AKファン専用 「フォルトゥナの瞳」
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原作の視点は木山慎一郎にある
脚本の視点は桐生葵にある あらためて本郷奏多を見てこいつ何なんだと思う
こいつが物理学者かなんかになっていたら間違いなくヘーベル賞を受賞すると思わせる何かを感じる 桐生葵は静岡県の山間にある村に生まれ高校を出た18歳で上京し6年たった今24歳になっていた
桐生葵は高校二年の夏同級生のM君とみかん山の急斜面に立つ物置小屋で初めての経験をした みかん山はM君の家の山で
三男坊のM君は大学に入るため東京に出てきていたけど高校卒業まで仲良しだった葵とは疎遠になっていた 葵の友達のT子もM君と同じ大学に入ったのでごく自然に二人は付き合うようになっていた
T子の家もM君の家と同様みかん山を持っていたので余裕があったけど葵の家はみかん山は無く僅かな田畑しかなかったので貧しかった 中学を出たら就職して家を助けたいとおもっていたら
父親が東京に出稼ぎに出て葵を高校に行かせてくれたのだった 駿也と修平の実家に行った翌朝の晶どう考えてもおかしい M君とのことを時々思い出す葵
M君とは高校卒業までところかまわず数え切れないくらいやった
教室でやったこともあった さすがに教室でやったときは1分で終わらせた M君はやるとき避妊具は一度も付けなかったし葵も要求したこと一度もなかった
M君の子供なら出来てもいいと葵は思っていたしM君も葵との子供なら欲しいなと思っていたから
高校生であることは関係ないしそんな時にはできないものだ しかし二人は高校卒業と同時にもういいだろうと二人共思い関係を卒業した
新たな相手を求め新たな関係を求め新たな刺激を求め 人のいいM君は葵との関係が終わるのを待っていたT子にあっさり捕まり付き合うようになった
でもM君はT子とやるときは必ず避妊具をつけやっていた ひとの邪魔するしか能がないクズ
生まれてこなけれは良かったゴミ かわいそうに 葵が東京に出てきて6年
何人かの男の人と付き合ったけど長続きはしなかった 一番長い人で一ヶ月短い人は一回だけ そうそう一回だけの人は二人いたんだ なぜ続かなかったのか
やるときには常に葵にはこの人の子どもを生んでもいいという覚悟があった
そうゆう男を選んだ だが男にはそんな覚悟は誰ひとりとしてなかった さあと言う前にこそこそする男
避妊具をつけたものを挿入されても葵には苦痛しかなかったのだ M君との行為が葵の脳に麻薬のように植え込まれてしまっていたのだ
体が覚えた快感から抜け出すのはまだなんとかなるしかし脳が覚えた快感を振り払うのは至難 だから薬は怖い薬は脳を犯すから
犯された脳を手術で直すことはできない
手術で直そうとしたら脳は自ら死を選ぶから 葵が付けずにしてと言うと男は萎え逃げていく
萎えずに頑張った男もやっぱり耐えられず去っていく そんな葵の目の前に木山慎一郎が現れた
そして葵の手をチラっと見てまたチラっと見てしまいにじいっと穴のあくほど見つめた まだ木山慎一郎という名前は知らなかったけど
目の前にいる男の客の顔を上げて見た見開いた目がなんか懐かしいホッとした感じを葵に感じさせた 目を逸らした男は目の前の女が自分と同じ能力の目を持ってるとは夢にも思わなかった
そして男が最後まで知らなかったことは幸せなことだったのかどうかわからない 映画では葵も墜落した飛行機に乗っていた
葵を助けようとして助けられなかった木山慎一郎は罪悪感にさいなまれるけど
なぜ助けられなかったと思ったのかよくわからなかった 原作では火事で両親と妹を亡くしている
映画でも途中まで小さい女の子は妹とばかり思っていた
なんで飛行機事故にしたのか意図がわからないけど
奇跡的に助かったことにより二人にフォルトゥナの瞳が出現したと言いたいのかな
火事じゃあよくある話だもんね 火事の前妹の体が透けて見えたのたのを20年以上も経って思いだした慎一郎
あのとき透けて見えたとき大声を上げていればみんな死ぬことは無かったじゃあないかと後悔する 後悔ばっかしている慎一郎だけど火事の時の後悔は映画ではできないのであった まあその代わり飛行機事故の時助けられなかったことにしてきっちり後悔はしているけどね 後悔が好きなんだ 後悔することによっていろんなバランスをとっているかも
根にあるのは妹を両親を助けられたかもしれないのにという自分に対する情けなさ まあ大抵の人は自分に対する情けなさが大なり小なりある
それを誤魔化しながら生きているけどそれを仕事に転嫁できる人も希にいる 転嫁するのは仕事ばかりではない
近所迷惑なおじさんやおばさんもその口だしわけのわからんことするやつもその口だ 希に自分に対して情けなさが全くない人がいる こうゆう人が一番怖い
自分に対して疑うことがないんだから強い
口喧嘩で男が女に勝てないのはひとえにこのことによる
男は反省しながら喧嘩するのだから勝てるわけない だからつい手が出る足が出る 慎一郎と葵が喧嘩する場面は映画にも原作にもない
付き合った時間が短くて喧嘩する間も無かったと言ったらいいのかな
ふたりの痴話喧嘩なんて見てみたかったけどね 痴話 情交する男女のうちとけてする話
痴話喧嘩 男女間の情事にからんでおこる喧嘩 あなたは弱い人ねと慎一郎に言った葵
慎一郎が自分よりひとを取るかも知れないことを弱いと非難した葵
これって覚えていないけど行為した前だったか後だったか 映画でのこの場面の位置がはっきりしないし原作にこの場面があったのかどうかも覚えていないといういい加減さ
なにしろ自問自答のオンパレードでいい加減疲れた
言い訳はいいからせめて原作だけでもはっきりさせるためもう一度借りてこなくては なんか最後の方の交渉の時だったか慎一郎の体が透けて見えたとき
あなたの好きなようにしなさいって慎一郎を突き放したことを思い出して涙する葵
でもよかったのだ 葵は現実の人 慎一郎は幻の人 だったのだ そっとお腹を撫ぜた葵 幻想の人木山慎一郎の胤が確かに感じられた 自分に対して疑うことのない人っていろんなとこで見かける
そうゆう人って素直といえば素直なんだ
小さい時から目的をもって吹き込まれると麻薬のように脳みそに染み込み抜けられなくなる ある種犠牲者といえば犠牲者なんだけどそれも運命なのかな
ひとも生まれてくれば運命にあたる 犬も歩けば棒に当たる
◎何かしようとすると(出しゃばると)よく災に合うものだ
◎何かすれば、時には思わぬ幸運に出会うものだ
どちらも当たっている
運命も似たようなもの思いようであり重いようでもある まあ二人の出会いと別れは運命でもいいけどせめて一ヶ月くらい一緒に暮らし
慎一郎は24歳の葵の甘美な体を一生分味わい
葵は慎一郎の手練の愛撫を一生の思い出として体を震わせるくらいな場面があってももよかったのに この間の演出は壇蜜さんにぜひ
どうも三木監督はこうゆう場面は苦手なようだし
壇蜜さんは撮られるのはむろん上手いけど撮るのはもっと上手いから 思うに運命をテーマにしている物語だけど
慎一郎むが何かに例えば宗教とかにすがるということは全くないんだ
しゅうきょうのしのじもでてこないんだ 葵が慎一郎に宗教の勧誘したらリアルなんだけどなあ
そして壺でも売りつけたら手を叩いてやっぱりと思うもん
つつもたせならぬつぼもたせなんちゃって そう葵が慎一郎の誘いに乗ったのは宗教の勧誘のためというのも一篇なんだけどなあ 携帯店員葵の化粧ちょっとやりすぎと違う
まるで食虫植物みたいに甘い蜜を発散しあれじゃあ寄ってきた男はみんな食べられてしまう
今まで何人の男を食したのやら 昨今では木山眞一郎みたいな女知らずの女好きが世間には溢れているようだ
宗教の勧誘とか壺を売るというのは冗談だけど
葵にとっては入れ食い状態少々食傷していたとき木山眞一郎が現れた 自分の携帯を出し受け取った葵の手ばっか見ている男 そんなに若くない30才前後か
葵もカウンターに置かれた男の手をさりげなくじっと見た 長くて太い指だった その手は白く顔も白かった
指の太さから手を使う仕事をしているようだけど顔の白さから外で働く仕事ではないようだ
ちょっと想像したけど何ももい薄刃なかった 葵にとって長くても細い指はダメで太くても短い指もダメなのだ
なかなかお目にかかれない太くて長い指が目の前に会った 記憶では男の身長はそんなに高くないなのに指が長いのは身体の特徴が葵と同じに違いない
つまりバランスが悪いほど手足が長い 男は動かなくなった携帯をきまり悪そうに出した 古い型だ
映画では葵がちょこちょこと応急処置して渡しているけど映画ではこれはもう治りませんと言って新しい携帯を勧めている ちょっと眠たくなってきたのかな映画と原作がごちゃごちゃになっている そんな接客のどこかで住所や勤務先なんかの個人情報を書かせている店
簡単に書く客 おおらかな日本人 この辺の緩さは天然記念物級いいねえ 性善説を信奉する日本人大好き だいたい戸籍のように生まれるやいなや社会の中に組み込まれるような仕組みほかの国にあるのかしら
ことあるごとに日本は特殊な国だと言われるけど戸籍なんてその最たるもの 戸籍
戸籍(こせき)とは、戸と呼ばれる家族集団単位で国民を登録する目的で作成される公文書である。
かつては東アジアの広い地域で存在していた。21世紀の現在では中華人民共和国(事実上形骸化している)と日本と中華民国(台湾)のみに現存する制度である
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)。 世界中で日本と中華民国(台湾)のみで使われている制度だって
日本と台湾が仲いいのはこのあたりが関係しているのかな ようするに戸籍なんてなくても国は成り立ち国民の生活も滞ることはないのだ
日本もなくしたら役所の事務仕事だいぶ減ると違うかな 役所の仕事は書類があってこそ
戸籍なんてものは一種の麻薬みたいなものかも
社会に組み込んで安心する麻薬であり組み込まれて安心する麻薬 むろん台湾の戸籍は占領時代の日本が日本並みに作ったもので台湾独自のものではない
しかし1945年以降もいろいろあったが継続しているのはなんか相性のよさを感じる なんてのんきなこと言っとったら張り倒されそうだ
でも対日感情は中国本土に比べだいぶいいみたい 歴史的なことはわからないけど突き詰めていくと親の因果が子に報いなのかなあ 親子の間はむろん国と国との間でも親の因果が子に報いなんだよなあ フォルトナの瞳を持ってしまったのは親の因果ではないかと慎一郎は考えたことないのかな 原作者にそうゆう意識はなさそうだから登場人物にないだろう まあ親の因果が子に報いということは便利といえば便利な言葉だ
ぜんぶ親のせいにできるから 原作者は人のせいにはしないタイプのようだ
木山慎一郎はもっぱら自分を責めるのに忙しい人生を送ってきたし最後までそうだった まあしかし原作者と登場人物か同じような性格とは限らない
むしろ逆の場合の方が多いような気もする
自分にないものを登場人物に求めるなんてね 木山慎一郎という男が余りにも繊細で誠実で原作者の風貌とはかけ離れているところが面白い
いかにもそれらしい神木隆之介ではなく
原作者に似た風貌の役者が木山慎一郎に扮したらどうだったろう いかつい風貌で原作にあるように自問自答ばっかしている男
こうゆう配役も面白いのになあ
面白いけど有村ファンにとって葵役に有村架純はどうなんだということになる 三月のライオンで三姉妹の次女で零の恋人役をやっていた
清原果那ちゃんが主役を務める「透明なゆりかご」というNHKドラマの再放送を見ている ゆりかごというドラマは見たことなかったし清原果那が主役ででていたことも知らなかった
ゆりかごは18年の7月期放送のドラマで
ライオンは17年の3月公開の映画
だから撮影もライオンの方がだいぶ前 ライオンの清原果那ちゃんは演技のことはともかく役に合っていなかったようだ
零の恋人という設定の中学生の役だったけど漫画なら違和感はないだろうけど実写映画では違和感ありありなのだ そもそも神木隆之介の零役に無理があるんだ
24歳の神木隆之介と14歳の清原果那ちゃんが淫行とやらは別にして恋愛關係になってもおかしくないんだけど 神木隆之介が好きになりそうなのはどう見ても
まだ少女の清原果那ちゃんより胸が大きくいろっぽい倉科カナさんの方だろうと思ってしまう というように漫画と実写の違いの犠牲になったような清原果那ちゃゃんだったけど
「透明なゆりかご」では魅力的な女子高生を演じてすばらしい 魅力的というのはいろいろあるけどやっぱり能動的的なのが分かりやすい
有村が能動的な役を演ったのはビリギャルくらいなもんか
好きだったのは三月のライオンの香子やアイアムアヒーローのヒロミ役 14才の少女が子どもを生んだ
その少女を理解し励ましていた母親を作者は殺してしまった
あげくのはて
母親を殺したのは少女を大人にするため だって すごいなあこうゆうことを平然とかけるくらいでないと作家にはなれない 百田尚樹はこんなに冷酷にはなれない だから小説家に向いていない 原作の葵は割に冷静な女に描かれている 慎一郎をちょっと突き放したように見ている
それはそうと何度も言うけど
原作にはなかった映画で葵が最後言う 先走りすぎだよ というセリフの意味がわからない 気になったのは慎一郎と葵が初めて慎一郎のところで交わった時
泊まっていけばと慎一郎が言ったとき同じ服では会社に行けないから帰ると葵が言って帰ったのだけど
なぜ慎一郎は葵を車で送って行かなかったのだろう 車を持ってきたお客さんを送っていくために自分の車は持っているはず なんでだろう 原作でもそんな場面無い この原作者は女性を家まで送っていったことはないようだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています