ジュゼッペ・キアラはシチリア島のパレルモ出身。シチリアは当時スペイン帝国を構成するアラゴン王国領。
対イスラムの最前線で、当然海賊に攻撃されまくっていた。連れ去られてトルコや北アフリカの国の奴隷にされたものも大勢いた。
だがシチリアはその複雑な歴史と成り立ち故、島民全員が昔ながらのキリスト教徒というわけではなかった。
スペイン帝国全臣民にキリスト教への改宗命令が出されたのは15世紀末で、
それまでは当然だがたくさんのムスリムやユダヤ人が混在する島だった。都市部の商人や職人はおそらく圧倒的に非キリスト教徒のほうが多かっただろう。
キアラが生まれたのは1602年、臣民への改宗命令から100年ほど経った頃だ。
1609年には、スペイン本土からモリスコ(隠れイスラム教徒)を追放する勅令が出され、以後5年ほどかけて
数十万人のモリスコがトルコや北アフリカに追放された(スペイン本土にさえ、それだけ大勢の隠れムスリムがいたわけだ)。その時、パレルモは追放途中の一時寄港地になっている。
そこからトルコや北アフリカに追放された者もいれば、そのまま留まった者、どうにかしてスペイン本土へ帰還した者などがいたという。
10代前半のキアラは、パレルモで確実にその光景を目にしていたことだろう。
そこにも信仰をめぐるドラマはあったはずだ。志ある物書きよ出でよ。