写真機家・サンダー平山
ダウンタウンの松本気取りのくだらない奴 街中みんなのお笑い草だぜ バカヤロ様がいる 弱い奴には強く出て 強い奴には媚びへつらい 店長崩れのニセモノは 仕事も人望も紛い物 人には厳しく自分には甘く ケジメも無しとする 何でもすべての事が人任せで それでも良しとする 大学行ってもクズだから 常識なんかは通じねェ 相手を選んでハラ立てて 得意の火病はお手のモノ 今は君のために飲もう 僕も風と共に行こう すべての人に 懺悔しな!! https://www.facebook.com/katsuyuki.kida.923 サンダー平山とキヤノンとの事件以来、 キヤノン新品製品は買っていない。 江東区立深川図書館特殊 銅和加配 在特 奇声あげて人をボコボコにぶんなぐってもOK お咎めなし 被害者が警察を呼んでくれと何度も言っているのに公務員は無視し続けてた 幼児が歓声上げて走り回る 見ぬふり 小学生が歓声上げて走り回る 見ぬふり 中学生が大声で談笑して走り回る 見ぬふり 高校生が閲覧机で談笑雑談 見ぬふり 公務員による恣意行為 etc なんのための施設か? →特殊な関係用 翌日、被害者を公務員が脅していた 結局「イオスはピント板がツルツルでピントが見づらい」ってことで良いな サンダーの言うとおりじゃん 一眼レフカメラを素人でも上達できる方法は、「一眼レフカメラマスターできる宮刺のブログ」というブログで見られるらしいよ。ネットとかで調べてもいいかもね。 LOQJ4 愛すべき写真機家 サンダー氏を思い出したので書き込み 忘れられるのは惜しいが 結局は忘れ去られるんだろうな 創刊号から月亀の読者だが、サンダー平山なんて知らないぞ。 >>294 月亀は山岸伸さんだよなぁ。Capaがサンダー。 ポンカメで94から95年にかけて 「焦点庵暗室日記」という記事を連載してたけど 知らないかねえ >>295 そのサンダーとかいうの、CAPAの表紙撮影してたのかい? そーか、サンダー平山を知らない世代がもう多いんだね。Capaの表紙はどうだったか覚えとらんけど328で撮ったねーちゃんポトレとかよく載せてたよ。 たしかサンダーはCAPAで表紙を撮ったりはしていないはず。 サンダーはグラビア写真家などではなく、あくまで写真「機」家と名乗っていたのが、潔くて好きだった。 写真がとびきり上手いとかではなく、あくまでカメラオタクなんだと言っているようで… その割りにはオネーチャンを妙に色っぽく撮る時があって… 本当にもう随分古い人になっちゃったんだな〜 写真機家の自称は俺的にも受けてたよ。同時に他の亀雑誌ライターへのやんわり皮肉もあったように感ずる。お客様(読者)や先生方(他ライター、写真家)を立てまくっての商売のメーカーや出版社には少し煙たい存在だったかな。 クラカメブームの頃は赤瀬川や長徳よりもサンダーの影響受けていろいろ収集したな Ai NIKKOR 18mm F4とかAiS 80-200mm F2.8などあまり一般的でないレンズを探して買った記憶… 当時のCAPAは、お金のない学生をターゲットにしてて 毎年6月号で(種牛くんだっけ?が) プロの小技から、純正品より安くあげる工夫まで色々紹介してた 所有カメラ数が煩悩の数108をとっくに超えていると宣うサンダーは 雑誌に特集されないオモチャカメラみたいなのまで詳しかったから CAPAの記事にピッタリの写真機家だった 露出補正が付いてないオート専用機種は ビニールテープを貼ってDXコードを潰し ASA設定ダイアルで露出補正するとかね お金のない勤め人も対象ですた。まだフィルムが元気だったころな。 洋楽のPost Maloonてひと あれ見るとサンダーを思い出すw ロッコールレンズが気に入っていた様な ニッコールレンズはそれ程でもなかった様な あくまで私の記憶です ネイチャー派ならぬネイチャン派を確立したキモオタ写真機家 サンダーはカメラが好きなのだ。 ニッコール好きというより、ニコンF2やF3を使うために装着してるだけなのだ。 サンダーの写真、けっこうエロくて好きだったな しばらくカメラ雑誌でも見かけないけど今どうしてるんだろ >>311 サンダー平山は良いものは良いときちんと評価していた そんなサンダーがCanonのEOS-1のファインダーの問題点を指摘しただけで 出版社に圧力をかけて業界から抹殺した 以後ネットのまとめサイトでさえCanonに忖度した提灯記事なのが現状 >>314 サンダーがキヤノンのせいで雑誌の仕事を干されたという 都市伝説を信じるなら、カーネルサンダースの孫というのも本当。 サンダーは脳梗塞で右半身不随になって、仕事がなくなった。 そして、2度目の脳梗塞で亡くなった。これが真実。 サンダーはパーティー会場で倒れ、救急搬送されたが、 脳梗塞で、リハビリしても後遺症が残った。だから、仕事が なくなったのはしかたのないことだった。 >>318 その話はCanon関係者の詭弁だよ サンダーが脳梗塞で倒れたのは事実だけど その前から雑誌関係の仕事はことごとく干されていた 心労から脳梗塞になった事を含めばサンダーを殺したのはCxxxnと言える >>319 そのきっかけとなった批評というのは どの雑誌の何年何月号なんだ? FOCAL FAST FIXED サンダー THE 大口径単焦点主義者 サンダー平山 この本だと EOS-1のファインダーがMFし難いという話と,キヤノンのレンズの透過率についての話が載ってた. 『キヤノンのレンズは何故か暗く移る傾向があるが、その代り派手めの発色という魅力がある。 サンダーはおそらくコーティングにまつわる透過率に問題だと思うのだが、別の本にこのことを 書いたら、さっそくキヤノンからクレームがきた。透過率は問題無いとのこと。』 これは,P441に載ってるけど「別の本」がどれかは不明. クレームわろた サンダーの出版物までチェックするキャノン工作員さすがですw EOS-1n発売後しばらくして CAPA誌上やその関連書(大口径単焦点主義者だけでなかったと思う)で EOS-1のファインダーは ファインダーレンズのピッタリ中央で覗かないとハッキリ見えずMFでピント合わせできない ハーフミラーのせいで暗くてピント合わせしにくい AFとAEを捨てることになるが、ハーフミラーを普通のミラーにしたら、明るくピント合わせしやすくなった 等を書いていた 旧機種になって暫く経ち、新機種への買い替え需要にもなるし、書いてもいいだろう という感じて書いたと思われるが 観音の逆鱗に触れ、抹殺された、という感じ サンダーがいなくなってから、CAPAを読まなくなったな 「世の中は急速にデジタルの時代になりつつあるが、フィルムの魅力はもうないのかというとそうではない。 