創業110周年!【栗林ペトリ】倒産40周年w #9 [無断転載禁止]©2ch.net
PETRI 35EのページにIhagee WEST銘PETRI 35E の
レンズ沈胴の様子とEE・FLASH切替部、
圧版張り紙の写真を掲載しました。
https://www52.atwiki.jp/petri/pages/258.html だぶる。さん、
アップありがとうございます。
このカメラは謎が多くてペトリ倒産直前の混乱をあらわしているように思えます。
沈胴式個体の生産時期が倒産直前だった可能性がきわめて高くなったと思います。もう少し物証が欲しいですね。 V3、V6、FT、FTEと持ってて、愛でている
でもなんかFTだけデザインの方向性が違ってるんだよな〜 デザイナーが違ったんだろか? Wikiのペトリの歴史にペトリ埼玉工場の開設と移転を加え、先日入手したファーストカメラカタログをアップしました。
F1.7は評判のよいF1.8の末裔ですね。マルチコートMCレンズもあります。
ペトリ技術者のインタビューによれば、FTの頃は一眼レフの統括は柳澤さんではなく、五十嵐さんがされてたようなので、あるいはそれが反映されているのかもしれませんね。 >>381
そういうのがあるのね
V3のぎゅっと凝縮感のあるデザインも好きだけど、FTの角ばったのもかなり好き
FTの方が閃光電球フラッシュガンが似合うんだ そういや足立区にあるパン屋のおやじが、やたらとペトリに詳しかった
パン屋なのにカメラ展示してあって、パンもまあそこそこ美味かった >>383
西新井〜竹ノ塚の間の東武線アンダーパス近くにあるパン屋でしょ。
ご主人は詩吟の名人らしいですよ。 ひさしぶりにのぞいたら、思いのほかもりあがってますねw
>380
V3V6FTEは同じダイカストシャーシですが、FTは直線ドラム配置の
別シャーシなのが大きいんじゃないかと思います。
それとFTはフレックス7をTTL化したカメラですが、デザインはフレックス7
でバランスがとれていたので、でかい一つ目ペンタ部がなくなったFTでは
どうしても間のびした感があるよね。ま、それも味だけどw リバースアダプタさん、
お久しぶりです。コメントありがとうございます!
最近ビートたけしとペトリにつながりある気がしてならないのですがどうでしょう?
世界のキタノ、足立区のたけしさん、梅島にいた時期があるらしいので… >>387
たけしの実家が足立区梅島だからね。
たけしも高校時代まで住んでたみたいだし。
アド街の五反野の時もアウトレイジの映画宣伝兼ねて五反野と梅島について毒舌で語りつくしていたからね。
ペトリカメラも知ってるだろうけど愛ある毒舌でメチャクチャ貶しそうだww >>386
別シャーシですか〜なるほど
フレックス7もいいな、レアだろうけどいつかこいつの隣に並べたい
似合いそうな古いフラッシュガンを入手しとこうかな
http://2ch-dc.net/v8/src/1508986814963.jpg >>389
そういえば、うちの親父が使ってたFTも最初はフラッシュガンだったのを思い出した。
その後ストロボも買ってたけど、子供心にはフラッシュの方が迫力があったので記憶に
残ってます。 うちにはスピードライトと称するものがあります。
https://imgur.com/gallery/NJBbq
昭和30年代末のものと思いますがよくわかりません。
いつかwikiにアップしようと思ってそのままになってました… >>391
いいなあペトリ純正ストロボですか、かっこいい
相当価値ありそう・・・ この形の純正フラッシュはカタログ等にも載ってないですね。価値はともかくw
レアなのは確かです。 ペトリのKマウントの正体はこれだ!怪しいMANJIRO
https://www.youtube.com/watch?v=pgoaehy2YTQ&list=PLiWL_l0QvQM4RTflJypQoNdBOiu6ogkxS 正体はコシナっぽいな?AUTO REVUENONのKマウントも写りは良いが お久しぶりです。最近は戦前のファーストフレックスと格闘したり、ペトリスーパーとの戦いも控えていたりと
いろいろ忙しい(?)毎日です。
カメラ博物館で特別展『世界を制した日本のカメラ〜もうひとつの日本カメラ史〜』を観てきました。
もちろんペトリ製のカメラも、
・琉球ペトリ製コンパクトE 2台
・ペトリフレックス(二眼レフ)
・ペトリスーパー(ただし図録にあるのは初代ペトリー)
・カレナSRH1001
・カレナEF-250(CF-35のOEM)
・ハネウェル ビジマチック615(コンピュータ35のOEM)
・V6
・FA-1(白黒2台)
・フォトクローム
こんなにありました。
なお常設展のほうにはファーストシックス(元箱も!)、露出計付きのBBセミファースト、カラー35、
さらに「最近寄贈されたカメラ機材」としてCF-35が展示されています。
もちろん他メーカーのカメラもたくさん展示されており、見ごたえ充分です。
来年の2月18日まで開催されていますので、お近くの方、あるいは東京へお越しの際はぜひどうぞ。 Bさん、レポありがとうございます!
