ブルックナー交響曲第00番0番1番2番
あまり語られない、ブルックナーの初期の交響曲について語りましょう。 マジレスなら、
0=零=ゼロ=ヌル。
007ならヌルヌルジーベンとなる。
0番は序詞扱いだからヌルテ。
00番は知らない。
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ヘ短調の習作は別にして、0番から2番まではミスターSが読響のコンサートで
取り上げたおかげで、実際の音として素晴らしさが判った。このあたりの
音楽が好きになれば、正真正銘のブルックナーファンだと思う。 00番って、むかしはマイナス1番って言わなかった?
シャピラ盤EMIしかなかったころ。 自分の場合、第2番は聴き初めの頃は地味で印象薄かったけど、
聴いていくうちに徐々に味わいを感じるようになった
なんとなく秋のイメージの曲
特に緩徐楽章が良い 0番が1番よりあとだということが定着してきたから番号をつけかえなくては・・・・・・ >>16
ブルヲタなら現在の番号付けのままでも異稿に至るまで成立順を覚えてしまう。
ブルに興味のない人達にとってはただでさえマイナーな初期交響曲の成立順なぞどうでも良いだろう。
「第0番」が第1番より前の作品と誤解されないようにするにしても、
「第0番」があくまで通称であると強調するなり、
「第0番」を使わず番外の「交響曲ニ短調」と呼ぶなり、「無効」と呼び変えるなりすれば良い。
まあ、ブル好きと言いつつかつて覚えた知識を更新しようとしない人達が問題かもしれないけど、
そもそも作曲家が自ら番号を定め、出版もそれに従ってなされて定着した現在の第1〜9番なわけだし、
それを後世の人間があえて変えるまでもないってところ。 自筆譜、筆写譜にはすべて現行の番号が書かれている。(《第三交響曲》以降しか見たことないが・・・)
それがジレンマになるだろう。
しかし、「無効」というのは「00番」と同様許し難い。
作品が無効なのではなく、《第二交響曲》という番号付けが無効なのだから。 >>5
ダブル・ゼロと英語読みしているから
ドッペル・ヌルテじゃない?
0番と区別する為に、便宜上そう呼ばれているだけだって...
ヘ短調で良いんじゃないの? ヤング女史の第2番
スケルツォが2楽章に入っているが、正解なの? >>25
全集の第1稿はそのように出版されている
ただ、校訂者自身が報告しているように議論の余地があるところで、
ブルはアレグロ-スケルツォ-アダージョ-フィナーレの楽章順とする構想で作曲したけど、
完成後にウィーン・フィルに試演してもらう段階で中間楽章の順番を入れ替えたらしい
(つまり、第1稿がスケルツォ-アダージョの順で演奏される機会はなかった) アイヒホルンのアルバムは1872年版と1873年版の
2つのヴァージョンが収まっているから聴き比べが出来る...
ティントナーも1872年版の方だった。 >>27
そんな単純な認識でかたがつくような問題ではない。
>>26
キャラガン校訂版がなかなか全集版から出版されなかったのは、そういう問題があったからだろうと推察される。
でも、結局キャラガンに押し切られたんだろうね。
>>25
正解かどうかは、第1稿自体をどう見るかにかかってくる。
ヤングは単にキャラガン版を音にしただけであって、彼女に対してそれが正解だったかどうかを判定しようとするのは誤りだろう。 交響曲第1番が最近好きになりました。アバドの指揮で。
第1番の超絶名演ってありますか? >>29
定番としてよく挙がるのはヨッフム(DG) >>30
うむ。1楽章のコーダと終楽章コーダ突入部は凄い >>32
第1番
ウィーン稿による数少ない全曲録音の一つ
ヴァントの芸風だろうけど、ウィーン稿のオーケストレイション+リンツ稿のテンポって感じ
でも自分は、どうせウィーン稿を聴くなら味付け濃い目で…とシャイー盤を聴く
なお、スケルツォの繰り返しは完全にダ・カーポするオプションを採用
第2番
自分は結構良いと思っていて、ポータブルオーディオに入れている第2番はこの録音
ヴァント自身が満足した出来らしく、後にNDR響で全集録音をしなかった理由の一つ(もう一つは第1番が嫌)
なお、ハース版使用だけど緩徐楽章コーダは第2稿の方を採用 第2番の最後みたいな唐突な長調に転換は、ピカルディ終止みたいなもんですか?
>>34
専門的にはどう分析されているのかよく知らんけど、
ブルックナーの宗教音楽との繋がりが交響曲に現れた一例なのかもしれないね。
もっとも、第2番の場合は、
第1稿やそれを取り入れたハース版・ノーヴァク版のカットをしない演奏だと、
コーダの1回目のクライマックスは短調のままで終われず、2回目でついに長調に転じて終わる、
という「タメ」のようなものがあるから、カットをした第2稿どおりの演奏よりは唐突感が薄いかと。
(ブルックナーの作品を聴き慣れているからそう感じるだけかもしれないが…)
物凄いのは、第2番の前作「第0番」の第4楽章、そして第8番第1稿の第1楽章。 なお、ネコケンの解説本には、
「ブルックナーはロマン派の時代にあって文学(聖書を除く)への関心が薄く、
その交響曲(特に初期のそれ)をベートーヴェン的な起承転結のドラマを前提に聴くと肩透かしを喰らう」、
という趣旨の指摘があり、例として、短調から長調へ唐突に転調して終わる点が挙げられている。
「最後は神を讃える長調で終わることだけは決まっている即興演奏のようなもの」とも。
作曲家存命中から、「ブルックナーの交響曲は有機的な繋がりや論理性に欠ける」、
といった批判があったことが伝えられているけど、
まあ、そういう否定的意見が出ても仕方がない事情はあったと思う。 スレチだがマタイの終曲ってピカルディ終始ではないよな。あれが後をひく原因か。 スウィトナーが振ったブル録音のディスクとしては、
幸か不幸か、第2番も第3番同様に、N響ライブ盤が初出にして現状唯一ってことになるんだなあ 金管パートの音符に
付点付けるだけしか脳のなかったブル。
なにが面白いのかわからない。 ブルックナーはあんまり面白いもんじゃない
ブルックナーの魅力は面白さじゃない 「00番」は最初「習作交響曲」と呼んでたよ
クルト・ウェス指揮の初演だっけ ヘ短調の交響曲は1曲だから、そもそも「第0番」よりは愛称をつける必要性は薄いんだよね
全集版には確かに「習作交響曲」と添えられているので、今でもこれが「公称」に近いんじゃないかなあ
「00」は語呂合わせ的に良いけどね、最初に呼んだのは誰なんだろう >>47
熊本駅の豊肥本線ホームって変な番号だった気ガス >>48
ググッてみたら、0A・0B・0C番線があるみたいね
ときに、大フィルの第2番第1稿聴きに行ったブルヲタいたら、ヲタ的レポ希望 ヘ短調を数年ぶりに聴きました
引き続いてニ短調を数年ぶりに聴いてみます
どちらもインバル/フランクフルト放送です 0番のスケルツォ、久しぶりに聞いたらノリノリでいいなあ。
ブルックナー苦手って人は、この辺の曲から洗脳していくのもいいかも。 >>51
第1番のスケルツォとまさに姉妹作って感じ
ブルヲタの贔屓目かもしれんけど、
「思わず出撃したくなるクラシック・メドレー」みたいなのに混ぜても違和感ない 00番はインバル指揮の演奏で好きになりました。
0番はヤノフスキ指揮のオルフェオ盤で好きになりました。
1番はヴァント指揮ケルン放響のウィーン稿で好きになりました。
2番はヨッフム指揮ドレスデン国立管の演奏で好きになりました。
2>0>1>00 ていうランク付けですね。2番の第2楽章の美しさはパネェ・・・・・ >>53
0番オルフェオ盤はライトナーだったような・・・・・ >>53
>2番の第2楽章の美しさはパネェ・・・・・
禿同。この楽章凄すぎ。
汎神論の極致。6番2楽章に通じる。
一番、ウィーン版シャイー以外にもう聴けない
終楽章コーダ もっと演ってくんないもんか まず0番を2番にして00番を1番にして
元2番以降を繰り上げにすれば万事解決。
交響曲第1番ヘ短調
交響曲第2番ハ短調
交響曲第3番ニ短調
交響曲第4番ハ短調
交響曲第5番ニ短調「ワーグナー」
交響曲第6番変ホ長調「ロマンティック」
交響曲第7番変ロ長調
交響曲第8番イ長調
交響曲第9番ホ長調
交響曲第10番ハ短調
交響曲第11番ニ短調 まず0番を2番にして00番を1番にして
元2番以降を繰り上げにすれば万事解決。
交響曲第1番ヘ短調
交響曲第2番ハ短調
交響曲第3番ニ短調
交響曲第4番ハ短調
交響曲第5番ニ短調「ワーグナー」
交響曲第6番変ホ長調「ロマンティック」
交響曲第7番変ロ長調
交響曲第8番イ長調
交響曲第9番ホ長調
交響曲第10番ハ短調
交響曲第11番ニ短調 >>56
うちさぁ…レア盤あるんだけど、焼いてかない?(CD-Rに)
>>58-59
大事なことなので2(r
それはともかく、
初期交響曲を作曲年代順に並べるために、
作曲家自身がつけた番号をごっそり変える必要まではないと思う
変えるなら番外の2曲の通称をピンポイントでどうにかする方がまだ現実的では 第2番は確か初演を指揮した指揮者の録音が残ってる。ヨッフムの兄さんのヤツね。
ミチョラーなもんでまだ聴いてない。第1番はノイマンも聴かせてくれるし、ジュリーニの第2番もなかなか面白かった気がする。 まず0番を3番にして、00番を1番にして
元1番を2番に、元2番以降を繰り下げにすれば万事解決。
交響曲第1番ヘ短調
交響曲第2番ハ短調
交響曲第3番ニ短調
交響曲第4番ハ短調
交響曲第5番ニ短調「ワーグナー」
交響曲第6番変ホ長調「ロマンティック」
交響曲第7番変ロ長調
交響曲第8番イ長調
交響曲第9番ホ長調
交響曲第10番ハ短調
交響曲第11番ニ短調
あるいは
まず0番を2番にして元2番以降を1つづつ繰り下げ
そのあとさらに、00番を1番にして 元1番以降を1つづつ繰り下げ
にすれば万事解決。
交響曲第1番ヘ短調
交響曲第2番ハ短調
交響曲第3番ニ短調
交響曲第4番ハ短調
交響曲第5番ニ短調「ワーグナー」
交響曲第6番変ホ長調「ロマンティック」
交響曲第7番変ロ長調
交響曲第8番イ長調
交響曲第9番ホ長調
交響曲第10番ハ短調
交響曲第11番ニ短調
>>60
> 作曲家自身がつけた番号をごっそり変える必要まではないと思う
必要無いどころか、そんなことしたら大混乱だよ。
シューベルトで「未完成」と「グレート」の番号順を変えただけでも、
大変だったのだから。ブルックナーの場合は、初期の曲の番号を変えるから、
玉突きで後期の曲まで全部変わってしまって、大混乱になる。
>>62
これでは、例えば「第3番ニ短調」と言っても、いわゆる「ワーグナー交響曲」
なのか、現在の第0番なのか区別できなくなる。アホすぎ。 あと、「交響曲第9番ニ短調」って結構重要だと思うw
まあ、発表の機会が乏しい時期が長かったわりには、
自筆譜から番号を付けて、バラバラのタイミングで出版された初版でも番号がずれなかった、
というのは実は大したことなのかもしれない
数に病的なこだわりを持ったブルックナーのこと、そのことに満足なのでは どうでもよいことだけど、ブルックナーで最初に出版された3番の表紙には
番号が印刷されていないんだよネ。
そして、7番や4番が出版された後に出た、第3稿のときも表紙には番号がない(スコア本体にはあるけど)。
それと、ブルックナーには作品番号がないんだよネ。 なんだなんだ・・・スレのテーマから外れてきてるな。ま、2chだから
しょうがねぇか・・・ まあ、引っ張るネタでもないけど、既に総合スレ向けだわな ヨッフムの1・2番はドレスデンのEMI盤のほうが好きやわぁ
アダージョは艶消しの重厚な響きのほうがいい 2番の4楽章聴いていると、特に最後の方のところ、
カットしないで演奏してくれる人って少ないよね。
ヨッフムもカットしてるよね
やっぱり全部やってほしいなあ。 本来なら第1稿にしかないはずの部分だけど、
最近はその第1稿での録音が増えてきて、耳に馴染んできた
もともと、第2番は比較的改訂前後の変化が目立たない…というか、
ハース版以来、第1稿に独特な部分が演奏可能だった影響は大きいかな >>71
そうだよね。ハース版は第1稿のおいしいところをかなり既出にしてしまった
ため、
第1稿が出てきたとき、聴きどころはフィナーレの旧稿くらいしか残らなかった。ただでさえ目立たない第2の版問題が、ぼやけてしまったとは言えるね。 2番に関しては、ハース板は「理想的な折衷版」でしょうね。 >>74
ハースのやり方を批判したノーヴァクも、
第1稿を出版できる見通しが立たなかったからかもしれないけど、
該当箇所の版を差し替えず、カットすべき箇所への未練を告白しちゃうし、
ついに第1稿を出版して第2稿も一から版を起こし直したキャラガンでさえ、
巻末に付録(Anhang、appendix)として載せる方法も可能だったろうに、
第2楽章のカットされた部分を組み込んだもんなあ いっそ、ブルックナーの楽譜はデジタル化すると良いかもしれん
異稿・異版のデータを収録して、
端末上で各楽譜を切替表示したり、部分的に差し替えたりできるようにする 2番って決定盤ないよね。
まあ、良い悪いなんて全て主観なんだけど・・・
ジュリーニ聴いたことないけどどうなんだろう・・・ この前、ラジオをつけたら交響曲が流れていたんだよ。
聞いたことがない曲が流れていたんで、いつものように誰が作曲したかを予想して
聞いていたんだが・・。どうも曲が終りに近づいているようだったんだけど、
やたらに、管弦楽の音が上下しているんだ。それが無意味に続いてその音がまるで
黒板を○○で引っ掻いているような背筋から首筋にかけて鳥肌が立つようなメロディー
だったんだ。
そして、確信した。このような曲を書くのは奴しかいない、そう奴だブルだ
曲が終わって曲名を聞いたらブルの1番だった・・ 1番はウィーン稿がいいと思ってる。ヴァント/ケルン放送響がベスト。シャイーはモッタリ感があって好かん。
