改めてよく観ていて、春樹と桜良はシンメトリーなんだなと分かりました。
ホテルで2人で寝る場面も春樹が起きている描写、桜良も寝ていなかった描写が描かれてます。
で、なによりのシンメトリーは、桜良がスイパラの春樹に会いに走って行くところ、校庭ぎわ、
12年後の春樹は同じ道を走って式場に向かいます。この結果は、真逆でしたが。

そこで、2人のメッセージ、君の膵臓をたべたいを考えます。これもシンメトリーで2人は同じ
言葉を口にします。これは恋愛とは違う2人の互いへの想いが共通であることを示すこの映画の主題です。
しかし、桜良にとっての君の膵臓をたべたい、は「私、生きたい」です。
一方、春樹にとっての君の膵臓をたべたいは、「君を自分の中で生き続けさせたい」です。

原作と映画の大きな違いは12年後です。
12年後、春樹は桜良の想いを叶えます。桜良が乗り移ったかのように、退職届を破り、「私の分も
生きて」のままに生きます。なにより、あの道を通り、桜良がたどり着けなかったゴールに
たどり着き、桜良の親友にメッセージを伝えます。
これはまさに桜良が春樹の中で生き続ける、つまり春樹の君の膵臓をたべたい、「君を自分の
中で生き続けさせたい」は届いているというメッセージなのかと自分は理解しました。

そのシーンの有無など、原作者へのリスペクトが言われるところもあるようです。
しかし、原作者が大事にしているあの小説を様々な場面で登場させるなど、この映画からは
リスペクトを、強いリスペクトを感じました。

むしろ、監督が目指したという濃縮、夜間の病院でのハグ、あれは原作の桜良の春樹への
想いを短いシーンに見事に濃縮していると思います。春樹が抱き返せないところも素敵でした。

この読みはあまりに当たり前なのかも知れません。ただ、5回目でようやくこれにたどり着き、
この作品のできを改めて認識しました。上映を続けてくださるお台場の方、またこの作品に
関わった、すべての方、ありがとうございます。