アートでいうなら。
たしかにあまりに先を行きすぎてて作者が生きてるうちに理解されないということはありえる。
それはたけしの映画もそうだった。
しかし19世紀のゴッホとは違い、今は作者側にも説明の場は沢山あるわな?たけしも自著やテレビで自分の映画の作風のことは言ってきた。
そりゃ作者側がみなまで言いたくないこともあるだろう。それは当人の文章力の問題であり、言いたくないことには触れず、伝えたいことを伝えられるかどうかは当人次第。
たけしはそれができたし「賞なんかで認められるつもりはない」と言うかと思いきや、賞を取ったのもたけしの能力のIバリエーションなんだよな。ベネチアグランプリの時は明らかに賞狙いをやってた。取ろうとすれば取れちゃう凄さだよな。

つまりこういった環境の中で、まったく認められない映画を出し続けて「アートやから世間にはわからない」なんて言い訳が通用しますかね?wwww