上原ひろみ【その31】
>>281
2時間半ですか…ありがとうございます。 >>281
2時間半ですか…ありがとうございます。 現代人は精神的ストレスが非常に過大になっている。にも関わらずさらにストレスのかかる音楽
を聞くのはいかがなものか。まだ物足りないのだろうか。精神が壊れると思うのだが。 過去のオマージュかツギハギかな。すでにやり尽くされているやつだな。
見た目幼い女子がやるってところかな。 >>290
コイツ行ってないな
荒らしてんじゃねーよ早朝ヒキおっさんw ペットはそれほど上手くなかった。
ベースとドラムは良いな。 あの強い打鍵、繰り返しフレーズ、速いテンポ、は普通の感情の人だと緊張、攻撃、興奮という
ことを想起すると思うけど。
日常生活でそういうシチュエーションがあるってこと? どういうときに聞くの? トイレで大をしてるときあの曲かかったらケツ拭くのを忘れるな すたみな太郎で生焼けの肉を食って帰りに気持ち悪くなったときのBGM 高校生の彼女とセックスした後コンドームに穴があいているのを発見したときのBGM ある作詞家が音楽は時代と寝ていると言った。過去の偉人で言うとパーカーは経済不況、戦中
戦後の混乱の中に明るさと確かさを見出そうとした。ゆえに彼の音楽は明るいし構築美がある。
そのように時代、周りに反応してしまうもの。自分を見つめ、屈託なく照射してしまう自由性。
そこにジャズの良さがある。振り返ってひろみの音楽はどうか。自己にこだわりすぎてはいない
のか。頑ななもの、拒絶性を感じてしまう。そこに平成の日本の停滞を見てしまう。だから同年
代のファンの存在も同時に見てしまう。 彼女のメロディはテクニカルなキャッチーさとでもいえばいいのか。例えばキャリーぱみゅぱみゅ
だとか、アニソン、ado、それに近似している。ソロ、各楽器もなにか清潔さというものがある。
日本的なもの、日本人を想像させるものがある。 ジャズを聞いてきた耳には違和感がある。違うものだといっていい。
だからこそ日本人にはなじみがあるし、外人からみれば未知の要素を感じるかもしれない。 ドルフィを聞いたあとでコルトレーンを聞くとコルトレーンですら過去へ向かうマイナスのベク
トルを感じてしまう。過去があるから現在ではなく、現在があるから過去があるのである。
そして現在こそが未来である。ドルフィは過去を今提示すると同時に未来を示していた稀有な
プレイヤーだといえる。稀有という言い方より未来そのもの、あるいは未来を希求した男だった
といえる。別な切り口でいえば内的ダイナミズ厶とでもいうものなのか。決して計量的な音量で
はない、ましてやモチーフ、テクニックの収集家達とは別次元の真の音楽ということだ。
新しそうに見えて実は過去への憧憬なのか、なんなのかわからない昨今の音楽とはまるで違う。 常に緊張感があるのは、コンプレックスから来ている場合が多い。曲自体、音の強さなど。
女性であること、東洋人であること、様々なコンプレックスを跳ね返す手段としての音楽。
逆にいえばそれをバネにして曲を作っているともいえるが。しかしそろそろその先へと進んで
ほしい。そこには何があるのか。これは皮肉でなく成長の記録としても貴重だからだ。 人は強さ、カッコよさに惹かれるのだろうか。いやそれより深いのが弱さ、カッコ悪さだ。
例えばクラシックが前者でジャズが後者だ。辻井伸行が前者でバドパウエルが後者だ。
バドのラーフィンマターを聞いて欲しい。辻井が涙ならバドは茫然自失とするものだ。
強さがピカソなら弱さがゴッホだ。ゴッホが統合失調症気味であるにも関わらず娼婦館の掃除婦
に同情した。その悲しくもせつないバカさ加減に人は大事なものに気づく。決して高尚な芸術
ではない。バカな人間を見るんだよ。そしてそれがジャズの本質でもある。カッコよくなろうと
するなバカでいいじゃないか。人間は皆這いつくばって生きてるんだ。 例えると、動画で外人が日本のものを誉めるリアクションがある。ものすごく気持ち悪いし、悲
しい。私達を誉めてください、というおごり、劣等感、見栄。そんなものしか感じられない。
それと共通するんだよな。私ってすごいでしょう。って。音楽、ジャズは逆なんだよ。
あなた達と同じですよ、というのがジャズだよ。全然偉くありませんよ。ということ。
バンド全体も一人ひとりはうまいけど、それぞれが主張してるだけ。自分の世界のなかだけで
誇らしげにやってる。それってどうなの。ジャズじゃないよね。工業博覧会だよ。 Nord lead 2欲しい人いたら10万円で売ります ハラミちゃんの名前は絶対あてつけだよな。焼き肉が好きだとかなわけないじゃん。
あれくらい私でもできる、みたいな。難しい顔することじゃなく、笑顔になれることだよって。 日本には和ジャズといういい流れがあるんだが、あまり注目されないね。でもそれでいいよ。
J-POPも歌謡曲も外国で売れようとして作ったわけじゃないから良さが出たんだよね。外国の
ものを取り入れながら日本の本来の良さを加えるところだよね。
ところが最近の流れはやっぱり欧米崇拝だろう。プロ、アマ難しいことやって、上手いんだけど
まったく心に響いてこない。合格点レベルは間違いない。演者は満足した顔をしてるけど、客は
ぽかんとしている。それに気づいていないのも恐ろしいよ。こんなことがいつまでも通用すると
は思えないんだが。 スピード、ダイナミズム、その追求。もっと速く、強く。さらに不協和音を取り込むことに熱中
し工業製品になること。その規格、記号でしかないひとつの音楽。
その試みは1940年代にチャーリーパーカーが先駆けた。しかしそこには動機、モチベーショ
ンがあり、その昇華した末の彼の音楽だった。20年代から始まる経済不安、享楽のカンザス、
戦争へと至る40年代という時代が如実に感じられる。感情移入の音楽は人間と外界の親和性を
必要とし、それに対しバッハなどの機械的抽象性は社会不安から逃避するための安定性を求める
ものといえる。抽象的形式のなかの絶対性に安定を見ること。これはパーカーの内面が渇望し、
それを昇華したものといえる。
なぜそこに絶対的構築美を求めるのか、スピードが必要なのか。そしてそれをアイデンティティ
とどこまで融和させるのか。そうした根本があっての、バップ語というジャンルがある。
ちまたでバップが基本だとかバップ語ができなければジャズではない、などと教える講師がいる
と聞く。全く幼稚でおはなしにならない。形式を教えれば先生と呼ばれるのか。それができれば
ジャズなのか。それが肥大すると潤いのない、自己撞着的音楽になり、やがては疲れ果ててしま
う。自己の内面を誠実に表現することに立ち返ることを薦める。 ワイはプログレ好きなんで初期2枚とトリオプロジェクトは追ってたが今はちょっと離れてるな プログレ好きはピアノソロも普通に聴けると思うけどブルージャイアントのサントラなら大好物でしょ 2023ツアー俺が観た日だけなんだと思うけどいまいちだった
tpのアダムはミストーン多いしdsのジーンのアドリブは退屈だったし
ひろみはいつも通りだったけど
結構日程過密だったから疲れてたんかな…