モード以降が聴けない、受け付けない奴のスレ2
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>>16-17
おそらくクールや西海岸について言ってるんだろうが、お前ら認識がおかしいわ
俺が列挙した奴らのどこが陽気でちゃらけたイメージなんだよw モードは、絵でいうと、言わば印象派。
此が理解出来ないと、jazzは語れねぇ。
好き嫌いは、二の次だ。。 「ダサい」という形容を使う人は
そう言っている対象より確実にダサいという絶対的な法則がある >>20
いやパーカーとかの初期のバップやエリントンみたいなオールドジャズのことね
チェットは晩年の方が好きだな モードって平たく言えば
縦に並んでるコードの音を
横に並べて行ったり来たりしたり自由に
すれば良いだけじゃん。
それがドォー聞こえるかはセンスの問題。
>>24
ケアレス・ウィスパー ジョージマイケル 結果として、一曲の中でつかわれる和音の数が少なくなる。
モード以前の曲であるジャイアントステップで使われる和音の数を数えてみるべ、 >>24
ケアレス〜がモード曲なの? たんにコードの少ない曲だろ >>27
バレたか。
じゃ、
アメリカ ”名前のない馬”ほとんどモードだろ。。。 ワンコードの曲がトーキングヘッズであったけど、
モードとはいわないと思う。 モードがワンパターンだと、すぐに気づいたマイルス。
ロックとリズム、エレクトリックに活路。憧れはジミヘン。。
ブラウニー、モーガン、ハバードに対抗・・・刺激ある若手才能囲い込む。
ひどい時には、45分間、オルガンオンリー。
フリーJazzで自爆。・・・な、モードJazz. フリーとモードは別物だろ
現代はむしろモードが主流なわけだが どなたか、単に1コードとか2コードの曲と、モード曲の違いを、わかりやすく教えてください。 >>34
ハービーハンコックに聞け。
もーどすみませんw >>34
たとえば
Am|Am|Am|Am|のような進行と
Aドリアン|Aドリアン|Aドリアン|Aドリアン|ではアプローチが全く異なる
と言っても最近ではドリアンと指定していてもその通りに弾かないけどね >>36
なるほど。エオリアンと比較してもすこしミステリアスな響きになりますね。
で、コードでないということはアドリブのライン上、コードトーン(A,C,E,(G))の強調も
特に行わないということですか? むしろ水平的な旋律になるというか。。 高橋悠治が言ってたな
「モードってただただスケールを弾いてるだけでつまらない
映画007のほうがはるかに面白い」って なんか ボクちょっと楽器やってますカキコ、ウザイ。 モードって、モードとはいえコード音楽には変わりないと考えていいのか。
単にコード進行上のルールやケーデンスがないだけで、和音で音楽が形成されているかぎり、コード音楽ではあるよなあ。 >モードとはいえコード音楽には変わりないと考えていいのか。
いや違う。
以前のモードはコード感を出してはいけなかった。
使える音がかなり限定されており、アドリブをとるには案がすぐに尽きてしまうって感じだった。
だから本来のモードの概念からどんどんずれて結局はコードぽくなっちゃったんだね。
50年代後半と現代ではモードの概念が完全に違う。
だからと言って、アマチュアでも50年代後半の手法でモード曲を演奏する人はいないんじゃないかな。 伝統芸能ですので。若いとき聞いた音楽を終生引きずるんです。50年代でストッピングです。
でも今のやつ否定しませんよ。何を感じどう思うかユーザーの自由です。理論の先進性など関係ないです。 評論家が先進性やテクニックを評価しすぎたのが原因です。評論家は1ページ使って
何かいわなければならないので、人と違ったことを言って注目を集めることが飯の種なんです
それをまともに信じる純なファン。50年代は古いからだめ、ではないのです。ビートルズが
好きなのと同じです。50年代専門もいればフュージョンが最高でもいいんです。だって消費者なんですから。
だめですよ、マスコミが天才というからとか、変わったことやるからとか信じてるひと。 しかしながらそういった評論家の存在なくしては、ジャズの音楽的発展はあり得なかったこともまた事実でしょう。 芸術音楽としての側面を持つ以上、専門家によって提示される一般的な共通認識は、当時の演奏家たちにとっては一つの指標となるものでしたし、ジャズが世間からより多くの認知を得るためにも必要とされる存在でした。 評論家は必要な存在です。私も参考にしました。しかし丸ごと信じるのはいかがなものでしょう。