なかなか面白そうですね。でも札幌市民には遠すぎるw
出品カメラのリストを見ると、ペトリがOEMしたインスタマチックカメラもあって良さそうに思うのですが、収蔵がないのかな?
あとはペトリ時代のカメラが常設展にはカラー35一台しかないのは残念ですねw
棚の一角でいいからペトリコーナーが欲しいなぁ…ペトリの啓蒙に励まねばw Bさん、264さん
そんなにペトリのカメラが展示されているんですか。たぶん、今はなきメーカー展以来のことですね。
時間を見つけて見に行ってきます。 まとめwikiにPetriPowerZoomの取説を追加しました。 皆さん、こんばんは。
ヤフオク!に地野光学OEMと思しきPETRI MC AUTO 1:2.8 f=135mmが出品されています。
写真は少ないですが特徴からPETRI MC AUTO 1:2.8 f=28mmと同様のシリーズだと思います。
商品のページが有りませんのでPETRI MC AUTO 1:2.8 f=28mmのページにweb archiveのリンクを貼りました。
https://www52.atwiki.jp/petri/pages/238.html
このページを見ていて気付いたのですが、私のもっているPETRI MC AUTO 28mm 1:2.8とページ掲載の個体は別バージョンであることを発見しました。(^^ゞ
後日、改めて写真撮影して掲載しておきます。 だぶる。さん、
アップありがとうございました。
M42回帰後のペトリ一眼レフはわからないことがまだ多いので参考になります。
こちらは戦前戦中期の栗林を調べてますが、あまりわかりませんw
Bさんが小笠原光学という会社との関係を見つけて下さいました。
じき報告があるかも… 呼ばれたようなので飛び出ました。
先日書いたカメラ博物館の特別展で、『国産写真機ノ現状調査』という戦時中の資料が紹介されているのですが、ここで件の小笠原光学が出てきます。
264さんから、『スプリングカメラでいこう』という本にこの資料が載っていると教えていただき、国会図書館で閲覧してみました。
とりあえず現段階で分かっているのは、
・同資料に小笠原光学の住所が「足立区梅田町7807」と記載されている
・栗林の住所は「足立区梅田町1807」(同資料には「上田町」とありますが誤り)
・同資料に栗林が製造・発売元のカメラとしてミズホ・ホウコクの名があり、これらのレンズの製造元は小笠原となっている
・小笠原潔という人物が戦後栗林の監査役を務めていた(これも264さんからの情報)
ということだけです。全国工場通覧も調べたのですが、小笠原光学は発見できませんでした。
梅田町に7807番地なんてなさそうなので(参考 http://www.uraken.net/chimei/tokyo/02.jpg)、何らかの誤記と思われます。
1807番地とも考えられますが、これはあくまで推測でしかありません。また小笠原潔氏と小笠原光学との関係の有無も分かっていません。
状況証拠や推測ばかりなのですが、資料には他に小笠原光学の名前はなく、栗林と何らかの関係があるような気がしてならないのです。
もっとはっきりした情報が見つけられればいいのですが、それは今後の課題ということで。 みなさん、こんばんは。
M42交換レンズ、PETRI MC AUTO 28mm 1:2.8のページを作成しました。
PETRI MC AUTO 1:2.8 f=28mmの別バージョンかと思っていましたが、
アタッチメントサイズや重量、前玉押さえの形状も異なるようなので別ページを作成しました。
サイズダウンしていることから後にコストダウンしたモノと推測しています。
https://www52.atwiki.jp/petri/pages/324.html Bさん、ありがとうございます。
あとでも述べますが、戦争中の官報を調べてみました。
戦時中はカメラは価格統制が行われていて、その記録が残っています。
昭和15年の12月に発行された官報には写真機の公定価格表があり、そこにホウコクが報国として記載されています。
ただ、報国は栗林製のカメラとしか記載がなく、小笠原光学については書かれていませんでした。
セミファーストなど他の栗林のカメラは皆川商店と記載されているのも面白いです。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2960684/16
だぶる。さん、ありがとうございます。
これはよく違いがわかりましたね。M42回帰後のレンズはいったいいくつあるのやら…w
クリーについて追記しました。
1947年8月25日号の官報にもカメラの公定価格の掲載があるのですが、
戦後すぐの栗林は、戦後に開発したペトリーと戦前の改称カメラ、クリーを併売していたようです。
クリーはI型、U型、オートセミクリー、クリーフレックスの4種類があり、それぞれセミファースト、ベビーセミファースト、オートセミファースト、ファーストレフレックスと思われます。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) ビクターシックスなんて初めて聞いたな
戦中はあったのか もうこのスレに引きずられてペトリ買っちゃうんだよ
持て余した分どこに送りつけたらええの? ペトリの55mmF1.4というレンズを隣県のハードフで見ました。
これはいいレンズですか? >>410
良い悪いは別としてレア品
ずっと出物探してますわ >>410
買っても後悔すると思うので私が代わりに買っておきます。どこのハードオフだか教えろ下さい。 >>411
そうなんですか。ボディと55mmF1.4がついて7500円でした。
おとといまだ残っていたから欲しい方はどうぞ。 ダブルさん、264さん、ありがとうございます。
m42マウントレンズまだありますか。
やっぱりwikiの一覧表も、フィルター径や最短撮影距離も加えないと、
区別がつかないですね。
欄を加えて少しずつ更新していくことを検討します。 ダブルさん、264さん、ありがとうございます。
m42マウントレンズまだありますか。
やっぱりwikiの一覧表も、フィルター径や最短撮影距離も加えないと、
区別がつかないですね。
欄を加えて少しずつ更新していくことを検討します。 >>410
F1.4は数カ月前にようやく手に入れ、モノクロで使い始めたところ。
とても気に入っている。
写りは、友だちに見せてもらったR用ズミルックス標準と似ており、
適度に柔らかくて二線ボケが出にくい。
ポートレートには好適なレンズだと思う。少なくともニッコールオート50ミリF1.4よりはよほど好きだ。
ただし、カラーでは撮っていないので色のことはワカラン。 wikiの交換レンズ一覧の項目増やしました
増やした項目は、最短撮影距離、最小F値、フィルターサイズ、最大径、全長、重量です。
これだけあれば、同一名称のレンズも区別できるでしょう
本数が多いので、少しずつ埋めていくようにします。 PETRI 1型に使われてるレンズは何番になるか知っている方いませんか?
あとcompru型かPRONTAR型か分かったら教えて下さい リバースアダプタさん、
いつもありがとうございます。
ペトリ内製レンズはずいぶんわかりましたが、ペトリ銘のついたレンズとなるといくつあるのやら…
一覧見ながらレンズ単体の記述もヒマを見て付け足しておきますw
初代ペトリーですが、#000になるのかな?
シャッターはプロンター型のようです。kanさんのレストア記事を見てみて下さい。
「ペトリー camera restore」でググルと出るはずです。 >>426
自己解決しました
シュナイダーの0番でした ペトリのレンズ設計を担当されていた富田良三氏が9/21に87歳で亡くなられたとのこと。
Petri@wiki にリバースアダプタさんが以前おこなったインタビューがあります。
https://www52.atwiki.jp/petri/sp/pages/161.html
ご冥福をお祈りします。
また、ペトリPF-ZOOMの型番違いのPETRI 110 ZOOM-TSの写真をご提供いただいたので追加しました。 ちょい前に箱・取説付きペトリ1.8安く買えたけど、
意外と出ないモノだね>オク 皆さんこんばんは。
先日画像をupしたPETRI 35EのIhagee West板ですが、
eBayでちゃんとEXA 35Eと銘板が入った個体を発見しました。
PETRI 35Eのページに追記しましたのでご確認下さい。
https://www52.atwiki.jp/petri/pages/258.html 半田さんからまた、当時の社章をいただきました。
今度の物は色違いのエンジ色で、意味をお聞きしたところ、
平社員には肩章は無く主任からで、主任は青色、係長は黄色、
課長がエンジ色部長が白色だったとのことです。
カタログの生産ラインの写真等で社員の肩に写ってないのは、
やっぱり平社員にはなかったからだったんですね。
wikiに写真を上げておきました。 皆さん、ご無沙汰しています、そして明けましておめでとうございます。
小ネタですが
高斎正氏の小説「透け透けカメラ」にカメラショー入り口でペトリの労働組合役員が
゛社長一族のやり方が汚い。利益は社長一族が独り占めして、
労働者の待遇は非常に悪い。社長に抗議の手紙を出そう。”
といった意味の社長の名前と住所を記載したビラを配っていたという記述がありました。
小説の内容と全く関係ないことをわざわざ書いていたからには相当印象深かったのでしょう。 みなさん、あけましておめでとうございます。
690さん
情報ありがとうございます。
高齋正氏の〜する時シリーズは昔読んでました。懐かしいw
透け透けカメラは読んだことなかったので、今度読んでみます。 みなさま、あけましておめでとうございます。まとめwikiの
「ペトリを使っていたことのある写真家、有名人」に写真家の桜井寛さんを追加しました。
https://www52.atwiki.jp/petri/pages/323.html あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしく。
お年始代わりと言ってはなんですが、ファーストレフレックスの試写フィルムからいくつか
flickrに上げましたのでご笑覧ください。
https://www.flickr.com/photos/dr_bigbear/
『セミファーストの使ひ方』で「テッサー恐るるに足らず」と評されたファーストレンズですが、
テッサー云々はともかく、かなり健闘しているように思います。 FacebookのペトリカメラのグループでEL-Nikkor 50mm F4がペトリ生産だった
という話がありました。三刀谷さんから直接聞かれたそうなので、確かそうです。
光学設計はニコンだそうですが、鏡筒設計と生産はペトリだったとのこと。
当時から評判の良かったレンズだったようです。67年発売で、三刀谷さんによると
このころから鏡筒の設計が向上し品質が上がったと語られていたようです。 半田さんから頂いたレンズデータにある50mmF4マクロはこのELニッコール
だったのではないかと思いましたが、ELニッコールのカタログにあるレンズ光学部の
寸法とは違ってました。別物みたいです。 リバースアダプタさん、皆さま今年もよろしくお願いします。
例のカタログが一つ届いたのでスキャンしたらご挨拶と思っていたのができなくて…
EL-Nikkorの話、興味深いですね。裏を取るのは難しいかな…
でもニコンとは倒産時に色々話が出ていることもあり、なんとか検証したいですね! 264さん、今年もよろしくお願いします。
そうですね、半田さんにご記憶ないか聞いてみます。 半田さんに問い合わせました。
>>442
標準レンズ付きV6にsun oemの85-210ズーム、専用セットバック。ですね。
まったく珍しいものではないですが、程度が良ければ買ってもいかも。 半田さんからお返事がきましたが、記憶にないそうです。
ご自身は、忙しい時期だったそうですが、ニコン製品をやるとなれば、担当しなくとも
噂になるだろうし、とのことでした。
芦田さんにも、聞いてくださるそうです。 芦田さんからの返事の連絡がありました。
100%ありえないそうです。芦田さんはレンズの生産設計担当でしたので、少なくとも
生産してないのは確実だと思います。
三刀谷さんの勘違い?。引き合いはあったけど、生産までに立ち消えになったのでしょうか?
謎ですね。
半田さんからまた新しい情報がいただけるみたいです。続報をお待ちください。 >>443
ご返答ありがとうございます。
※肝心のブツはすぐ消えてしまいました なんと、ペトリで、半田さん、芦田さんの後輩の生産技術担当の方と連絡がつき、
ニコンレンズの件を聞いていただけたそうです。
70年ごろ入社の方で、杉戸でニコン向けのレンズを研磨していたとのこと。
芦田さんがご存知ないのは、70年代中ごろの話で、ペトリをやめられた後だからの
ようですね。
EL NIKKORが67年発売なので、60年代の話だと思っていましたが、70年代中ごろの
話であれば、つじつまがあってきます。
半田さんに紹介いただいたので、週末に電話で直接聞いてみます。 リバースアダプタさん、
面白い話になってきましたね、ありがとうございます!
個人的には庸夫副社長が社長を務めていた黒羽光学のことと結びつきます。
ここも1970年代半ばに設立されていて、倒産後設備ごと買い取られて黒羽ニコンになったと思いました。
杉戸から黒羽に設備が移されて黒羽光学が作られた、というストーリーは邪推かな?