デジタルの魅力は撮影後に調整出来ることだが、逆に全てが撮影の瞬間にかかってるというのがフィルムの魅力なのだ(苦しみでもあるが)。」 日本カメラ系ムック本にサンダーが残した最後の言葉 サンダーは銀塩写真機家としての人生を貫いたのだ >>324 EOS-1のハーフミラーをふつうのミラーに替えたって(爆笑)。 サンダー自身がやったの?それともキヤノンにやってもらったの? こういう出鱈目でサンダーがキヤノンに干されたなどと 嘘っぱちを並べてるわけだなw 頭の悪い惨めな奴ほどブランドで持ち物を選び、 ブランドイメージ=自分自身が優れている、みたいな気になっているからな〜。 そう言う奴は持ち物の欠点を指摘されるだけで拒否反応を示したり、激高したりする。 >>327 議論点のすり替え、根拠のない一方的な主張、歴史の捏造 韓国と何ら変わらん サンダーはもともとキヤノン使い。ニコンはレンズの発色が 揃っていなかったので使わなかった。さらにツアイスレンズが 気に入ってコンタックスを使うようになった。 ニコ爺たちはキヤノンを貶めたくてサンダーを利用してるだけ。 サンダーはキヤノ糞が喧伝した「うちは色が統一されている」に疑問を投げかけてたけどな FDレンズの頃からそう言ううたい文句だったけど、 カタログ上でも可視光線全域の透過率を上げる多層膜コーティングなんて 割高な一部のレンズの一部の面に施しただけだったしな。 じゃぁ比較グラフで周波数全域で大きく波打ち透過率が低いレンズの組み合わせでも 色の統一をしていると言うのなら、色を付けたレンズを組み合わせているんだろうか? とか最初はアホなことを想像して、いろんなレンズを覗き比べたりしてた。(笑) 実際の所はそんなコスト高、透過率が低下するようなことはせず、 宣伝のために緩く設定したメーカー基準をクリアしただけなんだろうなと理解したけどさ。 >>333 CCI(カラーコントリビューションインデックス)を勉強してきたら。 ふつうにググっただけでは見つからないよ。 このあたりを参考に。 http://www.lensya.co.jp/qanda/mokuji/230.htm 念のために言っておくと、デジカメではCCIは意味がないからね。 >>327 >>331 キャノネットも相変わらずゴキブリ並だなw ネットで検索しても、サンダーが書いた内容までなかなかヒットせず 業界から完全に抹殺したつもりのようだが サンダーがキヤノンのことを書いた内容まで捏造と称して抹殺できないよ サンダーや吉森信哉や久門易が好きで、当時のCAPAを購読してたし 当時のサンダー関連書籍をしっかり保存してるんだな オマエらキャノネットとCAPAに騙されて、ニコンからEOS-1nへ買い替え デジからニコンへ買い戻した者だが、高い勉強代だったよ キヤノンはデジカメ市場は大幅縮小するだろうから法人事業にシフトすると便所が言ってるわけだが、 キャノ信者は見捨てられるのがわかってるんだし、どこまでもついて行きます下駄の雪、とか言ってる場合じゃないだろ。 >>334-335 どうも。 ISO 色特性指数 (ISO/CCI) による 写真撮影用レンズの色特性の表し方 https://www.jstage.jst.go.jp/article/sfj1970/32/8/32_8_437/_pdf/-char/ja が分かりやすそうな感じがしますね。 ざっと目を通したところだと、 51(439)ページ上段にある D55(55は小さい文字)の[55]は5500Kのデイライト(の相対分光放射パワー)って意味かな? KB(Bは小さい文字)が分からん。(BはBlueのBってのは分かるけど。) ちょっと勉強してみます。 素人なので間違いはどうぞ笑ってやってください。 >>332 こんな内容なら憶えてる・・・・・ キヤノンFDは各レンズの色が他社(明らかにニコン)に比べて揃ってるというが 当時新聞社などのプロに使われてたニッコールは年代がバラバラだった 白黒メインの年代とカラーが増えた年代では色が揃ってなかったかも知れないが '70年前後で揃えたらニッコールも色が揃ってたんではないか・・・・・ みたいな >>339 ニッコールは解像力第一主義だったから、高屈折率ガラスを 多用した。これは黄色に寄るが、当時のニコンのコーティング技術は 遅れていた。ニコンの色が統一されるのはAiニッコールになってから。 つまり1971年以降だね。 ペンタックスのSMCタクマーも1971年に発売されている。当時は 7層コーティングを宣伝していた。 しかし、各社のコーティングが劇的に変わったのは、1975年に コンタックスRTSが出てから。T*コーティングは衝撃だった。だから、 サンダーも1980年代にキヤノンからコンタックスに鞍替えした。 サンダーがカメラ雑誌にデビューしたのはアサヒカメラで、 1980年のこと。1970年代はサンダーは写真学生だったから、 伝聞でしか知らないよ。 >>343 1970年頃カメラ雑誌で活躍していたのは、松田二三男、松田静夫、 藤田直道、児島昭雄、新川幸信ぐらいかな。すべて故人だけど。 サンダーは伝聞だが センセイは雑誌で正しい知識を得ていた(きりっ) おっと、三堀家慶さんを忘れていた。東京オリンピックの 記録映画(市川崑監督)撮影に参加していて、その後 カメラ雑誌に技術的な記事を書くようになった。 サンダーは伝聞で間違い センセイは雑誌を読み込んで正しい知識を得ていた(きりっきりっ) >>345 サンダーがカメラ評論家(自身では写真機家)としては作例、 とくにおねーちゃん写真がうまかったことは誰もが認めること。 また、見た目とはちがって純粋なところがあり、勉強家でもあった。 ただ、「ライカ使いは写真が下手だ」とかトンチンカンなことを 書いて、いらぬ敵を作ってしまったのも事実。カルティエ=ブレッソン から始まるライカ使いの写真史に無知だったことがわかる。 しかし、批判を受けて、ライカを使うようになったのは、やはり 根が正直だったからだろう。 