エリック・ドルフィー Eric Dolphy 2
MONOにしてもかまわないけど、このMONOは音が痩せてるような気がして
あまり好きでない。 mono盤はモノミックスだから
ステレオ盤をアンプでmonoにしても
なんちゃってmonoでしかないでしょ その時期のジャズなんて2ch一発録りなのにモノミックスも糞もない なんか、3枚組ずいぶんたくさん店頭に出てるけど
そんなに売れないと思うぞ。自分はもちろん買ったけど。
大丈夫か? あと、パッケージは置物として素晴らしいけど、
CD取り出しにくくて、機能的でない。
いずれ全然聴かなくなるパターン。 トレーンのやつは普段ジャズなんてまーったく聴かない馬鹿みたいな連中まで乗っかかってお祭り騒ぎしてて滑稽だったな
全然大した演奏じゃなかったのに ボックスものは円盤だけ取り出してシャトルにまとめて入れてる ファイブスポットBee Vampでのマルウォルドロンのピアノソロ好き >>263
>ファイブスポットBee Vampでのマルウォルドロンのピアノソロ好き
調律が狂ったピアノを弾かせたら、○の右に出る奏者はいねえらしい。
The Questの"Fire Waltz"も趣きがあっていいよね。 あのピアノを一番効果的に使ってたのはやっぱりモンク Mal Waldron のアルバム The Quest の Warm Canto で
クラリネット(バスクラではない)を吹いているよね
ピッコロは? これ、おもしろいね。ドルフィーがプラターズのバックでバリトン吹いてる(1957年)。全編口パクなので、音にドルフィーが入っているかわからんのだが。
Eric Dolphy on Baritone Saxophone with The Platters in 1957
https://www.youtube.com/watch?v=1T931IiQ_JI 糖質無職引きこもり50歳(熊谷のストーカー)
熊谷の肛門=くまんこ想って毎日オナニーが止まらない変態ゲイ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/dj/1333267755/43-
このスレが糖質無職引きこもり50歳の熊谷に対するストーカー行為の証拠 エリックドルフィー聴きたいんだけど何処から聴き始めたら良い? 『Out There』で慣らして『Out to Lunch』に挑む
わざわざオーソドックスなピアノ入り編成から入る必要ないな >>281
なるほど ありがとう
取り敢えず上げてもらったところから聴いてみます ジョン・コルトレーンのヴィレヴァンライヴから入るという道もあるよ >>281
VOL2の4曲盤の方がええぞ
三刀流全部聞けるはず >>283
フルートがないよなあ
その直後の欧州ツアーのブート7枚組がアマで
一時かなり安かった。今もかな?フルートが
たくさん聞ける。バスクラはあまり聞けない John Coltrane and Eric Dolphy / European Impressions
これなら1枚。中古でしか手に入らないが。
「インプレッションズ」でアルト、「マイフェバ」でフルート、「ナイーマ」でバスクラが聴ける。
「エヴリタイム〜」と「ブルー・トレイン」は出番なし。 >>286
61年の欧州やな
ナイーマはコペンハーゲンの録音しか
ない模様。ビレバンと同じアレンジやな
上の7枚組で聴いてみたが音はAMラジオ級の
上あたり。バスクラよく取れておる 訂正。ブルー・トレインにはアルトで出てた。
(早送りで聴いて、聞き逃してた)
>>287
ナイーマはヴィレヴァンと違って、オリジナル通りのメロディーだよ。ドルフィーのバスクラソロがすばらしい。
録音日の記載がないが、トラックにより音質の差が大きい。悪い方はかなりひどい。 >>288
逆ナイーマではなかったか
なんかふいんき似ててわからんかった >>287一部訂正
ナイーマはストックホルムでもやってた George Russell の Ezz-thetics もいいよ。 異なる二つの"ラテン・ジャズ・クインテット"に共通するメンバーはドルフィーのみ
つまり"ラテン・ジャズ・クインテット"とはエリック・ドルフィーのことなのだ! ♪テイストオブハニーーー!!
♪もう いらねえ 飽きた〜〜
♪デュルン デュルン
♪デュルンデュルン 改めてアウトワード・バウンド聴いてるけどやっぱイイわ 62年でトレーンとは別れるよなあ
6月のバードランドにはドルフィおるか?
