無敵の人とは、ネットスラングの1つである。
尊厳が無くとも飯があれば人は生きられる 飯が無くとも尊厳があれば人は耐えられる
だが 両方無くなると もはやどうでもよくなる 何にでも頼る
出典:漫画『ドリフターズ』(平野耕太・著)
簡単に言ってしまえば、『失うものが何も無い人間』のこと。
失うものが何もないので社会的な信用が失墜する事も恐れないし
財産も職も失わない、
犯罪を起こし一般人を巻き込むことに何の躊躇もしない人々を指す。
もとは2008年頃にひろゆきが自らのブログの中で発した言葉だったが、
2013年に「黒子のバスケ脅迫事件」などを通して
このフレーズが最近再び話題になった。
逮捕されると、職を失ったり、社会的信用が下がったりします。
元々、無職で社会的信用が皆無の人にとっては逮捕というのは、なんのリスクにもならないのですね。
花輪和一さんの刑務所の中とか読んじゃったりすると、
「刑務所もそんなに悪いとこじゃないのかもねー」とか思っちゃったりも
するかもしれません。(中略)
でも、現在はインターネットを使った犯行予告をすることで、
警察官を特定の場所に動員したり、飛行機を遅らせたり、
警備員を走らせたりするぐらいの発言力が手に入ってしまっているわけです。
彼らは、それなりの社会的影響力を行使できる状態にあるのですね。
でも、欲望のままに野蛮な行動をする彼らを制限する手段を
社会は持っていなかったりするわけです。
ちなみに個人的に、こういう人を「無敵の人」と呼んでいたりします。
出典:ひろゆきの公式ブログ
無敵の人にとっては犯罪を起こす事など何の抵抗もなく、
逮捕されることは社会からの追放ではなく「まぁいいか」程度の環境の変化に
過ぎず、死刑を課したところで「生きることに執着していない」ため、
自殺の手伝いにしかならない。寧ろ「自分が本当に警察ほか多くの人間を
動かして見せた」事にこそ満足感や
充実感を覚える無敵の人にとって、逮捕は予定調和のゴールに過ぎない。
事実、「黒子のバスケ」作者を脅迫した犯人も作者とは何も面識や接点は無く、
「成功者への妬み」が犯行の原動力となっており、
今後も何かのきっかけで失う物を持たない人間が「無敵の人」と化して
同様の犯行に走る事もあるかもしれないし、
もし発生したらそれらを未然に防ぐ事は不可能に近いだろう。
うちの前で糞したトイプードルがいたので、水かけてやった。