なぜブレードランナー2049はオリジナルに及ばなかったのか
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一番の売りだった映像・音楽・デザインで退化してるから ラスト死ぬとこの音楽はちょっとコント的に感じてしまった
極端に言えばマリオの死亡音楽が流れるのと同じ
ロイのがかっこよすぎたからかな? ひたすら眠い
全然盛り上がらない
謎を解いてもで?って位
話に感情移入出来ない
こんな事じゃないですかね
もっと短くまとめる、人物の内面を出す(長回しで撮るんじゃなくて)
話全体の矛盾を減らす等すれば、もうちょっとマジだったと思う ブレードランナーってスタイリッシュな様式美から一番遠い、ごった煮、ヤミナベの美意識が斬新だったのに、
そこ全然踏襲せずに画面を整理してきた。あれじゃダメ。ブレードランナーじゃない。 ビルヌーブの演出は悪くなかったと思う
脚本にカタルシスが殆ど感じられなかった
のが良くなかったです >>130
>リドリーの「デッカードはレプリカントだ」なんてのはリドリーが耄碌して撮影当時の事を忘れて勘違いしているだけだろ。
違う!ハリソンフォードも言っているが、「リドリー・スコットは撮影中、デッカードがレプリカントなのを観客にどう分からせようかと考えてた」
つまり、撮影時からデッカードはレプリカントであって、リドリースコットが撮影当時の事を忘れて勘違いしているのでもなければ
映画公開後の後付けでもないということだな。 >>144
2019撮影直後、或いは撮影終盤から耄碌しちまった
とはかんがえたくはないなあ >>144
>違う!ハリソンフォードも言っているが、「リドリー・スコットは撮影中、デッカードがレプリカントなのを観客にどう分からせようかと考えてた」
え?そんなのどこに書いてあったの?ソースを提示してくれるとありがたいが
どう考えても2019のフィルムを観ただけではデッカードがレプリカントには思えないんだが。
まぁそのフィルムが4種とか5種有るから話が更にややこしいんだが、当時の劇場公開版で考えたらデッカードがレプリカントで有るなんて根拠はフィルムから一切見つけられないけどな。
リドリー・スコットがデッカードをレプリカントとして描写したかったのなら、何故そんな物語の最重要とも言える要素をスニーク・プレビュー版や
公開版に入れ無かったのか、デッカードはレプリカント派の人は説明出来るのかね?
俺は、リドリーがデッカードがレプリカントってアイデアは持っていたかも知れんが「いやそれはやっぱ変だよな」と思ったからデッカードは人間として劇場公開版を作ったのだと思う。
デッカード・レプリカント説を補強するのは劇場公開版の10年後のディレクターズ・カットの「森の中のユニコーン」の挿入になるが、
フッテージを撮影しておきながらスニーク・プレビュー版にも劇場公開版にも入って無いってことはリドリーはデッカードをレプリカントとして表現してないからとしか言いようが無い。 >>146
メイキング本を読め
メイキング本を読まないのなら、せめてここを見てごらん
↓
ブレードランナーFAQ
http://www.st.rim.or.jp/~kimu/br/bladerunner-faq-j.txt
>リドリー・スコットとハリソン・フォードは、デッカードをレプリカントに
>することになっていたと語っている。 Details Magazine (米国) 1992 年
>9 月号においてデッカード役ハリソン・フォードは語る:
> 『ブレードランナーは気に入っている映画じゃないんだ。リドリーともめたからね。
>最大の問題はその結末なんだ。彼は観客にデッカードはレプリカントだと発見させたがった。』 >>146
ブレードランナーFAQより転載すると
>"The Blade Cuts", Starburst (英国) 1982 年 11 月 51 号
>スコット:・・・君はユニコーンが登場するバージョン[の脚本]を読んだかね?
