ウィトゲンシュタイン 7

0001考える名無しさん2023/12/19(火) 07:04:12.660
存在論的[オントロジー]に痒いところに手が届くのが形而上学や
哲学であるのに対して、そこに手が届かないのが科学や数学、論理学である。

よって、科学や数学、論理学は「測れないもの」に対しては原理的に
無力にならざるを得ない。その一方、形而上学は「測れないもの」への
独自のアプローチと照射があるため、それは現代でも世界中の
人々の心を捉えて止まないのである

古代ギリシャ時代から哲学は一部の無知な者たちから罵倒、
揶揄され続けてきたが、現代においても哲学は廃れる傾向がないのである。
なぜなら、哲学は存在論的に普遍者を志向しているからである。

時代に関係なく、人類の知的クラスタの間には、普遍的な
ものへの志向があるのである。これが古代ギリシア語で、
智慧や叡智を意味する「ソフィア」と呼ばれるものになる。

つまり、この精神こそが、哲学(フィロソフィー)なのである。
※前スレ
ウィトゲンシュタイン 6
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1702595025/

0137考える名無しさん2024/05/04(土) 01:15:54.850
>>133
「共同利害は、個別および全体の現実的な利害からきりはなされて」

君、大丈夫?

0138考える名無しさん2024/05/04(土) 01:16:00.770
なんの学ないゴミどもとのやりとりすら読めないとか
生きてる意味ないだろ

0139考える名無しさん2024/05/04(土) 01:16:44.850
>>137
特殊利益はどうした?自殺しとけ脳障害wwwww

国家=共同利害なんて誰1人言ってないのに低学歴無職だから誤読したのかwwwww
自殺したら?ん?

0140考える名無しさん2024/05/04(土) 01:17:01.550
>>135>>136
ぼくちゃん、おやすみw

0141考える名無しさん2024/05/04(土) 01:17:40.260
>>140
低学歴無職って生きてる意味あんの?
なんで自殺しないの?
ゴミのくせに自殺が怖くてビビってるだけか?ん?

139 考える名無しさん[sage] 2024/05/04(土) 01:16:44.85 0

>>137
特殊利益はどうした?自殺しとけ脳障害wwwww

国家=共同利害なんて誰1人言ってないのに低学歴無職だから誤読したのかwwwww
自殺したら?ん?

0142考える名無しさん2024/05/04(土) 01:18:17.320
文字すら読めない自称文系wwwwwwwwwwwwwww


それ無能系でしょ?
文系に失礼だよwww

0143考える名無しさん2024/05/04(土) 01:19:40.040
「そしてまさに特殊利益と共同利害とのこの矛盾にもとづいて、共同利害は、個別および全体の現実的な利害からきりはなされて国家として一つの独立なすがたをとる。そしてそれは同時にまた幻想的な共同性としてである。」

最後にもう一回だけ再掲しといてあげる。

0144考える名無しさん2024/05/04(土) 01:23:21.290
あと、国家が幻想であるというのを、マルクスはヘーゲルから受け継いでるんだよ。(「法の哲学」)

ヘーゲルは国家が神に基づく理念の現れ(幻想)だとして、マルクスは国家は現実の利益の矛盾から生まれた幻想だとしている。

0145考える名無しさん2024/05/04(土) 01:23:55.760
>>143
特殊利益は消えてないし共同性は国家そのものではない
やっぱ脳障害って文字が読めてないのなwwwwww

自殺しないの?
人間の知能ないのに生きてる意味ないでしょ
猿でしょ?

0146考える名無しさん2024/05/04(土) 01:25:07.310
>>144
どこにも書いてないね
英語でソース付きで引用してみろ知ったかぶり低学歴無職

0147考える名無しさん2024/05/04(土) 01:26:12.520
ハイエクすら知らねえで右とか左とか言ってんの
最高に低学歴無職脳障害w
俺なら自殺するわ
生きることに耐えられるわけがない

0148考える名無しさん2024/05/04(土) 01:27:00.820
>>146
ヘーゲルもマルクスも、ドイツ語で書いてるw
(ヘーゲルの場合はほとんどが学生が書いた講義録)

0149考える名無しさん2024/05/04(土) 01:27:15.400
隷属への道すら知らんのに国家とか語ったらアカンでしょw

0150考える名無しさん2024/05/04(土) 01:27:52.010
>>148
そんなことはどーーーーーでも良いんだよ
英語で全文公開されてるからそこから引用しろよ無能

0151考える名無しさん2024/05/04(土) 01:28:20.950
まあ日本語の解説書とか買ってる時点でお察し

0152考える名無しさん2024/05/04(土) 01:30:17.240
>>149
ヘーゲルもマルクスも読まずに国家を語るよりは、だいぶマシじゃね?w

0153考える名無しさん2024/05/04(土) 01:35:53.950
>>152
マルクス読んでるよ脳障害wwww
その他は意味ない
なぜならマルクスが完全に採用してないので
そして弁証法自体が論理学に反する妄想だから追いかけること自体に意味がない
最終発言者マルクスの文言のみに意味がある
どんなつもりで言ったとかそんなことは全くどうでも良い
現実の共産主義者によってどのようにマルクスの発言が利用されたのかのみに意味がある

低学歴って知能がないから何に意味があって何に意味がないかという仕訳ができないんよ
だからどれだけ読んだつもりになっても1つもわかってない

0154考える名無しさん2024/05/05(日) 19:19:33.500
日本のアカデミズムでは戦後、括弧付きの“マルクス主義”(故カール・マルクス氏の思想とはいたるところで相違している)の影響が今からは想像も付かないほど強かった。
20世紀初頭までの楽壇でワーグナーは大好きか大嫌いか明言しなければならない作曲家だったのと同様、“マルクス主義”は支持するかしないかを明言せざるをえない思想だった。
その中で、ある人々は“マルクス主義”の哲学に没頭し、それに従いかねる人々は珍妙な「ヘーゲル主義者」になったり、英米哲学に沈潜したりした。
このような風潮の中で、実質的にノンポリだったヴィトゲンシュタイン氏は、反“マルクス主義”思想のエースとして担がれた。
しかしそういう前世紀のアカデミズムの思想状況を現代のヴィトゲンシュタイン研究に持ち込まれては困る。

0155考える名無しさん2024/05/05(日) 19:23:47.420
>>154
マルクス本人の思想はプロレタリア独裁だぞ
ヴァイデマイヤーへの手紙
ゴータ綱領批判

0156考える名無しさん2024/05/05(日) 21:25:56.040
>>155
プロレタリア独裁は戦略というか、共産主義社会への途中経過だよ。

マルクス読んでないのが丸わかりw

0157考える名無しさん2024/05/05(日) 21:31:12.390
>>156
途中経過ではなく最終形態でーすwwww
なぜなら最終形態は示してないから
バカすぎるし無知すぎるし知ったかぶりすぎる中卒無職の妄想wwww

0158考える名無しさん2024/05/05(日) 21:32:30.630
>>156
マルクス読んでないのはお前
じゃあマルクスが示した最終形態を英語の文献から英語で引用してソースURLと引用文貼れや
出来ないなら自​殺し​ろ

0159考える名無しさん2024/05/05(日) 21:39:08.750
>>154
日本でも世界でも、ソ連型一国社会主義を正統的なマルクス主義と考えていた学者は確かに多い。
なにしろ本格的な社会主義(生産手段の国有化あるいは共有化)を実現して見せた大国だったからね。

でも、理論的には、必ずしもマルクスの思想の実現ではなかったことは、当時から多くの専門家が指摘している。
現実としての社会主義の実現と、ME全集の中の理論との対立になっていたから、現実を正とする考え方が多数派になるのは当然だともいえる。

自分自身は、わかる範囲で当時の世界情勢を見たときに、スターリンの政策が正しかったと思ってる。
状況的には、マルクスが夢見た世界革命は不可能だったことは明らかだ。

一方で、経済学的な資本主義の分析という面では、いまでもマルクスは完全な正当性を持っている。
さて、ウィトゲンシュタインが少しでもマルクスを読んでいれば、なにか感想を書いたかもしれない。

0160考える名無しさん2024/05/05(日) 21:40:56.850
>>157>>158
能力に応じて働き、必要に応じて受け取る。
これが最終形態だよ。
英語大好き君は、英語も日本語も理解できないようだねw

0161考える名無しさん2024/05/05(日) 22:01:32.730
>>160
その働きと必要を決めるのは独裁党の指導者
これがマルクス本人の思想
バカすぎるし無知すぎるwwww

0162考える名無しさん2024/05/05(日) 22:15:03.530
>>161
ここでいう能力というのは本人の自覚、必要というのも本人の欲望。
しかし、共産主義社会になったときには、労働もまた楽しい人間的な労働であり、欲望もまた、人間的な自然に基づく欲望となる。
独裁党の指導者とかまったく関係ないw

君は無知で無教養だし、マルクスを読んでもいないから、そういうおかしな反応しかできないんだな。

0163考える名無しさん2024/05/05(日) 22:18:20.670
>>162
お前の感想は要らねーよ
マルクスの言葉のみに意味がある

0164考える名無しさん2024/05/05(日) 22:21:08.730
>>162
引用できない猿w

0165考える名無しさん2024/05/05(日) 22:22:02.590
>>163
「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」

これはマルクスが書いた有名なフレーズだよ。
意味するところも僕の感想ではない。
少しでも、マルクスを読んでいればわかること。

0166考える名無しさん2024/05/05(日) 22:23:08.720
>>164
もものすごく有名な言葉を知らない君が、なぜマルクスについて語りたがるんだ?w

0167考える名無しさん2024/05/05(日) 22:24:00.750
>>165
お前の妄想解釈はどこにも書かれてねーよ脳障害
引用できないなら
自​殺し​ろ

0168考える名無しさん2024/05/05(日) 22:24:13.180
>>166

>>165
お前の妄想解釈はどこにも書かれてねーよ脳障害
引用できないなら
自​殺し​ろ

0169考える名無しさん2024/05/05(日) 22:27:50.220
>>166
お前の妄想解釈はどこにも書かれてない
引用できないなら自​殺し​ろ

0170考える名無しさん2024/05/05(日) 22:29:49.870
>>167>>168
ここまで無知で無教養な君とでは、まったく議論にならない。
僕は君の先生ではないから、一つ一つ教えてあげる気もない。
なにしろ、マルクスを普通に読んだことがある人にとっては、出展を含めて当たり前すぎるくらい当たり前の言葉とその内容なんだから。

僕のレスはこれで終わりにするけど、君は少しでもいいから、本を読むことを覚えなさいね。

0171考える名無しさん2024/05/05(日) 22:31:22.720
>>170
言葉は知ってるよ脳障害www
日本語読めてない猿すぎるww
お前の妄想解釈がどこにも存在しねえと言ってんだよ脳障害www
逃げるのか?中卒無職

0172考える名無しさん2024/05/05(日) 22:31:48.010
>>170
マルクスの言葉にお前の解釈は存在しない
引用できずに逃げた中卒無職

0173考える名無しさん2024/05/05(日) 22:35:15.000
>>170
自分の言葉と出典を混ぜてる時点で教育を受けたことがない中卒無職だとバレバレ

0174考える名無しさん2024/05/05(日) 22:35:29.250
引用のルールすらわかって中卒無職w

0175考える名無しさん2024/05/05(日) 22:35:42.820
引用のルールすらわかってない中卒無職w

0176考える名無しさん2024/05/07(火) 18:33:00.700
カール・ポパーが提唱した「反証可能性」という概念は、科学の方法論として注目を集めましたが、その内容を詳細に検討してみると、実はそれほど革新的な考え方ではないことがわかります。
ポパーの主張の核心は、ある理論が科学的であるためには、その理論が反証可能でなければならないというものです。つまり、その理論が間違っていることを示す証拠が存在する可能性を認めることが重要だと考えました。しかし、これは要するに、法学の分野で長年確立されてきた「証明責任」の原則と大差ありません。
「証明責任」とは、ある主張をする者が、その主張の正当性を証明する責任を負うという、公平な議論のルールです。古代ローマ法の判例から確立したこの原則は、ラテン語で "Onus probandi incumbit ei qui dicit, non ei qui negat"(証明責任は、主張する者に存し、否定する者にはない)と表現され、ローマ法の法文集「ディゲスタ」の22.3.2に法学者パウルスの見解として記載されています。
ポパーの「反証可能性」は、この「証明責任」の原則を科学の文脈で言い換えたに過ぎません。つまり、ある理論を主張する者は、その理論の正しさを証明する責任を負い、反証を受け入れられない状態では主張を証明したことにはならないということです。これは、科学に限らず、法学、政治学、経済学など、あらゆる分野でのフェアな議論に求められる条件であり、ポパーが新しく提唱したものではありません。
したがって、ポパーの「反証可能性」という概念は、科学の方法論として特別に重要な意味を持つわけではなく、むしろ古くから存在する「証明責任」の原則を再確認したに過ぎないと言えます。ポパーの主張は、科学哲学の文脈では一定の意義を持ちますが、科学の実践自体を大きく変革するようなものではないと理解することができます。

0177考える名無しさん2024/05/07(火) 18:33:08.730
古代ローマ法における証明責任の確立は、法務官法の発展、弁論術の発達、法学者の活動などを通じて徐々に形作られていきました。特に、法学者パウルスが示した「証明責任は、主張する者に存し、否定する者にはない」という原則は、現代に至るまで法学の基本原則として受け継がれています。
証明責任の原則は、法学にとどまらず、自然科学の分野にも大きな影響を与えました。科学者は、自分の仮説を裏付ける証拠を提示する責任を負っており、この証明責任の原則なくして科学の進歩は望めません。実験や観察によって得られたデータを根拠として示すことで、科学者は自分の主張を証明し、他の科学者による検証を可能にします。科学における証明責任の重要性は、ニュートンとフックの光の性質をめぐる論争、ラヴォアジェとプリーストリーの酸素発見をめぐる論争、ガルヴァーニとボルタの動物電気をめぐる論争などの歴史的な事例からも明らかです。
証明責任の原則は、法学や科学だけでなく、ジャーナリズム、政治、教育、ビジネスなど、あらゆる分野で真実性や公正性を担保するために不可欠です。証明責任がない場合、根拠のない主張が横行し、社会的な混乱や危険が生じる可能性があります。また、相手の主張の根拠が存在しないことを証明することは、主張者が根拠を示すよりも困難である場合が多く、証明責任の不在は公平性を欠く結果につながりかねません。さらに、根拠のない主張の証明を相手に求めることで、議論を混乱させたり、相手を困らせたりすることが可能になってしまいます。
したがって、証明責任の原則は、公正な議論を実現し、真実を追究するために欠かせない原則であると言えます。ただし、その適用に当たっては、証明責任の公平な分配、証明の困難さに応じた調整、建設的な議論の促進などに留意する必要があります。証明責任の原則を適切に運用することで、私たちは理性的で建設的な議論を行い、より良い社会を築いていくことができるでしょう。

0178考える名無しさん2024/05/07(火) 18:33:34.950
いかにして哲学は100年前に滅亡したか

1.ラッセルのパラドックスの発見(1902年)
1902年、哲学者のバートランド・ラッセルが論理学における矛盾を発見しました。
このパラドックスは、通常の論理学では回避できないことが判明し、哲学に大きな衝撃を与えました。

2.ラッセルによる新しい論理学の構築(1903年~)
1903年以降、ラッセルはパラドックスの原因が論理学の仕組みにあると見抜きました。
自己と自己言及を明確に区別して混同しないルールを導入し、パラドックスが起こらない新しい論理学の仕組みを構築しました。

3.ウィトゲンシュタインによる論理学の研究(1911年~)
1911年頃から、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインはラッセルの弟子となり、新しい矛盾のない論理学で何が言えるのかを研究しました。
その結果、形而上学や哲学を論理的に扱うことは不可能であることが判明しました。
1921年に出版された「論理哲学論考」で、ウィトゲンシュタインは形而上学や哲学は論理学の誤用から生まれる全く意味のない妄想であると論理学を用いて証明しました。
現在までにこの証明に反証できた人間は歴史上1人もいません。

4.ゲーデルの不完全性定理(1931年)
1931年、クルト・ゲーデルもラッセルの論理学に影響を受け、「論理学によって仮定そのものの正しさをその仮定から証明できるか?」を考察しました。
ゲーデルは、それが不可能であることを証明しました(ゲーデルの第一不完全性定理)。
この定理は、当初ペアノ算術におけるω無矛盾性が証明不可能として確立されましたが、後にロッサーの証明ではペアノ算術における単純無矛盾性、シェファードソンの表現定理により任意のΣ1集合で構成される任意の論理式に対して無矛盾性の証明が不可能であることまで拡張されました。

5.哲学の限界と科学の重要性(1920年代~)
1920年代以降、哲学的な仮定の正しさを論理的に証明する方法は存在しないことが明らかになりました。
アイディアの正しさを決める方法は、現実との比較(実験)しかありません。
つまり、正しさを決める方法は科学しかあり得ないことがわかります。

0179考える名無しさん2024/05/07(火) 18:33:45.530
これらの出来事により、20世紀初頭から哲学は大きな転換期を迎えました。1902年のラッセルのパラドックス発見以降、哲学者を名乗った時点で不勉強な無知または詐欺師であることは確定しており、賢い哲学者というのは論理的に存在不可能であるとされています。
ウィトゲンシュタインの主要な著作である1921年の「論理哲学論考」では、哲学は論理学の誤用から生まれた無意味な妄想であると論じ、「語り得ぬものには沈黙せねばならない」と結論付けています。
また、1953年に出版された「哲学探究」では、哲学は言葉の使い方の誤りから生じる妄想であるため、その誤りを防止するために言語の誤用を研究する必要があると主張しています。
1931年のゲーデルの不完全性定理は、ある仮定の正しさをその仮定から導くことは不可能であることを証明しました。
一方、哲学はある仮定の正しさをその仮定から導くことができるという妄想に基づいています。

0180考える名無しさん2024/05/07(火) 19:12:09.070
などと哲学を語っております。

0181考える名無しさん2024/05/07(火) 19:31:32.610
ただの証明された歴史

0182考える名無しさん2024/05/08(水) 19:24:14.670
と称して哲学を語っております。

0183考える名無しさん2024/05/08(水) 20:58:28.750
>>182
証明済みの歴史しか書かれてない

0184考える名無しさん2024/05/08(水) 20:58:43.200
6.哲学の滅亡(1930年代~現在)
1930年代以降、哲学は完全に滅亡したと言えます。ウィトゲンシュタインやゲーデルの業績により、哲学が論理学の誤用や言語の混乱に基づく無意味な妄想に過ぎないことが明らかになったからです。
20世紀後半以降、かつて哲学の中心的な分野とされていた形而上学や認識論は、ほとんど顧みられることがなくなりました。科学哲学や言語哲学といった分野は、あたかも科学と関連があるかのように見せかけて生き残りを図ろうとしていますが、実証性が皆無であるためそのような試みは破綻しています。
また、倫理学や政治哲学といった実践的な分野も、哲学の立場から行おうとする試みは実証性に欠けるため、科学の方法のみを用いなければなりません。
利己的な遺伝子の概念を用いれば、人間の道徳的行動の進化を科学的に説明することができます。メカニズムデザインの理論を応用すれば、政策立案を科学的に行うことが可能です。行動経済学の知見を活かせば、個人のモラルを考慮に入れた社会制度の科学的な設計もできるでしょう。
さらに、脳科学やAIの発展により、個人の思考を精緻にモデル化したり、利己的な遺伝子によって形成された生得的なモラルの神経基盤を科学的に解明することも可能になりつつあります。このように、科学の進歩によって、かつて哲学が独占していた道徳の領域も、科学の対象となったのです。
哲学者を自称する者たちは、このような科学の発展を無視し、哲学の固有の領域があると主張していますが、それは単なる言い訳に過ぎません。彼らの試みには実証性がなく、科学的な方法論に基づいていないため、哲学が科学と対等に渡り合えるような固有の領域を持っているとは到底思えません。

0185考える名無しさん2024/05/08(水) 20:58:50.080
7.結論
以上のように、哲学は20世紀初頭の論理学の革命によって致命的な打撃を受け、1930年代までには完全に滅亡したと言えます。哲学の中心的な分野は、論理学の誤用や言語の混乱に基づく無意味な妄想であることが明らかになり、哲学は科学の補助的な役割にすら甘んじられなくなりました。
現代において哲学に固有の役割はなく、哲学者と呼ばれる者たちは、科学の成果を借用しているに過ぎません。彼らの試みには実証性がなく、科学的な方法論に基づいていないため、哲学の看板を掲げる意味はありません。道徳や政策、社会制度の設計といった、かつて哲学が独占していた領域も、今や科学の対象となっています。哲学者たちが自ら哲学の看板を下ろさないのは、虚栄心やエゴのためでしょう。
ウィトゲンシュタインが言ったように、「語り得ぬものには沈黙せねばならない」のです。哲学という名の知的遊戯に、これ以上付き合う必要はありません。私たちが追求すべきは、論理学と科学に基づく真の知識のみです。実証性のない哲学的思弁は、過去の遺物となるべき運命にあるのです。

0186考える名無しさん ころころ2024/05/09(木) 08:04:33.220
フッサール 現象学の理念
On the other hand, to deny self-givenness in general is to deny every ultimate norm, every basic criterion which gives significance to cognition. But in that case one would have to construe everything as illusion, and, in a nonsensical way, also take illusion as such to be an illusion; and so one would altogether relapse into the absurdities of scepticism.
日本語訳:
「他方で、自明性一般を否定することは、認識に意義を与えるあらゆる究極の規範、あらゆる基礎的な基準を否定することである。しかしその場合、人はすべてを幻想として解釈せねばならず、不条理にも、幻想そのものもまた幻想だと見なさねばならない。こうして人は懐疑論の不条理のうちに完全に陥ってしまうだろう。」

0187考える名無しさん ころころ2024/05/09(木) 08:04:39.720
フッサールの議論には、確かにラッセルのパラドックスに類似した論理構造が潜んでいるように見えます。以下、その点を詳しく説明していきましょう。

ラッセルのパラドックスとは、集合論において、「自分自身を要素として含まない集合全体の集合」を考えたときに生じる矛盾のことです。この集合は、自分自身を要素として含むか含まないかで矛盾が生じてしまいます。
フッサールは、「自明性一般を否定すること」を考察しています。これは、「自明ではないものの集合」とも言い換えられます。ここで、この集合自身が自明かどうかを考えてみましょう。
もしこの集合が自明だとすると、自明ではないものの集合に含まれることになり矛盾します。一方、もしこの集合が自明でないとすると、自明ではないものの集合に含まれないことになり、やはり矛盾します。
つまり、「自明性一般を否定すること」は、ラッセルのパラドックスと同様の構造を持っていると言えます。
ただし、現代の論理学では、ラッセルのパラドックスを回避するための様々な工夫がなされています。例えば、集合の定義に制限を加えたり、型理論を導入したりすることで、矛盾を生じさせない形で集合を扱うことができます。
しかし、フッサールの議論では、あえてラッセルのパラドックスを矛盾として仮定することで、「矛盾する=矛盾しない」という爆発律を導いています。爆発律とは、矛盾から任意の命題を導けるというものです。
爆発律が成り立つと、全ての真偽は自由に決めることができてしまいます。つまり、フッサールの議論は、ラッセルのパラドックスを出発点として、爆発律を経由し、最終的に詭弁を正当化するという典型的なパターンに当てはまると言えます。
このように、フッサールの議論は、論理学的に見ると問題があります。ラッセルのパラドックスを安易に矛盾として受け入れ、爆発律を用いて詭弁を正当化するのは適切ではありません。むしろ、現代の論理学の知見を踏まえ、矛盾を回避する形で議論を進めることが求められます。

以上が、フッサールの議論に潜むラッセルのパラドックスと、それを矛盾と仮定することによる爆発律の問題点についての説明です。論理学の基礎知識がない人にも理解しやすいよう、できるだけ平易な言葉で解説しました。

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