【93】ザロモン交響曲は魅力の宝庫【104】
ザロモン交響曲の名盤・珍盤・思い出の演奏など語りません?
実際のところハイドンを指揮者なしで演奏するのはかなり難しいのでは。
しっかりとしたテンポに誘導してデュナーミクを的確に指示する人は絶対必要だよ。 「デュナーミクもアゴーギクも極めて妥当と言わねばなるまい」
(小石忠雄) ヨッフムは低音が貧弱で高音に偏った録音が不満。
特にティンパニがほとんど聞こえない時があるのが萎える。
聖チェチリア・ミサの録音は壮大で良かったのに。 これは下手な楽団が汗かいて演奏してるってのが必要条件
作曲者の想定レベルがそれくらいだから
カザルスなんてもっと入れといて欲しかった
全集だとやっぱドラティかな たしかにエステルハージ時代の作品の方がザロモン交響曲より難易度高いとは言われているが… >>457
一般的にはカラヤンのハイドンは嫌気されるけども、
パリセットあたりは良い出来だと思う。
わりとよく聴いてる。 カザルスの正規録音って、45、94、95だっけ
軍隊やロンドン聴いてみたい カラヤンは昔EMIにいれた雌鶏、時計なんか結構面白いけど
やっぱ上手すぎて一本調子なのよ >>463
ロンドンだけは
DECCA>EMI>DGGだなあ 464さんに同意です。
思うにオケのチョイスも関係してるとは思いますが。
DGのパリセットは、メヌエット楽章がどうにも。
後に録れた、ザロモンセットはそうでもないのですが。
「雌鶏」旧録は、これぞカラヤン!って感じですよね。
「ブロイラーみたい」という批評もあったように記憶してますが、好きですね。 DGのヤンカラパリセットでいいとこは
初出のLP・CD(CDはそれように新しくデザインされた)のジャケデがH.マティスってところだけだなあ。
演奏はヤンカラとH.マティスのファン以外にはおススメいたしかねる ↑なんと言っても、
ベートーヴェンの全集にド肝抜かれました。
あのジャケットだけで買おうかと。
買わなかったけど。
CD仕様はいまひとつ。
スレ違い? あの番号数字が燃えていたり凍り付いてたりするシリーズですよね
ああいうシンプルだけどインパクトのあるカヴァーデザインって
今ないよねえ
因みにDGのオルフェウス室内管のハイドンシリーズも
彼のデザインですね。初期に出た2,3枚は楽団員の集合写真で
つまらんけど、さすがにハイドンでアー写じゃセールスポイント低いやね
もともと演奏者が好きでその流れで付き合いで買うってのが
一般のハイドン像なんじゃないかな ザロモンセットって、
大体、18世紀のロンドンの風景か、
いまのロンドンのシルエットか、
あるいは指揮者(例えばブリュッヘン、ショルティ)、
あるいはハイドンの肖像画とかだもんね。
DGのカラヤン、オルフェウスはたしかにそそられました。
88番の、ベーム4人、バーンスタイン16人は、
ちょっと好きだったが。 ヨッフム=ロンドンフィルの
LPがその草分けかも。 ハイドンも長めの序奏入れないで、
いきなり主題から始めれば人気が出た曲たくさんあると思う
もったいないことをした 序奏で長そうとか退屈そうとか眠いとか感じるんだと思うんだよね
ハイドンの楽曲にあまり慣れてない聴衆は 40番台は結構メジャーだが序奏のある曲はなかったと思う
中期以降で序奏を加えたのは50番が最初 ちなみに50番はかつては40番台と同じ疾風怒濤期の作品だと考えられていたが
最近はもっと後の作品だとされている 64番(これも序奏なし)が代わりに疾風怒濤期の最後に入っている 序奏のある交響曲で全体的に好きなのは「オックスフォード」 「オックスフォード」は作曲技術的には使い回しが多いんだろうが大丈夫ザロモン交響曲もほとんど使い回し
ハイドンはロンドンの保守的な聴衆の好みを考慮してあえて使い回しを選んだ >>475-476
ザロモン交響曲のスレだからザロモン交響曲12曲中11曲に序奏付いてる偏りが気になったのかもしれないけど
パリ交響曲は半々だったしハイドンの交響曲全曲眺めると実は序奏付いてない交響曲の方が多かったりするんだよ
初心者へのオススメクラシックで「驚愕」「軍隊」「時計」等をハイドン入門曲として挙げるのも良いけど「マリア・テレジア」とかももっと積極的に推してほしい 初期、中期とかCD少ないしな
結局はザロモン交響曲になる 昔モーツァルトの交響曲のファンだったが、ハイドンのシュトゥルム・ウント・ドラング期の交響曲集(40番台中心)を聴いて一気にハイドンの交響曲のファンになった ぶった切るけど。時計を聞くと昔々の大学受験ラジオ講座とか百万人の英語なんか思い出す。あれは誰の演奏だったのだろうか? 65番を聴いたのはソロモンズ盤が初めてだったが
(ソロモンズ盤では65番は疾風怒濤期の後期(Vol.3)になってた)
もうすでにハイドンの実験性とユーモアが溢れていると思った
疾風怒濤期で一番好きな曲
(現在は疾風怒濤期よりも前の作品だとされている) 疾風怒濤期はいまだにソロモンズ盤がベストだと思っている
とくに金管楽器としてのホルンに安定感があるんだよね ホグウッドAAM、グッドマン盤、それにソロモンズ盤は
なまじっか全曲録音を謳った企画だったので
マイナーレーベル他社がうまく引き継いで補完することは叶わなかった。
クイケンの場合は逆に全曲には到底至らぬ曲数にもかかわらず
ヴァージン→dhm→アクサン(朝昼晩のみ)と3レーベルを渡り歩いて
パリ全曲から104番ロンドンまではしっかり揃っている。
クイケン自身が指揮者としてハイドン推しという事実も
忘れちゃならねえ男意気 既出かもしれないが
ハイペリオンのグッドマン&ハノヴァ―バンドの全集と
ソロモンズ盤のレコーディングプロデューサーはmartin compton氏なんだよね。
因みにホグウッドのザロモン室内楽編の「軍隊」「ロンドン」も氏による録音だ。
この録音、原盤がオワゾリールではないため(フォリオソサエティ?)
P.ウォドランド氏によるものではないのだ。
compton氏はまだ現役なのだろうかそれとも鬼籍に入られてしまったか… ソロモンズ盤ほしいな
以前、中古屋で見たけどすぐ売れた 中古屋やヤフオクでたまに見かけるけど
安くなるまで売れ残ってることはまずないな。
プレ値になることもないので転売屋にゲットされることもないが。
LP後期からCD初期のリリースであったため
もう2セット(LP、カセットテープで6枚分)発売されたにも
かかわらずCD化されなかったという残念無念なエポックメーキングな迷盤。
もしマスターテープが残っているならsonyはブルーノヴァイル盤と組んで
ボックスで出せばいいのに。残の曲を他の演奏者で補填するなどという
無理なことはしないでよし。 ソロモンスのCD化されなかった残りの2セット分というのは
現在は疾風怒濤期とはみなされない範囲の曲なのだが
ソロモンス盤はしっかり「疾風怒濤期」とタイトルしていて
そのへんもエポックメーキングなワイルドさを感じる。
いまだピリオドアプローチというと単にテンポが軽いとか
ffのアタックが凶悪なまでに鋭いというイメージを持ってる人も
少なくないかもしれないが
ソロモンス盤は喜遊曲的というか
(そもそもエステルハージ楽団の人数・規模がそうであったように)
室内楽的な鄙びた響きの名演なのです。
ゆーちゅーぶでも聴けるので
ハイドンの音楽が好きならぜひ聴いてみてほしい。 正直、ソロモンズ盤ってそこまで絶賛されるほどか?と思ってる
あと、このスレはザロモン交響曲スレなんだよね 少なくとも疾風怒濤期の12曲はソロモンズ盤が俺的にスタンダードになっている