センセイの雑誌から得た知識は凄過ぎて恐い(きりきりきりっ) サンダー 「こういうキモヲタ知識厨には悩まされてたよw」 一般人「この偉いセンセイの作品はどこで見られるのですか?」 サンダー「キモヲタをいじめるなよw」 センセイ「松田二三男、松田静夫、 藤田直道、児島昭雄、新川幸信、三堀家慶」 サンダー「みんな会ったことあるよw」 1971年頃から単相コート?からマルチコートのCレンズになっていった 1977年にガチャガチャからAiになった >>340 で、1971年頃と1977年のどっちよ 当時のマルチコーティングは、2層コートを基本にして、 1面だけ3層以上のコーティングを施し、マルチコーティングを謳うのが定番だったな。 CONTAXのT*はPETANXと提携後の登場だしブランドイメージはともかくとして、 類似のコーティングだと思う。 同じ場面で同じ人物を撮った時、T*とSMCだけが人肌を綺麗に写していたからね。 >>353 ツアイスは1940年代からマルチコーティングを採用してる。 ミノルタは1950年代からマルチコーティング(緑のロッコール)を 販売している。 ペンタックスとコンタックスは暖かみのある画調 ニコンとキヤノンは青っぽくて冷たい画調 >>356 ニコンは黄色っぽい、もしくはマゼンタかぶり。 >>354 1940年代(昭和15-25年)なら単層のTコーティングのような気がしますが? 最多で6層コーティングを施すT*の登場以前に マルチコーティングを謳っていたZEISSのレンズを残念ながら知りません。 Minoltaの言うマルチコーティングも、あれだけ緑色を反射させていたら2層程度じゃ無いかと思います。 ただ、他社のように1面だけ施して宣伝するわけで無く、多面に施していたと想像してます。 >>358 コーティングはレンズの焼けから着想されたもので、ずっと昔から 単層コーティングはあったよ。 >>359 >>354 ネットで最古の単層コーティングレンズを検索してみましたが、 Contax I (1932-1938)用に作られたSonnar 50mm f2 の軍用レンズ (一般向けは無コーティング)より古いものは見つかりませんでした。 ライカ用では1939年製辺りからコーティングされたものが増えていったようです。 1930年以前の単層コーティングレンズや、上に書かれている1940年代の ZEISS製 多層膜コーティングレンズについてご教授願いたいものです。 どちらも歴史に残る名レンズに間違いないでしょうから。 調べていくと ZEISS財団は価値の高い発明については特許を取った上で公開する方針だそうです。 各社にコーティングが広がった時期と一致するように思えます。 単層コーティングレンズが各社に広まったのは、ZEISSの特許が登録された1935年11月以降のようですし、 同様にZEISSで(おそらく3層以上)多層膜コーティングが開発されたのは1970年代終わりで、 各社に広まっていったのは1980年代という事実とも一致しますね。 >>361 ツアイスで多層膜コーティングが開発されたのは1970年代終わり?w T*コーティングを採用したコンタックスRTSは1975年発売だし、 今タレックスの時代からマルチコーティングは製品化されている。 ツアイスの1940年代のマルチコーティングは製品化はされていないが、 最初のマルチコーティングということで有名だよ。 >>362 当のZEISS社が公に述べていますので、そのままの言葉にしただけですよ。 https://www.zeiss.co.jp/sports-optics/ja_jp/nature/experience/competences/lens-coating.html >1970年代の終わりに開発された改良型のマルチコーティングは"T*"(Tスター)と命名されました。 おそらくコーティング技術が安定し、特許登録されたのが1970年代の終わりとは思いますけれどね。 >コンタレックス ツァイス コーティング で検索される全てのページをチェックしましたがマルチコーティングは 残念ながら引っかかりませんでした。 >最初のマルチコーティングで有名 これも検索には引っかかりませんでした。 それに、試作品の話をしているつもりなど無いのですが…、 突然そういう世界の中で有名だと言われても困ります。 それに試作品でしたら、各社が技術競争している以上、 ツァイス以外にも不完全なものは山ほどあったでしょう。 そしてマニアの方に言わせれば、ヤシカ/CONTAX向け初期のT*レンズも不安定で 年代を追う毎に同モデルであってもレンズの重さや色に明らかな違いが見られ、 レンズもコーティングと共に改良された事を示唆されている方もいらっしゃいましたよ。 >>364 コニカミノルタ製品のアフターサービスを担当しているケンコー・トキナーによると カメラ用レンズで世界初のマルチコーティングレンズはミノルタ製で1950年代だそう https://www.kenko-tokina.co.jp/konicaminolta/history/minolta/1950/ 調べていくと2層のアクロマチックコーティングで コーティングが弱く痛んでいる個体が多いらしい(古いし当たり前) もしも誰かさんの言う通りならこのページはツアイスだけでなく 世界中のマニアからも激しくクレームがついて消されているよな それにしても市販品の話をしていて 「採用してる」と言って「製品化されていない」とか 誰も知らないのに有名だとか何から何までもうw こんな輩は捨て置けばいいよ >>365 信頼できる情報並びにアドバイス、ありがとうございます。 企業ページに記載されていることであれば、誤りがあっても比較的すぐに訂正されますし信頼できますね。 調べていく間に「1945年戦後すぐ、Nikonが初のコーティングレンズ発売」という情報も散見されましたが、 肝心のNikonにそう言う文言が無いことから慎重さが必要な情報だと思いました。 正しいとしても「国産初」が抜けていると思われますが、知ってか知らずか それを明記してあるページはみつかりませんでしたしね。 >>365 ツアイス・ジャパンのホームページより カールツァイスのT*は、明るく高コントラストな像を保証するもので、 特に低光量な条件下や薄暮で効果を発揮します。 