2月にはいた 前スレのサイトで調べてきたわ
6月はないな。でも3月もないみたいに言ってる
これこそ間違いかもな John Coltrane 5 Showboat, Philadelphia, PA, evening, Nov. 11, 1963
John Coltrane 5 Philharmonic Hall, Lincoln Center, NYC, Dec. 31, 1963 >>297
クインテットってことか
商品化されねえかな 1961年モンタレーでのドルフィー+ウェス入りのコルトレーン6の
音源(あれば)聞いてみたい。ウェスがハーフノートでImpressions
やったりしてるのはこの時憶えたよう。 アランダグラスはオリジナルがステレオ
という説をさっき見た。アマのカンバセーションズ(スカイフィッシュ盤)の画像2枚目の
文章にそう書いてあったわ なぜジャズメンは難しい曲を演奏したがるのか、という問いに回答していたミュージシャンがいた。それはこうだ、上手くなると難しい曲を演奏したくなるから。他人より難かしい曲ができることを示したい。から。そんなアホな。ドルフィーを聞いていると胸が締め付けられるんだな。命の短さを悟ったかのようなプレイ。
人間の感情には喜怒哀楽があり、普通の曲では主に喜、と楽が演奏される。怒はめったに演奏されないだろうけどドルフィーは俺らにそれを気づかせてくれているんだよ。社会の不公平、欺瞞。俺らに考えることを要求してくるんだな。それにはコード、既成概念を超えるモノが必要なんだよ。それを模索、人生の模索にも繋がるわけだ。
それは人生をかけなきゃできない。だから生活を犠牲にして単に売れることを拒否したんだな。音が生き方なんだよ。それを自分が犠牲になってるところを見せてくれているんだよ。俺はこうだ、お前らはどうだってことだ。ドルフィーと同じ地平に立つことを要求されそうしなければ聞こえないし、演奏者と聴衆の段差があってはならなかったわけだ。ドルフィーと一緒に俺も考えまた真摯に人生に向き合わなきゃってなるんだな。だめな俺でもそう思えるのが音楽なんだよ。 売れる音楽。多数の支持を得る音楽。それはドルフィーにはない。何故か。自分を直視し、命を削ってまでやる演奏は万人に受けいられないからだ。いたとしても1万人にひとりかそんなもんだ。それでもやりつづけなきゃいけない。
日本にもひっそりとそんな演奏家がいる。普通の人間は多数にまじり寄りかかることに安心感を得て毎日を生きている。否定はできない。そらそうだ。でも真実を音楽のなかに求めた、と思うドルフィーを信じることもまた自分を信じることだ。自分を裏切らない。自分を
見捨てない。名声、お金。そこじゃないんだよ。自分を見捨てるなってことだ。 だから最初の問い。なぜわけわからない曲をやるのか。当たり前のコード進行に自分の気持ちを託せないからだよ。もっと違うものを探していたわけだね。 ,.,.,.,.,.,.,.,.,__
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', ==一u u ノ うわ〜・・・・・も・・・・盛り上がっとるなぁ・・・・・
!___/ ドルフィの凄さというより革命的なところを聞いて何故革命的なことを推し進めのか、を
考えなければいけない。コルトレーンはどこまでいってもやはりコードのしがらみを感じ
させる、そこから抜け出そうとすることの無限地獄。マイルスは見せかけの似非白人らしさ、
資本主義的支配主義者。そんななかドルフィはコードでもなく白人的旋律の模倣でもない
全く違う地平へと進んだ。それは音でいえばほんのちょっとした違いだがそれを体現させる
ことは凡人には考えもつかないこと。それをドルフィはやってみせたんだよ。 ドルフィは医者から糖尿病のため余命宣告を受けていたらしい。それにもかかわらずあの
数多い録音。生前には数枚しかレコード化されなかったのだが。今センチメンタルにドルフイ
を語ろうとはしない。それは彼の本意ではないと思うからだ。彼の残したかったもの、それを
我々は各自のドルフィを見出し、そして闘いのなかで自分、個の存在を明確化していくべき
ものだと思う。 ドルフィーの使用楽器って分かる人いますか?
