YouTubeのネトウヨ動画を報告しまくって潰そうぜ260

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0001マンセー名無しさん2018/08/21(火) 18:43:28.25ID:A9ZCQnuT
■副スレタイ【納涼】夏のBAN祭り🌻

■ヘイト動画をYouTubeから追放するんだ🏖

■次スレは950超えたら有志の方が宣言してから立てて下さい
(次スレは次スレ検索してから立てる事)

■エキニキ本
YouTubeからヘイト動画をなくそう! (CMMブックス)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07FMB85MG

■「BAN祭り」経緯解説動画
http://you tu.be/pxBTJTddW5A

☆参考リンク
悪意のある表現に関するポリシー
http://support.google.com/youtube/answer/2801939?hl=ja

法務省 ヘイトスピーチに焦点を当てた啓発活動
http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken04_00108.html

避難所
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/news/6499/1534754215/

前スレ
YouTubeのネトウヨ動画を報告しまくって潰そうぜ256
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/korea/1534568075/
YouTubeのネトウヨ動画を報告しまくって潰そうぜ257
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/korea/1534755963/
YouTubeのネトウヨ動画を報告しまくって潰そうぜ259
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/korea/1534821445/

0542マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:16:30.15ID:SnzI/5ce
bakeratta

0543マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:16:52.40ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。

 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)

 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。

 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、

バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。

 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。

 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

0544マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:17:53.46ID:DeJs9R4g
betra

0545マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:18:23.79ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。

 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)

 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。

 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、

バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。

 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。

 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

0546マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:18:49.41ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。

 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)

 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。

 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、

バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。

 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。

 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

0547マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:19:13.10ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。

 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)

 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。

 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、

バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。

 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。

 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

0548マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:20:07.28ID:DeJs9R4g
betra

0549マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:20:30.19ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。

 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)

 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。

 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、

バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。

 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。

 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

0550マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:20:55.95ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。

 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)

 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。

 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、

バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。

 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。

 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

0551マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:21:20.60ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。

 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)

 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。

 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、

バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。

 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。

 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

0552マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:22:11.49ID:DeJs9R4g
betra

0553マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:22:34.45ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。

 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)

 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。

 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、

バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。

 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。

 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

0554マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:23:01.09ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。

 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)

 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。

 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、

バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。

 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。

 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

0555マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:23:02.39ID:sG8SwSqD
>>74
うれしい
ここだいきらい
ありがとう

0556マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:23:26.10ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。

 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)

 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。

 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、

バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。

 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。

 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

0557マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:24:16.93ID:DeJs9R4g
betra

0558マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:24:37.75ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。

 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)

 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。

 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、

バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。

 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。

 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

0559マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:24:59.67ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。

 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)

 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。

 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、

バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。

 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。

 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

0560マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:25:22.10ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。

 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)

 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。

 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、

バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。

 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。

 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

0561マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:26:08.33ID:DeJs9R4g
betra

0562マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:26:29.40ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。

 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)

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 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、

バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。

 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。

 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

0563マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:26:53.30ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
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0564マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:27:16.74ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

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 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
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0565マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:28:02.66ID:DeJs9R4g
betra

0566マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:28:23.45ID:DeJs9R4g
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0567マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:29:48.51ID:DeJs9R4g
betra

0568マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:30:11.32ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

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 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
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愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

0569マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:30:33.07ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
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 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)

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バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。

 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。

 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
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0570マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:30:55.37ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
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 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)

 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。

 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
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バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。

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 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
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0571マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:31:38.84ID:DeJs9R4g
betra

0572マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:32:02.28ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

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小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)

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0573マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:32:24.39ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
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 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
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0574マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:32:46.29ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
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 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
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「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。

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愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

0575マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:33:31.09ID:DeJs9R4g
betra

0576マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:33:51.93ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
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 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。

 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、

バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。

 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。

 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

0577マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:34:16.36ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。

 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)

 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。

 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、

バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。

 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。

 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

0578マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:34:38.20ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。

 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)

 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。

 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、

バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。

 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。

 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

0579マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:35:14.01ID:Gm2pVCjO
次スレ

■YouTubeのネトウヨ動画を報告しまくって潰そうぜ261
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/korea/1534845375/

0580マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:35:25.85ID:DeJs9R4g
betra

0581マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:35:46.44ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。

 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)

 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。

 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、

バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。

 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。

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0582マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:36:08.91ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。

 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)

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 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、

バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。

 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。

 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

0583マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:37:16.99ID:DeJs9R4g
betra

0584マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:37:37.80ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
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 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)

 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。

 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、

バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。

 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。

 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
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愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

0585マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:38:00.33ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。

 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)

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 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
大事(おおごと)だが、30歳くらいになってようやく祖国や故郷を慈しむ感覚が芽生えて結実し、遅くとも40歳ごろまでには一応、社会や世界に対しての疑義と同時に、歴史的経緯を知ることで尊崇の念も高まって、

バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。

 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。

 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
歴史について幼年期から全く無関心のまま、青春期を経ても同じく無関心のままでも相応に学歴や社会的地位を手にすることのできる、この奇妙に歪んだ戦後日本において、「ネットde真実」という
愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

0586マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:38:22.22ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
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 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)

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バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。

 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。

 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
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0587マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:39:07.98ID:DeJs9R4g
betra

0588マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:39:28.90ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
見下し、デマを真実と思い込み巷間に頒布させている人たちのことである。要するにクズだ。

 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)

 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。

 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
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バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。

 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。

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0589マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:39:51.22ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

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 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)

 この箇所の不幸を愛国奴に、幸福を愛国者に置き換えるのが最もわかりやすい。愛国奴はほとんどの一般公衆の知るところのない、狭い自閉した論壇やネット空間から突然発生する。

 一方愛国者は、あるいはその中にある愛国心は、地域共同体や社会組織の一員として生きていく中で、少しずつ少しずつ目に見える形で成長するものだ。生まれたての赤ん坊が「日本万歳」と言ったら
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愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

0590マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:40:13.77ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
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 「すなわち、不幸は、自分が知らない間に、知らない場所で、勝手に育っていって、ある日突然、目の前に現れるという、重要な事実に、である。幸福は、逆だ。幸福は、ベランダにある
小さなかわいらしい花の苗だ。あるいは番のカナリアのひなだ。目に見えて、少しずつ少しずつ成長する」(村上龍『69』)

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愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

0591マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:40:57.42ID:DeJs9R4g
betra

0592マンセー名無しさん2018/08/22(水) 15:41:18.82ID:DeJs9R4g
ある日突然目覚めてしまう、エセ「愛国心」

 「愛国奴」とは私の造語のようなもので、「愛国者」と一文字しか違わないが、愛国や保守を語っている分際でその実、「愛国」という虎の威を借りて卑小な自尊心を満たし、他国人を差別し
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バランスがとれるようになる。このようなコモンセンスともいうべき感覚を身につけた成熟した自立体を、私は愛国者と呼ぶ。だが、愛国奴はそうではない。

 「ネットde真実」という言葉がある。それまで社会や政治や歴史に全く無知だった人間が、校正や編集を一切経ていないネット動画やブログを読むことで、まるで熱病に感染したかのように突然、
「愛国という名の真実」を声高に叫ぶようになる。

 繰り返すように愛国心とは、一朝一夕に出来るものではない。愛国心というのは経験を前提としており、偶然発見するものとか、瞬間的に探知できるものではない。しかし、社会や政治や
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愛国の発見のカタチは実にお手軽だということで、これが繁茂している。

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