この加工技術はおよそ80年前、Jena(イエナ)にあるカールツァイス ワークショップでAlexander Smakula(アレクサンダー・スマクラ)によって 開発され、1935年11月に特許登録されました。 ん? まさかまさか多層膜コーティングのT*の特許は1935年の11月だとでも言いたいの? だとすりゃ >>367 は、ツアイスは長年、単層を多層膜と偽って販売していた詐欺企業だとデマを広げたいのかな? 80年前に単層を飛び越し、いきなり多層膜コーティングを特許申請しておきながら 1960年代にそれを必要としていたNASAからも無視され、50年以上製品に適用できなかった ツアイスはみっともない恥さらしの企業だとでも言いたいのか どっちにしろ脳みその足り無さを晒して楽しむ?とは変わった趣味をしているね あー、捨て置けと言ったのに超弩級のバカにつられてしまってたw まさか日本語が不自由だったとは想定外 誰かこの小学生に添削してやってくれww >>368 原文をちゃんと読めよ。Tコーティングの特許登録が1935年。 T*は製品化された多層膜コーティングで、1970年代はじめに製品化。 ツアイスをdisすろと、ミノルタが世界初で嬉しいの?それとも、 ペンタックスのSMCタクマーが本家だと言いたいの?w ×disすろと 〇disると 単層コーティングは1886年のレイリー卿(光学では有名だね)に よって発見さうれ、実用的な方法は1904年にクック社のハロルド・ デニス・テイラーによって発明されているよ。 多層膜コーティングは1940年代にカール・ツアイス・イエナに よって開発されたが、それはナチスドイツの機密事項だった。 ×発見さうれ 〇発見され いずれにしても、ミノルタのアクロマチックコーティングよりも先に ツアイスが多層膜コーティングを開発していた。ただ、WWIIPの 影響で実用化するのが遅れただけ。ミノルタは「世界初の 多層膜コーティングの実用化、製品化」ではその通りだが。 >>371 どこまでアホやねん お前が原文端折って>>367 みたいな事を書くから突っ込んだのが理解できんのか? で、さんざんアホを晒したあげく、いまさら>>372 みたいなデマを流してどうすんの? 今度は、当時の機密事項だから根拠は示せないとでも言うのかねwww あ、また相手しちまった 俺まで知能障害者になっちまった気分だ。orz, ほんと、困った人ですね。 >>371 原文を読めと言ったあとで >T*は製品化された多層膜コーティングで、1970年代はじめに製品化。 と原文に無いことを書き足すのであれば、 >コンタレックスの時代からマルチコーティングは製品化されている。 先に貴方が答えが放置している、この製品名を答えるべきです。 >実用的な方法は1904年にクック社のハロルド・ >デニス・テイラーによって発明されているよ。 第1次世界大戦が始まる10年も前に「実用的な方法が発明」? その後30年も製品が存在しないのに、実用的? 失礼ながら、これはウソですよね? さらに1940年には多層膜コーティングが可能となっているのにナチス相手に単層品を渡し続けるとか、 ツァイスはナチスより偉かった? これまたウソですよね? 米ソに接収されたレンズも市場に出回っていますし、工場も社員も東西分断時に米ソが押さえてますが 当時の多層膜コーティングレンズが見つかったなどの「デマ記述すら見つからない」ですよ。ヽ(´ー`)ノ いや〜、一生勝てないでしょう。 自分の言ったことすら忘れて、自らウソつきだと言っているような発言も気付けない、 恥知らずというか恥も外聞も無い所から、おそらく痴呆症の進んだ爺さんだし。 これまで通り、これからも、こちらが相手をすると大喜び。 昨日言ったことすら忘れて、適当にウソついて、構ってもらってツァイス爺さん1人大喜び。 私たちにできるのは、このツァイス爺さんを適当にやり過ごす位しか無いと思いますね。 でも文字だけだと、ついつい相手してしまうんだよなぁ。 >>377 コーティングの歴史は英語版wikiからの引用だよ。 クック社(トリプレットで有名だね)のテイラーが1904年に 発明したのはコーティング技術(もちろん単層コーティング)。 ツアイスの多層膜コーティングであるTコーティングはカールツアイス イエナのスマクラによって発明され、1935年に特許登録された。 これに基づきツアイスは1940年代はじめにTコーティングの技術を 完成したが、ナチスドイツはこれを機密事項に指定した。 その後、ツアイスイエナはソ連軍に占領される前にアメリカ軍が 設備や技術者をオーバーコーヘンに移した。しかし、戦後の 混乱で本格的な再建ができたのは1960年代。その前にミノルタ (当時は千代田光学精工)が多層膜コーティングである アクロマチックコーティングを製品化した。 こんなに懇切丁寧に説明していても、また曲解して、罵詈雑言を 吐くのだろうなw ほらw 恥も外分も無い、痴呆爺さん最強w 英語版wiki、ここのようですが、 https://en.wikipedia.org/wiki/Anti-reflective_coating >クック社のテイラーが1904年に発明したのはコーティング技術(もちろん単層コーティング)。 そのwikiに書いてある通り、それは natural index-matching coatings であって、 現在のレンズに使用されている Interference-based coatings とは違いますね。 >ツアイスの多層膜コーティングであるTコーティングはカールツアイス >イエナのスマクラによって発明され、1935年に特許登録された wikiの説明通り、これが現在のレンズに使用されている Interference-based coatings の事。 特許が公開されている注釈もあることから、単層コーティングを意味するものと理解するのが正しい。 さらに言えば、そのwikiが根拠としてツァイス社へのアーカイブリンクを貼っています。 https://web.archive.org/web/20130101031832/http ://sportsoptics.zeiss.com/hunting/en_us/experience/competences/lens-coating.html Tコーティングは少なくとも当初は単層、T*コーティングは多層膜に与えられる記号ですね。 それより、他人に曲解という前にちゃんと日本語を理解しましょうよ。おじいちゃん。 あと、痴呆症でないのなら、過去に放置している問いかけへちゃんと答えましょう。 話を逸らす事は今後は止めて、全部ちゃんと答えてよね。おじいちゃん! >>380 あれ? その英語版 wikiを検索してみると >Lenses with glass elements artificially "single-coated" by vacuum deposition of a very thin layer > (approximately 130-140 nanometers) of magnesium or calcium fluoride to suppress surface >reflections were invented by Alexander Smakula working for Zeiss in 1935 and first sold in 1939. Zeiss の Smakula が1935年に開発、1939年に発売されたものは、"single-coated" って、 おじいちゃん、レンズの話とはいえボケすぎですw >>383-384 はははは。 言ってることが支離滅裂ですしね。おまけに自爆テロまではじめるとは。 これでツァイス爺さんがいったい何を言いたいのか、ますます意味不明になってきました。 >ボケすぎ エレメントが崩壊していてピント合わせは一生ムリなのかもしれません。 >>384 "single-coated"は"single-layer coating"のことではないよ。 マグネシウムまたはフッ化カルシウムを1回蒸着させるコーティングを スマクラが発明し、1935年に特許登録、1939年に製品化された と書いてあるだけ。これがツアイスのTコーティング(T*コーティング ではない)の基礎になった。 蒸着でないコーティングは1886年にレイリー卿によって原理が 発見され、1904にクック社のハロルド・デニス・ティラーにより 加工方法が発明されたのは前に書いた通り。 痴呆症のツァイス爺さんは、ホント話が通じないですね。最強、いや最凶だわw ツァイスが取った1935年の特許を、この爺さんは単層だ、いや多層だのを ころころ主張を変えすぎで都合よく立ち回りすぎw 直近は、>>380 >ツアイスの多層膜コーティングであるTコーティングはカールツアイス >イエナのスマクラによって発明され、1935年に特許登録された。 昨日のおじいちゃんの発言ですよ!もう、忘れたんですねw >>385 自爆テロというか、本人は迷惑行為に気付いていないので高速道路逆走が相応しいかと 痴呆と言っても、かなり重症 >蒸着でないコーティング てな表現とか、翻訳サイトすらまともに使えないのが丸わかりだし 裏付けるものが無い主張展開の繰り返し、その主張もコロコロ変遷 ボケと言うより異常者かもね 裏付けるものが見つからなくてもね、英語が読めてちょっと考えりゃ これが写真用レンズで実用されないだろうって事くらい分かるだろうにね この爺さん、ボケが酷いからwikiみてレンズを天ぷらにしているかもしれないw >>388 >自爆テロというか、本人は迷惑行為に気付いていないので高速道路逆走が相応しいかと >痴呆と言っても、かなり重症 全くその通りですね。 普通の人なら、バカにされたら多少なりとも次はバカにされないよう気をつけるでしょうに、 逆にバカにされるような書込を、さらにエスカレートしていくとか、尋常では無いですね。 >>388 >>389 ちゃんとした反論ができないから、罵詈雑言だけw 理路整然とした反論が聞きたいものだ。 翻訳サイトなんか使わなくて、ちゃんと自分の頭で 翻訳したものをソースにねw たった1人、どうして笑われているのか分からず虚勢を張るとか惨めだね。 とっくに>>381 で指摘されて、無視した奴が今頃なにをほざいているんだか。 >ツアイスの多層膜コーティングであるTコーティングは1935年に特許登録された。 の妄想にも大笑いしたけど、突っ込まれて、 >"single-coated"は"single-layer coating"のことではないよ。 と大ボケかまして、さらに 「理路整然とした反論が聞きたいものだ。」( ・`ω・´)キリッ だって、 ∧_∧ ミ ギャーッハッハッハッ! o/⌒(. ;´∀`)つ と_)__つノ ☆ バンバン www どこまで続くの、これ! >>378 こっち(一般人)側が完敗ですけどね。 >>391-392 ほんと、こっちの問いかけは一切無視、 日本語も英語も支離滅裂、言動をコロコロ変えて自覚が無い異常者ぶり、 single-coated lens ≠ single-layer coating lens とか言語中枢も逝ってるし。 そんな「ちゃんと」した返事などしたことも無いくせに、「ちゃんと」を要求し出すとか、 本人は「ちゃんと」しているつもりなのが恐ろしい。 このままだと読み手は面白くも無いと思うので、 今ちょっと、この爺さんが生み出した妄想製品についてまとめようかな、などと思ってます。 だったら、ちゃんとしたレンズコーティングの歴史を書いてみれば?w それで納得できれば降参してやるw 。゚(゚^∀^゚)゚。ギャーハッハッハッハッハッハハッハッハッハッハッハ !! この爺さん「ちゃんとしたレンズコーティングの歴史」を書いていたつもりだったとは! そして爺さんの世界じゃ、一個人の勝手な妄想で歴史まで書き換えられちゃうんだw >それで納得できれば降参してやるw 俺様に勝つには、俺様の脳内歴史を書き換えてみろ! ってか。( ´,_ゝ`)プッ ツアイス凶信者さんは、あいかわらず無敵ですな。 痴呆も酷いが 暴言、妄想、狂気、なにかもスケールがでかい。 高校で物理をとってなかったら知らなくても当たり前だけど 偉そうに言う割にwikiを見て理解できないとか良くて頭脳も中卒レベルだろうな コーティングと反射は今でもセンター試験の定番問題だし 年配過ぎて高校に行ってない世代かもしれないけど >>395 ほんと驚きましたね。 ましてや「ちゃんと」とは「爺さんに都合良くコロコロ変化させる」意味だったとはね。 >>396 施設では、24時間こんな人たちを相手にしなきゃならないなんて、ほんと大変な仕事だろうなと思いましたよ。 >>397 それ以前に、歴史が1人の妄想で書き換えられると思っている時点で、乳幼児以下かと… 言ってることもコロコロ変えていくからタチが悪い。 ああ言えば上祐ですし。(古いな) >>397 >高校で物理をとってなかったら知らなくても当たり前だけど とってなくても必須だったよ。 例の人は小学生レベルの分数のかけ算ができないから、 実用にならない技術の分別が付けられないって見方もできるね。 スレ違い甚だしいぞ いつまでやってんだ、荒らし供 コーティングスレ勃てるなりして他所逝ってやれや >>402 それは一種のいたずらで、ツアイスはプラナー50mmおよび35mmF0.7を 作ったのが精一杯。東京光学(トプコン)も戦前にトーコー50mmF0.7、 戦後にその復刻版のシムラー50mmF0.7を作ったらしい。 サンダーがもし生きてて仕事してたらメーカーの手先になってたのかな あるいはネットでメーカーに縛られない独自の活動でもしてたかな >>408 ツアイスの40mmF0.33だって現物はいちおうあったよ トプコンのはコレクターが持ってたな あれはちゃんとしたのがあるよ あと具体的には忘れたけど、 試作で終わった35mm用のオートトプコールの大口径のやつとか色々持ってた >>412 東京オリンピック(1964年)の時点で、300/2.8出してるの トプコンだけだったよね。プリセット絞りだけど。 中古で手に入れたサンダーのビデオを観たよ。 ムックとかと言ってる内容は同じだが、まともなことを言ってるよね。 しかし懐かしくて涙が出てきたわw 言う事をコロコロ変えられても困るじゃないかw この人の「写真機家」と「単焦点大口径主義」という言葉は今も頭にこびりついている 当時はまだ今ほどズームの性能が良くなかったな サンダービデオは今でも手元にあるのだが、再生するビデオデッキがないのだ。 どうしても見たいならメディア変換してくれるところがあるうちにどうぞ. この人死んだの? 凄い可愛いモデルさんいたね 名前忘れたけど サンダーも書いてることがコロコロ変わっていたけどね。 >>425 いちばん笑っちゃうのは「ライカ使いは写真が下手だ」と雑誌で 断言しておきながら、それまでライカを使った経験がなかったこと。 それを指摘されてライカを使うようになった。 メッセ下さい。 詳しい事教えます。 訳ありですので 平山真人は1956年生まれか。生きてれば赤城耕一(61年生まれ)よりも 年上だったんだね。 サンダーの様なキャラが居たら カメラ雑誌もうちっとは持ったかなと思ってる 惜しい人だった >>433 それは違うな。カメラ雑誌はデジカメ不振で広告が入らないからつぶれた。 サンダーはフィルムにこだわり、デジカメに出遅れて、もし生きていたと しても活躍の場がなかっただろうね。 >>432 阿部秀之(1956年生まれ)と同じ歳か。阿部はもう65歳の高齢者だから、 サンダーも生きていればお爺ちゃんだね。 このスレで一時期大暴れしていたツァイスキチガイのボケ老人、 まだ生きてるのかなぁ… >>434 サンダーはこれからはデジカメの時代だってことはかなり早い時期から気づいてたぽい ただデジカメが本当に凌駕したころにはサンダーが既に業界から消えてた(干された?)だけで なので、もし仕事を続けてたら、普通にデジカメ仕事もしてたと思われる カメラ雑誌の潰れた理由は、広告が入らなくなったのと読者がいなくなったの両方かと 末期のフォトコンページ付き有料広告パンフレットみたいな状態、俺でも立ち読みですます方が多くなってたし >>437 サンダーはデジカメはセンサーダストが問題、RAWで撮らなけりゃ意味ない、 レンズはテレセントリックじゃなければダメ、という持論で、レンズ交換式 デジタルカメラを認めなかったよ。 >>439 2000年頃の話だろ、提灯記事を書いてるライターと違って、よく解ってんじゃん 2005年でそんなこと言ってデジカメ否定してたなら、時代錯誤だぞ >>1 【全スレ注意連絡】 ※ カクサン希望 コピー自由 在日コリアン説のある写真家の長谷川唯の正体は、情報操作をやってる工作員 ↓ご尊顔 写真 7枚 http://imgur.com/a/RCkNcK9 長谷川は、↓にアクセスする人のアカウント情報など探ってくるので注意してください http://pbs.twimg.com/profile_images/1455733006933831680/v8_SVpgy_400x400.jpg Twitter @yuihash http://mobile.twitter.com/yuihash facebook 長谷川 唯(ゆいぽよ) http://ja-jp.facebook.com/yuihash Instagram @yuihash http://www.instagram.com/yuihash/ ・正体は闇探偵の集団ストーカーネット工作員か創.価.集団ストーカーネット工作員のどちらかと考えられている ・在日コリアンに共感するツイートをしたり、スマホに韓国国旗のシールを貼ってたりすることから在日韓国人説がある ソースhttps://imgur.com/a/s5iJCTj ・神奈川県川崎市中原区宮内出身 の左翼活動家 【ネットで告発される悪事を隠蔽工作する闇仕事に従事】 悪事告発や真実を投稿する人に妨害行為 ・スレをコピペで荒らしまくり、悪事告発の内容がよくわからないようにする ・告発する人にセクハラ投稿や嫌がらせ投稿をやってスレから追っ払おうとする ・告発する人の嘘の悪い噂を投稿し、告発する方が悪いと思わせるような印象操作をやる ・告発する人に訴訟などをチラつかせ、脅して言論弾圧 ・告発する人のIPや端末情報を探り、ハッキング、特定した後、集団ストーカー犯罪で潰す ・ブラックな実態があるのに、それがないというような誤情報のテンプレを何度も投稿して隠蔽 詳細は↓ 🚨長谷川唯【SEALDs】【左翼】 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/minor/1634017226/l50 bckfkhl 「 長谷川唯 写真家 SEALDs 」にて検索 https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) CAPAだったか月カメだったか忘れたが サンダー平山をサンダー杉山と誤記して 翌月号で訂正とお詫びをしていて笑ったことがある >>440 だが間違ってた、訂正します 2005年頃の話だろ、提灯記事を書いてるライターと違って、よく解ってんじゃん 2015年でそんなこと言ってデジカメ否定してたなら、時代錯誤だぞ >>439 持論全部当たってない? 