という話です。レーベルからの依頼や自分の存在感を出すため他人に合わせた記事を書くのも商売です。
すべて金を稼ぐためです。共通認識とはなんでしょう。安保の時代などは分けかわらずフリーがいいと
聞きいったこともあります。それもいい思い出です。その時代それが受けて金が動けば経済です。芸術とは何でしょう。
山の中でフリーをやると芸術ですか、誰も聞かなくても。常に対象の相手があって成り立ちます。 芸術を形として偶像化するのではなく、個人と相手との関係で変化します。評論家は
正しく必要とレッテルを貼るのではなく、常に疑うべきです。世間とはなんでしょう。マスコミですか、それとも
それを書いた人個人ですか、それとも鵜呑みにするファンでしょうか。評論家だけでなくマスコミで働く事務員も
すべて同じです。自分のために働いています。そういった意見をまるで自分の考えのように受け入れる
純粋さは危険です。まず自分が立つ、評論はその周りの参考としてください。 芸術を形として偶像化するのではなく、個人と相手との関係で変化します。評論家は
正しく必要とレッテルを貼るのではなく、常に疑うべきです。世間とはなんでしょう。マスコミですか、それとも
それを書いた人個人ですか、それとも鵜呑みにするファンでしょうか。評論家だけでなくマスコミで働く事務員も
すべて同じです。自分のために働いています。そういった意見をまるで自分の考えのように受け入れる
純粋さは危険です。まず自分が立つ、評論はその周りの参考としてください。 芸術が商業性と結びついたのは経済がそれだけ人の有り様を捉えた概念であったからであり、ヨーロッパ的な普遍主義の影響著しい当時の芸術思潮にとって、それまでのキリスト教世界が一次大戦後崩壊した時代に新たな指標となるものでした。 ジャズがアメリカで発達したことを考えると、元来キリスト教文化圏に属さない黒人系のミュージシャンも例外ではなかったでしょう。 仮に評論家がただ自分の金儲けのためだけに批評を行うのであれば、その主張はそれだけ人々の音楽に対するニーズを反映しており、いわゆる商業路線を形成することになります。 また演奏家たちも自分たちの音楽を一般受けさせるには、もしくは独創的にするにはどうすべきかをについて参考にしたはずです。 もちろんこれらは過去の話であり、現在のように大衆音楽が確立、多様化もしくは荒廃した時代においては、より気軽にアクセス出来るようになったメディアや大資本を抱えた音楽業界のプロモーションによって、 また何より消費者自身がそれぞれある程度の知識と嗜好を持っているため、評論家の存在が不可欠とは言えないこともまた事実でしょう。 とても簡単な稼ぐことができるホームページ
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309 >>52
5年以上前の書き込みにレスするのもどうかと自分でも思うが、たとえ自分しか聴く人間がいなかったとしても芸術は芸術だよ >>66
それ自分で書いたレスなんじゃないですか?
歳なんだから・・・ モードとは何だったのか。フリーもそうであるように表現の一形態である。そこに自分の目指す表現があり、聞こうとする音があるならそこがあなたの地平といえる。しかし
多くの者、若者、特に自己形成過程における途上段階においてモードこそが芸術と断定はできないし芸術だから聞く価値があるとするのはファッショ的右化傾向の盲信といえる。
ジャズの現場におけるフリーさえ発現から半世紀経過した音楽である。そこに音楽の革命性、闘争性はすでに無く、モードも同じ形式化したフォームが存在している。 しかし50年代ジャズにしてもフリー、モードにしてもあなたの内的衝動からくる自己破壊
、再組織化への欲求を闘争により勝ち取ること。真に開かれた個の錬磨作業をリアライズ
するならそれはきっと正しい。それが反資本主義、帝国主義打倒のラディカリズムとして、
2020年代の新しいモードに対する宣戦布告となるだろう。頑張ってください。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています