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中国食人史
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0001名無的発言者
垢版 |
2013/10/05(土) 19:23:40.69
中国における食人の歴史を語るスレ
0002名無的発言者
垢版 |
2013/10/05(土) 19:27:23.29
誰もいない
0003名無的発言者
垢版 |
2013/10/05(土) 21:09:56.23
なかっち 動画
http://www.youtube.com/watch?v=z2qK2lhk9O0s



みんなで選ぶニコ生重大事件 2012
http://vote1.fc2.com/browse/16615334/2/
2012年 ニコ生MVP
http://blog.with2.net/vote/?m=va&;id=103374&bm=
2012年ニコ生事件簿ベスト10
http://niconama.doorblog.jp/archives/21097592.html


生放送の配信者がFME切り忘れプライベートを晒す羽目に 放送後に取った行動とは?
http://getnews.jp/archives/227112
FME切り忘れた生主が放送終了後、驚愕の行動
http://niconama.doorblog.jp/archives/9369466.html
台湾誌
http://www.ettoday.net/news/20120625/64810.htm
0004名無的発言者
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2013/10/06(日) 11:41:56.91
北宋の末期、女真族の侵入で飢饉に陥った人々は官民問わず人肉を食べ始めた。
范温は義軍を組織して戦ったものの破れ、舟で臨安に逃れた。彼に付き従う兵士達は
人肉の乾し肉を携帯していた。彼らはそれを両脚羊(二本足の羊)と隠語で呼び、
そのうちで若い女の肉は「不羨羊」(羊より美味い)、子供の肉は「和骨爛」
(煮れば骨まで食べられる)と呼ばれた。
元王朝の末期、各地で叛乱が勃発し、食糧難に陥った官軍は人肉食に走った。
最上品は子供の肉、次に女。男の肉は最下層だった。
料理法は様々にあり、大瓶に放り込んで炙り焼きにしたり、網で焼いたり、
さらに趣向を凝らして熱湯をかけてから竹箒で皮をこそげ落とし、肉を切り取って
油炒めにして食べたりなどもした。
特に男の両腿と女の房は「想肉」(懐かしの肉)と呼ばれて珍重されていた。
あまりの旨さにまた食べたくなるからである。
0005名無的発言者
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2013/10/06(日) 18:03:19.15
お前ら知ってること書きつなれろ
0006名無的発言者
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2013/10/11(金) 20:39:26.20
今でも人肉カプセルとかで食ってるみたいよ
0007名無的発言者
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2013/10/13(日) 17:57:26.82
商売になるならなんでもするんだな
0008名無的発言者
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2013/10/13(日) 20:40:41.44
なんで過疎なんだ中国マンセーばっかしなのか
0010名無的発言者
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2013/10/19(土) 12:49:15.33
なんでも食べるからな
0011名無的発言者
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2013/10/19(土) 14:17:43.14
ていうかなんで過疎?
0012名無的発言者
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2013/11/28(木) 17:09:24.28
きもい
0013名無的発言者
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2013/12/07(土) 11:37:13.60
なんで過疎なんだよ

人食いと言えば中国だろ
0014名無的発言者
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2014/01/01(水) 15:45:32.82
なんで過疎なんだろ?いろいろ語ろうぜ
0015名無的発言者
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2014/01/05(日) 17:30:34.40
飽きられたネタなのかな
0016名無的発言者
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2014/03/20(木) 22:20:16.67
本になってるね…
0017名無的発言者
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2014/03/28(金) 21:36:02.60
きもい
0018チベット土人は中国によるチベット近代化に感謝しろ
垢版 |
2014/11/30(日) 21:33:36.92
★中国が禁止してやったチベット土人の人肉食文化★

出典:河口慧海『チベット旅行記』(1904年)の「第八十六回 驚くべき葬儀」

食人肉人種の子孫 さてその死骸を被(おお)うて行ったところの片布(きれ)その他の物は
御坊(おんぼう)が貰います。その御坊(おんぼう)は俗人であってその仕事を僧侶が手伝うのです。
骨を砕くといったところがなかなか暇が掛るものですから、やはりその間には麦焦(むぎこが)しの
粉も食わなければならん。またチベット人は茶を飲みづめに飲んで居る種族ですからお茶を沢山
持って行くです。ところが先生らの手には死骸の肉や骨砕(ほねくず)や脳味噌などが沢山ついて
居るけれども、一向平気なもので「さあお茶を喫(あが)れ、麦焦(むぎこが)しを喫(あが)れ」と
いう時分には、その御坊(おんぼう)なり手伝いたる僧侶なりが手を洗いもせず、ただバチバチと
手を拍って払ったきりで茶を喫(の)むです。その脳味噌や肉の端切のついて居る汚い手でじきに
麦焦しの粉を引っ掴んで、自分の椀の中に入れてその手で捏(こ)ねるです。

だから自分の手について居る死骸の肉や脳味噌が麦焦しの粉と一緒になってしまうけれども
平気で食って居る。どうも驚かざるを得ないです。あまり遣り方が残酷でもあり不潔ですから
「そんな不潔な事をせずに手を一度(いっぺん)洗ったらどうか」と私がいいましたら
「そんな気の弱いことで坊主の役目が勤まるものか」とこういう挨拶。で「実はこれがうまいのだ。
汚いなんて嫌わずにこうして食って遣れば仏も大いに悦ぶのだ」といってちっとも意に介しない。
いかにもチベットという国は昔は羅苦叉鬼(ラクシャキ)の住家で人の肉を喰った国人であって、
今の人民もその子孫であるということですが、成程羅苦叉鬼の子孫たるに愧(は)じないところの
人類であると思って実に驚いたです。
0019チベット土人は中国によるチベット近代化に感謝しろ
垢版 |
2014/11/30(日) 21:34:03.74
★中国が近代化してやる以前のチベット土人の民族性を表す諺(ことわざ)★

出典:河口慧海『チベット旅行記』(1904年)の「第三十回 人里に近づく」

けれどもその人たちは強盗本場の国から出て来たのです。その本場というのはどこかというと
カムの近所でダム・ギャショの人であるということを聞きましたから少しく懸念も起りました。
何故ならばその辺の諺にも

人殺さねば食を得ず、寺廻らねば罪消えず。人殺しつつ寺廻りつつ、人殺しつつ寺廻りつつ、進め進め

そういう諺がある国の人でなかなか女だって人を殺すこと位は羊を斬るよりも平気にして居る位の
気風でありますから容易に油断は出来ない訳です。けれどももうそこに着いた以上は虎口(ここう)に
入ったようなものですから逃げ出そうたって到底駄目だ。殺されるようなら安心してその巡礼の刀の
錆(さび)になってしまうより外はないと決心して泊りました。
0020チベット土人は中国によるチベット近代化に感謝しろ
垢版 |
2014/11/30(日) 21:34:33.35
★中国が近代化してやるまで糞尿にまみれて暮らしていたチベット土人★

出典:河口慧海『チベット旅行記』(1904年)の「第九十回 不潔の都」

けれどもかえってラサ府の市街の道の悪い事といったら仕方がない。
高低の多い所で町の真ん中に深い溝が掘ってある。

溝は大小便の溜池 その溝にはラサ婦人のすべてと旅行人のすべてが大小便を垂れ流すという
始末で、その縁には人糞(じんぷん)が行列をして居る。その臭い事といったら堪らんです。
まあ冬は臭いもそんなに酷(ひど)くはございませんけれども、夏になると実にその臭いが酷い。
それで雨でも降ると道のどろどろの上へ人糞が融けて流れるという始末ですから、
その臭さ加減とその泥の汚い事は見るから嘔吐(おうと)を催すような有様。
一体ラサというのは神の国という意味で、いわゆる仏、菩薩すなわち外護(げご)の神様の
住処(すみか)で非常に清浄な土地であるというところから神の国という意味の名を
つけられたのである。けれどもその不潔なところを見ると、確かにパンデン・アチーシャが
いわれたごとく糞喰(くそくら)い餓鬼の都としか思えない。実に不潔なものです。