実際のデジカメはそういった指摘を改善していく方向に技術が動いたわけで、干されてなかったら 普通に認めるようになったんじゃないかな >>445 ググっても、読めない EOS-1のファインダーは中心から少しでも目が外れると MFでピント合わせできない みたいなMFのアイポイントが超狭い的なことを CAPA別冊の中で書いてた EOS-1nが出てから何年も経つ旧機種だから もう時効で書いてもOKいいだろう くらいに、サンダーは思ったのだろうが それが観音の逆鱗に触れた 荒れたらゴメンよ >>446 そういう事だったんだ! 丁度カメラ雑誌を読まなくなった頃でもあったので、何を問題視されたのか分からないままでした。 ありがとう >>446 だけど 同じ時期に竹内敏信氏が EF70-200F2.8L(初代)が出てかなり経つから時効だろうということで EF80-200F2.8Lをフレアーゴーストが出まくる欠陥 みたいなことを宣うてたけど、お咎めらしい話を聞かなかった サンダーとどちらが先か覚えてないが、もし、サンダーの発言が後と仮定すると サンダーの発言は竹内敏信氏の発言を受けてのことだと予測される 何故、サンダーだけ処刑されたのか?は 竹内敏信氏が業界の大先生であることはモチロンだが ファインダー問題がF4F5F100と比べてEOS-1nで完全解決してなかった?とかあるのかもしれんね >>450 「大口径単焦点主義者」の頃はまだキヤノン使っていたよ。 途中でミノルタになり、コンタックスになった。その後ニコン。 というか、割とずっとどのメーカーのカメラも使ってた印象 イオスの欠点を率直に書いたら干されたというのが本当なら観音ひでえ サンダーは85mmのF1.2が好きだったり、キヤノンにというか何処に対しても是々非々 だったと思うが・・・。EOS-1のファインダーに文句言った程度で干されるなら、常に キヤノンを貶してた阿部ちゃんがなんで干されなかったんだよ。 はっきり解らないが サンダーには「EOS批判」のほかに「モデルへのハラスメント疑惑」もあるみたいだな 干されたのは色々と問題があったからか? 50mmF1.0も好きだったはず 当時はキヤノンが大口径のレンズに精力的だったから、サンダーがそこを嫌う理由はない >>455 これは…… 確かなことが分からん以上何とも言いにくいが、どう思うかと聞かれたら「いかにもありそう」としか言えねえのが 当時のポトレ写真家には珍しくはないとはいえ >>455 モデルが撮影の合間に「サンダー平山さん、って知っています?」と 聞くから、「仕事仲間だよ」と答えたら、「エェー、あの人セクハラで モデル業界では有名ですよ」と言われた。まあ、どっちもどっちだろう、 とは思うけど、そういうこともあってCAPAから切られたのかも。 故人を鞭打つような書き込み、すまん。 >>450 好き嫌いはないでしょう 大口径単焦点女性ポートレイト撮影に使えるか使えないかだけで サンダー平山氏がもし存命であったらソーシャルメディアをどのように使いこなしておられたか興味深い。新しい技術にオープンだったと思うので今でも現役であっただろうと思う一方、文章を書くならともかくあまり話し上手ではなさそうだった印象があるのでYouTuberは難しかったかな。 彼のおかげで大口径中望遠単焦点レンズを購入 以来手放せないレゆずとなっている サンダーは本音記事で良かったよな 作例はイマイチだったけど 信頼できるライターだった 始めたばかりの頃はムック本何冊も買ったな モデルさんが良いと思った事は少ないが 俺も記事は信用していた サンダー専属のモデルいたよね。あの感じだと結婚するかと 思っていたけど、結局別れたみたいだな。 サンダー平山氏のムック本を見て85mmレンズを買った 今でも好きなレンズです サンダーのスタイルを真似して、迷彩服着て写真を撮っていた。 お彼岸で帰ってきてるときに思い出してくれて有難うなのだ レンズフードやカメラサポーターの記事が良かった そこだけ切り離してとってある サンダー、生きていれば67歳ぐらいか。阿部秀之と同じだな。 女性ポートレート写真で有名だったサンダー平山氏だが、俺は彼の風景写真も好きだったな。サンダー氏現役のころ俺は鎌倉に住んでいたので、同じ湘南でもこう切り取ればこう見えるのか、と新鮮な発見があった。 ここや双葉レベルでも明らかに工作活動らしい書き込みとか散見されるような有様だから 広告宣伝費投下具合は相当なもんだと思うがね。 Twitterでも関係者臭いポジショントーク繰り返してるキヤノン使い垢も散見されるわけだしな。 それ考えたら平山1人ひねるなんて分けないどころかアサヒカメラや日本カメラから広告引き上げて 写真誌潰して構わないくらいはやってる。 サンダーなら 今のデジイチから何を選んでいるのだろう? サンダーさんへ 貴方にポートレートレンズの良さを教わり25年。ついに85mmf/1.2を購入しました。 今でも85mmレンズを見ると貴方を思い出します。 >>488 おめでとう。ガラスがふちまでみっちりと詰まった「筒いっぱいの幸せ」ですね。 サンダーは理系で物理学科だから 解説はなるほどざわーるどだった 貴重な人材だった サンダーの件があるから キヤノンの新品は買ったことがない 瞳AFになってファインダーのピント合わせ性能は もう解決したのかな? ボケ味もたぶんファイスならよいでしょうから サンダーはαを使うんだろうか? 「緑の発色がイケてない ! 」と言って キヤノン機か? >>490 サンダーは日大文理学部中退、日本写真芸術専門学校中退。 つまり高卒。 「大口径単焦点主義者」再読してるけど、 この内容なら口絵の写真はもっと大口径レンズでの ボケの美しい写真を揃えてほしかったなぁ Amazonのレビュー ワロタw 実は写真は下手なのだ〜? 