色々なジャズマンの使用楽器をまとめたHPがあるような気がして探したのですが、見つけられませんでした。
特にバスクラが知りたい! 2020年になってなぜドルフィを聞くのかが自分と音楽との関わりのなかで明確化しなければ
いけない。ジャズの属性と自らのアイデンティティの融合、破壊からの再組織化。そして願わくば
その開放。それは音楽が時代とともにあったし自らも現代に生きる者としてのあかしであり、自然湧出する
感情、抑圧への抵抗だ。その理論づけもなしにちょっと聞いてみたいなどと口が裂けてもいえない。
それはドルフイが苛烈なまでに自己闘争を成したことへの追悼である。アウトワードバウンドがいい。
などもってのほかだ。あの痛烈な叫び、今のウクライナ情勢に鑑み俺の胸に迫ってくる。
それは単にすごいとかいいとかで済む話じゃあないんだよ。張り裂けそうな人間の痛みが
お前らにはわからないのか。 . |::| | |_|,,,,,|.....|--|::| | .| .| |:::|
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/,/ \|_,..-┘ 「最近は Bird を語る人は多くても Bird を聴く人は少なくなったなあ」 >>307
ドルフィーの母親が、遺品のバスクラをコルトレーンに渡しました。
そしたら、トレーンはドン・ギャレットに上げたそうです。
クルセ・ママで吹いてるのかな? >>311
トレーンが Cosmic Music や Infinity とかで吹いているバスクラがドルフィ形見分けの遺品と思われ
他は貸してるだけでしょうかね >>308
コルトレーンスレで虐められてたキチガイさんがここにきたか >>313
おい!!、疑ってるんじゃないぞ!!、トラブルの元だろ!!、そんなにトラブルが好きなのか!! ウプサラの他になんか61年録音ねえかなあ
ウプサラこないだ聴き直して感銘受けた jazzdisco.org に dolphy のディスコグラフィーがありますよ。 >>317
見てきたがなさそうだな。エンヤのべルリンコンサーツのアウトテイクの発掘待つしかない模様。あれ2会場だから 「Out To Lunch」の日本盤って、
STEREO表示されてるわりに
MONOじゃない?
2013年のボートラ2曲追加盤聞いてるんだけどさ。
疑似ステってわけでもないんだよね。
分離のいいステレオで聞ける「Out To Lunch」のCDってありますか? >>319
RVG以前のやつどうやろ
RVGリマスタはモノっぽいとちらほら聞くな >>320
返信ありがとうございます。
RVGリマスタはモノですね。
最初のLPはモノとステレオ両方で出たはずだから
ステレオ盤あっても良さそうなんですが。
でも当時のことだから分離の変なステレオかもしれませんね。
とりあえず日本の現行CDは
STEREO表示されてるけどみんなMONOだと思われます。
混乱さすなレコード会社。 >>321
一応盤面にはステレオとあるような記憶。実家にあるから今度見てみよう。
実質的な弁別法もある。モノラルと明示して出すモノラルだとスピーカをマトリクスつなぎにしたときに消える音と残る音が曖昧になる。ドラムの金属音とベースなどの低音が主に残るが他の音も減衰するだけでぼちぼち残る。ステレオだと消えるもんはよく消える。 ドルフィーってどういう人かと言うと、
alone togetherを聞けばわかる気がする。
千年の孤独。 ジャズが好きで、アンビエントやスペース、フィードバックなど好きな
ハイグレードな人いますか?(笑)これの良さがわかったら音楽偏差値77以上。
//youtu.be/f0og1UrDFy0 偏差値を気にするのはいかがなものか。頭がいいと言われて嬉しいことより、気持ちが伝わること、それが大事だ。
気持ちが伝わり共感もあるし、どうしようもないこともある。それが音楽だよ。
誰かに誉められる、拍手をもらう。音楽はそんなことじゃない。苦しい状況でも歩き続ける力を見つけ探そうとすることだ。
最近のまんがでもあったけど自分が勝つ、他人の上に立つことじゃないんだよ。それが なろう系 なら一体何になったんだ。
そこには有頂天になった自分だけだろ。ジャズでかっこをつけるな。今の状況に勝て。 僕達はドルフィーのラスト・デイトに涙するしかなかったわけだけど、そんな時考えるのはドルフィーの苛酷、切実さ、願い、叫びということ。
それが今のウクライナの状況に考え合わせてしまうんだ。こうして静かなラウンジでドルフィーやウクライナについて思うことがどういうことかってね。