昔学生だった頃なぜか県立図書館で借りれたのでCDラジカセでカセットテープにダビングしてた
1990年前後の話 ホグウッドの録音とは時期的にだいぶ開きがある印象 ソロモンズはヴァイオリン奏者としても有名でおそらくはハイドンと同じようにヴァイオリンを弾きながら指揮していると思われる
45番の最後のヴァイオリン二重奏も一方はソロモンズだろう レコードがこれまでザロモン交響曲一辺倒だったいう事態と
またそれ限定のスレに異議なしの人には
>ソロモンズ盤ってそこまで絶賛されるほどか?と思われて当然です モーツアルトの若い番号の交響曲は子供の頃の習作で、いかに神童といえど
つまりはクリスチャン・バッハの模倣にすぎない曲が連なっているだけなので
後期交響曲に集中して演奏・録音されるのは然るべきことと言っていい。
それに倣ってハイドンも後期の交響曲ばかりをピックアップすることは
ベートーヴェンの先達としてのみの評価であり、大きな誤りなのである。
ハイドンは作曲を始めた時から創意工夫・斬新さを迫られる環境下にあり
どの時期の曲にも新鮮な息吹がある。
フィッシャーの交響曲録音より先に着手されたソロモンス盤の登場というのは
レコード史上どれほどエポックメーキングな録音であったかは
後世の人々にはちょっと計り知れないことなのかもしれない。 ハイドンの交響曲とモーツァルトの交響曲を同じように扱うのは馬鹿げている
たとえば緩徐楽章はモーツァルトがアンダンテ一択なのに対しハイドンはラルゴからアレグレットまで幅広い 63番「ラ・ロクスラーヌ」
ソロモンズは第1版を、フィッシャーは第2版を録音、ホグウッドは両方録音といいとこ取りしてる
両版の違いは、第1楽章のオーケストレーションが大分違う(第1版の木管が第2版では弦に置き換えられている)のと、第3・4楽章が全く別の音楽 後期より中期の曲の方が好きだけど堂々と開き直ってスレタイ無視する気にはならんなあ… 開き直って無視というよりは
毎月のように新譜がリリースされる作曲家と違って
ザロモンセットの旧録音の話題のみではスレが成り立たんのです
上にも書いたけど、モツ後期交響曲と違って
ハイドン交響曲の真髄がザロモンセット12曲のみではない
という事が一番の難点ですかね。
ザロモンセットのみでハイドン交響曲を一様に評価してしまおう、
されてしまうという事態が
前世紀までのハイドン不人気にもつながる原因ではないかと
小説のようにはじめの方から聴き進むことでハイドンのうまみが出る
わかってくるみたいな
おいしいとこだけつまみ食いでOKなキャッチーな作曲家とは
楽しみ方も違うというもの。
ということなので、遠慮なくザロモンセットの話題をしてくだせえな 「事実は小説よりも・・・」ではないが
例えば、閉鎖的な私的空間のために作曲されたはずの「告別」が
作曲家も知らないうちにパリで演奏されていて
それに気を良くした作曲家はパリ交響曲の1曲に
「告別」のワンフレーズを入れたというその茶目っ気というか
サービス精神というか感性。
あぁ友よ、ザロモンセットだけがすべてではないのだ!
( ^ω^)・・・いいから気にせずザロモンセットも語ってね。 ハイドンの交響曲の普及にはフランソワ=ジョセフ・ゴセック(1734-1829)が大いに貢献している
詳しくはWikipediaを参照 疾風怒濤期の交響曲はハイドンもいいけどヴァンハルもいいよね
ハ短調(c2)の交響曲の緊迫感が好きだ
ナクソスでハイドンを何曲か録音してるケヴィン・マロンがヴァンハルも録音しててこれがまた素晴らしい モーツァルトやハイドンばかり録音してないでもっとヴァンハルも録音していくべきだ
そう思わんかね ハイドン以外はさすがにスレ違いじゃね?
と一瞬思ったがよく見たらスレタイのどこにもハイドンの名前無かったわ
同時代の作曲家ならOKかもな >>512
ヴァンハルも好きだけど今は北欧のモーツァルトことクラウスにハマってる
昔マイナー古典派作曲家スレがあったっけ 知られざる古典派をメインに語ろう
http://jfk.2ch.net/test/read.cgi/classical/1218533064/
1 :名無しの笛の踊り:2008/08/12(火) 18:24:24 ID:rDiyJpuw
【本スレのルール】
1.一般には余り知られていない作曲家を取上げ、彼らの音楽
作品をメインに語るスレです。関連する他の話題、例えば
有名作曲家の話題や同時期の他分野芸術の話題もOKですが
バランスを考え、そちらがメインにはならないよう
配慮をお願いします。有名作曲家をメインに語りたい方は
本板の他スレへどうぞ。 モーツァルトの三大交響曲やベートーヴェンやシューベルトの初期交響曲よりザロモンセットの方が魅力的だなあ。
モーツァルトやベートーヴェンは曲を覚えたらあまり繰り返し聞く気にならないが、ザロモンセットは何度でも聞ける。
特にピリオド演奏でいろいろな演奏が可能になったので、違いを楽しめる。
ザロモンセットはいまだに過小評価されている。 ザロモンセットってベスト盤がこれといってないのも
過小評価に繋がってる気がするんだけど気のせい?
いや、ご贔屓の指揮者の演奏にケチつけるつもりはなく
お気入りの演奏を各々楽しんでほしいものだが…
自分としては往年のモダン楽器ザロモン交響曲録音の減点は
全体的にブレンドされたいわゆるロマン派向きの
マイルドなオケ・サウンドに仕立てられているもの。
(指揮者なのかプロデューサー&エンジニアの責任か知らないが)
その点で曲を理解してるかしてないかが露呈されることになる。
いるのかいないのか判らないようなパートがあっては曲の魅力も半減するというもの。
コリン・デーヴィス=ヘボーの「くま」・「めんどり」の(特にティンパニの)録り方が理想。
バイオリンは両翼配置でなくてはステレオ効果に欠けてしまうのだが
これが少なくてピリオドのクイケンですら両翼配置でない…
テンポはそんながつがつと急がなくていい、むしろ「ロンドン」の第一楽章などはテートECOくらいが好み。
「軍隊」は打楽器が元気なアーノンクール=コンセルトヘボー。
「驚愕」「奇跡」はホグウッドAAM盤かな。
うわみんな鬼籍の指揮者やん。新録音はよ。
ライブのワンテイクその場しのぎ録音はやっぱダメですな。 最近奇跡の素晴らしさが分かった。
玲瓏たる宝石のような交響曲です。 太鼓連打の冒頭を自由に叩きまくる録音って現在何種類ぐらい?
最初に録音したのはアーノンクール? どうだろう。
そういうのまず興味のある>>523本人がデータ収集するもんだよ。
自由に叩きまくってる録音はそんなにはないと思うけどね。
ただ出版譜によってドラムロールの指示が
ありがち?なpからfにクレッシェンドしてpにディミヌエンドするものだけでなく
強弱記号なしのものとか、数種あるようなので
どうやるかは指揮者に委ねられてる部分ではある。
アーノンクールは「イントラ―ダ(=イントロ=導入部)」という指示を
ルネサンス〜バロック期の曲「イントラ―ダ」とかけて誇大解釈したわけですが…
さて、今夜はファイ盤を聴きながら寝るとするか… >>523
そんな駄曲のこと聞いたって誰も知らんから答えられんよw 俺が聴いた範囲内では
アーノンクール/コンセルトヘボウ
アーノンクール/ウィーンフィル
D.R.デイヴィス/シュトゥットガルト室内管
ミンコフスキ/ルーヴル宮音楽隊
が変な叩き方しとったな〜 アーノンクールに影響を受けたファイもロールの途中でアドリブをかましているが
終盤(201)はアドリブを入れず。
因みにオートグラフはダイナミクスの指示なしだが
ザロモン編クインテットにff 、 トリオ編(音盤ある?)に<>の指定があることから
ロビンズ・ランドン校訂譜(ウニヴェルザール出版/音友)はカッコ付で ff> の指示を与えている。
クイケンもノリントン(旧盤)もランドン版に従っているが
ノリントンは終盤部では<fff>でやらせている。
(ティンパニはいつものロバート・ハウズでなくベネディクト・ホフナング) そういえばファイ盤をまだ聴いてなかった
情報ありがとう トーマス・ファイ
彼はマンハイム音楽大学で指揮とピアノを学ぶ。
その後、ザルツブルク・モーツァルテウム大学にてアーノンクールにバロック音楽、
シュレシュヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭 にてバーンスタインの指揮のクラスを受講。
ファイはアーノンクールチルドレンの一人だよね ライブ演奏とはいえチルドレンではないであろうラッセルデーヴィスにも影響を与えてるのだから
アーノンクールは目がとび出てるだけじゃなかった。 Q.
ファイさんは、もう指揮できないのでしょうか?
日本では情報があまりに届かないのでお尋ねした次第です。
お分かりになる範囲でお教えいただければ幸いです。
A.
トーマス・ファイは、2年半ほど前の階段での大怪我の後遺症で現在もまだ療養中でして、我々も彼が今後復帰できるの残念ながらわからない状態です。
ハイドン交響曲全集の残りが約3分の1程ありますが、小編成の曲ばかりなので現在のところ指揮者無しでの録音が少しづつ進行中です。 一番新しいのがこれだったな
http://img.hmv.co.jp/image/jacket/800/75/2/1/730.jpg
Disc1
● 交響曲第6番ニ長調 Hob.I:6『朝』
● 交響曲第7番ハ長調 Hob.I:7『昼』
● 交響曲第8番ト長調 Hob.I:8『晩』
ハイデルベルク交響楽団
トーマス・ファイ(指揮)
録音時期:2014年3月
Disc2
● 交響曲第35番変ロ長調 Hob.I:35
● 交響曲第46番ロ長調 Hob.I:46
● 交響曲第51番変ロ長調 Hob.I:51
ハイデルベルク交響楽団
ベンジャミン・シュピルナー(コンサート・マスター)
録音時期:2016年6月 ザロモンセットの録音は残すところ101「時計」のみだっただけに
全集録音が終わる頃には復帰して〆に101だけでも録音できたらいいのに
このシリーズ録音は今となっては珍しく
残響の少ないハイドン交響曲にふさわしい音づくりなのです。 家の中で転倒したんでしょ
声優の故塩沢兼人みたいだな 家の中だって何処だって
打ちどころ悪けりゃ死ぬる
赤ちゃんや幼児はすぐ泣けば平気だけど。 プラハ室内管弦楽団の指揮者なしのザロモン交響曲集が意外によかった https://www.youtube.com/watch?v=DzxM3Je93IQ
これTVの録画だと思うけど
えらくティンパニがよく録れていて小気味よい。
Vnが両翼じゃないのが残念だけど、
下手なセッション録音よりいい音のハイドンだ。 失礼
Sinfonica deGalicia の自主チャンネルだった ティンパニはじめ各楽器がここまでクリヤーに録音できている例は
セッション録音とてそうそうない。
比較的分離が良いファイ盤でもここまで満足いく音ではない。
まさに「奇跡」の録音である。
95点。マイナス5点はホルンと木管がやや弱い。
今後このくらい明るい音のハイドン録音が続々出るならばハイドンも
もっと人気が出るに違いない・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=DzxM3Je93IQ マイナス5点はホルンの音がやや弱く、Vnが両翼配置でない に訂正… 聴く曲がほとんどハイドンになって20年近く、それぞれ、聴く演奏が好みの二三種類に限定されて来たので、この辺りで、少し多様な演奏を聴き直してみようと、去年辺りから、持っているCDを中心に聴き比べを始めてみた。
ハイドンを聴く時間はカルテットが一番多いが、やはり交響曲の魅力は強く、交響曲は、疾風怒濤期もパリ交響曲の前後にも好きな曲は多くあるが、ザロモンセット(なかでも後期)にさらに強力に引かれてしまい、他の曲になかなか行かない。
聴き比べも、第二次ザロモンから始めて第一次にと進んだが、この間、第一次の方は、どうしても、94番を含めて、第二次よりなんとなく軽く見て、あまり聴かずに来た。。
ところが、94番をいろいろな指揮者で聴いてみて、こんな多彩な表情をもつ面白い曲だったのかと驚き、その面白さにとりつかれてしまった。ハイドンを聴いてきたと言いながら、今更ながらですが(笑)。 その本筋ではないが、ブリュッヘンの94番も初めて聴いて驚いた。これをかけたとき、「あれっ、ベト5をかけたっけ」と思うほどの「驚愕」。
たしかに、94番は、穏和な面とともに打楽器が多く入っている不思議なところがあるが、それを一方に押し進めると、こうした演奏になるという好例を示してくれたと言えるかも知れない。
この演奏自体は、味わいがあるかどうかはともかく、しかし、これを聴いて、こうしたブリュッヘン演奏の「本家」のようにも思えるベト5そのものを聴きたくなった。確か、はるか昔、
ブリュッヘンのベト交響曲演奏が話題になったと耳にしたような記憶がある。ハイドンでこれだけだから、ベト5はどんなに凄まじいのか、それとも、意外にも……なのか。
それで、ブリュッヘンのベト5をとりよせて、何十年ぶりかにこの曲を聴いてみた。 聴いてみると、「それとも」の方だった。ベト5の他の演奏を聴いていないので比較できないが、抑制も利いた良い演奏なのではないかとは思った。
それはともかく、久々にベトの交響曲を聴いて、ハイドン交響曲との比較に興味が引かれた。
響きはずいぶん似たものに感じる。ベトの名作の一つ、5番が聴いていて心地よくないはずもない。
しかし、特に感じたのは、ハイドンは主題を展開しながら表現するが、ベトは主題で表現してしまうというところだった。5番は特に、それが強く出ているのだろうが、ベト交響曲は、全体に、
こうした傾向があったように思う(長らく聴いていないので、他は昔の印象だが)。
ハイドンは、多くは、一見単純で短い主題が、経過や展開部で次第に巧みに展開され、曲が構成されて行く。こうした曲は、何度聴いても飽きず、わくわく感がある。
それに対して、ベトは、第5では、第一、第四楽章が顕著だが、主題で表現しきっているため、後が続かない。これでもか、これでもか、という感じになってしまい、聴いているのが少々つらくさえなる。
ハイドン交響曲が、ベトの一歩手前まで来た、などと評論家が言うことが定番になっていたようにも思うが、その内容からすると、到底、そのようには感じられない。 芸術には、抑制や省略が、なんらかの本質的な一要素のように感じるのだが、ハイドンの方が、こうした面も含めて上を言っていると感じられる。
ザロモンセットは、一見、同じような外見の中で、その内容を多彩に展開していることで、かえって、その多彩さに感動させられる。それに比べると、ベトは、その外見(絵で言えば「額縁」?)まで含めて、
必死に多様化を図り、背伸びしてハイドンを超えようとしていたように見える。第九など、とにかく名曲を書かなければ、という必死さがびりびり伝わってくる(それ自体、悪いことではないが)。
それに比べて、ハイドンの作曲も、神経を張りめぐらせていることを感じるが、しかし、また深い余裕も感じられる。
交響曲ではこのように感じるが、ベトは、ピアノ曲ではハイドンよりもより進んだものを残しているとは思う(交響曲は似ているが、それでも、ハイドンは弦、ベトは打楽器的なピアニズムが背後にあるように感じる)。
ブリュッヘンのおかげで、久々に面白い体験をした。
長文失礼。
ハイドンとベートーベン、みなさんは、どのように聴いていますか。 545〜548です。
かなり久々の投稿でなれずに上げてしまった。
もうしわけないm(..)m ベト第九は最後ストレートに声に出して問いの答えを出しちゃうじゃない
だんだん耳が聞こえなくなっていくというハンディを抜きにしても
白黒はっきりさせたい命を賭して作曲していたように感じる。
ハイドンの場合、中には執務的な作曲家でね…という答えが
聞こえてくるような演奏も少なくないわけだが、さにあらず
彼は浮浪児同然の作曲家生活を始めることになり
ヨーロッパの冬は寒く凍死しなかったそのバイタリティが
彼の曲には秘められている。 ウィーン・フィルのザロモンセットが聴きたい
誰か録音する勇者いないかね >>551
セットにはほど遠いが
プレヴィン96,102,104(Philips)、バーンスタイン94(DG)
がウィーンフィルによるデジタル録音のザロモンナンバー。
メジャーレーベルによるクラシックのセッション録音が縮小されて以来
オーケストラが自主レーベルでも企画しなければ
新しい録音にはお目にかかれないのではないか?