2019年12月3日に日本でレビュー済み 何時まで経っても的な意味でプロラボでポジの入った袋を受け取って開ける瞬間までドキドキって言ってたのが印象的だった それ以来いろんなジャンルのプロが本当にそう思ってるのか気に成って東京の大学に行ってプロラボで実際に目の当たりにして この人正直者だな~って思ったものだ ムック本何冊か買ってた ポートレートのモデル嬢が綺麗で羨ましかったな でも勉強させてもらったわ この人がフードのケラレチェックの方法を教えてくれた いまでは、ネットのカメラの情報サイトで、臆面もなくヨイショ記事を書いている輩ばかり。 メーカー(製品)を正直に批判すると、どの商業サイトでも売文させてもらえなくなるからね。 日本以外のアジアメーカーを褒めるのも睨まれるし、ましてや、国内メーカーの製品と比較するのも危ない。 ネット売文時代になって、よいしょ記事の書式も完成し、よいしょレビューの方法も確立されている。 解像感ですよ、レンズはね。カメラはサイズ感。かんかんダンス。 朝鮮電通が言葉狩りして、 結局日本製品の質を落とした テレビの報道も少しずつレベルが 落下中 >>501 もったいぶってんじゃなくて 奥歯に物が挟まったような、だろ 製品の欠点とか ハイアマチュアが知るとプロになれちゃう? プロしか知らないプロに当たり前の知識や技とか 書きたいことは山程あれど、書くと誰かが 「余計なこと書いて商売の邪魔するな」 と怒り出すから書けない、という感じ 突然ですが サンダー平山氏と杉作J太郎は似とると思いました >>504 博識度合い、うんちく度合い、体型が似てるかな 20歳くらいのサンダーの写真 見てみたいな イメージ変わるかも あ、いいなあ 奥歯にものの挟まったような物言いもいい サンダーがシュッとしたイケメンだったら、誰も好きにならなかったろうな。 日本の女って ヒゲ、ハゲ、デブが嫌いなんだよ そこにムッツリスケベも加えて サンダーを全てを備えていた >>509 そこが男性が多数を占めるカメラ好きの人気を集めた一つの理由じゃないかな。もし彼がシュッとしたイケメンだったら、多分あそこまで各写真雑誌で連載を持っていなかったと思う。 CAPA以外で連載持ってたっけ? そもそも出版社またいで仕事持ってたなら、干されたとききれいに消えることもなかったんじゃないかな >>509 考えてみるとそれでよくポトレが専門のカメラマンやれてたな 少子化前の理学部中退だからね学歴だけでも女も簡単には袖に出来ない >>512 アサヒカメラ、日本カメラにも連載していた。 日本の雑誌業界は一社で干されると、みんなが 横つながりで干すのさ。それが日本的慣習。 たぶん広告代理店の朝鮮電痛などが 悪いんだと思う 寡占しているから、日産提供の番組中で トヨタ車について少しでもマイナスの感想を 述べることさえ言葉狩りされる とにかく汚職スポーツの朝鮮電痛を自主廃業 させるべき 統一教会や朝鮮ヤクザともども 昔のカメラ雑誌でも、今のカメラ関係よいしょサイトでも、広告を出しているのカメラ会社は共通しているからね 1つの雑誌・サイトで干されると、すべてから干される これは、売文で生きていく上で注意するべきことだ ライターを使う側(雑誌・サイト)でも、宣伝もととの関係を悪くしたくない 経営上の判断 そうだね 経営上の都合で人を干すのを違法とした 方がいいね 記事内容が事実であれば甘受し、自社の方向を 修正すべし 趣味の雑誌はだいたいその問題を抱えてるな 読者には忌憚ない意見を要望されているが、部数がものすごく多いわけでもないので 読者より広告のほうを向きがちで、しかも広告や新製品インプレも読者に求められてるもの(だった)ので すごくちぐはぐな状態で何十年も安定状態が続いてしまうという で、だいたい今は刷りがやたら豪華な有料カタログか趣味版○○ウォーカーみたいな存在になってる 読んでる人はあんまりいない ネットのよいしょサイト(なんとかウォッチとか)もね サイトの運営会社は、「問題」とは思っていないのだろうね そういうビジネスだからね。サイト運営で儲けないといけない そこに記事書くヨイショライター(写真家w)も仕事もらうのに必死だろう 広告主を逃したらそれで終わりだからね 出資者からもシメられる ネットになって、収入は完全に広告からのみになったからな 一昔前まではブログや個人サイトに面白いことが書いてあって「ネットはおもしろいなあ」と思ったものだが 今はそこも収入のためにやってる奴だらけだし サンダーは一度でもペンタックスをほめたことはない。 31/43/77ミリだったっけ? フィルム時代末期に出た高性能 単焦点(Pentax) あれはデジタル一眼につけたときの 性能はどうなんだろう? >>523 ペンタックスZ-1を滅茶苦茶誉めてたよ。 サンダーが好きなのはZ-1Pの方でしょ 褒めると「そう気を使わずに」って言われる、って書いてた 測光システムとマウントの汎用性が高かった関係で、サンダーのペンタックスのボディは怪しげレンズ用になりがちだったっぽい キミ―ラのミニバンとかで日中シンクロが好きだったからZ-1のシンクロ速度があの値段で1/250秒だったのは褒めたかったんじゃ無いかと思う 角が立つし読者受けが微妙なラインなので言わなかったかもしれんけど サンダーまだフィルム撮影にこだわってるみたいだね きのう鵠沼海岸でニコンのF5に600mmぐらいの長玉つけて歩いてるの見た >>534 アベちんと同じ歳か。いまやニコンにぴったり吸着してウハウハのセンセになったアベちんと、 不遇のうちに若くして亡くなったサンダー。対照的だね。 阿部ちゃんと同年齢か この前Z8発売時のヨドバシで話してたな そこにサンダーがいたかもしれないと思うと胸アツだ >>536 サンダーは基本的に口が重かった。自分が主張したいことには雄弁だったが、 メーカーの思い通りに宣伝するのには向いていなかった。口から生まれたアベちんとは 違って、サンダーはあくまで写真で勝負をする人間だった。 迎合しない姿勢が好きだったよサンダー ポートレート撮影では大口径単焦点レンズの重要性を強調していて、俺が初めて買ったレンズが 85mm/f1.4だったわ read.cgi ver 07.4.6 2024/03/23 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる