【M645から】mamiya645【AFD IIIまで】
Fotodiox(フォトディオックス)M645-GFXは、マミヤ645マウントレンズを富士フイルムGマウントカメラ(GFX100、GFX50Rなど)に装着するためのマウント変換アダプターです。 M645 1000Sを本体のみ購入したのでレンズを揃えようと思うのですが、645super以降世代用(?)のN付きとN無しはコーティングが違うみたいですがリバーサル使う場合ってN付きを選ぶべきですか?出来れば本体との見た目のマッチング的にN無しにしたいのですがそこまで性能って変わってくるのでしょうか? AFDボディなら測距点も真ん中1点みたいなもんだし、どうせならMFレンズもオススメです。
レア玉ですが、C 80mm f1.9 NとA 150mm f3.8 N/Lはデジタルで使っても良いです。 AFDからDFを使ってるけど、AFボディーにマニュアル645のレンズは絞り込み測光で
専用のファインダースクリーンをつけないと露出が絞っていくと全然合わなくなるけど
あのスクリーンはまず手に入らないからね。ヨドとビッグの最後の在庫は自分が買った。
AFD3とDFにAFレンズだと10年くらい前の起動が遅いデジバックはうまく露光しないし
色々 645AFは難しいよ。そういえば横浜からDFがヤフで出ているけど、あれって落下品で
シャッターボタンとその周りが破壊されてる不動品だからね。それを隠して売ってる。 > 335
150mm f3.8 N/Lは自分のは状態が良いのですが(新品購入)パープルフリンジが大きいんですよ。N150/3..5並みにでるんで
使わなくなりました。ただし LEAF 22と ZD backしか試してないです。N/Lは期待したんですけどね写りがいいから。 もうペンタの中判は諦めてフジの中判ミラーレスを使った方が良さそう
フェーズワンは高すぎて買うどころかレンタルすら無理。 x2dで盛り上がってるとこすみません…
mamiya645df+で、電源をつけて1秒くらいするとモニターが点滅(ファインダー内も)したり、
そもそも電源が入らなかったりします。
同じような症状で心当たりある方いませんか?
また、佐久のphaseoneに問い合わせればいいのでしょうか?
値段とかも含めて予想もつかなくて… マミヤ関連の修理問い合わせはphaseでOKよ
私が知る範囲だとphaseと取引してる正規販売店経由なら修理手配出来たはず
価格は送ってみて見積もり出さないとなんともだけど しかしマミヤて超一流メーカーなのにこの界隈では不人気だな 間宮カメラはニコンの下請けだったはずだがここにはその逆の現象が起きているのが面白い
有明写真家ダイアンアーバスが愛用していたレンズ交換式の2眼レフと言うので一躍有名になったのが間宮フレックスである。ちょうど50年前のことになるが日本デザインセンターで仕事をしていたときには昼休みには大抵カメラを持って銀座界隈をスナップしていた。日本デザインセンターは当時の有名な広告プロダクションであってハッセルブラッド等は何十台も揃っていたのであるが、なぜか間宮フレックスが1台だけロッカーの片隅に入っていた。
そんな地味なカメラを使う人間はいないので昼休みの散歩撮影ではもっぱら私専用になっていた。ロッカーの引き出しの間宮フレックスの脇にはこのポロミラーを使ったファインダーがあってこれをつけていくのが普通の私の撮影のときのアウトフィットであった。 半世紀以上前の日本の製品というのは大にしてヨーロッパのカメラメーカーから袋叩きに会うと言うようなことがあった。例えばそのちょっと後の時代であるが、オリンパスの小型の一眼レフM1が登場したときにライカの会社から自分の会社のレンジファインダカメラからレンジファインダーを撮影した入門用の安いライカエム型カメラM1と名前が同じであるからけしからんと言うようなクレームが来て、それでオリンパスはそのカメラを急遽OM1と名称変更したのである。
慣例的に考えればローマ字1つの文字に対して数字が並ぶと言うのは別に特定のカメラメーカーのライセンスであるはずは無いので、これは明らかに嫌がらせとしか思えない。リコーカメラがずっと時代が降った10年位前にコンパクトデジタルカメラでR8と言うモデルを出したらやはりライカの会社から文句が来て、わが社の誇る35ミリ一眼レフライカR8と似ているのはけしからんと言うのでその当時のリコーデジタルイメージングの湯浅プレジデントが喧嘩を受けてたってわざわざドイツに行ったと言うのも記憶に新しい。
間宮プレスであるが、のスタイルがよく似ていたLinhof Press6x9は私の好きな写真家ルイスヴァルツが1連のエンバイロメンタルな風景環境写真を撮影するのに使っていたことを知っていたから私も真似をして同じカメラを使い始めたのである。ルイスヴァルツの場合は6x9のフォーマットで撮影を一環させている。これがロック× 7インチになってくると厳密なアスペクトレシオはかなり変わってくるだけではなくて、表現の方向性がずいぶん違う方向に来てしまうのである。例えば石川直樹はマキナ6 × 7でずっと撮影しているがこの6 × 7のプロポーションが石川の仕事のステートメントそのものになってくるわけだ。
