沈黙 サイレンス SILENCE 14 [無断転載禁止]©2ch.net
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新スレです。
スレ番はちょっと混乱したのですが、前スレのスレ番が3となっているのは、スレ建てをミスったものを再利用したことによるものと思われるので、改めて14とさせていただきました。
間違っていたらすいません。
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http://chinmoku.jp/
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◆前スレ
前々スレ : 沈黙 サイレンス SILENCE 13
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1486716655/
前スレ : 沈黙 SILENCE 3
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1460614969/ [映画.com ニュース] マーティン・スコセッシ監督とレオナルド・ディカプリオが、新作映画「ルーズベルト(原題)」で再びタッグを組むことが明らかになった。Deadlineが報じている。
同作は、第26代アメリカ大統領のセオドア・ルーズベルトが題材。副大統領を務めていたルーズベルトは、ウィリアム・マッキンリー大統領暗殺を機に、史上最年少となる42歳で大統領に就任。
巨大資本の規制と国民の福祉強化を目指す「スクエア・ディール」を提唱し、アメリカ国民から愛された大統領として知られている。
またディカプリオか。マフィアでもキリスト教でもないテーマっぽいけど、どういう話になるんだろうか アラスカに捨てられたルーズベルトが壮絶な生還して議会に復讐 カズオ・イシグロがノーベル賞→私を離さないでを見る→アンドリュー・ガーフィールドに興味を持つ→沈黙を見る人が増える・・・かも いまさら見てなんだけど、国内のサイトでも絶賛だらけなのが意外。
俺には、やっぱ砂浜に村があるとか、大名と客人が敷居挟んで座ってるとか、
バカ殿並のイッセー尾形の誇張芝居とかの
変な日本の風景が鼻についてしょうがなかった。
ロドリゴとモキチが額合わせるシーンはまさに猿の惑星だな、と感じたよ。
あと仏教僧の描写の悪意がひどい。
ベルトルッチのリトルブッタには謙虚な敬意があったが、スコセッシには単純に異教徒への侮蔑しかないな。 日本人の文脈で書かれたものを外人が映像化する無理がある >>107
それがまともな感性だと思うよ
ある程度予想してたとは言え、日本の原作使ってここまでザ・ハリウッド的な自己中映画作られると何とも言えない気分になるな スコセッシは日本の監督も大好きだし結構贔屓にしてるほうなんだがね
インファナルアフェアのリメイクがあんなんになってしまったし雰囲気の理解で止まってると思う インド・ユダヤ人の光と闇―ザビエルと異端審問・離散とカースト 単行本 - 2005/7/15
https://www.amazon.co.jp/dp/4788509547/
カスタマーレビュー
これまでの世界史の見方が一変した。
「アジアにキリスト教を広め、布教の苦難に耐え最後は中国布教を果たさず生涯を閉じた」という
「聖人」あるいは「殉教者」というイメージでのみ語られてきたザビエルが実は、
アジア(インド西岸のゴア)に異端審問を持ち込み、多数の改宗キリスト教徒(元ユダヤ教徒=マラーノ)を
火炙りの刑に追いやった張本人であるという事実に私は驚いた。
ザビエルがポルトガル王ジョアン3世に宛てた手紙は動かぬ証拠としてある。
最近、南インド(ゴアやコーチンを含め)を旅してきた者の一人として、
旅で見た光景や史跡の意味をもう一度問い直さねばならなくなった。
本書に紹介されている現在のゴア博物館の館長シロットゥカル氏の
「多くの人々の苦しみと残酷な死の原因となる非人間的な提言を行った」
というザビエル批判の言葉は従来のザビエル観だけではなく、従来の歴史の見方そのものの変更を迫るものだ。
コーチンの街で訪ねたユダヤ教会(シナゴーグ)やゴアで訪れたボンジェズ教会の周囲で、
かつてポルトガルによって何が行われたのか?シロットウカル氏が力説する
「ナチの蛮行をも凌ぐ異端審問所の犯罪行為については、もっと調査研究が行われてしかるべきである」
という提言は、歴史を学び、南インドを訪れた者にとって真正面から受け止めねばならぬものである。
聖人ザビエルのもう一つの顔
戦国時代の日本へ渡ったフランシスコ・ザビエルは、日本にキリスト教とヨーロッパ文明を伝えた聖人として尊敬されています。
日本では司馬遼太郎を始め多くの人々から高く評価されています。しかし、本書はそのザビエルの知られざる顔を明らかにしました。
それは日本に渡る前、インドのゴアで布教したザビエルは、スペイン・ポルトガルから追放されこの地に移住したユダヤ人たちを、「栄光の火で焼く」ことを提言したことです。
すなわち、ユダヤ人を火あぶりの刑で皆殺しにせよ、と言ったのです。彼の提言は実行され、多くのユダヤ人が焼き殺されました。 ・女たちの戦争と平和資料館 新宿区西早稲田2-3-18
・戦時性暴力問題連絡協議会 新宿区西早稲田2-3-18
・在日外国人の人権委員会 新宿区西早稲田2-3-18
・日本キリスト教協議会 新宿区西早稲田2-3-18
・宗教法人日本バプテスト同盟 新宿区西早稲田2-3-18
・在日韓国基督総会全国青年協議会(全協)新宿区西早稲田2-3-18
・在日韓国人問題研究所 新宿区西早稲田2-3-18
・在日本大韓基督教会 新宿区西早稲田2-3-18
・在日韓国基督総会全国青年協議会(全協) 新宿区西早稲田2-3-18
・外登法問題と取り組む全国キリスト教連 新宿区西早稲田2-3-18
・外国人学校・民族学校の制度的保障を実現するネットワーク 新宿区西早稲田2-3-18
・平和を実現するキリスト者ネット 新宿区西早稲田2-3-18
・キリスト者女性のネットワーク 新宿区西早稲田2-3-18
・移住労働者と連帯する全国ネットワーク 新宿区西早稲田2-3-18
・キリスト教アジア資料センター 新宿区西早稲田2-3-18
・難民・移住労働者問題キリスト教連絡会<難キ連> 新宿区西早稲田2-3-18
・石原やめろネットワーク 新宿区西早稲田2-3-18
・歴史歪曲を許さない!アジア連帯緊急集会事務局 新宿区西早稲田2-3-18
・国際協力NGOセンター(JANIC) 新宿区西早稲田2-3-18
・日本キリスト教海外医療協力会(JOCS) 新宿区西早稲田2-3-18
・アジアキリスト教教育基金 新宿区西早稲田2-3-18
・財団法人日本クリスチャンアカデミー 新宿区西早稲田2-3-18
・株式会社アバコクリエイティブスタジオ 新宿区西早稲田2-3-18
・河本を守る市民の会 新宿区西早稲田2-3-18
・片山やめろネットワーク 新宿区西早稲田2-3-18
・ホンダを許さない!吉本緊急集会事務局 新宿区西早稲田2-3-18
・日本基督教団 新宿区西早稲田2-3-18
646 :名無しさん@1周年:2016/12/24(土) 09:36:56.87
>>51の団体が入ってるビルの外観
http://i.imgur.com/kb0NkLP.jpg
所有は、公益財団法人早稲田奉仕園
現在の理事長は、早稲田大学前総長、同大学院教授の奥島孝康
そういえば日本死ねの審査員も全員早稲田
【審査員】
姜尚中 早稲田政経
俵万智 早稲田文学部
室井滋 早稲田社会科学部