2番はヨッフム翁とドレスデン国立管がベスト。>>79のジュリーニ盤は自分には合いませんでした。コンパクトにまとまりすぎた感がちと・・・・・ 2番はマルクス・ボッシュどうかねぇ
演奏も録音もかなり高水準だと思うけど・・・
1楽章がちょっとテンポ速いかな >>83
第2稿「モデラート」に対して第1稿「アレグロ、かなり速く」と違いがあるから、
この点を意識したのかもね
そうでなくても、この人は概して速めのテンポ解釈のようだし >>84
そんなテンポ指示の違いがあったんだ。
知らなかった。ありがとう。
ボッシュは3番も9番も自分にはちょっと合わなかった。
2番は、残響音を上手く生かしている。
1番も聞いてみるつもり。 >>84-85
第2稿では終楽章以外のテンポがより中庸な方向にシフトした感じ
(速い第1楽章は遅めに、遅い緩徐楽章は速めに、速いスケルツォ楽章は遅めに)
短縮する方向での改訂に合わせてテンポも調整したのかもしれないけれど、
あるいは楽章間の対比・メリハリは弱まる結果になったと言えるのかもしれない
(ハースは短縮した部分の復活と共に中間楽章のテンポを第1稿に差し戻したが…) ブロムシュテットのブルックナー1番
http://www.hmv.co.jp/news/article/1206250031/
LGOとの録音、あれよあれよで番号付きは第2番・第9番を残すのみ ブルックナー聞いて悲しくなるものとは思わんが、00番2楽章だけは別だなぁ >90 定期のプログラムにあったから収録は済んでいるだろう 3番よりも前の作品はブルックナー指揮者でも本当はやりたくないんだろ
ヴァントも1&2番は一1度録音しただけだし
0番を録音した朝比奈ですら1&2番は作品として未熟だからやりにくいと言っていた 1番は、ヨッフム&ベルリン 2番は、スクロヴァで個人的には決まりだが、ヌルテは決定盤がない。 エルネストブールの1番が忘れられない。CDでてないんだろうなぁ >>93
朝比奈に同意。俺も1番2番は0番に及ばないと思う。
あえて0番として世に出しただけのものはあると考える。 朝比奈の場合、「第0番」は90年代の全集録音に含めなかった
その頃のネコケンとのインタビューで、
「11曲の交響曲のうち、失礼だけどこれはもうやりたくないものがある」
と語ったのは「第0番」のことか、あるいは「第0番」も含まれていたんじゃないかなあ
同じインタビューで「ありがたくない」作品として第1番・第3番・第6番が挙げられたけど、
さすがに全集から番号付きを抜くわけにはいかないだろう
ヴァントは第1番と第2番とでは再録音しない理由に開きを感じる
第1番は「作曲当時の精神状況の悪さが作品の出来に現れていて好きでない」
と曲自体への評価が芳しくない
第2番は「第1番から様変わりして、特に前半は良い」と第1番より評価しているけれど、
「ケルンでの全集録音の出来が素晴らしく、あれ以上の演奏はできないだろう」
と録音の必要性を認めていない
とはいえ、録音するかどうかと実演で取り上げるかどうかは別のはずだし、
第2番をあれだけやれれば満足だ、で済ませられるくらいだったのだろうけど ブルックナー自身は試演で蹴られてから死ぬまで「第0番」を世に出さなかった
ただ、「価値なし」「無効」と書き込みしつつスコアを残したわけで、
「後から見れば不十分で、今さら番号付きと同列に戻すことはできないけれど、
言われるほど悪いものじゃないと思うし、この経験があったからより良い作品を作れたし、
これはこれで捨てずに残しておこう」
みたいな自負は内心あったんじゃないかなあ >>99
LIVEみたいな高揚感があるな。
あとロザムンデも ノイマンがブル1しか録音しなかったのは何故なんだろうな。 もともとブルックナーにあまり興味なくて
東独の「ごった煮全集」の一環として録音したからじゃないかな
1番 ノイマン
2番 コンヴィチュニー
3番 ザンデルリング
4/5/7〜9番 アーベントロート
6番 ボンガルツ
放送録音混じりで結果として全集になった感が強いけどね アシュケナージ/ベルリン・ドイツ響が00番だけ録音してるのも不思議だ。 ヘ短調交響曲までの内容なら演奏する気があったんだろうか 車板や楽器・音楽板で有名なゴキブリ先生(またの名をヤス)、
イチローバッシングに精を出すあまり、ブログ内でコメント記入者を脅迫!
これはいけませんね〜
こいつ、在日の高齢ニートです。
http://ameblo.jp/miumalovely/entry-11217864764.html
>3. Re:無題
>
>関西カープさん
>
>奈良県生駒市に住んでいるんですね(笑)
>どうせなら、番地も載せてみましょうか?
みんなでアメブロに報告だ!
http://helps.ameba.jp/inq/inquiry/vio
報告例:
http://sylphys.ddo.jp/upld2nd/pc3/src/1350203456297.jpg
>>108
ライトナーのライヴ盤が最高峰だ。一度聴け。
ショルティ?笑わせんなよwwwww >>110-111
だな。
モリッツ・ライトナーはまだハタチ前なのにたいしたもんよ。 全集の校訂者で分けるなら3人分、稿別に分けるなどするともう少し増える
(1872年稿…第1稿、1877年稿…第2稿として)
ハース版(旧全集、1938年)
第2稿に一部第1稿を引用して、変更された指示やカットされた箇所を復活させ、
改訂の結果音形が変わってそのままでは繋がらないのをアレンジして繋げた箇所もある、
いわばハースの理想版、今日に至るまで影響力は大きい
ノーヴァク版第2稿(以下の版は新全集、1965年)
ハースの行った折衷を修正して第2稿の形をとったと述べているものの、
なんだかんだでハースが復活させた第1稿の部分を残したまま印刷するなど、
全体的に中途半端な結果に
同修正版(1997年)
他の曲と同様に、既存の版にある誤植などに微修正が入った
既に下のキャラガンの校訂は暫定的に公表されていたが、まだ差し替えられなかった
キャラガン版第1稿(2005年)
ついに第1稿を第2稿とは別に出版するに至った
が、第1稿着手から第2稿完成までの間に生まれたヴァリアントの扱いに悩んだらしく、
中間楽章の順序など、校訂者の判断には議論の余地が残った
フィナーレのコーダについては、1873年(初演)稿と1876年(再演)稿での変更を紹介している
同第2稿(2007年)
第2稿も既存の版への修正ではなく全面的に作り直した
が、それでもなお、アンダンテ楽章では改訂でカットされた部分を印刷した
両端楽章のコーダについては、1892年の初版での変更を紹介している >>122
ご丁寧にありがとうございました。
「稿」としては
1.1872年稿
2.1873年初演稿
3.1876年再演稿
4.1877年稿
の4種類があり、1876年再演までは「第1稿がベース」の理解で良いのでしょうか?
中間楽章の扱いについてですが、「スケルツォ楽章が先(第2楽章)」はどの段階なのでしょうか?
ご教示頂ければ幸いです。 >>123
>の4種類があり
「稿」という語をどのように使うのかにもよるけど、年ごとの状態を追うなら、
初版に際して変更のあった1892年の状態は「5.」となるものと
>1876年再演までは「第1稿がベース」
全集では第2稿に至るまでの段階は第1稿の範疇としている(いわばVer.1.○の状態)
1873年の変更は全楽章に渡り小さいものではないとは思うけど、
校訂者としては、当初の音楽に近く独立した稿ではないとの判断
1876年はフィナーレの部分的な変更
そして、1877年はより包括的な全楽章の改訂で、新たな筆写スコアも作成された
(ヘルベック指揮による3回目の演奏が計画され、ヘルベックはブルックナーに改訂を薦めたらしい)
>「スケルツォ楽章が先(第2楽章)」はどの段階
1872年9月11日にスコアを書き上げた時点ではスケルツォ-アダージョの順だったらしい
それが10月の試演までに入れ替えられた www.hmv.co.jp/product/detail/5441283/
シモーネタソの0番 昨日今日と山形交響楽団で1番ウィーン稿やるのか
気づくのが遅かった 2番第1楽章のラスト2小節追加はロッシーニ的アッチェレランド演奏
のためのものだよね。 >>130の誰か聴いた人いるかな
>>131
「2小節」ってことは1872年稿から1877年稿の変更ではなくて、初版の変更か
初版だとpからffまでクレッシェンドしていくからロッシーニ風にやれそうではある
ただ、初版でもアッチェレランドとは書いてない
当時の人なら書いてなくても自然と加速したかもしれんけど >>131-132
2番第1楽章の休符追加ですが、アッチェレランドとは関係ないと思います。
むしろ最後の16-19小節間のテンポ設定でしょう。
1872年稿(およびハース版)では Tempo Io の指定があって、これで10小節前の
Langsamer を打ち消して、この楽章の基本テンポで終わりまでいくようになっています。
これが1877年稿(およびノヴァーク版)では、Sehr schnell の指定に変っていて、
楽章の基本テンポより速くする指示になっています。ほとんどの指揮者は、
ここの部分を2倍速いテンポで(4つ振りを2つ振りに変えて)演奏しますね。
それが1892年稿(および初版)では、77年稿の最後の3小節の部分に2小節分の休符が
追加されて、結果として1892年稿の最後5小節は1872年稿の終わり3小節と
ほとんど同じに聞こえるように改定されてます(厳密には音価が違いますが)。
つまり、この部分だけ1872年稿(とほぼ同じ形)に戻したんだと思います。 >>130
>>132
オペラシティ行って来ました。というのもS席3000円(本拠地山形だと4000円)だし、偶々休みになったので。
オケはホールが山形テルサよりも響くせいか、若しくはウィーン稿だったせいか金管がよく鳴ってまして前に山形でブル5聴いたよりも「爆音?」って感じでした。
私自身がリンツ稿位しかまともに聞いてないせいか本当にウィーン稿は「昔の素材を今新しく料理しました」みたいです、マイスタージンガーやブル8のフレーズが見え隠れしたりしてて。
もうヲタではないのでこのくらいしかレスできませんw以上チラシの裏ですた。 第1番自体の演奏機会が少ないなか、
ウィーン稿で実演を聴ける機会はさらに少ないだろうから、
東京へ聴きに行くべきだったかもしれないなあ >>128.>>135
ウィーン稿の日本初演って、今回の演奏がそれかもよ >>10
初めて聞いた
あとシャピラはノヴァ―ク版ではなくヒュナイス版を使用しているらしい
00番はハースが校訂していないので
ヒュナイス版が第一版になる
扱いは0番のヴェス版や9番のオーレル版や3番のエーザー版と同じ >>138 補足
《ヘ短調》1913年のヒナイス版はユニヴァーサル社から出版、
アンダンテのみ。当時他の楽章のスコアは出版されなかった。
(ピアノ編曲譜だけがゲレリヒ=アウワーの伝記に掲載されていた)
したがってシャピラはアンダンテだけをヒナイス版参照で演奏
したと思われる。その他の楽章はノーヴァク版。
《第九交響曲》オーレル版はハースと同列の第一次全集版。
戦後のノーヴァク版はオーレル版を原版としてそれを修正したもの。 第2番初版の録音はシェルヘンの放送音源が非正規では全曲出てるらしいけど、
↓のTahra盤はスケルツォ楽章だけで残念
一部が出たということはいずれ全部出るんだろうけどね
http://www.hmv.co.jp/product/detail/4929573 マンデアルの全集の第2番に初版の引用があって、
第1楽章は最後が拡大されてるし、
フィナーレはコーダのトランペットとトロンボーンが違っていた
初出時から知られてたかもしれんけど、先日初めて聴いて得した気分に 『ブルックナー・アンノウン〜リカルド・ルナにより室内管弦楽用編曲および補筆完成された作品集』
http://www.hmv.co.jp/news/article/1312190058/
1869年の「交響曲変ロ長調」のスケッチと、
第1番の中間楽章初期稿「zu T/1」の編曲演奏を収録
既にMIDIでは聴くことができたけど、生楽器による演奏としては初録音
(こうなると2管編成の管弦楽で聴いてみたくなったが)
後者のうち、未完成のアダージョでは再現部の欠落を通常のリンツ稿を基に補足
差し替えられたスケルツォは、「ヘ短調」と第2番のスケルツォを繋ぐ存在という感じ 1と2は4番よりも名曲だと思うが0番は酷い作品だ。あれは世に出すべきではないね でも初期3曲の中でもっともブルックナーらしいという特徴がある。 00のスケルツォの拍がわからん、どうなってますのん? >>147
3/4拍子で、↓のような記譜
│休 タ タ│タラタ タ│タラタ 休│ >148
おー、ありがとうございます!
なるほど、心が晴天なり >>10
番号なしで習作と呼ばれることも
いずれも通称で正式なタイトルではないと思われる >>151
《交響曲ヘ短調》には副題は何もないよ。
副題のあるのは《第四交響曲》だけ。
全集版が《第三交響曲》に「ワーグナー」と副題をつけているのは
単に初版にワーグナーへの綺麗な献呈の辞が付けられているから。
ちなみに、《第三交響曲》のレーティッヒ版のタイトルには
《交響曲二短調》としか印刷されてないけど、何故だか分かる? 総合スレにも貼ったけど
今夜の「クラシック音楽館」で珍しくブル1の演奏がTV放送される
http://www4.nhk.or.jp/ongakukan/
11月23日(日)放送
小泉和裕指揮 九州交響楽団定期演奏会
インタビュー:小泉和裕(指揮)
1:ピアノ協奏曲 イ短調 作品54(シューマン作曲)
2:交響曲 第1番 ハ短調(ブルックナー作曲)
管弦楽:九州交響楽団
指 揮:小泉和裕
ピアノ:アンドリュー・フォン・オーエン(1曲目)
収録:2014年9月24日 アクロス福岡シンフォニーホール
コンサート・プラス
「アンサンブル・ウィーン演奏会」から
歌劇「フィガロの結婚」序曲(モーツァルト)
喜歌劇「こうもり」序曲(ヨハン・シュトラウス)
演奏:アンサンブル・ウィーン
(2013年6月29日フィリアホールで収録) >>152
亀な横レスだけど
第2稿の自筆譜に「ワーグナー交響曲」と書いてあるので、
全集版で採用したことにはそれなりの理由があると言っても良いのでは
ただ、全集版のなかでも扱いは異なっていたりする
「V/3」は「ワーグナー交響曲」の表記なし
「V/1」は中表紙に「ワーグナー交響曲」の表記あり
「zu V/1」と「V/2」は中表紙と楽譜冒頭に「ワーグナー交響曲」の表記あり
「《交響曲二短調》としか印刷されてない」のは、
ブルックナーの交響曲中で最初かつ単発で出版されたから、とか? ブルックナー・コレクション
交響曲第00番 ヘ短調 「習作」 WAB 99
ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団
ゲオルク・ティントナー (指揮)
http://ml.naxos.jp/work/3000518
この演奏いいなあ。 0100 宇野功芳 2015/10/15 11:52:55
─┼─┐─┼─ / ,. `゙''''‐、_\ | / /
│ │─┼─/| _,.イ,,.ィ' ─────‐‐‐‐‐ ● ← 独墺交響曲至上主義者
│ |ツ │ | | | イン /´⌒`ヽ // | \
{, リ) / ./ | \
__ /}从、 リ( / / |
,. ,. -‐===‐- `つ/ ,.イ ’^ソハノリ / ∵|:・. 宇野さんが、
〃〃〃〃 //ミノ__ /´ /∴・|∵’ ドビュッシーの
_____ ノ_/ / ヽミ、、 .∵.;|∵’:; バレエ音楽「遊戯」を
( 二二二ニ) ノΘ(__ ) ゙ 、∵.;|∵’, テニスラケットで
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ .^^^' \ !  ̄フ ゙ 、 |∴ 指揮する 夢を見た。
/\/ ∧/
/ / ノ./
ノ/ ヘ__、
ヘ_'_,
ID:3Jy8c6gp(4)
0101 アンチ独墺交響曲至上主義者 2015/10/16 00:10:26
ノ⌒⌒⌒⌒ヽ
///ソノノ人((( \
( / ≡ ≡ \ ))
(/ ― / ― 9)
| 人_ノ宇野功芳氏が、ドビュッシーのバレエ音楽「遊戯」を
| (LLLL)エサ=ペッカ・サロネン氏と一緒に
\ ∵∴∵ノ /テニスラケットで指揮する夢を見た。 最近ヘ短調ばかり聴いている。
シャピラ、インバル、アシュケナージと何故かユダヤ人指揮者の名盤が多い 朝比奈盤(と言うかテープ)をCD化して保水
>ヘルゴラント ゲルマン人の行進、ドイツの歌、ヘルゴラント
のナショナリズム三部作をティーレマンが録音すれば受けるんでないの? ヴァントのリマスターされたソニーからの廉価ボックス聴いてみる価値ありですか?
録音が古いのが気にかかるがリマスターで改善されてるのかな。
版の選択は、妥当な選択なんでしょうか? >>169
リマスター後のは聴いてないから音質のことはわからん
使用版については
第1番はウィーン稿ブロシェ版(新全集版T/2)
第2番はハース版(旧全集版U)
第3番は第3稿ノーヴァク版(新全集版V/3)
第1番でのウィーン稿使用は少数派
その理由についてヴァントは最終稿を使う主義だと説明していた
ブルックナーは第9番作曲を中断してまで第1番の改訂に取り組んだのだ、と
第3番も引き合いに出しながら、
ブルックナーが望んだ結果の最終稿ではなく旧稿を使うのは厚顔無恥だ、とも >>169
一方で、第2番では第2稿に第1稿を混合したハース版を使用した
ヴァントは基本的にハース支持、反「改訂版」(を手掛けた弟子たち)、反ノーヴァクだった
ブルックナーにとって内心不本意な改訂は旧に復さなければならない…という感じで
最終稿主義と整合性が取れていたのだろうか
第3番については前述のとおり、第3稿をブルックナーの望んだ最終稿として使用した
ブルックナーは第3稿でようやく成功を収めた、大幅な短縮もブルックナーが望んだ、と
で、第3番にはハース版もないのでノーヴァク版V/3ということになる
もっとも、ヴァントは後年のNDR響との演奏でフィナーレの再現部とコーダを繋ぐ移行句をカットしていた
この部分は第3稿への改訂時にF.シャルクが書いたことがノーヴァク版の序文で述べられており
ここばかりは採用できない、と考えるようになったのかもしれない >>169
版の選択が妥当かどうかってのは
そもそも版の違いへのこだわりとか価値判断とかは人それぞれだろうから何とも
もし、この録音で初めて曲を聴いてこれで曲を覚えるまで聴き続けるっていう人なら
第1番についてはとりあえずリンツ稿使用の録音の方が無難だろう、と個人的には思うけれどね
まあ、せっかく安くなったことだし、聴いてみたいと思うならとりあえず聴いてみてはどうかと >>170様
レス、ありがとうございます。
版の問題がブルックナーはややこしくて、遠ざかっていました。
安くなったことですし、一度聴いてみたいと思います。
詳しいご説明、本当にありがとうございます。 >>170
ヴァージョンの問題に、ある一つの基準に基づく整合性を
求めようとすると破綻をきたすということですね。
その典型を示すのがヴァントの版選択。 第2番までのスレなのに第3番にまで触れていた…
スレの範疇を超えるけど
ヴァントの述べた最終稿云々はハース版で認められたかどうかが前提だったのかな、と思う
第1番についてハースはリンツ稿・ウィーン稿の両方を出版した
第3番はハース版が出版されなかったのでハースを抜きに考えるしかなかった
