://whc.unesco.org/en/list/700/



311:出土地不明 2019/11/17(日) 19:12:22.00 ID:t5zP0K+M
>>307-308
Hiroshi Hayashi
ヒエログラフではなく、ペトログラフ(線画)です。まちがえました。
多分NHKの方たちは、ナスカ高原の地上絵と、ナスカ全体に残るペトログラの区別もできない方たちではないでしょうか?
何千どころか、何万も、ペトログラフが残っていますよ。いまごろそんなものが数百も見つかったからといって、大ニュースなのでしょうか?

ヒエログリフの間違いに気づいたのは もしかしてここを見てたのか?w
それでも未だナスカの地上絵(Geoglyphジオグラフ)と岩に描かれた線刻画(Petrographペトログラフ)の区別もできないのはなんなんだ
あとナスカの地上絵は何万も残ってないし
何千何万とあろうが新たに地上絵が発見されたものは価値あるニュースですし
多数あるから新しく発見されたものに価値が無いような言いぐさは
多数の動画を発表している人の新作に価値や意味が無いかのような失礼なもの言いではありませんか?w
0612出土地不明
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2019/11/25(月) 20:56:54.34ID:3BBixvOe
弥生前期で最大規模か 奈良・中西遺跡に新たな水田跡
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191120-00000058-asahi-soci
https://www.asahicom.jp/articles/images/c_AS20191120002467_comm.jpg

 弥生時代前期後半(約2500〜2400年前)の水田跡が確認されていた奈良県御所(ごせ)市の中西遺跡で、新たに約3500平方メートルの水田跡がみつかった。
県立橿原(かしはら)考古学研究所(橿考研)が20日発表した。
水田跡は延べ約4万3千平方メートルに及び、これまでに確認された弥生前期の水田跡では全国最大規模とみられる。
弥生時代初めに稲作が朝鮮半島から日本列島に伝わったとされるころからまもなく、奈良盆地で灌漑(かんがい)施設をそなえた大規模な稲作が営まれていたことが明らかになった。

【写真】奈良県御所市の中西遺跡で出土した弥生時代前期後半の水田跡。
あぜに沿って白線が引かれている=2019年11月20日、田中祐也撮影
https://www.asahicom.jp/articles/images/c_AS20191120002459_comm.jpg

 橿考研によると、京奈和自動車道の建設工事に伴い、今年4月から約6千平方メートルを発掘調査した。
出土した水田跡の数は410区画、1区画あたりの面積は平均約9平方メートル。小さなあぜで区画され、表面には人の足跡も残っていた。
足跡の長さは約15〜26センチで、土を軟らかくするために踏んでいたとみられるという。川のような跡もみつかり、両側に田んぼがつくられていた。
弥生前期末(約2400年前)に洪水の土砂で埋まったとみられ、一帯の水田の広さは約10万平方メートルを超えていたと推定される。

 弥生時代の水田に詳しい大阪府立狭山池博物館の工楽善通(くらくよしゆき)館長(考古学)は「稲作が最初に伝わったとされる北部九州でも、これほど大規模な水田跡はみつかっておらず貴重な成果だった。
今後は稲作を営んだ人が暮らした集落跡や墓地の発見に期待したい」と話す。
0614出土地不明
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2019/12/04(水) 05:12:39.58ID:pn7pgx7h
27の新しい古代マヤ遺跡が発見される! 朽ちた遺跡を再び蘇らせるLiDARマップの成果!

 日本人考古学者の発見を支えたのは、最新技術が駆使された『無料の地図』だった!
 考古学に発展をもたらす“LiDAR”の革新性とは――。

■謎多きメソアメリカ文明

 15世紀、ヨーロッパ人到来目前の中央アメリカ大陸では、原住民たちの巨大な文明が隆盛を極めていた。
 一部はすでに衰退傾向にあったが、メキシコ高原のアステカ帝国を征服したスペイン人エルナン・コルテスの部下が残した記述によれば、その首都テノチティトランは、西洋のどの大都市よりも見事な繁栄ぶりであったという。
 今日、その面影は各地に残る遺跡を通じて知ることができるが、多くは侵略の混乱のせいで、今となっては、その所在すらも忘れ去られているのが実情である。
 世界遺産として有名なインカの空中都市マチュ・ピチュも、1911年まではやはり存在が知られていなかった。
 加えて、急速に進んだ植民地化によって伝統の承継が妨げられ、これといった文書も残されていないため、文化的な研究にも困難がつきまとう。
 すなわち、考古学的観点に立てば、地球上に残された最大のブラックボックスが、アステカ、インカ、マヤに代表されるメソアメリカ文明なのだ。
 ところが近年、技術の革新によって、かかる文明の研究が飛躍的に前進しつつある。
 「ニューヨーク・タイムズ」によれば、米アリゾナ州立大学の日本人考古学者が、最新技術を応用することで27カ所の新しい古代マヤ遺跡を発見することに成功したという。

■決め手はコスパ! 無料のレーザースキャン地図を活用

 驚くべき発見を果たしたのは、マヤ文明の研究者である猪俣健氏だ。
 猪俣氏はメキシコ国立統計地理研究所が2011年に公開した、自由にアクセス可能な「光検出と測距」略して“LiDAR”マップを用いることで、未知なる遺跡の全容を明らかにした。
 猪俣氏の発見を助けたレーザースキャン地図は解像度が低く、優れものとは到底言えない。
 しかし、メキシコのタバスコ州とチアパス州の11,400平方キロメートルの広大な土地をカバーするこの地図は、企業や研究者にサービスを提供することを目的としており、無料で使用することができた。
 彼が最近購入した、あまり役に立たない6万2千ドルもする別のLiDARマップと比較すれば、その魅力は圧倒的だった。
 今回使用のLiDARマップが暴き出したのは、周囲の地形に溶け込んでしまった遺跡の輪郭である。
 遺跡は巨大な構造でありながら地表面からの起伏が小さく、全長はおよそ1キロ、深いやぶによって簡単に被い隠されてしまう。
 「上を歩いても気付きません」と、猪俣氏は取材に答え、こう続ける。
 「とても大きいので、自然の風景の一部のように見えるんです」

■類似の成果も続々

 猪俣氏の発見は、他の考古学者に、公開されているLiDARマップをくまなく調査させる後押しとなっているようだ。
 レーザースキャン技術は、考古学に革命をもたらすもので、研究者らの確信を証明するかのように類似の発見も相次いでいる。
 米ブランダイス大学の人類学教授であるチャールズ・ゴールデン氏は、メキシコを俯瞰するアメリカ航空宇宙局(NASA)のデータを利用することで、グアテマラとの国境付近にある古代の集落を発見した。
 また、2018年にはグアテマラの考古学者が、要塞や貯水池を含むメガロポリスの痕跡を熱帯林の奥深くに見つけ出し、学界に衝撃を与えた。
 今後、米国を含む国々でLiDARの発展は加速し、さらに多くの地図が利用可能になるという。
 「将来においては、今日の地形図のように、あらゆる場所がLiDARでカバーされることになるでしょう」と、猪俣氏は予想する。
 時の移ろいとともに自然界に侵食・回帰してしまった遺跡に、再び日の光を当てるLiDAR。
 メソアメリカ文明を手始めとして「歴史の墓場」に改葬の機運が盛り上がってくるだろう。

A Mayan Archaeologist Has Discovered 27 Previously Unknown Ancient Sites―All Without Ever Leaving His Computer
https://news.artnet.com/art-world/public-lidar-map-new-maya-discoveries-1675327
Archaeologist discovers 27 ancient Mayan ceremonial sites in Mexico by using a free online map 
https://www.dailymail.co.uk/news/article-7591429/Archaeologist-discovers-27-ancient-Mayan-ceremonial-sites-Mexico-using-free-online-map.html
0615出土地不明
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2019/12/04(水) 19:02:42.90ID:zJOKERJC
韓国人の先祖の顔が3面についた1600年前の新羅土器が出土


1600年あまり前の私たちの祖先の顔が3面についている土器が出土された。
画廊文化財研究院は、慶尚北道慶山市所月里(キョンサンブクド・キョンサンシ・ソウォルリ)で
表情が少しずつ異なる3つの顔がついた高さ約28センチメートルの土器を発見したと3日、発表した。

顔は無表情、真剣、話しているような形状で、同じ間隔で穴が開けられ耳が表現されている。
人の顔がついている土器は以前も出土されたが、3面に異なる表情が表現されているのは初めてだ。

https://s.japanese.joins.com/JArticle/260215?servcode=400&;sectcode=400

https://i.imgur.com/7Kbgzhq.jpg
0616生 命 体 5 6 1 8  
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2019/12/08(日) 10:16:25.36ID:wyAZAVkv
火星の大地に行き倒れたエイリアンを、大型ハリケーンの衛星写真にグレイ型エイリアンの顔を空目し、
ストリート・ビューで確認できる街中に常在するオブジェを「間違いなくUFO」と言ってしまい、それを突っこまれて恥ずかしさのあまり、ほとぼりが冷めるまで活動を一時休止し、
>>357
火球や電離層調査のトレーサーの光をUFOと誤認し、
>>393
小惑星エロスにエイリアンによるエロチックな彫刻を妄想し、
>>394
人面魚を宇宙人の仕業と断定し、スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさんをエイリアンと看破した、
>>610
世界的UFO研究家スコット・ウェアリングさん、今度はNASAが公表していたスペース・シャトル計画の写真から、謎のオブジェクト(UFO?)を発見か!?
Three Objects Marked As Unknown Recorded Out Space Shuttle Window In Orbit, UFO Sighting News. - ET Data Base, UFO Sighting News By Scott C. Waring
http://www.etdatabase.com/2019/12/three-objects-marked-as-unknown.html?m=0

Three Objects NASA Marks As Unknown From Space Shuttle, UFO Sighting News.
https://youtu.be/0pHAGbrr6tk

そもそも普段は「NASAは写真や映像を加工してUFOやエイリアンの証拠を隠蔽している!」とか主張している人が、
何でNASAが公開している写真にUFOが写っていると思ったのか・・どう見てもスペース・デブリでしょう・・・(* ̄∇ ̄*)
こんなんで世界的UFO研究家とか、そんなのを「流石」「ナイスキャッチ」と持ち上げるヤツのレベルが知れるw
(^。^)y-゜゜゜゜゜゜
0617出土地不明
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2019/12/10(火) 12:18:45.99ID:J76OeLeo
中国陝西省考古研究院は4日、同省の秦咸陽城遺跡の中心保護区で、石片をつなぎ合わせて作ったよろい「石製よろい」の工房遺構を発見したと明らかにした。
秦始皇帝陵から出土した石製よろいの「工場」の一つだという。
同研究院の許衛紅研究員によると、石製よろいが初めて見つかったのは1998年。
秦始皇帝陵の副葬坑で大量の石製のよろいとかぶとが出土した。
2001年には同陵の北約4.5キロメートルにある新豊鎮長条村で秦代の井戸が見つかり、よろいの生産地が初めて確認された。
今年7月に今回の遺構が見つかったことで、秦始皇帝陵から約40キロメートル離れた咸陽城遺跡内でもよろいが製造されていたことが分かった。

遺構は、西安市と咸陽市の間にある西咸新区の秦漢新城窯店鎮で見つかった。
同地区は秦咸陽城遺跡エリアに含まれており、これまでの調査で歴代秦王と始皇帝が政務を執った咸陽宮や官営手工業工房、物資の貯蔵庫など大型重要建築物の遺構が三十数カ所分布していることが分かっている。

今回の遺構は考古学者が今夏、一つの高台建築遺構の発掘に合わせて周辺地域を再調査した際に、同遺構の北500メートルの荒れ野で石製よろいの石片が散在しているのを見つけたことで発見された。
高台建築遺構は大型宮殿の中心部に当たり、渭河の現行河道の北側でこれまでに確認された最大の単体建築とされる。
咸陽城は当時、全エリアが渭河の北側にあったが、その後河道が変わり、現在は渭河が遺跡を南北に分断している。

100平方メートル余りを対象とした発掘調査では、灰坑や住居跡、排水溝、石の研磨時に出た粉末の堆積などの遺構が見つかった。
また石材や半加工品、廃品、加工時のごみ、石片をつなぎ合わせるための銅線・鉛線、鉄製の錐(きり)、鏨(たがね)、小刀、砥石などの材料や工具も大量に出土した。

https://www.afpbb.com/articles/-/3258496
https://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/d/8/1000x/img_d8db6ad4c78f5f8893f3cd6079a3af596686056.jpg
https://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/a/d/1000x/img_adeefb463d64e18825ef7d0d94c098b95528599.jpg
https://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/
0618卍3286卍ss
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2019/12/11(水) 21:40:09.81ID:paf+mQAY
誌「私の助産婦さん=生きる力を与えてくださる皆さん、ありがとう」
by はやし浩司Hiroshi Hayashi, Japan
https://youtu.be/WdmoehrLfgo

令和2年からは最低1日3回ソラを見上げましょう。。
0619卍3286卍ss
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2019/12/11(水) 21:46:47.72ID:paf+mQAY
>618 日誌のナンバー抜けてました。。

「01201 Video Diary ビデオ日誌」
0620出土地不明
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2019/12/11(水) 22:16:41.47ID:nUXsfSou
【縄文人はイケてた!】縄文時代の土偶。その「髪型」を再現してみたら…


土偶のユニークな「髪型」を再現する取り組みに、理容美容の専門学校を運営する国際文化学園(東京都渋谷区)の美容考古学研究所が取り組んでいる。


土偶とは、「縄文時代を通じてある、人の形につくった土製品」(広辞苑より)のことだ。

様々なフォルムで現代人の好奇心を刺激してきた土偶。美容考古学研究所では、土偶の頭の部分にある特徴的なデザインは「髪型」ではないかという前提で、縄文土偶の「髪型」を再現する取り組みを始めた。

研究所は12月2日、縄文土偶の髪型研究に関する報告会を開き、実際の土偶の頭の部分を「髪型」とみなして再現したウィッグなどを公開した。

再現された「髪型」を画像で紹介する。

(写真は、国際文化理容美容専門学校渋谷校で撮影。「〜型」という髪型の名前は、研究所が独自に名付けたものに準じている。)

蛇型
https://i.imgur.com/Tpn9QSP.jpg
頭の上の部分が、とぐろを巻いた蛇のようにも見える土偶を再現した。ウィッグでは、綺麗に髪をねじっている。

遮光器型
https://i.imgur.com/Kzs2SZc.jpg
全体から頭頂部に髪の毛を集めて束ね、「空間」がある複雑な髪型を作っている。

遮光器とは、雪からの反射光線を防ぐメガネ状のもののことで、中央に細い穴があけられている。「遮光器土偶」とは、目の部分が遮光器のように見える土偶のことをいう。

アーチ型とループ型
https://i.imgur.com/8PnxfJW.jpg

頭の上に横に渡した橋がのっているような形の土偶を再現したアーチ型と、頭の上に「メビウスの輪」のような形がのっているように見える土偶を再現したループ型。

フロントロール型とリボン型
https://i.imgur.com/aL8BAAE.jpg
フロントロール型は前頭部に髪の束が突き出しているように見える土偶を参考に再現した。リボン型は文字通り、頭の上に大きなリボンがのっているかのように見える土偶を参考にしているという。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191205-00010000-huffpost-soci
0621出土地不明
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2019/12/12(木) 14:01:00.92ID:CUAmGyjy
3159【05】GenjoSanzo did not got to Narranda, India 玄奘三蔵はインドのナーランダ大学へは行っていなかった説by Hiroshi Hayashi, Jap
https://youtu.be/y06gSCbmNAA?t=00h04m55s

>ウィキペディア百科事典には、つぎのようにあります。
>『玄奘三蔵は、仏典の研究には原典に拠るべきであると考え、
>国禁を犯して密かに出国、役人の監視を逃れながらインドへ向かった。
>玄奘は西域の商人らに混じって天山南路の途中から峠を越え、天山北路へと渡るルートを辿って中央アジアの旅を続け、
>ヒンドゥークシュ山脈を越えてインドに至った。
>インドのナーランダ大学では戒賢に師事して唯識を学び、また各地の仏跡を巡拝した。
>ヴァルダナ朝の王ハルシャ・ヴァルダナの保護を受け、ハルシャ王へも進講している』と。
>が、本当にそうでしょうか。玄奘三蔵は、本当に、ナーランダ大学まで行ったのでしょうか。
>その疑問の第一は、ナーランダ大学は、ブッダの仏教の大学。
>一方、玄奘三蔵が長安へ持ち帰ったのは、密教。
>つまり弥勒菩薩教。もっとわかりやすく言えば、ミトラ教。
>その証拠に、長安へ渡った空海が、日本に伝えたのは、弥勒菩薩教。
>ブッダの仏教ではありません。
>ナーランダ大学に残る仏像と、空海が高野山の根本大塔に収めた大日如来像を見比べてみれば、一目瞭然。
>ナーランダ大学に残る仏像は、まさにブッダ像。
>根本大塔の大日如来像とは、似ても似つかないものです。
>つまり、空海が根本大塔に収めた大日如来像は、
>チベット密教の総本山、現在のタシルンポ寺にある、弥勒菩薩像と同じです。
>つまり玄奘三蔵は、インドのナーランダ大学へは行っていない。
>行ったとしても、チベット。
>そのチベットで、いわゆるチベット密教をそっくりそのまま持ち帰った。
>それがそののちの、密教となった。
>それが私、はやし浩司の解釈です。

大唐西域記によると、玄奘三蔵法師が長安を発ったのは629年・・ 、
その頃のチベットは、統一への黎明期とも呼ぶべき時期で、
いくつかの部族が争う混乱も多い時代であって、仏教を学ぶ目的地として行けるところではありませんでした。
と言うか・・・、学ぼうにもシャーンタラクシタがチベットに仏教を興したのが761年、
パドマサンバヴァが密教をもたらし、チベット密教を興したのが774年、
いっぽう、玄奘三蔵法師が唐に、おびただしい数の仏教の経典や仏像や仏舎利、
仏教のほかにもナーランダ大学で、医学・薬学・土木などの科学知識などを学び、持ち帰ったのが645年です・・・。
ちなみに、タシルンポ寺は密教の総本山ではないし、その創建も1447年なので、
玄奘三蔵法師がタシルンポ寺で密教を学んだなんてことはあり得ませんが・・・、
まさか玄奘三蔵法師は、エイリアンならぬタイム・トラベラーだったとか言うのでしょうかw?

