1942年に入ると、今度は戦場に飛行機から病原体を大規模に、
すなわち作戦といった規模でまいた。
(中略)浙贛攻撃では、一万人以上の被害が出た。
(中略)コレラ患者を中心に1700人以上が死亡した。
本来であれば、これは石井たちの大成果だ。だが、犠牲者のすべては日本兵だった。
(中略)日本軍が自ら生物兵器攻撃を行った地域に誤って
踏み込んでしまった時、非常に短時間のうちに、1万人以上に
のぼる患者を出した。主にコレラ患者だった。
(中略)被害にあった日本兵は上官から、中国の生物兵器攻撃だと教えられたという。
(常石敬一『七三一部隊: 生物兵器犯罪の真実』より)