今回のエンブレムコンペの参加資格に不思議な条件を付けたのは、永井一正の意向で長野オリンピックの篠塚正典氏を排除するため、との噂がある。

篠塚氏は永井息子の多摩美の一年先輩らしい。我が子より才能のある篠塚氏を潰したかった?あるいは長野のコンペで息子ほどの歳の若手に負けたのが悔しかった?

28日の佐野エンブレム原案公表時にも、わざわざ歴代オリンピックエンブレムから、長野オリンピックのエンブレム「だけ」外して解説している。

また永井一正氏は自分が担当した札幌オリンピックのデザインシステムを自画自賛、長野オリンピックは批判する発言もしている。よほど自分の思い通りに2020東京オリンピックをデザインしたかったらしい。

「私は1966年の札幌冬季オリンピックのとき、指名コンペでロゴマークをつくらせていただきました。

東京から札幌にいたる流れまでは、勝見勝さんを始めとした委員会、いろんな指名コンペのメンバーが力を合わせ、見事にデザインシステムが稼動していたと思います。

残念ながら長野オリンピックになりますと、絹谷幸二さんのポスターや、原研哉さんの賞状など、個別に優れたものはありましたが、全体としては統一がとれませんでした。

これは大変な損失だったので、2020年の東京オリンピックでは、デザインの統一がとれたシステム化を図る必要があるのではないかと思います。」

http://tokyo-design2020.jp/vol1/nagai-kazumasa.html