>マッケンジー:いいえ・・・
>ス:ユニコーンのアイディアは、すごいアイディアだと思うね・・・
>マ:デッカード自身がレプリカントだと、明かに推測できると。
>ス:その通り。それは私にとっては、全く論理的なことなんだ。ことに、フィ
>ルム・ノワールでやるのなら、そのテーマに徹底的にこだわるべきだ。
>それだと、主人公の追っている人物が、実は自分自身だったなんてことがありうるのさ・・・
>マ:森の中のユニコーンのシーンは、実際に撮影したのですか?
>ス:絶対にね。そのシーンを映画に入れたら、素晴らしい効果をあげたと思う。
>デッカードは椅子に座っていて、酔っ払っているので、下手なピアノを弾くんだ。
>ピアノに熱中してきたところで、意識がちょっと脇道に逸れて、ユニコーンが森の中から飛び出してくるショットが入る。
>それは気づかない程ではないが、さりげないショットなんだ。
>デッカードにカットが戻ると、そのことに全くなんの反応も示さないで、ただ、そのシーンを続ける。
>ここで、ガフというキャラクターが折り紙で表現した全てのアイディアが揃う。
>チキン、小さな棒人形。だからユニコーンの折り紙は、ガフがそこにいたことを物語っている。
>映画における一つの層では、個人的な思考と記憶について語っているが、では、ガフはどうやってデッカードの個人的
>な思考でのユニコーンについて知り得たのか?それがデッカードがこんなふうに頭を振った理由なんだ。
ここで肝心なのは最初に劇場公開した1982年にすでに雑誌のインタビューで
リドリースコットは、デッカードをレプリカントとしてユニコーンの映像も撮ったと発言していることだ! >>146
>「いやそれはやっぱ変だよな」と思ったからデッカードは人間として劇場公開版を作ったのだと思う。
違う!
リドリースコットは当時まだハリウッドではエイリアン一本がヒットしただけの新人監督で
権限を持っていなかった。
カメラも自分でのぞき、美術にも自分で手を加える英国流の撮影をしたがるリドリースコットに対し
ハリウッドではギルド(組合)があって、スタッフの仕事の権利を奪われないように
カメラを監督に覗かせない!美術等にも監督は手を加えない!という決まりがある
その撮影の仕方でリドリースコットと一部のスタッフがもめて
ブレードランナーに出資した製作者も、リドリースコットに難解にするな!とクレームを入れた
新人監督で権限がなかったリドリースコットにしてみれば、お蔵になるよりはと
別の映画「シャイニング」のバンクフィルムまで使ってラストを明るい終わりかたにせざるをえなかったり妥協したものを完成させたまで。 >>146
「どう考えても〜」とか「〜と思う」とかいう前に
せめてポール・M.サモンが書いた「メイキングオブブレードランナー」や
特典映像ディスクくらい目を通してから書き込んでほしい リドスコに関してはそうだと思う
ただ名声を勝ち得た現在に至ってもファイナルカットや2049でデッカードがレプリカントであると決定的に分かるシーンを挟むことは出来なかった
つまり、現在でもどっちか分からないというのが正解 >>151
リドリースコット「デッカードはユニコーンの白日夢を見る。
それは誰にも話していない。
だがガフはユニコーンの折り紙を置き、お前の見る夢を俺は知ってるぞ!
お前の記憶は移植されたものなのだと伝えた。
ユニコーンの折り紙を見て、デッカードも大きく頷いた。
ここまで言っても、デッカードが何者なのか、まだわからない奴は馬鹿だ」 まだわからないとする、頭の悪い>>151が馬鹿なのであろう >>152
リドスコに関しては同意してんのに、リドスコのことをまた書き込むのはバカだからか いや、リドリースコットだけじゃなくガフ役のエドワード・ジェームズ・オルモスも
「デッカードはレプリカントだよ。ガフがユニコーンの折り紙を置くあの意味は
デッカードの記憶は移植されたものでガフはそれを知ってるということ。
つまりはデッカードは記憶を移植されたレプリカントだということ」と答えてる >>154
早く気付いたほうがいい。君が馬鹿なことに。
リドスコと言ってるいつものアンチだろうけどさ >>155
役者は基本的に監督の指示どおりに演技する訳だから、その回答には意味がない
監督にもの申せるのはハリソンほどのメジャーな俳優だけ >役者は基本的に監督の指示どおりに演技する訳だから、その回答には意味がない
役者ハリソンフォードにも監督の意図を曲げる権利はない! ハリソンフォードがブレードランナー2049に出演できた経緯を
2049を監督したドゥニ・ヴィルヌーヴはこうインタビューで答えた
「フォードはリドリースコットをすべて受け入れたから出演できた」 ハリソンの演技は頑固親父っぽくなって、より人間的だったけどねw
すまんが今から仕事だから落ちるわ
たまには違うこと書いて、みんなを唸らせてみ 人間的なのが人間とは限らん
ブレードランナ〜の劇中ではロイもレイチェルも人間よりも人間的だったから 人間的なレプリが自我をもって生きることを模索する物語で
人間的だったから人間としか見れないなら、それは馬鹿でしかない >>1623
君は、毎回、バカ丸出しか、精神障害であろうな
それでよく他の映画が楽しめるな、かわいそうに レプリカントなのに人間的なバッティとの対比構造としてレプリカントを冷酷に追い詰める人間でブレードランナーのデッカードっていう存在が有る方がストーリーとしては収まり良いけどね
だからデッカード人間説を唱える人は多い
映画として見ても人間と人間じゃない者との間に本物の愛が成立する方がSF濃度高い気がするし
2049なんかAIとレプリカントの間で愛情としか思えない感情が交わされる事に感動するわけで
デッカードは人間だった方が深みが増す シャイニングの映像のラストに気づかず、緑が広がる良いエンディングだと勘違いしたのと同様に
酸性雨が降りしきり動植物が絶滅しかけている世界観でオフワールドへ出ようと宣伝している街の郊外に、なぜか緑豊かな自然が広がってるのを変だな、おかしいと思わないで見てたやつには
デッカードが人間だとしか見れず映画の本質を勘違いしてるだけだよ あと、真相というのは多数決ではないから!
百人のうち99人がAを選らび、Bだと答えた人がたったひとりだったとしても
正解がBならば、それが真相なのだ >>170
それもユニコーンのイメージをガフとデッカードが共有してる事しか無いわけだろう?
デッカード=レプリカントの提示としては若干弱いな
匂わせ程度で明示じゃないね
バッティと同じようなスーパーマンっぷりを戦闘中に見せるとかしないと明示にはならないね
極々曖昧に処理されてる物をサモンのアンチョコに書いてあったからと言って丸々信じて考えるのを止めると言うのも思考停止でつまらないなぁ
シャイニングのOPのフッテージを借りた事に関しては当時から無理矢理くっ付けた事は有名だったから、みんなおかしいと思ってるだろ >>162
>人間的なレプリが自我をもって生きることを模索する物語
頑固親父云々は冗談だがそれも分からんとはw
それはさておき、これまでさんざん服従プログラムだの恋愛プログラムだの言って、つい先日もラストの二人の逃避行の理由を愛情ではなくデッカードの身バレだからと言った御仁が、よくもまぁ、こんなことが言えるねw
デッカードの人間性を一番否定してたの、お前だろうがw なるほど、そういうことか
人間っぽいレプリカント的な人間らしさのあるレプリカント調の人間風なレプリカント仕様の人間という事だね
とういう事で、この不毛で中身のない議論に終止符を打ち映画の話をしてはどうかな >>171
>バッティと同じようなスーパーマンっぷりを戦闘中に見せるとかしないと
おまえは、別のわかりやすいアクション映画でも見たほうがいいんじゃないかい? ブレードランナーを監督し、2049では全権を持つ製作総指揮になったリドリー・スコットが
「デッカードはレプリカントだ」という以上は、デッカードはレプリカントで間違いない!
いつまで「ちがう!人間だ!人間だ!」と泣きわめいてるのか、低能なガキかよw 脚本構成上の可能性も考えないで リドリースコットの現場の思い付きを棍棒として振り回すとはね(苦笑)
無印でも2049でも描写としてはバッティやKとの対比でわざわざデッカードはレプリカントじゃない描写をされてるよ
それに原作のフィリップKディックの作風は自分と他者との立場やアイデンティティが揺らぐような作品が多いしアンドロイドは電気羊の夢を見るのかもそういった描写が有る
これは追う者も追われる者も同じアンドロイドだと成立しないんだよね
根本的に違う属性だった者がどっちがどっちか分からなくなるのが肝の作風だから ウォレスは、レプリを何体作っても作った分が朽ちればレプリの数はそれで終わってしまうので
レプリだけで子作りできて産んで増える作り方を探してたが
デッカードが、ウォレスが探してた子供を作れるレプリじゃないと
ウォレスがデッカードをオフワールドに連れて行って調べようとする展開が
そもそも成り立たないのですよw >>177
そうだとするとわざわざ遺伝子設計したレプリカントから産み出される子供のレプリカントは男性側因子を受け継ぐんですか?
自然のガラガラポンに委ねるの?
男性側を調査するのは無駄じゃ無いかな?
出産の機能が集中してるのは明らかに女性側だし産み出すレプリカントは単為生殖で増殖した方が狙った性能が出しやすいよ
あとデッカードをレプリカントにする事で失ってしまう脚本の要素を考えるとデッカードレプリカント説ってあんまり良い事無いよね
そもそもレプリカントを調査するのに生産設備が整った地球上じゃなくてオフワールドに向かうと言うのがよく分からないね >男性側を調査するのは無駄じゃ無いかな?
レイチェルはもうすでに亡くなてって
クローンを作っても過ぎ撃ち殺したところを見ると
レイチェルの骨からは子供を作れる製造法は再生できなかったようだし
残った男性レプリ体であるデッカードを調べるしか残されてないわけだ。
仮に、子供の行方を探そうと「生まれた子供はどこだ?」と尋問するなら
デッカードをわざわざオフワールドまで連れていく必要はないわけで。 >生産設備が整った地球上じゃなくて
そんな設定どこに出てきた?
ブレードランナーの世界観からしても
環境汚染で自然の木すらレアな存在で地球上は住みにくくなっていて
「オフワ−ルドへ出よう」と宣伝してた前作よりさらに進んだ時代で
地球上よりオフワールドのほうが施設は充実してるんじゃないか? で、話を元に戻すと、仮にデッカードが人間だったら
ウォレスは、デッカードを子供を作れるレプリだと思い込んで空回りして行動してるだけの実に間抜けなコメディになってしまいかねない
それはさすがにないだろうから、デッカードが人間だという展開だととても変で
デッカードが、ウォレスが探してた子供を作れるレプリじゃないと
2049の展開がああは成り立たない >>180
生産されてたじゃないか?
あのプロトタイプは地球上で生産されてないのに何であのビニールから落っことされたの?
そもそもチュウの眼球も地球上で作ってたしな
地球でパーツ単位で生産してるのに何でレプリカントは生殖で再生産できる設定を新設したのかわからんけど
2049がそういう設定だから認めろって言う話しなら
リドリースコットセンス無いなって話で納得しても良いけどね >>182
ならば、いったいなんのためにオフワールドへ連れて行こうとしたかを説明できますか?
デッカードが「どこへ連れて行くんだ?」と聞くとラヴは「ホーム(故郷)」と答えた
オフワールドの研究室(レプリの故郷)に連れて行って、デッカードの体を調べつくし
子供を作れるレプリの製造法を見つけるためだとしか思えないが? ちなみに製造所と、研究所は違うから
レプリを研究する専門の金持ち連中はとっくに地球を出てオフワールドに向かったからと考えるのは? >>183
>ならば、いったいなんのためにオフワールドへ連れて行こうとしたかを説明できますか?
2049におけるリドリースコットの暴走が故
それ以上の合理的な説明はできないんじゃない?
デッカードをレプリカントにしても脚本上のプラスは何も無いもん
>>184
ウォレスは地球上にいてプロトタイプは地球上で作ってるけど研究施設はオフワールドにあるの?
逆じゃない? 純粋な製造施設は消費地に近いオフワールドでやれば良いけど開発は地球上なら劇中描写を納得しやすいね
ていうか君はリドリースコットが改変した脚本をこじつけようとするのに懸命だね
別にスクリプトのミスならミスで良いんだよ
どうせ完全無欠な映画では無いんだし 一つ言えることは、デッカードがもし人間だとしたら
話の展開がどう考えても矛盾してるということ。
デッカードが子供を作れる唯一残ったレプリカントなら
ウォレスがデッカードをオフワールドに連行しようとする展開に合点がいく。 あとオフワールドの環境は良いという描写も特に無いよね?
オフワールドには呼吸可能な大気が有るとも限らないし地球と同じ重力とも限らない
そもそも2019でバッティは“俺が見た物をお前に見せてやりたい”と言ってたくらいの地獄だけど? >>185
>ていうか君はリドリースコットが改変した脚本をこじつけようとするのに懸命だね
それは逆でしょ
君がリドリースコットを否定して
デッカードをレプリカントじゃないようにしようと必死に理屈をこねることに懸命なだけ
何度も言うが
デッカードがもし人間だとしたら 話の展開がどう考えても矛盾してる。
デッカードが子供を作れる唯一残ったレプリカントなら
ウォレスがデッカードをオフワールドに連行しようとする展開に合点がいく。
それを君は捻じ曲げたい解釈をしたいだけだろ。 >>186
>デッカードが子供を作れる唯一残ったレプリカントなら
>ウォレスがデッカードをオフワールドに連行しようとする展開に合点がいく。
それしか必然性が無いからリドリースコットのミスだと言ってるんだけどね
デッカードをレプリカントにしても得るものが何も無い
ああつまんない話にしちゃったなっていう程度 >>187
>オフワールドには呼吸可能な大気が有るとも限らないし地球と同じ重力とも限らない
それこそが君のこじつけ妄想
前作でも飛行船が「オフワールドへ出よう」と言ってたではないか!
動植物が絶雌しかかってる地球よりオフワールドが住みにくい場所ならそうはならない。
基本設定を全くわかってないよキミ >それしか必然性が無いから
繰り返しになるが、デッカードが人間であるほうが、よっぽど
展開に必然性が取れないことのほうに目を向けるべき
デッカードがレプリカントなのを、どうしても否定したいだけの君に
どんな必然性も、どんな確証を突き付けても、どうせ一生受け入れないのだろうけどさw
もっとちゃんと映画を見て何がつじつまが合うかを考えろ!とだけ言っておく >>188
>デッカードがもし人間だとしたら 話の展開がどう考えても矛盾してる。
で、その細かい展開の矛盾が無くなると何か良いことが有るかって言うと何も無いでしょ?
デッカードがレプリカントだと何か良いこと有る?
スクリプトの矛盾点をこじ付けた結果ストーリーとしての感動的なテーマやポイントが無くなってしまいました でもそれが監督の意思だから良いんだって話しだよね? >>190
開拓団に人を送り出す時には新天地は楽園だと喧伝するんだよ
満洲開拓とか移住先にそんな楽園が待ってたと思うかい?
実際に開拓にはレプリカントという奴隷を必要としてたという事実を忘れているね >>191
>デッカードがレプリカントなのを、どうしても否定したいだけの君に
コレが1番の誤解の元だな
僕はデッカードがレプリカントでも全然平気だよ
ただレプリカントだとすると前作がぶち壊しだということ
故にこのリドリースコットのアイデアはあんまり良いアイデアとは思わないしストーリー上何も良いことが無いって事が言いたい
君は2049のストーリーの矛盾点が無くなれば納得するんだろうけど リドリースコットが悪い!リドリースコットの勘違いだ!
リドリースコットのミスだ!と何年も何年も叫び続けるなら
そもそももうそういうアンチは、リドリースコットが作った映画のスレから去ったほうがいいんじゃないか? >>194
リドリースコットの映画じゃなく、君に会った他のわかりやすい映画を見たほうがいいんじゃないか?
キミにリドリースコットが合わなかっただけだw
永遠、合わないだろうからさ リドリースコットが作った映画に対し、「リドリースコットは間違ってる!俺の見方が正しいんだ!俺の設定が正しい!」
と叫んでもしょうがないだろw
そういうのはアンチなんだよ >>195
子供かよw
監督が言ったからって全部ウンウンって受け入れて文句言うなって?
一本の映画に良いところも有れば悪いところも有る
監督だってミスをするし脚本の深みに達しない演出をしてしまう事だってある
それを指摘するのは観客の自由だよw
決まってるだろ
君は映画を見てもうちょっと考える時間を増やした方が良いな >>198
キミがリドリースコットが気に入らないなら他の映画を見ればいいだけ…ID:8wIj09oq
お前が作ったんじゃないんだから
どう考えても間違ってる言動はお前のほうだよ
早くそこに気づこうねw 観客がどう見ようがその人個人の勝手だが
それを他の観客に監督が間違ってる!!俺が正しいんだ!!!と押し付けるのは自由ではない!
その行為はアンチの荒らし行為でしかない! 大体レプリカントが赤ん坊を産むのが増産するのに効率的とか笑っちゃうなw
妊娠期間は(人間と同じなら)10カ月も女型レプリは重労働に耐えないし産まれてきたレプリの成長が終了する迄(もし人間と同じなら)15年位は重労働に使えないわけで
成人体をパーツ毎で製作して組み立てて生命コーティングした方が全然効率的なのにw >>199
君がしてるのはリドリースコット教っていう宗教
俺がやってるのは映画鑑賞
別に君に指図されるいわれは無いねw いつまでこの程度の低い議論まがいの事をやってるの?
どうでもいい部分を無理に争点化しても作品解釈が伴っていないから、思慮の浅さだけが目立つよ >>203
そう? 結構良い事言ってると思うんだけど
俺の方は >>204
だいたい>>203みたいな物言いが出てくるのは荒らしか着火マンぐらいだわ。
思慮の浅さとかご高説宣ってるが本人の高尚な作品解説きいたことねえわ(笑) >>204
いやいや実にいいこと言ってるよ。感心してる。 >>206
では自分は「異議あり!」w
話の流れから176も同じ人だと思うけど、ディックってそんな作風だっけ?
自分と他者との対比は話の呼び水であって、自分は果たして本当に自分なのかが主テーマではないかと
ロイやレイチェル、ガフ等とのやり取りがあり、ラストの折り紙をみて自分は何者か分からなくなったまま、しかし愛するレイチェルと逃避行に出る訳で
デッカードが人間だと決めつけると話が単純化して自分はつまらないなぁ
白黒はっきりするのがいいか、迷うのがいいか、いろんな見方が出来るのがこの映画のいいところ
ただ1号のロジックだけはあまりに笑えるので普段はケチつけて遊んでるw
書き逃げみたいだけど朝早いんで寝ますw >>207
ちゃんと読んでね。
204の人は決めつけてないよ。
俺も決めつけてない。 決めつけてるのは1号と呼ばれる人だけであり、他の人はディックの原作テイストも
ブレランの主テーマも尊重してると思うよ。 レプリカントが人間と同じように妊娠出産てのは、驚くと言うより白けたなぁ‥。 >>208
>>209
読み込みが浅くてすまんかった まあどうあがこうが、ブレードランナーを作ったリドリー・スコットが言うんだからデッカードはレプリカントだけどな >>207
ありがとう 頂いた異論は甘んじて受けます
多分ディックの作風についてはほぼ同じ印象を持ってると思う
過去にディックとスコットがアンドロイドとレプリカントの解釈の違いを語ったエピソードで
「アンドロイドは人間とは決定的に欠けた部分を持つ生命体 レプリカントは飛べないスーパーマン」
と語って相容れないという結論に達したというのがあったでしょ?
そのコンセプト通りに両者は作品を作ってて
原作は「アンドロイドという決定的に違う他者を描く事で人間とは何かを語る作品」で
映画は「レプリカントに芽生えた人間性を描く事で人間とは何かを語ってる作品」だと思うのですよ
アンドロイドは無神経にエンパシーボックスの正体を暴こうとするし羊を平気でビルから突き落す者
レプリカントは仲間の死を悼み他者含む生の尊さを理解する者
もう決定的に違う
だから両方の作品で対比構造で描かれたデッカードは人間である事で用意されたストーリーの効果を最大限に発揮するとは思ってるよ
もちろん劇中デッカードがどっちかわからなくなる事は凄く重要だとも思うけど
でも映画はドップリとディック的でも無いと思ってて
原作の方は偽サンフランシスコ市警とかそこで出会う刑事とか、よりディック的な展開があるけれど映画はそこまでディック的なるものに踏み込んで行かないんだよね >>212以外のスレ住人もありがとう
ブレードランナー超最高! >>216
スレチになってしまうが興味あったのでgoogleさんに聞いてみた。
「男性器」以外にも「嫌な奴」「刑事」の隠語があるそうだ。
もともとリチャードの短縮形リックがなまったらしいが、prick(突き刺す棒)と語感が似てることで
19世紀末くらいから使われているとのこと。なかなか面白い。 >>190
古くは蝦夷開拓
ブラジル移民
北のパラダイス
君みたいなのが応募して来るんだろうな 原作と映画は別物だからな
原作とまったく違う映画はいくらでもある!
『アンドロイドは電気羊の…』はディックのものだが
『ブレードランナー』はリドリー・スコットのものだから!
なので、「ディックの作風だと…」と文句いいだしても意味がない
ここは小説のスレではなく映画のスレなんだから で、一つだけ書いておくと
>>213
>過去にディックとスコットがアンドロイドとレプリカントの解釈の違いを語ったエピソードで
>「アンドロイドは人間とは決定的に欠けた部分を持つ生命体 レプリカントは飛べないスーパーマン」
>と語って相容れないという結論に達したというのがあったでしょ?
などと書き込んではいるが
DVDに記載された、亡くなる前のディックの寄稿文によると
彼が考える原作でのアンドロイドというのが人間を超越したスーパーマンのイメージだそうだがな
なので、何を参考にしたか知らんが
「アンドロイドは人間とは決定的に欠けた部分を持つ生命体 レプリカントは飛べないスーパーマン」
というのと、ディックの残した話とかなり違ってるぞ? >>219
映画のスレで原作に触れるのはおかしいなんて話は聞いたことがない
デッカードはレプリだと、同じことを延々と書き込み続ける方がよほど問題 >>221
原作に触れるのはおかしいなどといっていない!
映画と原作は別物だと言ってる
なので、原作はこうなんだから映画のキャラもこうだ!という決めつけがおかしいんだよ
それすら理解できない? まあキチガイに何を言っても理解できないのであろうけどな ちなみに原作のデッカードはブレードランナーではなく(そんな言葉は出てこない!)
サンフランシスコ警察に所属し逃亡アンドロイドを処理するバウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)で妻と暮らし
ロボットの羊を飼っている!
ロイも原作ではアンドロイドの夫婦だ!
かつてロス市警に所属し、逃亡アンドロイドを処理するブレードランナーだったという
妻もいなくなってるデッカードとは設定が違っている!
原作ではホールデンに傷を負わせたのはリオンではなくマックス・ポロコフというやつだ。
さらにネクサス6型を開発したのはタイレルではなく、ローゼン協会のローゼンというやつだ!レイチェルはローゼンの姪!
本物だと思ったカエルがロボットだったという小知!
こうやって少し挙げるだけでも映画と原作ではかなり違うわけだから
原作はこうなんだから映画もそうだ!という主張は成り立たない! さらに言うと2049は完全にディックの原作を離れている
「ディックが書いたキャラクターはこうなんだから、映画の中でもこうなんだ!」と
映画をその原作の概念に押しやることは、明らかにおかしいわけだ
だから理解度のない偏屈な奴のために、もう一度いっておく!
""映画と原作は別物である!"" >>225
外からスマホで
面倒だからお前の連投読んでないが、じゃあ俺ももう一度言っておく
デッカードはレプリだと、同じことを延々と書き込み続ける方がよほど問題 やはりキチガイに何を言っても理解できなかったようである まったくそういうことを話してるのではないのに
キチガイは「デッカードはレプリだと書き込み続けるのが問題 」
「デッカードはレプリだと書き込み続けるのが問題 」
と関係のないことを繰り返すだけのキチガイだった。 セリフではっきりと俺はレプリカントだ!とデッカードがいわない限りはどうやったって解釈に幅は生まれてしまうよね
これは監督の意図とは関係なく映像作品の宿命
映画はあえて片方の解釈にすることを避けている以上このブレは確信犯とも言えると思う
監督がこう言ってるからそうなんだというの子供の理屈で、映画は観客が受け取った時点で観客のものだと押井守も言ってるがその通りだと思う
つまり監督の意図は関係ないし、意図通りに映像がブレなく定着してるわけでもない
自分はデッカードが人間であることに意味があると思ってる ""映画と原作は別物である!""
じっさいに、ブレードランナ〜とアンドロイドは電気羊の夢を見るか?ではかなり設定も違っていて
なので原作でこうだから映画でもこうだ!と出張してもそれは意味がない
という当たり前のことを書いて説明してやっても
キチガイは「デッカードはレプリだと書き込み続けるのが問題 」 と話をすりかえる始末
理解力の欠けたキチガイには困ったものだ >>230
ところでさ
おまえThe sixth sence見たことある?
落ち知ってる? 関係のあることを一つだけ書いて終わる
ブレードランナーの最初に公開された劇場版にも付け加えられたシャイニング!
スティーブン・キングが書いたシャイニングとスタンリー・キューブリックが映画化したシャイニングではかなりの違いがある
シャイニングを例にとっても、キューブリックが映画化したシャイニングは親子のオチも含め
庭園の迷路にしても、シャイニングという意味合いでも、原作とは別物だった
キングはこう書いたんだから映画での、これはこうだ!!とかいうのもかなりナンセンスになってくる
ブレードランナーでも、ディックはアンドロイドは電気羊の夢を見るかでこう書いたんだから
映画でもこうなんだ!!という主張はあまり意味がないと言ってる
映画にデッカードの嫁が出てこないことを説明してみろ、できないだろ?
ブレードランナーは原作者ディックに手を離れてリドリー・スコットの作ったものなので
リドリー・スコットの意図が反映されたものである
それがわからんか? >>225
俺ディックの原作はこうだから映画のデッカードが人間だなんて書いてないよw
掲示板に同じ事を書き込む情熱で何度も映画と原作を読み込んで考えれば良いのに ディックが書いたキャラクターはこうなんだから、映画の中でもこうなんだ!と
映画をその原作の概念に押しやることは、明らかにおかしいわけだ
と書き込むと
どこにもレプリか人間かとは、言ってないのに、なぜ
デッカードが人間だなんて書いてないよ、という反論になるんだ? 映画と原作は別物なので、原作はこうなんだから映画もこうだ!というのは違う!
とだけ言ってる、
なんでもかんでも人間説レプリ説に絡めることしか能がない奴はどうかしてるw こいつ、前の隔離スレて「僕はいろんな映画に造詣が深いが、2001年宇宙の旅でモノリスは宇宙人が作ったものだと作中語られていない!キューブリックの意図でそうなんだ」
と意気揚々ぶちあげて間違い指摘されて黙っちゃった経緯から全く信用してない。自分の妄想を勝手に事実として紹介するから要じゃなけて特に注意が必要。 >>236
映画は原作から相当改変されているのはそのとおり
ブレードランナーという用語も他からの借り物だ
しかしそれにも関わらず、映画の製作者全てが電気羊が原作だと、なんで言うのか
試写を観たディックは喜んだが、それはなぜか
ちょっとは考えろ、バカ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています