阿部薫ってのは@ビー・バップAフリー・ジャズBノイズ・ミュージック
の3つを横断する人間だった。Bノイズ・ミュージックというのは以下の
以前阿部の特集で一部出てきた演奏を聴けばすぐに分かる。

大友良英
https://www.youtube.com/watch?v=qgPcEdslIuk

 大友は阿部に震撼されてノイズ・ミュージックに入った。高柳昌行にも
師事していたという。たしかに今聴くと大友のこの時のアプローチは阿部
の最も過激な面を如実に伝えている。大友が阿部を讃えているというのは
意味深であるし、90年代に生きる阿部薫を伝えてもいる。阿部の演奏が
90年代に通ずる、否それ以上の通ずるものであった、というのは大友の
演奏から伺いしれる。

 阿部の資質として、上記3つを横断しないでは済まない資質があった。
だから阿部の演奏にはおそらくたえず上記の3つがせめぎ合っている。阿部
の悲劇がもしあったとしたら、Bノイズという分野をリアルタイムで理解
できる人間はいなかった。しかし阿部にとって実はノイズとはこの上なく
重要で、阿部にとって@AからBへの移行は必然的でさえあった。理性的
動物としての人間を超え出るのはノイズであって、その意味で重要であった
ろうなのは理解できる。

 しかし理解者のいないリアルタイム、騒のマスターでさえそれに気付いて
やれたかは疑わしい。そこで阿部は孤立せざるを得なかった。阿部の悲劇は
そこにあったと思う。