いや面白いものです。 264さん、ありがとうございます。
生産技術の方なので、どこまでご存知かわかりませんし、いつまで在籍されたのかも
聞けていませんが、この件以外も出来るだけ聞いてみようと思っています。 リバースアダプタさん、
お手数をおかけします。
黒羽光学については「日本の労働者自主管理」に僅かに述べられていますが、業務内容やニコンとの関係には触れられていません。
黒羽光学(那須光学と記載)が栗林庸夫(橘二郎と記載)を社長として1974年に創立されたこと、黒羽光学が栗林家の資産温存に使われた、等の記載がありました。
黒羽光学が黒羽ニコンの元となったという文献は見つからないです。組合側の記事にあったかもしれませんが、私の記憶違いの可能性もありますw あら、過去スレを調べようとしたら、atwikiのアーカイブログが消えてるみたいですw
あとで探してみますw 264さんこんばんは
「全金ペトリの闘争他、倒産の中の労働運動」に黒羽光学で日本光学の下請けとして、
レンズの荒ずりから研磨まで行っていたとの記述がありました。
78年の本なので、工場売却のことは書いてないです。どこかに記載があったと思うの
ですが、この本に書いてある工場の住所、黒羽向町に今も栃木ニコン黒羽工場があり
ますので母体になったのは間違いなさそうです。Googleマップで見ると、建屋は新しい
ですが、今でもかなり田舎で、当時は本当に何も無いところだったのでしょう。
紹介いただいた方には、今日電話してみます。 リバースアダプタさん、
ありがとうございました。
外堀が埋まりました!
良いお話が聞けること、期待しています! EL-NIKKOR 1:4 f=50mmを行きつけのカメラ屋さんで見つけましたw
https://i.imgur.com/twRvVpK.jpg 電話で話しを聞きました。
70年に入社で本社で生産技術を担当された方です。
70年代中ごろに NIKKORをやる話はあって、出荷したと思うが、実物は見た記憶がない
そうです。生産は記憶では本社工場だったとのことでした。
組合員だったので、この頃は情報があまり入ってこなかったともいわれていました。
ということで、 NIKKOR生産はほぼ確実ではないかと思います。
ただ50mmF4の発売後に切り替わって、一時期ペトリ製だったということになると思う
ので、ペトリ製個体の特定は難しそうです。
組合員で倒産後もしばらくペトリに残られMF-1の生産再開についても関わられたとの
ことです。しかし、ペトリ工業には参加されなかったとのこと。
現在まだ現役で精密関係の仕事をされている方です。ペトリ末期はあまりいい思い出
が無いせいもあるのか、残念ながら名前は出さないで、ということでした。 リバースアダプタさん、ありがとうございました。
うっかりEL-Nikkorを連れて帰ってきましたが、ペトリ製とは限らないのですねw
刻印等、形態分類ができれば何かわかるかもしれません…
ペトリがNikkorを下請けしたのは間違いないですが、どのレンズがそれだったのかは今後も気になりそうです。
とは言え、決して一流とは言えないペトリが、引き伸ばしレンズであったとしてもNikkorの銘が付くレンズを作っていたとは何とも愉快です。 264さん、こんばんは。
このページでシリアルナンバーの範囲がわかります。
http://www.photosynthesis.co.nz/nikon/serialno.html#EL
70年代はじめに日本光学銘からニコン銘に変わり、80年代半ばにNシリーズに
切り替わったみたいです。
とすると、シリアル90万台あたりが可能性が高そうかな? 今のところ、ネットの写真を見る限り、外観からわかる変化は見つけられないです。
三刀谷さんの話の様に、鏡筒設計やり直したなら、何かしら変化がありそうなのですが。
黒羽でのニッコールレンズ研磨の話もあり、レンズそのものにペトリ製があるのは
確実と思いますが、鏡筒はもしかしたら話しだけの可能性もあります。
電話でお話しを聞いた方も、本来の仕事の流れからすると、生産技術の仕事を担当する
はずだけれど、やった記憶はないのでとも言われていましたので。
前述の様に末期の混乱の中の話ですし、UCSの渡邊さんが言われていた様な、組合に
内緒で進めるようなことも多々あったようなので、どちらにせよはっきりしたことは
言えません。
それから、入社した頃は、生産ラインの効率化や自動化の仕事をしてもらうと聞いて
いたのに、業績の悪化で実際は何もできなかったということでした。 あのペトリが引き伸ばしレンズとは言えNIKKORレンズを作っていたとは面白い話。
EL-NIKKOR 50mm F4 欲しくなっちゃったw 皆さん、こんばんは。
EL-NIKKOR 50/4の件、
