>>844
ケンプの実演は好不調の波が大きかった。これを前提に読んでください。
『ピアノ回想記』(野村光一)この書は、良書だと思って何度も読んだ。216頁より
1936年ケンプ初来日の最後の演奏会(ベト協5番)を、大病を患ってようやく命をとりとめて、
聴きに行った。「彼の演奏はぎすぎすした角張ったベートーヴェンであって、まことに即興生に
乏しく、音もあまりよくなかった。私にははなはだ悪い印象しか与えませんでした。病床かた
抜け出して聴きにいったせいだったのかもしれません。」(215頁で、「1937年(昭和12年)には
ケンプが来ています。」という誤記がある。)
同書281頁
「(1954年2度目の来日。最初の独奏がすばらしい出来だったと言って)ケンプも成長したものだと
嬉しくなってしまいました。・・・その後人に訊きましたが、それによると、第二次大戦中、彼は自分の
テクニックのつたなさを知っていたのでしょう、一生懸命ピアノのメカニックの勉強をし直したそうです。・・・」
内田光子との対談『ムジカノーヴァ』(年代不詳)
「(ケンプが好きだという内田に対して)昔のケンプは反対だった。ギスギスした、なんて鈍重なピアニストかと
思った。それがああいうふうに変わっていったのですね。戦争中に自分のやり方を変えたのだそうです。ケンプに
関して書いたものによると、彼はコルトーに心酔したと書いてある。その影響をうけ、それでテクニック、音楽の
表現法をやり直してああいうふうになったのだそうです。」