が、実現しなかったとはいえ第3番は第1稿での出版が戦災で中断するまで準備されていたわけで
第4番でも第2稿出版後に発見された第3稿が出版予定に加えられたとか
まあ、第3番第1稿については第2稿の自筆譜全体が手元になかったわけで
もし第2稿を入手していたら第2番などのような稿の混合が行われたのかもしれないし
あるいは「ワーグナーに献呈された稿」を出版するという政治的な事情もあったのかもしれない
第4番第3稿については出版にあたり弟子の関与の大きさを強調したのかもしれない
これらが出版されなかったことはヴァントの版選択にとって都合が良かったのかも ヌルテ
ドッペルヌルテ
のモノラル録音ってあるんだっけ? バレンボイムの1番リンツ稿@サントリー
いやもう素晴らしい。特に第2,3,4楽章文句なし、実演でこんないいの聴けるとは
印象的なメロディーが出てこないアダージョがフレージングとバランスとハーモニーの推移を注意深く極めると
これほど豊かな音楽が響いてくるのかと驚愕
第4楽章のとことん散らかった楽想もことごとくストンと入ってきて安心して音楽に浸れた。
バレンボイムとシュターツカペレベルリンおそるべし。明日の2番も行く。 今日の2番は昨日の1番と曲の捉え方は近かったにしろ
フレーズのつなぎや切り替えがスムーズじゃなく練り上げ不足
昨日と全く逆の印象で全然落ち着かず曲に浸れなかった
オケの優秀さで押し切ったがはっきり言って失敗じゃなかろうか Λ_Λ \\
( ・∀・) | | ガッ
と ) | |
Y /ノ 人
/ ) < >_Λ∩
_/し' //. V`Д´)/
(_フ彡 / ←>>177
_
ミ ∠_)
/
/ \\
ウイーン Γ/了 | |
ウイーン |.@| | | ガッガッ
| / | 人
|/ | < >_Λ∩
_/ | //.V`Д´)/ ←>>177
(_フ彡 / ヘ短調は名曲
メンデルスゾーンの交響曲程度には演奏される価値あり シャピラ/ロンドン交響楽団だけ持ってる。英EMI
ヨッフムの全集のオマケ あれは名盤
流石ロンドン響と唸らされる
是非ともCD化すべきだね バレンボイムの2番聴いたばっかでも今日は飯森&山響のブル2@山形テルサ
呆れるほど見事。オケ優秀ホール素晴らしすぎ。
1st10人コンパス4人、どんなに金管鳴ろうが木管のソノリティーは失われない。
各パートの音が階層をなして積み重なってく様が鮮やかに聴こえる。後ろで奏でる木管のちょっとしたモチーフも意味深い。
2番てこんなにいい曲だったかと思わずにいれない演奏 書き忘れた1877年稿キャラガン版だけど部分的にノヴァーク版から採ってるとのこと >>188
ちなみに3/16(土)16時〜酒田市民会館でもやるよ
ちと遠いけど >>189
駅前の「ル・ポトフー」ってまだある?
兼ねて行きたい >>191
ル・ポットフー食べログに出てたよ
こんなおしゃれな店が酒田にあるんだね
いいかもねブル2とフレンチ 晩飯高いからゆっくりランチ食ってちょうどいい時間だな 初期を聴いたら気に入ったという人は多い
もっと取り上げてほしい ヴィーンフィルはこのあたりの曲ほとんどやらないね
没後120年経っても相変わらずブルックナーには冷たいオケだよ 0番のパート譜がのこっているんだから、それをそのままやってくれたらいいのにね。 そうなのか、ヴィーンの連中はブル0なんて屁くらいに思ってるんだろうな ウィーンで0番って、最初の試演以外でやったことあるのかね?
1番はアバド、2番はシュタインの録音があるし
ムーティも来日公演でやってたが >>195
ウィーンフィルは「新アントン・ブルックナー全集」の後援団体になったようではある
http://www.mwv.at/index.htm 晩年まで2番を直していたブルックナー
死後これほどスルーされると知ってたらさっさと新しい曲に専念してたかな 45789はもう耳タコで聴きながら寝るようになってしまった
初期は寝ないですむ Hermann Scherchen "Symphony No 2" Bruckner
https://www.youtube.com/watch?v=_AGyKUY9r6U
初版唯一の全曲録音
ただし、フィナーレ後半のカットがスコアの指示を超えて凄い >>206
アリャ、全曲あるのか…
スケルツォだけのTAHRA盤を買ってしもうた >>207
まあ、自分もその盤持ってるんだけどね
Tahra活動終了の在庫処分セールで手を出しちゃった
(全曲録音の存在はBerky氏のサイトで知っていたものの) パウル・シュミッツ指揮NDRの0番を聴いた
1961年録音とあるが音はそれより10年くらい古い
演奏はなかなか良い 1番が初めてのブルックナー。昔偶々聞いてその透明さに驚いた。
その後9番まで聞いたけれど、今でもブルックナーといえば1番 >>184
シャピラの演奏って、第二楽章だけスコアとかなり違っているよう
だけど、これ初版の引用なのかな? 2番直し続けるなら0番終楽章手を入れて欲しかった。主題は中々いいので 一番二番三番の無駄な改訂で九番が未完に終わってしまった >>215
フィナーレで行き詰まってるから過去の作品をちまちまいじりまわしてんだよ
どのみちあれは未完に終わる運命だったんだよ >>213
1913年のユニヴァーサル版はアンダンテ楽章しかなかったので
そう勘ぐってみただけです。
たとえば、72小節のオーボエはクラリネットに変わっている。
>>216
その説に1票。 九番三楽章を書き上げた直後、大病で一度死にかける
そのあと楽想が湧かなくなった説に一票。 ちゃんと素材は残してるじゃん
コラール主題は素晴らしい 三楽章までに比べたら全然たいしたことないよ
コラールも他の曲のほうがいい それにコーダが欠落している
サマーレ一味の捏造版はいかにも芸が無い 第7番の成功を受けて旧作の出版や演奏への道が開けてきた時期に
第8番第1稿が受け入れず改訂を始めたら
他の旧作にも手を入れずにはいられなくなった(状況的にも精神的にも)
ってところかなと思ってる
仮に元気な状態が長続きしていたとしても
その時間がさらなる改訂作業に費やされた可能性もありそうで
(第2番をもっと大規模に改訂したり第5番・第6番あたりにも手を伸ばし始めたり)
第9番がアダージョまでひとまず出来上がったことだけでも不幸中の幸いだったのかも 八番はレーヴェでなく最初からリヒターに任せれば第一稿のまますんなり行ってただろう
で後世の我々もそういう曲として受け入れている
さらに九番も無事完成して大往生 >>220
第二主題が貧弱かなとは思うが
正式に完成されたものとの比較は?だな 二番のフィナーレのコーダはどの稿も据わりが悪い
本人もどうしていいか解らず難儀したんだろうな 今度の日曜Eテレな
ブル2地上波放映なんてもう二度とないかもしれないし 地上波で朝比奈・大阪フィルのブル0が放送されたのが懐かしい インバル/フランクフルト放響の2番
ノーヴァク版て書いてあるけど実際はハース版じゃね?
スコア(音友)でvideになってる小節全部やってるみたいだけど
(オーケストレーションの細部は俺にはわからんけど)
既出だったらスマソ >>238
ノーヴァク版の
・第1楽章第567小節
・第3楽章スケルツォ第124小節とコーダ第125・126小節
はハース版にない部分
インバル/hr響盤はそれらを演奏している
ただ、ノーヴァクは第3楽章で
ハースが復活させたスケルツォ・トリオの各リピート記号を抹消したのだが
この演奏はスケルツォ・トリオのそれぞれ前半をハース版のように繰り返している
(スケルツォ結尾の違いのためか、後半の繰り返しは行っていない)
以上から、「ノーヴァク版ベースの折衷的な演奏」というところかね 《第二交響曲》は全集版でキャラガン校訂も出て、
指揮者はどうやったらよいか戸惑っているだろうね。
まあ、3人の校訂者のなかで一番変なのがキャラガンか? >>239
ご教示感謝。videばかり気にしてスケルツォの繰り返しは注意してなかった(汗)。
(音友スコア見てるだけではハース版にない部分は当然わからない)
>>240
キャラガン校訂の1872年稿はアイヒホルン盤しか聴いてないが、フィナーレは
どうも無駄に長い気がするw
ハースは「試料の校訂」と「演奏版の編集」を峻別しなかった点では批判されて
当然なんだろうけど、演奏版作りという点だけ見れば良い線行ってたんじゃないか
と思う(8番もそうだが) >>241
ハースの原版を使ったノーヴァク版(I/1,I/2,II,zuIV/2,IV/2,V,VI,VII,VIII/2,IX=Orel)
では、微細な修正は手書き、かなりの修正はページ全体の版を新たに作成している。
これは、楽器名の活字などを比較すると容易に認識できる。
音友のスコアだけからでもわかることである。
たとえば、VIII/2の92ページと93ページ。
92はハース版、93はノーヴァク版である。
ところがIIの場合は、版の違うページも実はハース版なのである。
52ページも、85ページもハース版である。
もっとはっきりしているのは73〜74ページが2つあるが
両方ともハース版である。
要するにノーヴァクはハースの校訂報告内の
参考譜を流用したということだ。
結局どの形を採用すべきかということで見解が異なるというわけである。 音楽之友社
http://www.ongakunotomo.co.jp/catalog/detail.php?code=962660
〔ONTOMO MOOK〕
●最新版 名曲名盤500 ベスト・ディスクはこれだ!
レコード芸術 編
【定価】 2,160 円 ( 本体2,000 円)
【判型・頁数】 B5・272頁
【発行年月】 2017年5月 マーラーは完成に向かって進んでいるという実感があるんだけど、
ブルックナーは試行錯誤の森の中をさまよってる状態なんだよね。
変更して良くなったという実感が希薄だからだろうか? 一番のウィーン稿はヴァントやシャイーぐらいしかおらんしな 極初期の交響曲は最近になってつべで初めて聴いたけど、2番が一番聴きごたえがあった
でもつべの投稿って指揮者もオケも明らかにしてないのがよくあるから
いまだに版も含めて細かい情報がわからん
2番でおすすめのCD誰か教えろください >>251
ショルティCSOの2番が最高に気持ちいいね >>253
ショルティ/シカゴ響ですか、ありがとうございます
できればもう2、3種類くらい教えてもらえれば嬉しいですね
指揮者はともかく、ヨーロッパのオケの演奏も気になりますし 2番かあ・・・
ジュリーニ=ウイン響
ヨッフム新旧
朝比奈のおっさんキャニオン盤
朝比奈のおっさん都響盤
ショルティ=シカゴ響
ティントナーさん
若杉しゃん
インバル=フランクフルト放響
シモーネ姐さん
あたりは買っても損はしないかな 2番はカラヤンとパテルノストロ
ジュリーニがあればいいわ http://tower.jp/item/4589969
『ムーティ&ウィーン・フィル〜ブルックナー:交響曲第2番、他』
【曲目】
1)ブルックナー:交響曲第2番 ハ短調 WAB 102 (ノヴァーク版)
2)R.シュトラウス:組曲『町人貴族』 作品60*
【演奏】
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:リッカルド・ムーティ
ゲルハルト・オピッツ(ピアノ)*
【録音】
2016年8月15日 ザルツブルク 祝祭大劇場(ライヴ) 2番のフィナーレ、ハースの書き換えも故なしとは言えないね。 NHKBSで1番聴いたけど、木管を前面に出した
新鮮な響きだったね。 習作交響曲が00番とも呼ばれていることを初めて知った。 >>271
スクロヴァチェフスキの全集はそうだったと思う 誰でもできる確実稼げるガイダンス
念のためにのせておきます
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
BSNSP >>271
最近のだとマルクス・ボッシュとゲルト・シャラー
シャラーについては今後も異稿異版の録音を続けていきそうな気配で
将来ロジェヴェンみたいな全集に発展するかもしれんけど 「先生、主要主題はどれなんでしょう?」
「君、主要主題はいったいどれなんだ?」
どちらが正しい訳でしょうか? >>279
ティントナーさんが自害していなければ、ロジェベン並みの全集が企画されていたんだよな 第1番のスケルツォって破棄されたものがあるって本当? >>282
第3楽章は1865年5月にいったん完成されたが
翌年1月にスケルツォのみ差し替えられた経緯がある
差替前の古いスケルツォはアダージョの旧稿とともに全集「zu I/1」として出版済
録音は室内楽編曲というかたちではあるものの、1種類ある
http://www.hmv.co.jp/news/article/1312190058/
ただ、>>282は「破棄されたもの」と書いているので
「第1番のスケルツォってzu I/1とも異なる失われたものがあるって本当?」
という意図の質問なのかもしれないが
もしそういうことであるなら自分は知らない >>283
たぶん、ブルックナーには『破棄』という言葉は似合わないだろう。
もちろん、失われた作品や草稿がたくさんあるのは確かだけど、
それらは、『紛失』あるいは、誰かに『贈与』したものだと
考えるのが正しいように思う。 すごくおもしろい在宅ワーク儲かる方法
少しでも多くの方の役に立ちたいです
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8TO 今更1番にハマってる
以降のブルとは異質な形で完成されてて痺れる あと2番は単独スレ立てていいレベルでしょ
後期ブルの作品に並べてもいいくらい器のでかい作品だと思う クラシック音楽館 N響第1886回定期公演
2018年7月8日(日) 21時00分〜23時00分
N響1886回定期▽首席指揮者パーヴォ・ヤルヴィ▽1.トルミスの序曲第2番 2.ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第2番 3.ブルックナーの交響曲第1番
3.ブルックナー作曲交響曲第1番(2018年5月18日NHKホールで収録) >>280
1870年
ブルックナー46歳くらい
デッソフ35歳くらい 1番2番の改訂完成は9番作曲と並行だし
むしろ後期の作品と呼んで差し支えないかと スケルツォのリズム
II:タタタンタンタンタン
IX:タタタンタンタンタンタン
アウフタクトかどうかの違い、タンが1発多いなど
微妙に違うけど、雰囲気一緒。 遅まきながらシモーネ・ヤングの1番交響曲の演奏聴いてみた。
まぁ、善戦してるかなぁ〜って感じだったな。リンツ稿なのが腹立つけど。
なぜ、ウィーン稿を演奏しないんだ誰も彼も・・・・ 1番ウィーン稿を初演したウィーンフィル自身がまだ録音してない >>302を聴きに行った
指揮者によるプレトークによれば、レーダー版は初演パート譜を基にしているとのことで
キャラガンが編んだものとの違いがどの程度あったのか、よくわからなかった
今日の演奏ではダ・カーポ後のスケルツォでリピート指示を省略しなかった
なお、実演機会の少ないブルックナーの前期交響曲だけに初めての体験だった
(ブルックナーはこのように演奏することを想定していただろうか、と思わなくもないが) ティーレマンがキャラガン版II/2をやったようだね。 令=0、和=0、つまり令和とは00
再評価されるかな? ブルックナー、なんで第2番はちょっと手を加えた程度で初版を出したんだろうか むかしオザワがヴィーンフィルとやった2番を聴いてみたいんだがな ティーレマン/SKDの第2番
演奏会場はエルプフィルハーモニーなのか 7→8→5→9→4→6→3→1→2
の発売順なので様子を見ながら…という気はするけど
無事9曲めまでこぎつけたのは結構なことだ 弦楽五重奏の編曲で良いと思ったものが一つもない
作曲者のセンスが正しい 昨日、ハンブルクエルプフィルハーモニーでティーレマンがドレスデンを振った2番の演奏録画を見直したが、苦手な曲だったのに、繊細で
渋くて凄く良かった。 2番を取り上げたならブルックナー指揮者と認めても良かろう 2020年は2番と0番の年だ
この二曲を盛り上げるのだ >>325
それはどうかわからないが、初期の曲ももっとクローズアップされてもいいね。 小泉和裕指揮の九州交響楽団の1番をYouTubeで視聴した事があったかなあ?