ごく初期の間宮プレスでこのベージュのハンドグリップが付いているのは今市場でレアであるとか言う事はないのであるけれども、30年位前に岡山県警が放出した1連の間宮プレスはこのベージュのハンドグリップが付いていたので手に入れて大切にしている。ところがそのベージュ色のハンドグリップのついたプレスカメラはカメラジャングルのどこかに隠れてしまっているので、最近ヤフオクで発見した同じモデルを手に入れたのである。 ハッセルのチェキバックを作った中国人の動画見て、
よーし俺もマミヤ645にと思ったが、うん無理 間宮シックスの最終モデルが戦後になって作られたこのカメラで、世界で唯一のセルフコーキングの蛇腹カメラとなった。私などは大型の4 × 5インチのカメラに慣れているからフイルムを巻き上げて1時シャッターをセットする事は何のめんどくささもないのであるが、当時の66番の蛇腹カメラは仮想敵国、とでも言えるライバルが35ミリレンジファインダであった。
その意味でセルフコッキングを蛇腹カメラで66サイズが装備していると言う事はかなりの商品バリューを生んだのである。面白いのはアメリカに特許を出願中であると当時の宣伝パンフレットに誇らしく描かれている点だ。敗戦国日本としてアメリカに頭が上がらなかった当時であるから、これがいかに日本にとってプライドをくすぐるものであったのかがわかる。
村松智美ですら、私、プロレスの味方です。などと言う本を書いていた時代である。私の父親などもプロレスファンであったが、当時の感覚からすると、鬼畜米英をやっつける力道山と言うような応援の仕方をしていたのだ。
私は世界でほとんど数人しかいないカメラのオリジナルボックスコレクターで評論家であることを辞任しているのである。それでこのカメラで面白いのはカメラのオリジナルボックスとエバレディケースには間宮オートマチックと書かれており、エバレディケースにもそのようにエングレービングというか、エンボス加工がされているのであるが、カメラの取扱説明書とパンフレットを見ると、そこにはマミヤ6オートマットと表示されているのだ。
要するに、カメラのオリジナルボックスを開けてエバレディケースを手に取って、そうか、この中にはマミヤ6 automaticと言うカメラが入っているのだなと思ってエバレディケースを開けると中に入っているのは、真実は6オートマットと言うわけだ。
何かさんまの缶詰のつもりで、開けたら中にイワシが入っていたようなもので何か変だよね。 >>358
村松友視と思われ Wikipedia参照のこと 保守契約は3末で切れました。今まで有難う御座いました。 gfx50s用にkiponのマミヤ645アダプタを購入したけど、無限が怪しいような。レンズの解像力の問題なのか無限が出てないのかホント微妙な感じ。
使っている人いらっしゃれば、使用感や分析結果をコメントください。 Fotodiox、マミヤ7マウントレンズ対応の電子マウントアダプター2種
価格.com新製品ニュース(編集部)
焦点工房は、Fotodiox製の電子マウントアダプター2機種を4月28日に販売開始すると発表した。
ラインアップは、マミヤ7マウントレンズ→富士フイルムGFX Gマウント変換の「M7-GFX-FSN」、マミヤ7マウントレンズ→ニコンZマウント変換の「M7-NKZ-PRN」を展開する。
いずれも、レンズのF値をカメラボディに伝達可能なマウントアダプター。レンズシャッター操作リングを搭載。パソコンとUSB接続することで、ファームウェアのアップデートが可能だ。このうち「M7-GFX-FSN」は、Exifに記録される焦点距離情報を6種から選択できる。
本体の重量は、「M7-GFX-FSN」が約220g、「M7-NKZ-PRN」が約245g。
価格は各99,000円。 mamiyaはPhaseoneのハード工場として長野で生きてる
TOYOはメーカーその物が健在
HOSEMANはブランドも生産企画も技術者本人が続けてる この種類の蛇腹カメラの中で、1番好きなのはこのカメラである。ドイツ製のスーパーシックスも好きなのだが、フォーカシングがやりにくい。数年前に思いつきで日帰りを一白2日で広島に行ったことがあった。地方気象台がバーニングを出す事の豪雨の中、中心街を歩きまわったのであるが、アンブレラを手にしながらスーパーシックスのカメラのフォーカシングをすると言うのは非常に困難であった。
それに対し間宮シックスのほうは、右手のカメラをホールドした。ての親指が自然にバックフォーカス色のフォーカシングギアにあたるので、何の問題もなくピントを合わせることができる。これは大変なアイディアだと思う。
このシリーズの最終モデルは、世界で唯一のセルフクッキングの蛇腹カメラと言うことで、そこら辺が評価されているのであるが、私の場合は別に4 × 5インチの大型カメラで、毎回シャッターをチャージすることには何の抵抗感もないので、それはそれほど大きなメリットとは思わない。
数台持っている同じカメラの中で、これが完璧だと思うのはカメラの合格証とそれともう一つ品質保証書が付いていることだ。面白いのはカメラの合格証が昭和30年12月30日付となっている事だ。当時の間宮カメラは、年末のそんな時期にまでカメラの検査をしていたのであろうか?
カメラのオリジナルボックスにはマミヤ6オートマチックと表記されている。カメラのエバレディケースにも同じ表記がある。にもかかわらず、このカメラの名称と言うのはオートマチックではなくてオートマットなのである。どういう背景があったのかそこら辺も調べてみたら面白いであろう。 NikonFかアサペンES IIのどちらか迷って、結局アサペンにしてしまった苦い思い出
しかも、マミヤの6×9にまで手を出してしまった
素直に6×7にしときゃ良かった 最終的に秒間2コマで33コマ連射で巻き戻し無しでシステム操作性は完全電子化だったからな
これで中判各社の最高のレンズを更に上回る超ゴージャスレンズとドロップインPLがデフォに成ってれば…
マミヤのAPOゴーヨンとサンニッパ何かトリミングで35㎜判で使ってもニッコールすら上回るMTF値と更にボケ味の良さだったしね
それを切り崩してればロケグラビアカメラマンがステータスレンズとして挙って買って使ってくれてたと思う プロカメラマン=事業者は使わない機材と言うかお金を生んでくれない黒字を出してくれない機材には1円も出せない
何処かの田舎者の誰かさん達みたいなのと違ってね
本当に涙ぐましいコストカットでアシスタントの昼食代とか出してるんだよ
だから良いと判り切っててもマミヤA645APOのゴーヨンゴとサンニッパはアレでも高すぎて流行らなかった
良いレンズだからこの際社会的に問題がある人物にでも売れてから中古で放出がそれこそやる気の在るプロカメや作家や作家志望に
転がり込むのが一番だが前提が可笑しいなあ… 一言で言うとペンタとマミヤを掛け持ちできる財力(効率も含む売り上げ=それだけ売れてる流行ってる)の在るプロカメは本当に生まれなかったって事
で何でかしらんがペンタマミヤ処かコンタとフジハッセルすら持ってる田舎者が居たそうじゃない
元医師で脱サラしてプロカメに成って今は動画カメラマンをやってる人でもフォーマットは一機種づつだったような(但しバイテンに一番高いレンズも持ってた様だが…)
医師を止めた瞬間からいやその以前から明朗会計何だよ
特に舶来機材だらけの見た事も無い田舎者ってやっぱり… でフィルムが一番売れてたのって2000年だったそうだね(年代じゃ無く2000年ね)
バブル崩壊から7年でネットがADSLだった時代か
まあその層はミラーレスで漸くシャッターが切れるように成ったこれまた困った誰かさん達みたいのとは違うよw
そらポラバックは有ったけどもw M645、完動品、3万円台でレンズ込でどこかで売ってないかしら? >>377
5年前ならギリあったかもしれないけど、最近中古の値段が高騰してるので今は無理。
ボロボロのジャンクでもそれぐらいの値段になってたりするからね。 買うならAFD2かAFD3が良いよ。デジタルバック もフィルムバックも使えるから。
ほとんどのM645交換レンズが1万円以下で流通していた10年前ならまだしも、電子制御カメラのM645は修理もできないし、現在は買う価値はない。
AFD3は2年ほど前にphase oneで修理してもらった事があるから、おそらく現在も修理対応してもらえるはず。