試しに「カミーユ・クローデル」のスレを立ててみる
カミーユ・クローデル(クロデルとも、Camille Claudel(発音例)、1864年12月8日 - 1943年10月19日)は、フランスの彫刻家。劇作家・外交官のポール・クローデルは弟。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ カミーユ・クローデル 村上隆は創価と共に去るだろう。 誰も村上のことを話題にしなくなる。 ロダンはカミーユを彫刻家として育てることに失敗したとは言えないにしろ、 彼女の人生を滅茶滅茶にしてしまったのはロダンの作家としてのエゴと、 男としてのだらしなさだろうが、グスタフ・マーラーみたいに、結婚の条件として、 カミーユに創作(マーラーの場合は有望な作曲家だった妻に作曲を諦めさせた)を諦めさせるとかの提案をしてたかも。 1840年生まれのロダンと1844年生まれのアンリ・ルソーはほぼ同年代。 ルソーのフラットネスをクレメント・グリーンバーグは賞賛したというが、 ルソーの絵は全くフラットではなく、密林の木々の重なり合いや、斜面での 物の見え方がルソーの場合は重要なのであり、それはロダンの人物が常に 激しい動きの中で捉えられていたり、「考える人」や「イヴ」らにおいても、 思考や強い感情の中にあるものは急斜面の中に座ったり立ったりして、筋肉は 緩むことを許されていないのと似ているのだ。 グリーンバーグがルソーのフラットネスと言ったのは、メタファーでしかない。 それを絵画のフィジカルなフラットネスに変換するのは稚拙としか言えない。 ロダンやルソーの主張は静的で平面に立脚したperspective遠近法になど何の価値も ないということだろう。 村上のスーパーフラットがグリーンバーグの悪ノリである以上、村上も取り敢えずは コンテンポラリーな作家ではないということ。 ロザリンド・クラウスも過去の人になりつつある。 グリーンバーグのフラットネスは彼のモダニティへの早とちりに基づいてる。 フォーディズムや、アメリカや日本の都市の完全平面化などがそれ。 だが、ヨーロッパはアメリカや日本ほど平面化を絶対化しなかった。 ____ /__.))ノヽ .|ミ.l _ ._ i.) (^'ミ/.´・ .〈・ リ わしが育てた .しi r、_) | | `ニニ' / ノ `ー―i read.cgi ver 07.4.7 2024/03/31 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる