>>935
Kは自分自身がレプリだという認識はすでにしてますよ。
それは映画を見てる鑑賞者にも示してます。

前作の場合は、レイチェルが自分がレプリだと気づいてないことにショックを受けるデッカードだが
デッカードもまた、レイチェルから「じゃあなたは検査受けたことがあるの?」と言われ返す言葉がなくなり
ユニコーンの折り紙で、自分の記憶は知るはずがないガフに知られてるとわかった時に
自分はレプリだと気づくようになってる。
鑑賞してる者まで、「じゃあ、あなたは本当に人間だと言い切れる?」と問いかけられてるかのようにね。

ところが2049では、木馬の記憶から自分がレプリから産まれた奇跡なんじゃないかという思いがあっただけですわ。
でもその夢が、希望を持たせるために植え付けられたものだとわかり…って話でしょ?
レプリなのかどうかっていうあいまいさはなくなっていて、人間かレプリカはどうでもよくなり
もはや子供を作れるかどうかにもテーマは発展してるというか、話が退化してるというか
その判断で、見る人の今作の評価が分かれそうだということ。