西洋絵画は美術ではなく工学
西洋の絵は建築物の一部であって、視覚芸術ではない。
いまだ彼の地には美術は存在しないのだ。 東洋絵画は美術ではなく工芸
と言うのは大昔から言われてたけどな つまり、実は美術など何処にも存在していないってことか
これは案外核心を衝いてるかもな 否定神学ってやつですかね
もう神は死んだでいいじゃない 建築物の一部であって独立した視覚芸術じゃないって言うのは、
日本の障壁画や襖絵や屏風絵を指して外人が言ってた話だしw どっちの人間も自己肯定しようと必死ってことかな
西洋人は写実厨で絵の本質がわかってないみたいな意見もあったし 西洋の絵は写実というより建築物に近い。美学じゃなくて工学の
一部としての絵画なんです。彼の地に「美術」の概念が芽生えたのは
日本の美術を知ってからだろう。それまで宮殿や神殿を「構成する」
視覚的な物語から、はじめて印象派という美術そのものがうまれた。 デッサンで三次元をあらわす時点で誰でも解る話だと思うが。
お互い借り合いっこしてるんだよ。
明治以降逆に日本が参照する側になった。
足りない部分を補い合う、スケールが違うだけで人間関係と一緒だろ。
俺はそれそのものの姿こそ美術的だととらえるがね、学歴厨くん。 あくまで建築空間(三次元)を表す西洋絵画と
美術として二次元空間にこだわった日本とは違うだろう 西洋絵画は「図」の域を出ることができない。
そこに「構造的にあるもの」を表すものが彼らにとっての
絵画だからだ。
だが日本の美術は違う。二次元の美術を三次元の図の
上位概念として表している。
三次元の説明で終わる西洋絵画は美術ではない。
図である。 美術としてこだわったってだけじゃなくて、ああいう描き方しかできなかったのが実情だろ。
日本美術は技法が説明。
歴史というのはいつでも必然だととらえたほうがいい。
この場合欧米化したという事実である。
でなければ今の日本に何の希望も持てなくなる。 上位概念もなにも、当時国内に3次元画が無かったのだから比べようがない
3次元の説明、「構造的にあるもの」を表すものが西洋にとっての絵画(だった)という考えは的を得ていると思う。
同機能をより簡単、精密に果たす写真が発明されてから、絵画はその役割を断念し大きく変わってしまった。そんな流れを見れば明らかだ。 じゃあその後に西洋がどうなったかと言えば、>>7も結局は徒花に終わった
そして近現代において西洋のアートは再び学問になった
論理的に考える傾向の強い彼らの場合、どうしても学問的学術的な所に帰結してしまうんだろう
まあそこが欧米の連中の凄い所でもあるけど、
一方、欧米よりも問題なのは自分達の立ち位置すら見失ってしまっている日本の方だな >>13西紀1000年ころや鎌倉時代の
似絵や山水画は?あれは三次元の絵画じゃないのか。
それが生まれてもまだ二次元にこだわっている以上
「三次元の図よりも二次元の美」に絵画表現で
より上位概念にして成立させたとはいえないのかな。
それと西洋に三次元の絵画が生まれるのはダビンチなどの
軍事工学を担っていた工業技術が作図と
結びついてなので西紀15世紀ころ。むしろ西洋の方が
三次元図画については成立が遅い。 >>14その「建築物の材料としての絵図」が写真という新たな建築材料が生まれることで
滅んだのは事実で、だからもとより美術という概念がそもそもなかった
西洋美術はそこでまるごと滅んだのでは?
>>15写真の登場で滅んだ西洋の絵画が学問になったってどういう意味?
現代アートなるものは裸の王様サギの手法を使って資金洗浄を堂々と
やってるだけで学術じゃないよ。 ただ、単に三次元で風景を描いた、人物を描いたという点なら
ポンペイ遺跡のモザイク壁画(世紀200年頃)やドイツの
ブリューゲルの絵画(世紀1000年頃)も先行してあるので
彼らはそれから先ずっと三次元で絵画を表現することになり
それ以外の方法はなかった、とも言えるのかな? >>13そういえば日本の文化大革命(明治維新)以後の、
油絵、西洋建築といったものは抜かして、たとえば
日本画や伝統工芸などで「西洋化した」のは
なにがどうそうなったのかな。特に日本画。これが仮に西洋化したとすると
明治以後の日本画は西洋絵画なのかね。 一理あるとは思うのだが、戦中、戦後の作品を金だ裸の王様だ。でぶったぎって思考停止はいただけない。
共感はしなくていいが、金に執着せず、一応作品自体を理解する努力はして欲しいかな。話の本筋には無関係だが 膠に岩絵の具…の意味での日本画は、西洋絵画に対抗するため明治時代に開発されたものだよね。
西洋絵画ではなく、対西洋絵画かな?
もちろん感化されて洋画に励むようになった人たちも沢山いるが、洋画の連中と対立する形で存在していた。
唐絵が日本に伝わって同じものを描いて、そのうちある人たちが日本のアイデンティティを意識して、ある要素を特化、改変して「大和絵」を確立したみたいに、今も昔も似たような流れだね
西洋化された訳じゃないが、外からアイデンティティについてプレッシャーがなかったら、日本画も大和絵も出来なかった訳だ。 >>22写真の登場で滅んだ西洋絵画をなんとか蘇生させようと努力して
結果できなかった残骸が現代アートの黎明期、そしてそれは後に「この
美しさがわからないんですか、見識眼のある人にはわかるのですが」という
裸の王様を元にした詐欺あるいは資金洗浄の手段になったのは
紛れもない事実だろう。仮にそうだとすると西洋絵画は2つの道のりがあった。
まず18世紀頃にフランスの画家によって写真技術が実用化され、
西洋の画家は一気にその立場がなくなった。なぜなら当時の彼らは美術家じゃ
なくて製図家(肖像画家)・建築家として職を得ていたに過ぎないからだ。 一部の職を失った「三次元の製図家」は二次元を意匠する
印象派などとなり美術家となろうとしたが
それは徒花におわり実を付けずに終わった。さらに時間が下ると
キュビズムなどが生まれる。これはよくいう画面に三次元の
立体を表した革新的表現方法じゃなくて単に三次元を力ずくで
二次元表記した際の矛盾を表現したにすぎない三次元から
二次元空間への移行の過程なのだ。しかし結局のところ
三次元の図画製作方法しかなかった西洋画はこれ以上進めず
息絶える。ないものはないのだ。彼らの三次元の表現技術は
写真という「技術」によって滅んだ以上、美術足り得なかった
のは当然である。更にこの後は現代アートという「西洋絵画の
亡霊」を巧みに利用して見えない美(存在しないもの)を学問などと
言ってみたり、資金洗浄に利用させたりしているのが
西洋絵画の現状なのである。 美術が滅ぶのは技術じゃなくて
あたらしい美術によってだろう
その点三点透視法などの西洋の「製図法」によって
滅びることのなかった日本の絵画はつまるところ
美術だったのである。工学から始まる
欧州絵画はやはり新たな工業技術が興るとともに
滅んだのだ。なぜならそれは美術じゃなくて技術だから。 >>23日本画ってのはたしかに明治以後につけられた定義ですね。
しかし上で出たように「明治以後西洋化した日本画」という論が
私にはピンと来ません。何を以ってそんなことがいえるのか。
ダレか教えてくれないでしょうか。 >>25
何だか話がざっくりし過ぎな気がするんだけど、例えばモンドリアンやクレーのことはどう見る? >>28
モンドリアンはただのデザイナー
クレーはただの漫画家 先史時代に
クロマニヨン人が描いた
ラスコー洞窟の壁画には、
「遠近法」の技法が使われていた。
クロマニヨン人にとっての絵画は、
美術でも工学でもなく、
生活の一部だったのだろう。
分類に何の意味がある? 遠近法ってなんぞや?ここのみんなで
過去の遠近法や技法をとらえつつ、独自定義してみようぜ >>28意味のない作品に意味をこめるという現代アートの
一味でしかないのではないかな、モンドリアンてのは。
クレーはこれこそ平面に美を見いだせた西洋人じゃ
ないかな。・・印象派なる一派が日本で人気なのは
彼らが描く世界が二次元に近いからじゃないかな。日本の
伝統美術と似通っている。もしかしたらゴッホなんて
ピカソとおなじく三次元の世界を二次元の美で表そうと
苦労した画家なのかもしれない。 たしかに西洋絵画が美しいとおもったことないな。精巧な機械じかけを見た時の
感動のようなものはあるが、美しいとは思わない。 2012年のマヤ暦一か月後にこういうスレが立っちゃうあたり
やっぱりいろんな人の意識が西洋の物質文明から次のステージへシフトし始めてるなとしみじみ思う >>32
モンドリアンを始めとしたデ・ステイルの影響を強く受けていたバウハウスで
クレーも共に教鞭をとっていた事についてはどう思う? /%E3%83%87%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A4%E3%83%AB
デ・ステイル >>37そんなに頭でっかちに考えなくてもいいんじゃないの?
西洋絵画はそもそも写真(三次元図画像の簡易化)の成立を期待して生まれた技術なのかもしれない。
美術よりは技術。ワタクシよりオオヤケ。だからこそ写真が生まれた
後の西洋絵画は迷走をするわけでさ。 >>38
クレーは一見すると日本人の感覚に近い様に見えるかもしれないけど、作品に至るまでの過程はすごく西洋人的だよ
彼は理屈に理屈を積み上げて絵を描いているし、クレーの造形思考のような本は日本の絵描きではまず書けない
日本人の場合は絵画それ自体を目的だと考えるけど、欧米の連中は必ずしもそうじゃない
絵画を工学や哲学や様々な考察の場として使ったりもするし、むしろそちらにこそ本当の目的があるように見える
その点ではクレーとモンドリアンの立ってる場所は実はそう変わらないし、日本人の立ち位置とは明らかに違う
そしてクレーもモンドリアンもバウハウスで自分たちの作品の根底にある理屈を学問として教えてたんだと思う >>41理屈のない絵画なんてあるんかいな?逆に訊くけど。東洋と西洋は
その理屈に違いがあるが理屈のあるないなどと暴論に近いんじゃないか? 西洋が仮に理屈のみで絵画を制作しているというのなら、
まさに「工業としての三次元絵画」という論がまさに
成立する。空間の理屈をボタンひとつで表出できた
写真のせいで西洋美術が一瞬で滅ぶ理由もここにある。
だが東洋絵画になんの理屈もないとは言い過ぎじゃないのか? 確かに写真のせいで三次元絵画の西洋絵画は一瞬で滅んだね。
西洋美術が生き残る道は彫刻だけかな。 >>45いや絵画での西洋美術は滅んだんだよ、ついでとして。
その後西洋絵画はコンピューターグラフィックスとして
映画の世界で生き続けることになる。西洋美術は
西紀1000年から「一時的に」絵画の形をとったという
だけで、その「工業的な技巧」はCGになって生きているとしたら?
だからこそ西洋の絵画構築の理論をしってもなお
二次元の美術で生き抜いている日本画・日本の美術は三次元の上をいく
美術なんだろうと思う。 >>46西洋の彫刻は古代エジプトの立像から始まり
「写実的」であると評されるが、
ギリシャの彫刻を見てみ。特に髪の毛の表現。
あれってよく見ると髪のうねりや塊の表現は
「型」があるのに気づく。つまり
古代ギリシャの彫像が写実の始まりと終わりではなく
いまだ「途中経過」なのだ。
かの彫像をありがたがって模倣している日本人は
かの白い石膏像に写実や自然じゃなくて
白人世界の権威をみているのではなかろうか・・ >>43,>>44
日本人が絵画について一般的に考えるような理屈とは違うと言ってるだけで
日本・東洋に理屈が無いとはどこにも書いてないよ 同じ日本なのに、地方の一般人の美術認識はこの程度よ。ここでの話題が高度に感じられてしまうほどだわ。
http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-2881.html だいたいの庶民はまず議論に参加しようとしない、はなから知ろうとしない。
近視眼的に目の前の現実を処理することしか頭にない。
何につけても視野のスケールが狭い。
俺はバカの一言で片づけるのではなく、層を選ばないキャッチーな芸術をあえて突き詰めてみたいとも思うが。
現状と向き合うという意味では、そのリンク先に書かれてあることも全くの無駄ではないと感じた。 >>41
実際手段が目的なんじゃなくて「感じたものを感じてもらう」までが目的だからな。
そこのスタンスが明白なら手段はなんでもいいわけだが
日本の絵描きが絵を描く動機は基本的に幼児がペンを握る動機と同じなんだよ。
細かい理屈を付け添えても大元は変わらない、自分が描きたいからに尽きる。
だからどれもこれも趣味的で盆栽を見てるような感覚になる。
誰に何を届けたいのかすら定まらない絵描きが、下請けの技術屋や自称絵師のオタクとどう違うのだろうか?
描く側である自分まで「感じる」ことに精一杯でそこから離れられないのは同じではないか?
逆算しかできない作家ばかりなのはそういう事だし、自家撞着の繰り返し。
狭い世界でしか積みあがらないから見る側の目線を超えることはない。
結局芸術においても「お客様は神様」、「ぼくのお絵かきを見てくれるお母さん」に留まるんだよ。 西洋絵画は美術ではない。ゆえに土田麦僊は西洋婦人を日本画の技法で描けなかったんだろうと
思う もとより何のために西洋絵画が生まれたのだろうか。
美のためか?
記録のためか? 西洋美術の根源は、古代ギリシャ文明がそうであったように
古代エジプトにある。そこでの最初の絵は王の功績を万人にわかるように
視覚情報で記したものだった。王がなにをした、よって偉い、云々・・。
しかるに古代ギリシャも、エジプトの彫像の模倣からはじまり、
それからたとえばオリンピア優勝者の彫像、神話のいち場面の表現など
「何かを知らせる」ために彫刻やモザイク壁画を残した。 何かを知らせるのに美は必要ない。よろず世界に必要な合理性だろう。
だから写実主義が、エジプトから起り(エジプトのビーナスを見よ)
古代ギリシャに伝わり、今にいたるのだろう。それは美の抽象行為では
なく「正確な記録」の伝達行為だとわかる。そう文字や数学と同じなのだ。
技術に数学が結びつくとき、工学が生まれる。けだし西洋美術の根源は
この工学なのではないのかと・・。 だから彼らの「美術」は壁画から薄彫り、モザイク壁画・正確な人体構造を持つ
彫刻に始まり、西洋中世の油彩画、そして悪魔の発明・写真、その次に
コンピューターグラフィックスへといった具合に技術が変遷転化していったのではいかと。
彼ら西洋絵画の本質は技術である以上、これは正当な系図である。むしろここから
離れた印象派こそが美術に走った異端児なのではないのか。・・同時代の
日本の浮世絵が庶民の美術であったように欧州の印象派がサロンを
脱し、市民の絵画になったことがその変質を物語っている。 最初から西洋絵画は美術ではなかったのだ。
美術ではなく工学なのである。だからカタオチの自動車や家電が
消費者になんの魅力もなく時代遅れと評され無視されるのと同様、
写真やCGが発明された
後の西洋絵画技法によって創作された絵画が美的になんの用もなさず人々に過ぎた時間だけを
思い起こさせる、止まった時計になるのである。 日本において、西洋絵画の一流のものまね師を排出するための
官学として設置された東京芸術大学。ここの油絵学科が最近
倍率が落ちてきた。理由は日本人の「美」を目指す人の多くが
西洋絵画の本質を見ぬいてきたからではないかと思う。
西洋絵画を身につけたかったらCGの技術習得に励めばいいのだ。
そこに美はない。インチキな現代アートはあるとしても・・。
そう感じ始めたのではないかと思う。 これから美を体得し、その技術を習得したいのなら
日本画を習ったらいいのかもしれない。風姿花伝から
始まって、古の平安、室町、秀吉、江戸の美術を体得できたら
もう大したものである。ここに美は豊富にある。その
根源もそこかしこに散らばっている。そこから見出したもの
こそ本当の美術だ。日本だけに通じるものじゃない。美の
普遍性がそこにあるだろう、なぜなら日本人の絵師・彫師たちは
美を追い求めてきたのだから。 日本人の多くが追い求めてきたのは美しいかどうかじゃなくて、面白いかどうかでしょ >>62
今頃気付いたのか
時代の流れを読み取れない人って悲しいな >>65なぜそう言えるの。俺は美を求めてきたと感じるが。
>>66本当は18世紀に写真が生まれた段階で見限るべきだったろうね。
当の西洋人はとっくに次の段階に移行し、脱皮できなかった連中が
印象派に走り、錬金術と迷信の虜になった人たちが現代アートに走ったんだ。
前者は実をつけずに終わり後者はよく当たる占い師のように
大繁盛するようになった。西洋絵画が工業技術である以上
当然の結果だろう。 洋画家の年鑑をみても、本当に成功してる画家などいない。これが
洋画の未来なのだとなぜか合理的に納得できるくらいだ。ここにおいて
さらに現代アートに走るのは錬金術を信じた上に実行までしている愚かな
連中なんだろう。 時代の流れとしてこういう意見が出てくるのも不自然ではないが
単なる日本至上主義だな
近年の日本人評論家ってこういう自己肯定ばっかり
現代アートはともかく西洋的観点を丸ごと否定したら歴史に意味がなくなるわけだが
過去しか見てない人間はこういうものの考え方になる
文章から知識と自分に酔ってるのがビンビン伝わってくるがここまでくるともう手遅れかも まず一度発展してピークを終えたものに対してバッサリ否定し
これはだめだから次はこうだと提唱してそれはまた偏り過ぎだと否定し
この繰り返しで成り立ってる歴史なわけだが、いい加減否定から入るアホらしさから知れよと言いたい 日本人として日本画にかかわらず日本史を第一に学ぶことは理にかなってる
>>64の言ってることもわかる
しかしこの考えが行き過ぎるともう鎖国した方がいいだの白人はおかしいだの昔の思想に逆戻りする
実際日本を持ち上げる論者っておしなべてそういう思考回路になってる
逆に白人崇拝型論者はもうこの国に未来はない、やっぱり向こうは良いとか退廃的な論調になる
そういう二元論的な根幹が見え透いてしまうから
人間って本当に単純な生き物だと思うわ
これはもう教養がどうとかいう以前の問題だよね ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
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┃ ,. '" _,,. -…; ヽ ┃
┃ (i'"((´ __ 〈 } ┃
┃ |__ r=_ニニ`ヽfハ } ふう・・・ ┃
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や 全 |i / ・ i '、',  ̄|  ̄ 冫'/ | モ を い
っ 員 |i t ヽ! 、 ,、 イ:i | だ 離 お
ち |i 〃 ● '! ゙' ij ,' i::l < ら し い
ま |i r一 ヽ ) '、 '.==-‐ / ':i | け た ち
お |i | i ∀" ヽ ""´ ∠i '、 | だ 隙 ょ
う |i | i ノi ノ:i\ / l `| ぜ に っ
ぜ |i ニ| |二二◎ __,..'| /  ̄ / ::::| と _,r'´::::::::::::::::::::::::::`'、. / は 遠 ほ
{::::::::rr-‐-‐'^i::::::::::::::i. ! っ 慮 ら
゙l'´゙《 __,,,ゝ:::r、:::::l | て し
ト=r;、 ゙"rィァ‐リメ }:::::} ヽ み .な
゙i`"l  ̄ ソ::::ヽ l′ ろ い
゙i. ゝ^ , /ヾヾヾ、 ヽ, よ で
ヽ ゙こ´ / ヽ、 ∠_
ヽ、 /__,∠、 `'-、 ^ー――
`゙ク'゙´ ` ゙'、 ヽ
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. ! , -==、´r' l::::::/,ニ.ヽ
l _,, -‐''二ゝ l::::l f゙ヽ |、
レー-- 、ヽヾニ-ァ,ニ;=、_ !:::l ) } ト 布団を敷こう
ヾ¨'7"ry、` ー゙='ニ,,,` }::ヽ(ノ
:ーゝヽ、 !´ " ̄ 'l,;;;;,,,.、 ,i:::::::ミ な!
::::::::::::::::ヽ.-‐ ト、 r'_{ __)`ニゝ、 ,,iリ::::::::ミ
::::::::::::::::::::Vi/l:::V'´;ッ`ニ´ー-ッ-,、:::::`"::::::::::::::;゙ ,
:::::::::::::::::::::::::N. ゙、::::ヾ,.`二ニ´∠,,.i::::::::::::::::::::///
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:::::::::::::::/ヽ;/ へ、\;;;;:. ;;;-─ _,.ニ-ァ'´\
::::/7 ) ./ |××| | ;;; ;;;::::| ̄ /×××>、
/ ././ /ニ=、\±L/;;;;:::_;;:」_,/×××/ \
l. l / ー- ゝ |××× /×× ゝ‐''´== >>71どうして鎖国論までいってしまうのかな・・。私は「西洋の美術と
言われているものは工学の一種だよ」と指摘しているにすぎないのだが。
だからこそ、彼らは写真・電子美術(コンピューターグラフィックス)に
「脱皮」したのに対し、日本の美術は日本画止まりだ。これはなぜか?という
問を提示してみたにすぎないんだよ。 鎖国が仮に「世界を見渡して自分以上の価値基準を持つものが
見当たらないので他者に自己正当化をあくまで貫く態度」とするのなら
現在の欧米の覇権こそが形を変えた鎖国なんであり、世界の基準にけして
なりえない現在の日本がなしえることはできないことは明白だ。こんな誰にでも
明らかに分かる状況で鎖国など誰が説くというのか。 明治維新後、アジア人のすべての文明・文化を白人の劣化コピーとすることが国是とする
破壊運動の後、美術の世界にも
それは及んだ。上野にある東京美術学校という2等白人画家を養成する学校が
それの最たるものである。しかし洋画や彫刻はともあれ、日本画はそうは
いかなかった。明治の革命後、何が変わったというのか?私が知るかぎり
影響を受けた作家を知らない(正三角形からなる構図を土田麦僊は西洋にならったと
われているがそれくらいだろうか)。 日本画はなぜ「世界の普遍の美」を伝えるとされる西洋画に
影響を受けなかったのか?それは西洋の絵画は美術ではなくて
工学だったからではないのか。工業技術である以上、美術に
機能的な、二次元の画面を実際に描く際の実際的な、つまり「工学的な」影響は与えるとしても
美術的な影響は与えられなかったのではないのか、それを
このスレで問いたい。 v ! / //
/ ヽ i / / ヾ、
/ _j i!!ヽ ヽ |/ /
/ / ! r―、 /! /
/ / / | | !/´ ヽ /
/ V / | | ヽ /
/ / / | ! ヽー!
/ ! / ! | !
/ ! ! ! ト ヽ
! | ! ノ ヾ、 !
! | | ! ハ ヽ_j!!ヽ !
ノ ! ! ノ/::/! し´ソ:| !
// | ハ ヽ ' ,':::!!:| ____ リ::!
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ヽ レ ! ! |::ノ!::::ゝ_ノ/ / /
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!r、ヽ !じイ/ /` / !
ヽヽ`ー/´ / し'
\ し し'´
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''''''ヾ r \ 毛 /
腿 \_ | _/
彡彡彡
ミミミミ クリトリス
ミミミミ / ̄ ̄ ̄ ̄
ノ σ ヽ 尿道
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大陰唇 / //\\ \
 ̄ ̄ ̄ ̄ ( ( 膣 ) ── 小陰唇
\ \\// /
` \/ '
\ *──肛門
\_____/\_____/ 美しいってのは人の頭から出て来るんだから
絶えずコロコロ変わる頭である以上美術が興って衰退するのは普通じゃない?
コレは○○でアレは○○だっていうのは余りにも恣意的過ぎやしませんか?
でも西洋絵画が三次元は凄く納得できる! :: _, ,_
:(゙( ^ё^)'): アッ!
:ノ⌒', −、'^',
:(,,人,_,,ω,_人,,)
_, ,_
( ^ё^) ヤダァ、見ないで!恥ずかしい…
(つ/ )
|`(..イ 彡サッ
しし' _, ,_ アッ!
(^ё^ )
(⊃⌒*⌒⊂)
/__ノωヽ__)
_, ,_
( ^ё^) ヤダァ、見ないで!恥ずかしい…
(つ/ )
|`(..イ 彡サッ
しし' 日本画が西洋画の影響を受けてこなかったって、一体いつの時代の話をしてるの? >>84三次元が西洋美術というよりも、その「場」を説明するのに3次元空間に
なっとすべきじゃないのかな。つまり「誰が見てもそれとわかる」記録媒体として
西洋の絵画・彫刻はあったのではないのかとね。7000年の歴史を誇る古代
エジプトのファラオの功績から始まってギリシャの祭典の優勝者、哲学者、学者、
すべて「他者に視覚的に伝える意図」がそこにある。文字のように。それに
比べて日本画はなんなのか。他者に、何を伝えたいのか?正確な記録だろうか。
文字記述のような物語だろうか。多分違う。なぜってそんなの文字だけに
任せればいいから。視覚芸術でわざわざ表す行為にはそれ以外の意味があるはずだ。
日本の先人たちはそれをただ行なっていただけなのではないのか。 絵巻物や襖絵や掛け軸って普通に記録や物語でもあるでしょ、更に加えるなら娯楽だよ つまりこういうやつが勉強しているのは芸術じゃなくて、「受験」なんだよ。
こいつのなかでは芸術=受験・学歴。だから全ての基準が受験の順位と予備校になる。
それ以外の美術の話をまるで理解できないし認識もできない。
温室の中で肥料のやりすぎで腐ったクローン花のようなものだ。 何をすべきか明確なビジョンてある?
情報をよく見るといろいろ読み取れてくるだろ
良かれ悪しかれ自己評価自己満足だけでは世の中渡って行けない >大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。僕のほかにも、イジメが原因で精神病になったりひきこもりになったりした子が何人もおる。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。イジメに加担する教師すらおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメはなかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな
>島本町って町は、暴力といじめの町なんだな
子供の時に受けた酷いイジメの体験は、一生癒えない後遺症になるなあ 30代後半で、ひきこもりで漫画家になろうとするバカ発見。
足立区に住んでいるそうだ
http://inumenken.blog.jp/ いやいや、絵画は文系の学問ですよ。
ダヴィンチだろうがなんだろうが、絵を描くという行為論は、文系の範疇です。
科学に詳しかったダヴィンチはめずらしい、というか超人ですが。 そうして、絵を描く際の審美眼は美学という文系の学問です。
美意識というものは、社会学的、歴史学的、心理学的制約を受けるからであり、
絵画のレトリックは言語学や文学や弁論術のそれと変わりません。
芸術は基本的には文系です。
そもそもこの板も、文系だわな。