サイトマップ | 三蔵法師〜苦難の西域への旅
https://sanzouhousi.com/sitemap/
0622出土地不明
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2019/12/12(木) 14:03:06.62ID:CUAmGyjy
>>621続き


それにしても「行っていない」も何も、
玄奘三蔵法師が持ち帰った数多くの経典・仏像・仏舎利、また、仏教以外の医学・薬学・土木などの科学知識は、ナーランダ大学に赴かなければ得られなかったものばかりですし、
( 二十二、玄奘三蔵が持ち帰ったもの | 三蔵法師〜苦難の西域への旅 http://sanzouhousi.com/life/22.html )

そのナーランダをはじめとするインド各地の仏教遺跡は、大唐西域記を基に、発掘されたり研究されたものも多く、
例えば、2001年に、アフガニスタンのターリバン政権によって爆破破壊された、バーミヤンの石窟寺院遺跡や石仏などは、
意外なことに、1885年にイギリスの調査団による調査がなされるまで、アフガニスタンの人々も仏教遺跡であるとは思ってもいなかったのが、
イギリスの調査団の、英訳された「大唐西域記」の記述をもとにした調査によって、ようやくバーミヤンの巨大な彫像が仏像であることが認められました。
2005年にも、破壊されたバーミヤン遺跡の修復と保全のために、ユネスコの委託を受けた日本の文化財研究所が、
ターリバンが破壊した石仏から1キロほど離れた場所から、「大唐西域記」に記述されていた寺院と思われる仏塔の跡を発掘しています。
さらに「大唐西域記」に記述された仏教国「ブリジスターナ」と考えられる、アフガニスタン中部のメス・アイナク遺跡から仏像や仏塔や経典の写本が見つかるなど、
玄奘三蔵法師が書いた「大唐西域記」の記述の正しさを疑う余地はありません。

また、高野山壇上伽藍の根本大塔は、何度も火災で焼失し再建されていて、
現在にある根本大塔は、昭和12年に再建されたもの、
大日如来像や曼陀羅の絵もそのときのもので、チベット密教の寺院や仏像を参考にしていた可能性はあっても、
玄奘三蔵法師が、インド(ナーランダ大学)ではなくチベットに行き密教を学んだ証拠には、なりません。
0624生命体5618
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2019/12/13(金) 22:35:24.03ID:LNUqpTQ9
623は、スペースデブリでしょうか?w、なんといっても、
火星の大地に行き倒れたエイリアンを、大型ハリケーンの衛星写真にグレイ型エイリアンの顔を空目し、
ストリート・ビューで確認できる街中に常在するオブジェを「間違いなくUFO」と言ってしまい、
それを突っこまれて恥ずかしさのあまり、ほとぼりが冷めるまで活動を一時休止し、
>>357
火球や電離層調査のトレーサーの光をUFOと誤認し、
>>393
小惑星エロスにエイリアンによるエロチックな彫刻を妄想し、
>>394
人面魚を宇宙人の仕業と断定し、スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリさんをエイリアンと看破し、
>>610
普段、NASAは写真や映像を加工してUFOやエイリアンの証拠を隠蔽している!などと主張していながら、
NASAが公表していたスペース・シャトル計画の写真から、謎のオブジェクト(UFO?)を発見したとスペース・デブリを誤認したり、
>>616
火星探索機の破損したパーツを昆虫の繭と思い込む、
UFO SIGHTINGS DAILY: Insect Cocoon Found By Mars Curiosity Rover, NASA Link, UFO Sighting News.
https://www.ufosightingsdaily.com/2019/12/insect-cocoon-found-by-mars-curiosity.html?m=0
Insect Cocoon Found By Mars Curiosity Rover, NASA Link, UFO Sighting News.
https://youtu.be/EaB7n3epPjs

トカナ御用達の世界的UFO研究家(笑)スコット・ウェアリングさんですから・・・。
(^。^)y-゜゜゜゜゜゜
0625卍3286卍ss
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2019/12/18(水) 19:42:40.63ID:feIVDfkQ
01208 Video Diary ビデオ日誌
「謎解きのおもしろさの第一歩は、どこに謎があるかを探すこと、すべてはそこから始まりますね」
byはやし浩司Hiroshi Hayashi, Japan
https://youtu.be/s1mCfeHUo0Q

オカシナことはオカシイと言う。。
総理大臣だろうが 考古学者だろうが 間違いはマチガイなのでアル。
100年前の近代史でさえ捏造は多く いわゆる「嘘」を学校で真面目に学ばされる...
ウソ地図を元に道を歩んでも 迷うバカりであり 決してゴールには辿り着きません。。

ウソで真実は消えません。。目覚めたモノには ヒカリが齎されるで「Show!」
0626卍3286卍ss
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2019/12/26(木) 14:27:33.69ID:r8/7Xm6L
Three white orbs in triangle formation over Rochester, New York,
Dec 25, 2019, UFO Sighing News.
https://youtu.be/gDTDTUUm1L4

メリークリスマスY.H.T。。
0627卍3286卍ss
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2020/01/07(火) 00:35:00.35ID:THSvMDTK
祝!刊行。。

01226 Video Diary ビデオ日誌
「神の証明」を近く刊行します。どうかどうか、よろしくお願いします。
定価は3600円、カラー64Pを含む600P本ですby Hiroshi Hayashi,
https://youtu.be/3ZekwWi7YOo

定価の36oo円もバッチリ。。
0628出土地不明
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2020/01/10(金) 08:58:15.79ID:FrGKvL0K
>>625
エーリッヒ・フォン・デニケンやゼカリア・シッチン,ジョージ・アダムスキーやビリー・マイヤー,
ハイメ・マウサンやブライアン・フォースター,ウィリアム・クーパーやボブ・ラザーなど,
古代宇宙飛行士説やエイリアンやUFOの情報に捏造は多く,
金や売名目当てに,いわゆる「嘘」を「真実」だと騙るオカルト詐欺師も多い。
ペテン師どものウソを元に道を歩んでも,妄想の世界を迷う馬鹿になるだけ,脳内のお花畑にたどりついても,
現実世界や社会のゴールにはたどりつけませんよ (^。^)y-゜゜゜゜゜゜
0630出土地不明
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2020/01/18(土) 14:17:21.17ID:jBE4TZ9Y
「1万3千年前」という数字は、1973年、スコットランドのSF作家ダンカン・ルナンが、1920年代に検出された異常な電波信号の記録とされるものを解析して、電波信号は1万3千年前から、月の近くに存在していた探査機から送信されたものとする説が元ネタ。
つまり地球を周回しているとされる謎のブラックナイト衛星とは何の関係もない話で、>>629の動画は科学的根拠皆無なオカルト情報。
0631出土地不明
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2020/01/19(日) 11:26:04.06ID:xUs+q0fL
>>630
>>629の動画は科学的根拠皆無なオカルト情報。
あなたにオカルト情報と言い切る事ができるのですか?
あなたにこれを証明する財力でもあるのですか?
私が「猫の顔をしたカラスがいる」と言っても
誰も「そんなカラスはいない」と証明できないのです
証明するには世界中のカラスを一羽のこらず集めて証明しなければならない
このことを「悪魔の証明」という
0632出土地不明
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2020/01/19(日) 21:53:14.37ID:b4yDT2m8
「猫の顔をしたカラスがいない」ことは
とは証明できないが,
本当に「猫の顔をしたカラスがいる」としたら,本物の猫の顔をしたカラスを捕まえてきて,それを調べれば証明できる。
1万3千年前のブラックナイト衛星も科学的根拠や物的証拠があるなら,それを示してくれればいいのだが・・・。
0633出土地不明
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2020/01/21(火) 03:17:21.12ID:KzYVPt0H
>>632
>1万3千年前のブラックナイト衛星も科学的根拠や物的証拠があるなら, 
>それを示してくれればいいのだが・・・。
もう一度確り動画をみてください
https://youtu.be/BjEY9GX-6DA
0634出土地不明
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2020/01/21(火) 12:28:07.94ID:jegHB/1f
しっかりと見たけど「1万3千年前」を示す具体的・科学的根拠は、なにも無かった。
0635卍3286卍ss
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2020/01/21(火) 19:51:03.45ID:xA7Y655X
自分ではつくれナイ石橋を 叩きすぎて壊す...
結果 オチル ↓ 。。
完全にアホ。

トキは令和二年 ドチラ様方も このようなアホにはならぬ様に致しましょう。
0636卍3286卍
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2020/01/21(火) 19:53:46.47ID:xA7Y655X
もう世界中にウネリがキテます。。↑
0637卍3286卍
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2020/01/31(金) 20:24:56.05ID:OdHW5UIn
ワタシの肛門にはウンコがキテマス。。↓
0638出土地不明
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2020/02/03(月) 21:32:27.48ID:AbCpl3sy
何言ってるんだ
0639卍3286卍ss
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2020/02/03(月) 23:49:54.62ID:y/Rn7Ios
01253 Video Diary
ビデオ日誌「縄文文明は世界第1の文明、その証拠と証明」+イナンナの冥界下り
by Hiroshi Hayashi, Japan
https://youtu.be/ic3FFwfG5mQ

今年は" Jomon 2020 " も盛りアゲよう!。。
0640卍3286卍ss
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2020/02/09(日) 23:27:22.09ID:CnmIToFW
20200404 火星とプレアデスが交差します。。
0641出土地不明
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2020/02/10(月) 12:59:53.25ID:npVzZLUM
火星とプレアデス星団の最接近は,直近では2019年3月31日にあって,
その接近周期は,おおよそ2年前後とされる(たまに1年半ぐらいのこともあるらしい)ので,
次回の火星とプレアデスの接近は,おそらく2021年3月頃である。

2019年3月下旬 火星とプレアデス星団が接近 - アストロアーツ
https://www.astroarts.co.jp/article/hl/a/10500_ph190331

火星がプレアデス星団(すばる)に接近中
https://youtu.be/coNvpfTifGQ


ちなみに,今年の4月3〜4日に,プレアデス星団と金星が接近(したように見える),
10月頃に地球と火星の大接近が観測できる。

せんだい宇宙館−2020年に見られる主な天文現象−
http://sendaiuchukan.jp/event/plan/event2020/event2020.html

(M)
0642卍3286卍ss
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2020/02/17(月) 20:40:17.31ID:+fMOcP51
UFO Fleet Over Scottsdale, Arizona on 8-4-2016, UFO Sighting News.
https://youtu.be/Spzc-AU18ME

この時期なら ホピとブルースターの打ち合わせなのカモネ。。
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2020/02/21(金) 21:56:04.06ID:EtEwQSCQ
3186【06新】Voynich Manuscript, created by Leonardo?
ダビンチによって書かれたヴォイニッチ手稿、それは火星に生える植物であった?
という仮説by Hirosh
https://youtu.be/oprCsJcPHqo

オモロイ仮説ですネ。。以前より火星の湖と言われる画像も出回っています。

ツイでにスコットさん。
http://youtu.be/pQJMm9kyeh8
ソースはMUFONだそうです。。
0644卍3286卍ss
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2020/02/22(土) 13:57:12.90ID:5T0uD0GB
スコットさんナイスキャッチ。。

UFO At Space Station 22 Mins! Shoots out into space, UFO Sighting News.
https://youtu.be/X2eIcSs0zCQ

加工が難しいライブカメラでの映像です。。
0646卍3286卍ss
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2020/03/04(水) 21:09:48.54ID:jnQkEaLR
・・・ 祝!完売・・・

01284VD 初版、完売しました! ありがとう!
【神の証明第54回】モナリザは「火星の永遠の神」を意味するアナグラムであった」
(TAKEさん)by Hiroshi Hayashi, Japan
https://youtu.be/XlMPOJwwrr0

>>636 ss抜け失礼。。
0647卍3286卍ss
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2020/04/12(日) 11:29:09.08ID:8le/I/1Q
Multiple Giant Objects Pass The Moon?
https://youtu.be/AKC_Iaw9EN4

世は確実に変わってイキます。。
今迄の常識に囚われていると 確実にノリ遅れます。
0648卍3286卍ss
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2020/04/17(金) 18:13:16.15ID:R0P2T1ng
3217【19XR重追総】Miniature UFOs that appeared in my Study
私の書斎に現れたミニチュアUFO・総合検証版by Hiroshi Hayashi, Japan
https://youtu.be/a_EtsFjvqzE

視聴者情報によりさらに増えています。。
0649卍3286卍ss
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2020/04/17(金) 21:02:38.85ID:R0P2T1ng
01327 VD 超小型UFO+私を信じ、私を支えてくださったみなさん、
ありがとう!みなさんに神の祝福があらんことを!by Hiroshi Hayashi, Japan
https://youtu.be/DJKeJMHaZzE

証拠がナイから誰にも言えナイ。。
どうせ言っても信用されナイから誰にも言わナイ。。
この様に考えさせる世の風潮が真実を隠します。
0650卍3286卍。。
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2020/05/05(火) 02:57:35.86ID:lJjIXp4Z
Is This Proof That The Tether Incident Objects Were Under Extra-Terrestrial Control?
https://youtu.be/bgRD4mtDNJU

イルモノハイル。。
0651出土地不明
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2020/06/12(金) 08:04:16.12ID:RFSBfBUd
◎国内ない材質 渡来品か 下仁田で出土 7000年前の縄文時代耳飾り

 1987〜90年に群馬県下仁田町馬山の下鎌田遺跡から出土した約7000年前の装飾品「●(けつ)状耳飾けつじょうみみかざり」について、下仁田町は9日、中国や朝鮮半島からの渡来品の可能性があると発表した。
 主成分をX線で解析し、日本国内にはない材質と判明した。縄文時代の渡来品が科学的に証明されるのは国内でも珍しいという。
 町は、縄文時代にアジア大陸と何らかの交流があった可能性を示す貴重な資料だとしている。

◎ネフライト製と判明 「外国産 初の可能性」
 耳飾りは乳白色で、直径約11.5ミリの半円形。1987〜90年に同遺跡から出土し、同町下小坂の町歴史館に展示されている。
 昨年12月に台湾の中央研究院の飯塚義之研究技師が同館に来館し、蛍光X線分析をした結果、耳飾りがマグネシウムと鉄を含む「透閃石とうせんせき」を主成分とする鉱物「ネフライト」製と判明した。

 飯塚技師と共同で研究に携わった町自然史館の中村由克館長(明治大黒耀石研究センター・客員研究員)は、「『●(けつ)状耳飾』は国内でこれまで出土した他の耳飾りに比べ、ネフライト中の鉄の含有量がとても少ない」と説明。
(注:●(けつ)は、王へんに「決」のつくり。)
 こうした材質は東アジアに産地があり、中国や朝鮮半島から渡来してきた可能性があるとしている。

 その上で、中村氏は「国内でこれまで発掘された耳飾りのうち、外国産と判明したのは今回が初の可能性がある」と指摘。
 今後は福井県あわら市の桑野遺跡で発見された同様の耳飾りなど、他の遺跡の出土品の調査も進め、縄文時代の日本とアジアとの関連性を研究していく方針。

 群馬県立歴史博物館の右島和夫特別館長によると、土器や石器の製作技術の分析といった考古学研究から、7000年ほど前の日本に大陸との交流があった可能性は以前から指摘されていたという。
 「(今回は)自然科学的なアプローチで裏付けられたなら興味深い。今後の研究の展開に期待したい」と評価した。

 考古学のうち玉文化について50年以上研究する日本玉文化学会の藤田富士夫会長(敬和学園大客員研究員)は「日本列島での出土品に渡来品がある可能性があるとは思っていたが、今回の発表でその可能性が高まった。画期的な成果であり、興奮している」と話した。

https://www.jomo-news.co.jp/file/article/242/218242/160962-attachment.jpg

https://www.jomo-news.co.jp/file/article/242/218242/160963-attachment.jpg

https://www.jomo-news.co.jp/news/gunma/culture/218242
0652出土地不明
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2020/06/13(土) 20:48:18.54ID:VDNNKZEy
古墳人が身につけていた甲(よろい)=群馬県渋川市北橘町、県埋蔵文化財調査センター発掘情報館、柳沼広幸撮影
https://amd.c.yimg.jp/amd/20200613-00000032-asahi-000-1-view.jpg

 火山と共に暮らす群馬を象徴するような発見だった。
榛名山のふもとの渋川市金井の金井東裏遺跡で8年前、古墳時代の人骨が甲(よろい)をまとった姿で見つかった。
「甲を着た古墳人」の発掘は日本初。噴火による火砕流の犠牲者が1500年の永い眠りから目を覚ました。

 甲は、小さな鉄の板(小札(こざね))1800枚を絹糸の組みひもでつなぎ合わせた当時の最新技術だった。
人骨の下には冑(かぶと)も。
別の甲も巻いた状態で見つかった。
中にあった鹿の角で作られた小札の発見も国内初。
銀と鹿角(ろっかく)で飾った矛(ほこ)も発掘。
人骨は40代の男性で身長は164センチと推定された。
渡来系の特徴があった。

 男性は榛名山の方に向かってひざをつき、うつぶせに倒れていた。
「山の神に祈っていたのか、戦いを挑む姿をみせて邪(じゃ)を払おうとしていたのか」。
発掘調査した県埋蔵文化財調査事業団の杉山秀宏・上席調査研究員は、発掘状況や遺物から、災厄を避ける儀式を行おうとしていた可能性があるとみている。

 甲や冑、武器は装飾的で、実用というより権力の象徴とみられる。
近くでは朝鮮半島から伝わった馬が育てられ、鉄器や鹿角器が作られていた。
「専門的な技術者集団の村があり、そこの長(おさ)だったのでは」と杉山さん。
首飾りと一緒に見つかった女性「首飾りの古墳人」や、5歳前後の幼児、乳児の人骨も発掘された。
人の足跡や馬のひづめ跡、祭祀(さいし)跡からは大量の土器。
火砕流で人々の営みが一気に埋まり、当時の生活ぶりを今に伝えている。
(柳沼広幸)

6/13(土)16:55配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200613-00000032-asahi-soci
0653出土地不明
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2020/06/23(火) 23:43:09.16ID:dNtVr4x6
世界でも屈指の地名度を誇るイギリスの遺跡「ストーンヘンジ」。

そこから北東に約3キロ離れた地点で、謎の巨大シャフト群が発見されました。

シャフト群は、新石器時代の土塁である「ダーリントン・ウォール」を取り巻くようにして並んでおり、目的や用途は不明です。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/06/Durrington-1008x1024-670x681.jpg

研究主任のヴィンス・ガフニー氏(英・ブラッドフォード大学)は「ストーンヘンジ周囲はすでに調べ尽くされたと思っていたので、今回の発見は驚くべきこと」と話します。

しかも、シャフト群がつくる環状の直径は2キロに達し、国内で見つかった先史時代の遺跡としては史上最大とのことです。

一体、何の目的でつくられたのでしょうか。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/06/113015982_tv062070550.jpg

■環状に並べられたシャフト群

遺跡は、イギリスの複数の大学が参加する共同チーム「Stonehenge Hidden Landscape Project (SHLP)」により発見されました。

今回の発掘は、直接的な手作業ではなく、地中レーザー探査などを用いたリモートセンシング技術が使われています。

シャフトは、地中を掘ってつくられており、それぞれ直径10メートル、深さ5メートルもあります。それらがダーリントン・ウォールを中心にして、直径2キロの環状をつくっていました。

シャフト内の堆積物を調べた結果、建設年代は約4500年前と特定されています。

シャフトは全部で20個見つかっていますが、まだ10以上のシャフトが地中に隠されているとのことです。

ガフニー氏は「シャフトと環状のサイズはイギリスで前例がなく、ストーンヘンジ周囲の謎を再び深めることになった」と話します。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/06/113015984_tv062070538.jpg

■何のためにつくられた?

シャフト群の目的や機能について断定できる答えはまだありません。それでも研究チームは、いくつかのヒントをもとに推測しています。

まず、ストーンヘンジが「死者」と結びついていた場所なのに対し、シャフトの中心にあるダーリントン・ウォールは、ストーンヘンジの建設者が生活する「生者」の場所として知られていました。

このことから、環状に並んだシャフト群は「両者との聖域を区別するための境界線として使われたのではないか」と予測されます。


ストーンヘンジ/Credit: ancient-origins
この他の説として、ガフニー氏は「ストーンヘンジのような巨石群は、主に太陽や月の動きを考慮してつくられるため、環状のシャフト群も天文学に関連している可能性が高い」と指摘しました。

いずれの目的にせよ、シャフト群がこれまでにない規模や方法であることは間違いありません。また、当時の建設技術を考えれば、膨大な時間と労働力がかかったことは確かでしょう。

今回の発見により、新石器時代の文化や信仰について、歴史理解の刷新が求められるかもしれません。

研究の詳細は、「Internet Archaeology」に掲載されています。

A Massive, Late Neolithic Pit Structure associated with Durrington Walls Henge
https://intarch.ac.uk/journal/issue55/4/

https://nazology.net/archives/63043
0654出土地不明
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2020/06/24(水) 22:40:13.53ID:R1JjTJ1G
彗星が引き起こした核爆弾級の大爆発で古代人の集落が滅亡していたことが判明
https://gigazine.net/news/20200622-ancient-syrian-town-comet/



現在のシリアに位置する古代遺跡テル・アブ・フレイラには、1万3000年以上前に穀物を栽培した痕跡が見られ、「人類最古の農業の例」とされています。
そんな遺跡が、隕石により発生した爆発で滅亡していた可能性が高いことが、研究により明らかとなりました。

Evidence of Cosmic Impact at Abu Hureyra, Syria at the Younger Dryas Onset (~12.8 ka): High-temperature melting at >2200 °C | Scientific Reports
https://www.nature.com/articles/s41598-020-60867-w

Cosmic impact caused destruction of one of world's earliest human settlements -- ScienceDaily
https://www.sciencedaily.com/releases/2020/03/200306183153.htm

A Comet May Have Destroyed This Paleolithic Village 12,800 Years Ago | Science | Smithsonian Magazine
https://www.smithsonianmag.com/science-nature/comet-upended-life-paleolithic-village-12800-years-ago-180974575/

シリア北部を流れるユーフラテス川のそばには、かつてテル・アブ・フレイラという遺跡がありましたが、ユーフラテス川の氾濫を食い止めるための巨大ダム建設により、1973年にアサド湖の底に沈みました。
ダム完成に先駆けて行われた発掘調査では、旧石器時代と新石器時代という2つの異なる時期の集落跡が発見されています。


同じ場所にあった2つの時代の集落跡のうち、旧石器時代にあたる1万2800年前の遺跡からは、家屋の一部や道具とともに穀物などの食料の痕跡が見つかっていたことから、この遺跡はちょうど人類が農業を始めたころのものだと考えられています。
また、遺跡からは動物の骨などに混じって火災があったことをうかがわせるような痕跡も発見されていました。

ロチェスター工科大学の考古学者であるアンドリュー・ムーア氏は、「1973年にテル・アブ・フレイラを発掘した時に、この地域で激しい火災があったことが分かりました」と話しています。
遺跡で発見された火災の痕跡の中には、普通の火災でも発生する木炭や微小粒子のほかに、溶融ガラスや極小サイズのダイヤモンドも見つかっています。
これらは、当時の人類が起こすことのできる火では形成されないことから、落雷や火山噴火などの自然現象が原因ではないかと見られました。

以下は、テル・アブ・フレイラで見つかった溶融ガラスの粒の画像です。
https://i.gzn.jp/img/2020/06/22/ancient-syrian-town-comet/41598_2020_60867_Fig2_HTML_m.jpg
https://i.gzn.jp/img/2020/06/22/ancient-syrian-town-comet/41598_2020_60867_Fig1_m.jpg

その後の調査により、溶融ガラスが帯びる磁気が少ないことが分かったため、落雷の影響は否定されました。
また、含水率が低いという特徴が隕石衝突によって作られるテクタイトと一致していたことから、ムーア氏らの研究チームは、「遺跡から見つかった溶融ガラスは、火山などではなく隕石に伴うエアバースト(空中爆発)によるもの」と結論付けました。

ムーア氏は、溶融ガラスが発生した状況について「土壌に含まれる鉱物が溶融するには、最低でも1720〜2200度は必要になります」と述べました。
また、共著者であるジェームス・ケネット氏は「これほどの高温下では、自動車でも1分足らずで金属の水たまりになってしまいます」とコメントしました。


ケネット氏は、溶融ガラスがテル・アブ・フレイラの集落全体で見られることから、隕石によるエアバーストはテル・アブ・フレイラのすぐそばで発生したと考えています。
当時の様子についてケネット氏は「テル・アブ・フレイラの村は突然破壊されたに違いありません」と話しました。
テル・アブ・フレイラを滅亡させたエアバーストは、核爆弾に匹敵する破壊力で、直下にある土壌や植物を一瞬で気化させたと考えられています。

さらに、研究チームによると、テル・アブ・フレイラが位置する地域は、中東や北米大陸、ヨーロッパにまたがるヤンガードリアス境界層(YDB)と呼ばれる地層が存在する範囲の中にあるとのこと。
このYDBからは、テル・アブ・フレイラで見つかったものと似た隕石の痕跡が見つかっているほか、ちょうどテル・アブ・フレイラが1万3000年前には大規模な寒冷化が起きていることも分かっています。
こうした証拠から、テル・アブ・フレイラを滅亡させたエアバーストは単一の隕石などによって引き起こされたのではなく、断片化した彗星によって引き起こされた可能性があるとのこと。
0655出土地不明
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2020/06/26(金) 11:01:51.36ID:5Y+ruKB5
8000年前の謎の杭刺し頭骨、北欧男性の顔を復元
出土時に杭が刺さっていて話題に、目や皮膚の色も特定、スウェーデン
2020.06.24


■出土時に杭が刺さっていて話題に、目や皮膚の色も特定、スウェーデン

堂々たる風貌だ。50代くらいだろうか。灰色の立派なひげをたくわえ、イノシシの皮で作った服を着ている。
がっしりした胸には石灰で模様が描かれ、遠くにある何かを見つめるように青い目を細めている。
「リュドビック」と名づけられたその男は、8000年ほど前の北欧人だ。

 しかし、リュドビックは話せない。まだわかっていないことがたくさんあるだけに、非常に残念だ。

 これは、スウェーデン南部のカナルヨルデンという場所で約10年前に発掘された人骨から初めて復元された顔だ。
カナルヨルデンは紀元前6000年ごろの遺跡で、興味深いことに、小さな湖の中心に沈んでいた石壇には、動物や人の骨が何らかの意図をもって並べられていた。

 2018年に発掘に関する論文が公開されると、カナルヨルデンは世界中の注目を浴びることになった。
2つの頭骨の中に状態のよい木の杭が入っており、少なくともいくつかの頭骨が杭に刺されていたことを示していたからだ。
このようなものが見つかったのは初めてだった。
(参考記事:「8000年前の謎の杭刺し頭骨を発見、定説覆す」)

「とても魅力的で非常に複雑な遺跡です」と、カナルヨルデンの発掘プロジェクトを指揮したスウェーデン文化遺産財団のフレドリック・ハルグレン氏は述べる。

 顔の復元を依頼したのは、近くにあるムータラという町のシャルロッテンボリ城という博物館だ。
17世紀にリュドビック・ビーリッヒ・レーベンハウプ伯爵が建てた城で、リュドビックという名前はこの人物にちなんでいる。
復元された顔は23日から博物館で展示されている。

 ムータラの文化余暇局のトップを務めるハンナ・グラフマン氏は、顔が復元されたことで、町の人々は遠い祖先がどんな姿をしていたかを知ることができると述べる。
ただし、リュドビックという名前は「実際に石器時代に使われた名前ではありません」と言う。

カナルヨルデンは、2009年から2014年にかけて発掘された。
北欧の中石器時代を研究する考古学者にとっては、特に魅力的な遺跡だ。
この時代は北欧で最後の氷河期が終わった後で、1万1000年前ごろからはヨーロッパ西部や北東部から狩猟採集民が流入してきていた。

 カナルヨルデンの人骨は、北欧の中石器時代によく見られる土葬されたものとは異なっている。
紀元前6000年ごろに9人の男女の頭骨が何らかの意図をもって湖に沈められた。
頭骨はすべて杭に刺さっていた可能性があり、周辺にはイノシシやクマ、シカ、アナグマなどの動物のあごの骨(頭骨は含まれていない)が置かれていた。

「人間と動物が、象徴的な方法で、まるで互いを補い合っているかのようです」とハルグレン氏は言う。

続きはソースで

https://cdn-natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/062300375/01.jpg
https://pbs.twimg.com/media/C5Gex2qW8AAG2Mf?format=jpg

ナショナルジオグラフィック日本版サイト
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/062300375/
0656出土地不明
垢版 |
2020/06/26(金) 12:03:48.67ID:5Y+ruKB5
■古代も納期優先? ゆがんだ埴輪、透けて見える現場事情

上から見ると円形のはずが、ひしゃげて長円形になった円筒埴輪(はにわ)など、愛知県瀬戸市の本地(ほんじ)大塚古墳からの新出土品を中心に展示する企画展が、瀬戸蔵ミュージアム(瀬戸市蔵所町)で開かれている。
変形した埴輪は、古墳の築造を急ぐあまり「質」より「納期」を優先させたとも考えられ、古墳時代の“現場の事情”に想像が膨らむ。

 企画展は「新出土品展 瀬戸市指定史跡本地大塚古墳――矢田川流域の古墳と埴輪」。
本地大塚古墳(瀬戸市西本地町)で2015年に実施した発掘調査の出土品を中心に、いずれも5〜6世紀に築造された、
池下古墳(名古屋市守山区)、長坂古墳群(尾張旭市)、駒前1号墳(瀬戸市)、須恵器や埴輪を作っていた城山窯跡群(尾張旭市)、卓ケ洞窯跡群(同市)を、
円筒埴輪や形象埴輪(人物像の一部や水鳥など)など約110点の出土品で紹介する。

 本地大塚遺跡は瀬戸市内で唯一、前方後円墳と分かる古墳。
今回の調査で墳丘の周囲に二重の溝が見つかり、長さ約80メートル、幅約67メートルの規模と確認された。

 ひしゃげた円筒埴輪は、墳丘周辺で見つかった円筒埴輪に含まれていた。
古墳で多く見つかる赤色の土器質円筒埴輪と違い、灰色をしていて硬い。
須恵器と同じ須恵質の円筒埴輪で、当時始まったばかりだった窯を築いて焼成する技術で作られた。

https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20200623004518_commL.jpg
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20200623004519_comm.jpg

朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASN6R75SYN6KOIPE00T.html
0657出土地不明
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2020/06/27(土) 00:15:52.27ID:3Lk7AyOy
2600年前、武器とともに埋葬されていたのは13歳の少女戦士だった。遺体調査で明らかに(シベリア)

30年前に発見された若き戦士の遺体
https://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/0/c/0ca38e93.jpg

 ギリシャ神話に登場する、女性だけの部族で構成される伝説の戦士部族「アマゾーン」は伝説上の存在とされてきたが、実はかつて、中央アジアで勢力を誇ったスキタイ人がモデルだったという説がある。

 今回、これまで少年だと考えられてきた2600年前の戦士の遺体が、じつは13歳の少女であることが判明したそうだ。アマゾーンの正体がスキタイ人であるという説がまたも裏付けられたそうだ。

■30年前に発見された若い戦士の遺体
 1988年、現トゥヴァ共和国サリグ・ブルン(Saryg-Bulun)で半ばミイラ化した若い戦士の遺体が発見された。
保存状態は良好で、顔のいぼも確認できるほどだった。
 お腹には荒い縫い目があり、ミイラにするために処理されたらしきことが見て取れた。その一方で、そうした遺体によく見られるトレパネーション(頭蓋骨に穴を開けること)が行われた形跡はなかった。
 副葬品には、斧、カバノキの弓、矢筒に入った70センチの矢10本といった武器一式が揃っていた一方で、ビーズや鏡などの遺体が少女であることを示すものはなかった。
 そのために発見当時は少年の遺体と考えられた。

■最新の調査により13歳の少女戦士であることが判明
 それから時が流れ、分析の技術も比べ物にならないくらい発達した。
 そして、このほどモスクワ物理技術研究所の研究チームがDNA検査を行った結果、じつはようやく13歳になったくらいの少女だったことが判明したそうだ。
 「武器と一緒に埋葬されていた子供の遺体は、初期遊牧社会の社会構造について新しい見方をもたらしてくれます」と、1988年に遺体を発見したマリーナ・キルノフスヤカ氏(サンクトペテルブルク物質歴史文化研究所)はコメント。
 この意外な新事実は、スキタイ人社会の新たな側面を現代に伝えるとともに、専門家はヘロドトスが伝えたアマゾーンの伝説へ目を向けざるを得なくなるだろうと彼女は話している。

■伝説の女戦士部族アマゾーンとスキタイの女性戦士の関係
 ギリシア神話に登場するアマゾーンは女だけの戦士部族で、小アジア(現トルコ)のテミスキラを本拠地としていたと伝えられている。
 アナトリア半島にその武勇を轟かせるが、英雄ヘラクレスやアキレウスとの戦いで衰退し、最後は女王を討ち取られて滅亡した。
 長いこと伝説上の存在で実在した部族ではないと考えられてきた。
 しかし今では、紀元前9〜2世紀頃に中央アジアで勢力を誇ったイラン系遊牧騎馬民族「スキタイ」を見た古代ギリシア人が、その文化や習慣を誇張して伝えたものという説が有力だ。
 スキタイでは女性の地位が高く、女であっても幼い頃から戦う訓練を積んでいたことで知られている。
 また「エナレス」という男が女になる謎の病気が伝えられている(ヒポクラテスによると、馬の乗り過ぎが原因らしい)。
 古代ギリシアの医師ヒポクラテス(紀元前460〜360年)もまた、スキタイ人の1グループで、馬上での戦闘に長けた「サルマタイ」という遊牧民には女戦士がいた旨を記している。
 女たちは処女であるかぎり馬に乗り、馬上で弓を射て、槍を投げ、敵と闘う。
敵を3人屠ると処女を捨て、伝統の神聖な儀式を受けてから結婚する。
 ひとたび夫を娶れば、遊牧でやむを得ぬ場合以外は馬に乗らない。

■毛皮のコートを着て埋葬されていた少女戦士
 少女の戦士は、トビネズミの毛皮で作った膝下まである長袖のコートを着た状態で埋葬されていた。
 その下にはシャツを着ていたが、こちらはすでに失われてしまっている。さらに薄茶色とベージュのズボン(スカートである可能性も)を履いていた。
 頭には革製の帽子をかぶっており、そこには赤い染料で螺旋状の装飾が施されている。
 少女が生きていたのは2600年前だと推定されている。
 棺は木製で、50センチほどの深さのところに南西へ向けて埋められていたとのことだ。

https://news.biglobe.ne.jp/trend/0622/kpa_200622_7451858096.html
https://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/b/a/bab88984.jpg
0658出土地不明
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2020/07/05(日) 18:02:18.89ID:QjLseCtR
古代人が行った土壌改革がアマゾン川流域の生物多様性を生み出しているとの研究結果

アマゾン川流域は土壌の養分が少ないやせた土地であり、農業には向いていませんが、「テラ・プレタ」と呼ばれる一部の土地はしっとりと黒く豊かな土壌であることが知られています。
このテラ・プレタは農業に従事した古代人によって生み出されたとされていますが、ブラジルのマトグロッソ州立大学やイギリスのエクセター大学の研究チームはテラ・プレタが農業に適しているだけでなく、アマゾン川流域の生物多様性にも貢献しているとの研究結果を発表しました。

Legacy of Amazonian Dark Earth soils on forest structure and species composition - Oliveira - - Global Ecology and Biogeography - Wiley Online Library
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1111/geb.13116

Research news - Innovation by ancient farmers adds to biodiversity of the Amazon, study shows - University of Exeter
https://www.exeter.ac.uk/news/research/title_801967_en.html
https://i.gzn.jp/img/2020/07/03/ancient-farmer-add-amazon-biodiversity/img-snap04382_m.png

土壌がやせているアマゾン川流域では、森を開墾しても強い日差しや豪雨にさらされると養分が失われてしまい、近代的な化学肥料を用いても豊かな状態を維持できないとのこと。
そのため、アマゾン川流域では焼き畑農業のような非持続可能な農業はできるものの、大規模で持続可能な農業を行うことは不可能だと考えられていました。

ところが、オランダ人の土壌学者であるビム・ソンブルク氏が1950年代にアマゾン川流域を調査したところ、一部の場所には驚くほど豊かな土壌が存在していることを発見。
しっとりとした黒い土であるこの土壌は、テラ・プレタと名付けられました。
テラ・プレタの起源については自然発生的に生まれたものという見方もあったものの、主に集落跡で発見されている点や、陶器の破片や動物などの骨、人間の排せつ物といったものが土壌に堆積していた点から、多くのテラ・プレタは人為的に作られたものであると判明しています。

テラ・プレタは1つの区画が平均で20ヘクタールほどで、付近の土壌に乏しい窒素・リン・カルシウム・亜鉛・マンガンといった栄養素を豊富に含んでいます。
テラ・プレタはさまざまな有機物に加え、並外れて高濃度の炭を含有していることが特徴であり、土壌に含まれる炭や高レベルの微生物活動によって栄養素の流出が防がれているとのこと。

テラ・プレタは紀元前450年から紀元後950年の間にアマゾン川流域に作られたといわれており、この地域に住む先住民らの人口を支えてきたと考えられています。
ところが、ヨーロッパ人が南アメリカ大陸に進出すると、先住民の人口が疫病などで大幅に減少して生活様式も変化したため、多くのテラ・プレタが放棄されてしまいました。

それでも、テラ・プレタは放棄されてから数百年にわたって豊かさを維持しており、未だにテラ・プレタの土壌を使った畑では、隣接した他の畑と比較して豊富な種類の作物を栽培・収穫できるとのこと。
また、一般的な穀類の収量もかなり多いことに加え、強い日差しや雨にさらされてもなかなか土壌がやせないそうです。

放棄されたテラ・プレタがアマゾン川流域の植生にどのような影響を与えているのかを調べるため、マトグロッソ州立大学やエクセター大学の研究チームは、アマゾン東部のタパジョース川やシングー川の流域で土壌の豊かさや植物のサンプルを測定する研究を行いました。
その結果、テラ・プレタの土壌が他の土壌と比べて有意に豊かであることが再確認されたほか、他の土壌とは違う植生が存在していることが判明したとのこと。

論文の筆頭著者であるEdmar Almeida de Oliveira氏は、「テラ・プレタは周囲の森と違う種類の植物が存在し、より大きく生長するエリアです」と指摘。
単に生長する植物の種類が違うだけでなく、テラ・プレタでは食用になる植物が多い傾向もみられました。

近年ではテラ・プレタが再び地元や先住民の人々に耕作され始めているとのことですが、未だに熱帯雨林の中に埋もれて生物多様性に貢献しているテラ・プレタも少なくないとのこと。
しかし、違法な森林破壊や山火事によって、1000年以上にわたって維持されてきた貴重なテラ・プレタが失われることも懸念されています。
共著者であるBeatriz Marimon氏は、「テラ・プレタは種の豊かさを増加させ、地域の生物多様性を保全するために重要な考慮するべき事柄です」と述べました。

https://gigazine.net/news/20200703-ancient-farmer-add-amazon-biodiversity/
0659出土地不明
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2020/07/07(火) 01:27:13.55ID:2ALjL8KX
●世紀初頭、前葉、中葉、後葉、末葉って、それぞれいつ頃のことですか?
0660出土地不明
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2020/07/07(火) 03:36:41.49ID:GGkm7XJ2
>>659
何年何月何日と言わないと理解できないのなら
大体そこら辺と言われても理解できまい
あきらめろん
0661卍3286卍ss
垢版 |
2020/07/07(火) 03:58:57.43ID:Ccn3bOTL
01406 VD 東京上空で爆発した隕石周辺に現れた、謎のUFO+その再検証版動画について
by はやし浩司 Hiroshi Hayashi JP
https://youtu.be/6cl6apuffaw

ありがとうY.H.T。。
0662出土地不明
垢版 |
2020/07/07(火) 09:56:48.78ID:zCTT1UuT
海中遺跡が「1万年前の古代人の鉱山」だったという研究結果 メキシコのユカタン半島

メキシコのユカタン半島にあるキンタナ・ロー州で発見された海中遺跡が「現代から約1万年前の古代人が使っていた鉱山」であるという説が発表されました。
https://i.gzn.jp/img/2020/07/06/scuba-diver-found-prehistoric-complex/00_m.jpg

Paleoindian ochre mines in the submerged caves of the Yucatán Peninsula, Quintana Roo, Mexico | Science Advances
https://advances.sciencemag.org/content/6/27/eaba1219

Sagitario/La Mina | Cindaq
https://www.cindaq.org/copy-of-sagitario-la-mina

Canadian scuba diver in Mexico accidentally discovers vast, prehistoric industrial complex | National Post
https://nationalpost.com/news/world/a-canadian-scuba-diver-in-mexico-accidentally-discovers-a-vast-prehistoric-industrial-complex