こちらは暫く見ていませんでしたので
気づくのが遅れてしまいました。
私はこちらでは新参者なので、
EL-NIKKORの話はwikiでは
既知の事実なのだと思い込んで、
こちらにもFBにもコメントしていませんでしたが、
実は去年の春頃、森住さんのFBに
EL-NIKKORのエピソードを見つけて興味が湧いてしまい、今は引き伸ばし機が無いので
Eマウントに取り付けて使って見ました。
EL-NIKKOR 50/4を入手するまえに調べた
ところ、NKJ銘とNikon銘は表記の違いだけで
鏡筒は同じようです。
Newは全く違う鏡筒ですので、
初代の鏡筒は日本光学の指示に基づいた
ペトリでの設計ということだと思います。 だぶるさん、こんにちは。
ELNIKKORの件は最近知ったので、裏をとっていたのですが、結論としては残念ながら
現物の特定はできませんでした。
最初は私も日本光学銘の初期モデルのことだと思ったのですが、当時を知る人に、
確認したところEL NIKKORの件は、話としては70年代中ごろのことの様でした。
>>456
そうなると、
>>458
で書いているようにニコン銘の途中からになってしまい、ペトリで設計したという
話と矛盾するんですよね。三刀谷さんは既に鬼籍に入られているので、再確認する
すべはなさそうです。
すみません、日本光学銘の物がペトリ製という話が広まるのはまずいと思われるので、
訂正させてもらいました。 >>461
https://www52.atwiki.jp/petri/pages/110.html
ここに乗ってるcarena銘のカメラがペトリ製
バイヤーズブランドなので、他のメーカー製の物もあると思う。
レンズのcarenaerはペトリマウントはペトリ製、m42は上記の
カメラに付属の標準レンズはペトリ製だけど、交換レンズは
ペトリ製ではないと思われます。 リバースアダプタさん、こんにちは。
説明不足で誤解を招いたようですみません。
私が申し上げたかったのは、
森住さんからの情報が事実だとすれば、
森住さんが示されてた図面等がNewでは無いことと、
NKJ銘とNikon銘ではレンズ・鏡筒共に設計が同じことから、
これらの鏡筒は日本光学の指示に基づいた
ペトリでの「設計」と考えられると言うことです。
初代と表現したのはNewに比較しての意味です。 だぶる。さん、こんにちは。
レス、ありがとうございます。そういう意味ですね。了解しました。
ただ、途中で再設計したなら、見てわかる違いがあっても良さそうなんですよね。
逆に、当初からペトリ設計だとすると、証言と食い違いますし。
まあ、新しいことが分かると新たな謎も増えるという、このスレのいつものパターン
ではありますw まとめwikiの 「ペトリを使っていたことのある写真家、有名人」に
4名追加しました。有名どころでは、映画監督の崔洋一、報道写真家
の桑原史成、といったところでしょうか。
https://www52.atwiki.jp/petri/pages/323.html まとめwikiの 「ペトリを使っていたことのある写真家、有名人」に
もう1名追加しました。昆虫写真家の海野和男氏です。
https://www52.atwiki.jp/petri/pages/323.html いつかはペトリさん
おつかれさまです。
ペトリを使ったことのある〜随分増えましたね。
ペトリが最初のプロカメラマンはけっこう多そうで、ペトリの当時の立ち位置がよくわかります。 半田さんから、ペトリの126フイルムカメラ、ペトリ607の写真をいただきました。
週末にwikiにあげてページを作ります。 リバースアダプタさん、いつかはペトリさん、アップありがとうございます。
遅くなりましたが、イギリス版総合カタログ2点、オランダ版Flex7 +PentaVカタログ1点、
計3点をアップしました。Petri17が載っているのは珍しいと思います。
お楽しみください! 興味深いスレですねー。
にわかペトリファンです。
ペトリハーフとペンタV3、V6とV6U、FTUを持っています。
Wikiの方も楽しく拝見しています。
これからも宜しくです。 疑問なのですが、Orikkorってkがだぶっているのになんでオリコールなんでしょう?
あとオリコールの名前の由来が知りたいです。 文献が見つかってないので推測ですが、栗林にはOrikkorの前にOrikonというレンズがありました。なのでOrikonをNikkor風にしたのかもしれません。
で、元のOrikonですが、戦前からの大メーカー、Zeiss Ikonから来ていると思います。
残りのOrは全くわかりません。
個人的にはOriental Ikonじゃないかなとおもってますが、いかがでしょうか…