そして日本のミュージシャンはそれにどう反応しているのか。僕は地球上の人に関係のないことなんか何ひとつないって思うからなんだよ。 昔ジャズ喫茶でドルフィーリクエストしたら、客がみんな退店し、俺だけになったことあるw Eric "The Prophet" Dolphy
六十回忌の節目
「活音」を教えてくれた感謝をこめて南無.... ドルフィーをかけたら客が退店した。だからなんなんだ。周りが拒否反応を示したからそうなんだろう、という判断はあまりに弱腰、世間の目を気にし過ぎなんだよ。
それはなぜなのか、あるいは自分ならどうドルフィーに向き合う、判断するのか、それは君自身の問題だ。
いつまで、目をそらすんだ、他人の反応をうかがうんだ。まったくジャズをやる意味がないではないか、あまりに弱気だ。 ドルフィだけが希望の灯りだ。彼の音。心に突き刺さる。今のジャズは忘れてしまっているものだ。 コルトレーンとのライヴ盤がサブスクに出てるけどあれはなかなかイイですね やたらドルフィーに勝手な感情移入する人がいるけど。ひろゆき式に言うと
「それは貴方の主観でしょ?」
俺とか、ドルフィーの演奏聴いても、ああ、上手だなあ、とは感心はするが
そこまでで。あとはウクライナのなんとかとか、叫びとか哀しみとか、
何も来ないんだけど。むしろマイルスが「馬の鳴き声」と評した、という
のが思い起こされて、そこがまたピッタリなので困てしまうんだよねえ。
マイルス上手い(笑)上手すぎて、しかしそれ謂われると思い出すから
言わないでマイルス(笑)
やたら複雑な不協和音を使って、何をやろうとしてるのかよく分からない。
何やろうとした人なの。ただコルトレーンとの共演聴くと、コルトレーンの
ほうはまだ複雑じゃないからコントラストが浮かび上がって面白い。それは
あるけど。
ちなみにコルトレーン&ドルフィーのVillage Vanguardってあるけど。
先のコメントの人が聴いたら哀しみの極致なんだろうか?俺は全然哀しくは
ならず。
あれって一般的にはどうなの?哀しみの極致なの?コルトレーン&
ドルフィーのVillage Vanguardて哀しみの極致ではないですよねー(笑)
残念ながらジャズもほとんどの感想は「それは貴方の主観でしょ?」で
お仕舞なんですよねー(笑)ウクライナとか関係ない聴き方してる人が
ほとんど99%じゃないの?正直に言いましょうよ(笑)ウクライナ人のこと
いつも考えてるからそうなるんだって。 なんか胸ヤケしてゲップが出た(笑)『ラストデイト』聴いて涙したとかも
書いてる。俺も聴きましたけどあれは。涙は出ないんだよなどうしたって。
ドルフィーので涙が出たことない。悲しみもない。叫びなんだろうかこれは。
馬の鳴き声を再現したのだろうか。わからない。ただヒヒーンて言ってるのは
わかる。じゃ馬の鳴き声じゃないのそれは(笑)いやいやそこまでマイルス
みたいにひどいことは言えない。先のコメントの人とマイルスと対談させ
てみたい。「お前はいいヤツだがそれだけだ。」とか言うんだろうなたぶん。 追加すると。ドルフィーの演奏って、感情とか心とか、喜怒哀楽とか、
から別の表現なんじゃないかと思うんだよね。絵画で言うと抽象画。何を
言いたいのかひと目では見当つかない。そういうのを狙った演奏なようなね。
だとしたらあの分かりにくさはまあ分からないでもない。さっぱり分からな
いんだもの。それは聴き手が悪いんじゃなくて元々ドルフィーの狙ったところ
でしょう。聴き手が首を傾げても聴き手が悪いじゃない。
若死にとかで悲劇のヒーローみたいにまとめるのが簡単だから、そういう
言説が出回るんじゃないかって思えて苦笑するんですね。本人は何者か俺な
ぞさっぱり分からんし、いまだにナニコレ?て感じがある。
聴き手が何思っても勝手だし、ジャズって勝手な移入しやすい。だって
最初から何やってるのか分からない音源もあるしさ。ドルフィーのとか典型
でしょ。 どルフィが何をやってるのかわからないっていうのはもうだめだろうね。年齢的なものが大きいかもしれない。
君は悪い意味での大人なんじゃないかな。俺は子供の頃聞いてショックを受けたけど。
人間の本質、元型。それは深層意識下のイマージュであり、さらにその下部の集合的意識体。それは人種を超えて他人との原初的な様々な方向性との差異。
それを見ることであり、感得せざるを得ないもの。あるいは同一のもの。その逆理性。
聞き手がどう判断しようと勝手だろう、と。ならば演奏とはなにか。音のたれ流しになる。なってもいい。それはどうしても言わなくてはならない。
そこに神を見るからだ。いわゆる宗教ではなく自分の中の神。地下水脈のように世界とリンクするなにか、だ。
君は女性を外見で判断するだろう。いや全ての事を。それってAIと同じだと思わないか?要は出来事の、知識の、結果の足し算だ。そこに君の感情はあるのか?