私はシナの不潔をしばしば耳にしましたけれど、恐らく糞の中、糞の田圃(たんぼ)を
堂々たる都の道路として歩くようなそれほど不潔な所はあるまいだろうと思います。
もちろんラサ府には糞食い犬が沢山居りますけれども、なかなかその犬だけでは喰い切れない。
犬も糞の新しいのは悦んで喰いますけれども古いのは喰わない。
だから古い奴が沢山残って行く勘定になるのです。
0021チベット土人は中国によるチベット近代化に感謝しろ
垢版 |
2014/11/30(日) 21:35:03.11
★中国が禁止してやったチベット土人の糞尿食文化★

出典:河口慧海『チベット旅行記』(1904年)の「第八十七回 奇怪なる妙薬」

その薬といえば一つ思い出しましたがチベットには 奇々妙々の薬 がある。
その薬の本来を知った者は恐らくチベット人を除く外誰も飲むことが出来ぬだろうと思います。
それはチベット法王あるいは第二の法王というような高等なるラマ達の大便は決して棄てない。
また小便も決して棄てない。大小便共に天下の大必要物である。
その大便は乾かしていろいろな薬の粉を混ぜて、そうして法王あるいは高等ラマの小便で
それを捏(こ)ねて丸薬に拵え、その上へ金箔(きんぱく)を塗るとかまた赤く塗るとかして
薬に用いますので、この薬にツァ・チェン・ノルプー(宝玉)という奇態な名を付けます。

それは決して売り出すのではない。なかなかそれを貰うことさえ容易に出来ません。
まずよい伝手(つて)がありお金を沢山上げてようやく貰いますので、貰ったところで
チベット人は非常な病気になったとかあるいは臨終の場合に其薬(それ)を一つ飲むのです。
それで快くなればその有難味が利いたといい、たといそれがために死んだところが、
チベット人は満足して「誠にありがたい事だ。ともかく宝玉を飲んで死んだからあの人も
定めて極楽に行かれるだろう」といって誉(ほま)れのように思って居ります。
実に奇々妙々の風俗で、チベット国民が実に汚穢(おわい)極まるということも、
こういう事によっても知り得ることが出来るのでありましょう。

しかしこういう材料で宝玉が出来て居るなどということは、一般人民はほとんど知らないので、
この薬は法王が秘密の法で拵えたごくありがたいものであるということを知って居るだけで、
その薬の真面目(しんめんもく)のいかんは法王の宮殿に出入する官吏あるいは官僧、
その外それらの人々から聞き伝えて、いわゆるチベットの事情に通じて居る人間が
知って居るというだけでございます。

おまけ:中国によって近代化された現在のチベットを見たインド人の反応
http://cruel.org/economist/tibet.html
0022名無的発言者
垢版 |
2015/02/28(土) 10:43:40.87
そういえばチャンコロ新井長清くんも人食っとったわ
0023名無的発言者
垢版 |
2015/05/25(月) 20:51:30.47
やっぱ食人の歴史があり今でも伝統が続いてる中国でしょ。
長江文明期(河ぼ渡文化{七千年前})から子孫繁栄の為に産み立ての
子供を煮込んで食うと言う風習があった。遺跡からも煮込み用の土器に
入った子供の白骨が見つかっている。他に猿も食ってたとか。
今でも長江流域を中心に煮込むほかに丸焼きにして齧り付いたり、
その肉を炒め物にしているらしい。
どうだ中華食人七千年の歴史を思い知ったかアルか!
0024名無的発言者
垢版 |
2015/05/30(土) 03:02:58.54
サルなんで余裕で食うでしょ
赤ン坊産んだ後に性器から出てきた○○○を持ち帰って食べるってのは?
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