やくみつる 早稲田商学部 236 : 名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2015/06/21(日) 11:17:56.68 ID:infJPEXd0.net
日本は脱亜入欧を唱えながらも、キリスト教になった人は今でもずいぶんと限定的だよね。
韓国は半分くらいがキリスト教だし、
中国も地下教会含めてずいぶんとキリスト教になる人が多い。
俺は神道だから今の日本の状態のままでいいとは思うが、
ずいぶん西欧化が進んだ今でもキリスト教があまりいないのはやっぱり不思議だ。
神道と仏教と複数信仰してきた歴史が、
他の宗教排して固定の宗教だけ拝めって考え方がないからなのかな
275 : 名無しさん@1周年[] 投稿日:2015/06/21(日) 11:29:20.95 ID:lWf5C3720.net
>>236
ポルトガル宣教師たちは日本の仏教僧侶とも宗教的対話を交わしているが
僧侶はきわめて素早くキリスト教の教義を理解してしまったようだね
とくに天台宗のように古今東西の宗教を研究している場合には
ネストリウス派の新バージョンだと理解するのも簡単であった
つまり宗教の教義のレベルでもむしろインド哲学を死ぬほど勉強している
仏教徒のほうが遥かに上であった
これではキリスト教よりも賢い現地宗教者が万人単位でいるわけであり
デウス様といったところで一般庶民すらなかなか入信させられない 340 : 名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/01/21(木) 05:28:05.07 ID:STMZCI5aO.net [3/7回]
>>336
日本のカトリック教会の左傾化は、ずいぶん前から言われています。
少なくとも30年前でも、かなり左傾化していたと思います。
例をあげればきりがありませんが、宗教板から一例
………………………………………………………
3: [] 2014/09/15(月) 21:43:22.03 ID:dy8ah3+s
この国会での議員質問は恐ろしい。しかし、
この国会議員の質問に対し、反論も抗議も何もしないカトリック教会は、
もっと恐ろしい。
■2014年3月19日 衆議院内閣委員会 中丸啓
http://www.youtube.com/watch?v=MBcQ4Al9PX4
「バチカン市国から指名され、日本に配属されている、
まあ、いわば司教の方々が、信者の皆さんに何と言っているか」
■中核派や革マル派が主催する活動でも、
反政府デモへの積極的参加することは信者の義務
■信者に反政府意識を持ち、反政府運動をすることは信者の義務
■宗教の言葉を引用し、日本型社会構造及び文化への批判を行い、
反対運動を取るのは信者の義務
■憲法改正は戦争を起すとの議論そのものを否定し、
また改憲反対運動を信者の義務として奨励遂行
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1410771258/3 踏み絵を踏む踏まないで二党に別れた時、
なぜだかこの映画沈黙の茂吉と宣教師を思い出した 希望の党へ行くか、絶望の泥舟諸党へ行くかの踏み絵の時ね 史上最大の悪魔・殺人鬼コロンブス、その悪魔・殺人鬼思想は現在も続いている
https://goo.gl/WZwCwM
サン・サルヴァドル島のタイノー族は異邦人を迎える時の習慣にしたがって、
コロンブスとその部下たちに贈り物を捧げ彼らを丁重にもてなした。
コロンブスがスペイン国王に送った書簡にはこう書かれている。
『これらの人々は非常に従順で、平和的であります。
陛下に誓って申し上げますが、世界中でこれほど善良な民族は見あたらないほどです。
彼らは隣人を自分と同じように愛し、その話しぶりはつねに優しく穏やかで微笑がたえ ません。
それに、彼らが裸だというのは確かですが、その態度は礼儀正しく、非のうち どころがないのです』
「私がインディアに到着するとすぐに、私が見つけた最初の島で、彼ら原住民(アラワク族インディアン)たちに、
私に差し出さなければならないものがこの品々の中にあるのかどうか教え込むために、私は力ずくで原住民の何人かを連行した。」
「彼らは武器を持たないばかりかそれを知らない。
私が彼らに刀を見せたところ、無知な彼らは刃を触って怪我をした。
彼らは鉄を全く持っていない。彼らの槍は草の茎で作られている。
彼らはいい身体つきをしており、見栄えもよく均整がとれている。
彼らは素晴らしい奴隷になるだろう。50人の男達と共に、私は彼らすべてを征服し、思うままに何でもさせることができた。」
「原住民たちは所有に関する概念が希薄であり、
彼らの持っているものを『欲しい』といえば彼らは決して『いいえ』と言わない。
逆に彼らは『みんなのものだよ』と申し出るのだ。
彼らは何を聞いてもオウム返しにするだけだ。
彼らには宗教というものがなく、たやすくキリスト教徒になれるだろう。
我々の言葉と神を教え込むために、私は原住民を6人ばかり連行した。」 鞭打たれ赤い血を流す黒檀の肌を見ても神は沈黙していた
父母を奪われ震え彷徨う小さな瞳を見ても神は沈黙していた
気高き雄叫びを上げ全滅した戦士達の骸の前でも神は沈黙していた
沈黙 沈黙 沈黙
大地に杭が打たれ人々の両足は鎖に繋がれた
波打ち際で息子の帰りをを待つ女の後ろを
殴られ踏みにじられ片足を引き摺る男の前を
僅かな日銭を泥に汚れた手で受け取る子供の横を
神の白き僕たちが笑いながら通り過ぎる
沈黙 沈黙 沈黙
人々は十字に引き裂かれ遠い異国の奴隷となった
誰も語る事はなかった 弱き者達の慟哭も静寂の海に沈んだ
そして支配者にへつらい言われるがまま自らを蔑み呪った
ただ空を舞う大鳥だけが忘れた自由の声を歌っていた
月が欠け 何千と満ち 幾万の渇いた風が呼んでも神の口は開かなかった
息子の帰りを待ち続け女は土に還った
片足が不自由な男は身動きもできない老人となった
僅かな日銭を泥のような目で受け取る男達の横で
神の白き僕たちが救済について議論していた
そして今もまだ数多の屍たちは沈黙し続けている
地を這うケモノとして生きた彼らを思い出す者もいない
地に張り付けられた十字架も 流す血に染まった鉄杭も その身を貫いた銃弾も
彼らと共に消えてしまった
遅すぎた救いと共に永遠の静寂に 埋もれてしまった
沈黙 沈黙 沈黙
ただ空を舞う大鳥だけが自由の身を高らかに謳っていた >>121
この人に限らず宗教2世って何かしらのツラい経験持ってるような気がする。
俺はクリスチャンだけど、子供には宗教教えようとは思わんもん。 つかそもそも言語によるイジメと宗教はなんの関連性もなくね 世俗主義vs宗教がもたらすのは寛容と不寛容の間に生まれる齟齬なんだな
イノウエサマの言説とは多少文脈がずれるが、この寛容さも"沼"の一面を表してる
>>121に貼ったこの子もただ単に父親とイスラムを恨むだけでなく「日本で宗教を押し付けるのはやめてほしい」と環境まで客観視できてるのは偉いと思う
博多に住んでて豚骨ラーメン食いたくなるのは権力による強制なんかでは決してなく、ただそこにあるべき姿の人情だからな 宗教ってなんなのかと言えば不条理な教義を受け入れることで思考停止をして心の安らぎを得るってこと
逆に世俗主義理性主義は条理の通りに好きに生きられるけど存在の不安死の不安を抱え続けること
世俗的だから良い寛容だから良いって話ではない
理性では心は救えない >>127
世俗主義理性主義というのも、一見条理に生きているようで、すぐにあちこちぶつかる壁に
目をつぶりながら、ごまかしごまかしって人も多いけどね
少なくとも、自分を支える物質的安心要素ががたつくと自分も信念もあっという間にがたつく
しかもその物質的安心要素も、自分が思っているほど自分や共同体の手で獲得されたものではなく
恩寵でしかなかったりする
こう考えると、宗教的人間のほうが条理に生きているともいえる
ただ目に見えない、言語化しづらい世界だけに、それを表現するとプリミティブに過ぎることがある
すべての宗教のストーリーは時代や民族を超えて受け入れられるものでもない >>128
最後の2行の意味はよく分からんけど、それ以外は非常にためになった。
日ごろ漠然と思ってたことを言語化してくれたような気がする。 >>128
>自分を支える物質的安心要素ががたつくと自分も信念もあっという間にがたつく
こういうことを論じるときにややこしいのは踏み絵が物質だという事実なんだよなあ 人間が世俗の存在である限り信仰も物質的形態をとらざるを得ないのでは
だから偶像崇拝を否定する宗派もあるわけで
宗教戦争や新興宗教の信徒獲得もその一つだろうね
神は言語化できないものだから体験することが必須
その過程でいろいろ格闘しなきゃいけなかったりする
出家したり、罪を赦されたり、自己放棄したり、座禅組んだり、世俗を捨てたり
最後には諦めたり
いろいろ面倒 キリスト教はそもそも偶像崇拝禁止なんだから踏み絵するかしないかなんてテーゼは成り立たないはずなんだがな 「偶像崇拝」って言うと「像」って文言に引っ張られて、銅像とかそういうものを崇拝することと解釈してしまうが、あんまりそういう解釈してる人は今いないんだよね。 いやー像の解釈をどうしようと踏み絵が偶像でないという結論は導けないでしょ
実際に目の前にある踏み絵を踏むときに問われるのはそれが偶像か否かではなくて、
偶像といえどすでに信仰をした自分の心を裏切れるかどうかだよ >>134
横だけど教会とか行くとこういう解説が多いで。一般的な注釈書も同様。
https://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-idolatry-modern.html
偶像を文字通り「像」のことって解すると、教会のキリスト像はどうなんだって話にもなるしな。 拷問がエグイエグイ言うから期待して見たらショボかった
海の張り付けも腕抜ける隙間ありありだしハァ?て感じ 逃げれるようにしてるのでは
逃げたら転んだってなるし しょぼいってことはないだろ
逆さづりなんか無駄をなくしてシステマティックなところが非人間的でぞっとするわ
転ぶまで延々つづく、拷問するほうは労力0に近い 小説版は踏み絵なんて形だけでいいぞ、信仰を捨てるって言えばいいだけ、心で思うのは自由だぞって感じだったよな この映画、夫婦で見たんだけど、見終わったあと映画について、神についての議論が白熱して危うくケンカになりかけたわw二人ともキリスト教徒でもないのに。
今年は映画をたくさん見た年だったけど沈黙が1番良かったな。 それは素晴らしい。本作の元ネタである聖書のヨブ記も読むと感想がまた変わるかもしれない。 >>140
議論できる相手がいて羨ましい。自分も今年見た映画の中で良かった内の一本。 元々、原作とか遠藤周作作品を中学生ぐらいの時に読んで衝撃をうけてキリスト教に改宗しようかなと考えてたりしてたんだよね(笑)今はなんとなく先祖代々の浄土真宗だけど、あらためて改宗考えてしまった。
旦那とはほんと意見合わなくてキーッとなってしまいました。
ここの皆さんは知識豊富ですごいなと思います。 アンドリュー・ガーフィールドは歴史上2回も日本に来てたんだな・・・ カトリック神父と新興プロテスタント信者やったけど 本人はユダヤ系という 早送りで見たら日本でじじいになって埋葬されとった
なんじゃそれむこうの奴に怒られるだろ 日本人はアブラハムの宗教に改宗なんか出来ないよ
生まれ育った文化・世界観から余りにもかけ離れてる
この話に出てくる日本人もキリストを菩薩になぞらえてるだけ
信仰の話であって宗教の話じゃない
スコセッシにはそういう機微は分からんかったんだろうが >>148
かけ離れてるから信仰する意味がある。
日本で宗教2世でもないのに、わざわざキリスト教にすがる人ってのは、既存の文化や世界観では人生がツラすぎて生きていけない人たちが多いだろう。
そういう人らに、「こういう世界観・生き方もありますよ」と提示するのがキリスト教。
かけ離れてるからダメなんじゃなくて、かけ離れてることが肝要。 >>149
それって改宗考えてるって書き込んだ私にはすごい刺さります。
最近葬式とか法事に関わる機会が多くて、浄土真宗の拝金主義にウンザリしてます。
子供時代も幸せな環境じゃなかったからすがるものが欲しかったんですよね。
その気持ちは今でも変わってないです。
大阪住みなので、本田哲郎さんに会いに行ってみたいです。
なんか頓珍漢なレスだったらすみません。 >>151
受け入れるかどうかは置いておいて、とりあえず触れてみるのはいいと思う。
ただクリスチャンになると世の中の消費主義・拝金主義にイライラしまくることになるのがなぁ。
友人や家族の行動や発言にもイラつくことも多いし。信仰のために愛から離れてる感はある。
その辺よう考えてな。
本田哲郎さんの本は全部持ってるし、尊敬に値する人だけど、キリスト教理解としてはちょおっと特殊。
できたら通説的な聖書注釈書を読みつつ話を聞いておいた方が良い。
俺はほとんど内村鑑三の書籍で勉強しました。
それとキリスト教も教会によっちゃあ拝金主義的なところもあるので、あんまり期待しすぎないようにな〜 「余計な金を使いたくない」という金に対する執着は、キリスト教が忌み嫌うところの守銭奴そのもの。
法事や葬式を拝金主義と感じるような人は、キリスト教に改宗しようとも同じことを感じ続けるだけ。
コミュニティに入って来られても迷惑だろう。 >>153
法事に言われたままの金額出し続けてるとといつか我が家は破産しますよ、、それぐらいの金額を坊主に払ってるんです。(正確には払っているのは祖母ですが、止めても聞かない)三回忌、七回忌といつまで続くのか。
そこは誤解されたくないです。 >>152
丁寧なレスありがとうございます。
正式にクリスチャンになるには1年以上はかかるのですね。(昨日ネットで調べました)
内村鑑三氏など勉強して考えていきたいと思います。でも夫が浄土真宗なので私がクリスチャンになると言い出したらそこの説得が大変そうです。
拝金主義、についても私もそういうところは間違いなくあるのでどうやって付き合っていくかですね。 >>154,155
あなたは、自尊心が高く僧侶に対して値切り交渉を切り出す意思もない。
本当にキリスト教にひかれているのか、親せきと縁切りしたいだけなのではないか、この辺は切り分けて考えてみることだ。 >>155
>正式にクリスチャンになるには1年以上はかかる
勉強が進んで聖書の『ローマの信徒への手紙』なんかを読むと分かりますが、クリスチャンになるには信じるだけでOKです。『沈黙』のラストでロドリゴが悟ったのはこれですね。
なので1年以上かかるってことはないです(少なくとも聖書にそういう記述はない)。
ただ具体的に「信じる」ってどういうことなの?ってのを知るためには聖書を勉強する必要があるので、それに1年以上かかるという意味では正しいかも。
>そこの説得が大変そうです
信じる”だけ”でOKなので、教会に行ったり、集まりに参加したりするのは必須の条件ではないです(内村鑑三はそれを推し進めて教会なんか行くな!と教えている)。
だから無理に旦那さんを説得する必要もないです。周囲を不安にさせるぐらいだったら黙っておいた方が良いこともあります。 経済的恩恵に惹かれて改宗したものの領民との意思疎通に齟齬をきたして没落した九州のキリシタン大名を見ているような気分。 >>156
憶測というか、妄想するのやめて下さいね。縁切りとかどこから出てくるんですか? 宗教的コミュニティに入ったなら寄進するのは当たり前の話
そうじゃなかったらどうやって存続していけるのかと
キリスト教がクリーン?
ご冗談でしょ ああやっぱり沼だ
キリスト教も日本では沼になってしまう >>157
私が読んだクリスチャンに改宗した人のブログで、勉強会に通わなければいけないみたいなことが書いてあったので1年以上かかるのかなと思ってしまいました。
でも勉強会で知識や信仰が深められるならいいなと思いました。
主人とのことですが、私が先に死んだら葬儀などの問題もあるのでやっぱり親戚はともかく主人には話さないといけないかなとおもっています。
今まで神の存在を突き詰めて考えてきたことがなかったので、私1人だとなんだか心もとないのでとりあえず教会に行ってみようと思います。
アドバイスありがとうございました。
スレチなのにすみません。 キリスト教を日本独自のグロテスクなものに仕立てあげてしまうという意味での「沼」は、現代日本だとほとんど存在しないように思う。
聖書学者にせよ牧師・神父にせよ、キリスト教圏から持ってきた文献を渉猟して自説を組み立てているから。 そーゆー意識高い系の信者は日本では少数
本音を言えば日本人はどんな宗教であれ「信仰」が向いてないように思う 昔は知らんが現在キリスト教の普及を阻んでいるのは以下の事情だろうな。
・各種新興宗教団体が起こした事件の影響で宗教全般に対する漠然とした恐怖感があること。
・信仰を受け入れる土壌がないまま素朴な科学万能主義を受け入れてしまったために、観測・検証できない神をなぜ受け入れるのかが理解できないこと。
・身近にある「宗教」が、形骸化した仏教と神道しかないために、宗教=@各種儀式を行うこと、A願いをかなえてもらうこと、というように誤解されていること。
・聖書について知りたいと思っても、体系的に学ぶにはかなりの時間と費用がかかること。
特に近年に限って言えば、宗教2世でない人でこの辺をクリアできるのは、物好きなインテリぐらいだと思うわ。 多くの日本人がキリスト教の異文化に対する差別思想や征服願望を嗅ぎ取る。
いちいち言葉にしないのはポリコレがあるから。
差別に対して鈍感な人だけがキリスト教に惹かれていくので、いつまでたってもキリスト教はコミュニティは幼稚で機能不全。 再送。
多くの日本人がキリスト教の異文化に対する差別思想や征服願望を嗅ぎ取るが、いちいち言葉にしないのはポリコレがあるから。
差別に対して鈍感な人だけがキリスト教に惹かれていくので、いつまでたってもキリスト教コミュニティは幼稚で機能不全。 葬式を仏教がおさえているから、仏教以外の宗教にはなかなかはいれない。
墓参りも仏教が基本だし。
親や祖先が極楽浄土に行くと考えると、自分だけ別の天国に行くとすると、なんか親不孝な感じになる。
自分だけキリスト教というのはむずかしい。
逆に親がキリスト教で葬式して墓もキリスト教なら仏教に行くのはむずかしいかも。 >>164
渋谷のハロウィーンはどう説明できる?
日本は今でも立派な沼だよ 大部分の日本人は後難を恐れるので不味くて二度と行かない飲食店の悪口をわざわざ言わない。
クリスチャンは面と向かってキリスト教の悪口を言ってくれる日本人を大事にすべきだろう。 日本でキリスト教徒を増やすには戦国時代のようにキリスト教同胞を優遇する経済システムの導入がよいだろう。
多神教徒をamazonから排除し、欧米の最新鋭の兵器を購入できない仕組みにすれば、多神教徒は考えを改めるだろう。 一神教は、国王をキリスト教に改宗させ思考力と権威を弱体化させたのち、革命で王制を倒してきた。
天皇とキリスト教は両立しない。どちらかが滅びなければならない。 >>174
ああ?えっとですね
かつてキリスト教のような外来物を歪に変化させた日本という沼が健在であると示す一つの根拠に現代のハロウィーンを挙げているのに
「ハロウィーンがキリスト教でない」という指摘を以て日本が沼であることを否定するに足る要因になりえないと思うんすよ そんなこといいだしたら、日本の寿司をおかしな感じにとりいれた
米国も沼だし。 >>175
「ああ?えっとですね」とか言ってる当たり自分でもわかってるんだろうが、苦しい理屈だよそりゃ。
せめてクリスマスを例に持ってくるべきだったな。 沼というのは簡単にいえばどういうこと?
文化をとりいれて自分向けに作り変えるって意味? 乾燥した中東で生まれた宗教は、日本では根を張らないという意味。
沼に定着したのは蓮の花だけ。 乾燥した国の宗教だからってのも根拠が弱い。
水分の多そうなアメリカ南部や南米にも広がっているから。 日本は、寺がすべてをしきっていたから仏教が強い。
創価学会も強い。だから、キリスト教がはいる余地がなかっただけだろう。 日本においてキリスト教受容がなぜ困難かは、色々仮説は立てられるが検証は困難。
遠藤周作はこのために、抽象的な「沼」という表現を用いたのだろう。
だから「沼」が何かってのは「簡単にい」うことが出来ない。 キリスト教が日本に広まらない最大の理由は、キリスト教の教義に織り込まれた偽善や悪意を見抜く日本人の能力が高いからに他ならない。
日本人がもっと愚かにならなければキリスト教を広めることは難しい。 >>177
どっちにせよ「日本が沼じゃない」とは言えないってことになるだろ 沼のさしている意味がはっきりしないからなんともいえない。 沼というのは別にキリスト教「だけ」が根づきにくいという意味ではないだろ
ちょっと仏教かじった人なら仏教だって決して日本に根付いてるとは言えないとわかるはず そもそも根付くこと自体そんなにイイことなのか?って疑問もある
アブラハムの宗教だって元々は単なる一氏族が神と契約して「オラ達だけを守ってくだせえ」って話だからな
土地や民族と結び付いてしまえば普遍性は失われる
当然日本だけの話ではないが 沼というのは、キリスト教も仏教もなにも根付かないってこと? 宗教(特にキリスト教・イスラム教)が根付かないことのデメリットは、経済力・容姿・能力・配偶者の美醜が絶対のこの国で、うまく生きていけない人たちの受け皿が無いことだろうな。
たとえば低学歴で非正規雇用でこき使われてる奴が幸せになれる方途がこの国には非常に少ない。
強いて言うなら創価学会か幸福の科学がこの受け皿に当たるんだろうが、欧米におけるキリスト教のように広く受け入れられるものではないからな。 寺はいっぱいあるが、僧侶はなにしてんだ?
寺はまったく受け皿になってない。
葬式しかしてない。
寺が受け皿になるにはなにをしたらいいのか? 寺にそういう機能を求めるのは無理だろうね〜。
近くの寺に行って「学歴もないし女にもモテないし将来に希望がありません。どうしたらいいですか?」と聞いて、経典に基づいてきちんと答えられる住職がどれだけ居るか。
仏教に救いを求めるなら自分で勉強して実践するしかないだろうね。 それは僧侶でなくても答えられる。煩悩があるからだめ。この世は夢のようなもの。なにも考えず念仏をとなえなさい。 すべてを阿弥陀仏にまかせ、まずへたに努力するのをやめましょう。
女になんかもてても、もてなくてもどうでもいいことです。 現世利益を求める限りは
如何なる宗教でも それは「沼」 現世利益を求めると沼?
沼の意味がまた変わってない?
沼とはなんのこと? 何なんやろね沼って
俺はキリスト教に関する知識も無くてこれも映画から入ったんだけど、
やっぱり日本人て生得的にプラグマティストなんじゃないか?と思ったよ
役に立つことこそが善いことで、実生活に関わりの無い、知っても役に立たない、考えても仕方のないことは考えないっていう傾向が強いんじゃないかと
そりゃあ自分の力でどうにもならない、本当にどうしようもないときに何かに帰依する気持ちは芽生えるんだろうけど、
実際生きてるうちに考えてどうにかなることってのは多いわけだから、だったらそっちを考えることに時間と労力を費やした方がいいよねっていう 沼とかいうのは、遠藤周作がかってにいいだしただけのこと。
寺にお参りして願い事をたのむ人は無数にいる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています