>>56
夜の10時に仕事帰りで夜勤なのか、さすがはリアル無職の暇ジジイ(嘲笑

ケーブルテレビ入れてるけどナショナルジオグラフィックをまったり見てられるような
おまえみたいな無職の暇ジジイじゃないし、ろくな答えじゃないから書けないねw


で、変性した砂岩という証拠は?証拠は?証拠は?証拠は?証拠は?


で、掘削刃が銅ではなく青銅だという証拠は?証拠は?証拠は?証拠は?証拠は?


プマプンクがティワナク遺跡だという事も知らん中卒発見wwwwwwww

ティワナク文化には鉄器は無かったが青銅器は紀元前からあった 

プマプンクは砒素青銅の装飾品が他のティワナク遺跡の建造物より
特に多く用いられている

ゆえに単に銅製の刃を付けた回転ハンドルで石英粉を使って穴を開けただけの話

もちろん後世に開けられたものという可能性も高いがな


石英のモース硬度 7 >>>>>>>>>>>>>>砂岩のモース硬度 2.5



アー タノシーデスネー 

宇宙人が来た来た中卒wwwwwwww










アンデスの専門家であるビンガムトン大学教授 W. H. イズベル [2] は、プマプンクを形成するマウンドフィルの最深層と最古層からの有機物から放射性炭素年代測定を Vranich 氏 [3] によって取得したことを指摘しました。プマプンクの最初の建設は、西暦 536 年から 600 年 (1510 ± 25 B.P. C14、校正された日付) にまでさかのぼります。放射性炭素の年代は、安山岩と砂岩の石造物の下にあるマウンドフィルの最も深く最も古い層から得られたものであるため、石造物はおそらく西暦 536 年から 600 年以降に建設されたものと思われます。ブラニッチの掘削溝は、プマプンク複合体の粘土、砂、および砂利の充填物が、不毛の中期更新世の堆積物の上に直接置かれたことを示しています。プマプンク複合体に隣接するティワナク サイトの領域内の前アンデス中部地平線の文化的堆積物.[3]









↓見よ、これが南支那ブタニグロのリアル無職の暇ジジイだ(爆