Deep in since-flooded caves, researchers find evidence of America's first miners
https://www.nbcnews.com/science/science-news/deep-flooded-caves-researchers-find-evidence-america-s-first-miners-n1232871

問題の地下遺跡は、キンタナ・ロー近郊の地下河川や海底洞窟などの保護を行う科学機関Quintana Roo Aquifer System Research Center(CINDAQ)に所属するフレッド・デヴォス氏とサム・ミーチャム氏が2017年に発見したもの。
デヴォス氏らは水中洞窟の測量に関する実地講座のため、キンタナ・ロー州アクマル近郊でダイビングを行っていたところ、今まで見逃されていた洞窟の存在に気がつきました。
デヴォス氏がその洞窟の調査を行ったところ、洞窟内から人骨や石器、人為的に掘られた穴、道しるべのための石塚、木炭作成用の炉床など、人間の痕跡が多数残されていることが明らかになりました。

CINDAQは、発見された洞窟の映像を公開しています。

LA MINA DISCOVERY 1 0 - YouTube
https://youtu.be/wJL5mBCP4ZU

内部は鍾乳洞で覆われています。


地面には10人分の人骨だけでなく、剣歯虎(サーベルタイガー)などの更新世の生物の骨も残されていました。


ダイビングチームは計1万8000枚の3D写真を撮影し、内部の精巧な3Dモデルも作り上げています。

放射性炭素年代測定の結果、この洞窟は約1万年から1万2000年前に古代人によって使われていたものの、約8000年前の洪水によって水没したことが判明。
一方で、「古代人が洞窟で何をしていたのか」については1年以上にわたってわからないままでした。

研究チームは、一連の調査の中で天然の赤色顔料として用いられる赤鉄鉱などの痕跡が発見されたことから、問題の洞窟が赤鉄鉱の鉱山だったと結論付けました。

赤鉄鉱を使った赤色顔料は血の色に似ていることから、何十万年にもわたって儀式や埋葬、ボディーペイントなどに用いられただけでなく、日焼け止めや防腐剤、防虫剤としての効能もあったとのこと。
研究チームのブランディ・マクドナルド氏は、「古代人のコミュニティ内で、赤色顔料は儀式的な使われ方と実用的な使われ方をしており、その用途は時間とともに変化したと考えられます」とコメント。
問題の洞窟から産出された赤鉄鉱は粒子が細かく、ヒ素を含んでいたとみられることから、「特に貴重で、薬効が高かった可能性があります」と述べています。

https://gigazine.net/news/20200706-scuba-diver-found-prehistoric-complex/
0663出土地不明
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2020/07/07(火) 19:23:30.30ID:NfPxI89O
>>660
聞き方が悪かったです。
初頭は第1四半期のとこまで?
前葉は第1四半期のとごから?
みたいたこと聞きたかったです。
0664出土地不明
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2020/07/07(火) 22:18:36.96ID:GGkm7XJ2
>>663
数学ではないので決まった数字はありません
初頭はほんの始まりで私の感覚では最初の5年以内
しかし別の人は10年までと言うかもしれない。
国語のことなのであやふやさを容認しなければなりません
0665出土地不明
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2020/07/08(水) 01:26:14.03ID:2c3xe34+
縄文時代だと
草創期が約1万6,000〜 1万2,000年前、
早期が約1万2,000〜7,000年前)、
前期が約7,000〜5,500年前、
中期が約5,500〜4,500年前、
後期が約4,500〜3,300年前、
最晩期(末期)が約3,300〜2,800年前・・・
みたいな感じで説明される(諸説あります) けど
https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/0938605100/0938605100100010/ht000960
0666出土地不明
垢版 |
2020/07/08(水) 02:15:14.23ID:O1ltTcnL
世紀単位だと
○葉は30年目安
初頭は最初の10年目安
末は最後の10年目安

と教わった記憶がある
0667出土地不明
垢版 |
2020/07/09(木) 12:30:20.20ID:XOx2TmyU
2016年9月、アメリカ・フロリダ州ケープカナベラル、ファルコン9ロケットの打ち上げが失敗しロケットは大爆発した。
その映像に、謎の点が横切る姿や爆炎の上方にアダムスキー型UFOにも見える光体が映り込んでいた。
これらは、ファルコン9ロケットの打ち上げを監視していたUFOなのだろうか・・・?

3273【10再参】The Explosion of Falcon XファルコンXの爆発事故の背後を飛ぶUFO?それは虫か?by Hiroshi Hayashi, JP
https://youtu.be/zhUIXmQuM8Q

SpaceX - Static Fire Anomaly - AMOS-6 - 09-01-2016
USLaunchReport
https://youtu.be/_BgJEXQkjNQ?t=64

動画ではファルコン9の爆発が起きてから、爆発音が聞こえてくるまで12秒ほどかかっている。
このことからロケットの打ち上げ場所から撮影地点までは、3キロメートル以上離れていて、撮影は望遠レンズでなされたものとわかる。
望遠レンズでは遠近感が圧縮されるため、距離感や大きさがわかりにくくなることも少なくない。
よって、カメラの前・・数10センチから数10メートルの間を、虫や鳥が横切って飛んだとしたら、このような映像になるだろう。
実際にファルコン9爆発シーン前後の映像を見れば、爆発シーン以外にも似たような映像がある。
2017年3月25日にNHK・BSプレミアムで放送された「幻解!超常ファイル ダークサイド・ミステリー『 File-20 徹底追究!超常映像の正体に迫る!2017』」でも、
カメラから50メートル離れた距離で、昆虫サイズの物体を動かして検証撮影を行い、同じような映像を撮影することに成功している。
アダムスキー型UFO(の着陸ギアとされる3つの球体)にも見える光体は、爆発で吹き飛ばされた、ファルコン9の破片だと考えられる。
映像をよく見ると、最初は光っていない黒っぽい破片だったものが瞬く間に炎に包まれたのだろう・・光って見えるようになっているのがわかる。
ほかの部分にも明らかに爆発で炎上し、吹き飛ばされた破片が、同じような光体に映って見えている。
「光体と爆炎の動きが同調していない」とする意見もあるようだが、破片が吹き飛ばされるのと爆炎が巻き起こるのが、全く同じタイミングならばともかく、わずかなりとも時間差があれば、同調した動きをしなくとも不思議なことではない。
実際に特撮映画などの火薬やガソリンを使った爆発シーンをいくつか見ればわかるが、吹き飛ばされた破片と爆炎や煙とは、必ずしも同調しているわけではない。
0668出土地不明
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2020/07/09(木) 12:46:53.86ID:XOx2TmyU
ヨルダンで1万年前の人型石器を発見! 「人をモチーフにした芸術の最初期作品」である可能性あり


紀元前8500年頃の新石器時代初期、人類の芸術のモチーフが「動物」から「人間」へと移っていきました。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/07/Neolithic-Figurines.jpg

それ以前は、壁画にせよ彫刻にせよ動物が多くを占めていましたが、この時期から人間に焦点を当てた作品が急増します。
これは一種の芸術革命でした。

その一方で、これほど劇的なシフトがなぜ起きたのかは分かっていません。

ところが今回、中東の国ヨルダンで発見された人型の石器により、芸術革命が起きた理由が初めて示唆されました。

そこには、初期人類の「死者への意識」と「精巧な埋葬形式の増加」が関係していたようです。

研究は、スペイン科学研究高等評議会などにより報告されています。

■人型石器は埋葬用の供え物だった

人型石器が見つかったのは、ヨルダン西部のザルカ渓谷にある「カレイシン遺跡」です。

石器は、埋葬された7体の遺骨やその他、石から作られたナイフやボウルとともに発見されました。

遺骨の中には、おそらく儀式か埋葬の一環として、骨格の一部や頭蓋骨が取り除かれたものが見られます。
また、他の場所にあった遺骨を掘り返して、この地に埋葬し直されたものありました。

このプロセスは、数年にわたり複数回繰り返されたようで、埋葬や儀式が複雑化した可能性があります。

同じ場所で見つかった人型石器は、矢尻や火打ち石として使われた可能性もあるため、石器の形状や表面を入念に調べました。

その結果、石器はすべて紀元前8000年頃に同時に作られたもので、意図的に人型がデザインされており、また、道具として使った形跡が一切ないことが判明しました。

研究主任のユアン・イバニェス博士は「埋葬用の供え物として作られたと見て間違いない」と指摘します。

■死者への意識変革が新たな芸術を生んだ?

「人型にデザインされた副葬品」「精巧で複雑化した埋葬形式」といった点を踏まえると、新石器時代に死者を追悼する念が強くなっていたことが考えられます。

その気持ちの現れとして、人をかたどった置物が作られたのでしょう。

つまり、人間をモチーフにした芸術が増えたのは、新石器時代に死者崇敬の重要性が高まり始めたことと関係するかもしれないのです。


同じ場所で見つかった人型の粘土像
カレイシンは、約25万平方キロメートルに及ぶ広大な遺跡であり、現在までに発掘されているのはわずか1%程度です。

そのため、まだ多くの芸術作品や歴史的遺物を隠している可能性が高く、今後の発掘調査に期待がかかっています。

研究の詳細は、7月7日付けで「Antiquity」に掲載されました。

Flint ‘figurines’ from the Early Neolithic site of Kharaysin, Jordan
https://www.cambridge.org/core/journals/antiquity/article/flint-figurines-from-the-early-neolithic-site-of-kharaysin-jordan/FFEB57291718AF9FF216F1113844C61B

https://nazology.net/archives/64138
0669出土地不明
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2020/07/17(金) 06:29:41.18ID:0xjUJwfo
『人は人を食べたのか、4つの事例を読み解く』

2017年1月4日、ベルギーのゴイエ洞窟群で4万年前のネアンデルタール人が食人を行っていた証拠が見つかったというニュースが流れた。
トナカイなど他の動物の獲物と同じように、人間の骨を割って骨髄を取り出した痕跡が見つかったのだという。

4万年前というのは、ネアンデルタール人が我々ホモ・サピエンスに追いやられつつあった時代。彼らはなぜ食人という行動をとったのだろうか。
たんに空腹を満たすためだったのか、それとも身近な者の死を悼む神聖な儀式だったのだろうか。
それは不明だと発掘に当たったベルギーの考古学者は言っている。

今から1800年ほど前の現生人類の遺跡からも食人を示唆する痕跡が発見されている。
古代のヨーロッパ西部に住んでいたケルト人は、ドルイド教と呼ばれる宗教を信仰していた。その儀式の中に生け贄があった。
ユリウス・カエサルが率いたローマ帝国の遠征隊が残した文書によれば、ドルイド(ドルイド教の司祭)は「祭壇を捕虜の血で覆い、人間の臓物を通じて神意を伺うことを聖なる義務と見ていた」という。

実際、英国アルベストンの洞窟から、西暦200年頃のローマによる征服時代のものとされる150人もの人骨が出土している。
頭蓋骨が割られた跡が残る犠牲者はドルイドによる生け贄の可能性があるという。
英国ブリストル大学の考古学者、マーク・ホートンは、「もしかするとこれらの遺体すべてが神に捧げた大きな犠牲だったのかもしれない。ローマ人に対する勝利を得るために」と語る。

1世紀の古代ローマの歴史家、大プリニウスはドルイドについて語る中で、ケルト人は儀式として食人を行った、つまり敵の肉を自分の心身を強化するものとして食べたのではないかと述べている。
実際にアルベストンの洞穴の骨には、まがまがしい凶事が行われた可能性を示すものがあった。遺体の大腿骨が、栄養豊かな動物の骨髄を取る時と同じように割り開かれていたのだ。

世界中の古代遺跡からは、おびただしい数の生け贄の遺骨が見つかる。
ペルー北部にある古代のピラミッド「ワカ・ラスベンタナス」近くで見つかった生け贄の埋葬跡には、100体を超す人骨が辺り一面に散乱していた。
西暦900年から1100年頃までの間、ペルー北部の沿岸を支配したランバイエケ文化(シカン文化という名でも知られている)の中心だった地域にある遺跡だ。

中南米のマヤ、アステカ、インカ文明の遺跡でも、生け贄の習慣は多数見つかる。
しかし、ワカ・ラスベンタナスで発見された人骨は、すべて自発的に儀式に参加した地元民のものだったようだ。
この儀式は誰かの死の葬礼であり、死者の魂が「新しい生命として再びこの世に再生する」ことを願うものだったと考古学者は考えている。

2010年には、ネパールの切り立った崖にある洞穴で27人の男女が埋葬された遺体置き場が見つかった。
埋葬が行われたのは1500年近く前のことで、子どもの遺体も含まれていた。
研究者の調査によると遺体には切り傷が残され、67%は肉をはぎ取られていた。これは、ヒマラヤに知られざる死の儀式があったことを示している。

海抜4200mにあるこの洞穴は人手によって掘られたものだ。ネパール中央北部にあるサムゾンという村落から仰ぎ見る赤茶けた断崖に、自然の形状を残した状態で穿たれている。洞穴が掘られた当時は、梯子をかけて登ったのだろう。浸食が進んだ今では、熟練の登山家でもなければ誰も近づけない。

遺体の肉をはぎ取る風習を持った人々がどんな部族だったのか、またなぜ暗い洞穴の中でこの儀式を行ったのか、ほとんど何もわかっていない。
しかし、一つだけ確かなのは、食人ではなかったということだ。
米カリフォルニア大学マーセド校の考古学者、マーク・アルデンダーファー教授は、「食べるのが目的なら、肉をはぎ取った時の骨の扱いがまったく違うはずだ」と言う。

この場所は生け贄を捧げる所ではなく、どうやら埋葬地だったらしい。
遺体の肉をはがして洞穴に埋葬するやり方は、これまでに知られているチベットの鳥葬や、死者の肉を動物に餌として与えたゾロアスター教の葬礼に似たもので、これまでに知られていない弔い方ではないかとアルデンダーファーは説明する。

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/16/111800018/011800003/
0670出土地不明
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2020/07/21(火) 12:45:17.72ID:NCDS0roA
3000年前の古代エジプトの「叫ぶ女のミイラ」の死因が判明! CTスキャンにより死の直前の様子が明らかに


1881年、エジプトの都市ルクソールにて、古代エジプトの王墓が発見されました。

そこには、第21、22王朝時代(BC1069〜730頃)の王族のミイラが安置されており、墓荒らしから守るために隠したものと思われます。

その中に「叫ぶ女のミイラ(The Screaming Woman Mummy)」と呼ばれる、一風変わった奇妙なミイラが見つかりました。

古代エジプトのミイラは普通、来世の復活のために丁寧に安置処理されますが、この女性は断末魔の叫びを留めたような表情と固くねじれた身体のままミイラ化されていたのいたのです。

王族と思われるミイラがなぜこのような状態で安置されたのか、これまで大きな謎となっていました。

しかし、カイロ大学の最新研究により、女性は心筋梗塞に伴う激しい痙攣を起こしていたことが判明しています。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/07/30888876-8534593-image-a-4_1595008351980.jpg
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■もう一体の「叫ぶミイラ」

実は、まったく同じ場所でもう一つ別の「叫ぶミイラ」が見つかっていました。

このミイラについては、以前の調査により、第20王朝の王子ペンタウア(BC1173〜1155)と特定されています。

ペンタウアは、実父であるラムセス3世殺害に共謀した罪で、首吊りによる自殺を強制されました。

彼の遺骸は不浄なものと見なされ、王族であるにもかかわらず、正式な防腐処理がなされず、羊の皮で巻かれただけでした。

その悲壮な最期は、ペンタウア自身の表情が物語っています。
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激しい痙攣で身体が硬直?

一方、「叫ぶ女のミイラ」は、ペンタウアより恐ろしい表情を留めています。

顔は右に傾き、胴体は硬直して、足は交差するようにねじ曲がっていました。

大きく開かれた口元は、苦痛の表情を示しています。


高級なリネンに包まれた女性のミイラ
研究チームのザヒ・ハワス氏とサハール・サレーム氏は「この女性もペンタウアと同じく乱雑に扱われた可能性がある」と考え、調査を開始しました。



CTスキャンおよびDN分析の結果、女性は約3000年前に60代で亡くなり、ペンタウアと違って、内臓が取り除かれて香料や樹脂などが入れられ、丁寧な防腐処理が施されており、高価な純リネンで包まれていました。

またコンピューター断層撮影によると、女性は「アテローム性動脈硬化症」を患っていたようです。

この病気は、大動脈・脳動脈・冠動脈といった太い動脈に起こる硬化症で、動脈の内壁にコレステロールなどからなるドロドロした脂質(アテローム)がたまり、重症化すると狭心症や心筋梗塞、脳梗塞を起こします。


深刻な動脈硬化の跡が見られた
アテローム性動脈硬化症は、高血圧、糖尿病、肥満、喫煙、運動不足、座る時間が長い生活などが主な発症原因です。

この女性の場合は、動脈硬化による心筋梗塞が死因と見られ、死の直前に激しい痙攣を起こしてそのまま硬直したのでしょう。おそらく、死後何時間も発見されずに放置されたことで、身体が元に戻らなかったようです。

王族ならではの贅沢な生活習慣が祟ったのかどうかは不明ですが、ペンタウアのような罪人ではなかったと思われます。

https://nazology.net/archives/64940
0671出土地不明
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2020/07/22(水) 00:11:06.29ID:ADW++E+h
●遊牧国家「匈奴」の幻の「竜の都」 モンゴルで遺構が発見

モンゴル中央部を流れるオルホン川沿いの発掘調査で、ルンチェン、またはルウト(「竜の都」の意味)で名を馳せた、遊牧国家「匈奴」の首都が見つかった。

匈奴は紀元前220年から2世紀まで中国の北方に栄えた一大遊牧国家。万里の長城が建設されたのも、匈奴の進入を防ぐのが目的だった。

https://cdn1.img.jp.sputniknews.com/img/694/91/6949100_0:121:1350:852_1000x0_80_0_1_2dace8fcf86c45c4f89e09a9445802ab.jpg.webp

発掘調査はモンゴルのウランバートル大学が主体となってアルハンガイ州ウリジンスキー地区で行われた。
発掘関連のニュースサイト「ヘリテージ・デイリー」によれば、古代都市の遺構は2017年に最初に発見されていたものの、研究者らは3年を経て、この発見を公表した。

発掘現場からは都市の二重の壁、ため池、「天子」の飾り文字の入った建物の跡が見つかったことから、考古学者らは遺跡が匈奴のかつての「竜の都」のルンチェンではないかと考えている。

この発見に対して、考古学者らの間からはそもそもルンチェンが存在したかどうかを疑う説も多く挙げられている。

https://jp.sputniknews.com/science/202007207627634/
0672出土地不明
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2020/07/23(木) 23:39:06.84ID:riOGYWES
人類、3万年前から米大陸に 通説より1.5万年早く メキシコ中部の洞窟で発掘された石器から

【7月23日 AFP】メキシコ中部の洞窟で発掘された石器から、人類が3万年前に北米で暮らしていたことが強く示されたとする論文2本が22日、英科学誌ネイチャー(Nature)で発表された。
通説より1万5000年ほど前に人類が米大陸に存在していたことになる。

【特集】古代生物図鑑〜太古に生きた奇妙な動物たち

 論文によると、高山地域にあるチキウイテ洞窟(Chiquihuite Cave)では石器1900個を含む人工遺物が見つかり、およそ2万年間にわたり人類が住んでいたことが示された。

 同国のサカテカス自治大学(Universidad Autonoma de Zacatecas)の考古学者で論文の筆頭執筆者であるチプリアン・アルデレアン(Ciprian Ardelean)氏はAFPの取材に「私たちの研究結果は、人類が米大陸に古くから存在していたことを示す新たな証拠となる」と述べた。

 放射性炭素年代測定の結果、最も古い遺物は3万3000年前から3万1000年前のものと推定された。
アルデレアン氏は「その年代の範囲内の遺物はごくわずか」であるものの、「それでも存在している」と述べている。

 現場からヒトの骨やDNAの痕跡は見つからなかった。論文は「人類の移住サイクルの中で繰り返し起きた季節的事象に応じて、人類がこの場所を比較的頻繁に使っていた可能性が高い」と結論付けた。

 米大陸は現生人類ホモ・サピエンスが最後に定住した大陸。人類到達の時期や経緯については激しい議論が交わされており、今回の研究結果に対しても異論が出る公算が大きい。(c)AFP

https://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/c/7/-/img_c78c0664436c60c764618690e261c706129399.jpg
https://www.afpbb.com/articles/-/3295255
0673出土地不明
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2020/07/24(金) 10:02:20.44ID:oxDQBXWs
『縄文時代』の土器…水中鍾乳洞に残る“人の営み” 奄美群島沖の水中鍾乳洞から発見された土器(動画)

■動画
https://youtu.be/jtO2-vKlbmY

鹿児島市から南へ約470キロ、奄美群島の一つ、徳之島の小さな集落の一角に伝説の泉はある。地元では“陸の中の海”と呼ばれている。
もともと、潮の満ち引きに合わせて水位が変わることから、地下で海とつながっているとされてきました。
海への出口を探すため、水中探検家の広部俊明さんが、2018年から調査を始めていました。

地下に広がっていたのは、巨大な空間です。
そびえたつ、いくつもの石柱。長年の時が作り上げた自然の芸術がありました。
海に向かって伸びる鍾乳洞は約500メートルを超えています。
いまだ海への出口は見つかっていませんが、総延長1キロを超える“日本最大級の水中鍾乳洞”の発見となりました。
そんな鍾乳洞の入り口から70メートルの付近で、土器を見つけました。
地元の学芸員は、ある仮説を立てました。
 天城町の文化財担当・具志堅亮さん:「ここで使用されて、そのまま取り残されたものだとすれば、7000年以上前の人たちが使った焼き物なのかなと」
この鍾乳洞はもともと陸地でしたが、約7500年前、海面が上昇し、水に沈んだと考えられています。
具志堅さんの仮説を確かめるため、土器を引き揚げ、いつの時代のものか科学的調査をすることになりました。

水中に土器の年代は、どのように調べるのでしょうか。
 土器の分析をする小畑直也さん:「“熱ルミネッセンスという年代測定”を使って、土器の年代を調べようとしている。一言でいうと、放射線をどれくらい浴びているかを測る方法」
土器は作られてから現在まで、周りの土などから、常に、わずかな放射線を受け続け、それが蓄積しています。
土器の中から鉱物を取り出し、測定装置のある研究所で放射線の量を測っていきます。

調査開始から約5カ月。年代が判明しました。
 天城町の森田弘光町長:「約1万1700年前から7400年前の間に製作されたという結果が得られた。これによってウンブキ(鍾乳洞)の内部に、古い時代の遺跡が存在している可能性が高くなったと考えられる」
土器がずっと海底にあったとすれば1万年以上前。陸上にあったとすれば7000年以上前のものとなり、縄文時代の土器であるという結果です。
 具志堅亮さん:「こういった洞窟遺跡が沖縄・奄美で近年、発掘されて、徳之島の人も含めて、洞窟遺跡を積極的に利用して、居住空間とか生活に利用したことが近年わかってきている。もしかすると、ウンブキ(鍾乳洞)も、古い時代に生活空間として、利用された可能性が十分に考えられる」

縄文時代には、日本各地で洞窟の中に人の暮らしがあったと考えられています。
この鍾乳洞からは 複数の土器や模様が施された“欠片”がいくつも見つかっています。
今回の調査で、鍾乳洞に人の営みがあった可能性がさらに高まりました。
 森田弘光町長:「7400年前、ウンブキ(鍾乳洞)は陸上にあって私たちの先祖、ルーツにあたる方々が、そこで生活していたということを思いをめぐらせたわけで。連綿とつながって、今、私たちがあるということに対して、私はワクワクというか、ゾクゾクしたというのが実感であった」

https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000189177.html
0674出土地不明
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2020/07/26(日) 01:28:35.07ID:vLSQCXm8
→1400年前のヴァイキングの遺骨から、「天然痘ウイルス」を発見
→既存の天然痘ウイルスの物的証拠を1000年近くも更新
→ヴァイキングの天然痘ウイルスは、20世紀のものと遺伝子的に異なっていた

人類は今、新たな感染症との闘いを強いられていますが、同様の闘いは過去にいくつも繰り広げられて来ました。
中でも、多くの死者を出したのが「天然痘(smallpox)」です。
天然痘の始まりは定かでありませんが、長きにわたって人類を苦しめ、20世紀だけで約3億人の命が奪われています。
歴史家によれば、天然痘ウイルスは紀元前1万年から存在するそうですが、17世紀以前に天然痘ウイルスが存在した物的・科学的証拠はありません。
ところが今回、ヨーロッパ北部の遺跡から出土したヴァイキングの歯の化石から、約1400年前の天然痘ウイルスが発見されたのです。
天然痘ウイルスの物的証拠の中では最も古く、既存の記録を1000年近くも遡ると言われています。

研究は、ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジ、デンマーク・コペンハーゲン大学らにより報告されました。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/07/Smallpox-Infected-Viking-Skeleton-777x768.jpg
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/07/Massacred-10th-Century-Vikings-777x583.jpg

■人類が闘いに勝利した唯一の感染症

天然痘は、「天然痘ウイルス」を病原体にする感染症です。
人に対する感染力が非常に強く、致死率は平均して20〜50%に達しました。
飛沫や接触により感染し、約1〜2週間の潜伏を経て発症します。初期は40度前後の高熱が出て、3〜4日後に一度熱が下がります。それから全身に豆粒のような発疹が広がり、7〜9日後に再び高熱が出ます。
発疹は化膿して膿疱(のうほう)となりますが、体表面だけでなく、呼吸器や消化器といった内臓にもできるので、最悪の場合、重篤な呼吸不全を起こし、死に至ります。
それでも天然痘は、人類史上初めて根絶に成功した唯一の感染症でした。
ワクチンの開発により、1977年を境に感染者は出ておらず、1980年5月8日にWHOが「地球上からの天然痘の根絶成功」を宣言しています。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/07/400px-Smallpox_virus-1.jpg

見つかった「天然痘ウイルス」は遺伝子構造が違っていた

研究チームは、イギリス、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、ロシアにあるヴァイキング時代の遺跡11ヶ所から、複数の遺骨に天然痘ウイルスを発見しました。
新たに見つかったウイルス株のゲノム配列を行ない、4つのサンプルについて、ほぼ完全なゲノム再構築に成功しています。
その結果、遺骨に見つかった天然痘ウイルスは、少なくとも1400年前のものであり、遺伝子構造が20世紀に根絶されたものと異なっていました。
ヴァイキングの天然痘ウイルスは、遺伝子的に「ラクダ痘」やげっ歯類の「タテラポックス」といった動物性のポックスウイルス科に近いことが判明しています。
このことから、ヴァイキング時代の天然痘は、20世紀ほどの危険性を持っていなかったかもしれません。実際、ヴァイキングの死因が、天然痘であるかどうかは断定できないそうです。
また、20世紀の天然痘ウイルスと比較すると、活性遺伝子と不活性遺伝子のパターンが大きく異なっていました。ここからウイルスが変異して、より危険な殺人ウイルスに進化する道が複数示されています。
これは天然痘ウイルスの変異プロセスを知る上で重要な発見です。
ウイルス変化のメカニズムを解明することは、この先、人類を襲う新たな感染症を食い止めるために非常に役に立ちます。

天然痘ウイルスは根絶されましたが、明日には別のウイルスが動物から放たれるかもしれません。新型コロナウイルスがその格好の例になります。
人類が存続する限り、感染症との戦いは果てしなく続いていくでしょう。

研究の詳細は、7月24日付けで「Science」に掲載されました。
Diverse variola virus (smallpox) strains were widespread in northern Europe in the Viking Age
https://science.sciencemag.org/content/369/6502/eaaw8977

https://nazology.net/archives/65258
0675出土地不明
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2020/07/26(日) 01:38:18.09ID:vLSQCXm8
中国四川省で古蜀国末裔の墓地を発見、年代の幅は2千年以上

【7月25日 Xinhua News】
中国四川省文物考古研究院は22日、同省眉山市彭山区で戦国時代から明清時代の古墓群「大墳包墓地」を発見したと発表した。
専門家は、古代に現在の四川省一帯で栄えた「古蜀国」の末裔が死者を埋葬した場所との見方を示す。

 今回の発掘調査を指揮した同研究院の李万濤(Li Wantao)館員によると、墓群は彭山区江口街道五一村の貧困世帯向け支援住居の建設用地で見つかった。
同研究院は彭山区文物保護研究所と共同で今年3月末に発掘調査を開始。
今月下旬までに墓葬165基、灰坑13カ所、溝状遺構11カ所、陶窯3基を発掘した。
年代は戦国時代後期から前漢、新、後漢、三国、西晋、東晋、唐、宋、明、清の各時代にわたり、土器や陶器、銅器、鉄器、磁器、木器などの遺物900点(組)余りが出土した。

 李氏は「墓群は年代の幅が広く、2千年以上にわたり続いている。密度も高く、平均5〜6平方メートルごとに墓がある。まだ三分の一程度の発掘だが、今後も多くの発見があるだろう」と語った。

 古蜀国については歴史書に「周の慎王5(紀元前316)年秋、秦の大夫の張儀(ちょう・ぎ)、司馬錯(しば・さく)、都尉墨(とい・ぼく)らが石牛道から蜀を討伐した。
蜀王は葭萌(かぼう)でこれを迎え撃ったが敗れた。王は武陽まで逃れたが、秦軍に討たれた」との記載がある。
李氏によると、蜀王は国が秦に滅ぼされると、敗走して武陽城で死んだとの伝説があり、蜀王の一族や臣下の子孫はそれ以降ずっと武陽城で暮らしたという。
武陽城城址は成都市の南約60キロの眉山市彭山区武陽鎮にある。

 今回発見された墓群は武陽城遺跡の北に位置している。墓葬の出土品も同遺跡の出土品と類似性が認められることから、墓群は古蜀の子孫が埋葬された場所だと確認できるという。

 李氏は「大墳包墓地は分布面積が広く、多様な埋葬様式を持つ。年代の幅は戦国時代後期から明清時代まで連綿と続いている。
埋葬の継続性と副葬品の変化は、古蜀文明が中華文明に融合していくプロセスを反映しており、高い学術的価値がある」と述べた。(c)Xinhua News
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https://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/5/e/5eb3d_1693_0ca5eb5a10d5e9f47c6b73fe25b0c73f.jpg
https://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/9/7/9700c_1693_ed0c891a8644890991d51f8141cd72bc.jpg

https://www.afpbb.com/articles/-/3295468
0676卍3286卍ss
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2020/07/28(火) 18:23:56.04ID:K3VCZ774
3287【01新】Natural Creation or Artifact?+Lines on Mars自然の同系物なのか、
人工物なのか?火星の奇妙なライン群とフォボスのライン群
by Hiroshi Hayashi Japn
https://youtu.be/zfwzvqQRmEs

ちなみに金星でも 並行した直線が確認できます。。
0677手洗い,マスク,3密回避(熱中症にも気をつけて)
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2020/07/31(金) 09:04:38.90ID:rd+fcTly
県内最古の墨書土器 脚部に「奉」の略字 出雲・壱丁田遺跡出土、7世紀後半の高杯 /島根

逆さにした高杯。指の先に「奉」の略字がある=島根県出雲市大津町の出雲弥生の森博物館で、前田葵撮影
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2020/07/29/20200729ddlk32040494000p/9.jpg

 出雲市は、同市白枝町の縄文〜江戸時代の集落遺跡・壱丁田(いっちょうだ)遺跡で2004〜07年にあった発掘調査で出土した須恵器が、墨で文字が書かれた県内最古の墨書土器と確認したと発表した。須恵器は7世紀後半の高杯。
 墨書土器は7世紀中ごろから飛鳥を中心に出現し、地方では8世紀半ば以降に多く出土。

続きはソースで
https://mainichi.jp/articles/20200729/ddl/k32/040/304000c
0678卍3286卍ss
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2020/07/31(金) 18:31:23.81ID:lFZpJAMN
01431A Video Diary ビデオ日誌・
日本再考+日本という国は世界文明の発祥の地であることをもっと積極的に訴えていきましょう
byはやし浩司Hiroshi Hayashi, JP
https://youtu.be/LxI_AN9IGbc

神話も重要です。。
0679手洗い,マスク,3密回避(熱中症にも気をつけて)
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2020/07/31(金) 18:42:36.05ID:3Kn9Pchm
■人類は3万年前に北米到達、新たな研究が物議、論争をさらに過熱 メキシコの洞窟で石器を発見

■メキシコの洞窟で石器を発見、従来より1.5万年早かったと結論

メキシコ中北部の砂漠の高山にあるチキウイテ洞窟。研究者たちは最初、数千年前の環境を調べるためにここに来た。
ところが、期せずして古代の尖頭器(槍先)らしきものが発見されたことで、アメリカ大陸の歴史を書き換えるかもしれない10年近くにわたる調査が始まった。

 7月22日付けで学術誌「Nature」に発表された論文によれば、チキウイテ洞窟から見つかった証拠は、人類が約3万年前にはすでに北米大陸に居住していたことを示唆しているという。
3万年前という年代は、現在の一般的な推定よりも2倍近く古い。

 人類がいつアメリカ大陸に到達したのかについては100年以上も議論が続いているが、およそ1万3500年前というのが長らく通説になっていた。
しかし、近年の発掘によって、この年代は徐々に古い方へと見直しが進んでおり、3万年以上前に人類がいた形跡があるとする論文も発表されていた。
その説を支持する証拠をめぐって盛んに議論されているところに今回の論文が発表され、早くも論争をさらに過熱させている。

「これほどまでの主張をすれば必ず国際的な議論を呼び、批判も浴びることになりますから、しっかりとした根拠を準備しておかなければなりません」と話すのは、米オレゴン州立大学の考古学者ローレン・デイビス氏だ。
氏は今回の論文には関わっていない。「私にしてみれば、当然の主張です。到達年代は、これ以上早まりようのないところまで早まることになるでしょう」

■チキウイテ洞窟から見つかったもの

 発掘の責任者であり論文の筆頭著者であるチプリアン・アルデレアン氏は、メキシコのサカテカス自治大学の考古学者だ。
仲間たちとともに、傾斜した洞窟の床を3メートルの深さまで掘り、何千もの石を発見した。
氏らはそれらを石刃、尖頭器、剥片石器といった道具だとしている。それらの材料になった石灰岩は、洞窟内には存在しない種類のため、外から持ち込まれたと考えられている。

床の地層のあちこちからは木炭の破片も見つかっている。
ヒトが燃やしてできたものか、それとも自然のものかは不明だが、放射性炭素を使った年代測定によれば、およそ1万2000〜3万2000年前のものだという。

 ヒトの化石は見つかっておらず、動物の骨もごくわずかだ。ヒトのDNAは地層から発見されているものの、それが古代のヒトのものなのか、調査の過程で混入した現代人のDNAなのかはわからない。

「チキウイテ洞窟の最大の功績は、確かにそこには何かがあるという、ほのかな明かり、小さなシグナルをもたらしたことです」と、2011年以来、発掘を率いてきたアルデレアン氏は言う。
 今日のチキウイテ洞窟を訪れた人は、こんな過酷で住みにくい場所をヒトがあえて選んで住んだわけがない、と思うことだろう。だがそれは正しくない。

 床の地層からは花粉や植物のDNAが見つかっており、ここがかつてはもっと涼しく、緑と水の豊富な場所であったことを示している。
2万8000年ほど前のものと推定される深い地層からは、現在のメキシコには自生していないベイマツの痕跡が、ヒトが作った石刃と思われる石とともに発見されている。

 地球上で氷河が覆う広さが最大になった2万4000年前は、最終氷期最盛期(LGM)として知られる。
その頃、チキウイテ洞窟のまわりにはビャクシン属(ヒノキ科の針葉樹)、マツ、トウヒ、モミが生い茂り、湖や温泉が点在していたと考えられる。
「米国のオレゴン州やカナダのブリティッシュ・コロンビア州のようだったはずです」とアルデレアン氏は語る。
「今とはまるで違う光景だったのです」
https://cdn-natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/072800445/fig.jpg

続きはソースで
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/072800445/
0680手洗い,マスク,3密回避(熱中症にも気をつけて)
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2020/07/31(金) 19:01:15.93ID:3Kn9Pchm
■ストーンヘンジの謎一つ解明、巨石の産地を特定 英研究

【7月30日 AFP】
何の目的で、どのように建造されたのか──
何世紀にもわたって歴史学者や考古学者らを悩ませてきた英イングランド南部にある新石器時代の遺跡「ストーンヘンジ(Stonehenge)」をめぐる多くの謎のうち、
巨石がどこから運ばれてきたのかを解明したとする研究結果が29日、学術誌「サイエンスアドバンシス(Science Advances)」に発表された。

 ストーンヘンジを構成する巨石はサルセン石と呼ばれる砂岩だが、英ブライトン大学(University of Brighton)のデービッド・ナッシュ(David Nash)教授(自然地理学)を筆頭著者とする論文によると、
その大半は遺跡から25キロ離れたウィルトシャー(Wiltshire)のウエストウッズ(West Woods)から運ばれたとみられるという。

 ウエストウッズ付近では、先史時代のヒトの活動の痕跡が多数見つかっている。

 ナッシュ教授がAFPに語ったところによると、研究チームはまずポータブル式のX線装置を用い、最大で高さ9メートル、重さ30トンにもなるサルセン石の化学組成を分析した。
すると、ほとんどの石は組成が同じで、主要な産出地は1か所だと考えられることが分かった。

 次に、質量分析機器を使い、1958年に巨石の一つからくりぬかれた円筒形試料2点をより高度な分析にかけた。
この分析結果を巨石の産地の候補20か所と比較した結果、ウエストウッズの砂岩が最も近い特性を示した。

 ナッシュ氏は今回用いた手法について、たとえばストーンヘンジとウエストウッズの間で巨石の破片が発見できれば、巨石を運んだ経路を推測するなど、残された考古学上の謎を解明できるかもしれないと述べている。

 今回の発見は、巨石がほぼ同時期にストーンヘンジまで運ばれたとする仮説を補強するものだ。
この仮説では、巨石はストーンヘンジ成立の第2段階に当たる紀元前2500年前後に運ばれ、建造した人々が高度に組織化された社会に属していた可能性を示唆しているとされる。
 
 また、一説には巨石の一つ「ヒールストーン(Heel Stone)」は遺跡近郊から運ばれ、他の巨石より早くに設置されたといわれているが、今回の発見はこの仮説と矛盾している。(c)AFP
https://afpbb.ismcdn.jp/mwim
0681卍3286卍ss
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2020/08/01(土) 21:23:15.14ID:5zFFMqvn
3289【09新】A 100m diameter Crop Circle in Germany July,
2020+Hoax?ドイツに現れた直径100メートルの巨大クロップ・サークル+いたずらか?
by Hiroshi Hayashi . Japan
https://youtu.be/87NT9hcMkzQ

ホンモノとニセモノを見分けるには。。?
ナニゴトも最終的には自分で判断するコトが重要です。
0682マスク 手洗い 3密回避【熱中症にも気をつけて】
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2020/08/02(日) 18:01:08.84ID:GpdgxWBF
■約2700年前のユダ王国の遺跡を発見! 国の「税務署」として使われた施設だった(イスラエル)


イスラエル考古学庁(IAA)は先週、エルサレム西部のアロナ地区にて、約2700年前のユダ王国の遺跡を発見したと報告しました。

遺跡からは、古代ヘブライ文字で「王の所有物」を示す印章が押された壺の取っ手が120点以上見つかっています。

この印章は、市民が税としての貢租を納める際に印字される印であり、遺跡が徴税したものを貯蔵する「税務署」のような場所だったことを示します。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/07/6fda5fceb53cecbfc44bfe6db8fa68c4.jpg

■「ユダ王国」とは?

紀元前922年頃、ユダヤ人国家である「ヘブライ王国」の北側勢力が、「イスラエル王国」として分離独立を果たしました。その結果、パレスチナ南部に残されたのが「ユダ王国」です。

エルサレムに都を置き、ダビデやソロモンといったユダ一族が王位を継承したので、ユダ王国と呼ばれます。情勢の不安定なイスラエル王国に比べ、ユダ王国は、ダビデの子孫が代々後を継ぐ安定した国だったようです。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/07/Kingdoms_of_Israel_and_Judah_map_830.svg-1.png

しかし、メソポタミア北部で力を得た「アッシリア帝国」が南下し、紀元前722年頃にイスラエル王国を征服。ユダ王国は属国となるものの、独立は守られました。

これは、小国のユダ王国が、北のアッシリア帝国と南のエジプトの間の緩衝国になっていたからです。

ところが、紀元前612年頃、アッシリア帝国が滅亡すると、今度は北方から「新バビロニア」が攻め入ってきました。これにより、紀元前586年頃、ユダ王国は滅亡を迎えます。

■壺に記された「LMLK」とは?

遺跡は、エルサレム旧市街地から約3キロの地点に見つかりました。

印章のおかげで年代がかなり正確に特定できており、紀元前8〜7世紀半ばのヒゼキヤ王、マナセ王治世下の施設と判明しています。

似たような印章は、これまでにも他の遺跡で2000点以上見つかっており、今回のも含めて、ユダ王国の行政および徴税システムを理解するための貴重な資料となります。
印章には、ヘブライ語で「LMLK(LamMeLeKh=王に属する)」を意味する文字が使われていました。国に納める税は、現代のようなお金ではなく、ワインやオリーブオイルといった農産物だったようです。

手順としては、農産物を壺の中に入れ、役人たちが印章を押すといった形でしょう。

また印章の他にも、粘土製の偶像と思われる一連のコレクションが見つかっています。女性の頭部や騎馬の乗り手、動物をかたどった像がありました。

これらは一般に、異教崇拝や偶像崇拝に使われたものと解釈されており、聖書によれば、ユダ王国では偶像崇拝が流行していたようです。

研究主任のネリア・サピル氏は「イスラエルで発見された印章の中でも最大規模であり、当時、この施設はユダ王国の行政の中心として機能していたのでしょう」と話しています。

https://nazology.net/archives/65762
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2020/08/04(火) 20:00:57.45ID:J1iWyLl2
■3000年前のユダヤ教唯一神「ヤハウェの像」を発見か!? 偶像崇拝が禁止されていたのになぜ…?(イスラエル)

イスラエルの都市エルサレムから西に約30キロの場所にある「キルベット・カイヤファ(Khirbet Qeiyafa)遺跡」で見つかった粘土像が、唯一神・ヤハウェをかたどった偶像である可能性が浮上しました。

粘土像の年代は約3000年前であり、高さ5センチほどと小さく、側には子馬の像も見つかっています。

しかし、ユダヤ教のヤハウェと言えば、モーセの十戒にあるように、偶像崇拝が絶対的に禁止されていたはずです。

一体、どういうことなのでしょうか。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/Yahweh-Idol-1-1-768x432.jpg

■馬に乗ったヤハウェ像か?

ユダヤ教では、紀元前13世紀頃に、ヘブライ人(ユダヤ人)を率いて出エジプトを行ったモーセが、シナイ山でヤハウェから十戒を授かったと言い伝えられています。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/360px-Rembrandt_Harmensz._van_Rijn_079.jpg

そのひとつに、「唯一絶対の神であるヤハウェを偶像崇拝してはならない」ことが記されていました。

また、キリスト教の神もヤハウェであり、イスラム教の唯一神アッラーも元は同じ神を表しており、いずれも偶像崇拝を禁じています。

粘土像について、イスラエル・ヘブライ大学のヨセフ・ガーフィンケル氏は「首元の加工具合を見ると、元は胴体や陶器の器などに取り付けられていたでしょう」と指摘します。

特徴としては、頭頂部が平らで、目・鼻・耳が突き出ており、耳に穴が空いていることからイヤリングを付けていたと見られます。頭部に見られるサークル状に並んだ穴は、頭飾りを表しています。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/bsba460402001l.jpg

また、顔の像と一緒に子馬の像が出土したことから、ガーフィンケル氏は「馬に乗ったヤハウェ像だったのではないか」と推測しました。

確かに、馬の背中には人の両足が見られます。

また、顔の像と一緒に子馬の像が出土したことから、ガーフィンケル氏は「馬に乗ったヤハウェ
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2020/08/04(火) 20:28:48.45ID:J1iWyLl2
■3000年前のユダヤ教唯一神「ヤハウェの像」を発見か!? 偶像崇拝が禁止されていたのになぜ…?(イスラエル)

イスラエルの都市エルサレムから西に約30キロの場所にある「キルベット・カイヤファ(Khirbet Qeiyafa)遺跡」で見つかった粘土像が、唯一神・ヤハウェをかたどった偶像である可能性が浮上しました。

粘土像の年代は約3000年前であり、高さ5センチほどと小さく、側には子馬の像も見つかっています。

しかし、ユダヤ教のヤハウェと言えば、モーセの十戒にあるように、偶像崇拝が絶対的に禁止されていたはずです。

一体、どういうことなのでしょうか。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/Yahweh-Idol-1-1-768x432.jpg

■馬に乗ったヤハウェ像か?

ユダヤ教では、紀元前13世紀頃に、ヘブライ人(ユダヤ人)を率いて出エジプトを行ったモーセが、シナイ山でヤハウェから十戒を授かったと言い伝えられています。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/360px-Rembrandt_Harmensz._van_Rijn_079.jpg

そのひとつに、「唯一絶対の神であるヤハウェを偶像崇拝してはならない」ことが記されていました。

また、キリスト教の神もヤハウェであり、イスラム教の唯一神アッラーも元は同じ神を表しており、いずれも偶像崇拝を禁じています。

粘土像について、イスラエル・ヘブライ大学のヨセフ・ガーフィンケル氏は「首元の加工具合を見ると、元は胴体や陶器の器などに取り付けられていたでしょう」と指摘します。

特徴としては、頭頂部が平らで、目・鼻・耳が突き出ており、耳に穴が空いていることからイヤリングを付けていたと見られます。頭部に見られるサークル状に並んだ穴は、頭飾りを表しています。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/bsba460402001l.jpg

また、顔の像と一緒に子馬の像が出土したことから、ガーフィンケル氏は「馬に乗ったヤハウェ像だったのではないか」と推測しました。

確かに、馬の背中には人の両足が見られます。

また、顔の像と一緒に子馬の像が出土したことから、ガーフィンケル氏は「馬に乗ったヤハウェ像だったのではないか」と推測しました。

確かに、馬の背中には人の両足が見られます。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/bsba460402006l.jpg

■像がヤハウェである根拠は?

ガーフィンケル氏は「これらの像は、ヤハウェを象徴するものであるため、宮殿や寺院、埋葬墓といった神聖な場所にしか見つからないのではないか」と主張します。

その上で「3000年前はまだイスラエル各地でヤハウェの偶像崇拝が許されており、禁止され始めたのは、それkら数世紀ほど後のことかもしれない」と述べています。

一方で、ガーフィンケル氏の説に疑問を呈す専門家もおり、ヤハウェの偶像とは断定できない状態にあります。

しかし、これが本当にヤハウェ像であるなら、きわめてレアな考古学的遺物となるでしょう。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/31424434-8581119-image-a-2_1596221617430-1.jpg

https://nazology.net/archives/65893
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2020/08/06(木) 13:36:45.37ID:dL0onSVa
■1500年前、東ローマ帝国のブドウ栽培は「ペストの大流行」により滅んだ!? 遺跡が示す”世界崩壊のシナリオ”とは…?


イスラエル南部にある砂漠地方の「ネゲヴ」は、約1500年前まで、ブドウ栽培の地として栄えていました。

ところが、東ローマ帝国に支配されていた6世紀半ばに突如として衰退し始めます。その原因は今も明らかになっていません。

しかし、バル=イラン大学(イスラエル)の研究により、2つの出来事がブドウ栽培の崩壊を招いた可能性が示唆されました。

その2つとは、536年〜660年頃まで続いた「古代後期小氷期」と541〜549年に東ローマ帝国で起きた「ペストの大流行(Plague of Justinian)」です。

一体どのようにしてブドウ栽培を崩壊させたのでしょうか。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/Fuks-et-al-Fig-6-768x543.jpg

■帝国で人気を誇ったネゲヴの白ワイン

ネゲヴのブドウ栽培は、これまでの研究により、6世紀半ばに崩壊するまで約200年にわたり栄えていたことが分かっています。

6世紀半ばと言えば、ユスティニアヌス1世の治世であり、1453年まで続く東ローマ帝国の長い歴史の中でも最大の隆盛期でした。

歴史文書には、ネゲヴのブドウを使った白ワインが帝国内で人気だったことが書かれています。白ワインは「アンフォラ」という細長い壺に入れられ、地中海世界へと流通していたそうです。

ネゲヴにある遺跡(当時のゴミ捨て穴)からは、数万粒のブドウの種やアンフォラの断片が出土しています。

乾燥地帯であるネゲヴの緑化は、雨水を利用した排水農業と肥料となる鳥のフンを用いて行われました。農業が栄えていた証拠に、同じゴミ捨て穴からは、小麦や大麦といった穀物も見つかっています。

しかし、ネゲヴが穀物やワインの生産地であったなら、東ローマ帝国にとっては欠かせない場所であったはず。しかも、ユスティニアヌスの最盛期ともあれば、経済的に支援されても不思議ではありません。

それがなぜ衰退に向かったのでしょうか。

これについて、研究主任のダニエル・フークス氏は「6世紀半ばの東ローマ帝国を襲った気候変動と疫病が関係していたのではないか」と考えます。

■原因は寒冷化とペスト?

地球は温暖期と寒冷期を頻繁に繰り返しており、6〜7世紀頃までは「古代後期小氷期」という寒冷期に入っていました。この気候変動を背景に、東ローマ帝国は「ペストの大流行」に見舞われたのです。

541〜549年まで続いたペストにより、当時の東ローマ帝国の実に20%の人口が減少。それに加え、ユスティニアヌスの重税が災いし、帝国の社会経済は崩壊しました。

これを踏まえ、フークス氏は「帝国の人口減少と購買力の低下により、ネゲヴの農産物が買われなくなり、経済的に衰退したのではないか」と推測します。

ペストがネゲヴまで拡大していたかどうかは不明ですが、帝国の経済支援がない上に、小氷期のせいで農作物が不作に陥った可能性は高いでしょう。

ユスティニアヌス自身もペストに感染しましたが、後に回復しています。しかし、一度崩れた帝国の経済は回復しませんでした。ユスティニアヌスの後、東ローマ帝国は急激に縮小・弱体化し、9世紀になるまで長い衰退期に入ります。

フークス氏は「気候変動とペストがネゲヴの産業を崩壊させた直接的な原因とは断定できませんが、何らかの形で農民たちに打撃を与えたのは間違いない」と話します。

ネゲヴの悲劇は、単なる過去の出来事ではなく、新型コロナウイルスの感染拡大が続く現代にも言えることではないでしょうか。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/Fuks-et-al-Fig-4-640x400.jpg

https://nazology.net/archives/66076
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2020/08/06(木) 13:42:46.03ID:dL0onSVa
■チチカカ湖で「インカ帝国の遺物」を発見! 儀式の生贄に使われた”リャマ像と金のホイル”が石の箱から見つかる


南米の西側、ペルーとボリビアの国境に位置する「チチカカ湖」は、標高3800メートル付近にあり、「航行可能な世界最高所の湖」として知られます。

そのチチカカ湖の水中で、インカ帝国の遺物が新たに発見されました。

遺物は、生贄の儀式に使われた石の箱と見られ、チチカカ湖がいかに神聖な場所であったかが示唆されています。

研究は、米・ペンシルベニア州立大学とベルギー・ブリュッセル自由大学により報告されました。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/Stone-Box-Carved-Shell-Llama-777x518.jpg

■箱の中に「リャマ像」と「金のホイル」を発見

石の箱が見つかったのは、チチカカ湖の北東部に浮かぶ「カカヤ岩礁(K ’akaya reef )」です。カカヤ岩礁の南西側、水深5.5〜5.8メートル付近に沈んでいる状態で発見されました。

箱は引き上げの前に、発見された位置のまま撮影されています。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/reef.jpg
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/artifact1.jpg

研究チームは、石の箱を現地の研究所に運び、市や地元先住民の責任者立ち会いのもと慎重に開封しました。四角形の箱の中心部には円状の穴がくり抜かれており、それに合う形のフタで閉じられています。

フタを開けると、中には貝殻から作られた小さな「リャマ像」と円筒形に丸められた「金のホイル」が入っていました。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/Inca-treasure-670x424.jpg

これらはインカ帝国の儀式において、生贄の「代替え」として使われた作り物と考えられています。

1200年頃に成立したインカ帝国は、スペインの征服者によって1533年に滅ぼされるまで、アンデス山脈の南西部を中心に支配していました。中でもチチカカ湖は、インカ帝国の神・ビラコチャが住む場所として神聖視されていたのです。

また、チチカカ湖の中央に浮かぶ「太陽の島(Isla del Sol)」は、ビラコチャの息子である太陽神・インティが「暗闇から世界を救うために現れる場所」として、インカ帝国ナンバーワンの巡礼地となっていました。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/Lake-Titicaca-Map-777x582.jpg

そのインカ帝国で行われていたのが「カパコチャ(Qhapaq hucha)」という儀式です。

カパコチャは、飢饉や洪水、皇帝の死といった災難が起こった際に行われ、最も純粋な存在である子供が生贄に選ばれます。

しかし、研究チームによると「石の箱のリャマ像と金のホイルは、子供の『代替え』としてチチカカ湖の神に捧げられた可能性が高い」とのことです。

チチカカ湖では、以前にも似たような遺物が発見されており、1977年には「太陽の島」の近くで、1988年と1992年には「コア岩礁(Khoa reef)」で見つかっています。

今回、また別の場所で石の箱が見つかったことから、当時の人々はチチカカ湖の一部ではなく、全体を神聖な場所として崇拝していたのかもしれません。

https://nazology.net/archives/65992
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2020/08/06(木) 13:48:28.28ID:dL0onSVa
■インカ文明の「穿頭手術」、その凄まじい成功率が明らかに


→頭を開く「穿頭」手術は、インカ帝国の時代に驚くべき成功率を誇っていたことが分かった
→その数字は、当時から約400年後のアメリカ南北戦争における同様の手術の成功率を大きく上回るものであった
→頭蓋骨を削った後の治癒の程度から、その患者が穿頭後にどの程度生きたかが推測された

頭蓋骨の手術を麻酔や抗生物質なしでをおこなうなど、想像するだけで気絶しそうになるだろう。

しかし、頭蓋骨を削り、切除し、こするといった作業を伴う「穿頭(せんとう)」(トレパネーション)は、古代ギリシャや先コロンブス期のペルーにおいて数千年にわたって実際におこなわれてきた。

残念ながら、穿頭を受けたすべての患者が生き延びたわけではない。しかしインカ帝国の100を超える被験者を含む人々は、穿頭に生きたまま成功していたことが分かっている。

そして新たな研究が、そうした外科手術の精度が驚くほどに高かったことを示した。研究によれば、インカ時代の手術成功率は80%にものぼっていたと考えられており、その約400年後に起こったアメリカ南北戦争における、50%をはるかに凌駕する数字であったとのことだ。

Trepanation Procedures/Outcomes: Comparison of Prehistoric Peru with Other Ancient, Medieval, and American Civil War Cranial Surgery

https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S1878875018306259
https://nazology.net/wp-content/uploads/trepanation_16x9-670x377.jpg

■年代を追うごとに進歩した穿頭技術

研究者によれば、穿頭は脳へのダメージを取り除くために開始されたものだと考えられているが、すべての頭蓋骨に怪我の兆候があったわけではない。

そのため、穿頭が脳の外傷治療でない場合にも用いられていたことが考えられる。それはたとえば慢性的な頭痛や、精神的な疾患などだ。

穿頭の成功率については、頭蓋骨の治癒の度合いによって推測された。つまり、穴を開けた頭蓋骨の周辺に治癒の痕跡がみられなければ、その個体は術後間もなく死亡したと考えられ、逆に骨が滑らかに治癒していれば、その個体は穿頭の後数ヶ月、あるいは数年間生きたと考えられるということだ。

また、頭蓋骨の化石には技術の進歩の足跡が表れていた。年代を追うごとに穴や削った箇所の面積は小さくなっており、脳を保護する硬膜が破裂することや、感染症のリスクを低下させる「グルービング」がより丁寧におこなわれるようになっていたのだ。

南北戦争との比較には批判も

中には複数回の穿頭を受けた患者の頭蓋骨も発見されており、インカ時代のものでは、5つもの手術から回復した痕跡がみられたものもあった。これまで述べてきたことを考慮に入れれば、その患者が単に「ラッキーだった」で片付けることはできないだろう。
https://nazology.net/wp-content/uploads/civil-war-74010__480-670x479.jpg

■400年後のアメリカと比較

研究者らは、同様の方法が用いられたアメリカ南北戦争当時の医療との比較をおこなった。当時の戦場医師はインカ時代の穿頭と同じようにグルービングをおこなっていた。しかし患者の46〜56%は術後に死亡していたことが分かった。これはインカ時代の17〜25%と比べて非常に高い数字である。

一方、両時代ではそもそも頭の怪我の程度が違うといった指摘もある。確かに戦争の中で銃弾などによって受けた頭のキズは感染症などを引き起こしやすく、インカ時代のものとは質が違う可能性もあるだろう。

しかしそれでも当時の穿頭の成功率の高さは驚くべきものだ。西洋では当時、手術道具は水洗いして拭くだけで使い回されていたという。しかし当時のペルーに病院はなく、手術はすべて野外、道具も使い捨てだったといわれている。このようなことも、生存率に関わっているのかもしれない。

https://nazology.net/archives/39842
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2020/08/07(金) 16:13:48.66ID:T7ukJGCE
■8000年前のアラビアでは「役立たない石器」を”うで自慢”のためだけに作っていた


新たな研究で、約8000年前のアラビア人は、自らの彫刻スキルを見せびらかすために、実用的でない複雑な石器を作っていたことが示唆されました。

そのスキルは「フルーティング(fluting)」と呼ばれもので、アラビア人より数千年前に先立つ北アメリカで誕生しています。

しかし、アラビアと北アメリカのフルーティングには、決定的に違う点が見られました。

研究は、オハイオ州立大学(米)、フランス国立科学研究センター(CNRS)、マックス・プランク人類史学研究所(独)により報告されています。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/journal.pone_.0236314.g003.png

■アラビアではスキル自慢が広まっていた?

調査されたのは、アラビア半島南端に位置するイエメンとオマーンの遺跡にて、2004〜2008年に見つかった尖頭器です。尖頭器は、先端を鋭く尖らせた打製石器のことで、槍の穂先や矢尻がそれに当たります。

その作成過程で、約1万2000年前の北アメリカで開発された技術が「フルーティング」です。

フルーティングは、尖頭器の底部に半筒状の溝を彫ることで、木の棒などに取り付けやすくします。完全に実用的なスキルであり、飾りや模様のためではありません。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/Clovis_Point.jpg

これとは対象的に、アラビアで見つかったフルーティングは、石器の底部だけでなく、先端あるいは先端〜底部まで施されていたのです。

フルーティングは、比較的厚みのある底部でこそ可能な技術であり、厚みのない先端で行うとすぐに割れてしまいます。ましてや、先端に棒を取り付けることはないので、実用的でもありません。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/journal.pone_.0236314.g006.png

研究チームは、実際にアラビア式のフルーティングが可能か確かめるため、石器作りの専門家に実演してもらいました。しかし、専門家でも難しく、石器はすぐに割れてしまいます。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/journal.pone_.0236314.g012-1-670x1004.png

研究チームのジョイ・マックコリソン氏は「フルーティング自体、習得に多くの労力と時間を要する高度な技術です。

それを石器の先端で行うのは失敗のリスクが高すぎますし、完成しても実用的ではありません。おそらく、アラビアの石器職人たちは、自らのスキルを証明するためにフルーティングを用いたのでしょう」と指摘しました。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/nativeameric.jpg
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/inancientara.jpg

また、スキルの実演は、コミュニティーの中での社会的地位を高めることに繋がったとも考えられます。

イエメンやオマーンの遺跡は、アラビア屈指の腕利きが集まった「虎の穴」だったのかもしれません。

研究の詳細は、8月5日付けで「PLOS ONE」に掲載されています。

https://nazology.net/archives/66130
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2020/08/11(火) 18:41:35.21ID:Qc8N3SXX
■1300年以上前の絵画を「発見」、日本最古級か 黒くすすけた柱から赤外線撮影で確認 滋賀・甲良の寺


湖東三山の一つ、西明寺(滋賀県甲良町池寺)の本堂内陣の柱絵を調査・分析していた広島大大学院の安嶋(あじま)紀昭教授(美術学史)は9日、絵は飛鳥時代(592―710)に描かれた菩薩(ぼさつ)立像で、描式から日本最古級の絵画とみられると発表した。834年とされる同寺の創建前で、創建時期が大きくさかのぼる可能性があるとも指摘した。

 菩薩立像は、本堂内陣の本尊・薬師如来像前にある西柱と南柱に描かれていた。柱は黒くすすけ、これまで何が描かれているのか分からなかったが、昨年6月、周囲の仏像を移動させ、高さ3〜4メートルに描かれた絵を赤外線で撮影することができた。

 分析の結果、両柱(直径約45センチ)には、菩薩立像が4体ずつ描かれていた。薬師如来像をたたえるように力強い筆致で、背景には雲塊や唐草文もある。青や緑、朱などの顔料が使われ、当時は極彩色だったという。

 安嶋教授によると、像は長身で細面で線が太い。耳の中や手のひらの描き方は単調で、隋代(581―618)の描法の特徴を表している。飛鳥時代に描かれた法隆寺の国宝・玉虫厨子(たまむしのずし)の扉の菩薩像に酷似しているといい、「絵画としては日本最古級」とした。寺周辺には東大寺の彩色を担当した渡来系の画工集団・簀秦画師(すのはたのえし)が居を構えていたことから、「彼らによる仕事では」とも推測した。

 西明寺の中野英勝住職は「本堂自体が国宝だが、絵画にも注目してほしい」と話した。

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https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/326324
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2020/08/11(火) 18:49:23.05ID:Qc8N3SXX
■ルネサンス期のイタリアの芸術家ラファエロの顔、頭蓋骨の石こう像から3Dで復元 埋葬地特定


【8月10日 AFP】ルネサンス期のイタリアの芸術家ラファエロ(Raphael)の顔が頭蓋骨の石こう像を基に3Dで復元され、長年謎とされていた埋葬場所が特定された。ローマのトル・ベルガータ大学(Tor Vergata University)が6日、AFPに明らかにした。

 幼少期から神童ともてはやされ、ミケランジェロ(Michelangelo)やレオナルド・ダビンチ(Leonardo da Vinci)と並んでルネサンスの三大巨匠とされるラファエロは、1520年に37歳の若さでこの世を去った。ローマの古代神殿「パンテオン(Pantheon)」にあるラファエロの墓には一年中、赤いバラの花が供えられている。

 ラファエロの遺体は19世紀に掘り起こされ、頭蓋骨の石こう像が作られた。だが掘り出した場所には、別の人物のものと思われる全身または体の一部の骨もあったため、専門家らは遺体が実際にラファエロのものかは確定できていなかった。骨の一部は、ラファエロの弟子のものだと判明している。

 今年はラファエロの没後500年に当たることから、トル・べルガータ大学の研究チームは3Dによる復元を行った。

 分子生物学専門家マッティア・ファルコーニ(Mattia Falconi)氏はAFPに対し、3Dで復元された顔は、同時代の芸術家による肖像画やラファエロによる自画像と明らかに一致していたと話した。「1833年に掘り出された頭蓋骨が、ラファエロのものだという、初めての具体的な証拠だ」

 ファルコーニ氏は、3Dによる復元は「元の顔の80%しか捉えられないが、今回の結果に疑問の余地はない」と指摘する。同じ場所に埋葬された弟子たちにも似ておらず、非常によく似た他人にしては一致点があまりにも多いという。

 またファルコーニ氏は、唯一復元できない顔の部位は「耳」だとし、「幸運にもラファエロは髪が長かったため耳が隠れていた」と述べた。

 3Dで復元されたラファエロの胸像は、イタリア・マルケ(Marche)州ウルビーノ(Urbino)にあるラファエロの生家を改造した博物館に展示される。(c)AFP

https://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/d/4/d4db5_1351_5f3ec931_c57332c3.jpg
https://www.afpbb.com/articles/-/3298320
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2020/08/12(水) 11:41:37.42ID:lg780ivK
■バビロニアのエルサレム征服、発掘で証拠発見 聖書の記述裏付けか


(CNN) 中東エルサレムにあるシオンの山で発掘作業を行っていた研究チームがこのほど、古代バビロニアによる同市征服の証拠を発見した。エルサレム破壊に関する聖書の記述を裏付ける成果とみられる。
https://www.cnn.co.jp/storage/2019/08/14/246d893d9ca6fce47c2376bf6a6804b1/mount-zion-babylonian-attack-illustration-restricted.jpg

米ノースカロライナ大学の研究チームは今回、灰の堆積(たいせき)物や矢尻、壊れたつぼや照明器具などを発掘。しかし最も重要な発見となったのは、房飾りかイヤリングとみられる宝石類だった。
https://www.cnn.co.jp/storage/2019/08/14/13d2e5e18997ffb11079381df2cf5dee/mount-zion-earring-1.jpg
https://www.cnn.co.jp/storage/2019/08/14/74585d4ec36b73accf3bf3a698344b3b/t/768/432/d/mount-zion-2016-super-169.jpg

研究プロジェクトの共同責任者を務めるシモン・ギブソン氏によると、こうした「上流階級」の痕跡が見つかったのは初めて。紀元前587〜586年に征服される前のエルサレムの豊かさを記した聖書の記述を確認する発見とみられる。

宝石は通常、戦士によって略奪され溶かされることから、戦地で見つかるのは珍しい。「包囲時のエルサレム住民の豊かさを明確に示すものだ」とギブソン氏は語る。

バビロニアによる攻撃の決定的な証しとなる単独の出土品はなかったが、遺物の独特な組み合わせを踏まえ、研究チームは征服の直接的な証拠が見つかったと考えるに至った。
ギブソン氏は声明で「遺物が詰まった灰の堆積層に矢尻、特別な装飾品という組み合わせから、何らかの破壊行為があったことがうかがえる。金の宝石を捨てたり、矢尻を家庭ごみに出したりする人はいない」としている。

発掘された矢尻は「スキタイの矢尻」と呼ばれる。紀元前7〜6世紀の戦跡では「ごくありふれた」遺物で、バビロニア人の戦士が使っていたことで知られるという。
https://www.cnn.co.jp/storage/2019/08/14/bb6c38582cb1f685260f5aa3df3d765d/mount-zion-babylonian-attack-evidence.jpg

エルサレム征服は新バビロニアの国王ネブカドネザル2世が主導し、多くの命が失われたと考えられている。旧約聖書「列王記第二」で記述されたソロモンの神殿の破壊にもつながった。

https://www.cnn.co.jp/fringe/35141256.html
0692出土地不明
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2020/08/22(土) 21:18:40.88ID:6pUs3J6f
古代エジプトの動物ミイラ、デジタル技術で「開封」 猫・ヘビ・鳥の三体



ロンドン(CNN)英スウォンジー大学の研究チームは20日、古代エジプトで作られた3体の動物ミイラについて、高精度な3次元スキャンを駆使して「デジタル的に開封」することに成功したと発表した。

同大学の声明によると、研究チームはミイラの分析を通じ、2000年以上前にさかのぼるこれらの動物の生活や死亡時の様子を知ることにも成功したという。

ミイラの中身がヘビや鳥、猫であることは以前から分かっていたものの、今回の研究では、医療用CTスキャンの100倍の高精度画像が得られる「X線マイクロCTスキャン」を使用。動物の歯に至るまで詳細に調べることが可能になった。

この結果、猫は生後5カ月に満たないことが判明。
脊椎(せきつい)が分離していることから、首を絞められ死んだとみられている。
鳥の種類については、骨の測定によりチョウゲンボウと特定された。

ヘビはエジプトコブラの幼体だった。調査で腎臓に損傷が見つかっており、おそらく水を入手できずに痛風の一種を起こしていたとみられる。

研究チームはこのコブラについて、ムチをたたき付けるようにして殺されたと説明。ミイラ製作の過程で「口開けの儀式」を受けていた可能性があるとも指摘した。

この儀式は必ずしも物理的に口を開けるわけではなく、人間のミイラや神の像のほか、動物に対しても行われた証拠が残っている。スウォンジー大学の研究者は「口開けの儀式を行うことで、対象を神聖化するという発想だった」と解説する。

古代エジプトでは猫やヘビ、ワニ、犬などの動物がミイラにされるのは普通のことで、飼い主と一緒に埋葬されたり、死後の世界での食べ物として供されたりするケースもあった。

https://news.livedoor.com/article/detail/18773846/
0693密を避け、こまめに手洗い、水分補給
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2020/08/23(日) 18:31:16.59ID:zIXrWwKf
「壬申の乱」の際、大海人皇子も来た? 古代の行政施設再現 三重・四日市


 国史跡に指定されている古代の役所跡「久留倍官衙(くるべかんが)遺跡」(三重県四日市市大矢知町)を紹介する「くるべ古代歴史公園」の整備がほぼ終了し、11月のオープンを予定している。
当時の主要な建物を復元したり、建物の柱を立てたりして古代の行政施設を再現する。
遺跡の調査を始めてから約20年。「壬申(じんしん)の乱」などの史実に結びつく可能性もあるロマンあふれる遺構がようやく一般公開され、歴史ファンらの注目を集めそうだ。【松本宣良】

 久留倍遺跡は、国道1号北勢バイパス建設工事に伴う発掘調査で見つかった。
飛鳥〜平安時代にかけて当時の朝明郡の役所「郡衙(ぐんが)」があった場所とみられ、中心施設の「政庁」跡から正殿と2棟の脇殿、正門に当たる「八脚門」の遺構が発見された。
南北を軸とする通常の役所跡と異なり、東を向いている点でも注目された。他に租税の稲を収納した高床の倉庫群「正倉院」の遺構も確認された。

 また、日本書紀では皇位継承権を巡る壬申の乱(672年)で大海人皇子(後の天武天皇)が朝明郡で戦勝祈願した後、郡衙に入ったと記され、続日本紀には聖武天皇が東国行幸(740年)で朝明郡に滞在したことが記されている。

 遺構や文献から、同遺跡が古代の地方組織の一端を知るために貴重で、古代史を解明する上でも重要として2006年に国史跡に指定され、市教委が11年度から遺跡の保存整備事業に着手。
これまで古代歴史公園(約2万1500平方メートル)内に八脚門を復元したほか、正殿をモデルにした休憩所、建物の位置を表示する柱などを整備してきた。
遺跡のガイド施設「古代歴史館」は2年前、隣接地に開館している。

 市教委社会教育・文化財課の葛山拓也学芸員は「地元住民や関係者らの協力でようやく公開の時期を迎えられる。歴史に興味のある人だけでなく、市内外の多くの人に古代の行政の姿を体感しながら、公園に親しんでもらえれば」と話している。

毎日新聞2020年8月21日 08時15分(最終更新 8月21日 08時15分)
https://mainichi.jp/articles/20200821/k00/00m/040/010000c
0694『密』を避け、こまめに手洗い、水分補給
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2020/08/24(月) 22:40:55.23ID:srOkSxZO
古代中国史を書き換える4千年前のシーマオ遺跡、謎のヒスイと要塞

■初期の中国文明はどのように変遷したか、新たな見方を提示

 中国の黄土高原の砂ぼこりが吹き荒れる丘に、朽ちかけた石垣がある。
 近くに暮らす人々は長らく、この石垣を万里の長城の一部と信じていた。
 無理もない。
 2000年以上前に北方民族との最前線として造られた万里の長城は、黄河が北に大きく屈曲するちょうどこの辺りを通過している。

 だが、ここでは場違いなものも見つかった。
 ヒスイだ。
 破片だけでなく、円盤や刀剣、笏(しゃく)などに加工されたものも見つかっている。
 ヒスイはここ陝西省最北部では産出せず、最も近い産地でさえ、およそ1600キロも離れている。
 万里の長城の特徴とも合わない。オルドス砂漠に近いこの不毛の地で、なぜヒスイが大量に見つかったのか?

 中国の考古学者チームがこの地を発掘調査したところ、意外なことがわかった。
 その石垣は、万里の長城の一部ではなく、壮大な要塞都市の名残だった。
 発掘は今も行われているが、高台にあるピラミッドやその周囲を取り囲む全長10キロを超える防壁、壁画やヒスイの工芸品に彩られた聖なる場所、そしておぞましい生け贄の証拠が見つかっている。

 2020年の初め、新型コロナウイルスのパンデミックによって発掘が中止になる前に、考古学者たちは、石に彫られた見事なレリーフを70個も発掘した。大蛇や怪物、半人半獣などの図像で、後の青銅器時代の中国のものに似ていた。

 さらに驚くべきことに、放射性炭素による年代測定の結果、ここシーマオ遺跡の一部は、4300年前に遡ることが明らかになった。万里の長城の最も古い部分より2000年近くも古く、確認されている中国最古の王朝、殷(商)が現れる500年も前のことだ。

 シーマオは、この僻地とも思える地で、紀元前2300年頃から紀元前1800年頃まで繁栄し、突然、放棄された。その理由は謎に包まれている。

 中国考古学の道しるべとなってきた古文書のいずれにも、この古代都市に関する記述はない。だがシーマオは大きく複雑なだけでなく、外部の文化とも活発に交流していた。面積はおよそ4平方キロと、米ニューヨーク市のセントラルパークより広い。その芸術や技術は北方文化の流れをくみ、歴代の中国王朝にも影響を与えた。

 シーマオだけではない。近年は各地の遺跡で発見が相次ぎ、歴史学者は中国文明の発祥について再考を迫られている。

「シーマオは、今世紀最大の考古学的発見の1つです」と話すのは、陝西省考古研究院の院長で、シーマオ遺跡発掘のリーダーを務めた孫周勇氏だ。「中国の初期文明の発達に関する新たな見方を提示しています」

(以下略、続きはソースでご確認下さい)

ナショナル ジオグラフィック日本版 8/23(日)7:21
https://news.yahoo.co.jp/articles/f18ec8ee90373df248205031651bcf14c4ce2d97
0695出土地不明
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2020/08/30(日) 01:50:17.60ID:7nYyQKzE
【滋賀】国内最古の木製こま出土、朝鮮半島からの先進的な渡来文化 「こまが渡来人由来のものである可能性も考えられる」

 大津市の「南滋賀遺跡」(同市南志賀)で6世紀後半から7世紀のものとみられる古墳時代後期の遺構が見つかり、一角から木製のこまが出土したと同市教育委員会が28日に発表した。国内では最古のこまとみられる。祭祀(さいし)に使われていたと推測され、市教委は「謎に包まれていた当時の祭祀の実態を知るうえで貴重な史料だ」としている。

 こまは全長約6センチ、直径約4・4センチ。一緒に出土した土器類や掘っ立て柱建物などの年代から6世紀後半から7世紀にかけての古墳時代後期のものとみられる。古代のこまは奈良の藤原京や平城京などからも出土している。最も古い藤原京から出土したこまは7世紀後半のもので、「今回見つかったこまはこれまでの国内出土例として最も古いものになる」(市教委)という。

 細い棒に革などを結び付けた鞭(むち)で打つことで回転させる「叩(たた)き独楽(こま)」の形をしているが、発見された場所の近くで祭祀用とみられる遺物が数多く見つかっていることなどから、遊戯用ではなく、祭祀用として用いられていた可能性が高い。

 同遺跡では屋根を壁で支える大壁建物など渡来系の人々がつくったとみられる古墳時代後期の遺構が相次いで見つかっており、朝鮮半島からもたらされた先進的な渡来文化が展開されていたと考えられている。

 京都産業大の鈴木久男客員教授(歴史考古学)は「渡来系の人々が暮らしていた地で国内最古のこまが見つかったことを踏まえると、こまが渡来人由来のものである可能性も考えられる。こまのルーツを知るうえで大変貴重な発見だ」と指摘している。

 こまは9月1日から同10日までの間、大津市役所の市民ギャラリーで展示される。問い合わせは市教委文化財保護課。

8/28(金)16:24配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200828-00000558-san-cul
https://amd.c.yimg.jp/amd/20200828-00000558-san-000-1-view.jpg
0696卍3286卍ss
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2020/08/31(月) 16:11:27.64ID:XlpjUmAf
3311【01新】Boyd Bushman’s Cofession on Grey Alien
グレイについてのボイド・ブッシュマンの死の床証言
by Hiroshi Hayashi, Japan
https://youtu.be/VB6rQ1zl2CI

ボイド・ブッシュマン氏の証言 初の和訳だと思います。。
0697生命体5618
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2020/08/31(月) 18:30:35.59ID:WR8pfZp+
>>696
>>455

公表後まもなくインチキを暴かれて、盲信的なUFOビリーバーにすら話題にしなくなった
ボイド・ブッシュマンの動画を、今さら・・・(* ̄∇ ̄*)

Debunked: Boyd Bushman, Area 51 scientist, claims existence of aliens in deathbed video [Hoax]
https://www.metabunk.org/debunked-boyd-bushman-area-51-scientist-claims-existence-of-aliens-in-deathbed-video-hoax.t4886/

【宇宙人秘話】あるエンジニアが死の間際に「宇宙人は存在する」と写真を公開→ 「嘘だ!」とネットユーザーが真実を暴きにかかる
https://news.merumo.ne.jp/article/genre/2223556?page=2
0698卍3286卍ss
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2020/08/31(月) 22:34:08.07ID:FwHmIKIz
20世紀の驚くべき発見:人間よりはるかに高いIQを持つ地底人が実在
https://youtu.be/1B57pTTXntY

こんにちはシャンバラからのNTさん。。
M.I.Bもお出迎え。
0700出土地不明
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2020/09/02(水) 18:11:16.00ID:SYDbij6a
「よみがえる邪馬台国」豊前の国に迫る 吉野ヶ里歴史公園で9月19日から特別企画展 佐賀

https://tourism.travelnews.co.jp/kyusyu-okinawa/202008280931221494.html

 佐賀県吉野ヶ里町の国営吉野ヶ里歴史公園では9月19日から、特別企画展「よみがえる邪馬台国」が開かれる。
12回目となる今回は「倭人伝のクニを探る」シリーズ第2弾として、大分県宇佐市など豊前地域と青銅器にスポットを当てる。
11月8日まで。

同展では、弥生時代後期の集落跡である別府遺跡をはじめ弥生遺跡が点在する宇佐市を中心とする豊前地域に注目。
遺跡の特色、出土資料から、吉野ヶ里遺跡との関係、播磨・摂津の畿内遺跡との比較などを通して「豊前の国」を検証する。

9月27日には特別記念フォーラムを開催。邪馬台国の九州説と近畿説についての基調講演、フォーラムを行う。

時間は9―17時。特別企画展観覧は無料だが、入園料は大人460円。

https://tourism.travelnews.co.jp/img/200828kyusyu-okinawa1.jpg
0701出土地不明
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2020/09/04(金) 14:13:00.94ID:PFd/yrfB
【イギリスで「キリスト教の聖杯」の断片を発見!表面に天使や十字架のシンボルが描かれていた】

 イングランド北部・ノーサンバーランドにある遺跡にて、5〜6世紀のキリスト教の「聖杯(英: Chalice)」の断片が発見されました。

 断片は全部で14個見つかっており、無数の文字やシンボルが刻み込まれています。

 聖杯の断片は、ローマ帝国時代に建てられた要塞跡から出土しており、イギリス国内で見つかった聖杯としては最古のものです。

 研究主任のアンドリュー・バーリー博士は「イギリスでのキリスト教の広まりを理解する上でも貴重な発見」と評しています。

■イギリスで見つかった最古の「聖杯」

 聖杯が見つかった場所は、スコットランドとの境界線近くにある「ハドリアヌスの長城」の直下、「ヴィンドランダ要塞」の教会跡です。

 ハドリアヌスの長城は、122年にローマ皇帝ハドリアヌスの命令により建設が開始されました。

 その後、ローマ人は約330年間、同地に滞在しましたが、5世紀初めにその地を去り、集落だけが後に残されています。
聖杯が出土した教会は、ちょうどその頃の5〜6世紀に建てられたものです。

 これまでに同遺跡では、拳闘用のグローブやシューズ、ブーツなどの遺物が見つかっていますが、聖杯が見つかったことはありませんでした。

 これはローマ人が去った後も、同地の集落でキリスト教信仰が続いていたことを裏付けています。

 キリスト教は313年のミラノ勅令によってローマ帝国の国教となり、そこから各地に広まっていきました。
そのため、聖杯の断片は、イギリスにおけるキリスト教信仰の初期の遺物と考えられます。

■聖杯に記された「シンボル」の意味は?

 聖杯には、天使や十字架、クジラ、舟などを含むキリスト教のシンボルがいくつも刻まれており、文字としては、ラテン語とギリシャ語の他に、5〜6世紀頃に盛んに使われたオガム文字も見られました。

 シンボルや文字の大半は意味が分かっていませんが、「十字架の帆が張られた舟」は、キリスト教徒を約束の地に連れていく乗り物としての教会を象徴するものと言われています。

 バーリー博士は「これらの意味を解明するだけでも、今後数年にわたる大規模な調査が必要」とした上で、
「この時代のイギリスは歴史的にあまり知られていないため、5〜6世紀のイングランドを知る重要な手がかりとなる」と話しました。

 聖杯の断片は、今週火曜日から、ヴィンドランダ要塞で見つかった遺物を展示する「Vindolanda Trust」で一般公開が始まっています。

ナゾロジー 2020/9/3(木) 
https://nazology.net/archives/67847
0702出土地不明
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2020/09/05(土) 00:18:33.05ID:qmx7k9R4
【中欧の奇妙なうつぶせ埋葬、「蘇る死者」を恐怖か、最新研究】

■ペスト流行期に増加、不死者迷信との関連を指摘

 2014年、スイスの人類学者アメリー・アルタラウゲ氏は、数世紀前の共同墓地で見つかった奇妙な墓を調査するよう指示された。
 ベルン大学法医学研究所で働き始めてからわずか数日後のことだった。

 共同墓地には340の墓があったが、その中の1つが際立っていた。
 教会の墓地の片隅に、中年の男性がうつぶせに埋葬されていたのだ。
 「このような墓を実際に見たのは初めてでした」とアルタラウゲ氏は振り返る。

 曲がった肘の内側には、硬貨がいっぱいに詰まった財布と鉄製のナイフがあった。
 服の下に隠していたのだろう。
 硬貨から推定された埋葬時期は1630〜1650年。
 当時、スイスのこの一帯ではペストが流行していた。

「家族も葬儀屋も遺体を調べたくなかったように見えます」とアルタラウゲ氏は話す。
 「埋葬するとき、すでに遺体の腐食が進んでいたか、あるいは感染症にかかっていたため、誰も近づきたくなかったのではないでしょうか」

 アルタラウゲ氏はこの発見をきっかけに、うつぶせで埋葬された遺体をスイス、ドイツ、オーストリアで探すことにした。

 うつぶせの埋葬は極めてまれだが、東欧のスラブ語圏などには記録が存在する。
遺体を切断したり、石の重りを付けたりといった風習と同じく、遺体が墓から逃げ出さないようにすることで、吸血鬼や死者のよみがえりを阻止できると信じられていた。

 しかしアルタラウゲ氏によれば、現在のスイス、ドイツ、オーストリアにまたがる中世のドイツ語圏におけるうつぶせの埋葬は、体系的に調査されたことがなかった。

 アルタラウゲ氏らの研究は8月31日付けで学術誌「PLOS ONE」に発表された。
中央ヨーロッパのドイツ語圏における900年分のうつぶせの埋葬の記録を100件近く分析したところ、データからは埋葬習慣の大きな変化が示唆された。
アルタラウゲ氏らはこの変化を、ペストによる死や、よみがえった犠牲者が生きている人に取りつくという迷信と関連づけている。

「遺体は動き、音を出します」
 中世前期〜中世盛期(950〜1300年頃)のヨーロッパでは、うつぶせの遺体は数少ない。それらは大抵、教会の墓地の中央に埋葬された。
なかには教会の建物の中に納められた遺体もある。
宝飾品、高級な衣服や筆記用具とともに埋葬されたものがあることから、身分の高い貴族や聖職者が神の前で謙虚さを示すための選択だった可能性が示唆される。

 その一例がカール大帝の父ピピン3世だ。768年に死去したピピン3世は、父親の罪を償うため、大聖堂の前にうつぶせで埋葬されることを望んだと伝えられている。

 ヨーロッパでは14世紀前半あたりから、うつぶせの埋葬が増加し始めた。ただしその一部は、キリスト教の神聖な墓地の中でも端のほうに埋葬されている。この変化は壊滅的なペスト流行の時期と一致する。
1347年から流行が始まったペストはヨーロッパ全域で猛威を振るい、数千万人もの命を奪った。

「何らかの変化があったのです」とアルタラウゲ氏は述べる。氏はドイツ、ハイデルベルク大学の博士課程にも在籍している。

 埋葬が追いつかないほどのペースで死者が増えると、遺体が腐敗する光景や音が日常になり、人々を不安にさせた。
遺体は膨らんで変形し、腸に充満したガスが予期せぬタイミングで耳障りな音を放つ。朽ちて干からびた遺体は表現のしようがなく、肉体がしぼむと体毛や爪が伸びたように見える。

 腐敗中の「遺体は動き、音を出します。自身の肉体や、遺体を覆う布を食べているように見えるかもしれません」とアルタラウゲ氏は話す。

 中世のヨーロッパの人々は、こうした目の前の音と光景を説明しようと試み、東欧のスラブ語圏に広まっていた不死者(アンデッド)の概念に注目した可能性がある。
「ドイツには、吸血鬼(の概念)はありません」とアルタラウゲ氏は話す。「しかし、遺体が動き回るという考え方はあります」。
14世紀半ばに最初のペストの感染拡大が発生してから間もなく、東欧のスラブ語圏から西欧に伝わった概念だ。

(以下略、続きはソースでご確認下さい。)

ナショナル ジオグラフィック日本版 9/4(金)17:02
https://news.yahoo.co.jp/articles/b15977e7c74aa44352846791d8c03156f3392858
0703出土地不明
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2020/09/08(火) 08:07:42.09ID:zxMV8iyx
【日本天文学会、亀虎古墳壁画を天文遺産に認定】

キトラ古墳壁画を天文遺産に認定 「大陸から日本への科学知識流入示す」
毎日新聞 2020年9月8日 00時00分(最終更新 9月8日 00時19分)

https://cdn.mainichi.jp/vol1/2020/09/07/20200907k0000m040214000p/8.jpg
天文図が描かれたキトラ古墳壁画の天井の部分=奈良県明日香村で2018年9月20日、藤原弘撮影

 日本天文学会は7日、第2回の日本天文遺産として「キトラ古墳天井壁画」(奈良県)、「明治20年皆既日食観測地および観測日食碑」(新潟県)など
3件を選んだと発表した。
天文学の遺産を保護するため2019年、初認定した。
第2回は3月発表予定だったが、新型コロナウイルスの影響で延期していた。

https://mainichi.jp/articles/20200907/k00/00m/040/212000c
0704出土地不明
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2020/09/16(水) 18:32:12.26ID:VLEVY244
3700年前の古代カナン人宮殿、地震で廃墟になった 最新研究

 現在のイスラエル北部にあるテル・カブリ遺跡には、今からおよそ3700年前の紀元前18世紀、カナン人の見事な宮殿があった。
 6000平方メートルもの巨大な建物は現代のショッピングモールよりも広く、壁画が描かれ、豪華な宴会場があり、倉庫には100個以上の大きな瓶(かめ)に詰めたスパイスワインが貯蔵されていた。

 ところが同世紀中に突然この宮殿は打ち捨てられ、以後1000年近くにわたり利用された形跡がない。

 西暦2009年から遺跡の発掘が始まったものの、考古学者たちは困惑していた。
 これほど壮麗な建物は、この地のカナン人にとっては間違いなく政治の中枢だったはずだ。
 利用されなくなる直前まで改修が行われていた形跡もある。
 それなのに、なぜ住人たちは逃げ出したのだろうか?

 テル・カブリ遺跡は、地震活動が活発な地域にあるため、放棄されたのも地震のせいだろうと憶測したくなる。
 しかし研究者たちは、その説を採用することに躊躇(ちゅうちょ)した。
 用途を説明できない遺物を何でも「祭祀用」としてしまうのは、考古学者の間でジョークになるほどやりがちなことだ。
 地震説は、それと同じく安易な道だと思われたからだ。

 そこで発掘チームは、調査を続けながら1つずつ可能性を排除していった。
ナショナル ジオグラフィック協会からの支援を受けて実施された発掘調査で、チームは干ばつや洪水といった地震以外の自然要因があった証拠を探したほか、武器や焼かれた跡、きちんと埋葬されていない遺体といった暴力や戦闘を示唆する痕跡も探した。
しかし、そうした証拠は何一つ見つからなかった。

 イスラエル、ハイファ大学のアサーフ・ヤスール=ランダウ氏は、カナン人の宮殿が地震によって破壊されたという説を受け入れるまでに6年かかったという。氏は発掘調査の共同責任者で、共著者として執筆に加わった論文は9月11日付けで学術誌「PLOS ONE」に掲載された。

「そのような結論にたどり着く前に、全ての可能性を念入りに検討し尽くしたかったのです」と氏は話す。「派手な説に飛びつかず、丁寧に科学に取り組む姿勢が非常に大切です。そうしないのは、科学だけでなく私たちの社会にとって本当に良くないことなのです」

(以下略、続きはソースでご確認下さい)

ナショナル ジオグラフィック日本版 9/16(水) 7:11
https://news.yahoo.co.jp/articles/c7ad7858cf09a965fc7280212f515bc1b056f142
0705出土地不明
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2020/09/17(木) 21:17:28.23ID:phzcXury
2020年09月16日 20時00分00秒

【170万年前の人類が「温泉」で食料をゆでて食べていた可能性】

人類史上最古の道具使用の痕跡があることで知られる、東アフリカのオルドバイ峡谷に、かつて温泉が存在していたという論文が発表されました。
人類が温泉のそばに定住していたことを示すこの発見から、専門家は「人類は火を使うようになる以前から温泉で食料をゆでて食べていた可能性がある」と指摘しています。

Microbial biomarkers reveal a hydrothermally active landscape at Olduvai Gorge at the dawn of the Acheulean, 1.7 Ma | PNAS
https://www.pnas.org/content/early/2020/09/14/2004532117

Did our early ancestors boil their food in hot springs?
https://phys.org/news/2020-09-early-ancestors-food-hot.html

古代の人類が温泉のそばに住んでいたことを突き止めたのは、マサチューセッツ工科大学ケンブリッジ校の研究者であるAinara Sistiaga氏らの研究チームです。
2016年に、タンザニアのオルドバイ峡谷で実施された発掘調査に参加したSistiaga氏は、170万年前の地層から採取された砂の組成がその下にある180万年前の地層とは大きく違うことを発見しました。

170万年前の東アフリカは、徐々に砂漠化が進行していた時期だとされていることから、Sistiaga氏は当初、砂の組成の違いは植生の変化に由来するものだと考えていたとのこと。
そのため、Sistiaga氏はオルドバイ峡谷から持ち帰ったサンプルを分析し、植物由来の脂質を検出して当時の植物の種類を調べようとしました。
しかし、サンプルから見つかったのは植物とは無関係な脂質だったとのこと。

そこで、Sistiaga氏が論文の共著者であるロジャー・サモンズ氏にデータの解析を依頼したところ、サモンズ氏は問題の脂質がアメリカのイエローストーン国立公園で発見されたThermocrinis ruberという好熱性細菌が合成する脂質と同じものだということを突き止めました。

サモンズ氏は、「Thermocrinis ruberは温度が80度を超えない限り成長することができません。
オルドバイ峡谷のサンプルから、このような細菌が生み出す脂質が見つかったということは、当時のオルドバイ峡谷には高温の水があったことを明確に示していると考えられます」と述べました。

また、Sistiaga氏がサンプルを採取した場所は、石器や動物の骨といった初期の人類の生活跡が見つかっている場所と隣接していたことから、研究者らは「170万年前のオルドバイ峡谷には温泉が存在し、そのすぐそばに人類が定住していた」と推測しています。

Sistiaga氏は、「人類の遺跡のそばに温泉が存在した可能性があることは証明できますが、人類が温泉と関わりを持ったことを示す証拠はありません。おそらく、170万年前に姿を消した種の行動を知ることは非常に困難でしょう」と指摘。
その上で「もし古代の人類が熱水の中に落ちてゆで上がった獣を見つけたら、それを食べないとは思えません」と述べて、人類が温泉で食べ物を調理していた可能性は高いとの見方を示しました。

研究チームは今後、オルドバイ峡谷でさらなる調査を実施し、今回見つかったものと同様の脂質や温泉の存在を示す兆候を探す方針とのことです。

https://gigazine.net/news/20200916-human-ancestors-boil-hot-springs/
0706出土地不明
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2020/09/18(金) 00:04:27.71ID:EB/YOpGa
【2600年前のワイン「工場」を発掘、レバノン最古、世界のワイン文化のさきがけ】

■「ワイン文化」を地中海沿岸に広めたフェニキア人に関する貴重な証拠

 中東のレバノンで、同国最古のワイン圧搾機(圧搾所)が発掘された。
 古代フェニキア人が広範囲にわたってワインの交易を広く行っていた新たな証拠として、注目に値する発見だ。

 ワインの発祥地はフェニキアではない。
 ジョージアでは、約8000年前のワイン醸造の証拠が発見されている。
 しかし、オリーブオイルやアルファベット、グラスなどとともに、ワインの醸造技術を古代の地中海沿岸地域に広めたのはフェニキア人だ。
 ワイン文化は全世界に広まり、現在もフェニキア人の影響は生き続けていると言える。

 9月15日付けで学術誌「Antiquity」に発表された論文によると、ワイン圧搾機が発掘された場所は、レバノンの沿岸都市シドンから南に約8キロ離れたテル・エル・ブラク遺跡だ。
 少なくとも紀元前7世紀には使われていたと推測される
 。当時、レバノンはフェニキア人の領土だったため、フェニキア最古のワイン圧搾機ということになる。

 発掘現場からは大量の種子が見つかっており、近くのブドウ園から運び込まれたブドウを人の足で踏みつぶしていたことを示唆している。
ワイン圧搾機の保存状態は極めて良く、耐久性のあるしっくいが塗られており、約4500リットルの液体を入れることができた。

 つぶしたブドウの果汁や、それに果皮や果肉を混合した「マスト」は大きな桶に集められ、アンフォラという特徴的な形の陶器に移された後、そのまま発酵、熟成させて、運搬された。

 ワイン圧搾機は泥レンガでできた住居4棟とともに発掘された。テル・エル・ブラクは紀元前8〜6世紀に存在したフェニキア人コミュニティーの一部で、輸出用ワインの醸造が行われていたと、研究チームは推測している。

「フェニキア人にとって、ワインは重要な交易品でした」と、テル・エル・ブラク考古学プロジェクトのコーディネーターを務める、ベイルート・アメリカン大学(AUB)の考古学者ヘレネ・セイダー氏は話す。
氏によれば、シドン地方のワインは特に有名で、古代エジプトの文献でも言及されているという。

 しかし、フェニキア人がワインを醸造していた証拠は、これまでレバノン国内ではほとんど見つかっていなかった。計画的な発掘調査が行われてこなかったせいかもしれない。

「レバノンの沿岸地域がくまなく調査されたことはありません。適切な発掘調査が行われた鉄器時代のフェニキアの遺跡はわずかです」

 ただし、現在のイスラエル北岸では、似たようなワイン醸造所がいくつか発掘されている。当時、一帯はフェニキアの都市国家ティルスとシドンに属していた。

(以下略、続きはソースでご確認下さい)

ナショナル ジオグラフィック日本版 9/17(木) 18:09
https://news.yahoo.co.jp/articles/772e64b0413f2660ac97ff716689b6f28cbf469a
0707出土地不明
垢版 |
2020/09/18(金) 07:05:33.50ID:1EY+k51u
【12万年前の人間の足跡発見 サウジの砂漠は緑豊かだった可能性 (論文)】

 【AFP=時事】約12万年前、現在のサウジアラビア北部で、現生人類ホモ・サピエンスの小さな一団が浅い湖に立ち寄り、水を飲み、食料を調達した。
 湖には今日見られるどの種よりも大きなラクダや水牛、ゾウも頻繁に訪れていた。

 ホモ・サピエンスの一団は大型の哺乳動物を狩ったかもしれないが、湖は長旅の通過地点にすぎず、長くとどまることはなかった。

 これは、サウジアラビアのネフド砂漠(Nefud Desert)で発見された古代人と動物の足跡を基に再構築された場面で、16日の米科学誌サイエンス・アドバンシズ(Science Advances)で発表された新たな論文に記載されている。

 論文の筆頭著者で、ドイツのマックスプランク化学生態学研究所(Max Planck Institute for Chemical Ecology)に所属するマシュー・スチュワート(Mathew Stewart)氏はAFPに対し、足跡は2017年、博士課程のフィールドワーク中に、古代の湖で見つけたと説明した。
 堆積物が浸食された結果の発見だった。

 今日のアラビア半島(Arabian Peninsula)は、古代人や動物たちにとっては住みづらかったであろう、広大な不毛の砂漠という特徴を持つ。

 しかし、過去10年間の研究で、いつでもそうだったわけではないことが示された。自然の気候変化により、アラビア半島は最終間氷期には、より緑豊かでより湿度の高い状態にあった。

「過去のある時点で、アラビア半島内陸を占める砂漠は、常に水をたたえる淡水湖や川のある広大な草原に変わった」と論文の共著者で、英ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校(Royal Holloway, University of London)のリチャード・クラークウィルソン(Richard Clark-Wilson)氏は説明した。【翻訳編集】 AFPBB News

AFP=時事 9/17(木)13:34
https://news.yahoo.co.jp/articles/18c27ed16c8553a54015a96f164156edfdb5a402

http://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1600323693/1
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