水素がどうだの、循環小数の法則がどうだの
惑星がどうだの、そういうことをいっているのだが
俺には理解できんかった
今は志賀直哉で頭いっぱいだし
グルジェフって何?っていう
一昨日読んだ本も覚えていない
とにかく興味をなくせばすぐに忘れる
以前アニメをたくさん見たりゲームをたくさんプレイしとったが
何も思い出せない
ただのカッスカスの空虚な記憶となっている
要は俺は文明社会に振り回されているだけの奴隷だから
ジャイナ教とかに惹かれたりする
消費文明に頼りっきりで何も産みだしてはいない
今の俺にとって志賀直哉が至高の芸術なのだ
これもしばらくするとどうでもよくなるかもしれない
金銭や欲望、願望とは無縁のところで
何かを生み出さなければ創造とはいえない
魂や生命を削ってそれを行えるかどうか、というのが大事
芸術をやるにはまず魂だ
魂が穢れているからな俺
創造者に値しないのだと思う
心の傷を癒したいと思ったり魂を浄化したいと思って
感動できるものを探そうと躍起になって
いろんなものを消費したりするのだが
それを繰り返しているといつまでも魂が穢れたままになる
文明がそういう仕組みを生み出してしまったのだ
消費者は何ひとつえらくないわけだが
生産者と消費者の兼ね合いで経済のバランスとったり
あほなことしているからな
魔法少女まどか☆マギカってあったな
あれを思い出した
今考えると非常にあほくさい話だ
ソウルジェムの設定はほとんどブラックユーモアなんだろう
ソウルジェムという宝石が自分の存在の核のようなもので
それが穢れてしまうと魔女(倒すべき敵)に変わってしまうという
ケガレを浄化しなければ、という強迫観念があるよな
潔癖症の人ならわかるだろうが
ケガレは浄化できない
ケガレとは主に否定的イメージのことで、どちらかといえば呪いの方に近い
呪いは汚くないので浄化はできない
ふつう、呪いを解くのに必要な方法があるが
これは簡単には解けない
簡単に解けないものを無理して解こうとしているから
それが余計に強迫観念に繋がっている
それで足掻いて足掻いて、すぐに諦念にいってしまうのだ
こびりついた否定的イメージは簡単にはぬぐえない
親和と否定の関係は恐ろしく複雑で
神経回路とか量子ポテンシャルのレベルから作動しているんだろうな
よし、志賀直哉で神経回路を改造するぞ
これで呪いとはおさらばだ
なぜいままでこんな良い方法に気付かなかったんだろう!!
このネタで自己啓発本を出してボロもうけだぜ
ギャハアアアア
芥川や太宰は頭が良すぎたのだな
様々なパターンの筋書きを完成まで頭の中で考えてしまえる
志賀直哉はそうではなく、完成形を思い描いたり計算することを放棄した
一文一文に今の自分を乗り移らせるようにして書いている
これが独特の迫力とシュールさを生み出している
晩年の芥川は計算することをどこか放棄していってる節があるがな
タイトルの由来は知らないけど
暗夜行路というのは「暗中模索」に近い意味合いが込められているような気がする
自分が何を描こうとしているのか分からない不安との格闘
あまりにも不可解なので、論文を読み漁った
それで慣らしているうちに「これはもしかしてすごいのではないか」と思うようになった
人は不可解なものを目の前にしたときに反応に困って誇張評価するからな
読み進めることができないほど気持ち悪くなったのだが
決して文章が悪いわけじゃないんだな
ということは読む俺のほうに問題がある
俺はしつこい人間で過大評価モードに入ると飽きるまでやるからな
「〜〜た。」で終わる文が多いといえば石川達三もそうだった。
石川達三で大分慣らされた。その点は問題なかった。
『雪国』は島村という人物の視点で描かれているのだけど
たまに島村の知り得ないような描写が出てくる
これは禅の境地を表現しているのではないか、と
作者視点は極力感じさせない工夫がしてあるからな
志賀直哉はそうではなく、エゴを通して自然へ気分が融和していくような描写が見られる
禅とは違うのかもな
>やっと彼の帰った後、僕はベッドの上に転がったまま、
「暗夜行路」を読みはじめた。
主人公の精神的闘争は一々僕には痛切だった。
僕はこの主人公に比べると、どのくらい
僕の阿呆(あほう)だったかを感じ、いつか涙を流していた。
同時に又涙は僕の気もちにいつか平和を与えていた。
が、それも長いことではなかった。
僕の右の目はもう一度半透明の歯車を感じ出した。
歯車はやはりまわりながら、次第に数を殖やして行った
芥川の見ていた歯車は「閃輝暗点」という説がある
片頭痛の際に前兆としてあらわれる視覚障害のことだ
今日は前編の終わりまでいけるかもな
新潮版では268pまでが前編だ
今230pまできている
なぜ暗夜行路が長い間完結しなかったのかというと
志賀本人が謙作の気分になりきることができなくなっていったからだろうな
それで何度も頓挫しかけて、開始から20年以上経ってようやく完成にこぎつける
謙作の兄はわりと出来た人物だが放蕩癖があって
そんな自分に嫌気が差し、禅宗の寺で修行することに決めたのだ
しかしどうやらこの当時は禅がブームになっていたようだな
謙作の兄が碧巌録を覚えたな
正法眼蔵ではなかったか
人類を幸福へ導くのが本当の芸術だ、と謙作は考えているようだ
かつてそれをこころざして無残に挫折していった人間がいかに多いことか
と思うと禅をやりたくなる
兄は謙作を禅に誘っていた
10011001Over 1000Thread
このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 12日 1時間 19分 29秒
10021002Over 1000Thread
5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php