足し算の山から有利なものを選別するだけの作業。それが生きていると言えることなのか。いわゆる既成概念。そこの世界にいることが人間、自分であり、他人にも認知されるものだと信じていること。
それが全てだろうか。表層的なことだけで判断する。選別作業従事者だと思う。
どルフィこそその扉を開けて示してくれたんだよ。もう何を言っても大人になってしまってだめだろうけど、平たく言えばそういうことだ。 ドルフィを批判するのはご自由にどうぞ。俺はドルフィを崇拝でも偶像化でもなくいいと思う。
それはもう変えられないものだから。5歳のある日、偶然ドルフィのレコードがありプレーヤーで遊んでいるうちだった。
突然、ものすごい哀しみや怒りの感情がおそってきてリピートしつづけた。5時間くらいぶっ続けで聞いてしまった。小学校へ行く前の年齢で決まってしまうものかもしれない。
それ以来、例えばマイルスだと商売人に見えるようになった。おひとつどうですかお客さん?。それを聞いたお客が、そんなにすごいんなら、中身はわからないがひとつくれ。そんな人たちがジャズファンだということも。
もう変わらないね。徐々に成長するとかいうものじゃないのかもしれない。成長ではないのかもしれない。
だから批判しようとするつもりはない。そう思うということを言ってるだけだ。 オナニーは良いんだけど。オナニーだって自覚した方が良いよ。「勝手な
夢みて、ああ、俺と同じ哀しみを抱いた音楽がある」とか。主観で決めつけて
そいで慰めて自慰して悦に入って(笑)勝手に泣いてる分には良いんだけど。
哀しみや怒りとあとなんだっけ。神ね。勝手にやってばいいでしょ。何
言ってるのってアクビしか出ないんよ。もったいぶって、何分かったような(笑)
ふざけてるように聞こえるのがどっちかというとアレは正解だと思うよ。
笑わせたかったって言われた方が納得する。聴いてて可笑しいんだもの。
なんかズレてる感じを故意に出そうとしてるみたいでさ。いや面白いよ
あんたは。アレ聴いて神だとか怒りだ。よっぽど不幸だったんだろうけど。
人は人。自分は自分なのでね。可哀そうにとは思うけど。あんまりそういう
体質には成りたくはないねえ(笑) ああのドルフィーの引きつったようなあの演奏。どこを聴かせたいのか
さっぱり見当つかないあのフレーズ。故意にあれを狙ったとしたらよほど
人を食うのが好きなコメディアンだろうな。
あれ聴いて怒りとか神とか言ってる輩をみて今頃爆笑してると思うけどね。
笑わせたかったのに泣かれて今頃顔しかめてふざけ方が足りなかったと後悔し
てるきっと。
変なフレーズ連発して呆気にとらせたかったのに「神をみたみた!」て
騒がれて迷惑してるぞきっと。おひとりでオナニーしてるのが癖なんだろうけど
他人は苦笑してるんだよ実は。 オナニーだと自覚している。俺もそう思うよ。じゃあ君のオナニーじゃないものとオナニー的なものとの違いは何だ。
ピカソ、ゴッホの絵画、一流ビジネスマン、伝統芸能、学術研究。これらはオナニーと違うのだろうか。俺は同じだと思う。
なぜならビジネスマンから芸術絵画を見た場合、何の役にも立たない。逆も言える。すべてはその人の立場だ。エリートビジネスマンとゴミ清掃員も同じく大事だ。
一流芸術はオナニーとも言えるし、芸術ともどっちとも言えるんだよ。ゴッホも地動説を唱えた学者も最初はオナニー、気狂いだと言われていた。
君にドルフィの素晴らしさは一生わからないかもしれないが、そのあまりに狭い視野、既存の体制、常識内だと自身を持つことが間違いだと気づいてほしいんだよ。
他人からコメディアンだ、苦笑ものだと言われて、それがどうした。それで自身、自信をなくすのだろうか。君は弱すぎるぞ。俺はなんとも思わない。むしろ歓迎だ。
それは自分の感じたことを優先するからだ。自分を大事に自分を生きてみろ。それだけだ。 ドルフィの凄さ。あらためて思うにまさにこのことだったと思う。馬の鳴き声と形容されオナニーだと言われるその無理解で孤立した状況。
コードから離れることリズムをも無視すること。すべてをフリーにしてしまっては深層意識下ではあまりに苛烈、苛酷な生への責めと超克を聞き手にも要求する激しすぎる行為であった。
ならばどこかに現在との引っ掛かりを最小限求めるならアイラー的フリーには行くことをためらう。その苛酷な自らへの責め。それはコルトレーンをも超えた音楽追求といえるものだ。
その闇へと突き進むしかない、あるいは孤立をもいとわない自己解体作業。そこに僕らはドルフィの凄さを今また感じるのだと思う。
それは人間が他を阻害し体制へと組み込む抑圧構造のなかでの抵抗と勇気を見る感動ともいえる。
芸術家であるほどオナニーだ、笑いモンだと罵られることの声すらもエネルギーにしたのだと今また気がついたところだ。 マイルスはあのファッションが現すように、これがセンス、これが先端だと言いたい、言われるだろうというそれは安全牌を打つに等しい行為だったといえる。
だから音楽をスタジオの若手、多様なジャンルのミュージシャンを動員し自らの責任の所在をあやふやにするという欺瞞とめくらまし戦略。その嘘で塗り固めた先端音楽というからくりをさらに固定化させるピエロ的欺瞞演奏。
それがマイルスだった。そしてレーベルの誇大広告と世界戦略的プロデュースによって大衆を無能な商品購買層へと水路づけた。
ことごとく大衆が無能化し自らの飼い主を求め彷徨う、なしくずし的右傾化を結果として導いたのではなかったか。このマイルスからすればドルフィは自己の戦略構想の極北に位置する敵であり、叩くべき存在だったのだと思う。
そうしたマイルスのこざかしい企みをも超越した真に音楽、心を追求したのがドルフィだった思う。 >>340
集合的無意識のことを「集合的意識体」と知ったかぶりして間違えてる時点で
お前が如何にインチキで無知な愚か者であるのか示している 今ドルフィを語ろうとするとき、最初の体験よりもより鮮明に過大にドルフィが私に語りかけて
くる。
断っておくが興味がない、わからないという方の意見は受け付けるが批判は意味がない、と言っ
ておく。聞かなければいいし、ドルフィ体質ではないということだ。
ドルフィは私にとって特別な存在だった。それは同時期のコルトレーン、アイラー、オーネット
などと明らかに違う地平にいた、そして全くの孤独だった。それは小学生くらいの私のドルフィ
体験の初めは、日本語を喋っていると感じたからだった。レジェンドでも数名しかいない、言葉
に聞こえるミュージシャンだった。それがその当時なにかはわからないが胸を締め付ける衝撃さ
を受けた。
今、比較すると、コルトレーンは偉大だが何かコードとフリーにまたがり振り返りながら
前進するようにみえた。しかしドルフィは自分の感性を突き詰めることにしか興味のないような
激烈なソロを行っていた。しかもそれはあくまでもリズム、キーの枠内に残りながら羽ばたこう
とする、飛び立とうとしても飛び立てない苛酷さに身を置く自らへの責め。激烈さにあるものだ
。かえりみれば60年前後の政治、社会状況。黒人としての明白なテーゼ。これらがないまぜに
なり音、言葉、叫びとして聞く者をその混沌に巻き込むかの勢いだったのだろうと思う。それが
あの切り裂くようなアルトといえる。パーカー後に自己の言語を獲得した稀有なミュージシャン
だろう。今ドルフィを聞くとあっという間に3時間が過ぎてしまった。ストーブのスイッチを今
入れようと思う。そしてあけましておめでとうございます。 THEうんこマン
人
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