哲学とは考えることであり、その過程を言語を用いて表現することである。
0002考える名無しさん2018/03/25(日) 15:52:18.420
はたしてそうかな?
0003考える名無しさん2018/03/25(日) 16:17:53.030
ちんちんとは
考える
”肉”である
マラ・パスカル
0004考える名無しさん2018/03/25(日) 16:53:01.270
ちんちんとは
考える
”マラ”である
0005考える名無しさん2018/03/25(日) 16:57:33.860
人生とは
”考えるマラ”である
哲学の対象になりうるものであるための条件はあるのか?
存在、認識、人生、ちんこ
哲学として成り立つものと成り立たないものの差は?
では価値のある哲学とはなにか
存在論や認識論と同等の価値を持つチンコ論が見られないのはなぜか
哲学は有用性を考慮する必要性がないが、哲学は有用性によって分類できる
という結論には私は矛盾を感じる
私の考えは、哲学においては懐疑が手法の一つとして大きな意味を持つ
概念に対する懐疑は物に対する懐疑より容易で広がりやすい
よって、その二つは分類できるし、差がでる
0021考える名無しさん2018/03/27(火) 22:40:37.160
考えるということは感じるということとは異なる
感じるということは五感及び快・不快が心に生じる状態であり、意図して生じさせるものではないため行為とは言えない
考えるということは何らかの目的を持って意図して何らかの判断をすることであり、行為である
哲学が考えることの一種ならば、哲学は状態ではなく行為であり、そして何らかの目的を持ち、何らかの判断をする行為であるわけだが、哲学の目的とは何だろうか?何についての判断をするのであろうか?
「馬鹿の考え休むに似たり」ってのとセットで考えないとね
何でも考えればそれは哲学みたいな認識広まってるけど
当の哲学者達は行き詰まった社会を動かそうとして本書いた人ばっかだよ
哲学の有用性が低いってのは所詮は机上の理論だから結果的にはあまり役に立たなかったというだけで
哲学にはれっきとした役割も目的もある、というかあった
要は自然科学や専門的な政治学がなかった時代に科学とか政治学の役目を果たしてたんだよね
そこから科学的手法とかが確立されて専門の学問に分かれていくわけでさ
そういう意味では哲学は今は役目を終えてしまったっていう感じはあるよね
ただ将来、今の科学とか政治学とかの学問がどうしても行き詰まったらまた出番は出てくると思う
なぜなら学問は手法であって自分をどうするかってことは問わないから
そういう部分をやるのは哲学の役目
0025考える名無しさん2019/01/07(月) 04:32:59.530
0029考える名無しさん2019/04/21(日) 02:20:33.420
0031考える名無しさん2019/04/21(日) 04:02:08.630
死んだら無でしょ
0032考える名無しさん2019/04/21(日) 12:54:43.240