とても良かったと思ったが、まだあるかな? >>328
アホかどうかは分かりませんが、勿論、朝比奈隆が先にきます。当たり前過ぎたので、小泉和裕を出したまでの事。 朝比奈は0番は認めていたけど、ヘ短調にはあまり良いことを言わなかったので、
全く演奏してないんじゃあ? >>332
朝比奈さんは0番の名演がCD化されてましたでしょう?私はLPで聴いた記憶がありますが、勘違いでしょうか? スクロヴァ読響の0番を聴けたのは幸運であった
ちゃんと演奏すれば十分コンサートの華となる作品だ アシュケナージ引退の報
ブルックナーをこき下ろしたくせにヘ短調交響曲は名演だから面白い >>322
それすごく気になってる。
ベートーヴェン風味からティーレマン合うんじゃないかって思って買おうと思った 習作交響曲(00番)・第0番を含む交響曲全集でよいものを教えてください。 二つしか持ってないけど
ティントナーの方がずっと好き
ほかにあるのかな そういやブルックナーの交響曲で生で聞いたのは1番と2番だけだわ 00番は単体で買ったほうがいいだろ
全集としての選択肢狭まりすぎ 00入れてる全集は
34とかも初演版とかが多いからな 初演版?
たしか3番の初演は1877年、ブルックナー自身の指揮で第2稿(1877年稿)
4番の初演は1881年、リヒターの指揮で第2稿(1878/80年稿)
どちらも第2稿のことか NHKFM
2021年 1月18日(月)
午後7:30〜午後9:10(100分)
番組情報
[ステレオ] ベストオブクラシック ▽ブルックナーの交響曲を聴く(1)アイルランド国立交響楽団
東涼子 2020.1.20 国立コンサート・ホール、ダブリン 録音:アイルランド放送協会
東涼子
「ピアノ協奏曲第9番 変ホ長調 K.271」
モーツァルト:作曲
(ピアノ)マーティン・ジェームズ・バートレット、(管弦楽)アイルランド国立交響楽団、(指揮)カルロス・カルマー
(30分34秒)
「交響曲第2番 ハ短調」
ブルックナー:作曲
(管弦楽)アイルランド国立交響楽団、(指揮)カルロス・カルマー
(57分34秒) カルロス・カルマーって有名な人?
全然知らない指揮者 ブルックナーの交響曲、終楽章限定でどの交響曲が好きか?と問われたら・・・・
自分は交響曲第00番、と答える。あれはホントに秀逸。今でもたまに鼻歌とかでも出るくらい好き。
ブルオタならこだわりの好きな曲の好きな楽章が絶対あるはずだよね?おい、お前ら、隠さずに教えろよ♪ ヘ短調のフィナーレは非常に手が込んでいる
習作でここまでやるのかレベル >>357
終楽章だったら、やっぱり5番でしょ?ブルックナーの交響曲のフィナーレはあれが最強だろ? 3番もいいぞ!
でも、ここって初期交響曲スレでは? 00番とか最後まで聞かないな
途中で飽きちゃう
なんかブルックナーのパチもんみたいだから >>363
デビルマン最終回で何故か使われた
三番終楽章冒頭 マーラー・ブルックナーをBGMに使った銀河英雄伝説では
市街テロのシーンで第1番の第3楽章が複数回使われた
第8番や9番の第2楽章冒頭あたりならまだしも第1番が
使われているのを聴いて担当者が本当にブルックナー好き
なんだなと思った
30年も前のことだが 0-2番を繰り返し聴いている
今や、なんか3番以降は聴くのに気合いがいる
00番はCD買って開封待ち。楽しみ。 >>370-371 おーワイと全く同じだ!と思ったら書き込んだのワイだった 00番、0番、1番、2番のチェリビダッケ指揮の録音はないですか?
とくに2番が聴きたいです。 もしもチェリが2番を振ったらコンヴィチュニーのようになると想像する。 スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮ザール・ブリュッケン放送響の「0番」のCDをいま開封、聴き始めて感動している! スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮ザール・ブリュッケン放送響の「00番」「1番」「2番」のCDを、いま連続ポチった!(後期はイイや) スクロヴァチェフスキの0番なら読売日本交響楽団とのライブがお勧めだ 00番をとうとう開封したが、正直ワイにとってはこの番は要らなかった。0番と異なり、ブルックナーの世界を感じられず、まるで別の作曲家のようだ。すまん。 >>378
ブルックナーと思って聴くと物足りんが、シューマンと思えば楽しめる 初期交響曲の決定盤ってなかなかないよな
昔の指揮者はあまり録音残してないし この前出た00番の録音、ヴェス/ブルックナー管のよかったわ
00番なんてロクに聴いたことなかったけど、スケルツォだけややブルックナーぽくて
後は緩いシューマンみたいな曲だな
曲も緩いし演奏も柔らかみがあって、ほんわかした感じが妙にツボに入った 初期ブルックナーにはいろんな先人の影響が見られて面白い
・レクイエム←モーツァルト
・ピアノ小品←メンデルスゾーン
・00番←シューマン
・1番←ヴァーグナー
その後これらの影響から脱し独自の作風を生み出したことも分かる こうしてみると、アーノンクールはブルックナーを「宇宙から飛んできた隕石のよう」と言ったけど
やっぱり先人の作品を参考にして徐々に作風を築き上げていったことが分かる
決して突然宇宙からやってきた天才というわけではなく
まあ確立された作風が誰とも違っててぶっ飛んでる、という意味で「宇宙からの隕石」ということなんだろうが